第1話 ジャージと海老と
とある町のとある公園の前を一人の青年が走っている。
時刻は早朝6時。
青年の名前は山口順。
彼の部活動は陸上部だが、この朝練は彼の個人メニューである。
毎朝10kmを走り込み、それが終われば一度帰宅し、朝食を摂る。
その後は他の生徒達と同じ時間に学校へ行くわけだが、今日はいつもと様子が違う。
「今日はやけに誰もいないなぁ……」
いつもは早朝とはいえ、同じランニング仲間や、新聞配達など誰かしらは見かけるはずだ。彼はコースを途中で変更し、河川の傍を通るコースを走ることにしたようだ。
「ちょっと時間もあるし、川に入ってみるか。冷たいかな…?」
彼は靴、靴下を脱ぎ、ズボンの裾をまくって川に入る体制になった。
「どれどれ……。」
彼が片足を川に入れ、体重をかけた時、彼の足はまるで地面が無い場所に吸い込まれるように態勢を崩し、身体全体が川にはまってしまった。
「うば、やべっ、ちょ、助けて!」
彼は必死に助けを求めたが、近くには人の気配はない。普段なら泳げるはずの彼だったが、何かに引っ張られるかのように川の中に消えていった。
「はう、お、俺はどうなったんだ??」
がばっと態勢を起こす。どうやら気を失っていたようだ。
「お…、お目覚めかな?」
耳元で誰かの声が聞こえる。
「えっと、助けて頂いてありが……。」
声がする方へ振り返り、お礼を言いかけたところで声の主の顔を見た。するとニコニコ笑いながらこちらを見ている猫顔の猫がいた。
「えっ?ネコ?」
「私はネコの亜人でノアっていうのよ。ネコだからって語尾ににゃはつけないのよ。」
「ここは…、ここはもしかして……どこですか?」
「あんた大丈夫なのかな?ここは水の都のエレーネよ。」
「もしかして、俺って異世界来ちゃった!?うん、来ちゃったよ?夢かな……、天国かな……。」
定番の顔をつねる。
「痛い……。夢じゃなさそうだ。」
--みんなには黙っていたけど、異世界に来ることは夢だったんだ…。まさか実現するなんて感激すぎる。
「あんた変な奴よ。川で水汲んでたら、あんたが流れてきて、ノアびっくりしたよ。」
「あ……、ありがとうございます。」
「あんたの変な衣服はそこに干しとるよ。あんたみたいなめんこい子には悪かったけど、病気になっちゃ大変だから服は勝手に脱がしたよ。もう乾いてるんじゃないかの。」
「色々と、親切にありがとうございます。」
起き上がったら、自分が素っ裸になっていることに気が付いた。
そして……。
「あれ……、無いよ。……。」
自分の身に何が起きたか、異世界に来たことまでは理解できたが、身体にまで異変が起きていた。
「お、女……?」
とりあえず恥ずかしさから、乾いていた下着、ジャージ類を着込んだ。
「あっ、あああっー!!?」
どうやら女の子になっていたようです。
「……あの、ノアさん?」
「なんなの?」
「鏡みたいなものありますか?」
「あるのよ。ほれっ」
ノアが取り出したのは綺麗に磨かれた鉄の盾に見える代物だった。
「あぁ、ありがとうございます。」
盾を受け取るとあまりの重さに盾の下敷きになってしまっている。
「痛っ!た、助けて……」
ノアはため息をつきながら盾を持ち上げた。
「私が持つから、好きに見るのよ。」
「ふぅ、助かった…。それでは失礼して。……やっぱり顔つきが変わってる。これは美少女なのか…?」
『銀髪、美少女顔、小さい…』
「もういい?」
ノアが退屈そうにジュンの方を見ている。
「あ、大丈夫です。助かりました。」
ノアは不思議そうにしながら盾を何度も見つめて、元の場所に戻した。
「あの、変なこと聞きますが…、ここはどこなんですか?」
「全く変なことなのよ。ここは知らない人はいない、街一番の鍛冶屋なのよ」
『なるほど…鍛冶屋だから盾とかあったのか』
自慢気に自分の髭をさすりながら答えるノア。
「そういうあなたはどこから来たのよ?」
「えっと、日本っていう国からですが…」
「聞いたことないのよ。このワタシが知らない国があるとは、世界は広いのよ。」
『全くだ。異世界から来たって言えば納得なのかな。』
「ぐぅ…。」
「お腹空いたのか?そこに用意している団子でも食べるのよ。」
ノアが近くのテーブルの上にある皿を指指した。
「ありがとうございます。じゃあ頂きます。」
ジュンは早速と食事の元へ行き、団子を手にとった。
『見た目はあまり良くないけど…、匂いは悪くないかな…。とりあえず外国の料理だと思えば…」
異世界での初食事は意外と普通だった。
「あ、海老の団子かな。なかなか美味しいかも」
「それは芋と海老をすりつぶして、丸めて火で炙っただけなのよ。毛玉ついてたらごめんなのよ。」
『ノアはネコ亜人なのを忘れていた…』
「ははっ、大丈夫ですよ。ところで、この世界ってギルドとか勇者とか、そういうのってあります?」
「ギルド?なら、この街には無いけど、この前来たお客が冒険者ギルドに請求回してくれって言ってたんよ。確かここから北の山を、一つ越えた先にある港街にあるのよ。そのお客は別のお客から勇者って呼ばれてたのよ。」
「うちはお得意以外、ニコニコ現金払いだから交渉決裂よ。」
ノアは不敵な笑みを浮かべながら頷いていた…。