赤月美樹ーゲーム開始と紙透織音の空回り
ヒロインは、とある強迫観念に囚われています。
「ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
「ああ、ちょっとぶつかっただけだからな。譜面も汚れてないし」
「え? あの、えっと、それって、フォルティッシモの譜面ですか?」
「は? 何を言っている? これはフォルトゥーナの譜面に決まっているだろう。……どうやら転入生のようだが、俺たち、フォルトゥーナを知らないと、後々面倒なことになりかねんぞ。注意することだ」
「え、え、え、……」
そうして彰は去っていった。彼女、紙透さんは呆然としている。
「どういうことよ? どうして赤月彰が失明してないし、まるくなってるのよ?」
ぶつぶつ呟くあの様子からすると、彼女は転生者、ですね。しかもゲームをやったことがある。
「……まあいいわ。とりあえず赤月彰との出会いイベントは起きたわけだし、他のキャラとの出会いイベントもこなさないとね」
そう言って去っていった。あーっと、うん。
『……ねえ』
「なにかな?」
『フォルトゥーナを知らないってあるのかな? たしか紙透の家格は赤月と同じよね?』
「そうだね。むしろ業績を伸ばしているから、紙透なら近づきたいと思うところだろうし、そうでなくても黒峰や青海とは近づきたく思うだろうし、なにより、機嫌を損ねないためにも、しっかりと教えておくはずだよ。彼女のミスで紙透が潰れる可能性が出来てしまうからね」
『彼女、フォルトゥーナをフォルティッシモと勘違いしていたとか?』
「ゲーム知識があるから、ちゃんと聞かなくても問題はないと思ったのかもしれないね。ゲーム通りなら彼女は攻略者と幸せになれるだろうから」
『「ゲーム通り」なら、ね』
そう。ゲーム通りになるはずはない。
攻略対象のうち、フリーなのは冬弥くんだけ。まあ、ある意味では夏李くんもフリーだけど、いつもアディと言い合っているから、本人たちの意思は無視して、このふたりも公認カップル状態なのよね。
「それはともかく、彼女の狙いは誰なのかな?」
『さあ?』
誰狙いとも言っていなかったから解りません。まあ、彼女の行動で判断するしかないかな?
その後。彼女いわくの出会いイベントはあった。とは言え……。
駿先輩の場合は……。
「あ、いけない!」
「このハンカチは君のか?」
「はい、そうです。あの……」
「駿さま? 何をしていらっしゃるのですか? 女子とご一緒とは、まさかナンパですか?」
「おい。俺をなんだと思っている?」
「わたくしの婚約者、ですわ」
「ならいい。単にハンカチを拾っただけだ」
「あら、そうですの? では参りましょう。今日はお義父さまに呼ばれているのです」
「なんでだ?」
「……きっと原因は彰さまですわね」
「……行きたくはないが、嫌なことはさっさと済ますか……」
「あら、嫌なことなんですの?」
「父に言われるのはな」
「まあ、そうかもしれませんわね……」
「え、なんで? 今のって青海駿との出会いイベントのはずなのに、なんで黒峰詩が出てくるのよ? 婚約者って何よ⁉」
というわけで、詩の登場でお礼すら言えない状態になっていたり。
冬弥くんの場合は……。
「あの、先生に言われて呼びに来たのですけれど……」
「え? アンタたしか普通科だよな?」
「はい。わたしは……」
「おい、冬弥! さっさと来い! 先生からの依頼だ!」
「って、マタ先生からイライなのかよ! アキラ、断れねーのかよ!」
「無理だ。何より美樹が引き受けてしまっている……」
「あー。しゃーないな。すぐにいく! っと悪いな。伝言サンキュー」
「え、あの?」
「……なんでよ? 依頼とか、そんなのゲームにはなかったわよ? それにミキって誰よ⁉」
となりました。時々あるんだ。先生に頼まれて、お客様の前での演奏とか。フォルトゥーナのファンはあちこちに多いからね。
まずは私に言質をとってから、彰にいく。まあ、その代わりこれがあった週の学校での演奏はなくなるからまあいいだろうとなっている。
……学内ファンのみなさま。そういう場合は校内生放送で我慢してくださいませ……。
で、夏李くんの時は。
「モー、カイって本当におっちょこちょいだね」
「うるさい。仕方ないだろ! これって引っ掛けスギだよ。ここがこうなって、それで答えがこう、とか」
「ソコがオモシロイんだけれどねー。ボクはこういうのスキだし。あ、コレもオモシロイよー」
「え、あこれ? あ、ほんとだ。ここはこうなるって面白いね」
「デショー」
「なにあれ? たしか青海夏李は孤独で、ブラコンのヤンデレで、あんなふうにパズルを女の子と楽しむとかなかったはずだし、あの子、どう考えてもモブよね? どういうこと? 黒峰志貴とは会えないし、もう!」
アディとパズルにはまっていて、入り込む余地もなかったようです。それにしても、志貴?
