僕は毎日の食事を、血を欲している。
この話を語るにあたって、この際、君たちにはっきりと言っておこう。僕はヴァンパイアである。吸血鬼である。元死体である。アンデッドである。これは決して間違いのないことであるからして、しっかりと諸君らの頭に刻み込んでおいてもらいたい。その上で、僕は毎日の食事を、血を欲している。だがこの日本において、毎日の食事を確保するのは、不可能だ。
僕は飢えている。これもまた重要なことだから強調しておく。もし僕の目の前に一匹のピンクの豚がいたら――もしもの話だが――僕は喜んで豚に注射器の針を刺して、死ぬまで血を抜き取り、ビーカーに溜め、その血をごくごくと味わっただろう。だが都会では決して、そんな幸運は起こらない。
僕の注射器は使われることはない。それは頭ではよく分かっている。でも、偶然と奇跡を希って、僕はアルコールで消毒したそれを持ち歩くことをやめられないでいる。
アンデッドの一つの利点は、代謝を完全に落として活動できることだ。僕はこの能力を使って、一週間の大半を――とりわけ忌々しいあの昼を――ベッドで眠って過ごしている。窓には永遠に開けられることのない雨戸と二重のカーテンがかかっている。そして夜には、コンビニのバイトのために家を出る。
僕たちヴァンパイアの間でも、太陽光がなぜダメなのか、はっきりとした結論は得られていない。ただ、長時間当たると死ぬということだけは絶対に確実だった。ヴァンパイアとしてよみがえったものは、個人差はあるものの、太陽光に当たるとそのただでさえ低い代謝が完全に停止し、死に至る。
ヴァンパイアの細胞を使った実験によれば、単に代謝が停止する、つまり「死体に戻る」だけだという結果が出ている。その一方、まだ「灰になる」と言う伝承を信じているものもいる。どっちにしろ太陽光に当たると僕らは「死ぬ」。UVカットクリームは、残念ながら効果の無いことが分かっている。
深夜のコンビニのバイトは、ヴァンパイアの良い就職先である。夜にしか活動できないという欠点を持つこの身体になってしまった以上、それ以上の仕事は望むべくもない。それでも店長に「君、朝も出てくれる?」などと言われてしまうと、どうしようもない。正直に太陽光アレルギーなんです、などと言えばクビである。とっさの時の上手い切り返しを、僕は十八個以上覚えて、とにかく絶対に無理なのだという一点張りで対処していた。その言い訳の中で一番あたりさわりの無い理由は、皮肉なことに親類の死と葬式だ。話の上では、僕の祖母は何度も何度も死んでいることになる。
その日、コンビニのバイトに新しい子――たぶん定時制の高校生だ――が入ってきたとき、僕は久々に救いを見た気がした。ヴァンパイアの直感として言わせてもらえば、彼女は処女だった。だが会話を交わせるのはシフトの交代の時くらい。僕のように「若い」ヴァンパイアでは、女性を魅了するなど不可能なことだ。ただ僕は彼女の豊富な想像力を試すように言った。「君、ヴァンパイアはいると思う? もしいるとして、彼らはどうやって食事をしていると思う?」と。
その子は茶髪で、ピアスをしていて、とても可愛らしく笑った。彼女はいつもびくびくおどおどしていて、その外見を除けば定時制に行くような子には見えなかったが、そこは複雑な家庭の事情というやつがあるのかもしれない。そのとき僕はただ飢えていたから、彼女の繊細な心の動きなどにはまるで無頓着だった。ただ彼女は、時々思い出したように泣いた。混じりけのない、綺麗な涙だった。
あるとき、泣きながら彼女は「死にたい」と言った。社会に出られない自分には何の価値も無い、生きていてもしょうがないんだ、と。怒りが湧いてきた。ふざけるなと思った。
だから僕は言ってやった。「ただの血肉の詰まった皮袋の分際で、手前の生き死にをどうこうできると思うな!」と。彼女はびくりと震えた。そして僕を見て再び泣いた。
まったく、泣きたいのはこっちのほうだった。僕は好き好んでヴァンパイアに、死体に生まれたわけじゃない。そう。僕はたまたまトラックに轢かれて、気がついたらヴァンパイアになっていただけなのだ。
トラックの運転手である一人の男が、どうか許してくれと言って泣いていたのを覚えている。そのときはただ、面倒だった。ひたすら面倒だった。僕はとりあえず全部許した。お金とか贖罪の言葉とか、そんなものは別にいいですよ、と言った。ただ僕は無性に喉が渇いていたから、そのへんをなんとか都合してくれと頼んだ。すると男は輸血パックと、すりきれた本を渡してくれた。タイトルはそう――ヴァンパイア入門と書いてあった。僕はそれから独学し、日本のヴァンパイア協会に連絡を取り、公式にヴァンパイアの一員になった。
それからしばらくして、僕は彼女を口説き落とした。死にたいなら僕の家で血を抜けばいい。少しずつ抜いていけば、いつか君は綺麗なまま死ねる。口にするにも反吐が出る、まさに綺麗事だったが、うぶな彼女はそれを頭から信じたようだった。彼女は僕の部屋に寝泊りするようになった。一方僕のほうは、自分の食事を自力で調達できたことに満足を感じていた。彼女は処女で、しかもよく血肉の詰まった皮袋だ。すばらしい食材だった。
だが。そんなある日。
「あなたはヴァンパイアなんでしょう?」彼女の言葉は僕の頭に冷や水を浴びせかけた。とっさに肯定も否定もできず「どうしてそう思ったの?」と僕はごまかそうとした。彼女は棚にあった本を指差して言った。ヴァンパイア入門って書いてある、と。僕は彼女の語学力を侮っていた。ドイツ語ならば読めないだろうと高をくくっていた。どうする? どうする? どうする?
