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アンドロイドは金ピカ羊の夢を見ていた?

本当は小説のネタで書こうと思っていたのですが、いつ書けるのか見当がつかなくなってきたので書いてみました。


これはメモ書きをアウトプットして他人に読めるようにまとめたものです。軽い推敲で済ませたので重複もあるかもしれません。読み辛さがあるでしょうがご了承ください。

最近は小難しい事件が多いと個人的には思っています。

ニュース自体はシンプルなのですが、物事が起こるのは背景があるからです。その事件の背景まで考えると小難しいことが起こっているようです。背景を知るのは重要で、背景が何なのかが分からなければ類似の事件が再び起こってしまいます。

例えばボクシングの会長の問題。例えば医学部の男女の合格率の問題。例えば悪質タックルの大学の問題。LGBTは生産性がないという発言の問題。様々なニュースが飛び交っています。


これらの社会的な背景は何なのかとふと疑問に思ったわけです。なにか引っかかる。どうやら共通の背景がある気がするようだと感じて考えてみました。

そして結論から言うと、どうやら資本主義が原因ではないかと思ったので筆を執ってみました。具体的には、利益を求めすぎて社会に悪影響を与える存在が出てきた結果だろうと思ったのです。この作品は頭の中を整理するために文章化している訳ですね。


まずは資本主義が分からない人向けに、資本主義とは何だろうかというお話です。

すごく大雑把に言うと、自由にお金を稼ぐことが出来て、自由にお金を使うことができる状態です。稼いだだけお給料が入ることを良い事とするので頑張った人がお金持ちになれます。

貧乏な家庭に育っても大人になってから成功してお金持ちになるというサクセスストーリーが実現できるのは資本主義だからです。

また競争が特徴です。競争によって利益を追求していけば、良いものを必死で考えるので社会全体として見れば経済発展する。つまり社会全体の利益に繋がり、その結果として全員が幸せになるという考え方です。また長時間働けば頑張った量だけお金がもらえるので努力が正当に評価されるシステムとも言えるでしょう。


ボクシングで感じたことなのですが、単に偉くなるためには別の方法もあるはずです。なぜ暴力団とつながりがあったのかと考えると、手を組んだ方が効率が良かったから今の結果になっているのだろうと思うわけです。社会の闇系統のお話ですので細かく言わずともお金が絡む事件ですね。


医者の問題も男女の差を考えるとそうした方が効率が良かった環境だったから。少し調べたのですがどうやらタフネスが必要な仕事らしいので基礎体力が多い男のほうが働きやすい職場のようです。また女性の場合は妊娠などで休むことになったとき、病院としてはカバーしてもらえる補助金とかがほしいのではなくて純粋に人が足りない環境であったため女性が不利であるようですね。女性としては子供を生む気がなくても雇う側からすれば不安に思っているようです。仮に休んだとして資本で考えれば辞めて穴が開く状態というのはライバルに追い抜かれてしまう原因になり、会社にとってお金がないのは人にとっての空気がないに等しいですからできるなら避けたい状況のようでした。


悪質タックルの話も、ブランド維持のために勝つことが利益に繋がってしまう環境だったからでしょうか。


LGBTは生産性がないという発言は、資本に問題がありそうです。

資本の動きが激しくなってしまったグローバル化した世界と戦うためには、資本の基礎となる人間の数も必要。なら同性愛はお金の意味で生産性がないのかもと考えてしまったのかもしれません。特にこれは男性が言うと下ネタに解釈されてヤれる女が少なくなるからだろうとか冷やかされますが、女性が言ったことが大きいと思います。


どうしてこんな世界になったのでしょうか。それを修正しなければ類似の事件が起こってしまいますので、原因を見つけて改善する必要があります。


素人ながらにこんな状態なのかなと思ったことです。

資本主義が行き詰まったからなのではないでしょうか。この意見自体はけっこう湧いていますが、もっと深く見てみましょう。行き詰まった原因は何だろうかという視点で考えてみました。


ゲームが好きなのでゲーム風に解釈したお話になりますが、簡単言うとレベル80で世界を渡されたものだからレベル上げできないじゃねーか、みたいな感じのお話です。成長スピードがナントカと会社では口うるさく言われていますが、よく考えたらそこまで気にすることなのかという訳ですね。


