第22話 託された勝利
「クソッ!」
彰人は苛立ち混じりにビルを殴る。壁には大きな亀裂が走り、外壁がパラパラと崩れる。
すべては自分の油断が原因だ。
でなければ、朔夜と分断されることはなかった。彼女をむざむざ殺されることなどなかったのだ。
(朔夜……俺は君を護ると誓ったはずなのに……!)
今、彼の胸の内に渦巻く怒りの正体。それは妹を護ることができなかった情けない自分に対してのものだった。
この怒りを鎮めるには、どうすればいいか。
殺すしか無い。宿敵である透子を、そして妹を殺した結衣を。
己がミスを贖うには彼女たちの死体が必要だ。
(連中はどうあっても殺す。タイムアップまで逃げ切らせるなど許さん)
そう心の中でつぶやくと、彰人は現在の時刻を確認する。
試合終了まで残り十一分。あと一分で全プレイヤーの位置情報が開示される。
もしも、彼女たちが馬鹿ならこのまま隠れてやり過ごそうとするだろう。だが、少なくともあの透子がそんな手を打つとは考えにくい。
つまり、この一分の間に彼女たちがなんらかの手を打ってくる可能性は非情に高い。逆にこのまま何も起きなければ自分の勝ちだ。居場所さえ掴めれば今の彼女たちを鏖殺することなど、赤子の手をひねるより簡単なことだ。
その時、銃声と共に一発の銃弾が彰人の足元で跳ねた。
弾の飛んできた方を振り向き身構えるが、第二撃はない。視線の先には、古ぼけたビルが一棟あるだけだった。
距離にしておよそ二百メートル。おそらくあそこからの狙撃だろう。
「銃による攻撃ということはあそこにいるのは真島か」
普段の彼女ならばこの距離の狙撃を外すことなどあり得ないが、今は相当なダメージを受けている。手元がぶれて、上手く狙うことができなかったのかもしれない。
今の透子ならば放置しておいても問題ではないが――、
「もしかするとそこに渡瀬結衣も一緒にいるかもしれないな……」
そう独りごち、ビルの方へと歩を進めようとしたその時、背後に何者かの気配を感じる。
彰人は目を細めた。
――なるほど。狙撃で俺の注意を引き、その隙に背後から結衣に襲わせようという作戦か。
だが――!
「詰めが甘い!!」
彰人は即座に身を翻し、気配の方へと身を躍らせて飛びかかる。しかし、彼の前に現れたのは結衣ではなく、
「真島透子!?」
重傷の身であるはずの透子だった。彼女はその手に漆黒の剣を携えている。
「詰めが甘いなんてあんたに言われたくないわよ」
透子は彰人に向けて手にしていた剣を振るう。一切の躊躇がない喉元への攻撃。
だが、彼女の攻撃は彼の腕を掠り、小さな傷をつけるに留まった。
彰人はその攻撃を寸でのところで回避すると、彼女の背後へと回り込む。不意を突かれたとは言え、今の透子の攻撃など彰人にとっては恐れるに値しない。
「いいや、甘いさ」
彰人は口の端を上げると、がら空きになった透子の背中に向かって槍を突き立てる。その一撃は彼女の胸を貫いた。
身体をぶち抜かれ、槍を突き立てられたまま、透子の身体は地面に倒れる。
わずかに残されていた彼女の体力ゲージは空になり、その身体はガラス片となって宙へと消えた。
「そんな身体でこの俺に接近戦を挑んだのだからな」
得意の笑みを浮かべながら彰人は、地面に落ちた自分の槍を拾い上げる。
これで真島透子を倒した。ついに昨年の全国大会の雪辱を果たすことができた。
――だというのに、なんだ? 胸の中でざわつくこの感覚は。
不意に、背後から足音が聞こえる。振り返るとそこには結衣が立っていた。彼女はこちらを睨んでいる。
そんな結衣を彰人は眇め見る。――ああそう言えばまだ彼女が残っていたか。
「なるほど俺の注意をそらすため、事前に銃のプログラムを召喚しておいて、お前に撃たせたのか」
ソードマスタークラスの電依が銃を使う訳がないという思い込み。
狙撃が下手だったのはダメージによるものだという思い込み。
透子が捨て身の攻撃を仕掛けてくるわけがないという思い込み。
なるほど、二重三重の思い込みに肝を冷やされたことは認めよう。
だが、と彰人は小さく笑って、透子がつけた腕の傷を見る。
