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海斗シーンからクライマックス。

続きです。

;海斗シーン



━━━━時間はわずかに遡る。


時は諸刃が攻め込んでくるよりも少し前。


海斗は地下施設の中を一人ひた走っていた。

リノリウムの床に、彼の革靴の音だけが騒がしく響く。

壁も床も一面の白。病院の廊下を思わせる無機質な光景が延々と続いていた。

時刻は深夜。

消灯された地上階とは違い、ここ地下フロアは照明が煌々と焚かれている。

先ほどまで暗闇をペンライト一本で探り歩いた海斗にとってはとてつもなく眩しく感じられたが、今はすでに瞳孔が順応していた。


━━場所は地下12階。


海斗には特に意味があったわけではなく、手始めに行き着いた階がそこだっただけである。

言い方を変えれば、己の直感を信じ、それに委ねてみたともいえる。


だが不思議なことに、地下のセキュリティシステムも、海斗の持つカードキーと指紋認証で通行が可能だった。


いくらなんでも出来すぎている。


海斗はそう感じたが、今は気にしないことにした。

たとえ罠であろうとも、望むところだという気勢があった。

武道の心得はある。

七年間鍛え続けた空手と柔道は、少なからず海斗に自信と過信を与えていた。

事実、道場では敵なしだ。段位も持っている。

しかし、海斗は表立った大会には特に出場はしていない。武術を必要としたのは、武器を持たずとも戦う力を得たいがためだった。そこに公式な戦績などは必要ない。

それに、彼は実力を無為に晒すことも好まなかった。違う地区の道場まで通うようにして、海斗の武道の実力を知るものを極力抑えるようにした。

そういう面からも、本当の実力を隠す夕綺にどこか共通のものを感じ取り、認めていたのかもしれない。


海斗は自らの武を頼みにここまで来た。

そして、そうでなければこの施設には踏み込めないだろう。ここは、海斗の予想したとおり裏社会の一端なのだから。自分の拠り所となるものを持たなければ、とても平静ではいられない。


ここにくるまでに、海斗はすでに職員━━いや、構成員を一人打ちのめしている。


このフロアの廊下で遭遇した白衣の男。


誰にも見つからずに施設内を調べ、証拠となるものを探し出すことが理想ではあったが、探偵でも隠密行動に長けたエージェントでもない一介の高校生にはそんなことは望むべくも無かった。


エレベーターを降りてすぐに鉢合わせをし、仕方なく叩きのめした次第だ。


自分が侵入したことは完全に気づかれている。

海斗は理解していた。

先ほどの見事な正拳突きも、監視カメラにバッチリと映っていることだろう。


ゆえに、目的の達成を急ぐ。

いまさら足音や進入の痕跡など気にする必要は無い。

そのためには、ひたすらに急ぐしかない。


そう思い海斗は一人廊下を駆け続けた。

これしきで息が上がることはないが、彼の心臓の鼓動は早まるばかりだ。

視界が筒抜けな廊下を嫌うようにして、おもむろに一つの部屋に進入を試みる。

そこはまるで手術室を思わせる鉄の自動ドア。

今までと同じように、ロックは簡単に解除ができた。


「まったく、どうなってんだか……。まあ、中には入れるなら越したことはないか。たとえ誘いだとしても、それに乗ってやるよ」


海斗は不敵な笑いを浮かべながらその部屋へと踏み込んだ。


だが、その笑いは一瞬で硬く引きつったものに変化した。

その部屋の持つ異様な雰囲気を瞬時に感じ取る。


━━否、その雰囲気に飲みこまれた。



「━━━━なん……だ、これ━━は━━━━!?」


海斗が息を呑む。


室内は薄暗く、そして無人だった。


ただし、


━━“すでに人でないもの”を除くなら━━━━。



そこにあったものは、立ち並ぶ四角いガラスのケースの群れ。

いや、むしろ水槽といった方が正しいのだろうか。

そこにだけ、仄暗い照明がスポットで照らされていた。

巨大なガラスの容器には名状できない色の溶液が満たされ、その中には“人のようなもの”が横たわっている。

容器には蓋がされていない。その溶液から発する臭いも海斗の鼻腔を不快に刺激した。ホルマリンともアンモニアとも違う、なにか薬品めいた臭い。



「━━━━うっ……!」


海斗は呻きながらも、なんとか吐き気を飲み下す。


一度目を背けるも、このおぞましい光景を記録に残すことを理性的に判断し、再びガラスケース内を見やった。


「くそったれ……、なんて、悪趣味な……。これは、これは━━━━━━━━」


海斗は顔を顰め、搾り出すように悪態をつく。


そこに在ったものは━━━━━━



「━━━━屍体━━━━じゃねぇか━━━━」


声の最後は掠れていた。


それも無理からぬこと。

この光景を目にして平静でいられたら、むしろソレはすでに人ではない。


ゆえに、この部屋の管理者はとっくに人の範疇を超えている。


まるで棺のようなガラスケースの中には、人型が仰向けに沈められている。

全てのガラスケースにソレは在った。

だが、その体の状態は様々だった。


指が欠損しているのは序の口━━━━


あるモノは片腕が無く━━━━


また、あるモノは片足が無く━━━━


他には臓腑が剥き出しになったモノ━━━━


眼球の刳り貫かれたもの━━━━


頭部の無いもの━━━━



人の尊厳など、ここには存在しない。


かつて人だったモノだけがそこには在った。


「━━━━何だってんだ!? いったい何のために、何をしようってんだ!?」


海斗にはこの部屋の存在意義、存在理由など知る由も無い。

ただ、気の狂ったような犯罪行為に、恐怖と怒りを感じていた。


そして、奴らを弾劾するためには証拠が必要だ。

屍体を撮影することに海斗は一瞬躊躇したが、ここまで来た意味を思い出し、これらの異常な設備を写真におさめることにした。

携帯電話を取り出し、片っ端から写真を撮っていく。レンズ越しの液晶ディスプレイを見ながら海斗は再び吐き気を催す。

しかし、証拠の画像は可能な限り鮮明に撮らなければ意味を成さない。

吐き気を堪えながら、惨たらしい屍体の細部まで撮影をした。

そこで一つ気がついたのは、屍体の断面は刃物で正確に切断されたものだということ。

そこに治療がなされた形跡などは無い。

医学の知識にさほど詳しくない海斗にも、生前に手術で切除されたものとはまったく違う様子であることが間違いなくわかった。


だからといって、この屍体がなにかを語るでもない。海斗はこの屍体について考えることはやめ、作業として徹することにした。


一通り撮影し終えた海斗はやっと終わったと深々と嘆息した。

そうして、今のうちに画像のデータを自分のパソコンに送信しようとメール画面を開いた。

そこでやっと気づく。


「圏外━━か━━」


ここは地下12階。携帯の電波が通じないのも当然だと、海斗はあきらめた。

データを真っ先に他所へ送信してしまおうという海斗の判断は正しい。この常軌を逸したモノを目の前にしてその冷静さは見事である。しかし、それが適わないこ今、この証拠を公の場に出すためには、生きてここを出なければいけないことを覚悟する。




気を取り直し改めて室内を見回す。

薄暗くて最初は気づかなかったが、部屋の奥にもう一つ扉があるのを視認した。


入り口と同じような鉄の自動ドア。

どうせはなから不法侵入のようなものだ。

人も一人殴り倒している。毒を食らわば皿まで。

ここまできたら、奥の部屋も確認しておこうと海斗はそちらに向かう。


扉をくぐった先にあったものはさらに異様な光景。

真っ白な部屋の中心には一つのベッド。いや、部屋の雰囲気から鑑みるに診察台とでも言うのだろうか? 手術台といってもいいだろう。横に置いてあるキャスター付きのテーブルがソレを連想させた。

ただ一つ気になるのは、台には手足を拘束するような金具が添えつけられていることだ。

これがいったい何に使用されるものなのかはわからないし、想像したくもなかった。


その手術台の奥には見たことも無いようなコンピューターやモニター、他にも様々な機器があった。

海斗にはそれらがいったい何かはわからなかったが、少なくともまっとうな医療機器には思えなかった。


なぜなら、それらの機器の中に混ざり、一つ異質なものを発見してしまったからだ。


「なんだ━━? これは……?」



部屋中に並ぶ高度な精密機器たちの中にあって、そのガラスの箱は妙に目に付いた。

大きさは一メートル四方ほどの、ガラスのボックス状の機械。

横には開閉部分と思しき窓のようなものがあった。


特に、その中に入っているものに目が行く。


「これは━━━━鉄扇━━!? なんでこんなものが?」


機器と併設するようにその箱は設置されていた。

箱には脚が付いており、内容物は海斗の目線の高さとピタリと合った。

おかげで、その内容物を見落とすことは無かった。

鉄扇の両端には電極のようなものが取り付けられ、配線を介してここにある機器郡と接続されているように思われた。


海斗には、その鉄扇には見覚えがあった。

その鉄扇にはあるものが刻まれていたからだ。


「葉真夜の、家紋━━━━」


夕綺と付き合いの長い海斗は、葉真夜の家紋をよく目にしていた。葉真夜の家に行けば、否応無く目に付く。

そして、その鉄扇の持ち主も知っている。

幼きころ、自分を助けてくれた恩人。

━━━━夕綺の父。


海斗はますます意味がわからなくなる。


この組織のこと。この部屋のこと。霧島のこと。

この鉄扇のこと。夕綺のこと。新城のこと。

さっぱりわからないことだらけだ。


いや、本当は少しだけわかりかけてもいた。

認めたくないだけだ。


とにかく、ここがまともではないことだけは痛烈に理解した。


海斗はこの場を後にして、他の場所も確認しに行きたかったが、恩人の遺品である鉄扇をこのままにして良いものかわずかに逡巡した。


これ以上余計な時間は掛けられない。

すでに、この部屋に刺客が向けられていてもおかしくない。

だが、海斗は鉄扇を持っていくことを選択した。

開口部にはロックがかかっていることはわかっていた。

それでも、置いてはいけない。

ガラスを破壊してでも開けようと、すばやく方法を思案した。

結論━━手近にあるものでガラスの箱を破壊する。


海斗は手術台に脇にあったサイドテーブルに目を付けた。


「ステンレス製か、これなら、何とかなるか━━」


海斗はステンレス製のテーブルを力強く握り締め、大上段に振りかぶった。


部屋中に響く破砕音。

さしもの強化ガラスもステンレスには敵わない。


粉々に砕け散ったガラスの中から鉄扇を取り出した。

かつての恩人の品を手にして、海斗にはあの日の記憶がよみがえった。

一撃で暴漢を叩き伏せた夕綺の父━━その勇士を。

そして、自身の無力を悔い、己を鍛えるきっかけとなったあの事件。


悠長にはしていられない現状でありながら、海斗は思わず感慨にふける。

そうしてから、程なくして鉄扇をしまう。




その時だった。


━━━━部屋の入り口が外側から開かれた。


電動の駆動音と共に一人の人影があらわれる。


「━━━━あんたは━━━━━━━━!」


海斗は思わぬ見知った顔に驚く。

そこに立つは、強面で体格のいいスーツの男。

肩幅も広く胸板も厚い。服越しにも、その優れた肉体がはっきりと自己主張していた。


「━━━━ふっ、お久しぶりです。海斗お坊ちゃん……!」


そこに現れた男は海斗を坊ちゃんと呼んだ。どこかヘラヘラと人を見下したような物言いと眼差しは、海斗に不快を感じさせるには十分だった。


「坊ちゃんはもうやめろと言ったはずだ、竹田さん。俺はもうそんな年じゃない」


憮然と海斗は言い返す。その目にはかすかな嫌悪が浮かんでいる。


「ははっ、そうですか。私からすれば、あなたはまだまだ坊やなのですがね。幼稚で、大人の判断をすることもできなかったようですし。私がお坊ちゃんをお守りしていた頃とたいして変わりは無いですが……。まあいいでしょう、海斗“様”。それよりも、今は話を聞いてもらいましょう。よろしいでしょうか?」


人を小ばかにしたような口調は続く。


「よろしいもなにも、好きにすればいい。この距離なら言葉を発せば嫌でも耳に入る。だが一つ言っておく。俺はもうあの頃とは違う。今はもうあんたのような腐れボディガードなど必要とはしていない。口の利き方には気をつけてもらいたいな、竹田さん」


海斗も負けてはいない。

少しも怯むことなく竹田という男と対峙する。


「━━━━ちょっと前まで鼻垂らしてた小僧が、言うようになったじゃねえか。━━━━ガキが、あんまり調子に乗るんじゃねえぞ……!!」


海斗が竹田と呼んだ男は、へらへらとした笑いを止め、ドスの利いた低い声で返す。


おそらく、こちらの顔が本性だろう。



「言ったはずです。もう以前の俺とは違うと。あなたに警護されていた日々は苦痛でしたからね、頑張って力をつけましたよ。竹田さん」


「オレも、おまえのようなガキの御守りをするのは大嫌いだったんでね。せいせいしてるぜ」


竹田は唾棄して告げる。


「ふ、気が合いますね。俺もだよ、竹田サン! あんたと一緒に行動した日々は、うんざりするほど素敵だったよ。━━━━それより、なにか話があるんでしょう? 言いたいことがあるんならどうぞ」


海斗は挑発的に声を発する。二人の間に剣呑とした空気が立ち込める。


「ち━━━━まあいい、どうせお前はすぐにその減らず口も叩けなくなるんだからな。いいか、よく聞け。俺はお前を始末しに来た。意味はわかるか?」


竹田は至極あっさりとそう告げた。

そこには感情とは別の、使命感のようなものが見えた。


「なるほど、この施設の実態を知った俺を殺そうということか。それは、親父の命令なのか?」


対する海斗は、ひどく冷静だった。

まるでそうであることがわかっていたかのように。

いや、わかっていたのであろう。


「ほ~う? よくわかってる。いい信頼関係じゃねえか。素晴らしい親子関係だな」


「まあね、それは否定しない」



「さて、そういうわけだ。とっとと死んでもらおうか。今は厳戒態勢なんだ。おまえのような、子供の探偵ごっこには付き合ってられねぇ。それにしてもバカな奴だ、首を突っ込まなければ、長生きできたのによ」


「まて、厳戒態勢とはなんだ?」


海斗が問う。


「そんなことお前には関係ない。オレが言えるのは、この組織にとって邪魔者であるお前を殺すということ、それだけだ。倉形様も、霧島さんも、そしてオレも、お前を障害物としてしか見ていないからな」


「霧島━━━━。やはりあいつもここの関係者か! 竹田、あんたは一体━━?」


海斗はすぐさま反応した。


「まあ、ここまできて隠すこともないか……。どうせお前はココで死ぬ。冥土の土産にいくつか教えてやるよ」



海斗は息を呑む。

当然恐怖心もあるが、今は疑問を解決させたい思いの方が上回っていた。

竹田の言葉を逃すまいと耳を向ける。




「オレは本来はボディガードなんかじゃねぇ。この組織の始末屋さ。あらゆる汚れた仕事を受け持つプロだ。人も殺す。その証拠も消す。全てを闇から闇へと葬るのがオレの役割。

そして組織の目的は━━━━━━━━━━━━━━━━━━……。そして━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ことだ」


竹田の話はひどく滑稽で、それでいて笑えない。

そしてあまりに信じがたい。

だが、否定する材料も持ち合わせてはいなかった。


「バカな。そんなことが許されるはずがない! そんな馬鹿げたことが現実に行われてたまるか!」


海斗は驚きと激昂をあらわにする。



「どう思うかはお前の自由だ。あの部屋を見たお前なら、この話が嘘でないことは理解できるとおもうがね。さあ、そろそろ死んでもらおう。オレはこの後、たくさんやることがあるんでな。まず、お前を殺し、その死体を倉形様に見せに行く。そして、葉真夜の小僧がオレたちに逆らわないよう、あの新城とかいう小娘を丁重にもてなしておかないとならんのでな」


「まて! それはどういうことだ!? 新城がここに居るのか? それに、夕━━葉真夜がどうしたってんだ!?」


海斗は有り余る疑問を矢継ぎ早にぶつける。


「そうあわてるな。━━━━まあ、オレとお前の仲だ。それなりに付き合いも長い。せっかくだ、最後に全て教えてやる。なにも知らずに死ぬのも面白くなかろう。どうせなら、全てを知って無念を味わいながら死にな」


海斗は歯軋りしながら竹田を睨む。

そこには怒りと疑問、それに幾ばくかの恐怖。さまざまな感情が入り乱れていた。


「簡単に言えば、葉真夜はオレたちが利用している。新城という小娘を人質にとってな。葉真夜の能力は組織にとって有益だ。必要なうちは、あいつをココにとどまらせておかなければならない。そして、今この時こそ、葉真夜を必要としている。対、人外用の道具としてな!」


「ふざけるな! そんな、そんな人を物のように扱うのは、絶対ゆるさねえ!」


「は、別にお前許してもらおうとは思っていないさ。お前は、そんな怒りを抱えたまま、無念のうちに死ぬのさ」


「竹田━━━━貴様!」


「来いよ……! 少し遊んでやる。さあ、オレを楽しませてみろ!」


竹田は両拳を体の前で握る。

ボクシングの構えだ。

竹田は元プロボクサーだ。プロを辞めたのは実力が足りないからではなく、素行の悪さからくる物だった。

暴力事件を起こしたためライセンスを剥奪され、その後裏社会に身を落とした。そうして今に至る。


「けっ、このボクサー崩れが。まっとうなボディーガードじゃないとは思っていたが、まさか地下組織の始末屋だとはな」


海斗は戦闘態勢に入る。

左手を前に突き出し、右腕は脇を締め構える。



「きな! 小僧!」


竹田の言葉を待つまでも無く海斗は走り出していた。

先手必勝、それが海斗の信条だ。

後の先を取るよりも、先の先。

それが実戦では一番優れていると海斗は信じている。それこそが海斗の強さを支える要因だ。

いまだかつて、海斗の初撃をかわしたものはいない。


しかし━━━━、


竹田の左拳がいきなり大きくなった。

乾いた音が響く。

竹田に殴りかかろうとした海斗は完全に出足を止められた。

左ジャブだ。竹田の左ジャブが海斗の顔面を捉えていた。


「ぐっ……! 腐ってもボクサーだな……。今の左は俺でも見るのがやっとだ。当たる瞬間に歯を食いしばってなかったら、もってかれるところだったぜ」


海斗は軽く頭を振り、鼻血を手の甲で乱暴に拭いた。


「どうした? 今のはホンの小手調べだぜ?」


竹田が嗤う。


「まだまだこれからよ━━!」


海斗は再び間合いをつめる。

左をもらう覚悟で、下段蹴り(ローキック)を放つ。




蹴りを当てられる前にパンチをあわせようとする竹田だが、海斗の蹴りが一瞬勝った。


「ちぃっ! くそが!」


ひざ裏に蹴りを当てられ、竹田の顔が一瞬ゆがむ。


「下段攻撃は苦手かい? 竹田サン」


海斗がニヤリと歯を見せる。


「てめえ!」


竹田のワンツー。左右のコンビネーションだ。

左ジャブから右ストレートと続く連携攻撃。


この左は一度見た。

かわせなくとも捌きようはある。

肩の動きからパンチの軌道はおおよそ読める。

ボクシングと空手の違いはあれど、人間の繰り出す拳のバリエーションには限りがある。


「そうなんども喰らうかよ!」


海斗は前に突っ込みながらジャブを右肩で弾く。

竹田の攻撃はまだ終わってはいない。

本命の右ストレートが海斗の顔面を狙う。


「砕け散れ━━━━!」


ヘビー級はあろうかという竹田の渾身の右。もらえば歯の数本は折られるだろう。顎の骨も粉砕骨折しかねない。


だが━━━━、


海斗はその右ストレートを払う。

左腕で相手の右腕の軌道を外側に逸らした。


パンチというものは本来、受けるものではなく、払う、もしくは受け流すものなのだ。

空手を鍛えつづけた海斗には、十分すぎるほどそれを理解していた。

パンチをガードするというのは、グローブをはいたボクシングならではの技術だ。

素手の格闘ではそうはいかない。


海斗の眼前に無防備な腹が見えた。


「せいやああぁ!」


海斗の気合と共に前蹴りが一閃する。

竹田の水月を突き刺した。


「うぐぅ━━━━! がっ、は!」


竹田はたまらず距離をとった。

そしてすばやく呼吸を整える。


「衰えたね竹田サン。運動不足なんじゃないか?」


「く、なめやがって……! これで勝ったと思うなよ。今のはうまくいったようだが、この体格差は覆せんぞ。お前の軽い攻撃で、オレの意識は奪えまい! 真っ向からぶつかり合えば、オレの勝ちに揺るぎは無い。体格で劣るお前は、オレのパンチ一つでも喰らえば、まともに立ってもいられまい!」


