第23話 蝕む刃と穿つ刃
結衣は身体が影に侵食されていく彰人を見つめる。
彼をこの状態に至らしめた仕掛けは、最期に透子が使った漆黒の剣にあった。
アームプログラム【ヴェノムブレード】。
この武器の攻撃力自体は、たいしたことはない。
だが、この剣で斬られた電依は一時的に身体を侵食され、筋力や敏捷性などのあらゆるステータスが大幅に低下してしまう。
その性能は絶大で、小さな傷さえつけることができれば、そこから侵食することが可能だ。
ただし強力な効果を秘めた武器であるが故、扱いは慎重にする必要がある。
ヴェノムブレードの召喚には、通常のアームプログラムと比べて多くのリソースが必要となる。
加えて召喚後に使用できるのは一度のみ。目的とは別のものを斬ってしまった場合にも二度と使うことはできず、誤って自分や味方を攻撃してしまった時にもデバフの効果を受けてしまう。
それらを考慮すると、ヴェノムブレードは迂闊に使うことはできない諸刃の剣だった。
結衣は脳内で、廃ビルでの透子との会話を思い出す。
「いい? ちゃんとヴェノムブレードが彰人を侵食し終えてから攻撃すること。ただし攻撃が遅すぎても駄目。ヴェノムブレードの効果が切れちゃうからね」
「効果ってどのくらいで切れるの?」
「三分間」
「みじかっ! それって巨大ヒーローの変身時間と同じじゃ……」
「何をワケの分からないことを言ってるの? 仕方ないでしょ。これ以上使える時間を延ばすと試合のルールによっては、ヴェノムブレードを一本召喚しただけでリソースを使い切ることになるんだから」
「そんなにリソースを使うんだこのプログラム」
「攻撃した敵のステータスを三段階下げるプログラムだからね。だからヴェノムブレードの侵食が終わったら三分以内に彰人を倒しなさい。逃がすなんてもってのほか。さもないと残り時間はステータス低下の効いていない彰人と戦うハメになる。分かる? 三分以内に彰人を倒せなかったら、私たちの負けよ」
「ちょっと自信ないけど……分かったよ。それで、私がそのヴェノムブレードを使えばいいんだね?」
「ううん、ヴェノムブレードは私が使う」
「ちょっと待ってよ。それじゃ透子はどうなるの?」
「まあ、間違いなく死ぬでしょうね。今の私の状態じゃ、奴の攻撃をかわしながらヴェノムブレードを当てるのは難しいだろうし」
「そんな……私がヴェノムブレードを使うんじゃ駄目なの? 私の体力なら、一撃くらい受けてもなんとかなるんじゃない?」
「それは駄目。あなたには少しでも体力を温存していてほしいの。あなたに私たちの勝利がかかってるんだから」
あの透子が自分に勝利を託してくれた。ならば自分は、彼女の想いに応えたい。
結衣は彰人に向かって剣を構え、堂々と宣言する。
「不知火彰人、あなたを倒す!」
「まだだ……まだ終われない!!」
彰人はそう叫ぶと結衣の目の前でふらりと立ち上がった。
彼の身体は首から下が黒い影に包まれている。どうやらヴェノムブレードが完全に侵食しきったらしい。
だがそんな状態でありながらも、彼はこちらに向かって槍を構える。
もしも彰人が逃げの選択をしてしまったらどうしようかと結衣は密かに肝を冷やしていたが、それは杞憂だったようだ。どうやら彼はやる気らしい。
(時間は三分。無駄にはできない!)
先に踏み込んだのは結衣だった。
迎え撃つ槍の一閃、その間隙を縫って回避すると、彰人に向かって翡翠色に鋭刃を振り下ろす。
果たして、スキルプログラム【クロスブレード】は見事に彰人を捉えた。刃は彼の胸に翡翠色のクロスを刻みつける。だが、ここで終わりではない。
すかさず剣を翻してからの横一閃。これを防ごうとする彰人だったが、ガードは間に合わず、再び彼の身体に斬撃が走る。彰人の体力ゲージは大幅に減少し、残り体力が三割を切ろうかというところまで追い詰めた。
彰人の動きは先ほど斬り結んだ時と比べて遥かに遅くなっていた。
たったの三分間だけとは言え、やはりヴェノムブレードの効果は絶大らしい。
(行ける!)
続いてもう一太刀と、結衣が攻撃の体勢に入ろうとしたその瞬間、顔の真下から足が蹴り上げられた。
間一髪、攻撃に気づいた結衣は浅く息を吐いて蹴りをかわすと、飛び退って彰人から大きく距離を取る。
彼女の頬に薄い鮮血色の線が入った。
彰人が放ったのは、顔の真下――死角からの蹴りだった。もしも彼の敏捷性が低下していなければ、まともに一撃食らっていたかもしれない。
見えない角度からの攻撃とあっては、ヴェノムブレードで敏捷性が下がっていようと関係がない。
まさか彼はこのわずかな時間で、もうヴェノムブレード相手の戦い方を見つけたというのだろうか。結衣は全身が総毛立つのを感じる。
一瞬でもヴェノムブレードは卑怯かと思ってしまったことが、大きな間違いだったことに気づき、そして改めて思い知らされる。
やはり不知火彰人は強い。
ステータスが下がっているとは言え、彼がこれまで積み上げてきた戦闘経験までもが亡失するわけではないのだ。
彰人は今の自分の力を確認するように手を何度か開いて握る。
「驚いたな。どうやら今の俺の筋力ステータスは通常の半分程度らしい。筋力だけじゃない、防御力や敏捷性もそうだ。……まったく恐れ入るよ、これだけの効果を持つプログラムを限られたリソース内で発動させたと言うのは」
手を握りしめ、彰人は覚悟を秘めた目で結衣を睨む。その目に宿る色と同じものをついさっき結衣は彼の妹に見ていた。
だからこそ分かる。――ああ、これはとても危険な兆候だ。
「ここまで追い込まれてリソースの節約だの、奥の手を見せるのは嫌だのと言っている場合ではないな」
そう言うと、彰人は槍を携えたまま姿勢を低く構える。それと同時に、槍と彼の身体が緋色の光に包まれた。
スキルプログラム? なんだ? 一体、何をするつもりだ?