「血肉の詰まった皮袋――」と彼女はあの時の言葉を反復した。「あなたは私を殺す気なんてない。処女のまま生かしておきたいんでしょう」と。僕に選択肢は無かった。この食材を失うわけにはいかなかった。だから僕は嘘をついた。「愛しているんだ」そう言って、僕は強引に彼女の唇を奪った。
ヴァンパイア入門で、決して「やってはいけないこと」として特に記されている項目がある。そのうちの最初の一つこそ、人間の女性を愛することだった。それをきっと、彼女はあらかじめ読んで知っていたに違いない。それでも僕は彼女を愛した。愛すると決めてしまった。それは控えめに言っても、とても不幸なことだった。
彼女が、血肉の詰まった皮袋ではなくなったとき、僕はその血をごくごくと飲むことができなくなった。ヴァンパイアならば誰もが夢見る、永劫の美酒である処女の血でさえも、僕は拒絶するようになった。他の女の血、雑多な輸血パックなど論外だった。そんなものを飲むくらいなら、海水を浴びるほど飲んで喉を乾かすほうがよほどマシだった。
ついに彼女は言った。
「本当に私を愛しているというなら、私をヴァンパイアにして」と。
どうしようもなかった。それだけはできなかった。決して。決して。
「僕が何歳なのか、君に分かるかい?」僕は言った。彼女は答えられなかった。長い沈黙が続いた。その沈黙こそが、二人の間に隔たっている大きな歳月を意味していた。実際、その差は埋めがたいものだった。僕は自分を僕と呼んでいたが、世間一般に照らせば、それはそろそろ儂と呼ばれるべき年齢だった。
「僕は君と同じく、自殺しようとしたんだ」僕は正直に言った。「でも生き返った。あのトラック運転手のクソ野郎が、俺を哀れんで、泣きながら生き返らせたんだ。その後の辛い人生があることを承知で、奴は俺を生かしたんだ。その結果がこれだ。その結果が僕と君だ。都会で生きるヴァンパイア。たった一人の血でさえも満足に吸えない哀れなヴァンパイア。その上に君は、僕にもう一人分の永遠を生きろと要求するのか? 本当はもう読んで知っているんだろう。ヴァンパイアは人間を愛してはいけないんだ。それは死よりも辛い結末になるんだから」
「『もしその者を本当に愛しているなら、その意に反して、それを遠ざけねばならない』。彼女は本のくだりを引用した。『そしてもしその者に愛されてしまったなら、もはや手の施しようが無い』」
「僕が寝ている間に、読んだのか」「うん。最初のほうだけ」
「じゃあ、最後になんて書いてあるかは、知らないんだな」「なんて書いてあるの?」
「永遠に続く死を覚悟せよ。汝は神に呪われた。もはや救いがたい」
「『汝は神に呪われた。もはや救いがたい』」彼女は復唱した。宇宙最後の秘密の公式を知った物理学者のような口ぶりだった。
彼女はそれきりぷいといなくなった。残ったのは、彼女から抜き取った数十ミリリットルの血だけだった。僕はそれを時々舐めた。時々舐めて、そこにかつてあった愛の味がしない理由を、懸命に探そうとした。
僕の勘が正しければ、彼女はまだ生きていると思う。彼女は社会に必要とされたがっていた。ヴァンパイアにはしてやれなかったけれど、僕には彼女が必要だった。それは分かってもらえていたと思う。
だから君がもし彼女に会ったら伝えて欲しい。だいぶ錆びてはしまったけれど、まだ僕は君の血を持っている。神に呪われ、もはや救いがたいこの人生に、彩りを与えてくれた君を、僕はまだほんの少し愛している、と。