竹田の言うことは間違ってはいない。

格闘において体格差という要因はあまりに大きい。

攻撃力、打たれ強さ、リーチ、あらゆる面で大きい者が有利だ。それが格闘の現実だ。

あらゆる格闘技においても、体重で階級を分けて試合がなされているのがその証拠だ。

ボクシングしかり、レスリングしかり。


「たしかにあんたの言うとおりだ。体格差を跳ね返すのは容易じゃない。けど、俺は戦う力を得るためにこれまで鍛えてきたんだ。そう簡単にはやられねえ!」


海斗は剛毅な性格でもあった。

体格差を見て怯むようでは、すでにこんなところには来てはいない。


「は、なら捻りつぶしてやるぜ!」


今度は竹田が踏み込んでくる。


元プロボクサーのフットワーク。そのステップインは脅威の速さだった。


左右のフェイントをまじえた後、一瞬で海斗の懐に侵入した。


「速━━━━ぐっ!!」


攻撃には微塵も躊躇いは無かった。


竹田のパンチは正確に海斗の鳩尾を打ち抜いた。

ソーラープレキサスブロー。

ボクシングにも鳩尾打ちはある。

お返しとばかりに同じ部位を攻めた。


海斗は顔面の攻撃に備え、ガードを上げていた。

鍛えた腹筋には自身があったが、いかな人間も筋肉の隙間である鳩尾までは鍛えられない。


海斗は息を吸うこともできず、数瞬動きが止まる。

その隙に今度は右アッパー。海斗の頭蓋を揺らす。


「がっ━━━━!」


海斗がのけ反る。

さらに追い討ち。


竹田は怒涛のラッシュで一気に攻め立てた。

殺すといった言葉は本当だ。

パンチは全て急所を狙い、海斗を撲殺せんと猛然と殴り続けた。

チン(顎)、テンプル(こめかみ)、リバー(肝臓)、ストマック(胃)、あらゆる人体の急所を執拗に狙う。

ボクサーの拳は言わずと知れた凶器であり、人を殴り殺すことは十分に可能である。

事実、試合や練習中でも死者が出た事例はあるのだ。


海斗は壁際に追いやられる。

かわすことはできないと判断した海斗は、パンチを受けながらも急所は全て外すようにわずかにずらして受けた。

瞼は切れ、鼻血も出る。口の中も切り、唾液と共に赤いものが混ざる。壁に頭を打ち、そこからも血が流れ出る。意識が飛びそうになるが歯を食いしばって耐える。


痛みは当然あるが、急所にもらえば即失神ものだ。

痛いで済むなら安いもの。


海斗は攻撃に隙ができるのを待った。

どんな人間もいつかは息が上がる。

見た目は派手だが、不用意なラッシュは思いのほかスタミナを消耗するものなのだ。

息を止めた無酸素運動は、そう長くは続けられない。我慢比べだ。


そしてその時は来る。


竹田は攻撃の合間に大きく息を吸った。

虎視眈々とその瞬間待っていた海斗はソレを見逃すことはない。


「うおおおおおぉぉぉぉぉお!」


海斗の反撃。

わずかな好機を逃すまいと必死の形相で拳を握る。

ここで己の最も得意とする技をみまう。


;SE バキ?、エフェクト パンチ風

骨の軋む音が響いた。

果たして音が鳴ったのはどちらの骨か?

海斗の拳か、竹田の顔面か。

あるいはその両方か━━━━。


「ぐあっ━━!!」


竹田の呻きが漏れる。

海斗の正拳突きが竹田の顔面にめり込んだのだ。


これこそ、以前海斗が夕綺の父に助けられた時に目にした閃光のような一撃。

それを、海斗なりに再現したものだ。

圧倒的な強さにあこがれた海斗が常に目標に描いた、真に魂のこもった一撃なのだ。



そして、空手家の鍛えられた拳は強力だ。

裸拳の強さだけなら、ボクサーの拳を上回るかもしれない。そんな拳で柔らかい鼻を殴りぬいたのだ。

おそらく竹田の鼻は完全に折れたに違いない。

海斗の手には骨を砕いた厭な感触が残ったが、命を奪うと宣言している相手には、自身の心の負担は皆無だった。やらなければ殺される。そう思えば、この程度の怪我を負わせるくらいは十分に妥当なところだろう。あとは如何にして相手の戦意を挫くべきか、もしくは撃退するべきか━━━━。


「てめえ……、や っ て くれたな……!」


怨嗟のような声が地獄のそこから響いてくるようだった。


竹田は、すでにひしゃげた鼻からダラダラと鮮血を垂れ流しながらも、海斗に歩み寄る。


あれだけの一撃を受けたというのに、竹田の足取りはしっかりとしていた。鼻を折り脳を揺らしたはずの攻撃も、竹田の優れた肉体の前には決定打には至らなかった。


「くそったれ━━━━! どこまでタフなんだ」


海斗が驚愕し心底辟易した。

あの打撃で駄目なら、自分の打撃では相手を倒すことは適わない。ならば、別の手段が必要になる。


「……遊びはここまでだ━━━━。よくもオレの鼻を折ってくれたな。お前は一思いには殺さず、存分に痛めつけてから殺してやるよ……!」


そう言って竹田はスーツの懐から、剣呑を具現化したような武器を取り出した。

この国では正当な理由無く所持を認められていない文句なしの違法武器。

━━━━━━拳銃だ。


銃はコルトガバメント。

大口径の自動拳銃だ。

竹田は拳銃を構えながら海斗に近寄った。

拳銃を前にさすがの海斗も鼻白む。


「けっ……、そんなものまで出してくるなんてな。反則だぜ……」


悔しげに呟くのが精一杯の抵抗だ。



「まずはオレの鼻を折ってくれたその右腕からだ!」


至近距離から乾いた銃声が響いた。


初めて聞く本物の銃の音は、想像以上に大きかった。耳を聾するほどの火薬の爆発音。


しかし、鼓膜を破らんばかりに刺激した音以上に、耐えようの無い激痛が海斗を襲う。


「ああああぁぁぁぁあああ!」


銃弾は海斗の右腕を掠め、肉が1センチほど抉られた。これだけなら骨にも生命にも影響は無いだろうが、その痛みは尋常ではない。

痛めつけてから殺すというのは本気だ。

海斗は迫りくる死の恐怖をひしひしと感じていた。

それでも、ただ死ぬつもりはさらさら無い。


「次はオレの腹を蹴飛ばしてくれた右足といくか」


再び銃声が轟いた。


海斗は呻き声を上げ、床に膝を着き苦悶の表情を見せる。弾が貫通した太ももから血が流れだした。


銃口から硝煙が立ち上り、火薬のにおいがした。

自身の右足が抉られながらも、どこか冷静にそんなことを感じていた。


死を前にした人間とは、案外冷静にいられるものなんだなと、海斗は不思議とそう思った。


それでもと、それでもまだ死にたくないと本能が叫ぶ。

達観して死を受け入れるなんてまっぴらだと叫ぶ。


そうして海斗は考える。

生き残る最後の可能性を。

可能性は低い。それでも、このまま黙っていては無為の死だ。

自分の身を守ることもできずに死ぬのは許されない。いままでひたすらに鍛え続けた年月を否定されるのは我慢がならない。

今、海斗を奮い立たせたのは正義心でもなんでもない。

ただ、負けたくないという、まこと単純で明快な一つの感情だけだ。


その心が、海斗にある作戦を思い立たせる。

いや、作戦などというのも憚られる、ただの悪あがきだ。

けれど、それでかまわない。

もう一発銃弾を受ければ、次は立っていられないだろう。

ならば、やるのは次の発砲の時だ━━━━。

海斗の決断は早い。これも海斗の強さの一つだ。

勝負所を誤れば、それだけで人は敗北する。

海斗はそれを本能で嗅ぎ分けた。


━━━━伸るか反るか。海斗は最後の勝負に出る。


「次はどうするかな……。そうだな、左足といくか。そうすれば、動けなくなったお前をいくらでも嬲れる。━━━━決まりだ、喰らえ!」


竹田は勝利を確信している。銃を持った自分の敗北など微塵も感じていない。あとは、己より弱い存在と認識した相手に向かって暴力を向けているだけだ。



竹田の右手人差し指がトリガーに掛かる。


これが失敗すれば即座に射殺されるであろう。

海斗のこめかみから血の混ざった赤い汗が流れ落ちる。


━━恐怖はある。

それでも銃口から目は逸らさない。


そして竹田の人差し指が折り曲げられる。

トリガーがあと一ミリでも動けば弾丸は発射されるだろう。


海斗は立っているのがやっとの振りをしながら、膝を曲げて備えていた。


この瞬間に━━━━━━。




そのトリガーが引かれる瞬間に、海斗は身を弾けさせた。


マズルフラッシュと同時に海斗が“飛んだ”。

刹那遅れて銃声が鳴る。

コンマ一秒前に海斗がいた場所を鉛玉が通過した。

海斗は残った左足に全ての力を注ぎ込んで、相手に向かってやや右前方に飛び出したのだ。

竹田は宣言どおり海斗の左足を狙った。海斗はそれを読んで、右前方へと飛んで見事銃弾をかわしたのだ。



音速を上回る銃弾をかわすには、発射と同時に体を動かすしかなかった。

銃声を聞いた時にはすでに弾丸は体を貫いているだろう。

かといって、発射の前に動いては狙いを変えられる。

ゆえに、トリガーの引かれるギリギリの瞬間まで引き付けてから、体を動かさなければならなかった。


海斗はその時を見極め、絶妙なタイミングで跳躍して見せた。

勝負は、━━━━━━━━━━━━海斗の勝ちだ。


すでに海斗は、竹田の懐まで潜り込んでいた。

この時点で、もはや勝敗は決している。

もう一度言おう。


━━━━━━━━海斗の勝ちだ。


海斗の左手は竹田の右手首をがっしりと掴んでいた。これでもう、海斗に向けて銃を撃つことは適わない。

そして、激痛に苛む右腕に鞭を打って無理やりに動かす。

━━━━竹田のスーツの左襟を握り締める。


「━━━━━━━━終わりだ!」


海斗の叫びが室内にこだました。


右手を引き、肘を相手の右脇に当てる。

相手の体を背中に背負うようにして左手を力強く引き、竹田の体を宙に舞わせた。

その所業、まさに電光石火。

渾身の背負い投げを放つ。

海斗の持ちうる武術は空手だけではない。

同じだけの時間を柔道にも費やしてきた。

今こそ、その力を遺憾なく発揮する時。


海斗は一切の容赦をしなかった。

宙を舞う竹田に、まったく受身を取らせないようにして地面に叩きつける。

この投げは、すでに柔道の技とは待ったくの別の物だ。とっさに応用を利かせた、海斗のオリジナル。

投げた相手を背中から地面に叩きつけるのではない。頭から叩き落したのだ。


竹田の脳天が真っ白い床に突き刺さる。

━━━━鈍い音が響いた。


竹田は悲鳴をあげる間もなく昏倒した。

彼の手から拳銃が離れる。


海斗の投げ技と竹田自身の体重が、その頭蓋と脳に打撃をあたえたのだ。こればかりは、彼の大きな体が災いしたともいえる。

いかに元プロボクサーといえども、その衝撃には耐えようが無い。首が折れなかっただけでも立派だというべきだろう。


「━━━━やっぱり、あんた衰えたよ、竹田さん。そんな銃に頼るようになったから、俺の投げも防げなくなったんだ」


海斗はどこか寂しげにそういった。

その言葉は当然竹田には届いていない。しかし、それでも言わずにはおれなかった。


実際、竹田が銃を持つようになってからトレーニングを怠るようになっていた事実がある。

銃を持つが故の慢心。

それがため、海斗を追い詰めたラッシュも途中で息があがり、反撃の隙をあたえることに繋がったのだ。


そして最後の瞬間━━━━海斗が竹田の右腕を掴んだ時。

あの時に拳銃を手放し、もう一度徒手空拳で戦う覚悟があったなら、結果は変わっていたかもしれない。

竹田はまがりなりにも裏社会の用心棒である。あらゆる武術、体術に関する対応はできるはずだ。

戦う気持ちを切っていなければ、対応はできたはず。



けれど、竹田は銃を握った瞬間、戦いから暴力へと意識を変化させた。

それは弱者に対する一方的な暴力。

そこに戦いという概念は存在しない。

その油断と驕りが勝敗を分けたのだ。


海斗は、武力を持つが故の驕りと傲慢に警鐘を鳴らす。そして自身の身に置き換え気を引き締める。

いかな人間も、武力を有すれば変わってしまうかもしれない。そんな危惧を抱いた。

それゆえに、竹田の末路に憐憫の情を向けるのだ。



「さて、と……。さすがに、疲れたな……。けど、まだやることがある……!」


海斗は傷ついた体に鞭打ち、行動を起こす。

床に倒れ伏した竹田を、中央にある手術台のようなベッドに乗せた。


先にも見たが、この台は不思議なつくりをしている。

なぜだか、手足を拘束できる謎の金具が付いているのだ。それはとても頑丈そうなもので、とても人間の力でどうにかできるものには見えない。


海斗は、竹田の手足をその金具でしっかりと固定した。

これで、彼のの自由は完全に封じた。


そうしてから海斗は竹田をたたき起こす。

呻き声と共に竹田がうっすらと目を開ける。


「いつまでも寝てるなんてあんたらしくないぜ、竹田さん━━━━。あんたにはまだ教えてもらいたいことが山ほどある。尋問や拷問は好まないが、場合が場合なんでな、ソレも辞さない覚悟だ」


毅然とした態度で、そして冷徹に海斗はそう告げた。


「へっ……。なめんじゃねえぞ……!」


竹田は海斗を睨み付け、啖呵を切る。


「━━━━まず、新城の居場所を教えろ……!」


海斗は委細かまうことなく質問を放つ。

その声音は闇のように暗く氷のように冷たかった。

並みの人間なら背筋が凍り震え上がるだろう。

海斗の決意がはっきりと押し出されている。


それでも竹田は、拷問などできるものかと海斗を侮っているのか、怯まない。


「は……答えると思うか?」


竹田はいやらしく笑った。

それを見た海斗は迷いなく、躊躇いなく竹田の右手人差し指を折った。


━━メキリ━━━━と、厭な音が鳴る。


「ぐおおぉぉぉ、って、てめえ━━!」


「質問に答えろ━━! ほかの発言は認めない」


「てめえ、ふざけんじゃんえ! 覚えてろよ、必ず殺してやるから━━━━」


次は左手の人差し指を折った。


「ぐあああぁぁ、この野郎、死にてえか!」


「まだそんな元気があるんだな。ならこれでどうだ━━━━!」


竹田の右手小指を折る。そして折った指をしつこくこね回した。


「あああぁぁぁぁ!」


竹田の悲鳴が響く。


「もう一度言う、新城の居場所をおしえろ━━!」


かくして尋問━━否、拷問は続いた。


指が七本折られたころにはようやく話をできるようになった。


海斗はそうしてようやく、事のあらましを知る。

全てを知った海斗は新城を連れ出し、夕綺の元に向かうのだった。



新城は海斗を見た時に、傷の酷さに驚いたが、海斗は大丈夫だと言い続けた。


それよりも、夕綺の方が大変なことになっていると新城を説き、急いで夕綺の元に向かうことにしたのだ。


そして、場所は再び地下20階へと戻る━━━━



;場面転換 アイキャッチ




地下20階の実験フロアは静まり返っていた。

一面真っ白だった壁と床は、今やおびただしい血の汚れでまだら模様を作り出し、戦いの激しさを物語っていた。


その血だまりの中央に僕は立ち尽くしていた。

僕も風花も今は言葉も無く、ただ倒れ付した諸刃を視界におさめている。


━━━━━━これで終わったのだろうか?




なんとなしにそんなことを思う。


まだ、視界が意識ごとゆらゆらと揺れている。

さすがに、危なかった。今まで何度も死ぬかと思ったことはあるが、今度ばかりは危なかった。

よく、生き延びたものだと我ながら驚く。


「夕綺ー! 大丈夫か!?」


「葉真夜くん、大丈夫なの?!」


海斗と新城さんが僕に駆け寄ってくる。

二人とも僕の翠の眼を見ても、何も言わなかった。

海斗は、僕のことも知ってしまったのだ。

事情を説明するために、新城さんにも話をしたに違いない。

まあいい。この二人に知られたとしても何も問題はない。かえって説明の手間が省けるというものだ。

それよりも、二人を安心させてやらなければ。


「……ああ、なんとかね━━━━」


僕はそう答え、二人に笑みを浮かべた。

だが頬の筋肉が引きつり、思ったように笑えなかった。


「おい、本当に大丈夫なのかよ」


海斗が心配そうに言う。

僕からすれば、海斗も大丈夫そうには見えないのだが。流れている血の量はむしろ僕よりも多い。

それに破れた服の合間から見える傷口は、肉が丸く抉れていて、それでいて深い。応急処置をする道具も無かったのだろう、止血もままならず、海斗は血を流し続けていた。


「……なに、大丈夫さ。それより海斗こそひどい怪我だ。早く治療した方がいい。ちょっとまっててくれ」


「━━風花、海斗の傷は治せそうか?」


僕は風花に向き直り、聞く。

海斗と新城さんはそんな僕を不思議そうな目で見る。ここに化け物がいる、と知っていた海斗だが、海斗自身にも実際には目に見えないので驚くのも当然だろう。


「私の妖力も残り少ないわ……。彼を治療したら、夕綺の傷までは治せないかもしれない━━━━」


風花が少し難しい顔をしてそう言った。

その言葉は、僕を心配してのものだろう。

だが、


「それでいい。僕の方は何とかなる。海斗の傷を治してやってくれ」



それは自己犠牲でも強がりでもない。

父の鉄扇を得て、二丁の鉄扇がそろった時から、僕の体はわずかに回復している。閉め損ねた蛇口から水が滴る程度のスピードだが、それでも力は少しづつ増してゆく。

器を満たすには及ばないが、それでも空にさえならなければそれでいい。


僕は真剣な目で風花を見据えた。

わずかな沈黙の後、風花は小さく頷き海斗の元へ。


風花が、海斗の体に触れる。


「うっ、傷が、熱い! なんだ、……これは!?」


海斗が初めての感覚に驚く。


「力を抜くんだ、海斗。すぐに楽になる」


そう言っているうちに風花の手が海斗から離れた。

治療は終わったようだ。

流れ出た血液は戻らないが、血は完全に止まり、顔色も良くなっている。


「これは、いったい?! なにか急に体が熱を持ったと思ったら、その後は痛みが引いていった」


海斗が目を丸くしている。

まあ、無理もない。

とはいえ、いま細かいことを説明している暇はない。

僕たちには、まだやるべきことが残っていたんだ。


「海斗たちは、すぐにここを離れた方がいい。そして新城さんを安全な場所まで連れて行って欲しい。この施設から出さえすれば、 後は何とでもなる。いざとなれば、かすみねえを頼ってくれ。如月はこのあたりの名家だ。いかに裏社会の力が強かろうと、そうかんたんに手出しはできない」


僕は海斗にそう告げた。

だが、海斗も新城さんも簡単には納得してはくれなかった。


「ばかやろう。ここでお前を置いていけるかよ! それにこれは俺にも関係のある事なんだ。あのくそったれな親父をぶん殴らなけりゃ気がすまねえ!」


「帰る時はみんな一緒によ。わたしだけ先に帰るなんてできないわ!」


海斗、新城さん、それぞれ真剣な顔をして僕に思いのたけをぶつけてくる。


━━正直、ここで二人を側においておくことには抵抗はある。


けれど、二人を先に行かせたとしても、この施設内にいるうちは危険が付きまとう。

海斗がどのような経緯であのような怪我を負ったのかわからないが、同等の危険がいくらでも存在することを考慮するべきかもしれない。


「わかった━━━━」


そう答えようとした時、奥の扉━━のあった所━━からスッと人影が現れた。

この場にいる全員の目が扉の先に向けられる。


そこに立つは霧島先生━━━━そしてその手には鎌鼬、空矢。

霧島先生は、空矢の首をつかみその体を引きずっていた。空矢は喋る力もないのか、ぐったりと全身を脱力させていた。ぶらりと揺れる両腕がそれを物語る。身に着けている服もズタズタだ。


「ふうん、どうやらそっちも片付いたみたいね。でも、ずいぶんとボロボロじゃない。手ひどくやられたようね。まったく、だらしのないこと」


霧島先生はつまらなそうに冷たく言い放つ。

どこか人を見下したような酷薄な眼差しはいつまでも変わることはなかった。

だが、手ひどくやられボロボロなのは事実だ。それに関しては否定はしない。

対する霧島先生は一切の傷を負っていないのだから、だらしないと僕を罵るのも彼女にとっては当然の理屈なのだろう。



「━━━━僕は十分に役割を果たしたと思いますが、まだ不満がおありですか」


僕は淡々と返す。

だが、そんな僕の言葉もよそに別の声が響いた。


「霧島━━━━、お前は何者なんだ……。 お前はなぜ俺を誘い出した!」


海斗が叫ぶ。


「あら、ここまできてまだわからないのかしら? だとしたらよほどの低脳よ、倉形クン」


クククと、口に手を当て嗤う霧島先生。

そこには、もはや生徒と先生だったころの最低限の礼儀も存在しない━━お互いに。



「は! たしかに、お前からすれば俺が邪魔なのはわかんでもない。だが、お前の存在はあまりにも謎めいている。不気味で異様だ!」


海斗はまくし立てる。

その様子に新城さんはわずかに動揺するも、覚悟を決めたのかすぐに姿勢を正した。

海斗と霧島先生の様子をまっすぐに見据える。


「あはは、不気味だとか異様とか、ずいぶんと失礼な物言いね」


霧島先生はまるで意に介さない。

海斗の暴言ともいえる発言にいささかの揺らぎも見せなかった。


「夕綺もよく聞け! この女は、信じられないが、親父と同期入社なんだ。入社したのはいまから三十年も前のことだ。わかるか、この意味が!」


海斗の言葉に衝撃が走る━━━━。


ばかな━━、目の前にいる霧島先生はどう見ても三十歳前後。海斗の父親と同期などとは到底思えない。仮にどんなに低く見積もっても、四十八歳!?