「僕は完全に彼女を避けているからね。彼女に捕まって美樹といられる時間を減らしたくはないから」
『もう!』
ということでした。
それにしても、彼女はまだ気がつかないのかな? この世界がゲームではないということを。そもそもリセットとかはできないし、自分の行動がすべて回りに反映され、時には返ってくる。その意味がわからないのかな?
「気になるかい?」
『そりゃ、ね』
「だけど、僕たちはなにも出来ないよ。彼女の行動の責任をとれるのは、彼女だけだから」
『わかっているわ。ただ、それが優しいものであってほしいと思うだけ。あと、早く彼女にも気がついてほしいと』
「そうだね」
何事もなく終わるとは思えない。だから、私たちはとりあえずの根回しだけはしておくことにしたんだ。
それからしばらく。おそらくは彼女はゲームの設定からの行動を相変わらず続けていた。夏休みのイベントなんかもなかったとは思うんだけれど……。それでもまだ、この世界がゲームだと思い込んでいるようだった。……もしかしたら、彼女の今の現状がつらいものだから、かもしれないけれど。
志貴が調べてくれたんだけど、彼女の設定はゲームと同じ。母親に売られて、父の実家では辛く当たられているよう。
それに対する手段を、間違っていることに気がつかない。ゲーム通りでは、彼女は幸せにはならない。それでも彼女は空回る。
彰が、中庭でのんびりと作曲をしているときだった。
「……彰くん。事故のせいだったとしても、あれだけの音が奏でられるんだもの。大丈夫よ」ー
「は? 確かに美樹の演奏は凄いけど、それは事故とは関係ないだろ? 自分で努力した結果なんだし」
「えっと、美樹さん? え、彰くんの演奏じゃー」
「オレは演奏なんてしないし、作曲の方が楽しいし……お、一曲思いついた! さっさと譜面に落として、美樹に弾いてもらわないと! きっと優希さんも優輝も喜ぶぞ!」
「え? ユキさんって?」
「オレの嫁さんと息子! それじゃ、急ぐからー」
「ちょっと、え、何それ⁉」
という会話がされていたり。ああ、優輝くんは姉さんと彰の息子さん。名前については、どれだけ姉さんが好きなんだっと突っ込みましたよ。
「夏李くんはいい子ですよ」
「なにを当たり前のことを? あいつはアディのお陰でずいぶん明るくなったし、友人も増えたからな。俺がわざわざ守る必要もない。自分で自立できているんだからな」
「え、あの、そうじゃなくって……」
「……わるいが、君のうわさは聞いている。自分の思い込みで他者に迷惑を掛ける行動をしているそうだな。他人をどうこうより、自らの行いを省みることだ」
「え、なにいって……」
駿先輩はそれだけいって、颯爽と去っていってたし。ああ、冬弥くんにはまったく近づく気はないようで、夏李くんには近づく隙がない状態です。志貴もね。
……狙いは、彰と駿先輩なのかな?
