昼の部・フレンチトースト
お待たせして申し訳ありません。少し遅くなってしまいました。
ゴォーン、ゴォーンと、王都全域に10時の鐘の音が響き渡る。
グランシェルトの南北には大きな時計塔が2つ存在し、人々はその時計に合わせて日々の予定を立てている。それは依頼の受注という観点から見てある意味自由業である冒険者、マリアンもその中の一人だ。
冒険者の階級の上から2番目、金級の1人として実力が買われている魔導士という側面がある一方、憚る事を知らない本の虫であり、希書の蒐集家。そんな彼女の趣味が高じ、国からの要請もあって建設されたのがアルカディア王立図書館であり、マリアンはその館長である。
人呼んで、《図書館の変人》
金級冒険者としての資産の殆どを本の蒐集に使う彼女の図書館の蔵書量は国の支援も相まって膨大であり、見た目18歳前後という若さでそれを成した功績と、本以外には無頓着かつ無関心な生活から付いた異名である。
そんな彼女は長寿と名高いエルフだ。見た目こそ少女と言えるが、実年齢は本人曰く「覚えていない」らしい。
着飾れば誰もが眼を向ける素質のある容姿だが、無造作に伸ばし適当に切ったと分かる金髪や、翠玉のような瞳も前髪で隠れ、体の肉付きの悪い上に小柄で華奢。これでは折角の美貌も台無しだろう。
美容に興味なし。生活力は必要最低限。つい先日依頼をこなしたのでしばらくは本を読むことに熱中できる。そうと決まれば周りがどんなに声を掛けても 本から目を離さない彼女が、鐘の音を聞いた途端、バタンと音を立てて本を閉じた。
「行かなきゃ」
ポツリと呟き、財布と図鑑のように大きい本2冊を鞄に詰めて立ち上がり、根城である図書館を後にする。昨夜も遅くまで本を読み、つい数時間前に起きたマリアンには土精の二節の陽気は街中で倒れてそのまま眠ってしまいそうなほど心地よいが、それを何とか耐えて目的地へ向かう。
目指すは首都を両断する大通り。苦手な人の流れを掻い潜り、10時の鐘の音と同時に開店した店。そこは本屋でもなければ、冒険者ギルドでも魔道具屋でもない。仕込まれた食材の芳しい香りを周囲に撒いては人を寄せ付ける不思議な店。大衆食堂、《うめや》である。
「いらっしゃいませー!」
カランカランと、店のドアを開けると同時に響くドアベルの音に反応し、マリアンとは対照的な健康的な小麦色の肌と肉付きの良い体をした犬獣人の美女、アルマがマリアンを歓迎する。
「マリアンさん、今日も来てくれたんですね。ご注文、何時ものでいいですか?」
「うん」
「はーい、何時もの入りまーす!」
快活な笑顔で耳を揺らしながら厨房へ向かうアルマの背中を眺め、マリアンは空いているカウンター席に座って本を広げる。運ばれてきたガラスのコップに入った氷水を一口飲むと、彼女は本の世界へと没頭していった。
冒険者として、蒐集家として各地を回るマリアンが、これまで見たことも聞いたこともない料理を出す《うめや》の常連になったのは2年前の事。幼少の頃、当時まだ存命だった祖父が持ち帰ってきた本の魅力に取りつかれ、故郷である集落を飛び出したのは何時の頃だったか、もう覚えていない。
種族間の戦火が世界を呑み込んでいた時代に手を尽くして集めた本は終戦と共に保管場所が無くなって困っていた当時、今のアルカディア王太后に誘われて図書館の主になってから、この国に定住したマリアン。
食事に対しても無頓着で、栄養さえ取れれば何でもよかった。それこそ、本を読む合間に「ひたすら不味い」と評判の冒険者ギルドの支給品である兵糧丸と水さえあれば、それだけで生きていけた。
そんな彼女の食生活を心配し、《うめや》まで連れてきたのが、他ならぬ王太后である。初めは渋っていたマリアンだったが、長年の親友である彼女の誘いを無碍に出来ず、全く期待しないままこの店の料理を口にした時、世界が変わった。
「お待たせしましたー! フレンチトーストセットです!」
そう、この魅惑の料理によって。
「ふふっ」
甘く香ばしい香りに口元が緩む。物静かでミステリアス、度を超えた無表情という表面上のマリアンしか知らない者が見れば誰もが目を剥くだろう。それほどまでに彼女が笑うことは珍しい。
この料理に出会う以前、彼女が知るパンとは黒褐色の硬い丸パンが主流で、それに調理を施すなど古今東西の知識を持つ彼女を以てしても聞いたことが無い。
しかしこのパンはどうだ。ショクパンという、以前店長に見せてもらった四角形で大層柔らかいパンを贅沢に使い、それを卵液と牛乳の混合液に浸して焼くという斬新な発想。そんな簡単な調理でここまで味が昇華するなんて思いもしなかった。