そんな、━━━━ありえない。

新城さんも意味を察したのか、霧島先生の顔をまじまじと見る。



「━━━━ふふ、よく調べたわね。でも、女性の年齢を聞くのは失礼なことだと習わなかったかしら?」


霧島先生は目を細め、ケタケタと嗤っている。

その嗤いはいつもの気取った笑いではなく、歪んだ心の内を完全にあらわしたような下卑た嗤いだった。


「霧島先生━━━━あなたは━━━━━━━━!」


僕は呆然と霧島先生を見つめる。


「霧島━━━━何がおかしい!?」


海斗は霧島先生を睥睨する。


「倉形クン、キミは自分で自分の死刑執行指揮書を読み上げているのよ。これが可笑しくなくてなんだというの━━━━! ククク、ハハハ、アッハハハハ━━━━━━━━━━━━━━!」


霧島先生の嗤いは止まらない。むしろその激しさを増してゆく。広大な地下空間に彼女の笑い声だけが響き渡っていた。


「な━━、霧島、てめえ……!」


海斗が顔を歪める。


「海斗、下がるんだ。この人がまともな人間じゃないのは僕が一番よくわかってる。まともにやりあえば、きっと海斗は殺される━━━━。だから、ここは、僕が話をつける。下がるんだ!」


言いながら霧島先生の前に一歩、歩み寄る。


「へえ、葉真夜クン。キミに交渉の材料なんてあるのかしら?」


「霧島先生、あなたには僕の能力が必要なはずだ。そして、僕を支配下に置き続けるというのなら、人質には絶対に手を出すわけにはいかないはずだ。もし、僕の身近な人間をこれ以上誰か一人でも傷つけるようなら、僕は絶対あなたには協力しない━━! 何があろうともだ!」


僕は精一杯の声を出し、霧島先生に宣言する。

だが、そんな僕の決意も彼女は一笑に付す。


「ふ、残念だけどキミのその交渉のカードも、もはや効力を失っているわ、葉真夜クン。だって、私はもう、━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━キミの力なんて必要としていないんだから……!」


霧島先生が目を見開き、僕を見下した。

口を三日月のようにツイっと吊り上げ、冷たく嗤う。その表情と、凍るような声音に背中に冷たいものが走る。背骨が氷柱に挿げ替えられたかのような怖気が走った。


「━━な━━━━に━━━━━━」


僕は言葉を失う。

あてがはずれ、完全に肩透かしをくらった形だ。

そしてそれは虚勢でも、ハッタリでもない。

正真正銘事実を告げている。

霧島先生から漂う本気の殺意がそれを否応なく証明している!


霧島先生から殺意を含んだカゼが吹き寄せる。


これは━━このカゼは━━━━━━!?

人ならざるものから発せられる殺意の気配。

まさか━━━━━━。


「葉真夜クン、キミは十分に私の役に立ってくれたわ。そして、これでもう用済みなの……! この鎌鼬どもを倒した時点でね!」


霧島先生は手に掴んでいた空矢の体を部屋の中央に放り投げた。


ドサリと、僕の耳に低い音が届く。


そして霧島先生はパチンと一つ指を鳴らした。

その瞬間、銃声が轟き風花が悲鳴を上げる。


「きゃああぁぁぁ!」


「風花! どうした?!」


すぐに後ろを振り返り風花を見やる。


見れば風花は背中から胸を打ちぬかれ、体の中心から真っ赤な血を噴出していた。


「ゆ、夕━━綺━━━━」


風花がゆっくりと床に倒れこむ。

意識は辛うじてあるようだが、口に出そうとする言葉は掠れた吐息となって消えていく。


「だめだ、風花! 喋るな! おとなしくしてるんだ、そうすればきっと傷は回復する。じっとしてるんだ!」


すぐに霧島先生に向き直る。


「霧島先生! あなたは━━━━!」


僕は初めて人に対し殺意というものを芽生えさせた。

いや、目の前の女はすでに人ではない。

ならば、かまうものか。

僕は刺し殺さんばかりの視線で霧島先生の目を射抜く。



「この部屋には、脱走した実験体を無力化させる仕掛けがあるといったでしょう? これがその装置のひとつよ。私の命令で意のままに操れるわ」


霧島先生はそう言って壁を指差した。

そこには、いままで無かったはずの小さな小窓のようなものが開いており、その闇のように暗い穴の先には銃口が覗いていた。


「これはキミのお父さんの最高傑作。人外を打ち抜く弾丸よ。弾数が少ないから、ここぞという時にしか使えないのが難点だけれどね。でも、時は来たわ。生きた人外を手に入れれば、私たちの研究は完成する。私たちはずっと、この地に住まう妖、鎌鼬を追っていたのよ。一時は、キミのお父さんにはばまれもしたけれど、ついにこの時が来たのよ!」


霧島先生は高々と両手を上げ、そう宣言した。

その妖しいまでにどこか神々しいさまは、どこかのインチキ教祖を思いださせた。


くそ、ばかなことを。あんな弾丸は、最高でもなんでもない。ただ、妖封じの結界を練りこんだ弾丸だ。そういう風にも使えるというだけの代物だ。

けれど、今はそれが果てしなく脅威。

僕の作ったパチンコ玉の弾丸などとはわけが違う。

父が本気で結界を施した鉛の玉に、銃身から火薬の力で打ち出されるのだ。

すべてにおいて、僕のものとは桁が違う。


「ああ━━時は満ちる。長い時を経て、ついに念願が叶うのよ━━━━」


霧島先生は恍惚の表情を浮かべ、まるで陶酔しているかのようだ。その相貌は壮絶なまでに美しく、その声は人を惑わすセイレーンのようだ。

彼女はすでに人を超えている。


「霧島先生━━━━?! それに今の銃声━━いったい、なにがどうしているの!? 私には何がなんだかわからないよ━━倉形くん、葉真夜くん、どうなってるの!?」


ここまで黙っていた新城さんだが、ここにきてついに狼狽し、不安と疑問を一気に吐き出した。


「くそ、狂ってるぜ━━━━この女! いや、━━━━━━この組織そのものがだ!! 新城、おまえには想像もつかねえような腐った思想がこいつらにはあるんだ。わからなくて十分だ!」


海斗は力の限りそう叫んだ。




「ははは、狂っているとは言ってくれる! でも、そうかもね、狂いもしよう━━━━━━━━━━━━これだけの力を手に入れたのならね━━━━!」


霧島先生は、嗤いながら海斗に答える。

どこか達観し、それでいて楽しくてしょうがないような嗤いだった。



「葉真夜クン、今こそ教えてあげるわ。事の全てを。死ぬ行くあなたに、最後の情けという奴よ。ここまで協力してくれたお礼と言ったところね。感謝なさい」


「━━━━く、ふざけるな」


霧島先生を睨み付け、鉄扇を握りしめる。


「あら、余計なことをすると寿命が縮まるわよ。どうせなら最後まで話を聞いたほうが良いんじゃないかしら? まあ、どうせみんな死ぬことになるんだけれど━━━━━━ふふふ」


霧島先生の冷たい笑いに動きを失う。

彼女には、間違いなく僕を殺しうるだけの力がある。

彼女単体でもそうなのに、この部屋に構えられた銃火器一つにさえ僕は無力だ。




「事の始まりは、三十年前かしら━━━━」


霧島先生の独白が始まる。


「私はこれでも頭が良くてね、当時は大学院でとある研究をしていたわ。

そして、常々考えていることがあった。

━━━━いつか人間を支配できないかとね。

そのために、人間外の力を得ることはできないかとさまざまな実験を進めたわ。

筋力を増やす薬はもとより、骨を頑強にする薬、痛みを感じなくさせる薬など、麻薬まがいのものまで色々作り出したわ。でも、そんなものじゃ、なにも意味がない。けれど、私はついにあるものに行き着いた。それが━━妖━━━━!」


霧島先生は一度言葉を切り、僕たちを見回した。

僕たちの表情を観察するように話を続ける。


「私は科学者だったけど、科学外のものを信じていないわけじゃなかった。この世界にはいまだ科学で証明できないものが数多く存在するわ。そして、私はそこに新たな可能性を見出していた。

きっかけは突如訪れた。

街を歩いていた私はある現象を目撃した。

事故の多発する魔のカーブといわれる道を歩いていた時だった。

その日は天気もよく、見通しも良かった。

いくら魔のカーブといえ、事故が起こりそうもなかった。

しかし、ここに差し掛かった車が突如不自然な軌道を描いたのよ。物理法則を無視したような動きで電柱に衝突したわ。私はそれを見た時、いわゆる曰くつきの場所に起こる事件事故を調べてみようと思ったわ。そうしていくうちに、人間ではないものが実在するのではないかと本気で思うようになった。そして、それを調べているうちに、ある人と知り合うことになった。━━━━それが、倉形陸」


海斗が息を呑む。

僕の心にもざわついた緊張がはしる━━━━。


「倉形さんは、どこで私のことを聞きつけたか知らないけれど、私を引き抜き、一つの会社に誘ったわ。野望の達成のために力を貸してくれと言ってね。そうして共に入ったのがこの会社エステサロンKRAよ。この組織は当時から、すでに高い能力を持っていたわ。人外を研究し、打ち倒す術も持っていた。私は研究員として末席に名を連ね、更なる研究を重ねたわ。研究は加速度的にはかどり、十年もしないうちに、一つの完成をみたわ。それがこの私━━━━!

みずから研究のプロトタイプとなり、その成果を実証した。人外の力を取り入れる人体実験によってね。私はついにその仕組みを実用化するにいたったわ。この力は素晴らしいものだった。私はその時以来年も取らないし、肉体が衰えることもない。

葉真夜クンに見せた死なない死体は、あくまで失敗作。倉形さんはあれをずいぶんと褒めてくれたけど、私には意味のないこと。それよりも、完成された私の力こそが全て。私は人を超える力を手に入れたわ。そして、倉形さんと私は、一気に組織内での権力をゆるぎないものとした」


ばかな━━それで年をとらないだと!?

しかし、海斗の言うことが本当なら、これは事実なのだ。


「倉形さんは野心家だったわ。夫婦ともどもね。目的達成のためには手段も選ばなかった。それによって今日があるわ。彼らの先を見通すビジョン、指揮。そしてそれを実行できる私がいてこそ、この組織は強大に成りえたのよ。でも、この力を得るには、人外の肉体を得ることが必要だった。できうるなら生きたままのね。並みの人外の屍骸からでは、出涸らし程度にしか力を抽出できない。それではあの屍の兵を作るのが精一杯。私は、その生きた人外を取り込んだ唯一の存在なの。私は幸運にも、民家に潜む妖を捕縛することに成功した。そして自らにその研究の成果を試した。だから今の私がある。そして、新たなる人外を手に入れた私たちは更なる力を手にすることができるわ」


「そんな力を手にして、━━━━何を求める!?」


僕はのどを鳴らしてから、問う。

海斗は諦めたように目を閉じた。


「決まっているわ。この国の支配━━━━」


霧島先生は静かに、そしてはっきりとそう言い切った。


「ばかなことを! そんなばかなことができるはずがない! そんな、そんなことが━━━━」


僕はありったけの大声で喚く。


「ばかげているが、こいつらは本気なんだ、夕綺。その証拠と自信の根拠は俺も見てしまった」


「な━━、海斗!」


「こいつらは狂ってる。そしてバケモンだ」


海斗は断言する。


「私一人でも、基地の一つや二つは楽に滅ぼせるし、制圧もできるわ。私に銃弾は当たらないし、当たっても心臓さえ破壊されなければ死なないわ。それに、あの屍一体でも十分な戦力よ。あれ一体で武装した隊員を数十人は倒すことは可能ね。そして、屍の兵はいくらでも作り出せる。これこそが究極の兵隊よ。これだけの力があれば、この国を武力で支配することも夢ではないわ」


「そんな、そんな犯罪行為がまかり通ると思うのか!」


「この、鎌鼬どもを他の人間にも取り込めば、私たちの力はもう、人の及ぶ範疇を超えるわ。その時には法の執行機関を、その力を我々は完全に上回る。法はその意味を成さないわ」


「なんてことを━━━━」

僕は言葉が出ない。


「だから言っただろう。こいつらは狂ってるって」

海斗の罵りも、すでに力ない。


「でも、ここに至るまでの道のりは決して平坦ではなかったわ。七年前、葉真夜を利用して鎌鼬を追い詰めたものの、あの男は我々の思惑に気づき、鎌鼬を我らの手の届かないところに封印しようとした。そうして、鎌鼬の一体は厳重に封じられた。そしてその上から人除けの結界を張られ、私たちには手が出せなくなった。人除けの結界を破れるのは人外のみ。私は逃げ延びたもう一体の鎌鼬を生き延びさせ、結界を破らせるための手段とした。そのためには葉真夜が邪魔だった。だから、鎌鼬との戦いで疲弊した葉真夜を事故に見せかけて葬ったわ。あの日、女鎌鼬に追われ車ごと崖下に転落した葉真夜夫婦はまだ生きていた。あの女鎌鼬はしとめたと思ってあの場から立ち去ったけれど、私は最後の詰めとして、崖下まで降り、二人に止めを刺したわ。記念に彼の鉄扇も頂いてね。あれも、研究材料としては非常に魅力的だったのでね」


そう言って霧島先生はカラカラと嗤った。

いや、もう先生などと敬称をつけるのはやめよう。

霧島はただの犯罪者だ。


「ま、そういうことよ、葉真夜クン。あなたもあなたのお父さんも、結果的には私の役に立ってくれたわ。あなたたち退魔の人間は人外を滅ぼすことができても、人間相手には特別な効力は持たない。確かに、常人より肉体的能力は遥かに優れているけれど、所詮は人間の範疇。仮に世界で1~2位を争うほどの反射速度や筋力があったとしても、銃火器の前には敵わないでしょう? けれど、私は人間を超えた。人外を倒しうるキミは銃弾には敵わないけど、私は銃弾にも勝る。つまりは、私たちの完全な勝利よ!」


霧島の高らかな勝利宣言。


「ふざけるな、それを聞いて黙っていられるか! お前が、僕の両親を殺しただと!?」


僕は激高し、霧島に殺意を向ける。


「とどめは私が刺したけど、放っておいてもそのまま死んだでしょうけどね。私は、ただ詰めを誤らないようにきっちりと仕事を済ませたまでよ」


霧島はさも当然と言わんばかりにあっさりと告げた。


「貴様━━━━━━!」


僕は駆け出した。

なんの考えもない。策もない。勝算もない。

ただ、一つ。憤怒の感情だけが僕を突き動かした。

両の手に握り締めた鉄扇に血が滲む。

血が流れ出るほどに柄を硬く握り締めていた。

だが、痛みなどとうにない。


感情の赴くままに霧島に向かっていく。


「無駄よ! キミの力では私には敵わない」


霧島は流れるような動きでナイフを持ち替える。

今まで順手に握っていたナイフを逆手に構えた。


「そんなこと、関係ない━━━━!」


僕はまっすぐに突貫。

体ごとぶつかるようにして鉄扇でなぎ払う。


しかし、僕の攻撃は空を切る。

霧島は俊敏な動きで左右の鉄扇を完全にかわして見せた。


「だから、無駄と言ったでしょう。終わりよ! 葉真夜!」


霧島のナイフが頚動脈めがけて飛んでくる。

僕は必死で体をひねり、辛うじて急所の直撃は避けた。

しかし、肩には大きな裂傷を受けた。

もんどりうって床に倒れこむ。

腕を確認。

駄目だ。左腕が上がらない。筋でもやられたのか。

くそ!

