第18話 『親善』試合
五月三十日、日曜日の朝九時。
親善試合当日、青南高校電依部一同は会場である堺高校にいた。
堺高校は中高一貫校だ。中学生と高校生が同じ校舎で授業を受けているためか、青南高校と比べると敷地も校舎も大きい。
結衣は一人、神妙な顔をしてオレンジと白の壁の大きな校舎を見上げる。そこへ、彼女のもとに涼が近づいてきた。
「どうした渡瀬?」
「いや……なんか緊張しちゃって……」
そう言って結衣は頬をかく。
実のところ昨日はあまりちゃんと眠れなかった。
自分はちゃんと作戦通り動けるか。ミスはないだろうか。そんなことをベッドの中で考えてしまい、どうしても不安になってしまったのだ。
「駄目ですよね、私。しっかりしないといけないのに……」
あははと、自嘲気味に笑う結衣。
そんな彼女を見て涼は、
「ま、そう緊張するなって。ほれ、あれ見ろ」
ある方向を指さす。
彼女の指の先には透子がいた。
試合の前だと言うのに流石と言うべきか、透子はいつもと同じように飄々とした表情をしている。何も変わらない。普段通りの彼女だ。
そんな彼女を見ていると、不思議と落ち着くような気がする。
「もしもビビったらあいつを見ろ。別に今日は、お前一人で戦うわけじゃねえんだから」
「……分かりました。ありがとうございます」
そうだ、今回はあの透子が味方なのだ。そう考えれば少し心強い。
その時、校舎から一人の女生徒がこちらにやって来るのが見えた。黒いブレザーに赤いネクタイの彼女は結衣たちの目の前で立ち止まる。
「ようこそ、青南高校の皆さん」
女生徒は後ろで髪を束ねており、眼鏡の奥から鋭い目つきで結衣たちを睨みつける。
「初めての方もいるようなので挨拶を。私、堺高校電依部部長の枕木と言います。以後お見知りおきを」
そう彼女は慇懃に頭を下げた。
* * *
「正直なところ、私は毎年行われているこの親善試合に反対なのです」
電依部の部室に向かう道すがら、そうなんの前触れもなく言う枕木に結衣は面食らう。
「かつて渡瀬葵を始めとした強豪プレイヤーがいた青南高校となら、親善試合をするメリットもあったでしょう。しかし弱小校である今のあなたたち相手に、我々堺高校が時間を割いている場合なのかと……そう思います」
奇譚のない枕木の言葉に、怒りをあらわにする涼を雛乃が必死に押さえつける。そんな光景に結衣がハラハラしていると、綴が口を開く。
「では何故今年もお誘いを?」
「知れたこと。なんの因果か、あなたたちの学校にあの真島透子がいるからですよ。彼女を欲しがっていた全国の強豪校は、さぞ不思議に思っていることでしょう。一体どんな手段を使って彼女を手に入れたのか……まあそれは今はどうでもいい。真島さんと戦わせることができれば、一年生にいい経験を積ませてあげられる。そう思って、親善試合を実施することに致しました」
そんな枕木の言葉に、透子は不敵な笑みを浮かべる。
「それはどうも、大変光栄な話です。しかし経験を積ませてあげるつもりが、トラウマを作らせる……なんてことにならないといいですね。不知火くんも私に二度目の敗北を喫して、ショックで電依戦を辞めたりしなければいいのですが」
たっぷり嫌味っぽくそう言った後、何故か透子と涼は片手で小さくハイタッチをする。
「……なるほど。噂通り、口が悪いようですね」
透子の挑発的な物言いに、枕木は口元を引きつらせて忌々しげにつぶやく。
そこで重い沈黙が流れた。
肩に何かがずしりとのしかかるような感覚を覚えながら、結衣は頭を抑える。
(これ……親善……試合なんだよね?)
