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この良き日に  作者: 燈真
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後編

 そんな翔平に彼女ができたのは、別々の大学に進学して三年目のことだった。SNSに投稿されたその言葉は、「初めて心底大事にしたいと思う人に出会いました」。告白を断られた時のことを思い出して、明希子は目を細めた。良かったね、と、一抹の胸の痛みと空虚感を味わいながら思う。今度こそ間違いなく、明希子の想いは終わったのだ。その事実がじわじわと己を包んでいく。

 でも、とあえて目をそらした。

 翔平との関係は変わらない。相変わらず私の大事な、親友にして同志。運命の相手が現れたのなら、祝福するのが私の役目だ。

「……山寺にこもりたいなぁ」

 天井を見上げて呟いた声は、思ったよりずっと荒んでいた。


 喧嘩をした、別れた、元鞘に収まった。翔平とその彼女の軌跡を時にSNSで、時に本人から聞いて知り、その都度心にさざ波を立てながら大学を卒業し社会人になった、数年目の部の同窓会。翔平がとうとう、彼女を連れてきた。

 元部員が同窓会に家族や恋人を連れてくること自体は、別に珍しいことではない。ある男子は奥さんに頼まれたと赤ん坊を連れてきて、寄ってたかっての大騒ぎになったし、婚約者を連れてきたマネージャーの彼氏は可哀想に、「彼女をどれだけ好きか見極めてやる」など質問攻めにあい酒の肴にされていた。だから、翔平の彼女も当然、皆の注目の的になった。

「これが高塚の溺愛してる彼女かぁ!」

「また可愛い子捕まえちゃって!」

「こいつ結構面倒くさいところあるだろ? 大丈夫か?」

「はいはい、とりあえず乾杯するからこっちこっち」

 誘導されてきた二人に「はい」とグラスを渡すと、翔平には良い笑顔で、彼女からは小さな声でお礼を言われた。そうだよね、と他人事のように思う。

 周り皆知らない人だもんね。大丈夫大丈夫。皆優しいから。

 ところが、時間が経つにつれて、落ち着かなくなってきたのは明希子の方だった。毎回ではないが、翔平の隣に座るのはたいてい明希子だった。ペアを組んでいたこともあり、気心の知れた仲だということは周知の事実だから、誰もそれを不思議に思うこともない。「そういう間柄」でないことは空気で示しているから、変な勘ぐりもない。安心して食べて飲んで語れる場所だった。ところが、今の明希子は隣どころか、前にも斜めにもいない。斜め三つ離れた席で、数少ない同性の仲良し組と共に料理をつついている。その場所を選んだのは明希子自身だ。「知らない女が隣にいて気安く話していてはダメだろう」と、彼女に配慮した結果だった。けれど、その選択が今、明希子を追い詰めている。

 周囲の、彼女を置いてきぼりにしない会話選び。すかさず隣から入る翔平のフォロー。徐々に浮かぶ彼女の笑顔。二人を中心に、世界が構築しなおされていく感覚を、なんだかとても遠くから眺めている気分に陥る。

 だめだ。とうとう明希子は箸を置いた。

「明希子?」

 気づいた仲間の前でわざとらしく携帯を出し、何かを確認している素振りを見せてから、ごめん、とその手を振って見せた。

「もしかしたらと思っていたけど、やっぱり職場から呼び出しの連絡入ってた」

「え、大丈夫?」

「うん、今進めている仕事で打ち合わせするだけだから。ごめんね」

 幹事の子にお金を渡し、帰り支度を始める。その背中に、あれ、と声がかかったのはその時だった。

「明希子、帰るのか?」

 明らかに残念そうな声が、明希子を無性に苛立たせる。一瞬手を止めて、それでも「そうなの」と良いながら荷物を持って立ち上がる。

「仕事で。ごめん」

「今から? お疲れ」

「ありがと。またそのうちご飯でも」

「おう、またな」

 後ろを通りながら手を振ると、背中越しに彼女が小さく頭を下げた。笑い返したつもりだが、上手く笑えていた自信はない。

 店を出て、会社とは反対方面の電車に乗った。窓に映る自分の顔があまりに憮然としていて、同窓会中どんな顔をしていたのかが気になったけれど、どうであれ後の祭りである。

 逃げてしまった。敗北感に包まれたため息をつく。

 見ていられなかった。耐えられなかった。同じ空間にいられなかった。

 そこは、私の場所なのに。

 そこが、私の居場所だったのに。

 もしもこんな顔をずっとしていたのだとしたら。

 もう、あの場所にはいられない。


 春の辞令に先駆けた面談で、東北への異動の話を切り出したのは、明希子からだった。もしも異動を選べるのならば、勉強も兼ねて是非行きたい。そう建前を語った。正式に辞令が下ったとき、家族の次に翔平にメールで告げた。「親友で同志」だから当たり前のことだ。