それでも構うものかと立ち上がる。

この身が動くうちは最後まであがくんだ。

そう決めたから。


「霧島━━━━━━!!」


霧島に向かい再び鉄扇を突きつける。

左手は肩からぶら下がったまま上がらない。

ならば残る右手で立ち向かうのみだ。



「ふふふ、こうなるとまるで駄々っ子ね。でもね、子供は大人には敵わないものよ。それを噛み締めて死になさい。葉真夜クン!」


霧島のナイフが軌跡を描く。

僕の眼にはもうその動きは捉えきれない。

肉を切らせて骨を絶つ━━━━せめて一撃━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━。


霧島のナイフが僕の胸を切り裂く。

タダでさえ少なくなっている僕の血液が急速に失われていく。

━━━━気が遠くなる。

だが、耐えろ。もう少しだけ。

せめて、一発だけでも━━━━━━。


「うおおおぉぉぉぉぉおお!」


薄れ行く意識を、唇を噛み千切るようにして堪えた。

右手の鉄扇を霧島の心臓めがけて繰り出す。


しかし━━━━━━、


鉄扇は届かない。

それどころか、僕の右手首をつかまれ捻り上げられる。


「バレバレよ、葉真夜クン。キミの攻撃パターンはわかっているわ。それが危機的状況ならなおさら動きは限られる。さあ、これでキミは終わりよ」


━━━━ゴキリ、と僕の体に鈍くて硬い音が響く。

掴まれた右手首を折られたのだと理解するのに数秒かかった。

痛みが遅れてやってくる。


「━━━━━━━━━━━━っ……!」


もう、悲鳴を上げるだけの力もない。

僕はそのまま地面に叩きつけられた。

けれど、全身を苛む激痛はすでに膜を張ったように現実感がなく、どこか別世界のようだ。

こうして徐々に鈍りつつある感覚が、死の近づきを感じさせる。


左腕は上がらない。

右手ももう使い物にならない。

失われゆく血液が意識を遠のかせていく。

視界には、ただ赤。

自分の垂れ流す赤い液体だけが眼前に広がっていく。


「これで、終わりね━━━━葉真夜クン。手こずらせてくれたけど、本当の最後よ」


倒れた僕に、霧島がナイフを振り上げる。その目には殺意の光が爛々と輝いていた。


その時、海斗と新城さんが僕の前に立ちはだかった。


「ちくしょう、このまま黙ってみてられるか! 夕綺をやるなら俺から先にやれ!」


海斗は空手の構えをとっている。


「このまま黙って殺されるくらいなら、せめて抵抗するわ!」


新城さんは手に包丁を握っていた。おそらく、どこかの部屋で入手しておいたものだろう。

それでも震える足で何とか立っているという程度だ。平時なら、料理中の新城さんの包丁は凶器だ、なんてふざけられたのに、今はそんなものなんの力にもなりはしない。



「━━━━よせ、もう二人とも逃げろ。いくら海斗でも霧島には勝てない。今の僕でも、時間稼ぎくらいはできる……! 逃げるんだ━━━━━━!」


僕は唯一、全身の中で生きている足だけを頼りに、なんとか立ち上がる。


「へえ、すごい根性ね……! さすがに驚いたわ。けど、二人ともその気はなさそうよ」




「よせ━━━━! 二人とも! 死ぬぞ!」


僕は二人に向かって叫ぶ。力の限り叫んだ。

だが、


「夕綺! 俺はお前に借りがある! それを返すまでは死なせねえ━━━━!」


海斗が霧島に飛び掛る。

それは電光石火の正拳突き。

大男をも一撃で倒しうるほどの海斗の必殺技だ。

海斗の実力は知っている。

手の拳ダコを見ればその力は容易に想像がついた。

普段は髪に隠れて見えないが、つぶれて変形したような耳は、柔道をかなり修練したものであることがわかる。

詳しく話を聞いたわけではないが、海斗の力が優れていることは十二分に理解している。

けれど、それは人の世界での話だ。


人間外の力を持つ霧島には及ばない。


「ぐ、ああぁぁ━━━━!」


海斗の拳も届かない。

霧島の長い脚が海斗の後頭部を捕らえていた。


海斗はそのまま膝を折り、床に崩れ落ちる。


「海斗━━━━!」


思わず海斗に向かって呼びかける。

だが、それでも苦渋の表情を浮かべながら海斗は立ち上がろうとしていた。


「海斗、もういい。逃げろ━━━━」


「へ、そうはいくか、よ━━━━」


しかし、海斗の膝は海斗の意思を裏切り、動かない。


「私だって、守ってもらってばっかりなんてたくさんだわ! ここまで倉形くんも葉真夜くんも私を守ってくれた。たとえ敵わなくても、私も抵抗するわ。黙ってなんかやられないんだから!」


新城さんが包丁を突き出して向かっていく。


「よすんだ、新城さん━━━━」


しかし、僕の手が新城さんに届く前に彼女は霧島に向かっていった。


「━━━━そんな突きでは人は殺せないわよ。新城サン! 刃物っていうのはね、こう使うものよ!」


霧島のナイフが一閃した。

新城さんは手首を切られ、鮮血が勢いよく噴出した。動脈を切られたのかもしれない。早く、止血しなければ命にかかわる。


━━━━何をいまさら。


このままでは皆死ぬ。

いまさらどうしようというのだ。


けれど、それでも二人を死なせたくない。

僕は霧島の前に立ち、動くはずのない手を無理やりに持ち上げた。


両手が、果てしなく重い。

まるで鉛の重りをつけているように、ありえないほどに重くて重くて、けれどそれでも手を上げた。

鉄扇を構える。



「いい加減めざわりだわ━━━━! もう死になさい!」


霧島の怒声が目の前なのに遠くから聞こえる。


霧島のナイフが僕の喉に迫る。


世界がスローモーションになっていく。

あの刃が僕の体に届けば、今度こそ僕は終わりだ。

もう、身をよじる力さえない。


━━━━━━僕は目を閉じた。


海斗と新城さんの叫び声が聞こえた気がした。

けれど、もう、どうしようもない。

あとは、なすがまま、ナイフが僕の喉を貫くのをまつしかない。そう思った。




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━しかし、いくらまてども終わりの時は来なかった。


━━━━━━ゆっくりと瞳を開いてみる。


そこには━━━━━━、



「け、小僧━━━━! こんなところでくたばってんジャねえぇぇぇぇぇぇ!!!!!」


諸刃が僕の前に立ちはだかり、霧島のナイフを手で受け止めていた。刀身を握り締めた掌から血が滴っている。


「な━━━━━━諸刃、なぜ!?」


僕は驚愕する。

傷つき、瀕死のはずの諸刃が僕を守ったのか!?


「はんっ! 勘違いするんじゃねぇ。てめえの為じゃねぇぞ。お前に死なれたら、この糞共を始末できる奴がいなくなるってだけだ。それにこの糞オンナの言うことが本当なら、オレたちはハナッからこいつ等の手の上で踊らされていたってことになる。人間を殺しつくそうとしていたオレたちが、人間どもに良い様に使われて黙ってられるかよ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━!!」


諸刃の咆哮のごとき怒号が空気を震わす。

すでに死をまつばかりと思われた諸刃の体から、凄まじいまでの妖気を感じる。


━━━━諸刃の体からカゼが巻き起こる。


「ち、この死にぞこないが━━━━━━」


霧島が舌打ちする。


「━━━━空矢、風花、立て。いつまで寝ているつもりだ! いい加減起きろ! オレたちは鬼神の刃、鎌鼬だぞ。オレたちは、絶対に“負けない”! そうだろう、誇りを思い出せ。我らは、妖。人を寄せ付ぬ魔境を守るために人を退けてきた。そして、我らの領域を侵すものにはその刃を向け続けてきたはずだ。ここで、無為に死ぬのだけは許されん」


諸刃の気迫が周囲を包む。


諸刃の妖気に反応し、空矢が立ち上がる。


「く……っ! そうね、兄さんの言うとおりだわ。こんな目にあわされて、ただで済むと思ったら大間違いよ。万倍にして返してやるわ━━……!」


虫の息だった空矢が気を吐き、ゆるゆると立ち上がる。しかし、その緩慢な動作とは裏腹に立ち上る殺意と妖気は果てしなく強大だ。



空矢の足元からカゼが流れ出す━━━━━━━━。



そして、最後に風花が立ち上がる。

三人の中では、どうやら風花が一番傷が浅そうだ。

胸の傷も今は血が止まり、他の二人にはない生命力が感じられる。


「諸刃兄さん! 空矢姉さん! 二人ともとっくに限界のはずなのに━━━━どうして━━━━?!」


立ち上がる二人の姿を見て風花は驚倒する。


「風花、“兄”として“最後”の命令だ。共通の敵がある以上、この場はオレについて来い。あの糞オンナにオレたちの力を見せ付けてやるのさ。そして、とどめはお前に譲ってやるよ━━━━!」


そう言った諸刃の声はどこか優しさが垣間見えたような気がする。

これが、かつて共に過ごしていたという風花の兄の姿なのだろう。


「……だから人間は最低だといっただろう、風花。勘違いするんじゃないよ。あたしはあいつにお返ししなきゃ気がすまないだけだ! あんな人間の男はどうでもいい。━━━━━━━━━━━━━━けど、あたしらが居なくなった後は好きにするがいいさ……!」


空矢も最後には薄い笑みを浮かべた。

これまで悪女めいた笑いしか見せなかった空矢が、今一瞬、姉の顔に戻ったように見えた。


「兄さん━━━━、姉さん━━━━━━!」


風花の瞳にうっすらと涙が浮かぶ。

それをすぐに拭い、大鎌を握り締める。

風花の全身からも燃えるような妖気が放たれる。



━━━━風花の全身をカゼが取り巻く。




「━━━━いくぞ、空矢、風花! オレたちの本当の力を見せてやれ! もう、幾十年以来になるだろうか、我ら兄妹の真の姿をな!」


「ええ、兄さん!」

「わかったわ!」


空矢が風花がそれに答える。


「くっ━━━━そんな、まさか……。勝手に足が震えているなんて!? こんなばかなことが! 死に掛けの分際でこの私に恐怖をあたえるだなんて━━━━━━! そんな━━━━━━━━」


霧島が心の芯から吃驚する。

脚は自らの意思とは関係なく小刻み震え、それを必死に押さえ込んでいる。

三人の威圧感を受け、知らず顔を歪める。

先ほどまでの自信と余裕に満ちた顔はどこにもない。


「━━━━さあ、これがあたしの最後の意地だ!! 受けな、鎌鼬の一番手、最速を誇るこの空矢の鎌を!!」


空矢が攻撃を切り出した。

両手にはすでに鎌が握られている。

草刈り鎌によく似て、そしてまったく非なる鎌。

それは触れるもの全てを傷つけそうな両刃の鎌だ。


「はあぁぁ━━!」


空矢はそれを霧島に向かって躊躇なく投擲する。




そしてもう一度、残る全ての力を注ぎ込み、鎌を顕現化させるた。

投擲された二丁の鎌が唸りをあげて霧島に迫る。


そして、それに追いつくように空矢は跳躍する。


「これでも、くらいな━━━━━━━━!」

;ここでカットイン入れる。がんばって描いてみる

空矢は再び両手に握った鎌で霧島に切りかかる。

空矢最大の威力を誇る必殺の四段攻撃だ。

これを避ける術は存在しない。




しかし、それでも霧島は執念の抵抗を見せる。

瞬時にもう一本のナイフを取り出し、左手にも握る。

彼女の足の震えはすでに止まっていた。

この精神力だけでもすでに人のソレを超えている。

そして、その反応力、肉体能力はその比ではない。


僕の眼にも、完全には捉えられない。

刃の軌跡と煌きだけがかろうじて確認できた。

霧島は迫り来る二丁の鎌を右のナイフで払い、迫る空矢の左右の鎌を左のナイフで迎撃しにいく。


━━━━━━交差の時は一瞬━━。


互いが一撃ずつ攻撃を交わす。


━━空矢が霧島の脇をすり抜ける━━━━━━。


「……くっ━━━━それでも、浅い━━か━━……。兄さん……、次は、たのんだ━━わ……」


━━━━カゼが一つ消えてゆく━━━━━━━━。


空矢の心臓には、霧島のナイフが深々と突き刺さっていた。刀身が完全に埋まり、柄の部分だけが胸から生えている様にさえ見える。

その刃の根元から広がり出す赤い血は、まるで死を知らせる花のように感じた。





全ては一瞬のこと。

霧島は空矢の右の鎌を弾き飛ばし、そのまま心臓に突き刺したのだ。

互いの相対速度がその一点に集約した。

さしもの鎌鼬空矢も、心臓に刃を貫かれては生きてはいられない。

口の端からわずかな血を流しながら空矢は崩れ落ちてゆく。


そして、

空矢の手から離れた鎌は、


━━━━━━━━風となり━━━━消えた。






「━━━━さすがに、ただでは死なないか……」


数瞬遅れて霧島の右腕から赤い飛沫が吹き上がる。

空矢の鎌は、最後の一振りが霧島を捉えていた。


それでも、その一撃では彼女を死に至らしめるには届かない。

霧島は苦痛に顔をゆがめながらも次の攻撃に備える。

スーツの上着を開く━━━━服の裏地にはびっしりとナイフが備えられていた。

霧島は左手でそこからナイフを三本抜き指の又に挟んだ。




「死ねえぇぇ! 糞オンナああぁぁぁぁああ!」


諸刃が鎌を振りかぶり突貫してくる。

その勢い、そして彼を覆う気迫はまるで特攻だ。

すでに生きて戻る気は無く、また戻る燃料も存在しない。

すでに諸刃は死を待つ身、堕ち行く機体と大差ない。ならば、堕ち行く己の体を武器に変え、その身をぶつけるまで。

諸刃は残る全ての力を攻撃に注ぎ込む。防御のことなどまったく考えない。

その後のことも考える必要も無い。

なぜなら━━言葉はもう残してきた。

あとは、己の意地を見せるまで━━━━━━。


挿絵(By みてみん)

「━━死ねるか……! 私は、私はまだ死なない! あと少しなんだ! ここまできて死ねるものか」


野望のためとはいえ、霧島は長い年月を研究に費やしてきた。━━彼女も必死なのだ。


霧島は左手に挟んだナイフを渾身の力で投擲する。


打ち出されたナイフは、まるで光の筋にしか見えなかった。


━━━━三本の閃光が諸刃を照らす。


その光は、真っ直ぐに突進する諸刃の右目と、喉と、腹に完全に突き刺さった。


「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおお!!」

;ここでカットイン入れる。がんばって描いてみる

諸刃には、とうに痛みなど無い。

その体はすでに死に掛けているのだから。

肉体を伝播する痛みなど瑣末なものだ。


右目は潰れ血を流し、喉からは鮮血が散る。

腹に突き刺さったナイフはすぐに血に濡れた。


それでも諸刃の勢いは些かも衰えない。


━━諸刃の鎌が霧島に向かって振り下ろされる。


槍と刀が合わさったような独特の武器が、霧島にも軌道を読ませない。

いかに霧島が人知を超える存在に近かろうが、初見でこの一撃は防げまい。


槍の穂先と、刀の刃。

二つの刃が霧島に迫る━━━━━━


霧島はナイフを両手で握り、受けの構えを見せた。

いくら刃を突き立てようとも、いまの諸刃は止められない。ならば、その攻撃をやり過ごすしかない。

この一撃を防ぎさえすれば、あとはただ無為に墜落し、朽ちてゆくまでなのだから。


━━━━二人の体が重なる。


刹那の勝負。


霧島は間合いをつめる━━ナイフで鎌の柄を受けに行く。

どんな業物のナイフだとしても、諸刃の刃は受けることはできない。刀身ごと斬り伏せられるのが関の山だ。

霧島は接近戦に活路を見出し、前に踏み込みつつナイフで諸刃の鎌を押さえ込もうとする。


━━━━甲高い金属音が鳴り響く。


霧島のナイフは見事鎌の柄を受け止めた。


しかし━━━━


━━━━諸刃には何も動揺など無い。


いや、むしろ口元がニヤリと歪むのが微かに見えたような気がした。


諸刃はそのまま柄を手前に引いた。

刀の峰に当たる部分が霧島を背後から襲う。


文字とおり、諸刃の刃が霧島の首を刎ねんと迫り来る。これこそが、鎌の真骨頂だ。

鎌とは、引いて使うもの。

内に抱え込んだ獲物を、後ろから引き━━刈るモノ。


「くっ━━━━━━━━!」


霧島は必死で身をよじる。

しかし、最後の攻撃を無為に終わらせるほど諸刃は甘くは無い。

霧島は首を飛ばされるのは何とか免れたものの、左の肩口から胸元まで大きく爪痕を刻まれた。


今度は霧島の体から赤い飛沫が噴出す。


だが、諸刃の力もここで尽きる━━━━。


━━カゼがまた一つ━━━━消えてゆく。


霧島を斬りつけた諸刃の鎌は、風となって消えていった。


それと同じくして、諸刃の体も沈んでゆく。


空矢も、諸刃も、命を使い切った。


だが、二人の死の間際の攻撃は、真に魂を削った一撃だ。その鎌は霧島に多大な傷痕を残し、彼女をついに追い詰めた。


残るは、風花━━━━━━!


「━━━━━━━━この、化け物め━━……」


霧島が呪詛を吐くように呟く。

彼女はすでに満身創痍。

立っているのがやっとのはずだ。

それでもナイフを握り締め、迎撃の構えを取るその気迫と執念は敵ながら見事と言わざるをえない。


「そうよ、私は人から恐れられる化け物━━鎌鼬。やっと理解したかしら。あなたのような小娘が私に挑もうなんて100年早いわよ。化け物の真の恐ろしさをその身をもって知りなさい。そして、二度とこんなくだらないことを考えないことね!」


風花は大鎌を振りかぶった。

その小さな体から、この部屋を覆いつくさんばかりの妖気が噴出し迸る。

風花を中心に殺意のカゼが吹き荒れ、その轟音は僕の耳にだけ届く。


「く━━━━━━、こんな━━━━━━━━」


霧島の顔には絶望の色が浮かぶ。


「━━━━夕綺、私は今からこの女を殺すわ。けれど、それは夕綺には一切関係のないことよ。私が、私の私怨のために殺す━━ただそれだけ。だから、あなたが人の世界の倫理とルールに縛られる必要はないの。それを、忘れないで━━━━」


風花は振り返ることなく、凛としてそう告げた。



━━━━風花は霧島を殺す気だ。


ここまでの因縁は、風花にとって殺意を抱くに余りある。

そして、僕も生まれて初めて殺意をこの身に覚えた。僕自身も、この霧島という存在は許せない。

たとえ法が許さないとしても、僕はこの女を許せない。

風花は、そんな僕の心を汲んでくれたのだ。

人間である僕に、━━━━手を汚させないために。


人として、命を奪う行為は止めるべきなのかもしれない。

けれど、僕はそれを傍観することにした。

それは事実上、殺人の黙認だ。

法は僕を断罪しないかもしれない、けれどこれはすでに罪だ。


だが、僕はそれを受け入れる。


風花が手を下し人を殺めるというのなら、僕もその責を負おう。

僕は、それを受け入れる。

だから、━━━━━━止めない。


「あなたの決定的な間違いは唯一つ━━夕綺に手を出したことよ。そして私の兄姉を利用したこと……。その全てが私には許せない━━━━━━━━! さあ、最後の時よ━━━━キリシマ……! 人の身には過ぎた行いをしすぎたわ、あなた。いままで奪った命に詫びて、後悔しながら死になさい!」


風花は大鎌を力の限り薙ぎ払った。

;エフェクト 派手なの


「く、ここまで━━か━━倉形さん、あとは━━━━━━━━」



霧島は最後の言葉を言う間も無く斬り飛ばされた。

風花の本気の太刀筋は、僕の眼にもまったく見えなかった。


なぜなら、


その速度は音よりも速かったから━━━━。


大鎌の軌跡も、

  その残像も、

    何も視認できなかった。



見えたのはただ一つの現象━━━━━━。






一瞬で霧島の体が飛散し消し飛んだというその現象。





そうしてから空気を切り裂いた轟音が遅れて耳に伝わる。


風花の大鎌は音速を超える速度で霧島を二分割にした。

そして、音速を超えた際の衝撃波で鎌の周囲の空間を微塵がごとく引き裂いたのだ。


これが、鎌鼬の究極の力━━━━━━


━━━━━━━━真の姿なのか━━━━━━。





後には何も残らない。

細切れになり、飛散した肉片は蒸発したように消えてなくなった。

これが、人外を肉体に取り込んだ人間の末路というものなのだろう。

半端な存在に成り果てた、人でもなく、人外でもない元人間。その最後は死体も残らず、この世から完全に抹消される運命なのか━━━━。


「━━━━━━人の分を超えた行いは、必ず身を滅ぼすわ。私たちに刃を向けた罪━━━━死して尚、後悔し続けるがいいわ━━━━未来永劫、永遠にね」


風花は部屋の中央に一人立ち尽くす。

━━━━カゼが、凪いでゆく━━━━━━━━。


━━━━━━真っ白な空間に静寂が訪れる。







「━━今のは、一体、今何が起こったんだ? 俺には、何も見えなかった……。霧島が何かと戦い、そして消し飛んだ━━━━。けど、夕綺━━お前には、すべてわかっているんだろう? まあ、全てが落ち着いたら、話してくれよ。だが、それより、今は新城の傷だ━━━━!」


