第1話 電依戦プレイヤー
初小説となります。
誤字脱字等ありましたらご連絡下さい。
決して狭くないはずのその会場は、十二月の肌寒い季節にも関わらず熱気に包まれている。
そんな熱気のせいか、それとも彼女自身が興奮しているせいか、幼い渡瀬結衣の頬はほんのりと赤く染まっていた。
円形に作られたアリーナ会場。その客席すべてから映像が見られるよう、会場中央に設置された四台の巨大な液晶ディスプレイ。
会場を埋め尽くしたおよそ一万人の観客たちは、皆一様にそれらに釘づけとなっている。
ディスプレイに映し出されているのは市街地――。そして、二体の電依たちが踊るように戦っている姿だった。
一体は黒く重厚な鎧を身にまとった巨躯の男性型電依、シドナイ。
そしてもう一体は白銀の軽装鎧を着飾る小柄な少女型電依、エクエス。
シドナイが片刃の大剣を振るい、エクエスが長剣で打ち返す。
ただそれだけのことだったが、電柱はへし折れ、看板は軽々と吹き飛び、周囲の建物は崩壊していく。
まるで二体のいるその場所が、台風の中心地であるかのようだった。
『さあ、これまでの戦いで両プレイヤーのリソースはほとんどゼロ! 今年の全国ナンバーワンの電依戦プレイヤーを決める高校電依戦は佳境も佳境! 果たして最強高校生プレイヤーの座を手にするのはどちらなのか!』
白熱するアナウンサーの声が会場に響き渡る。
「あれ大丈夫なの……」
ディスプレイを見つめながら、母親が結衣のとなりでハラハラとした顔でそう零す。
たとえ頭では、これがただのゲームであると分かっていても、自分の娘があんな危険な戦いをしていると思うと気が気でないのだろう。
結衣はディスプレイから目を離して、会場中央に設置されたテーブルの方を見る。
彼女の視線がテーブルを挟んで向かい合う二人の男女を捉えた。二人はまるで頭を垂れるようにして椅子に座っている。
一人はシドナイを操る六道新。
そしてもう一人はエクエスを操る渡瀬葵――結衣の姉だった。
ナノポートによる電脳空間へのジャックイン(五感すべてを没入させたVR空間への接続)などなかった過去の時代の人間からすれば、まるで二人はただ眠っているだけのように見えるのだろう。
だが彼女たちは間違いなく死闘を繰り広げている。
あのディスプレイに映し出されている電依戦フィールドで、電脳の身体を依り代として。
『渡瀬葵が前人未到の高校電依戦三連覇を果たすのか、それとも六道新がそれを阻止して今年こそ優勝を果たすのか。この戦いに全国の……いや世界中の注目が集まっています!』
アナウンサーの声を聞いて結衣は再びディスプレイへと視線を戻すと、電依戦フィールドで戦う二人の一挙手一投足を追う。
二人の熾烈な打ち合いは勢いが衰えることなく続いていた。むしろその間隔は短くなっており、勢いは加速しているのではないか、と結衣は思う。
鋼と鋼の打ち合う音が、まるで彼女たちを囃し立てるかのように戦場に鳴り響く。
――果たしてこの打ち合いは、一体いつまで続くのか。
誰もがそう思ったであろうその瞬間、突如として転換点が訪れた。
打ち合いの最中、シドナイの剣の刀身が眩く赤色に光り輝く。電依戦における必殺技、スキルプログラム発動の予兆だ。
「六道新が勝負を決めるつもりだ!」会場のどこかで誰かがそう叫ぶ。
スキルプログラム【大地一閃】。シドナイの咆哮と共に、赤い刃がエクエスめがけて横薙ぎに払われた。
あわや胴体を真っ二つにされるというところで、エクエスは斬撃を受け止める。だが、振るわれた大剣の重さに耐えかね、その手から剣が弾かれた。
剣は彼女の手を離れて、陽の光に刃を煌めかせながら宙を舞う。
