思うとおりにはいかない
あの日、結局大泣きしてしまった私は王子と遊ぶことなく王城を下がった。夜になって帰ってきた父親は、自分は付き添うことさえしなかった癖に何だか文句を言っていたが、こんな幼児にそれを言ってどうするのだと無視した。
それにしても前世の記憶持ちだから流せるが、本当の幼児だったらこんな風に理不尽に怒られ続ければ立派な悪役令嬢に育ちあがるなと深く納得する。
父親は不満があったようだが、あの初対面は悪くなかった。そのせいで王太子が苦手というスタンスでいこう。あわよくば婚約を回避できるし、政治的思惑だかなんだかでできなくても距離のある婚約者でいられれば、後々登場してくるヒロインに嫌がらせしたり、したと思われる可能性も低くなる。良かった良かった。
そう思っていたときもありました。ほんの数日だけ。
王宮に連れて行かれてから数日後、マナー教師が来る前に朝からルートのところへ行こうと思っているとフリッツが来た。何だか嫌な予感がすると首を傾げていると、
「シルフィア様。今日はお客様がお越しになります」
とまたもや穏やかにかつきっぱりと告げられ、またもや怒涛の身支度が始まった。幼い身にこの前とは違うドレスを着せられ髪を結われ、またもや何だか気合たっぷりの恰好にされた。
ものすごーく嫌な予感がするんですけど。幼いなりに精いっぱい難しい顔をしてみたが、当然フリッツは気にするそぶりもなく、私を抱き上げて庭に出た。王宮ほどの規模ではないものの、美しく整えられた庭には、王妃と王子に会ったあの庭のようにテーブルとイスがセッティングされている。
「ここで少しお待ちください」
フリッツが立ち去ると、アンナがやってきて私のそばに控えてくれる。・・・この流れはあれかな、お忍びでやってくるのかな、あのお2人が。
そわそわしながら待っていると、案の定フリッツに案内されて、あのお2人がやってくる。今度は前方からさあ今こそ挨拶をというフリッツのプレッシャーを感じ、椅子からおりて2人を迎え、カーテシーをしながら歓迎のあいさつをする。・・・昨日お客様を迎えるご挨拶を練習しましょうとか先生が言ってたのはこれか。
「ようこそいらっちゃいました」
あ、また噛んだ。
「立派なご挨拶をありがとう、シルフィア」
王妃は、私の挨拶にやっぱりふふっと優しく笑って答えてくれた。
「さあ、ラウレンス。言うことがあるでしょう」
今日も私の目の前にラウレンス殿下をおろすと、王妃は促した。・・・今日は大丈夫なのか?警戒しながらラウレンス殿下を観察していると、
「こないだはごめんなしゃい」
ラウレンス殿下は涙目で謝ってくれる。・・・なんて愛らしい・・・!美幼児の破壊力すさまじいな。同じ幼児が思うことじゃないが仕方ない、残念ながら中身は幼児じゃないのだ。
「いいでしゅ」
・・・体は幼児だからちゃんと話せないがな・・・!
「まあ、何て優しい可愛い子だこと」
王妃は、そう褒めてくれてかがむと私を抱きしめてくれた。与えられたぬくもりにふと気がつく。シルフィアは母親に抱きしめられた記憶がない。それは寂しいことだと。中身は大人とはいえ、その寂しさは心の中にあるのだなと気がつかされた。
ちゃんと謝れたと誇らしげに見上げる息子も抱きしめた王妃は優しい母親なのだろう。こんな優しい母がいるのに、そういえばラウレンス殿下は王と臣下でしかないような父との乾いた関係の中で、1人次代の王となるプレッシャーと闘いながら育ち、その心の隙を埋めるようなヒロインの明るさ、温かさに惹かれていくのだ。・・・母がいるのに?
違う、ゲームの中で王妃はいなかった。そうだ、王妃は・・・!
「ラウレンス、シルフィアにお願いしたいことがあるのでしょう?」
思い出した事実に動揺している間に、王妃はラウレンス殿下にまた促した。
「はい!しるふぃあ、またあそびにきてくれる?」
え、また遊びに?ゲームの記憶が告げる、未来の王妃の危機の前に今目の前に私の危機が迫る。そんなまた遊びに行ったら私の計画が台無しじゃないか。
「え、でも・・・」
「だめ?」
美幼児がまた涙目になって、必死な表情で覗き込んでくる。・・・負けた・・・ああ、負けたよ・・・。幼児の必死のお願いを断ることなどできようか。このお願いをむげにできる人間は人でなしだよ・・・!敗北感と共に私は、
「・・・だめじゃない」
ラウレンス殿下のお願いに頷いたのだった。
「やった!」
ラウレンス殿下は、私の答えにぱぁっと嬉しそうな笑顔になる。その笑顔を見たら、まあいいかなと不覚にも思ってしまった。
更なる敗北感の中で、ヒロイン登場まではまだ時間があるからそれまでに距離を取ればいいのだと私は必死に自分に言い聞かせていた。