幕間 透子の修学旅行
『真島さんは一人で周りなよ。そっちの方が真島さんもいいでしょ』
たったそれだけ言って私と同じ班のクラスメイト二人は、自分たちだけで東京観光へと行ってしまった。
小学四年生にもなって幼稚な連中だと思うが、一人の方がいいのは彼女たちの言う通りだ。
『お前たち一緒に周るなんて、こっちから願い下げだ』
去っていくクラスメイトの後ろ姿を眺めながら、私はそう心の中で舌を出す。
私は二泊三日の修学旅行で、北海道から東京に訪れていた。
普通修学旅行と言えば、普段は行くことがない場所を友達のみんなで周れる楽しいイベントなのだろう。
でも私にとっては修学旅行なんて、嫌いなクラスメイトたちと長時間一緒に行動しなければならない苦痛以外の何物でもない。
今だって班ごとの自由行動だというのに、同じ班のクラスメイトたちから厄介払いされてしまったばかりだ。
クラスで浮いている私なんてのは、彼女たちからしてみれば厄介者だったのだろう。
世知辛い。
私は深いため息をつくと、歩道の縁石に座って目の前を見渡す。
辺りには面白みのない灰色のビルばかりが建ち並んでおり、たくさんの自動車が視界の端から端を行き交っている。遠くの方では陽炎が揺らめいているのが見えた。
東京の夏はやっぱり暑いなぁなどと考えながら、私はターミナルを立ち上げると学校から配られた東京の観光地リストを眺める。
こうなったらいっそのこと一人で東京を見て周ろうか。一人ならば、別に誰に気を遣う必要もないのだから、自分の行きたいところに行けていいじゃないか。
物は考えようだと、私は意気揚々とターミナルの上で指を滑らせる。が、やがて私の指はピタリと止まった。
このリストは修学旅行に参加している四年生全員に同じものが配られているのだ。ここに書かれている場所に行けば、同じ学校の生徒に遭遇する可能性だってある。最悪、先ほど私を追い出した同じ班の生徒と出くわすかもしれないのだ。
……なんだか考えるのも面倒になってしまい、私はうつむく。
両足の間から、ヒビの入った灰色のアスファルトが見えた。
自動車の走行音や背後を行き交う人々の声、雑踏音。それらを聞きながら私は目を閉じる。
もうこのままホテルに帰ってしまおうかな。そんなことを考えていたその時だった。
「へーい、彼女」
不意に背後から声が聞こえてくる。アホと陽気を掛け算したような、そんな声だ。
なんとなく振り向かなくても自分に声をかけているんだろうなというのは分かったが、正直このテンションの人種と関わり合いたくない。私は無視を決め込むことにした。
このまま無視していれば大人しくいなくなってくれるだろうと、そう安易に考えていた。
だが――、
「もしもーし、大丈夫~?」
背後にいる人物は再度声をかけてくる。
私は鬱陶しく感じながらも無視を続けることにした。
「おーい?」
それでもなお、後ろにいる声の主は諦めない。
仕方ない。私は諦めて振り向く。
そこには一人の女の人が立っていた。
年齢は十代半ばくらいか、紺色のブレザーにチェックのスカートという出で立ちをしている。胸のエンブレムに『HIGH SCHOOL』の文字が見えた。どうやら高校の制服らしい。
目鼻立ちの整った女性で、すごい美人だというのが第一印象だった。
「やっと振り向いた。病気かなんかじゃないよね?」
綺麗な髪を揺らしながら、お姉さんはそう言って微笑む。
……かなり怪しい。申し訳ないが、私はさっさとどこかへ行ってもらおうと、冷たくあしらうことにした。
「ご心配なく。もしも病気だったとしたらナノポートが自動で病院に通報してくれる……常識じゃないですか」
私の言葉に、お姉さんは困ったような笑いを浮かべる。
「キミね、そういう生意気なこと言ってると友達いなくなっちゃうよ」
「それもご心配なく、元からそんなものいないので」
そう言ってから私は慌てて口を抑える。何を初対面の人間に余計なことを言っているんだ、私は。
そっとお姉さんの顔を見ると、彼女はしたり顔をしていた。
「ほら、やっぱり」
「あなたには関係ないでしょ」
そう言って立ち上がると、私はこの場を去ろうとする。変な人だ。何だか話していると妙に調子が狂ってしまう。
「あー待って待って」
「何ですか!?」
しつこいお姉さんに私はつい声を荒げてしまう。行き交う通行人が何事かとこちらに視線を向けてくる。恥ずかしくなって私は目を伏せた。
