小山内
小山内
「……どういう事ですか?」
わたしの目の前には何故か篠生さんがいた。明戸さんは「ちょっとだけ坊ちゃんの様子を見に行かせてもらっていいかな、すぐ戻ってくるから!」と言って丁度席を外していた。なので今は彼と二人きりである。彼はなにやら酷くご立腹のようで、しきりに黒井さんの悪口を言っている。陰口を叩く人は苦手だったが、この人は陰でなくても平気で悪口を言うのだろうと思うと不思議と嫌悪感は抱かなかった。
「だから、お前が死ぬ理由を僕に教えてくれ。黒井が何の役にも立たないから、僕の自殺理由が強いのか弱いのか客観的に判断出来ないんだよ。だったら自分でリサーチする他ないだろう」
偉そうにそう主張する篠生さん。気持ちは解からなくもないが、それを対戦相手であるわたしに直接聞くのはどうなのだろうか。それに強いとか弱いとかそう言う類の話でもないようにも思う。
「……だったら先に篠生さんの自殺理由を教えて欲しいです」
それが道理と言うものだ。わたしだけ情報を提供するのはさすがに筋が通っていない。
「断る。なんで僕が自分が不利になる情報を与えないとならないんだ」
そんな思惑を他所にわたしの要求は一刀両断されてしまった。始めから無茶苦茶な人だとは思っていたが、わたしの目算よりもう三歩は無茶苦茶な人だったようだ。
「それじゃあわたしも教えません」
「まあそうだよな。わかったよ、お前が教えてくれたら僕も自分の自殺した理由を聞かせてやるよ」
元よりそんな要望が通るとも思っていなかったのか、交渉とも言えないわたしの拙い言葉にあっさり頷く篠生さん。
「……わかりました。約束ですよ?」
「ああ、男に二言はない。だから早くお前の死んだ理由を教えてくれ」
篠生さんに促され、一つ深呼吸をする。少なくともそう言い切る篠生さんの目に嘘はないように思えた。何より先ほど既に明戸さんには話した内容であるので、恥ずかしいと言う気持ちも半分だ。わたしはもう一度胸一杯に空気を吸い込むと、自分の死んだ理由について語るべく意を決した。
「……わたしはイジメにあっていました」
先ほど自分の人生を振り返って見たとおり、わたしは周りからは空気みたいな扱いを受けていた。ずっと何の感動もない生き方を送っていた。
「ありがちだな」
「……失礼ですね」
自分がそんな事を言われたら、どう思うのかと聞いてみたい。
「んで、結局イジメに耐え切れず自殺したって事なのか?」
「……違います」
明戸さんもそう聞いてきたが、そんな理由で自殺を試みる程弱い人間ではない。辛かった事はもっと別の事だ。
「イジメられるのは、まあいいんです。少なからずわたしにも責任があるのでしょう」
では何が辛かったのか。何が耐え切れなかったのか。
「でも、だからと言ってずるい人間が得をするのは納得が出来なかったんです」
「ずるい人間?」
わたしが自殺した理由はただ一つ。いじめられる側よりもいじめる側の方が周囲の大人たちからの信用を得ている事、大人たちさえもがわたしではなくイジメを行っているクラスメイトたちを擁護する、その現実だ。
「……クラスでハムスターを飼っていたんですよ」
「ああ、そう言えば僕のところも小学校の時に飼っていたな」
「ある日そのハムスターが当番の子がゲージの扉を閉め忘れてしまった為に脱走してしまったんです」
あの日の当番はわたしをイジメていた首謀者にあたる女の子だったはずだ。彼女は学校が終わった後に遊びにいく約束をしていたのだろう、きちんと扉が閉まっている事を確認せずに帰ってしまったのだ。
「……次の日、ハムスターは校庭の隅で死んでいました」
「きっと猫にでもやられたんだろうな」
篠生さんは無遠慮に容赦のない考察をする。
「彼女はあせったんでしょうね、自分の所為でクラスで飼っていたハムスターが死んでしまったんだから」
ハムスターが死んでしまった事にももちろん罪の意識を抱いていたのだろうが、それよりもきっとこの事がクラスメイトたちに発覚した時にイジメの矛先がわたしから自分へと移る事に怯えたのだろう。
