夜の部・焼き鳥
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「今日は俺の奢りで飯でも食いにかないか?」
世界最大の規模を誇る大国アルカディア、その首都グランシェルトの警護を司る守備隊の新兵である赤髪の犬獣人のクラースが茶髪のオールバックが特徴の気の良い人間の先輩兵士、ステファンに誘われたのは花の開花を告げる春……土精の一節のある日のこと。全部で12節で区切られた1年の中で、もっとも穏やかな気候は吹き抜ける春風の心地よさも相まって、思わず欠伸をせざるを得ない。
60年前までは種族間同士の戦争が絶えない戦乱の世であったと言う。獣人と人間が同じ国に属するなど考えられないほど種族間の溝は深かったが、当時の魔人族を率いて魔王と名乗った現在の王太后が他種族に呼び掛け、種族間の偏見と確執を取り除き、今日の平和を50年維持し続けている。
種族間交流は2人が生まれるずっと前から全世界で盛んに行われ、今では違う種族同士で共に暮らし、結婚することすら当たり前。過去に凄惨な戦争を経験した人々は現状を維持しようと尽力し、世界の平和の前方異常なし。生活に苦しむ者も多いが、そういった者はちゃんと国からの援助も出るし、戦争を経験した老人から見れば実に豊かな世の中だ。
「いいですね、是非奢られますよ! でもどうしたんですか? いきなり奢りとか、なんか良いことでもあったんですか?」
「えー? それ聞いちゃう? くくく、実は前回の魔物の討伐任務の功績で二等兵から一等兵に昇進することが決まったんだよ!」
「ホントですか!? おめでとうございます!」
種族間や国家間の武力戦争の無い平和な時代と言っても、魔物や犯罪者の被害は多い。その抑止力となるのが国に仕える兵士や民間組織である冒険者ギルドだ。アルカディアの軍の中では一番下の階級である三等兵の2つ上と微妙な地位だが、出世は出世。給料は二等兵よりも多い。
「あと一階級昇進で小隊長だし、これを機に部下を労おうと思ってよ。という訳でクラース三等兵、終業後の予定は明けておくように」
「了解であります、ステファン一等兵殿!」
実に軽いノリでやり取りをする2人の兵士。その直後、気難しい上官から怒鳴られたことは割愛しておく。
首都には中心に建つ王城を両断するように伸びる人気の多い大通りが存在する。
夜の帳が下り、魔法で作られた街灯が未だ賑わいを見せる大通りを歩くクラースとステファンを照らし、窮屈に感じる鎧から私服に着替えた2人は解放感を感じながら目的地へと足を運んでいた。
「そう言えば、今から行く店ってどんなところなんですか?」
クラースが今更と言わんばかりに聞く。
日々の警備と厳しい訓練が主な業務である兵は体が資本。先週は広大な田園を通り越し、東の大峡谷で実戦さながらのサバイバル訓練だったし、今日もスリを働いた盗人を追いかけ回した。運動量が多いゆえに成長期を過ぎても腹が減る職業の兵士が好むのは安くてガッツリ食べれる料理だ。当然クラースもその例に漏れず、ステファンもそういう店に連れて行ってくれると思っていた。
「何年か前から話題の店でな。昼はランチセットと単品もの、夜は酒と一品ものを出してくれる。俺も常連なんだが、どれもアルカディアじゃ見たことのない美味い料理ばかりさ!」
「美味い料理……ですか?」
しかしステファンの口から出たのは、クラースには意外な返答だった。
確かに美味いにこしたことは無い。だが飯なんてのは腹が膨れ栄養が取れればそれでいい。手間を掛けた料理は金も掛かるし、本当に大丈夫かとやや心配になる。
「意外そうな顔してんな。だがそんな顔も今の内だ。ここらの住民であの店を知らない奴なんて滅多にいないぞ」
首都と一口に言ってもその面積は広大だ。大通りからは遠く離れた場所で生まれ育ったクラースは入隊と同時に大通り付近の宿舎で暮らし始めたので知るよしもないが、ステファンの言葉から察するにどうやら相当の人気店らしい。
「っと、着いたぞ。ここだ」
そこは石造りの建物が主流の大通りの中では目立つ木造建築の建物だった。それだけなら特に何とも思わなかったが、入り口である鐘付きの扉の上に掲げられた不思議な趣のある大きな木の看板には異国を思わせる店の名前が黒い太字ででかでかと書かれていた。
「大衆食堂、《うめや》……何か変わった名前ですね」
「何でも、この店の店長の名前からとったらしい。この国じゃ殆ど見ない黒髪だから、多分異国から来たんだろうな」