「いや、もし暇だったら私についてこないかなって?」
「え?」
目の前の鬱陶しい人が不審者にクラスチェンジした瞬間だった。
もしかして、彼女は学生の皮を被った犯罪者だろうか。
私と社会のために直ちに通報してやろうと思ったが、そんな私の心を読んだのかお姉さんは慌てたように言う。
「いやいや、何も変なところに連れて行こうってわけじゃないの。ただ、もし君に何もやることがないなら電依戦の試合でも見ないかなって」
「電依戦……ですか?」
私は通報の手を止める。
電依戦は仮想空間で行われる対人ゲームだ。プレイヤーは自作のプログラムを駆使して電脳空間と呼ばれる仮想世界で戦う。
ニュースサイトで見たことがあったのでそういう基本的な知識はあったが、正直なところ興味はなかった。ゲームなんて、時間をドブに捨てるだけのもの。そういう認識だったから。
「ここから少し離れたところにeスポーツの試合を観戦できる場所があるんだけど、よかったらどうかなって」
どうしよう、と私は思案する。電依戦なんて興味がないし、行っても退屈になるだけかもしれない。
でも特に行く宛がないのは事実だし、電依戦の会場だったら同じ学校の生徒もいないだろう。多分。
問題はこの目の前の不審者だが――、
「分かりました。そのかわり変なことしたら即刻通報しますから」
「え? あ、うん……?」
反応が悪い。やっぱり今ここで通報しておいた方がいいんだろうか。
「じゃ、行こうか」
そう言ってお姉さんは私の目の前に手を差し出してくる。なんだ? 案内料とか言って、金でも取ろうというのか?
「なんですかこれ?」
「この辺、人が多いし迷ったら危ないし手繋いで行こうよ」
正直現時点でこの人が一番危ないような気もするが……まあ今の所は大丈夫そうか。
「分かりました。でもその前にお姉さんの名前を教えて下さい」
「私の名前?」
「はい、名前も知らない人についていくのも、手を握るのも抵抗があるので」
「まあ確かに君の言う通りだねえ」
お姉さんはそう苦笑してから、自分の名前を名乗る。
「私は渡瀬葵。で、君の名前は?」
「……真島透子です」
「そう。じゃあ真島さん一緒に行こうか」
改めて渡瀬さんに手を差し出され、私は彼女の手を取った。暖かくて柔らかい手だった。
渡瀬さんの手を握ると、彼女は優しく私の手を握り返してくれる。
なんだかそれが照れくさくて、私は終始うつむきながら彼女に手を引かれて歩いていた。
* * *
渡瀬さんに手を引かれて私がやって来たのは、東京eスポーツアリーナという大きな建物だった。ここは様々なeスポーツゲームの催しを行うための施設らしい。らしいというのは、つい今しがたナノポートで仕入れた即席の情報だからだ。
会場は平日にも関わらず、多くの人で賑わっている。
正直ネットで配信もあるeスポーツの大会を、わざわざ会場に出向いてまで見る意味など私には分からない。なんだろう。みんな暇なんだろうか。
そんなことを考えている私をよそに、渡瀬さんは受付の女性に声をかける。
「すいません。ここの席っていつもこの時間は誰もいませんか?」
「はい、こちら平日の昼間にご利用される方は、あまりいらっしゃいません」
「じゃあここ、子供一人分お願いします」
ちょっと待て。子供一人分の子供とは、ひょっとして私のことを言っているんだろうか? もしかして、この人は私の分のチケットを買ってくれようとしているのか?
「じ、自分の分くらい自分で出します」
私のナノポートには、修学旅行用のお小遣いが入っている。決していっぱい持っているわけじゃないけれど、チケット代くらいは十分出せるはずだった。
大体、見ず知らずの他人にお金を出してもらうなど、あとが怖い。
「まあいいから、いいから。それは取っておきなさい」
渡瀬さんはそうやんわりと断ると、私の腕に黒いゴム製のブレスレットのようなものをはめてくれる。
「なんですか、これ?」
「ここのチケット。なくさないでよ?」
「こんなところにつけてたら流石になくしません」
そんな会話をする私たちの元へ、一人の男の人が近づいてくる。スーツ姿の若い男の人だ。
彼は、私たちの前で立ち止まると小さく会釈する。
「渡瀬様、お待ちしておりました」
「どうもお久しぶりです」
「そろそろお時間となりますので、お急ぎ下さい」
「あー、そうか。気づいたらもうこんな時間か……」
そう言って渡瀬さんは困ったような顔で私を見下ろす。なんだろう?
