篠生
篠生
「いい加減にしやがれ!」
僕は黒井を思いっきり叱咤する。こいつが自分の事をサポーターだとかぬかしておきながら何もしないからだ。
「そう熱くなるなって。怒りっぽいと早死にするぜ?」
彼は「ああ、あんたは早死にしたいんだっけか」と自分の言った台詞で笑っている。こっちとしては何も面白くない。
「いいからもっとプレゼン大会で勝てるようなアドバイスの一つでもしやがれってんだ」
あの陰気そうな少女たちの元を離れた後、僕は黒井からプレゼン大会のあらましを説明されていた。聞く限りこれはプレゼンテーションと言うよりはコンペティションに近い性質のもののように感じた。いかに競合相手よりも自分の方が死ぬべきかという事を審査員たちに売り込めるかが鍵となるのだ。その為にはこのくその役にもたたなそうなサポーターと作戦を練らなければならない。
「アドバイスねえ……」
顎に手を当てて、思案顔をする黒井。そのいかにも過ぎる仕草が逆にちゃんと考えているのかを疑わしくさせる。
「明戸さんは怒ると怖いから小山内さんにはもう少し優しく接した方がいいぞ?」
「知るか!」
こいつをサポーターに任命したのは一体どこのどいつなんだ。クレームの一つや二つをぶつけてやりたい。
「まああれだ。つまるところ、あんたが自殺の理由をどれだけ周りの共感を得られるように語れるかってところなんだよ」
面倒くさそうに頭をかく黒井。事実面倒くさいのだろう。
「それはさっき説明してもらったから解かるが、もっとプレゼンの攻略法だとか、弁論のコツだとかそう言う具体的な助言が欲しいんだよ」
それを教えてもらわない事には、サポーターがいる理由がまるでない。案山子と同じである。
「弁論のコツねえ……俺の友達だったら詳しいかもしれないけどなあ」
じゃあそいつを連れて来い。そう罵ってやろうと思ったが、そんな事をしても意味がないだろうと堪える。
「じゃあさ、予行練習でもしてみるのはどうだい?あんたが自殺した理由を本番だと思って俺に話してみてくれよ」
「……予行練習か」
始めて黒井から建設的な意見が出る。確かにそれは必要な事かもしれなかった。僕が自殺した理由をいかに上手く伝えられるか、その為にはリハーサルは非常に重要な事であると感じた。それと同時に他人にその理由を喋る事に物凄い抵抗も感じた。
「準備が出来たら始めてくれよ」
黒井に促され、一つ深呼吸をする。そうだ、恥ずかしがっている場合ではない。僕はもう一度腹一杯に空気を吸い込むと、自分の死んだ理由について語るべく意を決した。
「僕は……大学受験に失敗して引きこもりになった」
先ほど自分の人生を振り返って見たとおり、僕は屑みたいな生活を送っていた。何の生産性もない生き方を過ごしてきた。
「ありがちだねえ」
「……黙って聞いてくれないか」
いきなり野次を飛ばす黒井を睨む。
「悪い悪い。続けてくれ」
胸の前で手を合わすと彼は「知り合いの空気の読めなさがうつったかな」などと呟く。
「……続けるぞ。僕はずっと部屋に閉じこもっていた。それこそあの時はいつも死ぬ事を考えていたと思う」
「あの時はって言い回しからすると、その大学受験失敗ってのが自殺の理由ってわけじゃあないんだな」
僕の言葉を先回りして口にする黒井。そのミステリードラマを観賞しながら口に出して考察をするような野暮なマネはしないで欲しい。
「まあ、その通りだ。堕落した生活を送っていた僕にも転機が訪れたんだよ。それが彼女との出会いだ」
そう、僕はあの人がいたから腐った日常から這い出す事が出来た。しかし、あの人がいたからこそ自殺をしたとも言える。ちなみに「おおっと、これは思わぬ急展開だ」だとか言って身を乗り出す黒井は無視する事に決めた。
「彼女の名前は美土と言った。美土と出会って僕の生活は一変する。陳腐な言い回しかもしれないけれど、今までモノトーンだった世界が急にカラフルに色付いたようにさえ感じたよ」
美土は灰色の部屋で蹲っていた僕を外へと連れ出してくれた。世界の温度を思い出させてくれた。
「ちょっと待ってくれ、お前は引きこもりだったんだろう?どこでその女性と出会ったんだ?」