「はむ」
食べやすいように4つに切り分けられた内の一つを手で掴んで小さな口で頬張る。その瞬間、口の中で優しく広がるのは仄かだがしっかりとした甘みとバターの風味。塩気の効いた肉汁と口を離してもフレンチトーストから伸びる熱いチーズの旨味だ。
4枚のショクパンを使いサンドイッチの様にベーコンとチーズを挟んで焼くことで生まれるのは、マリアンにも慣れしたんだパンに肉や乳製品といった原点的な相性。そしてその味を単調にしないようにフレンチトーストの表面にまばらにふられた粉砂糖。
(混沌の渦はここにあった)
光と闇。炎と水。大地と風。本来交じり合う事のない要素が混合する空想上の原理を魔導士の間では混沌の渦と呼ぶ。
ベーコンの塩気と粉砂糖の甘みという、ある種の対極にありそうな二つの味がパンやチーズ、卵と牛乳の風味と共に交じり合い、互いの引き立て合っている。何千年かけても魔導士が到達できない原理、その一端がこの料理にはあった。
「ゲン、今日のスープは何?」
「コンソメオニオンスープですね」
「コンソメオニオン……?」
「あー、………ようは玉ねぎと鶏ガラ出汁のスープです」
ゲンと呼ばれた厨房に居る黒髪の店長は答える。
この店のセットメニューにはメインの一品に日替わりのサラダとスープが付く。スープ用マグカップに注がれた透き通るような茶色で、適温に保たれた温かいスープを一口すすり、マリアンはホゥと、満足げに息を吐いた。
鶏を中心に複数の野菜と共に抽出してできたコンソメスープなるものでトロトロになるまで煮込まれた玉ねぎはスープの味をしっかりと染み込ませつつも本来の甘みが引き立っている。
サラダもレタスと、この世界では果物であるトマトだけというシンプルながら斬新な組み合わせに、ドレッシングというまろやかな酸味を持つソースとの好相性。シャキシャキしたレタスも瑞々しいトマトも新鮮で、歯ごたえが実に楽しい。
どれもこれもマリアンを満足させる彼女にとって至高の一品だが、彼女にとってこのセットの最も素晴らしい点は、片手で食べられるという事だ。フレンチトーストは素手で食べても問題ないと言うし、スープの容器はマグカップ。サラダはフォークで突き刺し、簡単に持ち上げられる手頃な大きさでカットされている。
利き手で料理を口に運びながら、もう片方の手で本を読むのは行儀が悪いと、王太后を初め、大勢の人から注意されてきたが、客が寛ぎながら料理を食べる場所を提供する大衆食堂では口喧しく言ってくる者がいない上に、料理まで美味しい。
(それにしても、何処でこんな食材を仕入れているんだろう?)
現状、市井に出回る食材でこれらの料理を再現することは出来ないだろう。パンは丸型のものしかない上に固いし、ベーコンは脂身だらけでギトギトするし、野菜は萎びている。
調理法にしてもそうだ。長年生きてきたがこんな斬新な料理は他に見たことが無いし、それらを次々と生み出しているにしては、店長は若すぎる。
(それに……店の奥から変な魔力を感じる)
初めてこの店に来た時から感じている違和感。企業秘密ということでトイレとフロア以外の立ち入りを禁止されている客としては探る手立てはないが、気になると言われれば気になるし、怪しいと言われれば怪し過ぎる。
(……でも)
皿から立ち上る香気に誘われ、また一口フレンチトーストを齧る。美味い。実に美味い。不変の大好物を前に長い耳をピコピコ上下に揺らして、マリアンはバッサリと思考を切り捨てた。
(食べ物に罪はない。美味しいものは祝福されるべき)
もしそれを悪と断じる者がいるのなら容赦はしない。その時は膨大な叡智と魔力が牙を剥くというだけの事だ。
ゆっくりと食べながら本を読むマリアンだったが、しばらくして綺麗に完食すると同時に立ち上がり、会計台の元までやってくると、備え付けられた呼び鈴を鳴らしてアルマを呼ぶ。
「アルマ、お会計」
「ありがとうございましたー! またのお越しをお待ちしてます!」
銅貨5枚を渡した後、入り口まで見送りに来たアルマに背を向けてマリアンは図書館へと歩を進める。口の端に付着した粉砂糖を舐め取り、彼女は今日も誓いを立てた。
「明日も来よう」
金級冒険者にして王立図書館館長マリアン。よほどのことが無い限り《うめや》が開店してすぐに必ず訪れる常連客の一人である。
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