その光景に会場全体がどよめいた。
『六道選手のスキルプログラムが渡瀬選手の武器を弾いたッ! 渡瀬選手、相手のスキルプログラムに対してまったくの無策! この局面でこれは手痛いミスだーッ!!』
嵐のような打ち合いから突如訪れた急展開に、実況も熱がこもる。
これを機と見たか、すかさずシドナイは、無手となったエクエスに対して縦一閃を放つ。
風切り音を上げながら振り下ろされた剣刃はそのまま少女騎士を斬り裂く――ことなくそのまま地面を叩き割った。
灰色のコンクリートに亀裂が走る。
その様にシドナイの顔には驚愕、対してエクエスの顔には小さな笑みが浮かんだ。
鋭刃が迫りくる瞬間、エクエスは身を翻して攻撃を回避していたのだ。
彼女は地面に食い込んだシドナイの大剣を踏み台にして空へと跳び上がると、先ほど弾かれた自分の剣を掴まえる。
まるでこうなることを予期していたかのような彼女の行動に、会場のあちこちから驚きの声が上がった。
何もエクエスは、無策で剣を奪われたわけではない。彼女は最初からこの展開を望んでいたのだ。
慌てて地面から大剣を抜こうとするシドナイだったが、コンクリートは刃を深く噛んでおり、引き抜くことはできない。
宙に舞い上がったままエクエスは、シドナイに向けて剣を構える。その銀色の刀身が翡翠色に光り輝き始めた。
頭上から襲いかかろうとしている脅威に対して、大剣を引き抜くことを諦めたシドナイは、武器を捨ててその場から離れようとする。その判断自体は間違っていない。だがいささか、少しばかり遅かった。
スキルプログラム【バスターストライク】。
エクエスは降下の勢いと共に翡翠色の流線を描きながら、シドナイの身体をその厚い鎧ごと斬り裂く。そして華麗に地面へと着地すると、振り向きざまに横一閃を放った。
翡翠と銀の十字に身体を斬られたシドナイは、膝から崩れるようにして地面へと倒れる。
市街地に、鎧が地面に叩きつけられる音が響き渡る。
大型ディスプレイに表示されているシドナイの体力ゲージが空になった。
一瞬で決した勝敗にしばらくの間、静まり返っていた会場だったが――、
『高校電依戦優勝は青南高校電依部の渡瀬葵です! 前人未到の高校電依戦三連覇! 渡瀬葵がまた新たな伝説を作りました!!』
アナウンサーが興奮気味の声で叫んだ瞬間、会場中が一斉に沸き立った。
ディスプレイの映像は、会場中央のテーブルに切り替わると、勝者である葵の顔を映し出す。しばらく動かなかった彼女だったが、その閉じていた瞳をゆっくりと開く。彼女の長いまつ毛が揺れた。
ワッと、葵の周りに彼女の部活仲間たちが押し寄せる。
電依戦直後で虚ろな目をしていた葵だったが、やがてその目に涙を浮かべると、仲間たちと抱き合って喜びを分かち合った。
* * *
大会の表彰式が終わり、待ってましたと言うようにマスコミのカメラが一斉に葵を取り囲む。
その様子を観客席から眺めていた結衣は、椅子からぴょんと飛び降りると、急いでその場から駆け出した。
「あ、ちょっと結衣! 危ないからお母さんから離れちゃ駄目よ!」
背後から聞こえる母親の声など無視して、結衣は人で溢れた廊下へと潜り込む。
途中、何人かとぶつかったけどそんなの関係ない。
早く姉に会いたかった。会って一言「おめでとう」と言いたかった。
人で一杯の廊下を小さな体でなんとか抜けたところで、見覚えのある制服が目に映る。
紺色のブレザーにチェックのスカート、そして背中まで伸びた黒い髪。間違いない、あれは姉の後ろ姿だ。
周囲にマスコミの姿はない。彼女のことだ、面倒な取材をふりきって逃げてきたのかもしれない。
――はやくおめでとうって言わなきゃ!