海斗は立ち上がりながら言葉を紡ぐ。


「そうだ、新城さん━━━━」


僕はすぐに新城さんの姿を見やる。

新城さんは真っ青な顔で玉のような汗をかいていた。気丈にも、彼女は弱気な言葉は一言も漏らさなかった。無言で手首を押さえ、堪えていた。

切られた手首から血が止め処なくあふれてくる。

脈動と同じ間隔で噴出す赤い液体は、まるで壊れた

蛇口を連想させた。


まずい━━━━。



「風花━━━━! すまない、もう一度だけ力を貸してくれ!」


僕は部屋の中央に立ち尽くしている風花の背中に声を飛ばす。


しかし、風花の返事は返ってこなかった。


そして風花が膝をつき倒れこむ。



「風花━━!! 大丈夫か!?」


僕は動かない体を無理やり動かし風花に駆け寄る。

ほんのわずか動いただけでも、僕の喉からはゼイゼイと息が漏れる。血が流れ、体は重い。


「━━━━夕綺━━、私は、大丈夫よ……。まだ、少しくらいなら……なんとかなるわ━━━━」


風花の顔色は悪い。息も荒い。

先ほどの爆発したような妖気はもう感じられない。

まるで燃え尽きた花火のような印象だ。


「ごめん━━やっぱり駄目だ、風花! これ以上力を使うのは━━━━━━」


「いいのよ、夕綺。大丈夫。あと少し、夕綺と彼女の血を、止めることくらいはできるわ━━━━。夕綺は、あの子を護りたかったんでしょう? 夕綺のためにも、絶対死なせるわけにはいかないわ━━。彼女を、私のところまで連れてきて頂戴……」


風花が、息も絶え絶え、言葉を繋いでいく。


「━━━━すまない、風花。無理をいって……」


そう言った僕に、大丈夫と風花は小さく笑った。

すまない、本当にありがとう。


僕は新城さんに向かって歩き出す━━━━━━━━━━━━そして崩れ落ちた。


「夕綺! ━━━━しっかりしろ!」


海斗が僕に駆け寄り、体を支える。


「━━ああ、すまない。あと少しだけ、手伝ってくれ」


「まかせろ! なんでも言え!」


「彼女を━━、新城さんを、今僕がいる部屋の中央まで連れてきてくれ。そうすれば━━とりあえず応急の手当てくらいは━━━━」


なんとか声を出し、海斗に頼む。


海斗は先ほどの風花の力で傷の治癒を受けた。

それですぐに僕の言葉の意味を理解したのだろう。

すぐに新城さんのもとに駆けて行った。

程なく、海斗は新城さんを僕と風花の元に連れてきてくれた。


「ありがとう、海斗」


「なに、これしき。たいしたことじゃねえ!」


短いやり取り。そしてすぐに新城さんの手をとる。



「葉真夜くん━━━━」


新城さんが紙のように白い顔で僕を見る。


「新城さん、きみにそこまでさせてしまって、すまない。すこし待っていてくれ。いま、その怪我を、何とかするから━━━━」


僕は新城さんの手を風花に握らせる。

風花は、新城さんの手を力強く握り、僕の手も掴む。


「いくわよ━━━━夕綺……! あと少しだけ、我慢して━━━━」


風花の力が伝わってくる。

体全身が熱を持ち、傷口が焼けるように熱くなる。

だが、━━━━その熱は一瞬で尽きた。


「━━風花!」


急激に風花の力が萎んでゆく。

風花の身を案じ、思わず声をかける。


「━━━━ごめんなさい━━夕綺━━。これが、今の私の限界……みたい━━。でも、とりあえず、血は止めたわ。傷までは治癒しきれなかったけど、動くくらいはできるはずよ━━━━」


風花は、途切れ途切れにそう言い、僕に優しい笑顔を浮かべた。けれど、その笑顔はとても儚く思えた。このままではおそらく風花の身も危険だ。

はやく、地上に戻るべきだ。

僕の家に戻れば、風花の妖力を回復させる手立てはある。霊力の優れた土地である葉真夜の敷地ならば、風花の力は回復させられるはずだ。


「新城さん、傷の具合は、どう?」


「……すごい……。一瞬……傷口が熱くなったと思ったら、血が、止まってたわ……。━━大丈夫、これなら……なんとか、平気よ。ありがとう……葉真夜くん」


まだ痛々しい手首の傷を見せながらも、元気に振舞う。顔の血色も幾分良くなっている。

これなら、なんとかなりそうだ。


そして、僕の体も多少は軽くなったように思う。

胸の傷もとりあえずは血が止まった。未だ、肉を切り裂いた傷口は生々しくその姿を晒しているが、痛みは十分に我慢できる範疇だ。

折れた手首も、かろうじて骨は繋がったのだろうか。右手首はドドメ色に染まって腫れ上がり、時折激痛が走るが、あらぬ方向に曲がっていないだけ随分とマシになった。


「よし━━、急いでここを脱出しよう。ここから出さえすれば、あとはなんとでもなる! 奴らの犯罪行為を明るみに出せば、この組織はおしまいだ……」


僕は全員に声をかけ、移動を促す。

しかし、そう言いながら僕の足は動かない。

諸刃と空矢の亡骸をこのままにしていくことに抵抗を覚えたのだ。

最後に僕らを救ってくれた者を野晒しにする罪悪感

、そして、その亡骸を利用しようとする者がまだ残っていることが僕をここに留まらせた。


「夕綺、どうした?」


言いながら動かない僕に海斗が声をかける。


「海斗━━、新城さんと先に行ってくれ。僕はあと少しだけやることがある━━━━そのあと、すぐに追いつく」


「な━━━━、駄目だ! 俺たちは一緒に帰るんだぞ! ここでお前を残していけるか!」


「そうよ、葉真夜くん! なら、私たちも一緒に残るわ!」


海斗と新城さんが怒りにも似た勢いで僕に反対する。その意気に、僕は仕方なくうなずいた。




「……そうか、ならあと少しだけ待っていてくれ。━━すぐに済む」


二人にそう告げ、僕は諸刃と空矢の亡骸に近づいていく。


「夕綺━━━━」


風花が心配そうに声を出す。


「風花、すまない。僕は今から諸刃と空矢の亡骸を葬る。彼らを、ここにこのまま晒していくわけにはいかない。それでも━━━━いいか?」


静かに問う。


「━━ええ、お願いするわ。夕綺。あなたの力で、兄さんたちを在るべき所に帰してあげて。それが、せめてもの救いなのだから━━━━」


風花は目を閉じ、そう答えた。

彼女の決意を胸に受け止める。


「よし、わかった。彼らの肉体を葬り、その魂を天に返すぞ。せめて、迷わぬように送り届けてみせよう」


僕は諸刃と空矢の亡骸を寄り添うように並べた。

そうして、破魔の結界を展開する。


それは人ならざる者を打ち払う結界であると同時に、それらを浄化する慈悲の術でもある。

ただ、闇雲に人外を滅するのは葉真夜の本分ではない。あくまで、彼らの在るべき所に返すのが役割なのだ。


海斗と新城さんは、僕の行動を黙って見守ってくれている。



僕は自らの血で、床に文字を刻んでゆく━━━━。

二人を囲うように四点にその文字を揮毫する。


結界術に必要な札などは、今は手持ちには無い。

ならば、この血で符を作るしかない。


『破』『邪』『天』『帰』


一文字ずつ指で床に直接記していく。


━━━━最後の『帰』を書き終えた。


さあ、いくぞ━━━━。


僕は言霊の詠唱を開始する━━━━━━━━━━


━━━━━━だが、僕の言葉は新たな人物によって中断された。



「━━━━やあ、なかなか楽しいショーだったよ。私をこれほど楽しませてくれたのは、君たちが初めてだ」


パチパチとわざとらしい拍手をしながら初老の紳士が奥の部屋から現れた。

その男は、どこか海斗に似た相貌をしていた。

だが、野心に燃える歪んだ眼光は海斗とはまるで違う、似ても似つかぬものだった。

━━そう。

この男が、全ての黒幕なのだ━━━━━━。



「てめえ、いまさら何しに出てきやがった━━! 糞オヤジ……!」


海斗が初老の男を睨む。


「海斗よ、私はいままでお前を育て、生かしてやってきた。お前はその感謝も忘れ、父であるこの私に逆らったのだ。この反逆行為は許されるものではないぞ」


海斗の父は、静かに淡々と告げる。

そこに親子の愛情など欠片も感じられなかった。

いままで、海斗が両親を快く思っていなかったのを心の底から実感した。


「━━そして葉真夜君。君は非常に優秀な人間だ。貴重種でもある。本当は殺してしまうのは惜しいのだが、君を生かしておくと問題が増えそうなのでな。ここで消えてもらいたいのだよ。それに、そこの鎌鼬を天に返されてはいい迷惑だ。その死体は私たちが必要としている」


海斗の父は、まるで感情のこもらない声で語る。

ただの報告のように、抑揚無く話すさまが不気味だった。


「━━あなたは、僕たちを始末する気なのですか? 海斗も、あなたにとっては邪魔者だとでもいうのですか……!」


僕は低い声で問う。


「もちろんだ。私の邪魔をするものは何者であろうとも排除するまでだ。海斗も、私の意志を継いで後継者になれる器があるのならなにも問題は無かったのだがな」


海斗の父は即答し断言する。


「━━そんな……!?」


新城さんが息を呑む。


「ふざけるな! なにが器だ! お前の狂った思想にだれがついていけるか。そんなものが器だと!? 俺は認めねえぞ!」


激高する海斗。しかし、海斗の父は意にも介さない。


「残念だ。━━非常に残念だ。私の腹心である霧島は死んだ。そのうえ、後継者候補であった息子は期待はずれ。現状では変わりは居ない。野望の達成は近いが、あとを継ぐものがいなくなるのは困ったものだ」


海斗の父は首を振り、嘆息しながら落胆した様子で語る。

霧島を失った事は本当に悔やんでいるようだが、海斗の事を期待はずれなどという暴言は見逃せない。


「あなたの期待が正しいものとは思えません。それを海斗に押し付けることは間違っている。海斗は、正しく、まっすぐで、それでいて熱い男だ。あなたのような歪んだ野望を持つ人間にはそんなことを言わせるわけには━━━━」


僕がさらに言葉を続けようとしたところを海斗が遮る。


「まて、夕綺。ここは俺が━━━━。親父よ、俺はあんたの犯罪行為を全て知ってしまった。俺はあんたを人とは認めねえ。まして親であるなんておもわねえ! そして、あんたが夕綺に手を上げるというのなら、俺は絶対にゆるさねえ!」


「ふんっ━━餓鬼が囀るか。ここまで私に逆らうようになるとわかっていれば、もっと早く始末したのだがな。人生というのはままならないものだな。さあ、お前のような失敗作は即刻処分だ。子供など後からいくらでも作れる。だが、そうなると若い母体が必要だな。あれでは、子供を作るにはもう機能が衰えすぎているからな」


海斗の父はつまらなさそうに告げる。

まるで人を人と思っていないようなその発言は人の尊厳を完全に犯している。



「てめえ━━、そこまで腐ってたか! お前にとって家族とはなんだったんだ!!」


海斗の怒りが頂点に達する。

今にも殴りかかりそうな勢いだ。


「私には家族など居ない━━━━はじめからな。お前の母である人間は、私にとって、ただ単に利害の一致したパートナーに過ぎん。愛情もなければ友愛もない。ただ、お互いの目的が一致し、納得しただけの関係だ。彼女と結婚したのも、世間体のために既婚者の方が有利だからそうしたまで。営業面でも、独身だとなにかと印象にかかわるんでね。そういった面では彼女は十分に役に立ってくれた。だが、彼女は最後に決定的な過ちを犯した」


「━━やめろ! もういい!」


海斗が叫ぶ。


「━━彼女は、愚かにもこんな失敗作に情が移ってしまったことだ。私が海斗を始末すると決定をした時、彼女はあろうことか反対したのだ。なにをバカなことを言っているのかと思ったよ。そのため、私は彼女を処分しなければならなくなった。彼女は、海斗を殺すなら、この組織の秘密を公に晒す、などとのたまったのでね。仕事の能力的には惜しいことをしたが、まあ、私一人でもカバーはできる。私の行く手を阻む障害は、何をおいても排除しなければならない! そして、次はお前だ! 海斗! お前はここで消えろ! そして、葉真夜の息子よ。君もここで消えてもらうぞ!」


海斗の父は目を剥き、こちらを睥睨する。

紳士然とした態度はすで無い、今そこに居るのはただの外道だ。

彼の赤く濡れた袖口は、処分がつい先ほどに行われた事を表していた。

彼の言っていることは、おそらく全てが事実なのだろう。それゆえ、海斗は激怒する。

怒髪天を突く勢いで詰め寄る。


「てめえぇぇぇ! 俺はお前をゆるさねえぇぇ!」


海斗が父に殴りかかる。


「まて、海斗━━! 危ない━━━━」


海斗を止めようと声を飛ばす。

だが、遅かった。

海斗も己の危機に瞬時に反応したが、相手の速度がわずかに上回った。



海斗の左肩が抉れた━━━━。

その後に銃声が轟く。

新城さんの悲鳴が聞こえる。


「ちいぃ━━! そんなもの出してきやがったか。どうせ、素手じゃかなわないんだろ。この屑が……!」


海斗が肩を押さえながら罵る。


「ふん、それはどうかな……。私はもう新たな力を手にしてしまったのだ。力を解放してしまえば、私は人としてお前を殺せなくなる。それではつまらん。できるなら私は、人としてお前を殺したいのだからな━━!」


海斗の父から異様な気配を感じる━━━━この感触はまさか━━!?


「なにを言ってるんだ!? てめえ……!」


海斗が息を巻くが、少しずつ声が縮む。



「聞いての通りだ。あの実験体を手に入れ、私はすでに力を手に入れた。この身に人外の血と肉を受け入れたのだ。そして、その血肉は驚くほど早く私の体に馴染んできた。今、私の体には湧き上がるような力が満ちている。それはもう、今まで感じたことも無い高揚、優越感をもたらしてな。今なら、指一本でお前の心臓を抉り出せそうなほどだ。わざわざ拳銃なんてまだるっこしい物を使ったのは、素手でやったら、一瞬で終わってしまってつまらなくなるからだよ━━海斗!」


海斗の父は両手をあげ、恍惚に満ちた表情を浮かべる。

目は野望に燃え爛々と輝き、その口は醜悪に歪んで開かれていた。

そして、その体から放たれる殺意は紛れも無い本気の意思だ。



「━━クソッタレ━━━━! やっぱり狂ってるぜ、お前はよ! 全ては、全てお前が元凶なんだな。お前が━━━━━━━━!」


海斗の叫喚。その激情が再び弾ける。


「けれど、お遊びもこれまでだ。私は速やかに障害を排除しなければならない。どうやらお前に構っている暇は無くなったようだ」


海斗の父は僕に意識を向けた。


それは、僕が戦う意思を見せ、殺意を跳ね返したからだ。

僕は鉄扇を両手に握り、闘志を燃やしていた。


体は決して万全ではない。むしろ最悪だ。

それでも、ここで黙ってはいられない。

僕の心が叫びだす。


「倉形さん。僕はあなたを許さない。僕の父が死んだ原因は、元はと言えばあなたに起因する。霧島はあなたの作戦に従ってきたが、本当の罪はあなたにある。だから、僕はあなたに報復する。それに、殺すといわれて黙って死んでやるほど僕はお人よしじゃない。殺意には、殺意で返す。

目には目を━━歯に歯を━━━━! 

殺戮者には━━━━それ相応の報いを━━━━!」



僕は海斗の父を視線で射抜く。

視殺できそうなほどに━━━━。


「━━なるほど、これが葉真夜の翠眼か。その眼だけはしっかりと受け継いだようだな。けれど、力はまだまだ未熟だな。きみの父親は、私たちでも策を弄さねば始末できないほどに強大な力を有していたが、きみはまだその域には達していない。私が本気をだせば、きみのような小僧は一ひねりだ」


「そうは━━いくか━━━━!」


ぼろぼろの体を引きずりながらも、僕は眼前の男に詰め寄る。



「良かろう! まずは先に君を殺し、その後に海斗を始末しよう。そこの女の子は屍兵の餌にでもしてやればいい。━━━━そして、メインはそこの鎌鼬だ。鎌鼬の最後の生き残り。私はその鎌鼬を捕らえ、真に人外の力を取り入れるのだ。邪魔はさせんぞ、━━━━━━葉真夜!」


海斗の父はそう言うと、服の上着を脱ぎ捨て吼え声を上げた。

━━━━━━殺意のカゼが巻き起こる。



「はあああぁぁぁぁぁあぁぁぁああああああ」


海斗の父の体が膨れ上がる。

老いて痩せた肉体が、若々しい筋肉を取り戻す。

生きてきた年月を刻んだ顔を皺もなくなり、精悍な顔が現れる。白髪混じりだった頭髪も黒々とした艶のあるものに変わっていく。


そして、全身から溢れ出す生命力と禍々しい気配は恐ろしいまでに強力だ。

噴出す殺意にも揺るぎは無い。

押し寄せる圧迫感と威圧感は、━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━あの霧島以上だ。


こんな━━こんなことが━━━━━━━━!?


「これが、━━━━私たちの長年の研究の成果だ。霧島が道を開いたおかげで、研究は大幅に進んだ。生きた人外さえ手に入ればこのとおりよ。惜しむらくは、実験体がすぐに奪還され失われたことだが、それでもまだ変わりはある。君らを殺し、すぐにそこの鎌鼬の少女を利用させてもらう。さあ、━━━━━━━━行くぞ!」


海斗の父は拳銃を投げ捨て、徒手空拳で向かってくる。拳銃を捨てるということは、その身そのものが銃を上回る力を持っているということだ。

銃を手放したことに、安堵などしてはならない。


「━━━━くそっ━━━━! ここで死ねるか!」


僕は軋む右手を強引に黙らせ鉄扇を握り締める。

左の肩口から斬られた傷も決して浅くは無い。

左手に力を入れると傷がズギズギと痛み、脳に緊急信号を送りつける。

だが、痛みなんていくらでも来い。神経を刺激する

痛覚がどれだけあろうとも、死ななければそれでいい。傷なんてあとでいくらでも労わってやる。


だから今は、

僕の邪魔をするな━━━━。


あと少し黙っていろ、僕の神経、痛覚、そして脳!


ワーニングの悲鳴を上げる神経を無視し、僕は肉体を稼動させる。


硬い動きで震える両腕を上げ、鉄扇を構えた。


「なるほど、その精神力はたいしたものだ。心の強さは、父親より上かもしれんな。━━━━だが、心で私は倒せんよ!」


海斗の父は力任せに殴りかかる。

その風圧だけで吹き飛ばされそうなほどの一撃だ。

鉄扇をクロスさせその拳を防ぐ。


「ぐああぁぁっ!」


それでも威力は止められず、僕は遥か後方に吹き飛ばされる。

そのまま、二回、三回と床を転がり壁にたどり着いたところで強制的にストップする。


たった一撃受けただけで、再び傷口が開いた。

胸から赤い染みが広がりだす。


だけど、これしき━━━━。まだ、いける━━。


立ち上がり、鉄扇を開く。

斬撃で勝負だ。裂傷をあたえる方が活路が見出せるかもしれない。


揺れる視界に構いもせず、体に鞭を入れ足を動かす。

「━━あなたは、絶対に許せない。風花に手を出すこともさせるものか! なんとしても、ここで止める━━━━━━━━!」


海斗の父に迫る。見え透いた動きになるが、跳躍して一気に攻める。どうせもう小細工はできない。

ならば一撃の威力を高め、勝負に出る方がまだマシというものだ。


━━━━━━左右の軌跡がクロスする━━━━。


しかし、彼は僕の攻撃を腕で受け止めた。

硬い金属のような感触と、乾いた音が鳴り響いた。

諸刃をも打ち倒した僕の渾身の一撃も、彼の前にはまったく通用しなかった。


そして先ほどの硬い感触に疑問を感じ彼の腕をすぐに見やる━━━━━━━━━━驚く。


彼の腕はすでに人のモノではなかった。

硬質化し、鉄より硬い金属のような輝き。彼の腕は鈍く黒光りするひとつの刃物のようになっていた。


━━━━これは━━━━鎌━━━━!?


