惜しいから
転移した先は見たことのない部屋だった。教室に似ているが、机も椅子も、窓も扉もなく、中央に杯のようなものが鎮座しているだけの部屋だった。
「これが魔力炉です。この部屋は魔力炉を隠すために作った隠し部屋とでも言いましょうか。私以外にこの部屋の存在を知る者は居ません」
その言葉にカチュアは戸惑う。自分とは比べるまでもなく高位の魔法使いと助けが来ない場所で二人きり。だれが見ても危険な状況だ。
「もう時間もないでしょう。学園長が相手では時間稼ぎにしかならないでしょうね」
たしかにその通りだろう。探知魔法など、特定の誰かを探すための魔法は幾らでもある。それを使われれば隠し部屋なんてすぐに見つかってしまう。気が付くと、リカードの手にはナイフが握られていた。
「申し訳ありませんね。最期のお別れもさせてあげることができなくて。でも貴女の犠牲で夢幻世界は大きく変わります。貴女がその礎となるのです」
わめくようにリカードは言う。生徒を手にかける行為だ。冷静ではいられなかったのだろう。すでにカチュアは動けなかった。リカードに転移した瞬間、体が動かなくなる魔法をかけられていたのだ。逃げ出すことも悲鳴を上げることもできず、カチュアは現実を否定するように目を硬く瞑った。
夢幻世界が変わる礎になんてなりたくない。そんなものより生きて大切な人たちともっと長く居たかった。今までの思い出が走馬灯のように思い出される。
しかし、リカードのナイフはカチュアに届くことは無かった。恐る恐る目を開けると、そこにはリカードのナイフを人差し指で受け止めるメビウスの姿があった。
「まったく、危ないね。もう少し遅ければ死んでたじゃないか」
いつものように笑みを浮かべながらメビウスは言う。
「な、なんであなたが止めるのですかっ」
カチュアが聞きたかったことをリカードが代弁する。そうだ、何故あなたが助けてくれたのだ。
「あはは、簡単なことだよ。カチュアちゃんが惜しいからさ。うん、ここで彼女が死んでしまうより、カチュアちゃんが生きていてくれた方がずっと面白そうだからね。君のその暴走っぷりも面白かったけど、カチュアちゃんの行動力も面白かった。君が魔力炉を完成させちゃったら、それまでだし、だったらカチュアちゃんに生きて貰って事件に巻き込まれてもらった方が面白いでしょ?」
なんだ、それはとカチュアは思ってしまう、さりげなく自分が今後も事件に巻き込まれるなんて言っているし。結局は彼の掌の上だったということだろうか。助かったという安堵で思わず気が抜けて座り込んでしまった。
すでにリカードには抗議する気力も無かった。一世一代の、全てを犠牲にした賭けに負けたのだ。悔しげにその場に座り込んでいる。
「まぁ。ハッピーエンドで良いんじゃない?」
そう言ってメビウスがチラリと見た壁が破壊される。その先にはアドルフたちの姿があった。
「はぁ、何がハッピーエンドよ」
思わずため息が出てしまう、確かに誰の犠牲もなかった。でもまだ終わりじゃないのだ。魔道具はまだ回収されていない。危険性を知らしめても手元に所持し続ける魔法使いは多いだろう。これからが本当の始まりなのだ。
カチュアは自分を心配して駆け寄ってくる仲間たちを見ながら考える。資質を取り除くだけが夢幻世界を変える方法ではない。自分に何ができるのかわからない。しかし夢幻世界を変えるためにこれから頑張っていきたいと。




