第25話 親善
仮想世界から現実世界へと戻ってきた結衣が最初に見たのは白い照明の光だった。
制服がベタつくのを感じる。前髪が額にはりついている。気づけば結衣の身体は汗でびっしょりだった。
周囲からはどよめきの声が聞こえる。
――試合の結果はどうなったんだろう。
虚ろな目をしたまま結衣は試合終盤の記憶を顧みる。
そうだ自分は最後、彰人のパイルスティンガーをバスターストライクで回避して、それで――、
「私たち勝ったんだ……」
ようやく勝利の実感が芽生えてきたところで、結衣はそっととなりを見る。
そこには涼しい表情をした透子がいた。自分とは違い、彼女は汗一つかいていない。
「透子、勝ったね私たち!」
「ええ、よくやったわ」
そう言って透子は結衣に微笑みかける。不覚にもその笑顔が綺麗だと思ってしまった。
「……ありがとう。結局最後まで助けられちゃった」
「まさか私が渡した煙玉を踏み潰して破裂させるとはね。予想外の使い方だったわ」
「片腕が使えなかったからね。それにああすればバレないと思ったんだ」
「やったなお前ら!」
話し込む二人の背後から涼が肩を叩く。いつの間にか、雛乃と綴もやって来ていた。
「渡瀬さんには試合を見てる間、ずぅっとヒヤヒヤさせられてたわ」
「お二人共よくがんばりました」
先輩たちが思い思いのねぎらいの言葉をかけてくれる。
そこへ、
「負けたよ」
テーブルの向かいから清々しい声が聞こえる。声の方を見るとそこには彰人がいた。
今の彼の表情は電依戦フィールドでの鬼気迫るものではなく、穏やかなものだった。
「まさかパイルスティンガーのデメリットファンクションを利用されるとは思わなかったよ。それにしても、一体どうやって俺のプログラムの弱点を見抜いたんだ?」
「あ、それはオレも知りてえな」
「まさかなんとなく、ってことはないでしょ?」
横から涼と雛乃の二人が興味津々といった様子で口を挟む。
気づけば、その場の全員の注目が結衣に集まっていた。
そこまで期待されるようなものでもないんですけど、と前置きしてから結衣は続ける。
「一回目にパイルスティンガーを発動した後、彰人さんは倒れる私を攻撃してきませんでした。あの時、まだヴェノムブレードの効果は切れていなかったし、彰人さんはヴェノムブレードの効果がどのくらい続くのか知らなかったはず。本来なら固まっている場合じゃなくて、さっさと私にとどめを刺さなければいけなかったはずなんです」
でも彼はそうしなかった。それは何故? その理由を考えた時、結衣はある一つの仮説に至った。
――あの時、彰人は追撃したくてもできなかった。動くことができなかったのだ。
「だから思ったんです。パイルスティンガーのデメリットファンクションは、発動後の一定時間行動停止なんじゃないかって。彰人さんにパイルスティンガーを発動させて、回避すればデメリットファンクションを利用してダメージを与えられるんじゃないかって」
彰人とは普通に打ち合っても到底勝ち目はない。あの時、結衣はパイルスティンガーのデメリットファンクションに賭ける以外になかったのだ。
結衣の作戦には言わずもがな運の要素もあった。
煙幕で彰人がひるんでくれなければ、自分の心臓は貫かれていたことだろう。
わずかでもパイルスティンガーが結衣の身体に当たっていれば、風前の灯であった彼女の体力は彰人よりも先に尽きていたに違いない。
だがそれでも彼女は勝利した。最後は己の運すらもねじ伏せたのだ。
となりで結衣の言葉を聞いていた透子は小さく笑う。その表情はどこか満足げだった。
そんな彼女とは対象的に、彰人はしばらく難しそうな顔をしていたが、やがてため息をつく。
「……危険なのは真島さんだけじゃなかったか」
「認めない……」
声の方を見るとそこには、顔を真っ赤にした朔夜がいた。彼女は小さく肩を震わせている。
「ヴェノムブレード? あんなプログラム卑怯よ! あれがなかったら絶対にお兄ちゃんの勝ちだったんだから!」
朔夜は涙目でそう叫ぶ。そんな彼女の肩に彰人はそっと手を置いた。
「たしかに、ヴェノムブレードがなければ俺たちの勝ちだった。それは負けた今でも自信を持ってそう言えるよ。でもあれも含めて電依戦だ。彼女たちはちゃんとルールの範囲内で俺たちに勝利したんだ」
それに、と彰人は続ける。
「今になって冷静に考えてみたら、もしヴェノムブレードの効果が試合終了間際まで続くのなら、俺より体力の多かった渡瀬さんはずっと逃げ回っていればそれでよかったんだ。でも彼女は急いで俺を倒そうとしていた。……そこで気づくべきだったんだ。ヴェノムブレードの効果はそんなに長く続かないって」
そう言って彰人は透子を見やる。
「俺がどう動くのか、君はそれも見越していたんだな」
「……それはご想像にお任せするわ」
「ああ、そうか。これが俺の本当の敗因か……」
そこで彰人は初めてその表情に悔しさを滲ませる。
気づいていれば勝てたかもしれない。朔夜を倒されたことで頭に血が上っていなければ、気づけたかもしれなかった。
結局、彼はまた透子に敗北したのだ。
「お兄ちゃん……」
そんな兄の顔を朔夜は心配そうに見つめる。
妹の視線に気づいた彰人は慌てて表情を取り繕った。
「いや、今それを言うのはやめよう」
そして結衣に向かって手を差し出す。
「良かったら握手してくれるかな、渡瀬さん」
「あ、もちろん」
結衣は差し出された彰人の手を握る。
その手はもっとゴツゴツとしているかと思っていたが、意外にも柔らかかった。
「試合前に言ったこと、謝るよ。君はお荷物なんかじゃなかった。俺が戦った中でも一、二を争う強いプレイヤーだったよ」
「あ、いやそんな……」
彰人に褒められて照れ笑いをした結衣は、ふと殺気を感じてそちらに視線を向ける。
そこには真っ赤な目をした朔夜がいた。彼女は、握手する二人の手を鬼の形相で睨みつけている。
結衣と彼女と視線が交差する。その口が確かに『さ・わ・る・な』と動いた。どうやら握手はNGらしい。
だが肝心の彰人が妹の殺気に気づいている様子はない。彼は続けて、透子の方に手を差し出す。
……しかし、透子は彰人の手を握らない。彼女は黙って差し出された手を見下ろしている。
二、三秒ほど沈黙が続いてから彰人は小さく笑った。
「真島さんは……しないよね」
「よく分かってるじゃない」
「生意気よ、真島透子!」
すかさず朔夜が吠える。
握手してもしなくても怒られるなんて理不尽な話だと、結衣は思う。
彰人は少し残念そうな顔をして手を引っ込めると、改めて結衣たちに向き直った。
「今回は負けてしまったけども、もし次に戦うことがあればその時は君たちを倒してみせるよ」
君たち――それはつまり彰人が透子のみならず結衣も好敵手として認めてくれたということだ。
その事実に、結衣は自然と笑顔になる。
「何度だって返り討ちにしてやるわ」
彰人の言葉に、透子は嬉しそうな笑みを浮かべてそう言った。
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