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卑猥な世界が現れた!  作者: 田中卵
序 花鳥風月
1/4

 成長すれば、見えるものも増えるとばかり思っていた。

 まだ微睡みにある意識で、ぼんやりと考えていた。

 通学路である桜並木の道。

 白い光を受けて揺らめく桜の色彩。起き始めたばかりの空色。

 まだ真新しい光景(つうがくろ)も、毎日の通学で色褪せていくのかと思うと、少し寂しい想いになる。

 確かに、見えるものは増えた。けれど、目に見えたモノに対しての感動だとか、衝撃だとか、そういうのが錆びついていってる感じがする。

 このままではつまらない人間になるのかも。

 何となく、焦燥が胸にあった。

 人生をもっと謳歌しなきゃ。恋愛や部活、何か目標に向けて突き進むべき。

 そんな青い感情。


「……でも、な」


 思わず零れた言葉を慌てて塞ぐ。

 つまらないものはつまらないんだ。

 こんな涙が出そうになるくらい下らない戯言。耳を傾ける必要はない。


「……うん」


 要するに、どう感じるか。

 ──クオリア、という言葉がある。

 人間が、現実世界に対する内観。人それぞれの物の感じ方を哲学的に分析した概念。

 自分が思うことで、世界は簡単に色を変えてしまえるのだ。


 正直な話、おれは変化を求めていた。

 進学だとか一人暮らしだとか。

 そういう、統計的というか普遍的みたいな変化じゃなくって、おれの世界を根本から壊してしまえる、心躍る変化を。


「あの、あなたも〝熊丑〟?」

 

 突然、背後から掛けられた声が、おれの意識を現実に引き戻した。

 肩越しに振り返る。

 つぶらな瞳。真面目に編んだ三つ編みの黒髪。こっちが心配になってしまうほどの危うい小さい体。オドオドと、彼女はおれを見上げていた。


「……そうだよ、おれも〝熊丑〟の入学生」

「ほんと? 嬉しい」

「ひょっとしなくても、君も今年からだったり?」

「そ、そうなの」

「そっか、よろしくね。おれは白羽秋生(しらはあきお)


 ゆるりと左手を差し出した。

 友好の証、握手だ。

 ……けれど、彼女は身体ごと固めて、おれの手を見つめるばかり。

 突き刺さった視線に居心地の悪さを覚えて、首をひねった。


「ええと……?」

「あ! ご、ごめんなさい! わ、私は深瀬やよい!!」


 猛烈な勢いで頭を下げたかと思えば、深瀬さん? はおれの手を力強く握り返してきた。

 これから試合でもしようかってくらいの気合の張り様だ。


「……ッ!」


 華奢な女の子が持ち合わせているとは思えない剛力。

 意地で声こそ上げなかったけど、呻き声が漏れた。

 途端、深瀬さんは身を離し、キツツキもかくやという動きで頭をぶんぶん下げた。 すげえ勢いだな、風圧でスカート捲れないかな。


「ご、ごめんなさいっ!!」

「へーき、へ、へへ……」


 笑顔を浮かべたつもりが、痛みで頬が引きつった。

 握られた左手をぶらぶらと振り、痺れを抜いていく。 


「凄く力強いんだね、深瀬さんって」


 やべ、嫌味になったかな。

 おれの心配は杞憂だった。深瀬さんは目に見えて混乱しており、おれの言葉は正しく伝わっていなさそう。

 顔や手、なぜか股の間から謎の液体が滲んでいる。パントマイムめいた滑稽さを彷彿とさせる動きで、彼女はわちゃわちゃと捲し立てた。


「そ、そっそうでもないんだよ! むしろ平均以下っていうか! あ、こんなこと言ってもしょうがないよね! ごめんね、時間取らせちゃって! それじゃ私走るから────!!」


 それからの動きも早かった。

 地を蹴り、綺麗なフォームで深瀬さんは走り出す。

 風を切り裂き駆け抜け、深瀬さんの後ろ姿はあっという間に消え去ってしまった。

 死ぬしかないなー! と、彼女の可愛らしいが悲痛に満ちた声が通学路に残った。


「一体何だったんだ……??」

 

 一際強い朝風が、辺りの桜に吹雪を散らせる。 

 おれの胸中に正体不明の感情が起きた。

 その意味を探すように、おれは周囲を見渡した。


「これは……」


 視線が止まる。

 通学路の石畳に点々と続く水の跡。

 彼女がまき散らした謎の液体だ。すごいな、足跡代わりになるとか。ヘンゼルとグレーテルかよ。


「なるほど、なるほど……!」


 頷き、顎先に手を当てた。

 いや、本当どういうこと? さっぱりわからない。深瀬さんの錯乱ぶりは、ますます意味不明になった。


「ある意味、衝撃だったかも」

 

 ……ひょっとしたら、おれが求めていた変化が、彼女だったのかもしれない。

 劇的な、恋の予感的なあれ。

 綺麗なエピローグでまとめてしまおうとしたけど、中身(エピソード)が謎過ぎてちっとも締めくくれない。

 

 ──というわけで、真のエピローグ。

 変化はまさしく劇的だった。

 この入学式の朝を契機に、おれの世界は先日までとは全く異なる世界に変わったのだ。

 個人の価値観、社会の仕組み。

 まるごと全部、ひっくり返った。

 男女比や男尊女卑は逆転し、真逆の貞操観念が世界に蔓延している。

 そんな、あべこべな世界のフタを開くのは、少し先。

 

「……柔らかかったのか、あれ」


 今朝はただ、思ってもみなかった女の子との出会いに、柄にもなくドキドキしているだけ。今後は、別の意味──主に恐怖的な意味合いで──ドギドキするようになるのは、まだ知る由もない。

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