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この良き日に  作者: 燈真
3/4

この良き日の終わりに・前編

 二次会までにはかなり時間があった。どこで待機していようかと、会場を出ながら相談し合う仲間たちを、明希子はぼんやりと眺める。

 そうか。二次会。また新郎新婦のご入場を拍手で迎えて、記念の馴れ初めムービーを見せられて、それから、それから。

 踏み出した足が建物の影を出て日なたを踏む。とたんに顔に浴びかかる日ざしの眩しさに、思わず吐きそうになった。咄嗟に口元に手を当てる。幸い醜態を晒すことはなかったけれど、掌に当たる自分の呼吸が随分と浅いことに、その時初めて気づいた。今自分は何を吐き出そうとしたのだろう。離した掌を見下ろしながら、ぼんやりと思った。もし吐き出していたら、この手は一体何色に染まったのだろうか。

「……明希子?」

 ふと高めの声に呼ばれて顔を上げると、いつの間にか歌織(かおり)が目の前に立っていた。明希子の失恋を、ただ一人知る友が。

「あ、ごめん、待機場所の話だよね」

「それはそうなんだけど」

 やけに険しい顔でこちらを見つめる彼女は、くるりと仲間たちの方へ振り返ると、ごめん、と声を張り上げた。

「何か明希子調子悪いんだって! 少し休ませるから、先に行っててー!」

「わかったー!」

「神原、無理すんなよー!」

 突然の展開について行けない明希子の手を、細くて柔らかな手が掴む。そのまま彼らとは反対方向に歩き始めた彼女に引っ張られるかたちで、明希子も歩き出す。その耳が、低く抑えた声を拾った。

「やっぱり、だめだったんじゃない」


 駅の近くのカラオケ店に連れ込まれ、マイクにも選曲機器にも一切手を触れず、室内を流れるBGMまで消音状態にして、完全に聞き出す姿勢の歌織に、それでも明希子は全てを話すことはできなかった。

「ちょっと疲れて、色々思い出しちゃっただけなんだよ」

 意図して作った苦笑いに、歌織はちっとも乗ってくれない。ため息を一つついて、とりあえず、と指を二つ立てた。

「私からの忠告は二つ。まず、今日はもう二次会出ないで帰りな」

 でも、と咄嗟に反論が口をついた。せっかくの席なのに。参加表明してしまったから、ドタキャンすれば明希子の分が無駄になってしまう。そんな訴えを、歌織は「はぁ?」の一言で切り捨てた。

「ンな運営側の事情より、あんた自分のこと考えなさいよ。その顔で、その精神状態で、もう一回“あれ”に耐えられるのかって言ってんの。悪いけど、私は無理な方に全票投入するわよ」

 言い返せない明希子に構わず、その二ね、といっそう深刻な顔で机越しに身を乗り出した。

「明希子が使っている全てのSNSで、翔平のフォローを切りな」

「……なんで」

 絞り出した明希子の声は掠れていた。歌織が何を言い出したのか、意味がちっともわからない。

「そこまでする必要ある? って思ってる?」

 歌織の細い指がトントンと机を叩く。細めた目に射貫かれて、怯んだ明希子はぐ、と息を詰めた。

「いーい? 今日で終わりじゃないのよ。あの脳天気野郎のことだから、絶対今日の写真をアップする。それだけじゃない。新婚旅行、その先の新婚生活のあれこれ、子どもが生まれたら子どものあれこれ、全っ部逐一報告してくる。ずっとそれを見ることになるんだよ。あんた、それ平気なの?」

 知らず握りしめていた携帯を見下ろす。今は黒いその画面に、言われたとおりの想像を重ねてみる。平気なはずだ。できるはずだ。でも、何度重ねようとしても、途中で解けて霞のように漂ってしまう。

「……でも、切ったら翔平、すぐに気づくし」

「そんなの忙しくて見られなくなったでも何でも適当に言い訳すればいいじゃん」

 わかっている。わかっていても、自分が彼を切ることなんて、明希子にはそれこそ想像もできない。だって、翔平はちっとも悪くない。切る理由が、彼の中にない。明希子の抱える感情を、彼は知らない。これは、明希子の側の問題だから。

 黙りこくってしまった明希子の前で、歌織はソファに背中を預け、天井を仰いで唸った。

「こんなこと言いたくないんだけどさぁ」

 ひくりと肩が揺れた。小さくなってソファに座る明希子は、さきほどから歌織の顔を見られないでいる。

「私は、アイツが明希子を、いざというときの逃げ場要員にしているんじゃないかと思うのよ。アイツにとって、あんたは絶対的な味方だから」

「そんなこと!」

 顔を上げた明希子の咄嗟の勢いは、歌織の真剣な表情の前にみるみる萎んでいく。

「あるでしょ。わかってんでしょ。あんたはずっと、それを誇りに思ってたはず。それがあんたのステータスだったんでしょ」

 翔平がそれを望んでくれているから。明希子を頼りにしてくれているから。ずっと、明希子の味方でい続けてくれるから。

 明希子は、翔平だけは絶対に見限らない。翔平も明希子から距離を置いたりしない。「親友で同志」の絆は、そう簡単には切れたりしない。その地位が、与えられる安堵が、間違いなく明希子の拠り所だった。

 それを今、親友が剥ごうとしている。

「でもさ、そうやってずっと『翔平の味方』でい続けて、「わかってます」みたいな物分かりの良さ見せて、ごまかして神経すり減らして、明希子に何か良いことあんの?」

「うるさい」

「どれだけ良い子にしてても、明希子は翔平のものにはならないんだよ。二度となれないんだよ。そのステータスは、今の明希子にはただの束縛性の強い呪いなんだよ」

「うるさい!」

 ひび割れた悲鳴が、外から入り込んでくる陽気な音楽をかき消した。廊下を歩く客が一瞬足を止め、こちらを(うかが)うような気配を見せながら遠ざかっていく。

 いつか「明希子はもういらない」と捨てられる日が来るのではないかと怯えていた。そうなるくらいなら、翔平にとって都合の良い友人になろうとしていた。まだ存在価値があると、認めていたかった。どれだけ苦痛でも、翔平から見限られない限り、明希子から繋がりを切ることなんて、考えられなかった。

 真綿のように締め上げる首枷の存在も。

 花嫁に怨嗟を抱いた自分自身も。

 認めたくなんて、なかった。


 だって、認めてしまったら。

 私は、ただのイタイ人だ。

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