この話をするために少し別のお話に飛びます。

実は一回世界が滅ぶと同じ物で発展することができないらしいです。例えば石油がそうなのかもしれません。去年よりも上回る科学技術で掘るからこそ手に入れられるのですが、世界が滅んで科学技術が振り出しに戻ってしまったなら誰も取れなくなってしまいます。

ドリルで地下数千キロを掘れば良いらしいですが、文化も初期化された人間では取れないでしょう。取れないなら研究ができませんから用途がわからない。だからたくさんとれて研究できる用途が分かるものが研究していき、それを使って発展する流れらしいのです。よって文化が消えたら石油は二度と活用されないらしいのです。


そして本題に戻ります。ドリルの部分をお金に考えてみましょう。

若者は財力が無いので掘ることができなくて、お金を持っている人は財力があるから掘れるという状態。マンガやアニメなら一発逆転のアイディアがご都合主義のタイミングで浮かんだりしますが、リアルだと厳しいのは知っていると思います。

するとボクシングの場合は裏社会と取引してでも良いドリルを手に入れようとしたり、医者の場合は途中で掘る人がいなくなるとライバルに追い抜かれるだけではなくて追い抜かれてしまったら先に良いドリルを手に入れてしまうから自分たちが掘ってもライバルが先に掘ってしまって石油が出ない状態になるかもしれない。ならはじめから雇わないようにしたほうが良いかもしれない。悪質タックルもブランド維持のためで、維持できなければ質の良い生徒が取られ続けてしまい学校そのものが消える可能性があるから。LGBTもお金の投資先と考えると国益が無さそうだと思われたのかもしれません。国益が弱ければ他の国にお金で追い抜かれてしまい、利益という名の石油が出る場所を取られて貧乏になってしまうかもしれません。それどころか追い抜いた国に振り回されるので、想像よりも大きな規模の貧乏になると予測できます。

ついでに付け加えると、若者の貧困もこれの影響も受けているのではないかと思っています。人間を長くやっている老練と、それに比べて人間を短くやっている若者を比べたら、若者のほうが未熟だからミスをする可能性があります。レベル80の世界でなかなかレベルが上がりづらくて今はほぼ接戦なお金の時代なので、無駄なところを削ろうと考えると若者を雇用する余裕が無かったり、雇用してもお金を与える余裕が無いのかもしれません。


資本主義にはメリットが多い生き方ですが、行き詰まっているためメリットが受けることが出来ないようになっている気がします。

お金があれば強いなんて生き方をしたら、総時間という意味でちょっとしか働いて稼いでいない若者の預金が、数十年も働いている老人の預金に勝てない訳です。つまり未来を託すために大切にしなければならない若者が生きていくのが困難な世界観で、そんな人達にさらに子供を生んでほしいと言っても現実問題として無理だろうという訳です。


この状態は、人間として今の生き方には疑問が湧いてきます。

資本主義が間違っていそうな気がすると思ったきっかけが、このように人間としてのあり方とはちょっと違うような気がしたからです。


もともと人間はひ弱な生き物で、生産性は関係ない存在なのです。

パワーがモノを言う弱肉強食では恐竜が最強ですが、ひ弱な人間が生き残りました。自然界は適者生存です。

そして人間の生存戦略としては弱肉強食で身内同士を食い合うのではなくて、たくさん人間がいたらもしかしたら使える遺伝子(才能)のタイミングがあるかもという生存戦略です。その遺伝子を保ち続けてきたのは互助を善しとした社会性です。

ゆえに優秀な遺伝子というのは最強万能という意味ではなくて、メタ的な意味でたまたま勝っている遺伝子というものです。これは対人ゲームをやっている人なら分かるかもしれませんね。たとえば相棒となるモンスターを6匹連れて戦わせるゲームがあったとして、絶対に勝てるモンスターというのは存在しません。だいたいに強いというのはあるのですが、それに対して読み合い(流行りに対してのメタ)で勝つタイプが優勝したりしています。○○に対して耐性がないなら即死するハメ技を使うのもありますね。さらに団体戦ですので相性の良い仲間同士のシナジーもあり、かなり奥深くて何が強いのか分からなくなっています。なので一芸に秀でていれば誰だって採用される可能性があるのです。