「それから数日後。わたしが登校すると黒板に【小山内さんがハムスターを逃がしたのを見ました】と言う落書きがされていました」
「そりゃあ、また陰湿だな」
「わたしは先生に呼び出されて酷く怒られました。先生はわたしがいくら否定をしても耳を貸してくれません。状況を説明しても、他人の所為にするな、と言って頭からわたしを疑っていました」
わたしをいじめていた女の子は頭がよく回り、社交的でおまけにわたしなんかよりも数段器量がよかった。そんな彼女に大人たちは一入の愛情を注ぎ、口下手で根暗なわたしには一欠けらの愛情も与えてはくれなかった。ずるくて立ち回りの上手い人間が得をして、真面目でも周囲とのコミュニケーショが下手な人間が損をする。
「……結局正直に生きてる人が馬鹿を見るんです」
その事実を知った時、わたしはこれからの将来に期待をする事を放棄してしまった。
「気付いたらわたしは学校の屋上から飛び降りていました」
その後、身体が気持ちのいい風を受けて地面に近づいていくイメージは覚えているけれど、そこから先の事は覚えていない。目が覚めたらこの場所にいたのだ。奇跡的に一命を取り留めたのか、そのままあのハムスターのようにぐしゃぐしゃになってしまったのかは判らない。それはこれから行うプレゼン大会にかかっているのだろう。
「とまあわたしが死んだ理由はこんなところです。どうでしょう、篠生さんより強いですか弱いですか?」
あえて篠生さんに併せて強弱と言う表現を使ってみる。明戸さんに話した時は「辛かったねえ」と言って優しく頭を撫でてくれたが、さて彼は一体どんな反応を示してくれるだろうか。
「話にならんな。と言うかお前馬鹿か?」
予想を遥かに上回る辛辣な反応だった。さすがに慰めの言葉は期待していなかったが、もう少し言い方があると思う。
「ずるい人間が得をするなんてのは当たり前なんだよ。人間社会における基本中の基本だ、常識だよ。最近のガキはそんな事も知らんのか」
なおもそう言ってわたしを罵倒する篠生さん。彼に常識だとかを説かれるのは不服であった。そして、彼にわたしを否定されるのはもっと不服であった。
「……そんなのおかしいです」
「おかしくねえよ」
「おかしいですよ!」
自分でもびっくりする位に大きな声が口から飛び出した。ここまで感情を昂らせたのは初めての経験かもしれなかった。いじめられている時ですら、先生がわたしの言葉を信じてくれなかった時ですら、こんな反抗なんてした事はない。理由は明白だ、彼の表情からその言葉に一点の曇りもない事が読み取れたから、彼がわたしの死んだ理由を本当に下らない事だと判断しているのが伝わってきたからだ。
「……訂正して下さい」
「嫌だね。ふん、なら賭けるか?お前が優勝したらそっちが正しかったって事でお前の言うことを何でも聞いてやるよ。だが、もし優勝出来なかったらこっちが正しかったって事として僕の命令を一つ聞いてもらう。どうだ?自分が正しいと言い張るんなら問題ないだろう?」
安い挑発であった。でも、ここは引き下がれない。引き下がってはわたしの死の決心が馬鹿にされたのを認める事になる。それだけは絶対に許してはいけない。
「……わかりました。でも、わたしが賭けに勝ったら絶対に言う事を聞いて貰いますからね」
わたしは悔しさで涙が零れそうな目で篠生さんを睨みつける。
「さっきも言っただろう、男に二言はないって」
篠生さんも、上等だ、と言わんばかりの顔でわたしの事を睨み返す。
「そう言えばそうでしたね。じゃあ、早速篠生さんの死んだ理由を聞かせて下さい。二言はないんですよね?」
「……そうだな。確かにお前が自分の死んだ理由を話したら、僕もお前に自分が死んだ理由を話すって約束だったな」
彼はわたしの言葉に頷く。
「でも、いつ、って約束はしてなかったよな?だから俺の死んだ理由はプレゼン大会の本番で聞かせてやるよ」
唖然として立ち尽くすわたしに彼は最後にこう言い残して去っていった。
「だから言っただろ?人間、ずるいやつが得をするんだよ」