第16話 不知火兄妹
結衣と透子は駅へと戻ってきた。
空は夕日に焼かれて、すっかりオレンジ色に染まっている。
駅の二階から伸びた広めの横断歩道橋――ペデストリアンデッキ。二人はその欄干に寄りかかって景色を眺める。
ビルの隙間からわずかに夕日の光が見える。
下のバスターミナルでは、自動運転のタクシーが忙しなく走っていた。
「今日はありがとう。楽しかったわ」
「そう言ってもらえると何よりだよ」
満足してもらえたなら、こちらもプランを練ってきた甲斐があるというものだ。
「今度いつか機会があったら、お礼に何か奢るわ」
「えー、それなんでもいいの?」
「……悪いけど財布に優しいものにしてもらえるかしら」
二人がそんな話をしていたその時、
「おや、もしかしてそこにいるのは真島透子か?」
不意に、背後から驚きを孕んだ男の声が聞こえる。振り返ると、そこには一組の男女が立っていた。
「あなたは……!」
男の顔を見た透子は、意外な人物に会ったというような表情をしている。
結衣も彼の顔には見覚えがあった。
不知火彰人。昨年、埼玉県の電依戦中学生大会で優勝し、県の代表として全国大会に出場。そして、今回の親善試合の相手になる男だ。
彼は迷彩柄のシャツの上から薄手の黒いジャンバーを羽織っていて、服の上からでもそのガッチリとした体格がよく分かる。
ショートカットの髪は灰色に染められており、その下の顔は端正であった。
「まさか、たまたま遊びに来た先で君に会うとは思わなかったよ。でも、こっちに引っ越してきたって噂は本当だったんだね」
そんな彰人の言葉を透子は鬱陶しそうに無視する。
そこへ――、
「ちょっと! 何無視してんのよ、この電依戦オタク!」
突然、甲高い声が響き渡る。声の主は彰人のとなりにいた一人の少女だった。
桃色のブラウスに刺繍の入った白いスカートという出で立ちの彼女は幼い顔立ちをしており、揺れるツインテールがその幼さをよりいっそう際立たせている。
年の頃は、一応結衣たちと同じくらいだろうか。彰人の腕に抱きつきながら、強気な性格を思わせるつり目でこちらを睨んでいた。
それを見て透子が呆れたように言う。
「相変わらず妹の躾ができてないわね」
「え、妹!?」
透子の言葉に結衣は驚きの声を上げる。こちらの視線を受けた朔夜は、より強く彰人の腕を抱きしめる。
そのあまりの密着具合にてっきり二人は恋人同士なのかと思っていたが、まさか兄妹だったとは……。
結衣たちに敵意をむき出しにする朔夜に対して、彰人は優しい笑顔を向ける。
「ありがとう朔夜。大丈夫、俺のことはいいよ」
「で、でも……」
収まりがつかなさそうな朔夜の顎に彰人はそっと手を添えた。
「朔夜が俺のことを理解してくれていれば、俺はそれで十分だからさ」
「お兄ちゃん……」
朔夜は彰人の顔を見つめて、うっとりとした表情をしている。
どうやら二人は、完全に自分たちの世界に行ってしまったようだ。
それにしてもなんだろう……兄妹にしてはなんと言うか、どうも少しくっつきすぎな気がする。
そんな結衣の心の中を読んだのか、
「有名な話よ。不思議なくらい仲のいい電依戦プレイヤーの兄妹って」
そう言って透子は口元を歪める。
だがそれを聞いた彰人は心外だとでも言うように鼻を鳴らした。
「何が言いたいのかよく分からないな。本来兄妹ってのは仲がいいものだろ」
「不思議なのは私たちじゃなくて、仲の悪い兄妹だと思うんだけど」
朔夜も彰人の言葉に同調する。
まあ彼らの言いたいことは分かる。兄妹同士、仲が悪いよりはいい方がいいに決まっている。昔から『仲良きことは美しきかな』なんて言葉もあるくらいだ。
それでもやっぱり兄妹にしては少し近すぎませんか? 結衣はそう思ってしまう。
自分には異性の兄弟はいないので正確なことは分からないが、少なくとも姉と人前であんな風に密着しようとは思わないし思えなかった。
そんなことを考えていると、彰人が珍しいものでも見るような目を結衣に向ける。
「ところでそっちの子は? 君が誰かと一緒にいるなんて珍しいな」
――透子は自分のことをなんと紹介するのだろうか。結衣は彼女に期待交じりの視線を向けてみるが、
「……同じ電依部の部員よ」
透子は一言小さくそう言った。
『同じ電依部の部員』かー、そうかー。
うつむいて肩を落とす結衣だったが、そこでふと何かの気配を感じる。
顔を上げると、彰人がこちらをじいっと覗き込んでいた。
「な、何か……?」
こうして同年代の男子からまじまじと見つめられる機会などそうないため、どうしていいのか分からず結衣は視線をそらす。
その時、視界の端に映る彰人がものすごい勢いで後ろへと引っ張られていくのが見えた。
視線を戻すと、彰人の背後には彼のジャンバーの襟首を掴み、引きつった笑みを顔に張りつかせた朔夜がいた。
「……お兄ちゃん、いつまでその子の顔を見つめてるの?」
「いやだってあの真島透子が誰かと一緒にいるんだよ? そりゃ興味も湧くでしょ」
朔夜の明らかな嫉妬にも気づいていないのか、彰人は特に悪びれた様子もなく言う。
