夜の部・海老フライ丼
皆さんのご意見、ご感想お待ちしております。
冒険者の仕事は、主に未開拓地にのみ存在する植物の採取、虫や小動物の捕獲に魔物の討伐だ。最近になって辺境にある冒険者ギルド支部から首都グランシェルトの本部に移籍した鉄級冒険者コンビである優男の大剣士アッシュと強面の魔導士グレンは銅級への昇格の為、精力的に魔物の討伐に赴いていた。
全ての冒険者は階級最下位の初級から始まり、鉄級、銅級、銀級、金級、白金級と位を上げていく。
冒険者の階級は実績によってのみ上げる事が出来き、物語のように何処の誰とも分からぬ凄腕の風来坊がその実力を代われていきなり金級や白金級の冒険者になる……なんて事はありえない。依頼ごとに定められた点数を貯め、それが一定値に達した時、面接を含んだ昇格試験をクリアーして初めて次の位へと昇り詰めるのだ。
獣人やエルフのように特化した能力を持たない人間ではあるが、共に16という若さで数々の死線を掻い潜ってきた彼らは将来有望と秘かに期待を寄せられている。そんな彼らは面接を潜り抜け、今まさに昇格を掛けた冒険の真っ最中だ。
畑を荒らし、近隣の住民に被害を与え始めた角を持つ巨熊、オーガベア。害獣とは比べ物にならない強靭さを持ち、農家への被害も多いオーガベアは銅級昇格への登竜門的な魔物だ。
木々を圧し折る剛腕と、岩を削る爪は脅威の一言に尽きるが、彼らとて数々の戦いを繰り広げてきた新時代の担い手。大剣がオーガベアの一撃をいなし、魔法が剛毛を皮膚ごと削る。傷付きながらも昼から夜まで体力自慢の魔物を相手に戦い、遂に決着の時が来た。
「今だ! 仕掛けろアッシュ!」
「はあぁぁぁぁーーーーっ!!」
土の魔法で拘束されたオーガベアの頭部を、両手剣による渾身の唐竹割りで両断する。荒い息を吐きながらピクリとも動かないオーガベアをしばらくの間見下ろし、示し合わせたかのように目を合わせた2人は歓喜の雄叫びをあげた。
「やった! やったぞアッシュ! 俺たちはオーガベアを倒したんだ!」
「うんうん! これで僕らも銅級冒険者同然だよ!」
月天の下で武器を掲げて騒ぎ立てる2人だったが、ギャアギャアと悲鳴のような鳴き声を上げて飛び立つ怪鳥に思わず喉が引き攣り、冷静さを取り戻す。夜行性の魔物は凶暴で狡猾だ。昼にはない暗闇から冒険者に襲い掛かり、反応も出来ずに餌食にされるという話はよく聞く話。せっかくオーガベアを倒しても、他の魔物に倒されては意味がない。
「……さっさと証拠をとって帰るぞ」
「うん。グレンは灯りをお願い」
グレンが持つ魔導士の杖の先端に光球が発生し、無事な角や毛皮、爪などの利用できる部位を剥ぎ取るアッシュの手元を照らす。これらを持ちかえれば討伐の証明品となり、追加金を貰えるのだ。
その後、近隣の村で一夜を明かしてから無事にグランシェルトまで戻り、真っ直ぐに冒険者ギルドの本部へと足を運んだアッシュとグレンは、意気揚々と証明品が入った麻袋を受付カウンターに置いた。
「「オーガベア退治してきた!」」
「お疲れ様です! それでは証明品を確認させてもらいますね」
受付嬢は一房で編まれた髪を揺らし、輝くような営業スマイルで麻袋を持って受付の奥へと消えていく。手持無沙汰になってカウンターに寄り掛かって無言で過ごすこと数分、ジャラジャラと硬貨がぶつかる音を鳴らす布袋と書類を持って受付嬢が戻ってきた。
「お待たせしました! 証明品、確かに確認させて貰いました。おめでとうございます! これで晴れて、お二人は銅級冒険者ですね!」
受付嬢の称賛に2人の顔がだらしなく緩む。若い受付嬢はむさ苦しい猛者が集う冒険者ギルドの花だ。営業スマイルを見抜くほど経験を積んでいない思春期男子としてはある意味普通の反応だろう。
「いやー、僕にかかればこのくらい訳ないですよ!」
「何自分の手柄みたいに言ってんた? まぁオーガベアの討伐程度、オ・レ・の! 魔法があれば楽なもんだ!」
