1章 (7)
「それでは、策を聞こうではないか」
綱成の言葉に、多目元忠は頷いただけでしばらく沈黙を続けた。そして、
「糸月は希代の忍びですな」
と、策とは関係のないことを口にした。
はぐらかされた綱成は一瞬だけ眉根を寄せたが、すぐに落ち着いた表情に戻り、深く、同意の頷きを見せた。急いて苛立っても、ひとつも得はない。そしてまた、将たる者の見せる態度でもない。ここはともかく、多目元忠の好きなように話させるに限る。綱成はそう判断した。
「たしかに。時を構わずよく働いてくれているよ。糸月がいなかったら、この状況もより厳しいものになっていただろう」
綱成の手放しの誉め言葉に、今度は元忠が眉を寄せた。
「しかしどうも、手前のことは、よく思っていない節がありますな」
多目元忠は城守の北条綱成にとって有力な家臣だった。知もあり、働きがいい。しかしそれだけに、警戒もされていい存在だ。
「それはワシも感じている。しかしまぁ、忍びとはそんなものだろう。仕える者の家臣だからといってほいほい仲良くなっているようでは、困るというものだ」
「そのような忍びの持つ習性というものは承知しております。しかしことさら手前には厳しい目を向けているように思えるのですが」
これは元忠の勘繰りではない。実際綱成は、糸月から多目元忠に用心するよう、それとなく言われていた。
多目家は、後北条家創始からの家臣だった。後北条家の初代である北条早雲が西から東下するときに、仲間6人と地元の伊勢で神水を酌み交わして誓いをたてた。このうちの誰かが大名になった場合、他の者は家臣になろうと。その誓った仲間の中に、多目家が含まれていた。多目一族はまさに、郷里を共にする、親族のような存在だった。
しかし今、後北条家は3代目の時代。多目家も代がわりし、さらには、元忠は何故か出自が曖昧で年齢不詳だった。多目家の者だからと短絡的に信用するわけにはいかなかった。
「おぬしが気にするのは分かるが、これは忍びの習性だと思ってあきらめてくれ」
強大な相手と対峙しているときに、内部が割れていてはどうしようもない。綱成は受け流そうとした。
「いえ、そう簡単に諦められませんな」
「ん?」
綱成は、多目元忠の意外なこだわりにじろりと目を向けた。
「今はそのような些末事にこだわっている場合ではないだろう」
さすがに怒鳴り声は控えたが、綱成は苛立ちをその言葉に乗せた。
「それは重々承知しております」
言葉とともに頭を下げた。
「では何故?」
「手前の秘めている策に、糸月という男が欠かせないからです。あの忍びをしばらくの間、貸していただけませんでしょうか」
その言葉に、綱成が多目元忠を、より強く睨みつけた。