結衣が警戒しながら目を凝らした次の瞬間――突如目の前に彰人が現れた。
「なっ!?」
突然の出来事に結衣は驚嘆の声を上げる。
ギラリと血の色に光る槍がコンクリートをめくり上げながら、結衣に向かって突き上げられる。
あまりに突然のことにスキルプログラムを発動する余裕などなく、結衣は剣を盾に槍の一撃を防ごうとする。だが槍は、まるで紙を破るかのように易々と剣を打ち砕くと、そのまま勢いを落とすことなく結衣の心臓を食い破らんと突き進む。
結衣は咄嗟に、身体をよじって攻撃を回避しようとする。その判断が功を奏し、辛うじて心臓への一撃は避けることはできたものの、槍は彼女の左肩を穿ち抜いた。
槍で穿たれた勢いで結衣の身体は空高く舞い上がると、錐揉みしながら地面へと落下する。
自分の身体が地面に打ちつけられる鈍い音を聞きながら、結衣は視界の端でエクエスの体力ゲージが一気に減少するのを見た。
急いで起き上がらねばと思うのだが、身体を思うように動かすことができない。まるで自分とエクエスの接続が切られてしまったのではないかと錯覚してしまうほどだ。
それでも砕かれた剣を杖代わりに、結衣は震える身体をどうにかして起こす。
体力はまだ二割ほど残されている。だがこれで彰人に対する、『残り体力の多さ』という数少ないアドバンテージはなくなった。
しかし、今の結衣にはそんなことを考えている余裕はない。
彼女の頭は混乱していた。
(何? 今のスキルプログラムは!?)
こんなスキルプログラムの話は、透子のデータにもなかった。
結衣は一体自分の身に何が起きたのか、努めて冷静に思い返す。
彰人が身体を低く屈めた直後、彼は自分の目の前にいた。瞬間移動? いや違う。そんなものじゃない。
あれはただの踏み込みだ。ただし恐ろしいまでに高速の。
「パイルスティンガー。俺が最近作った一撃必殺のスキルプログラムだ。少なくともこんなところでお披露目するつもりはなかったんだが、この技でも今の状態じゃ君の体力を削りきることはできないか」
彰人はこちらを見て静かにそう言う。
冗談じゃない! 結衣は心の中で叫ぶ。
ガードしたというのに体力が一気に五割近く持っていかれた。ヴェノムブレードの効果が効いているとは思えないほどの威力だ。
(さっきのあれ……)
結衣は彰人がパイルスティンガーを発動した瞬間、彼の身体が緋色に光ったことを思い出す。
予想が正しければ、あの時、彼の筋力と敏捷性に大幅なステータス強化がかかっていたはずだ。そうでなければあの威力と速度は説明がつかない。
「だが、もう一撃で決まる。そろそろ時間もないことだ、ここで終わらせるとしよう」
そうつぶやくと彰人は再び低く身体を構える。
またあの技を出すつもりだ。結衣は慌てて新たな長剣を召喚すると身構える。だが、そこで彼女は固まってしまった。
――あんな威力のスキルプログラム、どう対処すればいいんだ?
(どうする? リソースエッジで迎撃するか?)
綴に書き直してもらったリソースエッジならば、あるいはあの突きを食い止めることができるかもしれない。
そこまで考えてから、結衣はかぶりを振る。リソースエッジは、ある程度、距離が離れていてこそ真価を発揮するプログラムだ。あんな風に一瞬で距離を詰めてくるスキルプログラム相手では、相性は最悪だろう。
ならばそれ以外の近距離戦用のプログラムでカウンターを――、
そこまで考えたその時、目の前を黒い何かが舞うのが見えた。
「あ――」
その光景に結衣は小さな悲鳴を上げる。
眼前で舞い散る黒い何かの正体、それは彰人の身体を侵食していたヴェノムブレードの影だった。
影は彼の身体から燃えカスのように剥がれて空へと昇って行く。
「消えた……? 効果が切れたのか?」
元に戻っていく自分の身体を眺めながら、しばらく呆然としていた彰人だったが、やがて彼の口から乾いた笑いが漏れる。
「まさかこんなにも早く効果が切れてしまうものだったとはね。だが、ここで油断はしない。君には念入りに死んでもらわねば」
彰人は姿勢を崩さない。再び彼の身体と携えた武器が緋色に光り輝く。あくまでパイルスティンガーで来るつもりらしい。
(まずい!)
結衣の背筋を汗が伝う。
彰人自慢のスキルプログラムであるパイルスティンガーは、ヴェノムブレードの効果が効いている状態であれほどの威力と速度が出るのだ。
ヴェノムブレードの効果が消えた今、果たしてパイルスティンガーにどれだけの威力があるのかは想像もつかない。これでは、いくら綴に強化してもらったスキルプログラムであっても、打ち破られてしまう可能性が高いだろう。
それにパイルスティンガー抜きで考えたとしても、自分の実力ではヴェノムブレードの効果が切れた彼に対してダメージを与えることはできない。おまけに左肩を抉られたせいだろうか、先ほどから左腕がまるで上がらない。
この状況を的確に表現することができる言葉を結衣はよく知っている。
絶望的。
(透子……私は……)
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