「失望したよ。いくら追い込まれていたとは言え、あの真島透子がこんな陳腐な作戦で挑んだ挙げ句、俺にこんな小さな傷を負わせただけで犬死とはな」
自分の胸の内にあるこの感覚は、きっとこんな作戦で自分に挑んできた透子への失望なのかもしれない。
(まあいいさ――)
彼女たちの脆弱で浅はかな奸計など、あっけなく崩れ去った。既に勝負は決したのだ。
彰人は残りを片づけるべく、悠然と結衣の方へと向かう。
* * *
「決まりましたね。我々堺高校の勝利だ」
枕木は眼鏡を上げて言う。そんな彼女に対し、涼は犬歯をむき出しにして吠える。
「んだとてめぇ! まだ勝負は終わってねえだろ!」
「最大の難敵である真島透子は死んだ。終わりでしょう」
「まだ渡瀬が生きてるだろ!」
「渡瀬結衣? 彼女の過去の戦歴は調べましたが、ウチの不知火彰人とではあまりに大きな力の差がある。さしずめ象と蟻といったところか」
堺高校の面々からクスクスと笑い声が漏れる。
その言葉と態度に我慢できず、掴みかかろうとする涼を雛乃が抑えた。
「落ち着いてくださいって篠原先輩!」
「お前は後輩を言いたい放題言われて悔しくはねえのかよ!」
「私だって悔しいですけど――、」
「少し静かにしてください」
そんな二人の様子を見かねて綴が諌める。
「ここで我々が場外バトルをしても仕方がない。そもそも戦いの場に立ってすらいない我々には、戦う資格などありません。我々にできるのは、ただ信じて見守ることだけです」
そう言ってから彼は柔らかく微笑んだ。
「それにちゃんと見ていないと見逃してしまいますよ。蟻が象を倒す瞬間を」
* * *
次に透子の意識が覚醒したのは、広々とした部屋だった。彼女は周囲に視線を巡らせる。
自分の立っているその部屋の調度品や家具は、すべて高級感のある西洋風のもので統一されており、まるで高級ホテルの一室のようだった。
「まさか、あなたが先にここへ来るとはね」
不意に聞き覚えのある声が、部屋の中央に置かれた椅子から発せられる。
透子は無言のまま椅子の方へと近づく。そこには朔夜が座っていた。
彼女は脚を組みながら、前方の壁に設置された液晶ディスプレイを見つめている。
ゲームに敗れたはずの朔夜がいるのを見て、透子は自分が今どこにいるのかを理解した。
ここは敗者のための待機部屋。味方への通信が一切できないようプレイヤーを一時的に隔離しておくための部屋だった。
故に誰かと一緒にチームを組んで電依戦をしていなければ、来ることなどあり得ない。
「座ったら?」
背後に立たれていることが落ち着かなかったのか、朔夜は自分のとなりにある椅子を透子に勧める。
椅子は柔らかそうなクッションに金糸があしらわれた、クラシックテイストのダイニングチェアだった。
一瞬朔夜の誘いをためらった透子だったが、やがて勧められるがまま椅子に腰を下ろす。
普段ならば、電依戦の最中に敵同士がこれほど近くの距離で並んで座ることなどないのだろう。
しかし、この部屋は戦闘禁止領域。第一自分たちは既に敗れた身だ。
それに朔夜には言ってやりたいこともあった。
「してやってくれたわね。あんたが結衣に倒されたのは、あのシスコンを焚きつけるためだったんでしょ」
となり合って開口一番、透子の口から出たその言葉に朔夜は愉快げに笑う。
「どうもありがとう。ずっとぼっちプレイヤーだったあなたには、なかった発想だったかしら?」
朔夜の言葉に透子は目を細める。
たしかに朔夜の言う通り、今までソロで電依戦をしてきた透子には、自分が死んだ後のことを誰かに託すという発想はあの瞬間までなかった。
「あのまま私のことを気にしながら戦ったらお兄ちゃんは負けてしまう。あれ以上足手まといになるくらいなら、私は死んだほうがいいと思ったのよ」
その時、前方のディスプレイから声が聞こえてくる。
『なるほど俺の注意をそらすため、事前に銃のプログラムを召喚しておいて、お前に撃たせたのか』
そこに映し出されているのは、今まさに行われている親善試合の映像だった。
映像の中には、自分を殺した直後の彰人がいた。
なんとも奇妙な感覚だと、透子は思う。
