第20話 崩壊
結衣と朔夜、二人の戦いは意外にも――と言うべきか、結衣が圧していた。
短期間とは言え、あの鬼のような透子によって厳しくしごかれていた結衣と、普段兄に護られながら戦っていた朔夜。この二人の間には、戦いにおいて大きな体力差があったのだ。
「何よ! 何よ! 何なのよ!」
それまで精緻であった朔夜の剣技が徐々に乱れてくる。それは疲労によるものなのか、はたまた焦りによるものなのかは分からなかったが、結衣に大きなチャンスをもたらした。
金属音と共に朔夜の大剣が弾かれ、彼女のバランスが後ろに大きく崩れる。
(今ならいける!)
この好機を逃すほど今の結衣は甘くない。
スキルプログラム【クロスブレード】。一本の剣から繰り出される高速の二連斬撃が朔夜の身体を斬りつける。
「くっ……!」
その身体にまともにスキルプログラムを浴び、朔夜の体力ゲージが大きく削られた。
(やった!)
たしかな手応えに思わず笑みがこぼれる。
足止めどころではない。このままいけば間違いなく朔夜に勝てる。勝てる、勝てる!
未だかつて感じたことのない胸の中の昂り。
戦いの中で、いつしか結衣は強者を追い詰める高揚感に包まれていた。
気づけば朔夜の体力は残り四割を切っている。
――もう少し、あと少しで自分の勝ちだ。結衣がそう確信したその時、
「……」
朔夜は手にしている大剣を下ろす。一瞬、戦いを諦めたのかと思ったが、その表情に諦念の色はない。むしろ何か覚悟を決めたかのようだった。
やがて朔夜の剣が再び空色の光を帯び始める。スキルプログラム発動の兆しだ。
(何か強力なスキルプログラムで巻き返してくる?)
朔夜の一挙手一投足に警戒しつつ、こちらも今一度ハックスラッシュの準備をする。
彼女が一体どんなスキルプログラムを使ってくるか分からない以上、油断はできない。結衣は全神経を集中させて朔夜を見据える。
そんな結衣を見て、朔夜は強張らせていた表情を崩すと柔らかく微笑んだ。
「一緒に戦うってことがどういうことなのか教えてあげる」
その言葉の意味を問う間もなく、朔夜はその身を翻して、空色をまとった剣を振るった。
しまった――!
想定外の朔夜の行動に結衣は慌てて飛びかかると、がら空きになった彼女の背中に向かってスキルプログラムを放つ。
翡翠色の刃によって背中を斬り裂かれ、朔夜の身体は地面へと崩れ落ちる。彼女の体力ゲージは底を尽きた。
気のせいか、朔夜は一切の抵抗なく斬られたようにも見えたが、今はそんなことを考えている場合ではない。
スキルプログラム【フライングクレセント】。斬られる間際、朔夜が振るった大剣から放たれた三日月型の刃は、持ち主の体力が尽きた後も消滅することなく勢いよく宙を疾走する。刃の向かう先には、透子と彰人の姿があった。
二人がそれに気づいている様子はない。このままでは刃は透子に直撃してしまう。
「透子逃げて!」
「な――!?」
結衣の叫び声によって背後から迫り来る刃の存在に気づいた透子は、翻ると同時に紺碧色の剣を振るう。
鋼が折れる音と共にフライングクレセントは砕かれる。突然の危機を脱した透子だったが、百戦錬磨の彰人に背を向けたその代償はあまりにも大きかった。
「朔夜ーッ!!」
彰人が槍を振るったのが先か叫んだのが先か、それともまったく同時だったのかは分からない。
だが結衣は見た。
彰人の緋色の槍が透子の身体を貫いた瞬間を。
赤いエフェクトと共に、彼女の身体が地面へと倒れる瞬間を。
視界に表示されている透子の体力ゲージが、恐ろしい速度で減っていく。
結衣は、透子の名前を叫ぼうとするが、彰人は倒れる彼女を置いてそのままこちらへと向かってくる。
――このままこの場所にいるのは危険だ。そう直感した結衣は急いでその場から離れる。
しかし彰人は結衣などには目もくれず、真っ先に朔夜のもとへと駆け寄ると彼女を抱き起こした。
「朔夜ッ! 大丈夫か!?」
そんな兄の呼びかけに対し、朔夜はしばらく虚ろな目をしていたがやがて、
「あ――お兄ちゃん。約束通り来てくれたんだ……」
そう言うとそっと微笑んだ。
彰人は何も言えずに妹の手を握りしめる。
「すまない……迎えに行くって言ったのに間に合わなくて」
「ううん、これでいいんだよ。私がいるとお兄ちゃんが集中して戦えないからさ……」
「そんなこと……」
「いいの。お兄ちゃんいつか必ずあの女にリベンジするんだって言って、ずっとがんばってた……。だからね……絶対に勝ってほしいの……」
それだけ言い残すと、朔夜は光のガラス片のようになって彰人の腕の中から消えた。
その場には、彰人一人が取り残される。
「朔夜……」
彰人は力なくうなだれる。所詮これはゲーム。朔夜の死は仮想の死だというのに、まるで今生の別れのようだ。
そこですっかりその光景に見入ってしまっていた結衣は我に返る。
そして、ある考えに至った。
(アレ? ひょっとして今なら私でも勝てる……?)
