第14話 渡瀬マジック
結衣が透子の家を訪れてから二日後の朝、一年二組の教室は普段とは違い、異様な空気に包まれていた。
原因は久しぶりに登校してきたクラスの異端児真島透子、そして何故か彼女から一等嫌われていた渡瀬結衣の二人にあった。
「おはよう透子。風邪、治ったんだ」
「治すって言ったからね、結衣」
犬猿の仲だった二人がどうしたことか、今日は仲良く下の名前を呼び合って朝の挨拶などをしている。
彼女たちの間に流れる空気からは、今までの仲の悪さは微塵も感じられず、その光景にクラスメイトのみならず、二人の仲を知る教師たちも目を白黒とさせていた。
おかげで朝から結衣のもとには、『一体何があったのか』という旨のメッセージが何件か飛んできていた。
ただ結衣としても、先日の透子との出来事をどう説明したらいいものか分からず、それらすべてに対して「なんでだろうねー」などと適当に返事をしていた。
しかしその曖昧な対応が仇となり、最終的には「渡瀬さんが真島さんに何かしたんじゃないか」という噂が教室中に広まってしまい、四時限目終了時には『渡瀬マジック』なる謎のワードが、結衣本人の耳にまで入ってくるようになっていた。
(渡瀬マジックかぁ……)
昼の学食。目の前でカレーライスを食べる透子を眺めながら結衣は苦笑する。
学食は今が書き入れ時ということもあって、多くの生徒で溢れかえっていた。
普段ならばヒカリと一緒に教室で昼食をとるのだが、悲しいことに今日は彼女も近づいてきてくれない。
教室にいてもジロジロと見られて居心地が悪いので、こうして透子と二人で学食にやって来たのだった。
彼女がクラスメイトに対して、もう少し社交的ならばこんなことはないのだが……。
「透子はさ、私以外のクラスメイトとは会話しないの?」
「必要ない。小中学生の頃も周りとは、必要最低限の会話しかしなかったし」
そうあっさりと言ってのける透子を見て、彼女がクラスの中で一人孤立している光景がありありと目に浮かんでしまう。
それでも彼女は孤独なんて気にも留めず、堂々としていたのだろう。
「……今失礼な想像したでしょ」
妄想が顔に出ていたか、透子にギロリと睨まれ、結衣は慌てて両手を振る。
「まさかそんなことないよ! そういえば透子は、どうしてわざわざこの高校に進学したの? 透子なら電依戦の推薦でもっと良い高校に行けたんじゃない?」
誤魔化すために咄嗟に出た質問だったが、ずっと気になっていたのは事実だった。
「ああ、それは葵さんがこの高校出身だって知ってたから」
「どういうこと?」
透子の答えに結衣は首をかしげる。
葵がこの青南高校を卒業したのは、遥か昔の話だ。今更この学校に進学しても彼女はいないというのに。
「引かない?」
「分からない」
即答する結衣に透子は小さく笑ってから、スプーンを皿の上に置く。
そして上品な仕草で、口元についたカレーを紙ナプキンで拭き取った。
「葵さんと同じものを見て、同じものを感じて生活してみたかったの。街の風景も教室も食堂も空気も水も何もかも。もちろんそれだけで葵さんのようになれるとは思わないけれど、それで少しでも葵さんに近づけるなら……って思ったの」
「それは……徹底してるね」
冗談を言っている様子など微塵もない透子に、結衣は少し恐怖を感じてしまう。
一昨日は、葵のことは尊敬している程度にしか言っていなかったが、ここまで来ると彼女のは尊敬などではなく、もはや崇拝のレベルなのかもしれない。
それを葵の妹である自分に包み隠さず話してくれるというのも、中々飛んでいるような気がする。
そんなことを考えながら閉口している結衣を見て、透子は寂しそうに笑った。
「ほら、やっぱり引いた」
「まあ正直……でも同じ環境にしたいっていうなら、なおさら友達を作ったらいいのに。お姉ちゃんだって友達たくさんいたんだよ?」
その言葉に透子はぐっと喉を鳴らす。
「でもどうせ、私と友達になりたい人なんていないだろうし……」
