紙透織音ー解放と選んだ未来
ヒロイン、紙透織音視点。
彼女は辛い過去を背負っています。
『どう、しますか?』
藍川改め赤月美樹がわたしに問う。
ーーゲームの内容にそった攻略はできない。
ーーゲームのようには幸せにはなれない。
ーーだけど、関わらなければ助ける?
「ふざけるな! なにを偉そうにいってるのよ!」
「偉そう、ではありません。実際に偉いんですよ。
僕たちフォルトゥーナは学園に大勢のファンがいます。社会に認知されていて、上流階級から、一般まで、海外でも有名なクラシックユニットなんですよ。知名度の高さと実力から、他の楽団からの引き抜き要請があるくらいですから。
僕たちが望めば、あなたはあっという間に社会的な身分をなくすでしょう。まずはそれを理解してください。
美樹があなたに言ったことは、僕たちにできる最大限の譲歩だということを。
選んでください。このまま紙透と一緒に没落するか、それとも紙透を捨てて、別の道を進むか」
……没落? 別の道?
べつに紙透の家が没落するのはどうでもいい。あの家はわたしを苦しめるだけ。実父も義母も、わたしを道具としか見ず、使用人たちも、人間扱いをしない。わたしをペット扱いしている。
だけど、別の道? わたしはヒロインで、攻略対象と幸せにならないといけないのに、別の道ってなんなの?
……いったい、この人たちはなにを言っているの……?
物心ついたときには、母とふたりの生活だった。どうやら母は父とあろうとして、実家との縁は切ってあったみたい。
だけど、その父は母とのことは遊びだったようで、わたしが産まれても認知もせず、放置されていた。
そのためだろう。母はわたしによく暴力を振るっていた。ただし、服で隠せる場所に。
「アンタのせいでアタシはあの人に捨てられたのよ!」
それが母の口癖だった。怒ると必ずご飯抜きになって……。そのせいで学校で倒れても、わたしが悪いと殴った。
だから、それが普通なのだと、ずっと思い続けていた。
それが変わったのは、母に殴られて倒れ、ひどく頭を打ったときだった。
そのあと、近所の人が気がついて病院に入院することになった。そして、わたしは前世を思い出していた。
前世のわたしは普通の一般家庭の娘で、普通に学校にも通っていた。まさか、修学旅行の最中に事故にあって命を落とすとか、考えたこともなかった。家族仲も良くって、ケンカはあっても、殴られたりすることはなかった。その事を思い出して……わたしは今の現状が普通じゃないと気がついた……。
それから、わたしは母のもとに戻ることはなかった。わたしを見つけてくれた近所の人が、そのままわたしの面倒を見てくれることのなったのだ。
「女の子がこんなに痩せてちゃだめだよ」
「もっとたくさん食べないと」
「織音ちゃん、可愛い。一緒にお買い物行きましょ」
「勉強、遅れてるのか? わかんないところ教えてやるよ」
おじさん、おばさん、双子のお兄さんとお姉さん。わたしにとっては、みんなが本当の家族のように思えていた。
中学に上がって、あるCDを聞くことになった。お姉さんが友達に進められて買ったCD。……アーティスト名はff。……まさか、あのゲームの世界なの?
あのゲーム。生前のわたしがもっとも好んだ乙女ゲーム。ヒロインは上流階級の庶子だとわかって学園に転入、フォルティッシモのメンバーと恋に落ちる。
ヒロインの名前はデフォルトで決まってなく、立ち絵もないからそれが誰だかもわからない。
……今のわたしには関係のないことか、と曲を楽しむだけにした。
収録されている曲は、わたしの知っているものとも違ったし、こんな名前は良くあるものだろうと、気にしてもいなかった。
ただ、お姉さんとふたりしてファンにはなってたけど。
高校1年の2月、わたしの前に、実の父の代理人という人が現れた。わたしを父の実家で引き取ると。母にはその事についての金銭による支払いは済んでいる、と……。
引き取られる先は紙透。もし断れば、お世話になっている人たちがどうなるかわからない、とも。
……わたしはみんなと別れることを決めた。
現在の時期とかを考えると、おそらくはわたしがヒロイン、なんだろう。ならば、学園で必ず幸せになれるはず。それまでの我慢だ。
みんな、いかなくてもいい、ここにいてもいいって言ってくれたけど、この家族になにかがおこれば、それはわたしのせいだ。
幸せでいて。
わたしはその言葉だけを残して、紙透の家にいった。
学園への転入は、4月から。それまでは紙透にふさわしい教育を、とマナーなどを学んだ。
実の父、そしてその妻とは、学園に転入するその前日に初めてあった。
「ふん。私の血を引くとは思えぬ貧相さだな。まあいい。なんとしても黒峰、青海、赤月の息子を落とすのだ。それだけがお前の役目だと心得ろ」
「あなたはわたくしたちの道具でしかありません。身の程をわきまえるように」
わたしに掛けられたのはその言葉だけ。そして、学園に転入。
ーーわたしは、紙透の道具になった。
それでも、攻略対象を落として、その恋人になれれば、幸せになれる、それだけを信じて学園生活を始めたのに……。
フォルティッシモを知ることになる最初のイベント、赤月彰とのイベントは、失敗だった。そもそも、ゲームとは違って失明もしていなかった。
青海駿とは、出逢うところまでは同じでも、その後はまったく違う。婚約者とか言う黒峰詩が現れた。……おかしい。詩は人見知りで、兄にベッタリだったはず。
藤白冬弥は、遇うのは難しくなかったけれど、どこかで監視があるのか、近づく必要はないと釘を刺された。
青海夏李は、いつも外国人の女性が一緒で、話しかける隙もない。
黒峰志貴にいたっては、そもそも出会うことすらできない。
物語の大幅な改編。なにがあったのかはわからないけれど、ここがゲームの世界ならば、ゲーム通りに進めないと。
わたしはその為だけに動いていた……。
黒峰志貴に呼び出されたのは、二学期になってから。
ゲームとは違うけれど、これで志貴ルートを始められる。そう思って屋上に向かった。
そこには黒峰志貴と、藍川美樹がいた。
そこで聞かされた現実。事故にあった赤月というのは、赤月彰ではなく、藍川美樹の方で、そこからゲームとは大幅に乖離してしまっていると。
だけど、わたしはヒロインだもの。攻略対象を攻略して、幸せにならないとならないのに!