これを人間に例えてみましょう。何年か前はスポットライトを浴びているテレビタレントが優秀という扱いでしたが、インターネットが発達してネットを駆使できる人が平然と稼ぐ時代となり、同じくタレント系として楽しませてきた人は今はユーチューバーに追い抜かれることも不自然ではない時代となりました。もっと昔の話でしたら、レコードの時代がCDになり、アイポッドになりました。レコードを上手に作れる職人は不要となり、CDを上手に作れる職人が不要となり、アイポッドを作れる職人が需要を得ています。個人や時代の流れですら読み辛いのに、48人組のアイドルのようにかわいい女の子がたくさんいることによるキラキラした印象を増していくシナジーもあり、本当に何が活躍するのか分からない状態となっています。


それでも弱肉強食と言う人がいるなら、メガネをかけている人を思い浮かべればよいでしょう。視力が悪いのは弱者ですが、メガネがあるおかげで一般と同じように働くことができます。手や腕が無い人がいても、今は操縦できる車椅子が存在するのでデスクワークをする分には問題ありません。むしろ機械化が進んでおり力仕事を必要としなくなったので、あと数十年後は本当に違いは無くなっているかもしれません。

そう言った訳で、人間は生存戦略としてはかなり成功しています。そして未来のこととなると何が役に立つかなんて分かりません。脳障害でADHDを持っている人がいたとして、丁寧に教える環境さえ整えばエジソンやアインシュタインになることだってあるかもしれません。社会が成熟して助けられるのが当たり前の時代になった瞬間、ADHDの遺伝子が世界で一番の遺伝子として開花するかもしれません。

またかなり変則的な例ですが、凶悪な連続殺人犯ですら、戦争中は相手を殺さなければ自分の国もとい血族が皆殺しにされてしまうという状況でしたので才能として扱われます。もちろん先程あげたいわゆる世間体的に評価されない系のこれらはおおげさなたとえですし犯罪者にならない社会性をちゃんと持っている人間である前提です。でも、殺人の才能なんてのがあったとしたらボディーガードになって自分ならどの隙をつくかなんて逆算して考える才能に化けそうですね。

何年後かに第三次世界大戦が起こって核兵器が飛び交う時代となり燃料が不足して荒廃の時代になったとき、楽しんでいる余裕がなければ芸術系の文化は維持できないので才能のあるゴッホはひまわりの絵を描くことができないかもしれません。歌手も声をだすのは声帯などの筋肉ですので、十分に体が整う環境でなければ綺麗な発声法は絶えてしまう文化になるかもしれません。

先程からあげた未来の例について個人的にはADHDが一番可能性があると思っていますが、とにかく本当に何が有効なのか分からないのが世界なのです。だから多くの遺伝子を保護することが人間の生存戦略なのです。

原始的な生き方をしていた昔なら砂漠の中に放り投げられようが極寒の山に捨てられようが生きられる丈夫な体が強者ですが、体の丈夫さは関係なしに頭の使い方で強者になれる時代になれました。喘息のひ弱な体で目が悪くても、薬で抑えてメガネをかければ強者になれる時代です。私達は原始人にならえば弱者だと嘲笑われるでしょう。しかし、弱者を生かしてきたからこそ今の便利な時代になれたのです。ゆえに弱者を活かす生存戦略が人間としての本来の生き方なのでしょう。


資本主義の問題点。

資本主義の一番怖い状態なのが、人間同士で搾取し合う構成を作ってしまうことなのだと思います。

暴力団がニュースになったり、華やかな芸能界の裏がナントカで、カルト宗教がナンダカンダとかあります。ここらへんはニュース越しでしか知らないので、どれくらいの闇なのか分かりません。ただしそれが存在できる環境になってしまった原因はお金を重んじる世界観であり、すなわち資本主義のせいなのだと思うのです。お金があれば悪いことが無かったことにされてしまう時代になってしまった結果がそれらの闇を生まれた背景なのかもしれません。

先程に述べた人間としての根源の話。生存戦略の観点から見るに、人間が他の人間に害を与えるのは人間としては禁忌なことです。それをお金という道具が人間としてのことわりを崩してしまったから資本主義は間違っていると思います。なので人の命がお金よりも軽くなった瞬間から、資本主義は間違っていたのかもしれません。努力を正当に評価することにより人間を活かすシステムとしてのお金なのに、お金が人間を殺しているのはおかしい状況です。