「あ、そうだ。この子のことお願いできますか。チケットは買っておいたから、案内してあげて下さい」
「かしこまりました」
「じゃ、そういうわけだからまた会おうね。真島さん」
「あ、ちょっと……!」
呼び止めようとする私の声を無視して、渡瀬さんは駆け足でどこかに行ってしまう。
なんだ……一緒に見るわけじゃないのか?
「お客様」
困惑する私に向かってスーツの人が声をかける。
「失礼ですが、チケットの方を拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
子供の私にも敬語とは、随分と丁寧な人だ。そんな事を考えながら、私はスーツの人に腕のブレスレットを見せる。確か渡瀬さんは、これがここのチケットになると言っていたが……。
スーツの人は私の腕のブレスレットを確認すると、うやうやしくお辞儀した。
「それではお客様、こちらへどうぞ」
そう言って彼は私の案内をしてくれた。
広々とした部屋には、赤い絨毯が引かれており、その上には高そうな黒革のソファーが並べられている。部屋の隅には料理や飲み物が置かれたテーブルが設置されており、その上には『ご自由にどうぞ』の文字が書かれたARポップアップウィンドウが表示されていた。部屋には自分とスーツの人以外、誰もいない。
どういうわけか私が通された部屋はVIP席のようだった。部屋の前面はガラス張りになっており、向こうには人でいっぱいの一般席が、そして眼下には試合会場となるアリーナが見える。
「あの……何かの間違いじゃないんですか?」
「いえ、お客様の腕のチケット。そちらはこの席のもので間違いございません」
それではごゆっくり、とだけ言い残してスーツの人は去って行く。
誰もいなくなった部屋で私はしばらく呆然と立ち尽くす。
――とりあえずここに突っ立っているのも落ち着かない。
私は、ソファーへと腰を下ろす。
柔らかなソファーが身体を包み込む。これはこれでまた少し落ち着かない感覚だ。
それにしても、チケットを買ってくれたのは渡瀬さんだけど、もしかして席の種類を間違えて買ってしまったんだろうか?
私はターミナルを立ち上げて、自分が今座っている席の値段を確認。そして思わず目をむいてしまった。
ここのVIP席の値段は、私のお小遣いなんかじゃとても払えないような額だった。間違えて買ってしまう、というのは中々考えづらい。
こんな席を会ったばかりの子供に用意するなんて、渡瀬さんというのは一体どういう人間なのだろう。
そう考えた時、突然部屋の照明が薄暗くなった。
『会場にお越しの皆様、長らくお待たせ致しました。これより始まるのは本日のメーンイベントです! まずは東京eスポーツアリーナの電依戦王者! 渡瀬葵の登場だぁ~!!』
司会の声に、会場中から歓声が沸き起こる。
私は椅子から飛び上がって、窓ガラスの方へと駆け寄る。眼下の真っ暗なアリーナには、スポットライトに照らされながら颯爽と歩く渡瀬さんの姿があった。
「渡瀬さん、選手だったんだ……」
道理であんなに急いでいたわけだ。
『さあ、続きましてチャレンジャーたちの登場です!』
渡瀬さんとは別の入口からは、同じ様にスポットライトに照らされながら三人の男女が歩いてくる。彼らが渡瀬さんの対戦相手なのか。
『それでは選手の皆さん、ご着席下さい!』
渡瀬さんと他の選手はアリーナ中央の席へと歩み寄ると、そこへ腰を下ろした。四人は四角いテーブルを挟んで向かい合いながら座る形となる。これが電依戦の形式なのだろうか。
『悪く思うなよ。今日でお前の王者の座も終いだ』
大柄で高圧的な態度の男の人が、渡瀬さんに挑発の言葉を投げる。そんな彼をメッシュ髪の女性がたしなめる。
『ちょいとアンタ、そう戦う前に威圧するもんでもないよ。これはeスポーツなんだから、スポーツマンシップに則って正々堂々行こうじゃないか』
『そうそう。あんまそういう態度取ってると、弱く見えてくるよ』
そんな女性の言葉に、もう一人の挑戦者である大学生くらいの男の人が同調する。二人からたしなめられて、大柄な男の人は面白くないというように鼻を鳴らす。中々色濃いメンツだ。
でも渡瀬さんは、そんな中で口元を歪めると怪しく微笑んだ。
『三人共張り切ってもらっているところ悪いけど私、今日は特に負ける気がないの』
そこにいたのは先ほどまでの彼女じゃなかった。態度、言葉……その端々から並々ならぬ自信が溢れている。