なにを訳のわからないことを!
「ヒロインだからゲームと同じ行動をして幸せにならないといけない。そのような事実はありませんよ。あなたはあなたの大切な人たちと幸せになればいいでしょう。
あなたが望むのなら、すぐに手配をします。
学園から去り、もとの学校と、もとの家族と、暮らせばいいでしょう」
……もとの学校? もとの家族?
「っ! そしたら、みんなが……!」
「紙透の家にはまもなく司法の手が入ります。そちらが落ち着くまでは、僕たちの方で手を回します。……そもそも、紙透の家の行動の方がおかしいのですから」
「……帰っていいの?」
「むしろ、さっさと帰ってください」
『ーーー』
「いいんです。たんなる事実ですから」
藍川美樹がなにかをして、それをみて黒峰志貴が答えている。その親しげな様子に、わたしはあの家族を思い出す。
わたしを妹のように、娘のように、大切に思ってくれていた家族。
「……わかりました。帰ります。だけど! 絶対にみんなには……!」
「なにもありません。黒峰の名にかけて」
『ーーーー』
「え? 彼女に聞くのかい?
美樹があなたに聞きたいことがあるそうです。あなたはフォルティッシモのファンなのですか?」
「え、あ、うん。お姉さんとふたりで良く聞いていて……」
なにかに納得したように頷くと、藍川美樹は黒峰志貴の袖を引いた。
「もう話すことはありません。
できれば紙透の家によらずに帰ることを進めます。
ああ、迎えも来たみたいですし」
屋上から校門の方を見ると、1台の車が入ってきた。
わたしにとって、とても見覚えのある、懐かしい車。
わたしはそのまま屋上から走り去る。そうして校門に向かうと、おじさんが守衛さんとなにかを話していた。
「おじさん!」
「織音ちゃん!」
「織音!」
車からはおばさんとお姉さんも出てきて、わたしを抱き締めてくれた。
「おかえり、織音ちゃん」
「そうよ、帰ってくるの遅すぎなのよ!」
「……ごめんなさい。ただいま……」
わたしたちはしばらく抱き合って泣きじゃくった。
落ち着いたあと、守衛さんに見送られて、懐かしい家に帰った。
家ではお兄さんが、わたしの好きな料理を用意してくれていた。
「お帰り、織音。もうこの家から出てっちゃダメだからな」
「あら、お嫁さんに行ってもダメなの?」
「ダメに決まってる! 織音はおれの嫁になるんだから!」
「ああ、それなら問題はないな」
「え、え、えー!」
問題ないの? っていうか、お兄さん今のってプロポーズ⁉
真っ赤になったわたしをかこんで、久しぶりの家族との団欒を楽しんで……。翌日、家に小包が届いた。
送り主は赤月美樹、中身はフォルティッシモとフォルトゥーナのCD。
「フォルトゥーナは聞いたことなかったけど、クラシックでもすごく綺麗な曲だね」
「うん。本当だね。……わたしはこれが一番好きかも」
「ん? 最初にでた、ピアノソロのCD? おい、まさか学園でこの演奏者と知り合ったのか!」
「うん」
「わたさないぞ! 織音はおれの……」
「すっごく可愛い女の子だよ」
「……そうか……」
「ばーか」
「うるせー!」
バカみたいに笑って、そして、本当に帰ってこれたんだと実感する。
『愛しき人へ』。この曲のように、この想いをみんなに伝えたい。
わたしは、家族のみんなが、大好きです!
次回、最終話です。
登場人物
紙透織音
本来のゲームのヒロインの場合は、母に暴力を振るわれても、それに負けず、また、父の実家に引き取られたあとも、家の道具にはならず、自分の意思を通す性格でした。
そのためもとの世界では攻略対象を救い(そこまで強制ではなかったため)、変わった世界であったのなら、迷わず攻略対象に助けを求めていたでしょう。
織音は転生者だったため、他者に救われ、また脅迫観念に引きずられて、家族を守るためにはゲーム通りに攻略をしないとならないと思い込んでいました。
それを否定され、彼女が望んだ場所への道を示されて、ようやく帰ることができました。
……いわば、彼女はもっとも大きな被害者であったということです。
この後は、きちんと幸せになれました。




