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休日・カレーパン

皆さんのご意見ご感想、お待ちしております




『厳、向こうでこの料理を安易に出したら駄目だぞ?』

『何で? 日本じゃ皆食べてるし、世界的にも有名な料理だろ?』

『地球じゃあそうだな。でも異世界だと話は違う。地球でも、納豆みたいな発酵食品を極端に嫌がる外国人が居たりするだろう? それと同じで、幾ら味が良くても見た目が悪い未知の料理っていうのは、忌避感があるんだ』

『あー、確かに。見た目茶色くてドロドロしてると彩りに欠けるもんなぁ』

『料理人は味だけで客を満足させようとしてはいけない。鼻と目で期待させてこそ初めて料理人を名乗れるんだ』

『分かった。とりあえず、この料理の味をどうやって広めるかだよなぁ』




 午前5時半、梅原厳の朝は早い。

 店と一体になっている、どこにでもある和洋折衷の一軒家の2階の夫婦の寝室、隣で眠るアルマを起こさないように布団から出た厳は洗面台で顔を洗って歯を磨き、居間の端にある祖父の遺影が飾られた仏壇の前に座って香炉に火をつけた線香を突き刺し、(りん)を鳴らして手を合わせる。これは厳が朝初めに行う日課だ。


「おはよう~」

「おう、おはようさん」


 少し遅れてアルマがやや眠たそうに眼を擦りながら居間に入ってきた。アルマは厳の隣に正座し、真似するように祖父に手を合わせる。結婚から5年、異世界の文化にも慣れてきた妻と共に立ち上がり、店の方へと足を進める。


「それじゃあ、始めますか」

「わっちは店の掃除してるから、今日も朝ご飯よろしくお願いします!」

「任された」


 完全に目が覚めたのか、普段の快活な雰囲気を纏いながら雑巾を持って店内をくまなく掃除し始めるアルマ。恩人から店員と店長という関係から始まったからか、未だに夫と話すときに敬語が混ざるアルマを尻目に、厳は業務用冷蔵庫を開ける。


 彼にとって日頃自分たちが食べる食事と言うのは、研究の一環だ。飲食店ではどうしても余ってしまう食材を使い、常に新しい変化を求めている。言い方を変えれば家族全員が試食係なのだが、概ね好評なので文句は言われていない。


「昨日はトーストだったから、今日は和食でいくか」


 消費し切れなかった余り物で客に出せなくなった食材を見渡し、昨日の朝食を考慮してメニューを決める。食材を選択して居住スペースの台所まで持っていくと、階段から幼い犬獣人の双子が下りてきた。


「おとーさん、おはよぉ~……ふわぁ……」

「…………くぅ」

「おはよう。顔洗ってきな」

「んぅ~……」

「…………」


 未だ意識がはっきりとしていないのか、舟をこぐ2人の幼女は厳とアルマの娘だ。


 父親譲りの黒髪と母親譲りの肌を持つ姉、エル。

 母親譲りの青髪の妹、ミラ。 


 厳的には運よく母親に似た愛娘たちは銀色の瞳を擦りながら覚束ない足で階段を下りてくる。それを見かねた厳は食材をテーブルに置き、2人を抱えて階段の下まで連れていくと、洗面台の方に背中を押した。


『うわぁあああああああああっ!?』


 トテトテと洗面所に向かう愛娘たちを見送り、鍋に水を入れて火を点けようとしたその時、アルマの悲鳴と椅子やテーブルが倒れる騒音が店の方から響き渡る。


「どうしたアルマ!?」


 慌てて店の方に駆け付けると、そこには箒を握りしめた妻と椅子やテーブルを巻き込んで倒れる若い牛の獣人の少年がいた。




 グランシェルトで唯一住民にパンを売ってきた老舗は6年前、突如出店した大衆食堂、《うめや》に後塵を拝し続けてきた。大衆食堂とパン屋では土俵が違うと思うだろうが、相手が《うめや》に限ってはそうではない。


 昼の営業のみだが、《うめや》が提供するパンは非常に柔らかく香りが良い白パンで高い評価を受けているのに対し、従来のパン……つまり、パン屋で売られているパンは硬い上に口の中の水分を容赦なく吸い取ると比較され続けてきた。

 パン屋はどうにかして《うめや》のパンを再現しようとしてきたが、一体何がどうやってあのフカフカのパンが作れるのかが検討が付かず、跡取り息子のロバートは《うめや》に潜り込んでパンの秘密を探ろうという、強引な手段に打って出たのだ。