そして、たとえ営業スマイルと分かっていても、女性から笑顔で称賛されれば気が大きくなるというもの。鼻の下を伸ばし、互いの顔を押しのけながら自分の手柄を強調しなければ彼女も素直に尊敬したであろうが、目の前の醜い争いには内心ドン引きである。
「正式な昇格は3日後、その日に昇格証明書がギルドに用意されるので、3日後にまたお越しください」
「はい、分かりました」
「今回の昇格、本当におめでとうございます!」
内心を表に一切出さずに笑顔で見送る受付嬢の腹の内に気付かず、すっかり気を良くしたアッシュとグレンは報酬がたんまりと入った布袋を持ってギルドを後にし、大通りへと足を進める。
「で? ご飯が食べれる店ってこっちに密集してるの?」
「あぁ、そう聞いてる」
ゴォーン、ゴォーンと18時を示す鐘の音が都に響き、夕暮れの灯りが2人を染める。彼らが大通りへ向かうのは、グレンの提案によるものだ。昇格祝いに報酬を使って祝う。今後の冒険者生活への願掛けも込めた大盤振る舞いだ。
「まぁ、どの店が当たりかまでは分からないんだけどな」
「ダメじゃん」
当然の事だが、グランシェルトに来て間もない2人には、食堂の善し悪しが区別できない。世界全土を巻き込む種族間の戦いが終結して50年以上経ち、物流の流れた良くなった時代だが、不味い酒や飯で客から金を引き出す店は多い。それだけならまだしも、法外な値段で提供する店も、取り締まられながらも存在するのだ。そんな店に入れば昇格で良くした気分も台無しになってしまう。
なので2人が狙うのは、多少値が張っても良い店だ。次からはもっと報酬の多い依頼を受ける事が出来るので、今日限りは奮発できる。人の行き交いが激しい大通りに並ぶ店を物色していると、何やら良い匂いがした。
「何だろう? 嗅いだこと無いけど、すごく良い匂いがする」
「アレじゃないのか?」
グレンが指を向けた先には、内装がはっきりと見えるほど透き通ったガラス窓を備えた建物。ドアベルのついた扉の上には、どこか異国の趣を感じさせる木の看板が掲げられ、黒い字で店の名前が書かれていた。
「大衆食堂、《うめや》? 変わった名前だが、飲食店みたいだな」
「でも流石にここは無いかな? こんなに透き通ったガラスを使ってる店じゃ食べられないよ」
分かりやすい高級店の証拠に入るのを躊躇う2人だが、何故かその足は店の前から動かない。
「でも滅茶苦茶良い匂いだよなぁ」
「ん……まぁ、そう……だけどさ」
これはあまりに卑怯だ。ただでさえ夕食時で腹が空いているのに、こんな匂いを撒き散らされては堪らない。しばらく立ちすくんでいると、後ろから野太い声を浴びせられた。
「おうおう邪魔だガキども!」
「わっ!? す、すみません!」
声の主は薄汚れた作業着を着たドワーフだった。とても高級店に入る装いではないドワーフは迷うことなく《うめや》の扉を開け、地鳴りのような明るい大声で「嬢ちゃん、エールだ! エールを出せ!」と騒いでいる。
2人の頭に「この店は高級店ではないのか? どう見ても平民のドワーフが普通に入っていったぞ?」という声に出さない疑問が響く。顔を見合わせること数秒、グレンは意を決したように口を開いた。
「……ここで食べないか?」
「そ、そうする?」
平民にも食べられるなら、店の見た目に反してリーズナブルな値段かもしれない。そんな願望にも期待にも似た想いと共に店の扉を開く。
「いらっしゃいませ! 空いてる席にどうぞ!」
カランカランという音に犬耳を揺らし、笑顔で対応した女性給仕にアッシュとグレンは思わず固まった。冒険者のアイドル的存在である受付嬢を除き、これまで彼らが見てきた女性と言うのは、故郷の芋臭い村娘か男勝りな女冒険者か。
給仕はそんな彼女たちとはまるで違うタイプの美女だ。快活さと美しさを兼ね備え、しなやかな肢体でありながらその胸は豊満。成人したての16歳で、女っ気のない彼らには些か刺激が強すぎた。
「あのー、お客さん? どうしたんですか? 入り口の前に突っ立って」
「へぁっ!? い、いえいえいえ! 何でもないです!」
「座ります! 座りますんで! はいっ!」