彼の腕からは小ぶりの鎌の刃が生えていた。

草刈鎌のような鎌が左右の腕に備わり、その腕そのものを武器と化していた。


「これが、先ほど手に入れた私の新たな力だよ。いかがかね━━葉真夜君。この力は素晴らしい。この特殊な能力だけでなく、身体機能全てがまるで桁違いだ。あの実験体の細胞と血液は、すでに私の体に取り込んだ。そして時間が経つほどにその力が馴染んでくる。そう、この地上の生物全てが下等で劣等な存在のようにさえ思えてくるよ。君と私は、例えるなら人と虫けらほどの差があるのだよ。当然、━━━━━━君が虫けらだ……!」


海斗の父は僕を見下しながらそう言い切った。

同時に腹を蹴り飛ばされ、床に倒れる。

なるほど、僕は地べたを這う虫けらだと言いたいわけか。だがな━━━━━━


「━━━━虫けらでも、踏みつければ暴れる。それに、毒を持った虫は、人をも殺すよ━━━━!」


胸から血を流しながら立ち上がる。

視界が霞む━━━━。彼の顔も歪んで見える。

やはり、血を流しすぎた━━━━。

僕の意識は後どれだけ持つだろうか?

いや、そんなことは関係ない。残る全ての力を彼にぶつけるまでだ。そうでなければ、生き残れない。


そうして鉄扇を構えようとする。

しかし、左腕が上がらないことに気づく。


さっきの攻撃で無理をしすぎたか━━体が叫ぶ警告を無視して酷使したのだからそれも仕方ない。


かといって、右手も限界が近い━━いや、すでに限界を超えているのかもしれない。先ほどから頭の中ではサイレンが鳴りっぱなしだ。

ドドメ色に染まっていた右手首は、すでに倍以上に腫れ上がっている。


それでも、右腕は、まだ、動く━━━━━━!


「ふむ、その胆力、気迫は見事だ。しかし、人間の体は正直だ。決して限界以上のことはできないよ。所詮、根性というものは、肉体の限界を認めたがらない人間の悪あがきに過ぎん。精神だけでは肉体を凌駕することは敵わんよ。━━━━さあ、そろそろ楽にしてやろう。君も屍の兵にしてやる。君ならさぞかし強力な兵として活躍してくれるだろう!」


海斗の父が床を蹴り、一瞬で僕の眼前までに間合いをつめる。正直僕には、もう反撃の力は無い。

それでも、ただでは死にたくない。


事、ここに至れば、僕にできることは後ひとつ━━━━━━!

肉を切らせて━━などと甘いことは言わない。


骨を切らせて━━━━━━━━━━骨を絶つ!


一瞬に全てをかけて相打ち狙いだ。


たのむ、あと少しだけ動いてくれ━━僕の右腕よ!


━━━━奴はもう腕を振り出している。━━急げ!


「いまだ━━━━貫け━━━━━━━━━━!」



残る力で右手を前に突き出す。狙うはカウンター。

僕の足はとうに動かない。立ち上がれただけでも僥

倖に等しい。

ならば、相手の力を利用するしかない。

先に当てることができれば、勝機はある。

いかに人間を超えた存在になろうとも、奴らに一つだけ弱点がある。

霧島が言っていたことだ。

心臓さえ破壊されなければなんとでもなると。

ならば、“心臓さえ止めてしまえばいい”!


「この世から消えろ━━━━葉真夜! 死してその骸を晒せ!」


海斗の父が右腕を打ち出す。

殺意のカゼと共に眼前に拳が迫り来る。



━━━━互いの右腕が交差した。沈黙の時は一瞬。


彼の拳は僕には届かなかった。そして僕の鉄扇は彼の左胸を捉えていた━━━━━━━━


━━━━━━けれど、彼は倒れなかった。


そして━━━━━━


「ぐはっ━━━━━━……!」


僕は血を吐きながら倒れていく。


なんだ━━━━なにが起こった━━━━!?


倒れながらも、鈍りだしている痛みの方向に目を向ける。


そこには、深々と刺さった刃が見えた。


ああ、そうか━━━━


彼の拳は届かなかったが、彼の刃は僕の胸を貫いていた。心臓を貫くつもりが、逆に貫かれてしまった。貫かれたのは心臓ではなく肺であったが、生身の人間にとってはどちらも致命的であることに変わりは無い。


胸から刃がズルリと抜けていく━━血が噴出す。


ああ、まだこんなに血が残っていたか━━。

遠くなる意識の端でそんなことを思った。

そうして僕は床に倒れ付した。


━━━━遠くからか、はたまた近くからか、みんなの声が聞こえる。


それぞれが口々に僕の名を呼んでいるようだった。

僕は、それに答えようとしたが、ごぼごぼとした息が漏れた。


「━━夕綺!」


「葉真夜くん!」


「━━夕綺、死ぬんじゃねえ!」


何とか顔の向きを変える。声の元は思いのほか近かった。まるで一キロ先から呼ばれたかと思ったくらいなのに。

風花も、海斗も、新城さんも、みんな僕を取り囲むようにそばにいた。



「━━てめえ、よくも夕綺を!」


海斗は自身の傷も省みず突進する。

駄目だ━━そう思っても僕にはもうどうすることもできない。


「海斗よ、そうあわてるな。どうせすぐにお前も後を追うことになるんだからな━━━━!」


そう言って海斗の父は躊躇い無く息子に刃を向けた。

奴の右腕が一瞬煌いたような気がした。

直後、海斗の右腕が無くなった。


「うおおおオオオオオオアアアアァァァアァァ━━━━━━━━━━━━━━━━━━!!!!」


いままで聞いたことの無い海斗の絶叫ともいえる悲鳴。機能が薄れていく僕の耳にもそれははっきりと届いた。



「━━━━倉形くん!! いやああぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁあっぁぁぁあああ━━━━━━!!」


遅れて新城さんの叫び。

まさに阿鼻叫喚だ。


海斗の右腕は肩から切り離され、海斗の足元にドサリと落ちた。

海斗はそれを一瞬現実のものと思えず呆然とする。

しかし、海斗はすぐに我を取り戻し再び父親に向かっていく。

やめろ、海斗! もういい!

そう叫びたかったが、僕の喉は掠れたような声がわずかに出ただけだった。


「……くそったれ━━━━! 死なばもろとも━━━━ただでやられるかよ。お前の体、どこか一部でももらっていくぜ━━━━━━━━」


銃弾を受けた左肩からは血を流し、右腕はたった今無くなった。

それでも海斗は向かってゆく。


駄目だ、それでも駄目なんだ。それじゃあ、奴には届かない。

人間でなくなった奴を倒せるのは、僕だけだというのに、だのに僕はもう動けない━━━━。

悔しい━━━━あまりに悔しい━━━━!

こうしてこのまま見ているだけだなんて━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

━━━━━━━━━━海斗が殺させるのを。


左腕を引き絞り海斗は父に突撃する。

しかし、迎え撃つ父は万全だ。

完全にタイミングを計り、海斗を迎撃する構え。

━━数秒後の未来がはっきりと予測できてしまう。

それはこの場にいた全てのものがそう思ったろう。

海斗本人もその例外ではない。

数秒後に己が血を噴出して絶命するさまがはっきりと見えているだろう。

それでも海斗は止まらなかった━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━否。


「倉形くん、だめえ━━━━━━━━━━!!」


後ろから新城さんが海斗に飛び掛り押し倒す。

海斗と新城さんは奴の目前でうつ伏せに倒れこむ。


━━━━飛び散る飛沫。

赤い液体がまたしても宙に舞う。


新城さんは海斗を庇い、背中に鎌を受けた。

彼女の背中は無残にも斜めに切り裂かれた。


「━━━━━━あ━━━━━━━━」


悲鳴はほとんどあがらなかった。

彼女はそれで意識を失ってしまった。


「し……新城さん━━……」


「新城━━━━━━!!」


僕と海斗の叫び。僕の声は叫びとは呼べぬ代物だが、声を発せた時点でそれは叫びと同義。


「ばかやろう━━━━、なんで俺を庇った! くそ!」


海斗の慟哭。海斗の感情が痛いほどに伝わってくる。


「ぶざまだな、海斗。女の子に庇ってもらう気持ちはどうだ?」


海斗の父は、海斗を嘲笑する。

倒れた海斗の顔を足で踏みつけ、見下す。

その侮蔑の表情は断じて許せない━━━━!


「━━━━く、ちくしょう……!」


海斗は父を睨めつける。

殺意のこもったその眼差しににも、奴は一切怯むことも無い。それどころか、かえって喜んでさえいるように見えた。


「けれど、お前はここで死ぬ。たとえ一瞬生き延びたとしても、その子は犬死だ! くくく、はっはっはっは━━━━━━━━!」


奴の下卑た嗤いが部屋中に響き渡る。


やめろ━━━━。


その嗤いをヤメロ━━━━。


そんな、人を傷つけて嗤うことは絶対に認められない。

僕は、自分の身近な人間だけは護ると決めた。

あの日から━━━━━━━━。


なにを迷うことがあったというのか。

風花、海斗、新城さん━━━━━━━━彼女らを護るというのなら、まだひとつ手があったじゃないか━━━━━━━━━━。


簡単なことだった。

敵があと一人なら、僕も滅んでも良いというのなら━━━━━━━━手段はある。


この目に留まる人たちだけは護ってみせる。


僕は、肺に残る空気を搾り出し、かろうじて声に変換していく。






━━━━人は魔を、魔は人を━━━━


もう立ち上がることもできない。

床に伏せたまま詠唱を開始する。







━━━━互いの真理を、理を織るべし━━━━


はじめからこうしていれば、みんなあんな傷を負わずに済んだ。







━━━━人の世にありて━━━━

━━━━人にあらざるものよ━━━━


僕の覚悟さえあれば、この程度の敵、恐るるに値しない。








━━━━魔において、魔であらざる者よ━━━━

━━━━人にあらざる全ての者よ━━━━

━━━━我が声を聞け━━━━


葉真夜は、絶対に負けない。








━━━━この血、この身は魔を討つ白羽の矢━━━



魂を際限なく使用する、究極の人外狩りの秘儀。






━━━━我が言にて、その魂を解き放て━━━━



これが、━━━━魔を討つ破魔矢だ。






━━━━鏃 箆 一文字 杉成 麦粒 射付節 箆中節 袖摺節 羽中節 矢羽 甲矢 乙矢 走羽 頬摺羽 外掛羽 二枚羽 三枚羽 矢筈━━━━

━━━━箭つがえ━━━━━━━━



そして、━━放たれた矢は決して戻ってはこない。






━━━━葉真夜が命ずる━━━━


━━━━━封玉 開━━━━━━━


「駄目よ━━━━夕綺━━━━━━!!」


僕の詠唱を中断させるように風花の声が轟いた。

;僕は風花の声に意識を傾けた。→本編へ

;僕は風花の声にかまわず詠唱を続けた。

風花が僕を抱きかかえていた。

彼女の息も荒い。僕の元に来るだけで息も絶え絶えだ。それでも、風花は僕を止めるために声を張り上げたのだ。


「━━それは絶対に駄目、夕綺! それを使えば、夕綺は命どころか、魂までも失うんでしょう!? さっきも、それを使って魂を削ったんでしょう!? もう、これ以上使ってはいけないわ!」


風花の必死の懇願。

彼女は先の術の代価を芯から理解している。

以前、僕の隣で葉真夜の書を読んでいたのだろう。

聡明な風花のことだ、書の内容は一読でわかっているであろう。

だから彼女は必死で止めるのだ。


それはわかっている。わかっているが、それでもそれしか手が無いというのなら詮方ないことなんだ。

たしかに、先の術の行使で僕の魂の一部は欠け落ちた。過去の記憶も一部が消え失せた。


━━けれど、このままではみんな死ぬ。

それだけは避けたい。

そのためにはこれしかないのだ。

わかってくれ、風花。


それになによりも、━━━━僕は奴を許せない。


だから、この最後の力を使うんだ━━━━━━!


「……風花━━━━、僕を案じてくれるのはうれしい……。けれど、僕は僕の意思で力を使う。僕はこの目にとまる人だけでも護ると決めたんだ━━。それに、奴は、絶対に僕が倒す━━━━━━!」


もう息をするのすら億劫だが、それでも声を出し僕は自らの決意を表明する。決して引かぬことを明言する。


「━━━━それでも駄目よ、夕綺! 魂さえも失ってしまうくらいなら、ここで一緒に死んだ方がよっぽどマシよ! 夕綺なら━━人ならざる者をよく知る退魔の人間であるあなたなら、それをよく理解しているでしょう!」


風花の叫びはもはや悲鳴に近い。けれど、僕はそれを拒否する。


「━━すまない、風花……。僕は……海斗と新城さんを見捨てることはできない。……そしてなによりも、風花を奴らの実験の道具になんて絶対にさせるわけにはいかない━━……。たとえ僕が倒れても、僕の行動は無駄になんてならない……!」


風花を見上げ、はっきりとそう口にする。


「夕綺の━━━━バカ……」


そう言った彼女の瞳は涙に濡れて見えた。

僕の視界は歪んで霞んでいる。もしかしたら僕の気のせいだったのかもしれない。


このままでは、あと数分で僕の命は尽きる。

少なくとも意識は消える。

ならば、今、ここで使うしかない。

まだ、命の灯があるうちに━━━━━━。




「━━━━━封玉 開放━━━━━━━」



最後の詠唱を完了させる。


扇の要に蒼く輝いている宝玉が音も無く外れる。


━━━━そして急激に訪れる消失感。


先ほども一度味わったが、この感覚は決して慣れるものではない。


━━体中の 何かが


  根こそぎ

    

鉄扇に  吸いこまれていく━━━━。



それが二つになったのだから、消費量も倍増している。

風呂の水が排水溝に流れ出すような勢いで僕の魂は刻一刻と失われていく。


どの道、僕に残された時間はそう多くない。


けれど、これだけあれば━━━━

これだけあれば、何とかなるかもしれない。


鉄扇の力が解放されている間は肉体の痛みも無い。

傷が悪化することも無い。

僕の体だけ時が止まっているように、僕の体にダメージをあたえることはできないのだ。

これが、葉真夜の持つジョーカー、━━切り札だ。


惜しまれるのは、最後に出す札がジョーカーでは、ゲームはあがれないということだ。

そしてそれは現実でも変わらない。



「いくぞ、僕は無抵抗では死なない。僕を殺したければ、僕の魂ごと倒してみせろ。心では勝てないといったな? けれど、僕の(心/魂)は決して負けはしないぞ。今からそれを証明してやる」


両の手に握り締めた鉄扇を振り上げる。

動かなかったはずの両腕は、今だけは軽々と持ち上がる。

それは魂という代価との引き換え。


━━━━安くは無い。


無駄遣いはできない。一気に行く。

問答もなしに海斗の父に飛び掛る━━━━。


「━━ほう、これが葉真夜の真の姿か━━━━! その輝く翠の眼はあいつそっくりだ。面白い、その力、試してくれる!」


迎え撃つ海斗の父は、両の腕に刃を備えていた。

刃渡りにして三十センチ程度。あの鎌鼬空矢の鎌と同じ刃だ。

それが、奴の腕から直接生えている。


そして、僕はその刃を叩き折るつもりで殴りかかる。


「はああぁああ!」


右袈裟━━左袈裟と連続攻撃。


「……ふん、この程度で! ━━━━むっ!?」


はじめ侮っていた彼も、僕の動きを見てすぐに警戒を強めた。

そして、僕の文字通り全力の攻撃を、海斗の父はかろうじて防いでいく。

どうやら僕の全てを費やしても、ギリギリだ。

だが、このまま押し切ることができれば、奴に致命の一撃を食らわせることができるかもしれない。


一発で駄目なら二発三発と続ければいい。

この魂が持つ間は、息が上がることもないのだから━━━━━━━━━━━━━━━━━━。


「くらえ━━!」


僕は息の続く限り鉄扇を振るい続ける。


「━━くっ! 思ったよりはやるようだな━━」


海斗の父は攻撃を防ぎつつもジリジリと後退を余儀なくされている。僕の攻撃は確実に奴を追い詰めつつあるのが実感できる。


そのまま鉄扇を繰り出し続ける。

袈裟から横薙ぎ━━━━。

━━━━唐竹割りから足払い。

突きから振り上げ━━━━。


あらゆる攻撃をまじえながら奴を攻め立てる。

はたしてもう何合打ち合ったのだろうか?

時間の経過がよくわからない。

あれから数十分たったようにも感じるし、まだ一分も経っていないのかもしれない。

わかるのは一つ。

僕の魂はすでに半分以上削られたということくらいか━━━━。


残りはもうわずかだ。

このまま、行くしかない。たのむ━━持ってくれ。


━━━━腱の切れた左腕を振るう。


━━━━折れた右腕を捻り、突き出す。


━━━━抉られた胸からは、白い骨も覗いている。


痛みが無くなった体を酷使し、蹂躙する。


この魂の在る間だけは、その身体能力も人のソレを超える。


たとえ体が瀕死でも━━いや、死んでさえいても魂の残っているうちは突き動かせるであろう。


僕はひたすら攻撃を続ける━━━━━━━━。


「くおおぉぉぉ!」


━━━━残る魂を力に変換していく。


もう、魂は欠片ほどしか残っていない。

だが、奴には少しずつだが打撃をあたえている。

頬は切れ、腕、足にも少なからず裂傷をあたえた。

もう少し━━あと少しで奴に致命の傷を負わせられる。

━━━━勝負を急ぎ、跳躍する。

両の鉄扇を振りかぶり十字に交差させる━━━━。


閃光が迸る━━━━━━!


「━━━━ちぃ━━! そうは、させん!」


だが、海斗の父は僕の鉄扇を刃でがっちりと受け止めた。

両腕の鎌で、僕のクロスさせた鉄扇をブロックする。そのまま鍔迫り合いのような形になる。


金属の軋む音が周囲に響く。


「━━━━くそ、はずれない……!?」


鉄扇は湾曲した鎌にがっちりと押さえこまれ、ビクともしない。


「━━ふ、勝負はついたな! このままあと少し時間を稼げばお前の命は終わりだ。その━━━━魂とやらもな!」


高々と勝利宣言。


確かに、このままではそのとおりになる。

そうはさせじと瞬時に対策を講じる。


「なら、これでどうだ━━!」


至近距離からの蹴り。


「━━━━甘い!」


完全に読まれていた。奴は僕の蹴りをも見越していた。

蹴りのモーションに入った瞬間を逃さず、僕のバランスを崩しにきた。

すかさず足を払い僕を床に倒しこんだ。


僕は受身をとることもできず背中から叩きつけられる。



「━━━━ぐはっ!」


肋骨が数本折れた感触。

痛みを感じないはずの体がついに悲鳴をあげだした。次いで体中全身の傷が火を噴くように激痛を発しだす。

血を吐き出しそうなほどの苦痛が僕を襲う。


なんてことだ━━━━、ここまできて━━━━。



「━━━━ふ、どうやらここまでのようだな。なかなか楽しませてもらったよ。━━━━葉真夜君」


海斗の父が僕を見下しながら告げた。






━━━━ここまでなのか。


━━━━ここまでやっても、僕は誰も護れなかったというのか。


━━━━━━悔しい━━━━━━━━━━


━━━━━━たまらなく悔しい━━━━━━




━━━━猛烈な消失感が僕を捕らえる、今までの比ではない。

それは全てを奪い去る完全なる消滅だ。


━━━━そして、襲い来る恐怖━━━━━━


それは自身の滅びの恐怖と、

これから殺されるであろう海斗たちの運命と、

実験に利用され蹂躙される風花の運命を思い恐怖する。


━━僕はもう言葉も出なかった。

吐き出そうとした言葉は、喉の奥からゴボゴボと溢れ出る赤い液体によって遮られた。

先ほどまで羽根のように軽かった体も、今は鉛よりも重たく鈍い━━━━。

折れた右腕は、指一本さえ動かなかった。

左腕の感覚はまったく無い。神経が繋がっているのかどうかさえ疑わしい。


そして、失われゆく血液━━━━。

僕の体からは、もう大半の血が失われている。

そうして、意識さえも、掠れていく━━━━━━。



「━━さて、悪あがきも終わったようだな。このまま黙っていてもお前は死ぬだろうが、慈悲深い私はとどめを刺してあげることにしよう。どうだ、私は実に紳士的だろう? くくく、はははははは━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━」



海斗の父の嗤い声がフロア中に響き渡った。

もう誰もそれを止めることはできない。


僕は━━━━負けたのだから━━━━━━。


この場にいる誰にも、奴を止めることは敵わない。

新城さんは意識を失い倒れたままだ。

海斗も腕を失うほどの深手を負った。とても動ける状態じゃない。

そして風花。

彼女も先の戦いと、僕たちの治癒のためにのこる妖力を使いきり、もはや立ち上がることもままならない。


「さあ、最後の時だぞ葉真夜君。君はクリスチャンか、仏教徒か? 念仏でも、祈りでも好きにしたまえ。その程度の時間はくれてやろう!」


━━━━━━なにをバカなことを━━━━━━。


この世に、神も仏もあるものか……。


あるのは、ただ魂という存在だけだ。

人は死ねば魂となり、在るべきところに帰っていくだけだ。

それは人ならざるものでも例外ではない。

全ては、ただそれだけ。


そして僕は魂を使い切った━━━━。

あとに訪れるのは、真の消滅━━無だ。

いま、かすかに残る数滴の雫が乾ききれば、僕の魂は完全に失われる。

それまで、あと数分も無いだろう。いや、数秒かもしれない。

祈りも念仏も意味をなさない。

それは生きた人間のためのものだから。


僕はもう死んでいる、いや、存在すら失われるのだから━━━━━━━━━━。


彼は律儀にも祈りの時を僕に与えた。

そうして時は来たる━━━━。


海斗の父がゆっくりと腕を振り上げた。

━━━━鎌の刃が昏く煌く。


ああ、━━━━これで終わるのか。

人の命の儚さを思い知る。あの腕が振り下ろされれば僕の全ては終了する。

━━━━そう、全ては終わるのだ。


静かに瞑目する。

せめて痛みの少ない死を所望する。

そう思いながら━━━━━━━━━━━━━━━━。


━━━━━━━━━━━━しかし、


風花の声が僕の耳に届いた。



「夕綺━━! まだよ、やっとわかったわ━━! あなたはいままでずっと勘違いをしていたのよ!」


体の動かない僕は、耳だけを風花の声に向ける。

彼女の言葉に反応した海斗の父も、思わず動きを止めた。


「あなたはずっと、“葉真夜には魔を見通す力がある”と言っていた。けど、そうじゃない。夕綺もあの書物を読んだでしょう? 葉真夜の本当の力は“人ならざる者を受け入れること”だと━━。やっと、その意味がわかったわ━━━━」


風花が必死に言葉を紡ぐ。

ならば僕は、最後の時をこの静聴に費やそう。


「━━━━━━━━━━夕綺━━━━━━━━━━。あなたにとって私は魔の存在なの━━━━?  私は、人に害をなす邪な存在なの━━━━?」


「━━━━━━━━!?━━━━━━━━」


息もできない体で息を呑む。


あぁ━━━━━━━━! 