 もちろん、普通に住居不法侵入罪に抵触するので親には秘密。こっそりと、誰にも気付かれないように誰もが寝静まれる深夜3時に《うめや》に侵入。彼にとって幸いなことに、その日はたまたま酔った客が店のガラスを一枚割ってしまい、そこから手を入れて鍵を上げる事が出来た。

 そして厨房に入って物色するものの、見慣れない器具や食材の山に困惑し、何がパンに関わるものなのか分からないまま朝を迎え、店に向かってくる物音を聞こえてきたので慌てて物陰に隠れたのだと言う。


 厳はすぐに出ていったが、店内を隅から隅まで掃除するアルマを前にして動き出せず、これ以上隠れることは困難だと悟って無理やりにでも外へ出ようとした瞬間に彼女に発見。泥棒だと勘違いされ、箒による渾身の一撃(フルスイング)であえなく撃沈。

 華奢な腕に騙されて押しのけてでもと思ったのだが、アルマは子供の頃から家事三昧、育児三昧、仕事三昧と非常にパワフルな女性で、見た目に反して馬鹿力だ。想像を絶する痛みに悶絶している内に厳が現れ――――


「そして今に至る、と」

「は、はい……」


 直した机を挟んで座るする、全ての事情を聴いて呆れた様な表情を浮かべる厳と顔を蒼くして委縮し切っているロバート。その2人の様子をエルとミラが店と家の入口から眺めていた。


「ドロボーだ! 本物のドロボーだ!」

「……ドロボー……やだ」

「エル! ミラ! 奥に引っ込んでな」

「えー」

「エルゥ……あっちに行こうよぅ……」


 一卵性の為か、顔立ちがよく似ている双子であっても、その性格は対照的だ。エルは物怖じしない明るい性格で、ミラは内気で人見知り。そんな幼子2人に「ドロボー」と連呼されて居心地悪そうにしていたロバートは、「しょうがないなぁ」とミラの手を引いて奥へ引っ込むエルの姿を見て僅かに安堵の表情を浮かべる。


「ロバートォっ!!」

「げっ!? お、親父!?」


 しかしその僅かな気の緩みも束の間。店のドアを荒々しく開け放ち、ガタイの良い中年の牛獣人の男性が入ってきた。その後ろには慌てて男性を追いかけるようにアルマが続く。どこの家の子供かを聞いた時、《うめや》から割と近い場所にあるパン屋の息子だと分かったアルマが守備兵を呼ぶ前に保護者を連れてきてくれたのだ。


「この大馬鹿息子がぁっ!!」

「ぐべぇっ!?」

「ちょっ!? お、落ち着いて落ち着いて!!」


 力一杯殴られて床に転がるロバート。父親の怒り心頭であることは想像していたが、まさか開幕早々弁明も聞かずに殴るとは思いもせず、思わず止めに入る厳。しかし父の勢いは止まらず、息子に正座させたかと思いきや、その頭を床に押さえつけて、自らの額も床に押し付けた。 所謂土下座である。


「この度は息子が飛んだ馬鹿をしでかしてしまい、大変申し訳ありません!!」

「いででっ!?」

「息子にはそれはもう厳しく言い聞かせますので!! ほら、お前も謝れっ!!」

「す、すいませんでしたぁっ!!」

「と、とにかく落ち着いてください! その体勢だと話せるものも話せませんし、ひとまず座りませんか?」


 異世界にも土下座があったのかと見当違いの驚きを感じつつも、なんとか2人を宥めて椅子に座らせる厳とアルマ。


「とりあえず、自己紹介から始めましょう。俺は《うめや》の店主の厳。こっちは妻のアルマです」

「私はロバートの父でパン屋を営んでいる、ウォーレンです。今回の一件、本当になんとお詫びすればいいのか」

「いや、事情は息子さんから聞きました。確かに悪いことをしましたけど、俺ももっと他の店とかに気を配るべきでしたし」

「そうそう! わっちも思わず傷害沙汰にしちゃいましたし!」


 恐縮しっぱなしの親子が発する重い空気を何とか振り払おうとするが、アルマの場合、ロバートの羞恥心を煽る結果となってしまった。女性1人に張り倒されるのは思ったよりも堪えるらしい。


「店を構える以上、同じ食を扱う者同士で話し合いの場を設けるべきだったのに、好き勝手に料理を提供してきた俺にも非はあります。そのせいで息子さんを追い込んでしまったんなら尚更です」


 厳の言っていることは正しい。食のみならず、武器や道具などを売る商業区である大通りで店を構える以上、周囲との軋轢を生まないようにするのは当然の配慮だった。それを忙しさを理由に疎かにしてきたのは厳の怠慢である。