顔を赤くしてカウンターに座る2人はガラスのコップに入ったお冷を飲みながら、青い髪を揺らしながら店内を駆けまわる給仕をチラチラと眺める。特にエプロンの上からでも分かる、揺れ動く二つの山を。
「この店は当たりだな」
「うん。これ以上の店はないね」
食事一つ注文せずに断定する。しかし折角入ったのだから何か注文しなければならない。とりあえずメニュー表を開いてみるが、その途端2人は揃って顔を顰めた。
「これ……どんな料理だ?」
「さ、さぁ……?」
値段こそリーズナブルだが、そこに記されているのは見たことも聞いたこともない料理の名前。下に説明書きが記されているが、分かるのは大雑把な材料位で、その味は見当つかない。
「まずはエールからいく?」
「いや、流石にそれは……」
先ほど入ったドワーフが4つ椅子を挟んだ先のカウンター席でガラスのジョッキに入ったエールをグビグビと呷っている。一応2人は成年しているので飲酒は出来るが、まだ酒に慣れていないにも拘わらずジョッキに入ったエールを飲み干す自信はない。
「それにあのエール、滅茶苦茶澄んだ色してるぞ」
「泡もなんか違うよね」
成人祝いにと父親に飲まされたエールは濁った黄色で、泡も表面に浮かぶ程度のもの。だがこの店のエールは澄んだ黄金色で泡は蓋になるほど分厚い。
特別酒が好きというわけでもない上に、あれはきっと高級な酒に違いないと勘違いした2人は酒を飲むことを止め、メニューを凝視しながら悩み続け、ふと馴染みのある食材が入った料理が目に映った。
「見ろよ、これ。エビが入った料理だってよ」
「エビかぁ……地元を離れてから食べてないよね」
漁村出身で2人揃って漁師の父を持つアッシュとグレンには食べ慣れたエビ。山海の間にあるグランシェルトで海老が獲れるのは不思議ではないが、気になるのはその調理法。
「エビに小麦粉と水、卵を混ぜ合わせたものとパン粉を纏わせ、油で熱して作ったエビフライをゴハンの上に乗せた料理……なんのこっちゃ?」
「さっぱり分からないよ」
エビの調理は甲殻を剥き、塩で焼くか煮るか。漁村で育った2人でもこの位しか知らないのに、小麦やら卵やらパン粉、果てには油を使う料理とはどういうことなのか? 説明書きだけ見てもやはりその全容を理解できない。
しかしここで逃げては漁村育ちの、ひいては冒険者の名折れ。飽きるほど食べてきたエビで満足させられるならさせてみろと意気込むアッシュとグレンは給仕を呼ぶと、またしても鼻の下を伸ばす。
「このエビフライドンっていうのくださーい」
「俺もそれでー」
「はい、エビフライドン2つですね? 承りました!」
注文してから再び給仕を眺める2人。しばらくすると、カウンターから覗ける厨房の方からジュウウウゥゥゥッという音が聞こえてきた。気になって覗いてみると、珍しい黒髪の料理人が白いパン粉を纏ったエビが油と思われる液体の中で泡を吹きながら泳がせているではないか。
「な、何やってんだ? アレ?」
「説明書き通りなら、油で熱してる……のかな?」
なんだか不安になってきたが、注文すれば料理が届くのが食堂。もうしばらくすると、給仕がトレイに丼2つを載せてやってきた。
「エビフライドン2つ、お待たせしました!」
目の前に置かれたのはホカホカのゴハンの上に細長く切られたキャベツを挟んで鎮座する太くて長い、3本の茶色い物体。端から飛び出る赤い尾は確かにエビのものだが、エビフライの色が所々濃ゆいのはどういうことなのか。漁村で従来の食べ方しか知らなかった2人からすれば余りにも奇抜。しかし、立ち上る芳しい香りを前にすれば食べずにはいられない。
「熱いうちに食べるか」
「そ、そうだね」
フォークを持ってエビフライを突き刺す。それぞれ4等分に切り分けられた内の一つを口に含むと、彼らの常識は木端微塵に打ち砕かれた。
「「美味ぁぁぁーいっ!!」」
表面の茶色い部分はザクザクとした軽い食感でありながら、酸味のある奥深い味。これが色が濃くなっていた原因かと認識した途端、表面の部分に閉じ込められていた潮の香りが口いっぱいに広がり、中からプリッとしたエビが飛び出す。