成程と、クラースは納得する。店の外まで響く賑わいを聞く限り、確かに繁盛しているようだ。これなら期待できるかと意気揚々にドアに手を掛けたが、クラースの目に店の窓ガラスが映り、その手がピタリと止まった。
「先輩、あの客貴族ですよね? 本当にこの店に入って大丈夫ですか?」
窓ガラスの向こう側に座るフリル付きの品の良い服に身を包んだ紳士を見てクラースは思わず後ずさる。フリルは貴族の分かりやすい証であるからだ。実は貴族御用達の高級店で、かなり無理して奢ろうとしているのではないかと気が引けたが、ステファンは特に気にした様子を見せない。
「大丈夫だって。俺も何度も来てるから」
「は、はぁ」
カランカランと、来店を告げるドアベルが鳴る。それを聞いた給仕と思われる真夏の空のような青い髪の犬獣人の女性は快活な笑顔で2人を出迎えた。
「いらっしゃいませー! 空いてる席にどうぞ―!」
エプロンで細い肢体と豊満な胸を包んだ健康的な小麦色の肌をした美女の登場にクラースは眼を剥く。背中に届く髪を後ろで束ね、服装こそ動きやすい簡素なものだが、着飾れば誰もが目を奪われるに違いない。呆然と給仕に見惚れるクラースの脇腹を、ステファンはニヤニヤと笑みを浮かべながら肘で突く。
「な? あれだけでも来てよかったって思うだろ?」
「そう、ですね」
「でも本気になるなよ? あんな美人、放って置かれる訳ねぇだろ?」
「ていうことは、もう結婚とかしてるんですか?」
「あぁ、ここの店長とな。もう子供が2人もいるんだ。……残念だったな?」
「そ、そんなんじゃないですよ!」
顔を赤くして狼狽えるクラースの様子をさも面白そうに笑いながら受け流すステファン。テーブル席4つ、厨房が見えるカウンター10席の小さいが明るく清潔な店内には既にテーブル席が埋まっていたので、ステファンは慣れた仕草で空いているカウンター席に後輩を誘導して座る。
「ステファンさん。また来てくれたんですね」
「店長の味を知ったら、もう他の店じゃ食えねぇよ」
伝票とトレイを持つ給仕と親しみを感じる受け答えをするステファンを見る限り、どうやら常連と言うのは嘘ではないらしい。
「この店の料理は独特だからな。最初は俺のお勧めを食っていけよ」
「あ、はい。お任せします」
「アルマちゃん! エール2つとヤキトリ盛り合わせ2つ! あとゴハン大も2つ頼む!」
ステファンの注文に思わず首を傾げる。エールはクラースにも馴染みのある麦の発泡酒で、ゴハンと言えばパンと並ぶ主食のコメを水で炊いた料理の事だ。しかしヤキトリなんていう料理は聞いたことが無い。
「エール2つお待たせしましたー! 横から失礼しますね」
アルマと呼ばれた給仕が初めにエールをガラスのジョッキで持ってきたことに驚く。
ガラスの加工技術はまだまだ発展途上であり、窓ガラスのような平らなものは市民に普及されているが、ガラス製の食器は数が少なく大変希少な逸品の筈だ。しかも大きい上に形まで整っている。慣れしたんだ木のジョッキでは分からない透き通るような金色のエールとそれに蓋をするような雲のように分厚く白い泡はどこか芸術品めいていた。
「驚いたろ? 何処で造られたものかは知らないが、この店のエールは透き通るほど綺麗な色なのさ。とりあえず飲もうぜ。乾杯!!」
「か、乾杯!」
美味そうに喉を鳴らすステファンを横目に、クラースは顔に緊張を浮かべながらエールを持ち上げた。 猛暑対策に氷を生み出す魔道具の普及に伴い、飲み物を冷やす上流階級御用達の魔道具があると聞く。ジョッキに水滴が浮かぶほど冷やされたエールが入った分厚いガラスのジョッキはズッシリと重く、金色に煌くエールは未知への探求心と恐怖を煽っている。
「ごく」
まずは一口飲んでみる。目を見開いたクラースは憑りつかれたかのようにジョッキを呷り、ゴクゴクと連続で喉を鳴らして一気に飲み干す。
これまで飲んでいたエールとは味はもちろん、喉越しもキレも何もかもが段違い。いや、もはや比べることすら烏滸がましい。
「俺は今まで、金払って腐った麦汁でも飲んでたんですかね……!」
「どうしたいきなり?」
「だってこれ本当にエールですか!? これと比べたら、俺が今まで飲んでたエールなんて腐った麦汁同然ですよ!?」
さらりと業者に失礼な事を言っているが、それをこの場で正す者はいない。この店で酒を飲んでいる客は、今まで濁った黄色で泡も少ない、酸っぱいエールしか飲んだことが無いのだ。クラースの気持ちはよく分かる。
「お待たせしました! ヤキトリ盛り合わせとゴハン大2つずつです!」
エールの感動が冷めやらぬ中、ゴハンとヤキトリが運ばれる。