もちろんお金を否定はしません。わたしは労働者の立場なので労働者として考えると、労働した代価でお金がもらえるならお金は努力をしたシンボルであり頑張った人ほど豊かになっていくのは当然なのだと思います。またたくさんの人が思っていることというのが世論であり、世論により国を動かす政治家が辞めるのですから少なくとも世論にはかなり力があるということですよね。この世論とはたくさんの人が思っていることを指し、これによってどうやらお金が神格化されすぎているのが問題なのではないかとわたしは思っているわけなのです。


さらに見逃せない資本主義の問題点は、たまたま才能の芽が出ていない人が困るという点です。例えば環境や時代でたまたま活躍できない人間がいたとしたら、その人は生きていくのに向いていないのではないかと悩んでしまいます。なにせ資本が無ければ話にならない世界なのに、力を発揮できない時代のために絶望しか手に入らないからです。活躍する場がたまたま存在しない人が悩んで死んでしまう状況を作り出していることが問題なのです。実例をあげるとベルギーで24歳の女性が安楽死してニュースになりました。理由は生きるのに向いていないからだそうです。これは他人事ではなくて、日本でも自殺する人は多いので真剣に取り組むべき問題なのだと思います。人間の生き方としては堂々と生存する権利があるはずなのに(もちろん麻薬を売ったりだとか悪いことをしないことが条件ですよ)、活躍できないなら価値が存在しないという世界観を作っている原因が資本主義なのではないかと思うわけなのです。



以上で資本主義には致命的な欠点があることがわかりましたが、どうして増長してしまったのか。増長したのはたくさんの人間がこれは素晴らしいと思って広めていった結果です。どうして素晴らしいと思ってしまったのかという背景も考えなければ同じ過ちを繰り返してしまいます。


結論から言うとこれは複合の問題で、わたしが思っている答えは「資本主義のメリットを味わったから」、「幸せと快楽の履き違えの問題」、だと思います。

資本主義のメリットについて。もう一度復習しますが、資本主義とは簡単に言えば自由競争による経済で社会全体の利益も増えていくという考えです。デメリットは先程述べたとおりに、お金が命よりも尊くなってしまう世論が出来上がる現象が起こってしまうことです。

資本主義は、スタートは未開拓から始まるので誰にでもチャンスがあって素晴らしい世界だったのだと思います。ゲームで言うならレベル上げが楽しい頃です。でもそれは最初だけで、スタートを味わった先代の人間が良いと言っていたからなんとなく今も続けているのではないかと思うわけです。スイカの一口目が美味しかったから黙々と食べ続けたけれども、緑の皮を食べさせられているのが今なのかもしれません。緑を皮の味しか知らない現代人が、これが先代の言っていた美味しいものらしいと疑問に思わずに食べている状態が今なのだと思うのです。


次に幸せと快楽の履き違えの問題です。わたしも職が無い貧乏時代がありましたのでお金に命を握られてした状態を経験しましたし、お金があったらこんなことができるのにと妄想に浸っていたときもありました。特にネット回線をひくお金も無かったことが辛くて、ネットが無いため何をするにもお金が必要な状態というのを痛く認識しました。あれは苦痛です。本当に人間性が病んでいきます。たぶん何度か抜け出せるチャンスがあったと思いますが、貧乏だと心が病んでしまうのでチャンスを取り逃がしたことが何度もありました。

だから貧困は辛いです。抜け出したいと、本当にお金がほしいと喘ぎ苦しんでいました。

なので、資金の関係やら慰安もかねて実家に帰ってみると本当に天国でした。毎日お風呂に入れる! 毎日三食も食べられる! インターネットもある! そんな様々な幸福に出会いました。しかし、自分の心が辛いままでした。なにせその時はまだ求職中(無職)だったからです。故郷の皆は職を持っていて頑張っているのに、自分はみじめで悲しくなります。小中学生が行き帰りする時間になるたびに楽しそうな声が胸を穿ち、日が出ているうちは気分が滅入るからと夜中に散歩してみると高校生や大学生くらいの青年がマラソンをしていてその頑張っている姿がとても輝いて見えて、自分の惨めさを痛感しました。