「それに、もしかしたら彼女とも戦うことになるかもしれないんだ。君だろ? 来週の親善試合で真島さんと組む電依戦プレイヤーは」
彰人は嬉しそうな笑みを見せる。
「いやあ、それにしてもまさか真島さんにリベンジする機会に恵まれるだなんて、思いもよらなかったよ」
「あなたは前回、私に負けたでしょ」
「たしかに、前回は君の勝利だった。それは素直に認めよう。でもアレはだいぶギリギリだったからなあ。……それに分かってるだろ?」
そう言って彰人は、ずいと透子の前に一歩踏み出す。
自然と透子は、自分より十センチほど身長が高い彰人を見上げる形になった。
「俺たちが戦う親善試合はタッグマッチなんだよ? 俺と朔夜のコンビが君たちに負けるとは思えないんだけど」
彰人は目尻を下げる。
「そうよ! 今度は、私がお兄ちゃんと一緒にお前をボコボコにしてやるんだから!」
そう言って朔夜はこちらに人さし指を突きつけるが、透子に睨まれて慌てて彰人の後ろへと隠れる。
分かるよ、透子に睨まれるとすごく怖いもんね、と結衣は心の中で朔夜に同情した。
「まあ、来週の親善試合楽しみにしてるよ」
不敵な笑みを浮かべて彰人はひらりと手を振ると、朔夜と一緒にその場から去って行った。
去り際に、朔夜がこちらに向かって小さな舌を突き出したのが見えた。
なんか高校生になってからこんなんばっかりだなと、結衣は思わず苦笑してしまう。
「ああいうやかましい男って嫌い」
不知火兄妹を見送ってから、透子は欄干にもたれかかるとため息をついた。
「中々濃い人たちだね」
「濃すぎて鬱陶しいくらい」
そう彼女は肩をすくめる。
心なしか、その顔は少し楽しそうにも見えた。
「でもさ、前に一度透子が勝ってるなら、親善試合だって大丈夫だよね」
「その考えは大いに甘い」
楽観視する結衣に対して、透子は人さし指を突きつける。
「たしかに私と彰人だけなら勝算はある。でも奴の言う通り、あのやかましい妹も加わるとなると勝つのは途端に難しくなる」
少し悔しそうな表情を浮かべながらも透子は冷静で公正な分析を下す。
「前にも言ったでしょ? 電依戦で一対複数は、実力差に開きがないと難しい。それに不知火兄妹と言えば、中学時代はタッグマッチで負けなしなの」
「じゃあ結構まずいんじゃ……」
先ほどまでは透子がいるならと、のんきに構えていた結衣も徐々に危機感が湧いてくる。
「まあこっちも策がないわけじゃない。本当は来週の頭にでも見せようかと思ってたんだけど」
そう言って透子はターミナルを立ち上げて何やら操作する。少しして、結衣のもとに透子からテキストファイルが送られてきた。
なんとなしに結衣がファイルを開いた瞬間、彼女の視界を大量の文字列が埋め尽くす。
「何これ……」
そのテキスト量のあまりの多さに結衣は圧倒されてしまう。
テキストを表示するエディタのウィンドウは、自分の胸元から天まで伸びていた。
「さっきのアホ兄妹の電依戦の資料よ。ウィンドウサイズの調整をしないと見づらいかも」
透子の言う通りそこには、不知火兄妹の電依戦に関する戦闘スタイルや経歴といった情報が事細かに書かれている。
それにしても恐ろしい量だ。
「これ全部、今度の親善試合のために透子がまとめたの?」
「別に親善試合のためだけじゃない。普段から気になる電依戦プレイヤーの情報はこうしてまとめてるのよ」
「もしかして全部手作業で?」
もしそうだとしたらすごい労力だと思ったが、結衣の質問に透子は呆れたように首を振る。
「そんなわけないでしょ。ネット上に転がってる電依戦プレイヤーの情報をクローリングするプログラムを書いたのよ」
「クロー……?」
「要するに電依戦プレイヤーの情報をプログラムに自動収集させてるってこと」
透子はあっさりと言ってのけるが、そのプログラムを書く手間もあるだろうに。
「透子はどうしてそこまでできるの?」
その質問をした直後、結衣は分かりきったことを聞いてしまったと後悔する。理由は先ほど、透子の口から聞いたばかりだった。
透子も何を当たり前のことを聞くんだ、といったような顔で答える。
「決まってるでしょ。葵さんのようになりたいからよ」
そう、彼女が病的なまでに真摯に電依戦に向き合う理由はこれがすべて。しかし、病的だからこそ彼女は強い。
結衣は思う。
――自分はここまで真剣に、電依戦に向き合ったことがあっただろうか。
かつては結衣も目指していた。姉のような電依戦プレイヤーになることを。高校電依戦で優勝することを。
でも周囲に自分よりも優秀なプレイヤーたちがいる中で、いつしかそれらの目標はすり減っていて、気づけば惰性で電依戦を続けるようになっていた。
渡瀬葵は渡瀬葵だからこそ強いのだと、自分は姉のようにはなれないと、そう諦めるようになっていた。
(でもそれはきっと、何もしないで逃げていただけなんだ――)
気づけば結衣は、痛くなるくらい強く自分の手を握りしめていた。
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