気のせいか、渡瀬さんの言葉によって、他の参加者の間に漂う空気が何やら変わったような気がした。
『OK! プレイヤーたちのやる気も最高潮だ! こいつは今回の試合期待できるぜ!』
やがて会場に設置された大型ディスプレイには、長剣を手にした白い少女騎士の姿が映し出された。彼女は白髪に銀色の鎧という出で立ちをしている。どうやらあの少女が電依戦における渡瀬さんの姿のようだ。
しばらくして、会場中に機械音声によるカウントが流れ始める。
心なしか、画面の向こうにいる選手たちから緊張感が伝わってくるようで、私は思わず居住まいを正す。
5から始まったカウントの声がゼロになった瞬間、チャレンジャーたちは一斉に渡瀬さんへと飛びかかった。鎧を身に着けた大柄の男はやけに長い鎖つきの鉄球で、緑色の服を着た細身の剣士は長剣で、そして魔女のような格好をした女性は業火球で、それぞれ白い少女騎士めがけて攻撃を仕掛ける。
だが渡瀬さんはそれらの攻撃をすべて紙一重で回避すると、飛び退って三人から大きく距離を取った。
いきなりやられてしまうなんてことはなかったようで、私は少し安堵する。
だがしかし、まさかこれは――
『おーっと! チャレンジャー三人がまさかの連携! まずは三人で王者一人を攻めようって魂胆なワケか!?』
そうだ、彼らは明らかにそして意図的に渡瀬さん一人を狙っている。
戦いが始まる前は、そんな仲には見えなかったのに、まさか彼らは演技をしていたというのか。
『悪く思うなよ。お前を倒すまではひとまず三人で組ませてもらうぜ』
大男が下品な笑いを浮かべる。
『だがノープロブレム! 彼らはルールに触れてはいない!』
『いや、きたねーだろ!』
司会の声に対して、会場中からそんな野次が聞こえてくる。
そこには私も同意だったが、それとは別に一つ気になっていることがあった。
さっきの渡瀬さんの行動は、まるで三人が連携してくることを読んでいたかのような動きだった。彼女はこの戦いが始まる前から、あの三人が組むことに気づいていたのか?
そう言えば渡瀬さんは言っていた。『三人共張り切ってもらっているところ悪いけど』と。
まさかあの時彼女は、三人の関係を見破っていたとでも言うのだろうか? あのわずかなやり取りの中で?
とは言え、たとえそうだったとしても現状は変わらない。
三人に攻められるという圧倒的不利な状況。それは今もなお続いている。段々と渡瀬さんは追い込まれていく。
「同じだ……」
私は目の前で繰り広げられている試合を眺めながら一人つぶやく。
私には仲間なんていない。今日だって、集団から弾かれたばかりだ。
渡瀬さんも今、一人で戦っている。彼女の周りにも仲間なんていない。
他人からしてみれば『全然別物だ』と思われるかもしれない。渡瀬さんのはあくまでゲームの中だけの話で、私のはただ自分で周りとの壁を作っているだけ。……そんなのは私だって分かっている。
でもこの時、何故か私は一人で戦う彼女に対して、シンパシーのようなものを感じてしまっていた。
だからだろうか――、
「渡瀬さんがんばれ!!」
気づけば私は、ソファーから立ち上がって柄にもなく他人の応援なんてしていた。多分生まれて初めてする行為。そんなことができたのは、ここが自分以外他に誰もいない空間だったからかもしれない。
不意に、ディスプレイの中の少女騎士が微笑んだような気がした。その瞬間、彼女を中心に突如翡翠色の竜巻が発生する。あまりに凄まじい勢いだったためか、敵プレイヤーは全員それに巻き上げられ、宙へと打ち上げられた。
『うおっ! なんだ!?』
狼狽する大男。
『ただの目くらましに過ぎない! さっさと終わらせてやる!』
翻って冷静な剣士はそう叫ぶと、彼の持っている剣の刀身が明るい黄色に光り始めた。
『一斉に攻撃を仕掛ける! 行くぞ!』
『おう!』
そう呼応する大男。彼は鉄球の鎖を持って、大きく振り回す。二人は即席のチームとは思えないくらい息がぴったりだ。
だが、そんな彼らを前にしても渡瀬さんに焦る様子はない。彼女は口端を上げ、余裕の笑みを浮かべる。
『それは……止めておいたほうがいいんじゃないかな』
『うるせえ! これで終わりだ!』
そう言って大男は、渡瀬さんめがけて鉄球を放り投げた。鉄球は降下の勢いと共に彼女へと襲いかかる。それと同時に、渡瀬さんの目の前まで迫っていた剣士は、彼女目がけて黄色の刃を振り上げる。双方向からの同時攻撃。
――駄目だ、やられる!
