1章 (8)
「糸月を、貸せと?」
「はい」
綱成は元忠の心中を計りかねた。仕える忍びを貸せと言うのに、元忠の口調に重々しさは微塵もなかった。まるで、草履を貸してくれとでもいうような感じだった。
しかし元忠が言う以上、糸月でなければならない任務があることは確かなはずだった。
「貸せと言うが、一度や二度、使いにやるという程度のものではないだろう」
「そのとおりです。手前の策を練り上げ、実行時にも指揮をしてもらいたいと考えております。つまりは合戦まで、手前の手足となっていただきたい」
綱成は瞑目して腕を組んだ。そして口元を強く結ぶ。その間、多目元忠は涼しい顔で正面を見据えていた。
「どうかな……」
綱成が口を開き、重低音が室内に響いた。優れた武将はいずれも声の通りがいい。
「糸月は単騎の忍びだ。だから一族からの縛りがない。そういう者は、仕える人間に心酔していないと、関係はうまくいかない。おぬしにあの忍びが使い切れるかな」
心酔どころか、糸月は多目元忠に警戒の目を向けている。
「兵や金を貸せというならともかく、これに関してはな。人の気持ちだからむずかしいな。糸月は優れた忍びだが、逆に優れているからこそ、動かしずらい。気に食わない者からの任務では、手を抜くかもしれんぞ」
「それは承知しております。しかしそれしか策がございません。この一度きりでいい、手前の願いどおり、糸月に命じていただけますでしょうか」
「多目元忠に付け、と……」
「はい」
十月の夕闇が元忠の瓢げた顔を赤く染めていた。綱成はどうにも解せなかった。