けっきょくは幸せは快楽とは違うのでした。お風呂に入れるとかの気持ちいい快楽はあくまで気分のリフレッシュであって、問題が解決していなければ幸せにはなれないのです。


ちなみに悪人というのは、幸せが満たされなくてずっと快楽をむさぼり続けた人が大きくなった姿だと思います。幸福と快楽は違うものなのにどっちも同じであると混同している人が多いから、いつまで経っても満足せずに悪いことをし続けているのかもしれません。大きなダイヤモンドの指輪をはめている快楽と、実家の味で満たされてお腹一杯である幸せは違うのに、快楽と幸せを混ぜて考える人が多いから犯罪を続けて快楽を得ようと苦しんだりするのかもしれません。


そもそも快楽イコール幸せだったら、麻薬を打ちながら酒を飲んでアル中になって夢を叶えている幻覚を見ていれば幸せということになります。それはあなたの求めている幸せとは違うと思いませんか?


自分の世界の中で閉じているから魅力的に感じられない。わたしが憧れたのは活躍している輝きであって、その影にあるひたむきな努力に対する敬意であり、それが現実のものとなり周りから素直に親しまれる純粋な輝きに惚れたのです。だから今もあるのかわからないですけど、相互クラスタはあまり好きではないのです。ちなみに広告を出すだけなら良いと思っています。わたしも面白い作品を知りたいですから広告で知りたいですからね。でもクラスタはちょっと違う気がします。例えるならオリンピックで金メダルとった選手は凄いと思いますが、実はドーピングでしたと言われたらがっかりですよね。1位になった事実じゃなくて、そのひたむきな力強さへ心からの賛美を送りたい衝動が生まれることが素晴らしいのです。その力強さに惹かれて、自分も頑張ろうって思えてエネルギーを湧かせる素晴らしさに惚れたのです。選挙でもそうではじめから決まっている組織票でドーピングされたら、それって本当に民意なのかと思います。と、選挙になる度に電話をかけてくる人が昔いたことを思い出しました。

オリンピックで活躍している選手を見て憧れた人がいたとします。なので目標は世界一の金メダリストになって認められることでしょうか。認められるのは他人に認められるからこそ価値があって、認められたいという憧れが自分の胸のうちにあるのです。自分の中で酔っていて世界一になった気分になることを求めたのではなく、自力で世界一になることに焦がれたのです。自分の努力と他者の努力によるぶつかり合いの結果としての勝利。努力でつながった互いの健闘。その煌めきを尊いと思い、輝きにあこがれていたのに、アル中やら幻覚やらで自分の中で自己満足するのはその煌めきを自らの手で否定していることになっているのです。


ここまで丁寧に述べてきましたが要するに、「快楽」と「幸せ」は違うのです。

いま持っているあなたの幸せは、他人から決められた幸せではないでしょうか? これを持っているから幸せとか、こんな勲章があるから威張れて幸せに違いないとか、快楽と幸せを混ぜていませんか? これさえあれば幸せになれるというのは、だいたい気持ちよさもとい快楽を指していることが多い気がします。そして快楽というのは時代によって変わるものですので、それは本当に価値があるものなのでしょうか。その幸福は本当に黄金色に輝いているのでしょうか。偽物だったりしませんか? どうして今手に持っている価値観が幸せなのだと思っているのか、よく考えてみてほしいと思います。


世間なんて知らないと、何も考えないで淡々と過ごしているのは止めたほうが良いでしょう。別にエラそうな横文字を駆使するのではなくて、自分の考えを持ちたいというと自覚があれば十分です。自覚があるだけでかなり違うと思います。少なくともみんながやっているからなんとなくという流れには強くなれるでしょう。アジテーターの思惑に流されて動くだけでは人型ロボットと同じです。ちょっと気にはかけているだけでも、アジテーションする側は困ってしまいます。もしかしたら監視カメラと似ているかもしれませんね。簡易でもいいので警戒する存在があるだけで防犯になります。



案を出すのがプロの仕事で、素人は感想を述べるのが仕事だと思っています。ベストセラー小説は執筆したことがない素人が面白いと思ってたくさん買ってくれた結果であり、すなわち評価は素人がするものです。なので本気で勉強したわけではない下手の横好き程度の私のお話は 本来はここで終わりなのですが、意見を出さないとすっきりしない人もいるのでちょっと考えてみました。