思わず私が目をつぶろうとしたその瞬間、剣を振るい上げる剣士の目の前に大男が飛び出してきた。
『はあ!?』
突然飛び出してきた大男相手に、剣士は素っ頓狂な声を上げながら、振るい下ろそうとしていた剣を止めようとする。だが勢いを殺し切ることができず、彼は目の前に現れた大男めがけて剣を振るってしまった。
仲間だったはずの剣士に斬り裂かれて、大男は地面へと倒れる。よりによって急所を斬られてしまっていたせいか、彼の体力はほぼマックスの状態だったにも関わらず、一気にゼロになってしまった。
突然起きた出来事に剣士は動揺していたようだったが、やがて怒りに震える。
『何してんだ馬鹿野郎! 急に目の前に飛び出してくる奴があるか――』
そこまで言ったところで彼は息を呑む。
私は彼の視線の先を追い、そして「あ」と小さく叫んだ。
いつの間にか、大男の足には鉄球の鎖の先端が巻きつけられていた。そうか。この状態で空中から鉄球を放ったことで、彼も一緒になって引きづられて行ったのか。
『なんでこんな……』
『やたら長い鎖だったからね、使えると思ったんだ。まあ彼、鎧を着ていたから気づかれないかなと思って』
わなわなと震える剣士に向かって、渡瀬さんはこともなげにそう言ってのける。
いや、たとえそうだとしてもいつの間にやったんだろう。全体を俯瞰で見ている私でもまったく気づかなかった。
『そうだ! 大体もう一人は何をして――』
そう剣士が振り返った瞬間、彼の目の前に何かが落下した。それは魔女の格好をした女性だった。彼女の体力はとうに底を尽きており、その身体はキラキラとした光の粒となって宙へと消えていく。
彼女に関しては、私もなんとかその死の瞬間を捉えることができていた。
あの三人が巻き上げられた翡翠色の竜巻、あれはただの竜巻ではなく、渡瀬さんがあの魔女の人を斬った際に振るった剣によって生じたものだった。彼女は、あの竜巻に巻き上げられた瞬間には、既に死んでいたのだ。
気づけば、残すは渡瀬さんと細身の剣士だけとなっていた。
『で、何か言い残すことはある?』
『……さっさと終わらせて』
そう言い終えるか言い終えないかのタイミングで、剣士は渡瀬さんによって斬り捨てられた。
『たった三人で私に勝とうなんてのが甘かったわね』
渡瀬さんのその言葉に、会場中から割れんばかりの歓声が上がった。
「やっ……たっ!」
私は思わず、ぐっと手を握りしめる。
『流石渡瀬葵! プレイヤー三人が相手でも、まるで勝負にならない! おまけに今日は特に気合が入っていたようだったが、誰か会場に知り合いでも来ているのか!?』
『余計なこと言わなくていいの!』
渡瀬さんは顔を真っ赤にしてそう言った。
「すごかったな……」
VIPルームで一人、私は試合の余韻に浸っていた。
すごかったというのは無論渡瀬さんの試合もそうだったが、もう一つ私が感動していたのはリアルタイムにeスポーツを観戦するという行為に対してでもあった。
会場の熱。選手の息遣い。それらをリアルタイムに、より強く、そして鋭く感じることができる。画面越しでは決して分からない、知ることができない生々しいリアルの感覚。
だからこんな施設があって、みんなわざわざ時間とお金をかけてここに見に来るんだ。
いつしか会場全体が、私の目には宝石箱のように映っていた。
ふと誰かが部屋に入ってくる気配がする。振り返るとそこには渡瀬さんがいた。私は慌てて彼女のもとへと駆けて行く。
「渡瀬さん! おめでとうございます。すごかったです!」
「ありがとう。まさかおめでとうって言ってもらえるとは思わなかったよ」
興奮して言う私に、渡瀬さんは少し驚いたような顔をしてから微笑む。
そういえば私が応援した瞬間も彼女は笑ってみせたような気がしたが――
「あの、声聞こえてたんですか?」