「おい、あの女、どう思っているんだ?」
週1の練習日、駿先輩が演奏後に言い出した。
……あの女とよばれた彼女、紙透織音さんは、学校の生徒全体からあまり良く見られていない。
私たちは学園の有名人で、作法をまもってならともかく、無作法に近寄ってきていることを、ほかの人たちは気にしている。私たちの迷惑になっていないかと。
なのに本人は気づいていない。回りに友人もおらず、ただ、孤独であることに気づいていない……。
「確かに迷惑だな。こっちが用事があっても近づいてくる。まあ、無視してさっさと移動することにしているが」
「そんな人、いたかな?」
「夏李さまはいつもアディさまとご一緒ですから。近寄る隙がありませんのよ」
「別にいつも一緒じゃ……」
「オレには近づいてもこないぜ」
「僕は完全に避けてますから。美樹になにかあったら大変ですからね」
「確かに。で、どうする?」
「実は、黒峰で調べた結果なのですが……」
そうして聞いた報告は、気分がいいものじゃなかった。
……ネグレスト。おそらくはそう言われるもの。親は彼女を道具としてしか見ず、自宅でも放置されているそうだ。
ただ、生きてさえいればいい。なので最低限の食事だけだしていて、あとは放っておいている。
……いづれは、婿さえ迎えればいい、それだけの存在。
「で、ドースンだよ?」
「すでに父が動いていますよ。紙透がどうなるかは、裁判で決まるでしょう。彼女については、おそらく紙透の傍系か、もしくは施設に入ることになるか……」
「どうにもできないの?」
「他には、彼女が『家』に帰るかですね」
『家に帰る』。おそらくは彼女がもっとも望むこと。その為に私たちにできることは……。
『ねえ、彼女と話してみてもいいかな?』
「どうするつもりだ?」
『ちょっと話すだけだよ。志貴にも一緒に来てもらうから大丈夫』
「ま、ソレナラいーだろ」
「お兄様、ちゃんとお姉さまを守ってくださいまし!」
「わかっているよ」
さて、了承を得たことだし、彼女と転生者同士、腹を割って話しましょうか!
そうして呼び出した場所は、定番の屋上。人が来るとすぐにわかるしね。
彼女のことは、志貴の名前で呼び出した。彼女が唯一会っていない攻略対象だけどね。
そして彼女はたいそうご機嫌な様子で屋上に上がってきました。ここを個人的に使用する許可は貰っているんで、他の人は入って着ません。階段下で詩も見張りをしてくれているし。
「志貴くん! お待たせ! ……え、あれ?」
さすがに私の存在に戸惑っているようですね。……それにしても、彼女の狙いは志貴、だったのかな? 血筋と身分。両方とも一番高いのは確かだけど。
「僕は君に名前で呼ぶ許可を出してはいません。無作法にもほどがありますね」
「え、だって、わたしを呼んだのって志貴くんだよね?」
「それとこれとは別でしょう。そんなこともわからないとは」
不愉快ですね。と不機嫌顔で言い捨てる。いや、目上の相手、しかも親しくない相手に対してコレはないわー。
「君を呼んだのは僕ではなく、彼女です。僕の愛しい婚約者で、赤月彰の義理の妹、美樹です」
「え? 彰くんはひとりっこでしょ? それに志貴くんにも婚約者なんていなかったはず……」
「聞こえていませんでしたか? 彼女は僕と婚約するために赤月になったのですよ。……前世からの婚約者であった、僕と伴に在ることを選んだのです」
「え? 前世? って志貴くんも転生者? あ、それじゃわたし、攻略対象を志貴くん1本に絞るわ。それならいいんでしょ?」
「……」
……なにを考えているのやら。志貴はどうやら話す気も無くした模様。……やれやれ。それじゃ、前もって入力しておいた音声で説明しますか。
私はタブレットを操作する。
『はじめまして。私は赤月美樹です。志貴と婚約のために赤月の籍に入る前は、赤月彰ルートのキーパーソン藍川美樹でした。
5年前の事故、彰が遭うはずだった訳ですが、その時に私が彰をかばったために、彰は怪我はなく、私が代わりに声を失うことになったんです。
その後、ひどく落ち込んだ彰は、姉の藍川優希に励まされて回復し、その後姉と婚約をしています。
前世で私が趣味にしていた作曲を知って、自分で演奏するよりも、作曲の方に意識が向いたようです。自分で主に姉のために作曲した曲を、私に演奏させるのが趣味にもなっています。
転生者は、私と志貴だけではありません。そのために他のメンバーの性格も大幅に変わることになっています。そもそも、各々が背負ったはずの闇は、すべて解消されていますから。
ですから、あなたがいくらゲームに沿って攻略をしようとも、まったく意味はありません。
ですが、あなたが今の現状から救われたいと思うのなら、私たちに関わらないことをお約束いただければ、助けることはできます。
どう、なさいますか?』
美樹の望みは、ただただ、みんなが幸せでいてくれること。