そう彼女があまりにも悲しいセリフを吐いたその時――、
「フフ……話はすべて聞かせてもらった」
どこからか聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「あ、ヒカリ」
気づけば透子の背後にヒカリが立っていた。何故か彼女はその手に食べかけのアンパンとパック牛乳を持っている。
「やあやあ結衣、おはようアンドこんにちは。それに真島さんも」
ヒカリは透子のとなりにあった椅子に座ると、笑顔で彼女へとにじり寄る。
だが直後、
「誰?」
透子からの心ない一言に撃沈した。
「同じ一年二組の秋元ヒカリだよ! 出席番号一番の!」
だが透子は本当に心当たりがないらしく、難しい顔をして首をかしげる。
「秋元さん……? ごめん、私あんまりクラスメイトの顔と名前知らなくて」
「高校生活が始まってもう一ヶ月経つのになあ……」
ヒカリがそう寂しそうにうつむく。
そんな彼女が不憫になって、結衣は助け舟を出す。
「ヒカリはいつの間にそこにいたの」
「二人が学食に入ってこの席に座ってからずっと。二人のことが気になって、教室からここまで尾行してたんだから」
ヒカリは、手に持っているアンパンとパック牛乳をこちらへと誇らしげに向けてくる。
尾行にアンパンと牛乳がどう関係あるのだろうか。
「声かけてくれればよかったのに」
「折角結衣が真島さんといい感じになったみたいだから、水をさすのもどうかと思ってさ」
「その心遣いはありがたいけど、できれば普段通りに接してくれると助かるかな」
そんな結衣の言葉をよそに、ヒカリは透子へ人懐っこい笑みを向ける。
「ねえ真島さん、私と友達になってくれない?」
「え?」
思いがけないヒカリの提案に、透子は驚いたような顔を見せる。
「さっきの話聞いてたんだけど、実は私、前から真島さんと友達になりたいなあって思ってたの。ねえ、どう?」
そう言ってヒカリは、こちらにウィンクをくれる。
それを見て結衣は察する。
(そうか、ヒカリは透子のために……)
ヒカリの心遣いとコミュニケーション能力の高さに感動しながら、結衣も援護射撃をする。
「ほら透子、チャンスだよ!」
結衣に促されてしばらく考え込んでいた透子だったが――、
「嫌。なんかあなた、やかましそうだし」
いや断るのかよ。危うく結衣はテーブルに頭をぶつけそうになる。
クラス内で孤立している透子にとって、またとない絶好のチャンスだと思うのだが。
「そんなことないよ!」
「ほら、やかましい」
そんな虚しい言い争いに発展する二人を呆れながら見ていたその時、結衣のナノポートにメッセージが飛んでくる。
ターミナルを立ち上げて送信者の欄を確認すると、それは担任からだった。
「どったの?」
「それがなんか聞きたいことがあるから職員室に来てほしいんだって」
「ほう、職員室に呼び出しとはまるで不良ですな」
そう言ってヒカリがこちらをニヤニヤと見てくる。
「うっさいな、そんなんじゃないって」
結衣は頭をかくと、透子の方に向かって両手を合わせる。
「ごめん透子、そういうわけで私これから職員室に行かなくちゃいけないんだけどいいかな?」
「私に許可を取る必要ないから、さっさと行ってきたら」
「うん、先に教室戻ってていいから」
そう言って結衣は椅子から立ち上がる。
一瞬この二人をこの場に残していくことに不安を覚えたが、そんなことを考えていても仕方ない。
ヒカリの方を見ると、「アレ? ということは私、真島さんと一緒に置いていかれちゃうの?」というような不安げな表情をしていたが、それも仕方ない。
「透子、あんまりヒカリのこといじめないであげてよ? その子、私の中学からの友達なんだから」
それだけ言い残して結衣は、後ろ髪を引かれる思いで食堂を後にした。
* * *
結衣の後ろ姿を見送ったヒカリは、ちらりととなりに視線をやる。
自分の横では、透子が黙ってカレーを食べていた。何を考えているのか分からないその顔からは、カレーの味が美味しいのか不味いのかすらうかがい知ることができない。