「お前はいちいち口を挟むやつだな」
「だっておかしいだろう。辻褄の合わない事を言うのは減点対象となりうるぞ?」
そう言われてしまうと反論出来ない。あまり言いたくないが、確かに事実関係ははっきりとさせておくべきなのかもしれない。
「……ナンパされたんだよ」
「……は?」
「だから、ナンパされたんだよ。僕は引きこもりと言ってもそこまで重度のやつじゃなかったから徒歩圏内の蕎麦屋くらいにはよく行ってたんだよ。そしたらそこで急に彼女に声をかけられたんだ」
呆気にとられた顔のまま僕を上から下までしげしげと見る黒井。まあその気持ちは解かる。僕だって自分の容姿がそこまで優れているとは思っていない。
「話は最後まで聞けよ。僕もその時は納得出来なかったさ。なんで自分なんかに声をかけるんだろうって思った。そんな事を思いつつも、何度か一緒にご飯を食べたりしてる内に親密になっていって、僕たちは交際を始めたんだ」
もし時が戻せるなら、あの時の自分をぶん殴ってやりたい。悔やんでも悔やみきれない。本当に後悔というのはいつも後からやってくる。
「それから丁度一年位かな。幸せな毎日だったよ。一日のほとんどを自室過ごしていた日々が目まぐるしく変わっていった。二人で色んな場所へ出かけた。人生ってのは隣に人がいてくれるだけで百八十度変わるものなんだなってのを実感した」
彼女が横で微笑んでくれているだけで、いっそ自殺でもしようかなんて事を日がな一日考えていた日々が嘘のように思えた。彼女さえいれば僕はどこへでだって行けるなんて思えた。錯覚をしていた。「君がいてくれれば僕はいつまででも生きていける」なんて恥ずかしい台詞すらものたまわったような覚えもある。
でも、そんな幸福な時間はいつまでも続かない。物事にはタイムリミットと言うものがあるのだ。まさかそれが予め爆発する瞬間が決められていた時限爆弾だとは思ってもみなかったけれども。
「一年経ったある日、彼女は僕にこう言ったんだ」
あの時の事は今でもはっきり覚えている。きっと死んでも一生忘れる事はないだろう。
『貴方とのお付き合い、実は罰ゲームだったんです』
その言葉だけを残し美土は僕の元から去っていった。地を這う芋虫であった僕の手をとって青い空まで連れて行ってくれた彼女は突如その手を離したのだ。思い出すだけで、体中の血液が石油にでも入れ替わったかのような感覚が全身に突き刺さる。目眩、動悸、息切れ、吐き気が手を取り合って僕を責め立てる。
「騙されていた事への怒り、裏切られた事への悲しみ、今までの一年が全て茶番だった事への絶望、気付いたら僕は自室で首を吊っていたよ」
その後、台にした椅子を蹴飛ばしたところまでは覚えているが、そこから先の事は覚えていない。目が覚めたらこの場所にいたのだ。あの物音で母が異変に気付き血相を変えて救助したのか。ひっそりと一人孤独に息を引き取ったのか。それはこれから行うプレゼン大会にかかっているのだろう。
「とまあ僕が死んだ理由はこんなところだ。どうだ、これなら優勝出来そうか?」
出来ないと困るんだけどな、と僕は黒井の顔を覗き込む。彼の目尻に涙が浮かんでいるのが見えたが、これは僕の話に同情したからではなくただの欠伸した結果であると言う事を僕は見逃していない。
「ん、どうだろうな。確かに酷い話だとは思うが」
何とも曖昧な返事をする。どうだろうな、じゃねえ。もうちょっと責任感をもってくれ。
「そんなあやふやな事じゃ困るんだよ。人の命がかかっているんだぞ!」
「だって、俺このプレゼン大会の担当になるの始めてだからな」
「……なんだって?」
まさかの事実に打ちひしがれる。目の前の人物が案山子にすらなりそうもない事に膝をつきそうになる。
「いやあ、というかこの制度自体がまだ始まって間もないんだよ。だからほとんどのやつが傾向だとかそんなん解かっていないと思うぞ。って、おい、あんたどこ行くんだよ」
僕は黒井の言葉を背中に受けながら、ずんずんと歩き出す。最初からこんなやつを当てにしたのが間違っていたのだ。
「敵状視察だよ」