「声?」
「ええと……あっ――」
そこで私は気づく。こんな話をしたら、私が渡瀬さんを応援していたことがバレてしまうではないか。
「な、なんでもないです。なんでも……」
私は慌てて首を振る。だが、既に遅かったようで、渡瀬さんはニヤニヤとこちらを見つめている。
「ははーん。さては私のこと応援しててくれたんだ。なんだ、思ったより可愛いところあるじゃん」
「もう知らないです!」
私は顔が熱くなるのを感じて、渡瀬さんから目を逸らす。本当この人と一緒にいると調子が狂う。
そんな私の両肩に渡瀬さんは背後からそっと手を置いた。
「いやー悪かったよ、ごめんごめん。おわびにこの後どこか連れて行ってあげるからさ」
「どこか?」
「あ、いや……もちろん、君が良ければなんだけど」
私は渡瀬さんに視線を戻すと、これまでずっと気になっていたことを尋ねる。
「……渡瀬さんは何で会ったばかりの私にこんなに親切にしてくれるんですか?」
正直、見ず知らずの会って間もない私をこんなところに連れてきたり、VIP席のチケットを買ってくれたりと色々腑に落ちないことだらけだ。
私の質問にしばらく考え込んでいた渡瀬さんだったが――
「私ね、妹がいるの。多分君と同い年くらい。だからかな、そんな子が一人寂しそうにしているもんだから、つい声をかけちゃったの」
「……別に寂しそうにしてませんでした。普通です」
「そう、ならよかった。それでどうする? 私とどこか一緒に行く? それとも帰る?」
渡瀬さんはそう尋ねてくる。
これからどうするか。そんなもの、答えは決まっていた。
「有名じゃないところ。あまり観光地っぽくないところがあったら、そこがいいです」
私はそう答える。
でも正直なところ、別に行く場所なんてどこでもよかった。
――もう少しこの人の側にいたい。それが私の本当の思いだった。
いつの間にか私は、渡瀬さんに強い興味を抱いていた。もしかしたらさっきの試合を見た瞬間、私は彼女に魅かれていたのかもしれない。
私の返答に渡瀬さんは嬉しそうな顔をする。
「オッケー。じゃあ行きましょうか、お姫様」
そう言って彼女は私に向かって手を差し出す。私は、今度はその手をためらいなく握った。
* * *
ゲームセンター。デパート。レストラン。カフェ。公園。
渡瀬さんが連れて行ってくれたところは、どこも私の希望通り、修学旅行らしさなんて微塵もない場所ばかりだった。地元にでもあるような、なんの変哲もないところ。
ただそれでも私は楽しかった。
渡瀬さんは決して私を退屈させるようなことはなかった。
それはきっと彼女の語る言葉が、ネットで簡単に得られるような安い知識による張りぼてなどではなく、自身の経験や哲学、解釈に基づいたものだったからだと思う。
そして何より、彼女と一緒にいるのは非常に心地がよかった。おそらく、そういう空気を作り出す才能の持ち主なのだろう。
(こんなお姉さんがいるなんていいな……)
気づけば私は、一度も会ったことがないはずの渡瀬さんの妹に思わず嫉妬してしまっていた。
* * *
「ここで大丈夫です」
宿泊先のホテルの近く、そこで私は自動運転タクシーを止めてもらう。
空はすっかりとみかん色に染まっている。
ホテル集合の時間が近づいていた。自由行動の最後には、ホテルで担任による点呼がある。いくらクラスメイトと別行動とは言え、点呼の時は一緒にいなければならないのだ。
――楽しい時間は過ぎるのが早い。そんな当たり前のこと、久しぶりに思い出した。
「じゃあここでお別れだね」
「はい……」
タクシーの中で、渡瀬さんの言葉に私は小さな声でうなずく。
本当はもう少し彼女と一緒にいたかった。でも自由行動の時間もそろそろ終わりだったし、明日はもう帰らなくてはならない。だからこれでお別れなんだ。そう考えた私は、気づいた時には渡瀬さんの制服の袖を握りしめていた。