(どうしよ……)
重々しい雰囲気にヒカリは半泣きになる。
結衣がいるならばということで調子に乗って飛び出してきたヒカリだったが、まさか早々に透子と二人きりになってしまうとは思ってもいなかったのだ。
(勢いで『友達になって』とか言ったけど断られちゃったしなぁ……。結衣の時はこれで一発だったんだけど、ちょっと急ぎすぎちゃったのかも)
自分たちの間に流れる空気のなんとも言えぬ心地の悪さに耐えかねて、ヒカリはそろりと椅子から立ち上がる。
「あー……じゃあ私もそろそろ行かないといけないからこの辺で……」
そそくさとその場を去ろうとするヒカリだったが、何かに制服の袖を引っ張られる。
恐る恐るそちらを見ると、透子がこちらに手を伸ばして、自分の制服の袖を掴んでいた。
「ま、真島さん……?」
「ちょっと待って。あなたに聞きたいことがある」
こちらを睨みつける透子の瞳に、ヒカリは死を覚悟した。
* * *
結衣はため息と共に職員室を出る。
やはりと言うべきか、担任が結衣を呼び出した理由は透子についてだった。
二人の仲の悪さを知っていた担任としても、長い休みを経ての透子の心変わりはかなり気になっていたようで、一番話を聞きやすそうな結衣が事情聴取に呼ばれたらしい。
エクエスのことや電依戦のことを説明しても分かってもらえないだろうと、結衣は「喧嘩していたけど仲直りした」というかなりオブラートに包んだ説明をして、どうにか納得してもらうことができた。
だがおかげで昼休みだと言うのに、だいぶヘトヘトになってしまった。
「よお、渡瀬」
不意に結衣の背後から聞き覚えのある声が聞こえる。
振り返ると、涼がこちらに向かって片手をひらひらと振っていた。
「こんにちは」
予想外の人物と出会ったことに驚きつつも、結衣はお辞儀をする。
そんな彼女を涼はニヤニヤしながら見ていた。
「今、職員室から出てきたみたいだけど呼び出しか? お前顔に似合わず悪い奴なんだな」
「だからなんでそうなるんですか」
先ほどのヒカリと似たようなことを言う涼に結衣は嘆息する。
「まあ少し色々と。先輩も職員室に用事ですか?」
「いやそれがさ、進路希望調査フォームが空欄だからって呼び出されちまったんだよな」
「先輩、三年生ですよね……?」
進路希望調査フォームとは、生徒が卒業後どのような進路に進むのかを調査するためのデジタルアンケートフォームだ。
昔は進路希望調査用紙という名前だったのだが、在り方というのは時代と共に変遷するもので、紙ではなくWebのアンケートフォームが使われるようになってから呼び方も変化した。
流石に三年生にもなって、進路希望調査フォームが真っ白というのは穏やかじゃない気がする。
一体どっちが悪い奴なんだろう。
「まあ卒業したら世界中を見て回るのもアリかなって思ってるよ。今の時代、オレみたいなアホでもコイツのおかげでマルチリンガルだしな」
そう言って涼は自分のこめかみをトンと指で叩く。
今やおよそ九割以上の先進国でナノポートの導入が行われている。
昔なら語学力に自信がなく、海外に行くなど到底考えられなかった人間であっても、今はナノポートを入れた人間同士ならば、たとえ使う言語が違ったとしても瞬間翻訳によってラグなしで会話することができるのだ。
ちなみに葵の素の語学力は中々悲惨なもので、もしもナノポートの翻訳機能がなかったら大手を振って海外の大会に参加することなど、とてもできなかっただろう。
「世界中を見て回るって……じゃあ、なんて書くつもりなんですか? 冒険家? 放浪者?」
「おっ、放浪者ってなんかカッコよくね? いいね、それ採用!」
表情を明るくする涼に、「お願いですからもう少し真面目に考えてください」と結衣は思う。
「――ところで話は変わるけどよ」
そう言って突然声を潜めると、涼は結衣の肩に腕を回してくる。
彼女の顔が結衣の顔のすぐ側にやってきた。