「となりの椅子を勧めたのは別に親切心じゃないのよ。昔あなたがお兄ちゃんを倒した時から、ずっとあなたのことは嫌いだったし」
朔夜はこちらを見ずにそう言う。
彼女の視線の先にあるディスプレイには、結衣が彰人と対峙している姿が映っていた。
「あなたの仲間がお兄ちゃんに殺されて、あなたのチームが敗北する瞬間――その時、あなたが一体どんな顔をするのか……それをこうして間近で見たかっただけなの」
歪んだ笑みが透子へと向けられる。
『失望したよ。いくら追い込まれていたとは言え、あの真島透子がこんな陳腐な作戦で挑んだ挙げ句、俺にこんな小さな傷を負わせただけで犬死とはな』
ディスプレイの方からは、まるで追い打ちをかけるかのような彰人の声が聞こえてくる。
「犬死、だってさ」
となりで朔夜が楽しげに言う。
やはり兄妹揃ってどこか頭がおかしいと、透子は嘆息する。だがまあ、自分があんなことをしたら、彼らにそう思われても仕方ないのかもしれない。
「……そうね、我ながら自分でも向いてないことをしたと思うわ」
誰かに後を託す。
そんなこと、以前の自分であれば考えもしなかっただろう。
「でも今は、あなたが彰人を信じているように私は結衣を信じているから」
それに、と透子は続ける。
「そろそろ毒の回る頃合いよ」
* * *
彰人が最初に感じた異変は脱力だった。
突然身体に力が入らなくなり、彼はその場に片膝をつく。
「一体何が……」
どうしたことかと震える手のひらを見つめていると、コートの袖の辺りで何かがうごめいているのが見えた。
一瞬、虫のようにも見えたそれは、黒い影だった。
袖から這い出た影がまるで触手のように手の方へと伸びていたのだ。
「なんだこれは――!?」
彰人は慌てて自分の身体を確認する。
いつの間にか、黒い影が彼の肌や衣服を覆っているではないか。
よく見れば影は、彰人の腕についた小さな傷から這い出るようにして身体中に広がっている。
この小さな傷。これは、透子が死ぬ間際、最期につけた傷だ。
「クソッ!」
慌てて影を払おうとする彰人だったが、影はまるで肌や衣服と一体化したように払うことができない。
そうしている間にも影はみるみるうちに彼の身体を包み込むようにして侵食していき、脱力感はよりいっそう大きくなっていく。
影に侵されながらも彰人は思考を巡らせる。
透子が最期に振るったあの黒い剣。原因はあれに違いない。あの剣には、相手にステータス低下を付与する効果があったのだ。
あの攻撃は、無意味な特攻でもなければ悪あがきでもない。確実に自分に傷を負わせるためのもの――彼女の狙いは最初からこれだったのだ!
すべては自分が死んだ後を託すために。
「あり得ない……!」
彰人は震える声で静かにつぶやく。
後を託した? 他人のことなど一度も信じたことなどないであろう、あの真島透子が? あの自分至上主義の塊のような女が? 渡瀬結衣を? あのたいした腕もないようなプレイヤーを?
そこで彰人は思考を切り替えた。今はそちらにリソースを割くべきではない。彼は必死になって戦略を組み立て始める。
(どうする? 一旦身を潜めてこのプログラムの効果が治まるのを待つか?)
一瞬、そんな考えが彼の脳裏をよぎったが、慌ててかぶりを振る。
(馬鹿か俺は!)
試合の残り時間は既に十分を切っている。
二人の体力差を鑑みれば、このまま制限時間一杯になった時、勝つのは結衣だ。
このデバフがどのくらい続くのかは分からないが、もしも十分近く続く場合、ここで一度逃げて治まるのを待つというのはあまりにもリスクが高すぎる。
その考えが彼の頭の中から『逃げる』という選択肢を排除した。
彰人の眼前で結衣が剣を構える。
「不知火彰人、あなたを倒す!」
「まだだ……まだ終われない!!」
そう叫ぶと彰人は渾身の力で立ち上がる。
妹は自分の犠牲と引き換えに透子にリベンジするチャンスをくれたのだ。ここで引き下がるわけにはいかない。
ブクマ・評価つけてくださった方ありがとうございます。
励みになります。
元々二十五話予定でしたが、編集の結果一話増えてしまいました。
そのため、残り四話予定となっています。