結衣はターミナルを立ち上げて、念のため親善の意味を辞書で確認してみる。
【親善】親しくつきあい、仲よくすること。
(…………不安だ)
密かに胃が痛くなるのを感じながら、結衣は決戦の舞台へと重い足取りで歩みを進める。
「こちらが部室です」
枕木に案内され、結衣たちは電依部の部室に通された。
広さだけなら青南高校電依部の部室と同じくらいだったが、中には二十名ほどの部員がいた。
こちらに気づいた彼らは、物珍しいものを見る目をこちらに向ける。どうやら透子に注目しているようだった。
「待っていたよ」
「来たわね」
声の方を見ると、部室の中央に置かれた大きな机――そこに不知火兄妹の姿があった。
あの日駅で会った時と違い、二人共黒い制服に身を包んでいる。
相変わらず妹の朔夜は彰人にベッタリしながら、こちらにその勝ち気な瞳を向けていた。
「それはどうも」
透子は一言そうつぶやいて口端を上げると、一人、不知火兄弟のいる机へと向かって行く。そして椅子を引くと、勧められていないにも関わらずそこに腰を下ろした。
「私たちにやられるために朝早くから待っててくれたワケだ」
そんな不遜な態度の透子に、堺高校の面々からどよめきが起こる。だがそんなことなどお構いなしというように、透子は不知火兄妹に不敵な笑みを向けていた。
その様子を見て彰人は首をかしげると、彼女の顔を覗き見る。
「不思議だ。君たちと俺たちとでは総合的な戦力が違うというのにその強気の態度。自信がないのかな? 自信がないからこそ、そうやって虚勢を張っていないと今こうしてここにいることもできないんだ、君は」
一対一……いや、朔夜も含めた一対二の睨み合いが始まる。
そんな彼らのやり取りを見ていて結衣は思う。
――覗き合いだ。
ただ煽り合っているわけじゃない。彼女たちはああやって覗き合っているのだ。本来見えないはずの相手の奥の奥……秘奥と呼ばれる厳重に隠匿されたはずのデリケートな部分を。
何を考えている? どんな気持ち? 気分はどう?
それらの情報は必要なのだ。自分の前に勝利を積む確率を少しでも上げるために。
できるだけ多くの情報を集めて、あわよくば戦う前に精神的優位に立つ。透子が発端で始まったこの前哨戦の正体はそんなところだろう。
漠然とそんなことを考えていた結衣は、今から自分もあの輪の中に入らなければならないことに気づいて重たい気分になった。
「お互い随分と仲が良いようで」
「すみません、あとでよく言って聞かせます」
眉をひそめる枕木に綴は笑顔で頭を下げる。
少しも申し訳なさそうじゃなかった。
改めて椅子を勧められ、結衣は透子のとなりに座る。そこで枕木による電依戦のルール説明が始まった。
「プレイヤーに与えられるリソースは2000、使用可能プログラム数は上限なし、フィールドはランダム。試合時間は三十分。二対二によるタッグマッチ。試合時間を過ぎるか、どちらか一方のチームの体力がなくなった瞬間、試合終了とする。試合時間を過ぎた場合は残りの合計体力が多い方のチームの勝利だ。なお、制限時間残り十分の時点でフィールドにおける全員の位置情報が各自に配信される。双方異論はないか?」
「はい、大丈夫です」
「問題ありません」
そう結衣と朔夜がうなずく中、透子と彰人は腕を組みながら黙って目を閉じている。どうやらこの二人はルールなんてどうでもいいらしい。
目の前の気に入らない輩を叩きのめす。おそらく今、彼女たちの頭の中にあるのはそれだけなのだろう。
やがてルールの設定が行われ、親善試合が始まった。
* * *
結衣と透子の二人の降り立ったフィールドは、ゴーストタウンだった。
周囲には荒廃したビルや民家が建ち並んでいる。
地面のコンクリートはところどころ陥没しており、電柱からは切れた電線がだらしなく垂れていた。
「なんだか不気味なとこだね」
倒れた自動販売機の周りに散乱している商品を眺めながら、結衣はつぶやく。
「今の日本は昔より人がいないからね、こんなところ結構あるわよ。これも日本のどこかを参考に作られたところなんじゃない?」
透子に言われて周囲に視線を巡らせてみれば、古い紙の広告が目に映る。
広告には『最新スマートフォン発売! アクセサリーが豊富!』などと書かれている。
