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うぇいうぇい
教室に戻る頃には、入学式の時間が迫っていた。
視線の網を縫い潜り、目的の人物の下に。
「深瀬さん、発見だ」
「え、あっ! えっ!」
凄まじい勢いで振り向いた彼女は、とても顔が真っ赤だった。
つぶらな瞳は、おれを見とめると、忙しなく動いた。小動物のような挙動だ。
「あなたには黙秘権がある」
「えっ、どうしてミランダ警告……?」
「窃盗の罪だ、お縄につきな」
「そ、そんなまだ未遂だよっ!」
未遂? と軽く首を傾げた。
カマをかけたが、とんだ悪党が見つかったようだ。
なんとしても、乙野先輩に生徒手帳を届けなくては。
おれは使命感にあふれていた。深瀬さんは汗にあふれていた。
「なんて、冗談だ。ごめんな騒がせて。さっき生徒手帳もってたでしょ、拾ったの?」
「ううううん、とんでもないよ、落ちてたから」
「知り合いに生徒手帳なくして困ってるひとがいたんだ。おれが届けておくよ」
「あ、そうなの……でも、私、生徒手帳ならさっき先生に渡しちゃった」
「なんだ、なら大丈夫だ。深瀬さんナイス平和的解決」
親指を立ててにっこりと笑う。
胸を撫でおろし、深瀬さんも肩の力を抜いた。
会話が止まり、微かな思考が挟まれる。
入学式まで時間が残ってるし、このまま雑談を膨らませようかな。
なんて、壁時計に目をやっていると、明るい茶髪が視界に引っかかった。頬を膨らませた向日さんが、仲間になりたそうにこちらを眺めている。スルー安定。
「深瀬さんって、日向さんと知り合いなの?」
「うん、小学校からの付き合い」
「へー、いいな。おれ入学といっしょに引っ越したからFriend/Zero」
「……そうなんだ~」
「うん、初ひとり暮らしなんだ」
ガタッ! と周囲のクラスメイトが物音を立てた。
び、びっくりした。突然なんなんだ。
視線をきょろきょろと周囲に巡らせるが、誰もしゃべらない。
「いま、ひとり……?」
「そうだけど」
「…………私が護衛しなきゃ」
「え、護衛?」
「ううん、なんでもない」
一転、彼女の声音は底冷えするほどに淡泊だった。
聞き間違いかな。
顔を見つめ返すが、曖昧な微笑みで誤魔化された。
◆
さて、入学式だ。
真新しい制服でぴっちり武装し、体育館で校長先生のありがてえ話を傾聴中。ちゃんと聞いてるよ、五臓六腑に染み入るわホント。正直半分解脱してた。
『次は生徒会執行部です』
いよっ、待ってました!
教師陣の話は退屈だった。
壇上に上がるのは、紫がかった黒髪を腰にまで伸ばした、艶やかな女性。
『はじめまして、新入生のみなさん。生徒会長の深瀬文生です』
聞き覚えのある苗字が耳朶に触れた。
まさか、と注視する。
漆の瞳は鋭く、されど慈悲深い。
高貴で、気高くも愛嬌のある表情。制服から伸びる四肢は、たまらない黄金比。彼女が纏えば、制服さえドレスに見える。
そして──深瀬やよいに似通った顔立ちだった。
『学友として、共に研鑽してまいりましょう』
いつの間にか、話が終わっていた。放心するほどの衝撃だった。
凛と話を結び、彼女は壇上を立ち去る。
や、やべ~! とんでもない姉がいるんだな、深瀬さん。
まあウチの妹のがやべーけど。
そうしてクラスに戻り、全員の自己紹介が終わった。無難に名前や趣味、そういう社交辞令を爽やかに言った。
にしても、女子の割合多いな、心なしか教室がフレグランスな香りに包まれている。むさ苦しいよりは断然マシだけど、なんだか居心地が悪い。肩身が狭いと申しますか。
生徒手帳を受け取ったり、今後の学業における取り組みの説明を聞いたり、あっという間に終業。親御さんが待っているから、手短なものだった。
「白羽くん、このあと時間あるかな?」
「ごめん、家族と過ごすよ」
クラスメイトの誘いを心苦しそうに断り、荷物をまとめて教室を出た。
おれは妹が待っているのだ。母は知らん。
祝福ムードの校庭で、まゆりの姿を探す。
「あ、いたいた! あっくん!」
上品なワンピース姿でスーツアップした母が、手を振って待っていた。
傍には、唇を尖らせてバツが悪そうに立つまゆり。
ショートボブを巻き、丁寧に化粧をしている。
こないだまでランドセル背負ってたのに、なんだか成長が早いなぁ。
いまは中学の制服だ。
「まゆり、来てくれたんだな」
「……ん、そりゃまあ」
思春期マックスな瞳が愛くるしい。
おれは頬が緩みっぱなしだ。
「無事迷子にならずに来れた? 入学式は退屈じゃなかった? ウチ寄ってくか? おれ飯作るよ、それともみんなで食べに行く?」
「もー! やめてよ、恥ずかしい!」
ぐいぐいと肩を押し返された。
「ふふ、あっくんの制服姿、パパの若い頃を思い出すわね~」
「それ中学の頃も言ってたね、思い出しがち」
「……似合ってるよ」
ぼそ、とまゆりが致命的な一言で胸を抉った。
クリティカルヒット。昇天しそうな歓び。
朱色の頬を隠し、まゆりは押し黙った。
「ありがとう、まゆり。おれもまゆりの制服似合ってると思う」
「ばか、それ二年前にも聞いた。……ありがと」
「うわーかわいい!」
「やめて、くっつかないで!」
人目もあるし、恥ずかしいのだろう。
これ以上はやめとこ、と理性がささやく。
母さんと向き直る。
「写真撮りましょ、写真! まずは単品で!」
「単品て、言い方を選びなさいよ」
文句を垂れながら、満開の桜を背負ってポージング。
何故か女子が周囲でスマホを構えてた。見世物じゃないぞ!
「うわー! 素敵、桜景色にあっくん! 映えるわね~!」
カシャカシャと写真撮られた。いつ一眼レフ買ったんだよ、あんた。
「せっかくだし、三人で撮ろうよ」
「そうね、どなたかに撮ってもらおうかしら」
見渡し、頼めるひとを探すと、
「わ、私に任せて!」
背後にいつの間にか深瀬さんがいた。
小さく握った拳で、やる気を露わにしている。
「……あら、どなた?」
「誰、あんた」
と、ふたりは険悪なムード。
母さんは隠しているが、まゆりは悪意を滲ませている。
深瀬さんを春先に現れる変なやつかと勘違いしているのかな。当たりだけど違う、彼女はクラスメイトなんだよ。
「はじめまして、深瀬やよいと申します」
「名前は聞いてなくてよ?」
「聞いてたろ、みっともないからやめてよ」
「だって、あっくんに色目を……」
「んなわけねーでしょうが。撮ってくれるんだってんだから、素直に厚意を受け取ろうよ」
警戒するふたりをなだめ、並び立った。
「それでは撮りますね、はい、チーズ!」