プロから見れば噴飯ものだと思いますので、リラックスして眺めていただけたら幸いです。自分でも机上の空論を言っていると思いますので(笑) でも刺激にはなるかもしれません。「これは違うだろうオレならこうして……」と良いアイディアが出る叩き台になれたら嬉しいです。


提案として、資本自体を変えてみてはいかがだろうかと述べさせていただきます。

資本主義は成功した部分があって、行き詰まりが問題なら別のものを資本にしてリセットするのはいかがなものかと思ったわけです。長く続くと組織化したりして新しい芽が潰されたり出にくい状況が悪いのであって、資本主義はスタート地点は素晴らしいという考え方がベースです。ゲーム風に言うならジョブチェンジをして別の職業のレベル1へリセットしたらどうかという意味です。


例えば資本主義のお金で命を握られているのが問題だから、お金の代わりに「カイラク円」という通貨を作ってみてはどうでしょうか?


なんでわざわざそんな名前にするのかと言うと、認識と理解は違うことを知ってほしいからです。掛け算の表を言えるのが理解であり、認識というのはこのタイミングで掛け算を使えると分かることです。幸福と快楽も理解と認識が追いついていない人がいると思っています。

よって快楽と幸福を区別できるように、カイラクという単位を用いて資本主義をやってみると変わりそうです。

今でしたらユーチューバーとかもいるでしょうし、誰かの笑顔を作る商売でも十分に成り立てそうな気がするのです。テレビが有名でしょうか。CMがあることで無料であっても不自然に思われない時代ですから、通貨単位をリセットしても以前よりも影響は少ないのかもしれません。何よりも今は仮想通貨があるので、昔よりもすんなりと受け入れられる条件は整っている気がします。


具体的にはお金を世界中から一旦リセットして、カイラク円を世界中の人間に1000万円相当を渡す。そこから再スタートという状態です。ちなみに値段は適当ですので突っ込まないでください。1000万カイラク円を手に入れたら小説の学校に行きたいなとかいろんなことができそうだなと思ったのが根拠ですので(笑) 世界規模にしているのは、グローバル化の影響を受けないためです。

日本だけにしたら大きな外資が奪ってしまうかもしれませんからね。


お金(カイラク円)を出して買うのは、今ではマンガやソーシャルゲームの課金でしょうか。先程の文章で述べた認識と理解が追いついていない人向けのために、カイラクを得ていると実感することが大切だと思ってこの単位を考えてみました。認識(知っている)と理解(使いこなす)は違うので、理解をしてもらうための意図があります。娯楽を買うイメージです。


また、日本には絵を書くとか小説を書くなどの美に対する文化が遅れていると思うのです。娯楽は精神の支えであって、それに影響されて人は頑張ったり、哲学を考えたりするものだと思うのです。小説でもドラマでも絵でも、実際はそこには存在しないものに勇気づけられたり、愛を学んだり、生き方を考えたりするものです。娯楽によって人生が支えられているものだと私は思っています。そういう意味では芸術オリンピックみたいなものを新しく作っても良いかもしれませんね。マンガやゲームがオタクでダメだとメディアにいじめられていますが、リオオリンピックの閉会式のアニメを使った演出が盛り上がったりしていました。マンガやゲームでも何でも、いわゆる実際に存在しないものに勇気づけられて生きてきた人達は、意外と私達だけではないのかもしれません。モンスターを捕まえてGOして歩き回るゲームは、肥満問題と、うつ病改善の光となったという記事もあがっています。

いわゆる空想のものをいじめるのは、学校という世間の代表が認めているものから評価されることを覚えたから、学校で学習していないものは価値がないと思ってしまう何も考えない怖い生き方をしている人かもしれませんね。そういった人達を救うためにも、やはり快楽(娯楽)を買うという流れを意識してもらうことが必要なのだと思います。