なるほど。どうやらここは、結衣が生まれるよりも遥か昔の日本のようだ。
やがて正面から二つの人影がやって来るのが見える。
仲良く寄り添いながら歩くその様子から、たとえ姿は違えど、彼らが彰人と朔夜であることは十分よく分かった。
彼らは、結衣たちから三メートルほど離れた場所で立ち止まる。
彰人の電依『バンサー』。長身の男であり、黒いシャツとズボンに黒のチェスターコートという全身黒ずくめの装いをしている。その撫でつけ髪は服とは対象的に白にも近い灰色で、リアルの彼の髪色よりもやや明るめの色をしていた。
もう一方の朔夜の電依『キャロ』は、スカートにリボンを散りばめたピンクのゴシックドレスの小柄な少女で、金色のツインテールを揺らしている。一見どこかの国のお姫様のようだったが、その強気な瞳は相変わらずだった。
エクエス、スクワイア、バンサー、キャロ。四体の電依が相まみえる。
先に口を開いたのは、彰人だった。
「こうやって真島さんと電依戦フィールドで会うのは去年の全国大会ぶりかな」
「そうね、あの時と同じ。また私の勝利で終わる」
そんな透子の言葉に、彰人は小さく首を振る。
「いいや、同じじゃない。俺たちを取り巻く環境は、あの時と大きく違う。さっきも言っただろ? 君たちと俺たちとでは総合的な戦力が違うって。お荷物を抱えて俺と朔夜に勝てるとでも思っているのか?」
そう言って、彰人は青色の鋭い目で結衣を睨む。彼の眼光に射竦められ、結衣は思わずぐっと息を呑む。
この局面での今の彰人の発言は、自分を追い込むためのもの――そんなことは結衣にも分かっている。ただ、だからと言って彼の指摘が的外れであると堂々と言い返すこともできなかった。
(でも私は……)
その時、結衣の肩が引き寄せられる。突然のことに驚いて、結衣はとなりに視線を向ける。
見ると、透子が自分の肩を抱き寄せていた。彼女は、真っ直ぐと彰人を見ている。
「この子をお荷物だと思っているようならやっぱり結果は変わらない。あなたは負けるわ」
その瞬間、会話を遮るようにしてフィールドに5カウントが鳴り渡る。
電依戦準備開始の合図だ。
「……まあいい。俺たちは電依戦プレイヤーだ。電依戦で決着をつけるとしよう」
彰人は鼻を鳴らすと、こちらに背を向けた。
「……透子、ありがとう」
結衣は自分を助けてくれた透子に礼を言う。
密着し触れ合う彼女の身体は、仮想の身体だというのになんだか暖かい。
「別に……ただ戦いの前だっていうのに、あなたのメンタルがいいように追い詰められると、私が困るからよ」
そう少し照れたように言ってから、透子は結衣の背中を軽く押す。
「自分の力を証明してやりなさい、結衣」
たったそれだけのことだというのに何故だろう。戦いの前にも関わらず結衣の表情はどうしようもなく綻んでしまう。
そこで彼女は、先輩の助言を思い出す。
(ああ、そうだ。いざとなったら私は透子を見ればいいんだ)
迷いはとうになくなった。自分がやるべきことは見えている。
自分はただすべきことを全力でするだけだ。
結衣と透子は、ほぼ同時にその手に長剣を召喚する。
刀身がギラリと煌めいた。
そんな彼女たちに向かって、彰人は右手を突き出した。
「行くぞ、朔夜。所詮つけ焼き刃の急造コンビでは、俺たちに勝てないということを教えてやる」
そう言って彰人は、手のひらに身の丈ほどの長さの槍を召喚すると、それを手の中で華麗に一転させる。
「キャーッ! お兄ちゃん、カッコイイ!!」
兄に向かって、黄色い声援を投げる朔夜。そんな彼女の眼前には片刃の大剣が突き立つ。重々しいそれを彼女は軽々と持ち上げた。
既にプレイヤーたちの準備は完了している。だがそれでも、彼女たちは睨み合ったまま動かない。
電依戦プレイヤーには、戦いを始めるために武器やスキル以外に必要なものがある。それは彼らには、どうしようもできないものなのだ。
不意に何の前触れもなく、遠くの方から老朽化した電柱が倒れる重い音が聞こえる。
折しもその音と、フィールドにこだまするゼロの声が重なった。
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