朔夜が消えた今もなお、彰人は地面にへたり込んで呆然としている。その様は、まるで魂が抜けた人形のようだった。
透子の体力は残り一割ほど残されているし、少なくとも死んでしまったということはなさそうだったが、未だに彼女が起き上がる様子はない。
――こうなっては自分が彰人を倒す他ないだろう。
そう決意して結衣が彰人に近づこうとしたその時、
「貴様、よくも……」
突然、彰人はゆらりと幽鬼のようにして立ち上がり、こちらを振り向く。その顔に浮かんでいる怒りの表情は本物だった。
怒りを全身にたぎらせながら、彰人はこちらへ悠然と向かってくる。
(嘘でしょ……)
彰人に気圧され、結衣は喉を鳴らす。
驚くことに彼は朔夜がゲームの中で殺されたことに対して、本気で怒っているらしい。
その姿は一言で言えば異様だったが、今はそんなことを言っている場合ではない。
当初の作戦は崩壊した。
結衣はすがるような視線を透子に向ける。だが、彼女の身体は相変わらず地面に倒れ伏したまま動く気配はない。
この場から逃げ出したいのは山々だったが、今の彰人に背を見せるという行為が果たしてどういう結果を招くのか、それが分からないほど結衣は愚かではなかった。
――やるしかない。覚悟を決めて結衣は剣を構える。
「殺す!」
明確な殺意と共に、彰人はこちら目がけて飛びかかると、風を切りながら槍を振り払う。
すかさず結衣もそれに応戦する。だが――、
(む、無理――!)
打ち合いが始まってわずか数秒、結衣は心の中で絶叫する。
こうなっては自分が彰人を倒す他ない? 打ち合ってからすぐさま、それがとんだ思い上がりだったことに気づかされる。
彰人の攻撃は一撃一撃が鋭く容赦がない。二人の獲物がぶつかり合う度、周囲に衝撃という名の暴力が撒き散らされ、電依戦フィールドのオブジェクトを破壊していく。
朔夜のそれとはまるで別物。透子と同じ……いや激しさだけで言えば彼女以上かもしれない。
(これが全国レベルの電依戦プレイヤー……ッ!)
透子は今までこんな化け物相手と戦っていたというのか。
自分では彰人の攻撃を受けるのにやっとで、反撃をするなんてことは到底不可能だ。こうしている間にも、まるで際限などないかのように攻撃はその激しさを増す。駄目だとは分かっていても、眼前に迫りくる恐怖に結衣の顔は段々と下がっていってしまう。
――このままではジリ貧だ。いずれ防御も間に合わなくなる……!
結衣がそう考えたその時、突然凄烈な彰人の攻撃がピタリと止んだ。何が起きたのか分からず、結衣は恐る恐ると顔を上げる。
彰人の背後――そこには、透子が立っていた。彼女は彰人の背中に剣を突きつけている。
「透子――」
頼れるパートナーの姿を見つけて、結衣は喜びの声を上げようとする。だが、彼女の身体を見た瞬間に口が動かなくなった。
透子の腹には、ぽっかりと大きな赤い穴が開いていた。辛うじて心臓への攻撃は避けていたようだったが、その傷を見れば、彼女が致命傷級のダメージを受けたことは誰にでも分かった。
電依戦における致命傷級のダメージとは、即死にならないまでも電依の活動機能を著しく損なうような傷を受けた際にそのような判定がされる。
このダメージは、受けた瞬間に身体がまるで鉛でも背負わされたかのように重くなってしまう。
あくまでゲームの中でのこと故、本当に死にそうなほどの痛みがあるわけではないが、その辛さは想像以上で、これなら即死の方がマシだったと思えるほどだ。
かつて結衣も、透子との電依戦で味わったことがあるため、その苦しみはよく分かる。
だがそんな状態であっても透子は、彰人への敵意を失っていなかった。
「あなたの相手は私でしょ」
「黙れ、死にかけ。お前は後で殺してやる」
彰人は結衣を睨んだままそう言う。
透子が背後に立っているというのに彼は振り向くことすらしない。
頭に血が登っているのか、それとも彼にとって今の透子は警戒に値しない存在ということなのだろうか。
「そんなつれないことを言うのは、なしにしてもらえるかしら」
そう言うと透子はこちらに向かって何かを二、三個放り投げる。
それはピンポン玉サイズの丸い紫色の玉だった。玉はコロコロと転がり、彰人の足元で止まる。
その瞬間、玉から紫色の濃い煙が噴射する。
撒き散らされる濃煙は瞬く間に、周囲を覆い尽くしていった。
* * *
煙が晴れた後、そこには彰人が一人残されているのみだった。辺りには誰もいない。
どうやら透子たちはこの煙に乗じて逃げ出したらしい。
「煙玉……忍者かアイツは……」
準備と手際の良さに呆れる彰人だったが、おかげである程度、冷静さを取り戻すことができた。
そしてその胸の内に、ある一つの確信が芽生える。
「この戦い、勝てる」
自分の知る透子ならば、この煙に乗じて自分を仕留めにかかったはずだ。
だがそれを彼女はしなかった。
(奴の残り体力は風前の灯火。たった一突きで死ぬ。奴はこちらの万が一の反撃を恐れて攻撃を行わなかったのだ)
透子は戦力としてはもはや使い物になるまい。
そうなると、残るは渡瀬結衣だ。
事前の調べでは、その実力は平均レベルのプレイヤーとのことだったし、実際に打ち合った感触もたいしたことはなかった。
しかし、土壇場で本来の自分の力以上のものを発揮する人間がいるということも彰人は知っている。
それに朔夜を倒した以上、評価を改めなければならないだろう。
「今の真島は戦力として警戒に値しない。一方で渡瀬に関しては一応警戒するべきか……」
そう自分の思考を整理すると彰人はターミナルを開く。そして不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど……これならまだ動かなくても問題ないな」
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残り五話予定となっています。