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8話 献上 一姫

 勉強を教えつつ、自分の成績も維持しなければならない。これはそんなに難しいことではないように思える。何故なら教える範囲も、自分が勉強する範囲も、そのどちらもが結局テストに出る範囲だからだ。


 教えて初めて気づくこともあるし、逆に教えられることだってある。俺と亜神楽はそうやって共に勉強してきた。だから、今さらその人数が増えたところであまり変わりはないように思えるのだ。


 ただ一つだけ言えば、甘ヶ崎に勉強を教える際は、応援団部に受け継がれているノートを使えない……というだけ。あのノートは、その実態を知られなければ知られない程に価値を有する。故に、応援団部ではない甘ヶ崎にも、やはりノートの中身は見せられない。


 そんなことに思考を費やしていると、あっという間に家に着いた。学校と家との距離は自転車で二十分ほど。この近さこそ、俺が高校を選ぶ際に最も重要視した点だ。偏差値はわりと高めの進学校だが、通勤距離と、公立であるために費用が少なくて済むというメリットは、俺が目指すに値する学校ではあった。


 愛用の自転車を停め、家の玄関を持っている鍵で開ける。「ただいまぁ」なんて、無意識に呟いて靴を脱いでいると、バタバタと二階から掛け降りてくる足音が聞こえた。その足音はだんだんと玄関まで向かってきて、後先考えない勢いは俺の視界三メートル先でようやく急ブレーキをかける。


「おっ、とっ、とっ、とっ、トニィちゃん!!」


「誰だよトニィちゃんって……」


 家族から名前を間違えられたことに思わずため息が出た。だが、目の前にいる奴はそんなこと気にもしない態度で、必死の形相を俺へと向ける。


 我が妹、献上一姫(いつき)だ。


「大変大変! 今度、声優さんのイベントが発表された! しかも、そこで発表される情報っていうのが未公開なのっ! これは是が非でも行かなくては!」


「待て。……お前、何言ってんの?」


 帰って早々に告げられた脈絡もない話についていけず、妹の興奮だけが先走っていた。それを頭の中で噛み砕いてみて、声優だとか未公開情報だとか、そもそも何の話についてなのかとかを考察して見た挙げ句、ふと、イベントというワードが気になる。


「イベントって……もしかして、そういうのに行きたいってことか?」

「そう!」

「ダメだ」

「がーんっっ!」


 分かりやすくショックを受ける一姫。今さら気づいたが、その両手には可愛い二次元の女の子たちが載っている雑誌が握られていた。どうやら、そこから得た情報に興奮してしまったらしい。


「休みの日は勉強かバイトで忙しいんだ」

「でも! でもでもっ!」

「でもじゃない」

「ううっ……」


 一姫は項垂れ、とぼとぼと俺に背を向けて自室へと戻っていく。それでも諦めきれないのか、チラチラと俺を見てきた。だが、俺の意志は変わらない。結局、一姫は長い長い時間をかけて部屋へと戻ったのだ。


 そして、またため息を吐いた。


「行ってやりたいのは山々なんだが、な」


 まだ靴さえも脱ぎかけのことに気づき、ようやく家へと上がる。親は共働きで家には俺と一姫の二人しかいない。


 一姫は現在中学二年生。思春期真っ盛りの年頃だが、彼女が夢中になっているのは現実世界の人や物ではなく、二次元世界のあり得ない妄想や人物である。部屋の中に入れてもらえたことはないが、チラッと室内を見た際、デスクの上にあるパソコンともう一つの大きなモニター。本棚に埋まるマンガの数々、そして怖いほど部屋中に飾られたネンドロイドやフィギュアたちと、壁には可愛い二次元女の子がメス豚のごとく照れながらベッドで裸体を晒しているタペストリーなんかがあり、ベッドに投げられた抱き枕にさえ、痛々しい女の子が印刷されていた。


 もはやカオスなその部屋に、顔がひきつったのは言うまでもない。


 それらは『好成績を維持する』という親との約束で買ってもらえた物や、俺が一姫に渡している(・・・・・)バイト代で成り立っている部屋。


 そんな一姫には……実際に聞いたことはないが、そういった趣味を共有できる友達が居らず、イベントなんかがあった際は必ず俺に話を持ちかけてきた。


 というのも、母さんに「そういったことは独りで行ってはダメ」ときつく言われているためだ。


 だが、そういったことに俺が承諾したことはない。もちろん、そんなイベントに行っても俺が楽しめないというのもあるが、一番不安なことは、知らない人たちが大勢いるところに一姫を連れていくということにあった。


 家のなかではそうでもないが、一姫は極度の人見知りだ。それはもう……家族である俺や両親さえもがどうして良いのか分からない程に。昔はそうじゃなかったのだ。だが、とある事をキッカケに、一姫は性格を百八十度変えてしまった。


 だから、その罪滅ぼし(・・・・)として、俺は一姫にお金を渡し、両親は一姫を甘やかす。


 そして、同じような過ちを犯さない為に、献上家は一姫という女の子を慎重に見守っている。


 だから、ダメなものはダメだった。


「友達でも居れば……違うんだがなぁ」


 洩れる呟き。一姫は、学校でそういったことを隠しているのだろう。何故なら、家族である俺たちでさえ一姫の趣味には付いていけていないのだ。彼女自身も分かっているに違いない。……それは、他人と共有するにはあまりにズレているのだ、と。


 可哀想だとは思うが、俺たちを家族が一姫に譲渡できる精一杯は既に行っている。彼女が、狭い部屋でも満足できる環境を整えてしまっている。


 引きこもりではない。きっと……俺も両親さえもが、彼女を家から出したくないのだ。


 このままではいけないのだろうと分かっていながら、そうやって育てることは、さらに一姫を社会から隔離していくような気さえした。


 だが……どうしようもなかった。


 俺は時計をチラリと見てから、勉強するために部屋へと向かった。バイトは平日入れていない。休日のみだけである。それだと毎月貰える給料は少なくはあるものの、長期休みの時はその殆どをバイトに費やしている為にバランスは取れていた。そして、その全てを一姫の趣味につぎ込んでいた。


 そうやって、俺は妹とのコミュニケーションを取っていた。趣味では分かち合えない、同じ話は出来ない、だから……代わりとして、それに没頭出来る時間とお金を用意してやり、なんとか関係を保つ。


 そんなことが関係と呼べるのかどうかも怪しい。それでも、一姫が俺や家族を許して話しかけてくれることに安心してしまう。


 その安心を保つ為に、やはり彼女を甘やかしてしまう。


 それが間違っていると心の奥底で自覚していても、俺たちは……それを止められないでいた。



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