「なら、夕綺にはどうして私の姿が視えて触れ合うことができたの━━? 私が悪しき存在でないのなら、なぜあなたの翠の眼に映ったの? それは、あなたの眼がただ魔を見通すだけではないことを表しているわ。━━━━そうでしょう、夕綺! お願い、気づいて! あなたのそばには、いつもあなたの身を案じている人たちの気配があった。早く、それに気づいてあげて━━━━━━━━━━!」


風花の叫びは、最後には絶叫に近いものになっていた。

その、まさに魂を打つ叫びは、失われつつある僕の心にまで響いた。


━━━━ああ、━━━━━━そうだった。

どうして、こんな簡単なことに気がつかなかったんだ。

どうして━━━━!


僕は、はじめから間違っていた。

葉真夜の力の本質を━━━━!



僕が風花を魔の者として視たことなんて一度も無い!

幼きころ、初めてその姿を見た時からそれは変わらない!


そう、僕が眼帯で翠眼を封じるより以前━━━━。

それ以前のことを思い出せ━━━━。


僕はただ、

  ありのままに、

人に在らざる者をこの眼に映してきた。


━━━━それだけだ。


そのなかには、人間に害の無いモノもあったろう。

誰かの守護霊だって視ていたのかもしれない。


ただ、その時の僕にはわからなかっただけだ。


だから━━━━、

━━あの時僕は風花を見つけることができたんだ。


お気に入りの山の中、とある一本の大樹の上に佇む風花を。


「━━━━ああ、ありがとう風花。僕にも、……やっとわかったよ━━。風花に、そこまで言わせてしまってすまない……」


いつの間にか忘れてしまっていた。

眼帯で翠眼を封じているうちに、意識が間違った方向にいっていた。


人を殺す人外と戦ううちに、概念を間違えていた。


眼帯をしていても、邪な気配だけは感じることができた。それこそが勘違いの元凶だったんだ。


「━━そうだ、僕には、全てを視ることができたんだ━━━━━━━━━━━━━━━━━━」


殺意のような強力な意思や念の前には、他の希薄な存在は気づきにくい。

それが尚のこと、僕に間違った意識を植え付けていたんだ。


だけれども、一度気づいてしまえばあとは━━━━



そう、


━━━━━━今の僕には全てが見える━━━━━━



幼いころのように、

この眼で、ただありのままを視る。


━━━━忘れていた感覚が蘇っていく。


そうして僕は、やっと眼前に並ぶ人たちを視ることができた。


視界は、すでに朧だ。光を通して見るものは微かにしか見えない。

けれど、

光に見えないモノならば、はっきりと鮮明に視ることができる━━━━━━。


━━━━倒れたまま天井を見上げる。


そこには━━━━━━━━━━━━





「━━よく、この領域まで辿り着いたな……夕綺」


僕と同じ翠の眼をした壮年の男━━━━父だ。


「とう━━さん━━」


「お前には苦労をさせてしまった。━━すまない。たった一人でよくここまで……。それに、お前にはこんな戦いの道はあゆませたくは無かった。本当は、言いつけを背いたことを叱るべきなのかもしれないが、今はお前を褒めよう。人を護るために力を磨いたその努力を賞賛しよう。見事だ、夕綺━━」


頭上に浮かぶ父は生前と変わらない姿をしていた。

あの日、最後に家を出た時と同じ姿だ。


「父さん━━、ありがとう。でも僕は一人じゃないよ。かすみねえも居るし、海斗や新城さんも居る。みんなのおかげで僕は生きてこれた。それに、……今は風花がいる。風花が居なければ、今の僕はここには居ない。彼女と二人なら、どんな相手とだって戦える。だから━━━━謝らなくてもいいんだ、父さん━━」


「そうか━━、そう言われるとすこしだけ寂しい気もするが、嬉しくもある……。立派になったな━━━━夕綺。最後にこうして会話ができたことを感謝しよう。さあ、これが父にできる最後の手助けだ。私の魂を貸してやろう。これで、お前の魂が吸い尽くされることはなくなるだろう」


「━━そんな!? それじゃ父さんが━━」


「心配するな━━。何も私の魂全てが失われるわけじゃない。それに、お前を助けに来ているのは私だけではないぞ。ほら、━━周りを良く視てみろ」


父さんが横に視線を向けた。そこには━━━━、


「か、かあ━━さん」


母は、父の隣でやさしく微笑んでいた。


あの日、二人は崖下に車ごと転落し、その直後霧島の手によって命を断たれた。

二人は、あれからずっと僕の身を案じ、見守っていてくれたのか━━━━。


━━知らず、涙がこぼれる。


母さんは一度だけ頭を撫でてくれた。体温など無いはずなのに、なぜだかとても温かく感じた。




━━そしてまだ、他にも気配を感じる。

さらに隣を視る。



「葉真夜━━。俺の魂を救ってくれてありがとう。あのまま未練を残し、暗い世界に閉じこもっていたら、俺は俺じゃなくなっていただろうな。俺の闇を払ってくれたこと、感謝してるぜ。まあ、俺は霧島に殺され死んじまったが、この暮らしも思ったより悪くない。仇も討ってくれたみたいだしな、行くべきところへ行くのは、お前の手助けをしてからにしようと思う。そうすれば、俺と同じ境遇の人間に少しは手向けになるだろう。さあ、葉真夜、俺の魂を使え━━━━」


蓮見は私服姿だった。

おそらく、これが最後の時の姿なのだろう。

右手の指先には赤いものが付いていた。

これは死の間際、蓮見が必死の抵抗をした際のものだろう。蓮見は襲い来る霧島に一矢報いたに違いない。



「蓮見━━━━すまない。僕は、蓮見の命は救えなかった。これはせめてもの贖罪に過ぎない。それでも、僕に感謝をくれる蓮見に、僕は感謝する。ありがとう。そして、僕は蓮見と一緒に真の仇を討つぞ。この男こそ、蓮見の一家を亡き者にした元凶なんだ。蓮見の魂と僕の体で敵を討つ。━━━━━━━━━━━━それを見ていてくれ」


蓮見は満足げな笑みを浮かべていた。

その笑顔に、僕も救われる。





「━━まったくよ、いつまでも寝てんじゃねえよ」


「━━だらしないわね、ボウヤ」


僕を乱暴に叱咤する声が聞こえる。

━━声の方向に眼を向ける。


「鎌鼬━━諸刃、それに空矢……!?」


彼らの亡骸はそこに伏せている。

ならばここに居る彼らは━━━━。


「気安く名前を呼ぶんじゃないよ、ボウヤ。あたしはただ、このまま黙って行くのが我慢できないだけさ。人間に力を貸す気は無い━━━━。けど、奴を倒すって言うんなら話は別さ━━。ありがたいと思いな!」


空矢が僕を見下しながら言う。

その相貌は廃墟の中で初めて戦った時と何も変わらない。妖しい魅力を携えた瞳、男なら誰でも篭絡されそうな肢体、それらは死して尚変わることは無かった。


「まったくだ。俺もお前に力を貸す義理はねえ。さっき助けたのは、あくまで俺の信念のためだ。俺が人間を認めねえことに変わりは無い。だが━━。俺はお前以上に、あの糞ヤロウが気にくわねえ。だから、風花のためにも少しだけ手伝ってやる。感謝するんだな!」



諸刃は腕を組みながらこちらを見下ろす。

そのギラギラと輝く獣の眼は変わらない。

黒ずくめの容貌も以前と同じだ。


「━━ああ、感謝している。二人とも、ありがとう━━━━━━━━」


僕がそう言うと、二人はバツの悪そうな顔をして目を背けた。


「ふん━━」 「けっ━━」



悪態をつきながらも、どこか優しい気配がした。

もう、殺し合いをした殺伐とした空気は微塵も無い。






━━━━僕はさらに周囲を視る。

どうやらこの空間には、もう一人居るようだ。


僕は、一際懐かしい気配をその身に感じていた。


その方向に、ゆっくりと眼を向けた━━━━━━━━━━━━そこには、




━━━━沙希━━━━━━━━━━━━!




彼女は、すこしさみしそうな笑顔で僕を待っていた。

あの時、僕が救うことができなかったクラスメイトの女の子。活発でクラスでも人気だった。両親を失った僕に優しく接してくれた。僕の眼帯を気味悪がることも無く接してくれた女の子。

その姿はあの日のままだ。

活発な彼女をまさにあらわしている短いスカートも、動きやすいスニーカーもあの時のままだ。そして手に持ったピンクのハンカチも━━━━━━。


僕と同じ歳だった少女は、今も小学四年生のままだ。沙希は、あの日、あの瞬間で時間が止まったかのように同じ姿で僕の前に居る。



「はまやくん。はまやくんはずっとわたしのために戦ってきたんだね。━━ごめんね」


沙希は涙を零しながら真っ先に謝罪の言葉を口にした。


「━━そんな! 謝るのは僕の方だ。あのとき、僕にもう少し力があれば沙希は死なずにすんだ! 沙希は僕を恨んでくれてもいいくらいだ。僕は、自分の無力が悔しかった━━━━!」


僕は涙を流し続ける沙希にそう答えた。

そう、僕は彼女を救うことができなかった事をずっと悔いてきた。

ゆえに、僕はその贖罪として、代わりに身近な人たちを護って行こうと決めたんだ。


「━━そうじゃないの、はまやくん。わたしは、あれからずっとはまやくんを見てきた。はまやくんは、ずっと自分を責めて、自分に言い聞かせて戦い続けてきた。でも、それがわたしには辛かった。わたしは、はまやくんを恨んでもいないし、むしろ助けようとしてくれて感謝しているくらいよ。だから、葉真夜君はもうこれ以上自分を責めないで欲しい。そうじゃないと、心配で私も行くべき所へ行けないわ。だから、いつか葉真夜君が気づいてくれるまで、ずっと待っていたわ。そして、やっと葉真夜君に伝えることができた。これで、私も心おきなく行けるわ━━━━」


沙希の言葉は幼い小学生のものから段々と大人びていって、最後の方は僕と同じ高校生らしい物言いに変わっていった。


━━━━━━そして、その言葉に僕は心を打たれ、

縷々涙する━━━━━━━━━━。


沙希は、僕を許すというのか━━━━━━。


「沙希━━僕は━━━━、僕は許してもらえるのか━━━━━━━━━━━━━━━━?」


僕は、幼い沙希に恐る恐る問いかける。

そして、その返答はすぐに帰ってきた。


「許すもなにも、私は葉真夜君に感謝してるわ。私は十分、葉真夜君に護ってもらったもの。私が死んだあとも、私の心はあなたがずっと護ってくれた。葉真夜君が私のことを思いながら、代わりに人を護ったということは、それはずっと私を護ってくれたということよ。だから━━━━、私は葉真夜君にお礼を言うの。━━━━ありがとう」


「━━━━沙希━━━━ありがとう。そう言ってくれて、僕は、救われる━━━━━━」


━━━━ああ、そうか。また彼女に救われたのか。

あのころ、両親を失った僕を励ましてくれた沙希。

こうして、死して尚僕を救ってくれるなんて。

僕はなんて果報者なんだ━━━━。

人を護るなんて、まだまだおこがましかった。

僕は、こんなにもたくさんの人に見守ってもらっていたのか。

まだまだ、護ってもらってばかりだったんだな。

僕はまだ、半人前だったか。


けれど、今はそれでもいい。

いつか、胸を張って人を護れるようになる。

ただのエゴではなく、自分の信念のために人を護る。━━━━そうなれる気がする。


「━━深い傷━━━━━━こんなに傷ついて……。葉真夜君が受けてきた傷、私が癒してあげる。━━━━だから、もう絶対自分を責めたりしないでね。━━━━━━ほら、ちゃんと消毒しないと、ばい菌が入っちゃうよ」


沙希はあの時と同じ口調でハンカチを胸の傷に押し当てた。


━━━━もう、僕の傷は塞がっている。

先ほどまでの言葉で、とっくに僕の傷なんて無くなっていた。

僕はもう━━━━免罪されたのだから━━━━━━





沙希の手が僕の体に触れた瞬間、彼女の姿が光り輝き、僕の体に力が蘇ってくる━━━━━━。


それに続いて、父さんも母さんも、蓮見も、空矢も諸刃も僕の体に触れる。


━━力が━━━━あふれ出す━━━━━━。


魂さえ失われ、消滅を待つばかりだった僕の体に新たな命が吹きこまれたかのようだ。


ああ、━━━━これなら、もう、負けない━━━━。


これが、

これが、葉真夜の真の力だ━━━━━━!




「━━━━ばかな━━━━!? なにが起こっているんだ!? あの小僧はいったい誰と話している? それにどういうことだ、さっきから私の体が動かん━━━━こ、これは!?」


海斗の父の狼狽する声が聞こえた。

僕の体は完全に治癒していた。

左手の腱はつながり、折れた右手首も元通りだ。


胸の傷は、沙希が癒してくれた。

心も━━━━体も━━━━━━!


僕はゆるゆると立ち上がり、声の方へと見やる。

彼の足は震えていた。

彼の体は僕の力を正確に把握した。

そして勝てないことを悟ったのだ。

━━━━━━だから、彼の体は動かない。


「あなたには彼らが視えないでしょうね。己の歪んだ野望の為だけに力を振るうあなたには━━。たとえあなたがいくら力を得たとしても、今の僕には及ばない。あなたはあまりに非道なことをやり過ぎた。僕はあなたに対し、いっさいの同情をしない。あなたに奪われた命のためにも━━。海斗、すまないがこの男は僕が倒す。━━任せてくれるか?」


僕は一度振り返って海斗に問う。


「━━━━愚問だな、夕綺! やっちまえ!」


海斗が即答する。


「わかった。奴は、僕の裁量でやらせてもらう」


僕は冷静に海斗に告げた。

そして、海斗の父への宣告でもある。


「くっ━━、葉真夜君。君が私を殺せばそれは犯罪だ。殺人だ。君にそんなことができるか!? 敵討ちなど法では認められてはいない。君にそんなことができるはずが無い!」


彼は喚きたてる。

見苦しい。

己の身が危うくなればこんなものか。


「━━僕はあなたを殺さない━━━━。なぜなら、あなたは生きながら罪を償うべきだから━━」


僕は静かにそう告げた。

彼はその言葉にどこか安堵の表情を見せた。


「そ、そうか。わかった! すぐに警察に出頭しよう。そして罪を償う。だから、命は助けてくれ!」


彼はそう懇願した。

いいだろう。命は奪わない。ここに誓おう。


「あなたの罪は、人の一生涯をかけても償いきれないだろう。だから、━━僕が裁く。人が人を裁くなど傲慢かもしれない。けれど、僕はあなたを許すわけにはいかない。━━━━覚悟してもらおう」


僕は大げさに両の鉄扇を振り上げた。

━━━━断罪の刃を思わせるように。


「な━━━━よせ、━━やめろ! 何をする気だ!? くそっ、やはり私を殺す気か━━━━━━━━そうはいくか!」


海斗の父が気勢をあげ僕に反撃を試みる。

さすがにおとなしくやられてはくれまいか。


━━━━だが、同じこと。


今の僕には、そんなもの何の障害にもなりはしない。


「おおおおおぉぉぉぉぉ」


海斗の父が両の腕の刃を振るった。

人ならば、絶対に捉える事のできぬ不可視の刃。

彼の渾身の斬撃は音速を超えただろう。

それは人にはとうに及ばない。


けれども、僕には視える。

彼の刃、そして音速を超える衝撃波さえも━━━━


「これで終わりだ━━! 罪を償え!」


衝撃音と閃光がはしる━━━━。


僕の右の鉄扇は彼の刃を防ぎ、左の鉄扇で巻き起こした風は衝撃波を相殺した。




そうして、最後の一撃を繰り出すべく僕はもう一度両腕を高々と上げた。

彼はもう動けない。



「━━ばかな、動けん!? さっきとはまったく違う! 本当に体が動かん、これは━━」


「よく、最後の反撃ができましたね。それだけでもたいしたものです。けれど、それもここまでです。あなたはもう動けません。僕の力の前に、あなたは完全に屈した。僕の体からあふれ出る膨大な力の前にね」


皆が僕に力を貸してくれている。そして葉真夜の真の力の前には何者も無力に等しい。

荒れ狂う台風の前に人が無力なように。

全てを吹き飛ばす竜巻を前にした建物のように。


「く、そ━━━━━━」


「さあ、これで終わりだ。今まで奪った命に詫びろ。そして後悔するんだ━━━━! 永遠に!」




━━━━鉄扇を振り下ろす。


多くの魂の力を借りた僕の鉄扇は薄く翠に輝いていた。そしてその残像は翠色の軌跡と化した。

;エフェクト 軌跡一発

その軌跡は縦横無尽に走りまわり、眼前の物体を包み込む。

;エフェクト 軌跡ラッシュ


━━━━僕の鉄扇は彼を両断した。


━━人外と成り果てた彼の体を━━━━━━。





━━━━彼の体は分割された━━━━━━


その数は把握できない。

細切れになった肉片の数などわかるものか。


そして、その肉片の中にひとつ脈動し蠢くモノが在る。

それは、彼の心臓━━━━━━。


心臓だけは無傷になるように残しておいた。

これが、半端な人外と成り果てたモノの最後の拠り所。

存在するための(核/コア)だ。


彼らは言っていた。


“心臓さえ破壊されなければ死なない”と。


つまりは、そういうことだ。


あの屍の兵も心臓を潰されれば死んだ。

霧島も肉体ごと心臓を失い消失した。


そして、この男の心臓はあえて残した。


━━━━━━“殺さないために”