これはただ焼いたり煮たりするだけでは再現できない。エビの風味と旨味を一切逃がさず、全て閉じ込めることでのみ得られる至高の味。食べ慣れたエビの意外な一面に魅了され、丸々一本食べ尽くすと、下から覗くゴハンが目に映る。
これはエビフライだけで最早完成された料理と言っても過言ではない。なのになぜゴハンの上に置いたのか。戸惑う彼らは隣で同じように丼を持ち、掻き込む様に食べる犬獣人の客の姿を見た。
「ねぇ、これもああやって食べればいいのかな?」
「分からねぇ……分からねぇけど、そうしなきゃいけないような気がする」
丼を持ち上げ、口元に運んでエビフライとキャベツをゴハン共々口に放り込んだ。
僅かな塩気を含んだプリプリのエビとシャキシャキとした食感のキャベツが噛めば噛むほど仄かな甘みをだすゴハンと渾然一体となる。酸味のある奥深い味ともザクザクとした茶色い部分とも絶妙な調和を果たし、2人の脳裏に母なる海の景色が去来する。
「た、食べ終わっちまった」
海の幸と陸の幸、2つの魅力を一体としたエビフライドンに病みつきになり、気が付けば丼の中は空になっていた。これほどの美味ならもっと味わいたかったのに、気が付けばすぐに無くなり、ちゃんと味わう暇もない。
これは誰のせいでもない。夢中になって味わう事すら忘れた2人が原因、ひいてはこのエビフライドンの美味さが原因だ。胸にぽっかりと穴が開いたかのような寂しさを感じながら再びメニューを開き、エビフライドンの値段と財布の中身、腹の具合と相談する。
幸運にも2人が食べ盛りであり、金銭にも余裕があり、メニューの値段は手頃。アッシュとグレンは顔を見合わせると、頷き合って再び給仕を呼んだ。
「「エビフライドンお代わりっ!!」」
「は、はいっ!」
男2人の剣幕に押されて急いで注文を厨房に知らせる給仕。しばらくして届けられた2杯目をゆっくり平らげ、すっかり満腹になったアッシュとグレンは会計を済まして店を後にした。
「ありがとうございました! またのご来店、お待ちしてます!」
「はーい」
「また来まーす」
入り口まで見送ってくれた給仕に手を振り、街灯と月明かりに照らされた大通りを歩く。今にも鼻唄を歌い出しそうなほど機嫌で帰路につく2人は店の料理の事や、美しい給仕を思い返していた。
「いやー、最高の店だったな! 値段は手頃で味は格別! 何と言っても店員は美人!」
「ホント、名前くらい聞いとくんだったね!」
思春期の逞しい妄想の中で、あの給仕の女性が疲れた体を引きずって帰ってきた家で笑顔で出迎えてくれる未来を夢想する。冒険者が凶悪な魔物から美しい女性を守り、その女性と結婚するというのは詩の定番だ。
『おかえりなさい、あなた。ご飯にする? お風呂にする? それともわ・た・し?』
素晴らしい。想像するだけでも胸が膨らむ。結婚するならあんな感じの明るい性格の美人が良いとしみじみ思う。
「……グレン? もしかして抜け駆けしようなんて考えてないよね?」
「はぁ? 何言ってるんだ? そっちこそ抜け駆けしようとしてるんじゃないのか?」
「ははは、何言ってるのさ! 可笑しなことを言うなぁ、グレンは」
「そうだよなぁ! 心友である俺を差し置いてそんな訳ないよなぁ? ははははは!」
しばらく笑い合い、2人は突然互いの襟元を掴みあげた。
「このダニ野郎! さては僕を差し置いて給仕さんを口説きに行くつもりだな!?」
「お前こそ! どんな下種な手を使って給仕さんとお近づきになるつもりなんだ!?」
「人聞きの悪い事を言わないでくれるかな!? 僕の愛は純粋なんだよ!」
「純粋? ハッ! 何言ってるんだ? お前去年好きな女が出来た時は『付き合ってくれなかったら自殺する』って脅しに掛かってたじゃねーか!」
「違っ!? あの時は単に土下座して勢い任せで告白して失敗しただけだよ!」
戦闘となればこれ以上にないほど息が合い、女性関連となればぶつかり合う凸凹コンビ。後に給仕がすでに結婚していて、子供まで生んでいると知って地べたに突っ伏すことになるのだが、この時の2人はまだそれを知る由もなかった。