あとは理想論になりますが、個人的に勝手に思っているのですが、生まれたばかりの人間の性質は中庸なのだと思います。そして遺伝子と、親と、環境がその子供を育てていって大人へ成長する流れだと思うのです。そして、その「環境」の部分になれるのが芸術だと思うのです。具体的にはマンガのヒーローが立ち向かう勇気を見せてくれて、そんな姿に憧れて生きていけば誰かを救う優しい大人になれるかもしれません。閉会式で首相が日本のアピールのためにコスプレしてくださった赤帽子でジャンプが得意なヒゲおじさんのゲームでは、何度も挑戦していけばそのうち感覚がつかめて成功することを教わった人もいるでしょう。どんなに難しい面(困難)でも10回くらい挑戦するつもりになればだいたいクリアできるものだということを教えてくれました。夢中になれば何度もやるので感覚として染み付きます。だから娯楽というのは、たとえばゲームは頭の体操という意味ではなくて、意外と子供心に芯として強く残っているものだと思うのです。


要するに人間としての環境を整えるのは芸術系がかなり重要だと思うのです。なので個人的には第四次産業として「娯楽」を入れるべきなのだと思っています。それほど強く認識されるべきであるという意図で述べさせてもらいました。形としては娯楽だったら何でもOKなのだと思います。娯楽によって救われてきた人がいるということは、娯楽とは空気と同じなのだと思います。何気なくあるものだから大切さをふと忘れてしまうような透明な存在が娯楽だったのです。だから空気を生産している存在をもっと贔屓してもいいんじゃないかなという書いてる側の下心がちょっぴりあるオチでした。でも、娯楽をもっと強化したら世間が変わるのではと思っているのは本音ですけれどもね。憧れとか夢とかいう人間の原動力は娯楽から学んだ人が多いと思います。


ちなみにこれを実行するとお金をたくさん持っている人が困ってしまうので、その人達の許可が必要でしょう。

この案を真剣に提案するなら、イミルナティがフリーメイソン的なオカルトパワーな話になるのであまり好きじゃないです。これらはネットで知ったことなので追求しようとしても存在自体の真偽がはっきりしないものを存在している風に大きな口で唱えるのは恥ずかしいからです。



また、こういった理想論は正しい人が多い前提だから悪役に弱いですが、悪事は何が原因かと考えれば対策はできる気がします。人間は感情が前にあってそれを達成するために理屈を作り上げる生き物です。何かをしたい欲求(感情)が最初にあってその結果として、効率(理屈)を考えて悪役になるという流れだと思っています。ならば最初に浮かんでくる感情を正義側に流す形がスムーズになればいいでしょう。

ここも理想論になりそうですが(素人だからそこまで気にしなくてもいいのかな?)、どんなに正義が美しいかを夢見て語る世界になれたなら、悪意に支配されそうな瞬間があっても悪事を選ばないかもしれないと思うのです。

例えば停電して店の監視カメラが切れても、目の前にある¥100のチョコレート万引きしたいと思う人は少ないと思います。万引きしない人は、たかがチョコレートくらいと思うから行動に移さないわけですね。店の人が頑張って働いている努力を無下にすることを望まない愛もあるかもしれません。それと同じで心が満たされていると意外と悪事はなくなるかもしれません。ならば心が満たされているとはどんな状態かと言うと、例えば物語で心が熱くなったときはいかがでしょうか。物語は哲学も込みで覚えられるから正義に良さそうです。私としては中途半端なことするよりも、娯楽を生き生きとさせていくと世界が明るい方向になる可能性があると思います。


つまり世界中の国が本気を出してクリエイターを優遇したら良いのではどうだろうかという意見が出来上がるわけです。これを少し前に言っていた空気のような存在である娯楽の話と組み合わせると、娯楽は必須であると思うわけです。

クリエーターの優遇を行動に移す建前としては、芸術オリンピックはいかがでしょうか。オリンピックは感動しますよね。なら、運動系なオリンピックでなくて芸術系のオリンピックがあっても良さそうです。ブラジルの閉会式のとき、日本のオリンピックの宣伝でアニメ系を少し出してみても意外と受け入れられたようですし、娯楽を推し進める世界を試してみる価値はあると思います。


以上で提案は終わりです。

最後まで長い時間を付き合っていただきありがとうございます。ご精読をありがとうございました。



あと話が変わりますが個人的にはさとり世代を助けてあげてほしいと思っています。この世代は希望を見ることを諦めた世代のようで幸福が低い気がします。なのであなたに余裕があれば幸せにしてあげてください。