「しかし、そう仰られても」


 とはいえ、ロバートがしたことは裁判を起こしても普通に有罪になる犯罪だ。息子を守備隊に引き渡さないと言われて喜ばない父はいないが、何の償いもなくただ許されるのでは筋が通らない。そう訴える彼らに厳は提案を持ち掛ける。


「なら、《うめや》とビジネスをしませんか?」

「ビジネス……ですか?」

「もし引き受けてくださるのなら、俺が知り得るパン作りの知識の全てを提供します」

「えぇ!?」


 ずっと追い求めていた《うめや》のパンの秘密を教えると言われて驚きのあまり立ち上がるウォーレンとロバート。


「し、しかし、そんな簡単に製法を明け渡してもいいんですか?」

「元々、パンを作る時間のやりくりに悩んでいましたし、何よりウチは食堂です。パンは本職のパン屋に任せて、それらを毎日買い取りたいと思っていました。一定の水準をクリアし、値段はこちらと相談した上でならそちらの店で他の客に売ってもらって構いません。そして……2人には《うめや》と協力してある料理をグランシェルトに広めてほしいんです」




 それから1ヵ月後、厳からお墨付きを貰ったウォーレンは《うめや》の名前を借り、数種類の柔らかくて香りの良いパンを提供する店としてかつての隆盛を越える賑わいを見せていた。そして今、厳はウォーレンとロバートと共に激しく泡立つ油で満たされた鍋の前で緊張の面持ちで佇んでいる。

 

「2人とも、もうそろそろです」

「よし……上げるぞ!」


 厳が見守る中、調理は終えようとしている。

 頃合いを見計らい、《うめや》の常連だと言うドワーフに特注で作ってもらったカス揚という金属製の目が細かい網が付いた道具で油の中を泳ぐ楕円型の塊を取り出し、油落とし用の格子状の網を敷いたバットの上に置く。

 ジュウジュウと音を鳴らすその鮮やかな茶色い塊はパン粉を纏わせ油で揚げたパンだ。これをグランシェルトの住民が見れば「油の中にパンを入れるなんて何を考えているんだ!?」と驚くだろう。実際、2人も厳から手本を見せてもらった時、驚きを隠せなかった。


 紙ナプキンで包んだ熱々のパンに息を吹きかけて冷まし、3人は一斉にパンに齧りつく。味を確かめるようにゆっくりと咀嚼し、飲み込んでから後味を反芻する。緊張の面持ちで見つめてくる親子に、厳は抑揚に頷いた。


「うん、これなら文句なしです。俺が作るのと遜色のないカレーパンの出来上がりです」


 ウォーレンとロバートはホッと胸を撫で下ろす。2人の眼の下には隈が出来ており、何処からやつれた様な表情であるので余計に安堵が色濃く浮かび上がるが、そんな親子に厳は冷水のような言葉を浴びせる。


「次はクオリティを維持すると同時に高めていきましょう。客層の変化に合わせて中の具にも変化を持たせていくことも忘れないように。余裕が出来れば新しいパン作りに着手しますので」

「ま、まだやるんですか!?」

「当然です。まさか一つの商品だけでお客さんが満足するとでも? 相手は常に安定感のある美味と目新しさを求めています。一時の流行にだけもたれ掛かってちゃあ駄目ですよ」


 カレーは、カレーを知らない人に食べさせるには少々見た目が悪いので《うめや》でも提供されていない。ならば一目ではカレーが見えないカレーパンを広めればカレーの味を世に知らしめることができ、店でも提供できるようになるかもしれないと考えていた厳にとって、先日の一件は渡りに船だったが、ウォーレンとロバートにとってはスパルタ地獄の始まりでもあった。


 ドワーフに作らせたという見慣れない器具を使い、これまでの製法とは全く異なる製法で一定の味のパンを安定して作れる練習。それが終わればパン屋にも拘らずカレーという全く未知の料理を厳が求めるクオリティになるまで作らされる練習。パンと料理を合体させた惣菜パンを作る練習と、親子は厳の容赦と妥協の無さに疲労困憊といった様子だ。


「まぁ、今日はここまで。折角揚げたてのカレーパンです、冷め切ってしまう前に食べてしまいましょう」

「そうですね」


 ウォーレンとロバートは自分たちが作ったカレーパンをまた一口齧る。

 外はカリカリ。柔らかい食感を維持した生地の中からピリッと辛みの効いた挽肉を筆頭に何種類もの具材の味が交じり合ったドロリとしたカレーが生地と交じり合い、新たなハーモニーを奏でている。練習の過程で何度も味わったが、これが今まで食べていたパンをアレンジしたものだと言うのだから、2人にとっては驚きだ。


 後にパン屋で「大衆食堂、《うめや》共同開発」という売り文句と共に販売された惣菜パンは飛ぶように売れ始めるのだった。

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