その距離感と中性的な涼の顔も相まって、結衣の心臓は跳ね上がる。
自分の心臓の鼓動の早さが彼女に悟られてしまわないだろうか、そんなことを考えるとますます鼓動を打つ速度が早くなっていくのが分かった。
「真島の件、大丈夫そうか?」
「え?」
唐突に、涼の口から出た言葉に、結衣は彼女の顔を見る。
涼は空いた方の手で頬をかくと、少し言いにくそうに言う。
「ホラ……今日はアイツ来てるんだろ? 上手くやれてるかどうかって気になってたんだ」
「あ~……」
その言葉に結衣は視線をそらす。
先輩に心配をかけていたということを思い出して、申し訳ない気持ちになったのだ。
「大丈夫ですよ、透子とはちゃんと普通に話せてますから。……すいません、ありがとうございます」
「透子、ね。そか、ならいいんだ」
満足そうにうなずくと涼は結衣から身体を離す。
「先輩、進路のことは考えてないけど後輩のことはちゃんと考えてるんですね」
なんとなく後輩としてちゃんと想われていたことが面映ゆくなり、結衣はつい余計な一言をつけ加えてしまう。
「うっせ」
そんな後輩の憎まれ口に先輩は照れくさそうに笑った。
* * *
「それから最後は肩にトンだよ。覚えた? 肩にトン」
「肩にトンね……分かった」
結衣が教室に戻ると、椅子に座った透子とヒカリが何やら話をしているのが見えた。
もう打ち解け合ったのかと、相変わらずのヒカリのコミュニケーション能力の高さに感心しながら結衣は彼女たちに合流する。
「あ、結衣おかえり~」
こちらに気づいたヒカリは手を振って迎えてくれる。
「先生なんだって?」
「ま、色々ね」
「え~なんで濁すの~?」
なんでって、そりゃここに透子がいるからだよと結衣は彼女の方を見る。
先ほどまでヒカリと話していた透子だったが、今は黙って視線を机に落としている。心なしか、彼女の顔は緊張しているようにも見えた。
「透子?」
結衣が首をかしげると、ヒカリが制服の袖を引っ張ってくる。
「そういえばさ、真島さんが結衣にお願いがあるんだって」
「え? お願い?」
「ちょっとなんであなたが言うのよ」
慌てたように透子は抗議の声を上げる。
「いーじゃん、このままじゃ真島さん言い出せそうにないし」
透子が自分にお願いなんて一体なんだろうか。
そして、何故それをヒカリが知っているのだろう。なんだか短時間で仲良くなられたような気がして、少しヒカリに嫉妬してしまう。
「ほら、早く言いなよ」
そうヒカリに急かされ、透子はしばらく難しい顔をしていたが、やがて真一文字に結んだ口を開いた。
* * *
放課後の電依部の部室、そこに設置された少し古めの40インチのディスプレイに結衣と透子の電依戦の様子が映し出されている。
未だに拙い部分はあるものの、二人の連携は以前と比べて遥かに良く……と言うよりまったくの別物になっていた。
「本当に仲良くなったんだな、あいつら……」
彼女たちの電依戦を眺めながら、涼が感慨深げにつぶやく。
「二人しかいない一年生ですからね、仲良くなってくれないと困ります」
目の前の黒いラップトップを叩きながらそう淡々と言う綴だったが、彼は小さな笑顔を浮かべていた。
「それ渡瀬のプログラムを書き直してやってんのか?」
「ええ、機能はそのままに性能の底上げをしようかと」
結構な強敵ですよ、と綴は直し甲斐のあるソースコードを睨みつけながら顎を撫でる。
そこへ部室の扉が開いて、雛乃が入ってきた。
彼女は真っ直ぐと涼たちのもとへやって来る。
「篠原先輩、電依戦しましょう電依戦」
「お、おう……なんかお前、今日はやる気だな」
やってきて早々好戦的な雛乃に対して、涼は驚きの目を向ける。
普段の雛乃ならソファーでお菓子を食べながら、ゆっくりとエンジンをかけるはずなのに。
「まあたいした理由は、ありませんけどね」
そう言って雛乃はさらりと髪を撫でる。
「あたしも負けっぱなしは悔しいなあって」
その茶色味がかった瞳は、二人の後輩を見つめていた。