この世代は、あなたが欲しいものは何ときいたら車には興味がないと言いながら、お金があったら欲しいものランキングで車がランクインしているのをどこかの雑誌で見ました。不思議な価値観の世代のようです。


体感的ですが30歳前後が職場に少ないイメージがあります。たぶんやっと企業としてお金が動かせる余裕ができたのが最近で、つまり先を見る余裕ができて新規採用を考えたとき20歳と30歳のどっちを採用しようかとしたとき、先を考えての採用なので20歳に軍配が上がるという状態になっている印象があるのです。ではこの30歳あたりは怠けていたのかと言うと違うような気がしていまして、想像になりますけれども昔は機械が今よりも発達していなかったから若い人たちを頼りにする力仕事がそれなりにあって、だから若い人を採用する意義もありましたがこの頃はそうではなかったのかなと思うのです。不況で雇う余裕がなかったのだと思います。それとちょうどこの世代の前後からニートが認知されているイメージですので、普通は自分の人生を好きで潰したくないと思っている人が大半と考えると夢見ることを諦めた人達なのかもしれません。

職を失ってみると引きこもりの辛さがわかりました。求職中にお金がなくてずっと部屋にこもっていたり、起き続けているとお腹が空くから昼はずっと寝て二食にして食費を減らしたり、ダンボール家具を作っている横で明日何しようかと騒いで歩いている子供の声を窓越しで聞こえたとき、そのキラキラした声がずっぷりと胸に刺さったり、買い物するのも早めの時間だと若い人がいなくて浮いてしまったり、本当に引きこもりは辛いのです。


やりたくてしている訳ではなくて、立ち上がらないといけないのに立ち上がり方がわからない状態なのだと思います。お金がなくて図書館のネットで調べたこともありましたけれども、ハウツーをうたっているサイトはキラキラした希望を叫ぶことに酔っているところが多かった印象です。求職中に「就職へ悩んでいる人へ。働いたらお給料で好きなものが買えるぞ☆ だからガンバレ♪」というキラキラメッセージを言われると腹が立ちました。「んなもん知ってるよ。どうやったら就職できるか探してるんだよ!」と思うわけです。一生懸命に立ち上がっている最中だから邪魔すんなって思っていました。


で、話が戻りますけれども、さとり世代は面倒な時期に生まれつつ、さらにゆとり教育の実験のあおりを受けている世代だから、何が正しいのか、何をやるべきなのか分からずに過ごすことを強いられたかなり悲惨な世代だと思うのです。もちろん成功か失敗かはこの世代が死んで何年か経った時に初めて歴史的な意味で客観的な評価できて分かるものなのだと思いますから、今は良し悪しは断言できません。当時は休みが増えたら子供が好き勝手に遊びはじめて悪い制度だったと言われていましたけれども、今はユーチューバーのように楽しく遊べることが才能として開花した時代になれたのだから失敗と言い切れないのではないかと思っています。むしろ人間の在り方としての幅が広がった意味では大きな成功とも捉えることもできるでしょう。当時、この新しい価値を予測していた人は少ないと思います。

しかし成功できなかった人たちもいますし、資本主義では一度失敗したら資本が失われるので大いに煽りを受けます。この世代の親が働いている時期は平成不況の頃ですから資本の援助は弱くて厳しい世代だと思うのです。そういった意味ではチャンスが少なかったうえに、何がチャンスなのか分からずに未知のよく分からないものを成功させろということを強いられた世代なのです。しかも指示した人達おとなも分かっていなかったと思うのです。立ち上がることを失敗した人が多そうですし、そういう意味では立ち上がるのが辛かった自分はどうも感情移入します。また運良く立ち上がったとしても何をすればいいのか分からずに、それどころか周りもどう評価すればいいの分からなかったので評価されなかったのかもしれません。


正直に言うと、この世代は自殺しないで生き残っているだけでも才能なのではないかとすら思っています。絶望で自殺するタイミングもあったでしょう。悪意に嬲られ狂気に走り犯罪をするタイミングもあったでしょう。それを跳ね除けて、懸命に堅実に生きようとしたから立っている状態なのです。脱線しないで生きるのも相当にエネルギーが必要なのだと思うのです。だから「よく生き残った! すごいぞ!」と思います。なので見かけたら、あなたの心に余裕があるタイミングでいいのでそっと労ってあげてください。


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