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晦冥戦記 (臆説・河越夜戦)  作者: 曠野すぐり
後北条家
2/12

1章 (2)


 大きな動きのあった時代なので、学校の授業では戦国時代を大きく取り上げる。しかしその中で、東国の記述はほとんどない。

 戦国でパッと名の上がる人物といえば、天下を取った織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3将。それに続いて、明智光秀、毛利元就、石田三成、上杉謙信、武田信玄、伊達政宗といったところか。人名を挙げれば挙げるほど、東国の武士はわずかだと感じる。合戦もまた同じく、関ヶ原、山崎、小牧・長久手、大阪の陣と、西の地ばかり。唯一、信濃の川中島くらいだろう。人物から事件から、すべてを西日本が占めてしまい、東日本の歴史好きには寂しい限りだ。

 まるで、東国には、戦国期にたいした動きがなかったのかと思えるほどの偏りよう。しかし実際には東国もまた西の地と同じように、群雄割拠の様相で勢力争いが行われていた。


 室町幕府が衰えて戦国期に入ると、肥沃な関東の地を大々的に取り合う戦いが始まる。室町幕府は関東の地も「公方」という将軍の代理人を置いて仕切っていたが、中央政権の弱体化が連動して公方の力も弱まり、勢力争いが始まってしまう。


 その入り乱れた状況を衝き、西から下った北条早雲が席捲する。親族のつてを使って駿河の今川家に入り込むと、実務で手柄をたてて大名となる。そして勢力を、伊豆、相模へと東に広げていった。

 そして「後北条氏」として小田原城を居城として、豊臣秀吉に滅ぼされるまで五代に渡って、有力大名として関東の地に君臨したのだった。


 この時代、関東の覇権を争った者としては、上杉謙信、武田信玄などがいる。それら歴史に名を遺す有力武将と後北条は、対立し、また小規模ながらも一戦交えている。それらと渡り合いながら勢力を伸ばしていったのだから、当時の後北条家がどれほどの力と勢いを持っていたかが分かるというものだ。


 その後北条家は二代目北条氏綱のとき、武蔵へと進出し、上杉氏が居城としていた河越城(現在の埼玉県川越)を、4度の争奪戦の末に手に入れたのだった。

 

 



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