そしてゲームの舞台が整った
あの日、うっかりとラウレンス様の婚約者になって、離宮から帰った私は、お兄様に泣きついた。すると、お兄様は穏やかに笑って、そうなると思ってたよと言った。そうか、当然王家から我が家に根回し済みか・・・!と理解した私は、お兄様に言ってくれればよかったのにと抗議したけど、お兄様はいずれにせよ王家からの申し出を断れないよとごもっともなことをおっしゃった。
自分のうかつさにがっつりと落ち込んでいる私を見て、お兄様は慰めてくれた。
「シルフィアは、これまでも運命を変えてきただろう。だから大丈夫だ。私も力になる」
「お兄様・・・」
お兄様のその言葉を胸に、私はラウレンス様の婚約者として共に歩むことにした。これから先の運命も自分で変えてみせると思った。これまでもいくつかの運命を乗り越えてきたし、ゲームの中とは違って、今の私達は家族だ。もう私は1人じゃないから。
そう決心したのだけど。今、私の胸に不安がきざしている。私は、ゲームのとおりラウレンス殿下達と共に王立学院に入学し、2年遅れてルートも入学してきた。そして、いよいよゲームの舞台が整った。母の死をきっかけに男爵家に引き取られたヒロイン、ミア・カルスが学院に編入してきたのだ。ゲームとは違い、私はラウレンス様達と時間を共にして信頼関係を築いてきた、と思う。それでも、私はどうしても不安だった。
転入初日にヒロインが学院で迷子になると、たまたま行きあったラウレンス王子が優しく案内してくれる。それがゲームの中でのヒロインとメイン攻略者ラウレンス王子との出会いだ。前世での私は、ご都合主義かよと画面の向こうに突っ込みつつゲームを始めたものだが、今、私は弟に突っ込まれている。
「姉上、この態勢はどうなの?」
「しっ」
運命を自分で変えてみせる・・・!と誓ってはみたものの、不安にかられた私は、ゲーム開始となるか見届けるためにヒロインと王子が出会う中庭を見下ろす2階の窓に先回りしていた。学院入学前にお兄様と相談の上で私の記憶について打ち明けた弟がなぜかついてきている。
ルートに黙るように指示したとき、それは起こった。きょろきょろとまわりをみながら、ミアが私達の視界に入ってくる。ミアは中庭でしばらくぼんやりと立っていた。そこへ、ラウレンス様が通りがかる。
ああ、これはあのゲームの始まりの出会いのシーン・・・!私は瞬きもできずに2人を見守る。
「姉上?」
固まる私の肩にそっとルートが触れた。
「ああ、大丈夫よ、行きましょう」
これ以上見ていられなくて、私はその場を離れた。一緒に歩き出したルートが、
「あれがヒロイン?姉上のほうがきれいだ」
ことさら明るい口調で言ってくれた。いい弟だ。と私が褒めようと思ったとき、
「それにアナベルのほうがきれいだし」
ルートは小さな声で付け加えた。そこで、婚約者の名前が出てくるあたり、アナベルとの関係はうまくいっているのだろう。うんうん、いいことだ。
ゲームと違ってバルケネンデ家はお兄様が継ぐことになっている。ルートは、おじい様の代に家同士のおつきあいのあったバッカウゼン伯爵家の長女で幼馴染のアナベル・バッカウゼンとの婚約が決まっていて、一人娘のアナベルとの婚姻によりバッカウゼン伯爵家を継ぐ予定になっている。
政略的な側面のある婚約であるが、仲のいい弟とアナベルの様子を思い浮かべると私の心もほっとする。そう、ここにもゲームとは違う温かい関係が築かれている。だから、何もかもがゲーム通りになるはずはないのだ。
そう自分にこそ言い聞かせながらも、ゲームの開始のシーンを目の当たりにして、どこかで私は不安を抑えることができないでいた。それでもその後に会ったとき、ラウレンス様はいつも通り私に笑顔を向けてくれたし、ゲームの中での王子と悪役令嬢との関係とは全く違う私達の関係がいきなり変わってしまうことはなかった。