大きい茶碗山盛りの純白に炊き上げられたコメと、大ぶりに切り分け焼かれた鶏肉を貫く6本の串。なるほど、確かに読んで字のごとく焼いた鶏肉料理だ。実に分かりやすい。香りも嗅いだことのないような芳しさで、否応が無しに期待値が上昇する。
「さ。食べようぜ」
串を手でもって肉に齧り付くステファンを真似てまずは右端、茶色いタレのようなものが全体に纏った肉だ。串の横側から齧り、肉を引き抜いて口の中で咀嚼すると、鶏肉特有のサッパリとしつつも潤沢な脂と旨味、そして甘辛い味付けが口の中で暴れまわる。
「……何だこれ? 滅茶苦茶美味い。硬くも無いしパサパサしてない。それにこのタレは一体?」
「そいつはモモ肉ですね」
クラースの疑問に答えたのは厨房から顔を出した短い黒髪の料理人だった。
「どの動物でも大体モモ肉が一番柔らかくて美味い。そいつを醤油っていう調味料をベースに甘辛く仕上げたタレを漬けてみたんです」
ショーユとは聞いたことのない調味料。しかし美味い。カルチャーショックとは正にこの事だろう。あっという間にモモ肉を平らげたクラースは次々とヤキトリを口へ運ぶ。
中に潤いを保ったまま外側はパリッとした食感の鶏皮はシンプルでありながら絶妙な塩加減。
鶏肉を擂り潰して練り上げたというツクネは実に柔らかく、モモ肉とはまた違ったタレとの共演を繰り広げる。
コリコリとしたワイルドな歯ごたえが病みつきになるスナギモと肉とネギを交互に挟んだネギマ。そして――――
「何だ、この赤いの?」
最後の一本。葉っぱを巻いて焼いた後、何やら赤いペースト状の物がかけられている。不可思議に思ったが、ここまでくると食べるなと言うのが無茶な話。まさか一本だけ不味いという訳ではないだろう。
「それは俺の故郷の梅干しっていう食材を潰したものです。葉っぱの名前は紫蘇。これもれっきとした食材ですよ」
「シソにウメボシ……この店の名前と似てますね」
受け答えしながら肉を齧り、引き抜き、口の中で咀嚼する。瞬間、口の中で宇宙が生まれたかのような気がした。
鮮烈な酸味と香りを発するウメボシ。爽やかな香りを発するシソ。香ばしく焼き上げられた鶏肉。3つの香りが引き立て合い、潤沢な脂と酸味が調和する。これは肉に塩をかけるだみたいな足し算ではなく掛け算だ。それぞれに味を何倍にも引き上げるとんでもないチームワークだ。
「どうだ? 美味いだろ?」
「いや、もう最高です! こんな店があるなんて知りませんでした! 早く教えてくださいよ、もー!」
「驚くのはまだ早いぞ?」
ニヤリと、意地の悪い笑みを浮かべるステファンはこれ見よがしにエールとゴハンをヤキトリの両側に置く。
「このヤキトリはエールとも合うし」
ヤキトリをゆっくりと味わい、飲み込んだ後エールをグイっと呷る。
「ゴハンと一緒に食っても格別なんだよ」
次にヤキトリを口に含んだままゴハンを掻き込む。
ご満悦の笑みで合わせ技を披露したステファンと、空になったジョッキとヤキトリの皿を見比べ、クラースは思わず悲鳴を上げた。
「ど、どうしてそれを先に言ってくれなかったんですか!?」
「そんなに怒るなって。ちゃんとおかわりは頼んである」
「ヤキトリ盛り合わせとエール、お待たせしました!」
見計らったかのようなタイミングでアルマが追加のエールとヤキトリを持ってくる。クラースはさりげなく気の利く先輩に内心感謝しつつ、ヤキトリを咀嚼しエールを飲み、ヤキトリとゴハンを一緒に食う。
後はもはや夢中になるのみ。ヤキトリとエールとゴハンの出会いは運命だとしか思えない。まさに夢のような一時を味わい、コメと肉と酒で腹を膨らませた2人は会計を済ませた。
「お代は銀貨4枚です」
「え? それだけ?」
銀貨4枚はクラースの日給の半分以下だ。あれだけ美味しい料理を2人で好き勝手食べておいてたったそれだけでいいかという思いが顔に出たのか、アルマは気にしなくてもいいと言わんばかりに快活に笑って入り口まで2人を見送った。
「ありがとうございました! またのお越しを―!」
賑やかな大通りから人が少なくなっていくのを見て、少し遅くなったとクラースは内心呟く。兵士の朝は早い。明日に向けて家に帰ったら風呂に入って早く寝なければならない時間帯だ。
「どうだ、俺のお勧めの店は」
「一言で言って最高でしたね」
給仕は美人だし飯も酒も美味い。まさに良い事尽くめの店だ。
今度また来よう。絶対来よう。ほろ酔いになって少しふらつきながら宿舎へ帰るクラースは、空に浮かぶ丸い黄金の月を見上げながら心の中で固くそう誓った。
第1話が思った以上に評価して貰えて感謝感激です!