第21話 恐怖と決意
結衣と透子は、先ほどまで彰人と戦っていた場所から一キロメートルほど離れた廃ビルの中にいた。
紫色の濃煙が立ち込める中、透子は結衣をひっ捕まえて、あの場からここまで逃げてきたのだ。
彼女は、身体に開いた鮮血色の穴を撫でてため息をつく。
「……少しは骨太なところあったのね、あのシスコン」
そう余裕の悪態をつく透子だったが、その様子は言葉とは裏腹に酷く辛そうだった。
結衣は、凄愴な透子の姿に思わず心を痛めると同時に、この満身創痍の身体でよく自分をここまで運んで来てくれたものだと胸中で感謝する。
「まずはよくやったと褒めておくわ。正直なところ、私が彰人を倒すよりも先に朔夜を倒すだなんて思いもよらなかった」
そこで透子は一度言葉を切る。
「ただし順番が最悪だった」
その言葉に結衣はぐっと喉を鳴らす。
物事はあまりに上手く行き過ぎても駄目。上手く行き過ぎればどこかでちょうどいいバランスになるようツケを支払うことになるようできている。
自分は今回、あくまでただの引きつけ役に徹するべきであり、調子に乗って朔夜を追いつめるべきではなかったのだ。
結衣の胸の中は今、自分のしたことへの悔恨で一杯だった。
「さて、ここからなんだけど――」
透子は、拍子抜けするくらいあまりにもあっさりと話題を切り替えると、ターミナルを操作して戦況の確認を行う。
「今の私の体力はほぼゼロに近い。その上、身体もあまり思うように動かない。次に彰人と正面から打ち合ったら、何もできずに殺される可能性がある。はっきり言って戦力として考えないでほしい」
そう言い切ってから透子は顔を上げる。覚悟を秘めた黒い瞳が結衣に向けられた。
「こうなった以上作戦は変更。彰人は結衣に倒してもらうことにする」
「ええええええええええええっ!?」
叫ぶ結衣の口を透子が慌てて抑える。
「馬鹿、声が大きい! 居場所がバレたらどうするの?」
「ご、ごめん。でも……」
そこまで言って結衣は言い淀む。
――私じゃ彰人さんには勝てないよ。
彰人は中学時代、数多くの強敵を屠り、県の代表にまでなった男だ。
対して自分は平均的なプレイヤー。そこまでいい成績を残してきたわけでもない。
それに先ほどの打ち合い――たった数度の打ち合いだったとは言え、あれで自分と彼との間には決定的な実力差があることがよく分かった。あの境地に至るまで一体どれほどの練習を積み重ねたのか、敵ながら畏敬の念すら抱いてしまう。
たしかに、自分の体力がまだ七割近くあるのに対して彰人の体力は五割ほど。残り体力の上ではこちらに利がある。だがそんなわずかな差、二人の間に横たわる圧倒的力量差を考えたら、あってないようなハンデだ。
そこで結衣は閃く。
「そうだ、このまま試合が終了するまでここに隠れてるっていうのはどう?」
この電依戦のルールは時間一杯まで勝負がつかなかった場合、チーム全体の残り体力の割合で勝敗が決まるはずだ。
透子の体力は一割を切っているが、結衣の体力と合わせれば彰人の残り体力を上回っている。この状態で試合が終了すれば合計残り体力の多い自分たちのチームの勝利となるだろう。
ところがそう上手くは行かないようで――、
「忘れたの? 試合終了十分前には互いのチームの誰が今どこにいるかが、すべて開示されるのよ。そうなったらあのシスコン、自分より残り体力があってなおかつ妹を殺したあなたのことを真っ先に殺りに来ると思うけど」
――そうだった。
結衣は、先ほど見た彰人の鬼の形相を思い出して身震いする。
透子が満身創痍というこの状況で、もしも彼が自分たちの位置情報を掴んだら、十分とかからずに自分と透子を皆殺しにしかねない。
ここはやはり、自分が彰人を倒さなければならないのだ。
「私が彰人さんを倒す……」
そうつぶやいた時、結衣は自分の手が震えていることに気がついた。武者震いなんて立派なものじゃない。これは――恐怖。
そんな震える結衣の手を目ざとく見つけた透子が尋ねる。
「怖いの?」
「……怖いよ。でもそれは、彰人さんともう一度戦わなきゃいけないからじゃない。もし私が負けたら、それは透子の負けにもなっちゃう。そうなったら、透子はこの電依戦が始まる前と同じように私に接してくれないかもしれない。もしかしたらまた私のことが嫌いになっちゃうかもしれない。そう考えると怖いの……」
緊張、興奮、恐怖……様々な感情が自分の中でないまぜになっているせいだろうか、結衣は正直に今の気持ちを吐露する。
中学時代、自分の目の前から去っていった友人。透子が彼女と同じようにならないとも限らないのだ。
結衣は瞳を閉じる。
手の震えが止まらない。
嫌だ。折角透子と和解できたというのに、またあんな思いしたくない。
(私は……)
その時、震える結衣の手が何か暖かいものに包まれた。突然の感触に結衣は目を開く。見ると、透子が自分の手を握っていた。
「この戦いの結果がどうあっても私たちの関係は何も変わらない。ただし、ここであなたが逃げるというのなら、私たちの関係は入学式のあの日に巻き戻ることでしょう」
「透子……」
「お願い、戦って。そして示して。あなたが私にとって特別な存在だということを」
透子のどこかすがるような瞳を見て結衣は気がつく。
今の透子は、少しのダメージを受けただけでゲームオーバーになってしまう。
だからこそ彼女は自分を頼らざるを得ないというのに、肝心の自分が一人及び腰になってしまっていた。
(そんな顔をさせて……駄目だな、私は……)
結衣は思わず、そんな情けない自分に対して苦笑してしまう。
逃げるのはもうやめにしよう。そう決意した矢先、気づけばまたいつものように臆してしまっていた。
結衣は透子の手を握り返す。手の震えはもう止まっていた。
「やるよ、透子。不知火彰人と戦う」
その言葉に透子は安心したように微笑む。
「じゃあ今から作戦を伝えるわ」
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残り四話予定となっています。