「真島さん?」
渡瀬さんの動揺するような声が聞こえる。見上げると、彼女はほんのりと頬を染めて私を見下ろしていた。
私は迷っていた。
初めて出会えた両親以外で気を許せる人間。尊敬に値する人間。もしかしてこの人なら、私を退屈から連れ出してくれるだろうか。
「渡瀬さん、私を――」
そこまで言いかけて私は口をつぐむ。やめよう。こんなの私らしくない。こんな――誰かにどうにかしてもらおうだなんて。
だから代わりにこう言った。
「また……また会えますか?」
「……そうだねえ」
渡瀬さんはしばらく何かを考えていたようだったが、やがて小さくうなずいてから口を開く。
「私は電依戦プレイヤーだ。電依戦のあるところには現れる。だからもし、真島さんが電依戦に興味を持ってくれるなら、また会えるかも」
電依戦に興味……。そうか、それが私と渡瀬さんを繋ぐものになるんだ。
でもきっと見るだけでは、一介のファン止まりになってしまうだろう。そんなのは嫌だった。どうせならなるべく彼女の近くまで行きたい。
だから私はこう言った。
「分かりました。私、電依戦始めます! だからまたいつか私と会って下さい!」
「そう、始めるんだ。……うん、分かった。また会おう。約束」
私たちは、二人だけの車内で小指を絡めた。
その日の夜、私はホテルのベッドに寝そべりながらターミナルを広げていた。目の前に複数展開されたターミナルには、修学旅行に関するものは一切映し出されていない。あるのは電依戦に関する情報、そして渡瀬さんに関する記事だった。
その中の一つには、『青南高校の渡瀬葵、高校電依戦で二連覇達成!』と書かれているものがあった。
「青南高校か……」
私はベッドの上で寝返りを打って天井を見つめる。
どうせ地元の高校に進学しても、何人かは合わないクラスメイトたちと同じ学校に進学することになるだろう。
高校なんてまだだいぶ先の話だけど、それならいっそのこと、ここに行くのもアリかもしれない。
それにもしかしたら、渡瀬さんの妹も同じ学校に進学するかもしれない。
(渡瀬さんの妹だったら、もしかして気が合って友達とかになれたりするかなぁ……)
きっと渡瀬さんに似て、優秀で頭もいいに違いない。
まだ見ぬ渡瀬さんの妹に思いを馳せながら、私は目をつむった。
* * *
「お~い?」
自分の耳元で聞こえる声に目を覚ました私は、ゆっくりと目を開ける。
ぼやけた視界、そこにいたのは葵さん――、
「透子、起きた?」
ではなく、その妹だった。
「……シルエットと雰囲気だけは腹立たしいくらい似てるわね」
「あえ?」
なんのことだか分からないというような顔をする彼女を横目に、私は伸びをしながら周囲を見渡す。
ここは青南高校電依部の部室だった。どうやら部活の時間に眠っていたらしい。
「もうそろそろ部活終わりだって、篠原先輩が言ってたよ?」
「ああ……そう。ちょっと寝てたわ」
「なんかいい夢見てたの?」
「え?」
「いや、なんか寝ながらニヤニヤしてたからさ」
「……せめてそこは楽しそうな顔をしてたって言いなさい」
慌てて私は制服の袖で口元を覆う。そんなに変な顔をしていただろうか。
「あんな表情してたの初めて見たかも。ねえねえ、どんな夢見たの?」
目の前の少女は興味津々といったような目を向けてくる。私の見た夢なんかが、そんなに気になるのか。
彼女の好奇の視線を受けながら、私は一瞬どうしようか迷ったが、
「内緒」
それだけ答える。
「えー」
少女は不満げな声を漏らす。
ただそれでも私には教えるつもりがなかった。
だってこれは唯一、私と葵さん、二人だけの大切な思い出なのだから。
今回で一応完結となります。
ありがとうございました。