姉のもとへ駆け寄ろうとする結衣だったが、違和感を覚えてその場で足を止める。
何故か葵は腰を低くかがめている。どうやら誰かと話をしているようだった。
誰と話をしているのか気になった結衣は、遠くの方からそっと様子を伺う。
葵の前には、一人の少女が立っていた。
少女の年齢は八歳くらいだろうか、綺麗な黒い髪に可愛らしい顔をしている。
興奮しているのか、彼女の白い頬はほんのりと赤らんでいた。
「葵さん優勝おめでとうございます! ずっとおうえんしていました!」
「ありがとう! すごく嬉しいよ!」
無垢な少女の笑顔に、激戦の直後で疲れているはずの葵も明るく対応する。
――それは私が先に言いたかったのになあ。結衣は心の中でそう漏らす。
本当はもうとっくに部活の友達や後輩から言われているのだろうけど、それでも自分と同い年くらいの女の子に先を越されたのはショックだった。
その後、葵と少女はいくつか言葉を交わす。
笑顔の姉と見知らぬ少女。
彼女たちとは距離が離れている上、周囲の雑音のせいで何を話しているのか正確に聞き取ることはできなかったが、なんとなくそこに近づく気になれなかった。
不意に葵が少女の頭を撫でるのが見えた。
少女はまるで、今日が人生で最も幸運な日であるかのような恍惚の表情を浮かべている。
そんな光景を見ていた結衣は、なんだか大好きな姉を取られたような気がして胸が痛むのを感じた。
「やっと見つけた!」
その時、人混みの中から息を切らした一人の男が現れた。
「あ、お父さん!」
少女は男の顔を見てそう叫ぶ。どうやら男は彼女の父親らしい。
「まったくこんなところで……外で母さんが待ちくたびれてるぞ。飛行機の時間だってあるんだからそろそろ行かないと」
そう嘆息すると男は葵に軽く会釈して、少女の手を引く。
しばらく名残惜しそうにしていたが少女だったが、やがて男に引きずられるようにしてその場を去っていった。
二人の姿が見えなくなった後で、葵は踵を返してこちらを振り向く。そこで彼女の双眸が結衣の姿を捉えた。
「アレ、結衣そんなところで何してるの?」
こちらの気など知らずに、にへらと笑う姉。
結衣は口をへの字に曲げながら、そんな彼女のもとにツカツカと近づいて行く。
「お姉ちゃん、さっきの子はだれだったの?」
まるで咎めるような妹の声に葵は目をぱちくりとさせる。
「? 私のファンの子だよ。さっきの試合も応援してくれてたんだって」
「何をしゃべってたの?」
「何ってそこまでたいした話じゃないけど……」
「いいから!」
頬を膨らませる結衣に葵は困ったように笑う。
「あの子が電依戦を始めるって言うから、色々アドバイスをしてたんだよ」
「もう、それだけじゃないでしょ! お姉ちゃんあの子に優勝おめでとうって言われてた! 私が先に言いたかったのに!」
そう結衣は激しく地団駄を踏む。
そんな風に駄々をこねる妹を見ながら、しばらく唖然としていた葵だったが、やがて口元を緩ませる。
そして、我慢できんとばかりに結衣に飛びかかると、彼女を抱きしめた。
「可愛いなぁもう! 嫉妬してるんだ!? そうでしょ? そうでしょ?」
「くるしい! くるしい!」
結衣はなんとか姉の抱擁から脱出すると、抗議の声を上げる。
「もう、ごまかさないで!」
「分かった、ごまかさない」
怒る結衣の肩に手を置くと、葵は腰を低くして妹の顔を真っ直ぐ見据える。
「私は誰よりも結衣に優勝おめでとうって言って欲しかったんだけど……言ってくれる?」
大好きな姉から面と向かってそう言われて、結衣は、頬を朱色に染めて口を開く。
「……優勝おめでとう」
「うん、ありがとう」
葵は瞳を細めると、結衣の頭を優しく撫でる。
妹が怒ったらすかさず姉が宥める。これがこの姉妹のいつもの溝の埋め方だった。
それは十歳近く歳の離れた姉妹だからこその関係性なのか、それとも姉の人格者ぶり故なのか。
「どうせお母さんから勝手に離れてきたんでしょ。ほら、危ないから一緒に戻ろ?」
そう言って葵は結衣の手を取る。先ほどまでの戦いの緊張が残っているのだろうか、その手は少し汗ばんでいた。
葵に手を引かれながら、結衣は人でごった返している廊下を歩く。
まさかこんなところに大会の優勝者がいるとは思わないのか、すれ違う誰もが葵には目もくれない。
そう言えばあの女の子は自分よりも早く葵に会いに来ていたが、よくこの人混みの中で姉を見つけられたものだと、結衣は感心する。
どうやらにわかファンなどではないらしい。
葵に頭を撫でられて嬉しそうにしていた少女の顔を思い出して、結衣はつい姉の手を強く握る。
たしか彼女は電依戦を始めると言っていたらしいが――、
(負けられない……)
名も知らぬ少女に対して密かに敵愾心を募らせ、結衣は小さくつぶやく。
「やっぱり私もはじめようかな、電依戦」