「そんな遠くに、なんで」

 心配そうな声でわざわざ電話を寄こした彼には、家族に語ったことと同じ、嘘を語る。

「前から上司から打診を受けてたの。成長する良い機会だから、行くことにした」

 気をつけて。何かあったらいつでも連絡を。心の底から言っているのだろうと思う言葉の数々を、もう素直には喜べなくなっていた。

 その優しさは、今の私には毒だ。

「大丈夫だよ、SNSにも顔を出すし。ありがと」

 まだかなり寒い東北の大地を踏んだとき、その澄んだ空気に涙が出た。寒さからではない心の震えを、明希子はずっと覚えている。


「新郎新婦のご入場です!」

 スポットライトの当たる扉が開くと、愛らしい花嫁衣装を纏った彼女と腕を組み、翔平が照れくさそうに笑っていた。拍手の波の中、テーブルの合間を寄り添ってゆっくりと歩く。高校の頃からちっとも変わらないその笑顔に、何度救われたかわからない。波の一つになりながら、明希子の顔にも笑みが浮かぶ。

 良かった。彼が幸せになって、良かった。

 だから二人が明希子たちのテーブルのそばを通ったとき、翔平と目が合った瞬間、明希子は心から祝いの言葉を伝えられた。彼の幸せを、心から祝福できた。祝辞も乾杯も終わり、やがて二人の馴れ初めを語る動画が流れても、温かに見守ることができた。ケーキバイトだって笑いながら写真に納めたし、皆で新郎新婦と一緒に写真を撮った時も、当時の雰囲気のまま写れたはずだ。

「わざわざ遠くから来てくれて、ありがとな」

 こっそりと申し訳なさ半分に告げてくる彼に、胸を張って応えた。

「大事な同志の晴れの日だもん。当たり前だよ」

 新郎なんだから、笑って笑って。そう言うと、彼はもう一度「ありがとう」と、優しく明希子の肩を叩いた。

 もう大丈夫だ。その時はそう思った。確信すらもっていた。

 新郎側の出し物は、高校時代の部活動の仲間たちによるダンスだった。遠方にいた明希子ほか、多忙な数名は参加できなかったが、皆この日のために流行(はやり)の皆で踊れる系を覚えてきた。初めは割り当てられたスペースで、素人にしてはなかなかクオリティの高いものを見せていたが、間奏の間に新郎新婦のそばに移動し、二人を囲むように踊り出す。翔平の肩を抱き、花嫁とも顔を合わせて。少し困惑しているような花嫁に翔平が顔を寄せて何かを囁く。頷いたその表情につられて、花嫁も笑顔になり、二人も座ったまま一緒に踊り出した。時折目を見合わせながら、幸せそうに。他の参列者たちも良い表情でそれに合わせ、まるで会場が一体となったような雰囲気に包まれる。その中心にいるのは、かつての仲間たちと、彼らに受け入れられた花嫁だ。テーブルについたままの明希子は、そこに含まれていない。

 その瞬間、これまでずっと目を背けていた感情が怒濤のように明希子を襲い、奥深くに隠していた牙を暴き立てた。


返せ。


 それは、大切な人が選んだ花嫁に向けた、怨嗟のこもったどす黒い悲鳴だった。


 返せ。


 笑顔を貼り付けた明希子の顔、その目から一筋涙が零れる。

 あの時逃げたせいだとわかっている。物分かりの良い振りをして上手く立ち回ったはずの、その結果がこれだ。それでも、思わずにはいられない。


 そこは、私の場所だった。

 私の大事な仲間たち。私の大事な人。

 あっという間に奪われた。

 幻だったかのように消し去られた。

 幸せという大義名分のもと、綺麗に上から塗り替えられた。


 返せ。

 そこは、私の居場所だ。

 返せ。

 返せ。

 返せ。


「……アッキー?」

 残留組の一人が振り返って目を見開く。

「……笑いすぎて、涙出てきちゃった」

 わざとらしくハンカチで目元を拭く手の影、懸命に弓なりにしていた口元を真逆の方向へ大きく震わせ、明希子はこの良き日には似つかわしくない、濁った息を吐き出した。

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