だけど、ちょっとずつそれは起こった。ラウレンス様が、マナーの授業のときにミアと楽しげに踊る、とか。・・・慣れないミアの相手をラウレンス様が買って出て、買って出たからには気持ちよくミアを踊らせてあげているんだとわかってはいるけど。その光景はあまりにゲームでみたシーンそのままだった。今のところラウレンス様の私への態度が大きく変わることはないけれど、ゲームのスチルでみたような光景に私の中で少しずつ不安が募っていく。
可愛がって一緒に育ったルートは、ちょっとシスコン気味かと思うほど私と仲がいいし、学院に入る前にお兄様に言われて私の前世の記憶について打ち明けたためか、特にヒロインに惹かれる様子はない。婚約者とも相変わらず仲がいいみたいだ。
でも、前世ネット小説で読んだゲームの強制力か、ヒロインの魅力か。コルネリスとエルベルトは違った。最近ヒロインのそばにいるのをよく見かける。まだ婚約者のいないエルベルトはともかく、コルネリスにはフロリーナがいる。ゲームの中とは違って、コルネリスの父は失脚せず、彼はこの国で育っていて、フロリーナも婚約者のままだ。
大丈夫なのかとフロリーナに探りをいれてみたところ、フロリーナは驚くほど気にしていなかった。私と共にコルネリス達3人と幼馴染として育ったフロリーナは、そのせいもあるのかゲームの中のフロリーナと違ってはっきりとものを言うようになった。私達といると、自分の身を守る為にそうせざるを得なくなったと言っていたけど、悪いことではないだろう。性格が違うせいか、コルネリスとの関係も変わったせいか、フロリーナはヒロインに対して嫌がらせをするような様子はなかった。コルネリスもゲームの中で攻略したときにみたほどはヒロインに傾倒していない気もする。
それにはひとまず安心したけど、ヒロインはやはり不安要素だった。前世の記憶を思い出したときから、そもそも私は彼女の存在に不安をもっていたけど、実際に現れたヒロインに私の不安はいや増した。コルネリスがエトホーフトというファミリーネームを名乗ると、彼女は首をかしげたのだ。しかも、コルネリスに隣国からの留学生前提で会話を振って怪訝な顔をされていたし、フロリーナがコルネリスの婚約者と知ると解消されていないのかと驚いていた。さらにバルケネンデ家を継ぐのはルートだという前提で話しかけて兄上も大好きなルートにむっとされていた。・・・どう考えても彼女はゲームの知識を持っている。彼女も転生者ということ?
だとすると、私やフロリーナが何もしないだけでは足りないのかもしれない。前世で面白がって読んでいたいくつものネット小説が浮かぶ。私達に冤罪がかけられたらどうしよう。
これまでの時間とラウレンス様を信じたい気持ちと、実際にヒロインを目の当たりにして募る不安の間で揺れ動いていたとき、私は見てしまった。・・・あれはヒロインが猫を木の上から助けるところに王子が通りかかるシーン。貴族の令嬢にあるまじき、ではあるけど、猫のためという優しい心からのお転婆が新鮮で、一気に王子の心が傾いていくシーン。ゲームを再現するかのような情景の中にいる、目の前のラウレンス様のミアを見つめる視線がすごく優しくて。その表情がごくプライベートなときにしか見せない開けっぴろげな笑顔で。
・・・もう耐えられない、と思った。思ってしまった。ずっとラウレンス様を好きになることを避けてきた。前世の記憶があるから彼が子供に感じるとか自分に言い訳をして。でも今の私は確かにラウレンス様と同じ年の子で。好きになってしまってたんだ、ラウレンス様のことが。
そう気がついてしまえば、今までずっと回避しようとしてきたことが現実になってしまうことが、これまで以上にどうしようもなく怖くなって。
猫を抱いたヒロインと立ち去るラウレンスを見送った私は逃げ出すことを決めた。