そう、これが僕が下した裁き━━罰だ。


僕はその脈動する筋肉の塊を掴み上げる。

潰してしまわないようにそうっと、やさしく━━。



「━━気分はどうですか? お望みどおり、命は助けました。あなたはこのまま心臓だけの体で罪を償い続けてください。これが僕が考えた裁きです。あなたの心臓は、どこか人目の付かないところに封印し、人除けの結界を張ります。あなたは未来永劫永遠にその姿のまま生き続ける。それは死より辛いことでしょう。あなたが人の世で罪を償うとしても、おそらく死刑━━よくて無期懲役。そんなものでは奪った命には釣り合わない。あなたは自分の自慢の研究成果を噛み締めながら生きて行くといい。━━━━━━━━━━まあ、幾星霜経て、あなたが真に罪を悔いて詫びる気持ちが芽生えたのなら、その時は神が救ってくれるかもしれませんよ。あなたはクリスチャンですか? それとも仏教徒でしたか?」


鼓動を続ける肉の塊は返事などしようも無い。

けれど言葉は伝わったのであろう。

彼の心臓は激しく脈動し、何らかの感情を表した。

果たしてそれは怒りか━━恐怖か━━憎しみか。

もはやなにも物言わぬ心の臓、その感情など知りえない。


僕はその脈打つ肉を丁重に扱い、今は仮の封を施しておく。手近な服の切れ端でそれを包み、ポケットに入れた。

これは、あとで完膚なきまで完全に封印する。

だが、今は他にするべきことがあった。


この力の満ちている間にすべきことが━━━━。


僕はまず風花に駆け寄った。


「風花、僕の手に触れてくれ━━」


風花に手を差し伸べる。


「ああ━━、夕綺……! すごいわ……、これが、これが本当の夕綺の力なのね━━━━」


風花が顔を上げ、腕をわずかに前に差し出す。

震えながら、やっとという感じで手を向ける。


僕はその手をすぐに握った。



「僕だけの力じゃない。どちらかというと、全部借り物さ━━。この力も、この鉄扇も。僕は葉真夜という名の器に過ぎない。いま、皆が僕に力を貸してくれているおかげで、その効力を発揮できただけのことさ。でも、この力が使えるのもあとわずかだ。いくら、皆が力を貸してくれていても、無尽蔵に魂を消費するこの力はそう長くは使えない。だから、手短にいくよ。風花、今のうちに僕の霊力━━エネルギーを受け取ってくれ。そうすれば、妖である風花の力はすぐに回復できるはずだ━━━━」


言いながら風花の顔を見る。

どこか申し訳なさそうな、それでいて照れたような表情。


「━━ありがとう、夕綺。まさか夕綺に助けてもらう時がくるなんて━━━━。やっぱり、男の子の成長は早いわね、なんだか追い抜かれていくみたいで、少しだけ寂しいわ。でも、それも悪くないかもね━━。それじゃあ、夕綺の力、少しだけ分けてもらうわ━━━━━━」


風花は僕の手から霊力を吸っていく━━━━。

本来なら、生身の人間が直接、妖に力を吸われれば生命に関わるところだが、今の僕にとっては些かの問題も無い。本来の僕のエネルギー備蓄量が浴槽程度だとすると、今は競泳のプールほどはあるだろう。まあ、それでもその半分はすでに消費してしまったが。それでも、風花に霊力を分け与えても、十二分におつりがくる。



「大丈夫━━少しといわず、いけるところまで取り込んでくれていい。まだ、それくらいの余力はある」


そう言うと、風花はうつむいて少しだけ照れ笑いをした。


━━━━風花の小さな体に、僕の持つ通常エネルギー量以上の霊力が流れていく━━━━。


今の僕にとっては、柄杓で一杯すくった程度にしか感じないが、これだけでも相当なエネルギー量だ。

改めて妖である風花の力を知る。


「もう、十分よ━━ありがとう夕綺。そして、あなたの後ろにいる人たちにもお礼を言うわ━━。今なら、私にも視える……。夕綺を救ってくれて人たちが━━━━━━。ありがとう、夕綺と深い縁を持つ人たち。そして、兄さん、姉さん━━━━」


風花は名残惜しむようにゆっくりと僕の手を離し、僕の背後に視線を向ける。


そこには、僕に魂を共有させてくれた人たちが立っている。


「━━ふ━━━━、奴を倒せたんならとりあえずは満足だ。ま、俺は空矢と一緒に気楽に過ごすさ━━。お前は、しばらくはこっちに来るなよ━━じゃあな━━━━━━」


諸刃が最後に風花に言葉を発し、この場から去っていく。


━━━━一つ気配が消えていく。


「あたしは納得してはいないけどね。やっぱり人間はどうしようもない存在さ━━。まあでも、今となってはそれもどうでもいいことね。風花━━あんたは好きに生きな━━━━。人間の中にも、少しは骨のある奴もいるみたいだしね━━━━━━━━」


空矢が最後の言葉を告げる。


━━━━また一つ、気配が消えていく。



「━━葉真夜━━━━。残念だが、俺がここにいられるのもこれまでだ。最後に葉真夜と話せてよかったぜ━━、おかげで、行き先に迷うことはなさそうだ━━━━ありがとう━━━━━━」


蓮見の魂が去っていく━━━━。



「夕綺━━━━、もう私にできることは何も無い。あとは、力の使い方を間違えるなよ━━。それじゃあ、如月さんによろしくな━━━━」


「夕綺━━体を大事にね━━━━」


父さんの魂が僕の元から立ち去っていく━━━━。

母さんも、寄り添うようにそれについていった。





残るは、沙希━━━━━━。


「━━葉真夜君、私もそろそろいくわ━━。これからは、もっと自分を大切にしてね。決して思い詰めないで。そして自分を責めないで。あなたは一人じゃない━━、それを忘れないで━━━━」


沙希の気配が消えていく━━━━━━。


皆の気配が全て消えた。


これで、僕は元通り。ただの葉真夜夕綺に戻ったということだ。

先ほどまでの溢れるような霊力は無い。

ただ、普通の人間よりは少々性能の良い程度の、

ちょっとばかり普通の人間には視えないモノが視えてしまうだけの人間だ。


鉄扇に目をやる━━━━。


扇の要には、蒼く輝く宝玉が何事も無かったかのように鎮座していた。


さすがに、この力はそう何度も使いたいものではないと強く思った。

だが、今はそんなことはどうでもいい。

それよりも━━━━、


「風花━━━━━━!」


僕は振り返り、風花を呼ぶ。


「━━━━━━遅いわよ、夕綺。あんまり話が長いから、二人ともとっくに治してあげたわ。まったく━━」



嘆息し、そういいながらも風花はどこか誇らしげな笑みを浮かべていた。

風花のそばには、海斗と新城さんが立っている。


海斗の腕は綺麗に繋がっていた。


新城さんの背中の傷も完全に治り、痕さえもなくなっている。


二人は驚きの表情で僕の方を見ている。


「夕綺━━━━、これはお前がやったのか!?」


海斗は右手を握ったり開いたりしながら目を丸くしている。


「すごい……、いったいどうなってるの?!」


新城さんは驚きと感激と疑問で表情が定まってない。


二人には風花の姿が視えないのだ。

さて、どう説明したらよいものやら。

本当は、風花に実体化してもらって姿を見えるようにしてもらうのが手っ取り早いが、あれはそれなりに妖力を消費してしまう。さすがに今の風花にさせるわけにはいかない。


まあしかし、ここまで来たら腹を割って今度ゆっくり話すことにしよう。


「━━話すと長くなる。今度ちゃんと説明するから今は納得してくれ」


淡々と僕は切り返す。

そうは言っても簡単には納得はできないだろうが、それでも納得してくれる二人には感謝だ。


「しょうがねえな━━、必ずだぞ。今までの話、全部聞かせろよ━━」


「うん、葉真夜くんがそう言うのならそれでいいよ。助けてもらって、文句なんて何も無いもの。ありがとう、葉真夜くん━━」


僕は二人の言葉に頷いて答える。

こちらこそ、巻き込んでしまって申し訳ないくらいなのだ。


あれほどの傷や怪我、痛みを負わせてしまって━━。

━━二人の言葉に救われる。



「それにしても風花、まさかここまで綺麗に治癒できるなんて━━━━」


僕は小さく風花に話しかける。


「私を誰だと思ってるの、夕綺。私は鎌鼬なのよ。鎌の裂傷が治せなかったら話にならないわ」


風花が自信に満ちた顔で言う。

その目はどこか誇らしげに見える。


「ありがとう、風花。本当に助かったよ」


心から礼を言う。


「でも私としては、夕綺の治療もしてあげたかったところなのに、夕綺の傷は勝手に治っちゃってるんだもん。少し残念ね」


風花がむくれる。


「いいじゃないか、治るにこしたことないだろ。まあ、今度大きな怪我をした時にはたのむよ」


「━━駄目よ、そんな怪我しないように気をつけなさい」


まったく、どうしろと。

やれやれと身をすくめる。


そんな様子を、二人はやはり不思議そうに見ていた。

このままでは、さすがにおかしい奴と思われかねない。落ち着いたら、早めに二人には説明しておくべきだろう。


「よし、もうここに用はない。速やかにここを出よう」


僕は海斗と新城さんに促す。


「そうだな、こんないけすかねえ所、とっととおさらばしてえぜ」


「うん、そうね。私も、早く帰りたいわ。もうこりごりだもん」


二人とも僕の言葉に同意する。


「わかった、じゃあ行こうか━━━━」


僕がそう言いかけたとき、突然轟音が響き渡った。

;SEの後画面揺れ

頭上の階のどこかからの爆発音らしき重たい音が、最下層であるここまで伝わってきた。

━━━━遅れて、振動が巻き起こる。

照明が明滅する━━━━━━。



「なんだ!? ━━━━これはいったい?」


僕は思わず天を仰ぎ見る。

音が響いたのはここより遥か頭上、そうしたところでなにが見えるでもない。

見えたのはパラパラと剥がれ落ちる天井の欠片だけだ。


「━━ちぃ━━━━! まさか、奴ら、俺たちもろとも施設を破壊して口封じする気か!? くそ!」



海斗が忌々しげに言い舌打ちする。



「そんな━━! どうしよう、葉真夜くん、倉形くん!?」


新城さんが不安に表情をゆがませる。


なんてことだ━━。

ここまできて全部なかったことにされるなんてまっぴらだ。

こんなことで全てを無に帰すなんて認められない。


「く━━━━、何が何でも脱出するぞ! みんな、僕について来てくれ━━!」


僕は瞬時に決断した。

来た道は覚えてはいるが、それが安全だとは限らない。それでも、今は一刻も速い判断と行動が大事だと結論付け、全員に声を飛ばす。


「わかった、夕綺。なら急ごう」


「わかったわ! 葉真夜くん」



そうして僕らはこの地下20階の大広間を後にした。


;扉開けるSE


廊下を駆ける━━━━。


駆け出した僕の後ろに二人がついてくる。

距離が離れないように気をつけながら僕は先頭を進む。


━━━━無機質なコンクリートの廊下をひた走る。


廊下中に三人分の靴音を響かせながら僕たちは疾駆した。

青白い光を放っていた照明は、轟音が響くたびに明滅した。天井からコンクリートの破片が降ってくる。


くそ、間に合うのか━━━━!?


爆発音の合間の短い静寂が、より恐怖を際立たせる。━━━━焦る。



一度振り返り、様子を確認。

僕の隣には風花。しんがりは海斗。

海斗は新城さんを気遣いながら走っている。

今のところは僕のペースについて来ているが、女の子の新城さんにはこのハイペースの走りは辛いものかもしれない。けれど、命がけの状況である以上、ギリギリまでがんばってもらうしかない。

その時は僕もなんとかフォローしよう。


再び前を向き先を急ぐ。そして走りながら考える。


この先にはエレベーターホールがある。

しかし、この非常時にエレベーターが動くとは思えない━━━━判断。

ならば、来た時のとおり階段で行くしかない。

ここは地下20階━━、厳しい耐久レースになりそうだ。


「━━海斗、新城さん。おそらくエレベーターは使えないだろう。僕らは階段で地上まで行くしかない。すまないが頑張ってくれ!」



僕は振り返りながらそう二人に告げた。


「まあ、しかたないわな。いくらなんでもこの状況でエレベーターは無理だ。やるしかねえな!」


「わかったわ。がんばる! これでも長距離走は自信があるんだから!」



新城さんは、そう言って笑みを作って見せた。

彼女が運動が得意とは聞いたことは無い。けれど今はその気持ちを受け取っておこう。


「よし、僕たちは絶対に生きて帰る。何があっても気持ちを切らさないようにするんだ。今だけは、無理を押してくれ━━━━!」


僕は二人に檄を飛ばし、さらに先を行く。


程なくして僕は階段の扉の前に着いた。


「これか━━━━、来る時はロックを解除してあったが━━━━」


ドアノブを乱暴に捻る━━びくともしない。

僕は無駄と思いつつ一度カードキーをリーダーに通してみた。

━━━━結果はエラー。

思ったとおりか。


「くそ、やっぱりセキュリティーをロックにしてある。僕のカードキーでは開けられない」


「━━一応、俺のも試してみよう」


海斗が自分のカードキーを通した。

僕と新城さんが緊張の面持ちで表示パネルに目をやる。

一瞬の沈黙の後、ビープ音のような無情な電子音が鳴る。

表示はエラー。カードは認識されない。


「━━やはりか。俺たちをここで葬るつもりなら当然だろうな。━━なら、この扉を蹴破るまでだ! だめなら何か道具を探してこじ開ける!」


海斗が息巻いて扉に向かっていく。

確かに海斗は空手の有段者だ。常人より遥かに筋力は優れているだろう。しかし、相手は金属の扉だ。

いかな海斗でも、相手が悪い。


「まて、海斗! ここは下がっていてくれ」


僕は海斗の肩を掴んで止めた。


なぜなら、

━━すでに風花が鎌を振りかぶっていたからだ。


風花は僕らの間をすり抜け、扉に相対する。


「はあぁ!」


風花の鎌が疾しる━━━━、一瞬の煌き。


瞬きほどの間に、眼前の鉄扉は分断された。

後に残るは、歪な台形となった鉄の板が二枚。


「行こう、みんな」


僕は先を促し、階段へと足を掛ける。

海斗と新城さんは、真っ二つに分かれた鉄扉の成れの果てを見下ろし、目を見開き唖然としている。


「━━まったく、さっきから何がどうなってるんだか……! ま、いまさら驚いてもしょうがねえのか。今は先を急ぐのが先決だ。あとで説明してもらうからな━━!」


そう言いながら海斗は階段に向かう。


「━━そうね、今話をしてる暇は無いものね。葉真夜くんが何かしてくれたのなら、それでいいわ!」


新城さんも海斗に続いていく。


「まったく、━━世話が焼けるわね。やっぱり夕綺には私がいないと駄目ね」


僕の傷を治し損ねたのが不満だったのか、風花は勝ち誇ったようにいう。


「━━そうだな……、助かったよ風花。ありがとう」


僕がそう言うと、風花は満足げにうなずいた。





━━━━そうして四人で階段を駆け上がる。

;SE足音 走る 響く奴で

━━B19

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━━━━━━━━━━B15

━━━━━━━━━━━━B14

━━━━━━━━━━━━━━B13

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息を切らしながら必死で階段を上る。


さすがに階段をこれだけ走ってくれば息もあがる。

見れば海斗も顎が上がってきていた。

僕と海斗でこれなのだ。

新城さんに至ってはさらに疲労した様子を見せている。肩で大きく息をし、顔も真っ赤だ。


ここでやっと地下10階。半分まで到達したところだ。


本当なら、ここで少しだけ休憩をさせたいところだが、今尚続く爆発音と振動がそれを許さない。

新城さんには酷だが、死にたくなければ無理をしてもらうしかない。

それに、いざとなれば僕が背負ってでも走ろう。


「新城さん、まだ走れるか?」


階段の踊り場で一度だけ足を止め新城さんに問う。


「━━はあ……、はぁ、だ、大丈夫よ。まだ、走れるわ━━━━」


気丈にも新城さんは強い目をしてそう答えた。

息は上がり辛そうな表情なのに、その目はとても力強かった。


「わかった。辛くなったら言ってくれ。その時は僕が抱えてでも連れて行く」


「へ、その時は俺も手伝うぜ。心配すんな夕綺」


海斗も同調する。

その言葉に安心感を覚える。

新城さんのことは、海斗に任せたほうがいいのかもしれないな。

こんな時ではあるが、なかなか良い組み合わせかもしれない、そんなことを思った。


「━━良し、じゃあ先を急ごう」


僕たちは再び足を蹴りだす。

一段一段、気の遠くなるような段数を自らの足で駆け上がっていく。


地下の階段は窓も無いため、まったく同じ景色が延々と続く。

それがまた人の心を折りにかかる。

本当に先に進んでいるのかさえ疑わしくなるような無機質な光景。

まるで、騙し絵の階段をずっと上り続けているのではないかという錯覚がよぎる。


各階の表示だけが、僕たちに希望を与えてくれる。

踊り場を折り返し、階数が上がるたび脱出への未来を想像する。


━━━━B9

━━━━━━B8

━━━━━━━━B7


ただひたすらに走る━━━━。

もう、誰も声を発しない。そんな余裕はどこにも無い。

だが、こうしている間も爆発音と振動は一向に収まらない。むしろ、その間隔が早くなってさえいるようだった。

そして、なによりも、階下で崩れるような轟音が直接階段室に響いた時にはさらに焦りを生んだ。


━━━━くそ、いけるか━━!?


僕らはゆっくりと崩れゆく階段を必死で駆け上がる。照明が明滅し、時折消える。

一瞬の暗闇が恐怖をあおる。

それでも僕らは走る━━━━!




━━━━━━━━━━B6

━━━━━━━━━━━━B5


ついに新城さんが膝をついた。

それでも彼女は震える足を両手で掴み立ち上がる。

けれど、その脚はとうに限界を超えていた。

呼吸をするのもままならないほど息は乱れ、汗が滴り落ちる。

━━これまでか。ここまでよくがんばってくれた。

後は僕たちががんばろう。


「━━夕綺、新城は俺が連れて行く。あと少しだ。任せろ!」


海斗が息を切らしながらも力強く言う。


「━━ごめん、なさい。倉形……くん……」


新城さんが申し訳なさそうに答える。


「気にするな!」


海斗はそう言い、新城さんを背に乗せた。


「すまない、海斗」


僕は海斗に感謝し、先の様子を見る。

ここまでくれば、地上はあと少しだ。

崩れるような轟音はもはやとどまる事が無いが、それでも幾ばくかの安心感も垣間見えてきた。


新城さんを背負った海斗にあわせてペースを落とし、階段を上っていく。


━━━━━━━━━━━━━━B4

━━━━━━━━━━━━━━━━B3


あと少し。

ここまでくればカウントダウン。

━━━━そう思った時だった。



突然階下から、物理的な音とはまったく違う、怨嗟の声が聞こえてきた。

;SE 声

その声は地の底から響くようであり、間違いなく生きた人間のものではなかった。


僕の耳には、それがはっきりと伝わってきた。


これは、この施設で非業の死を遂げた者たちの魂の声だ。

彼らは叫んでいた。

━━己の不幸を!

━━━━悲しみを! 

━━━━━━憎しみを!


あらゆる負の感情を撒き散らし、生きた人間に襲い掛かろうとしていた。


そして、その声は海斗たちの耳にも届いていた。

いや、耳というより、人間の脳に直接響いたとでも言うべきか。


「━━な、なんだ!? この気持ち悪りい声は━━━━! いや、そもそも声と呼んでいいものなのか!?」


「━━いや、な、なに。この声!」


海斗と新城さんが恐怖にかられ足を止める。


「━━━━駄目だ! 止まるな! 振り返るな!  先を急ぐんだ、ここは僕が何とかする!」


僕は声を張り上げて二人に先を行くよう強く促す。

ここは、僕の出番だ。

海斗が新城さんを背負ってくれたのなら、ここは僕が踏ん張る番なのだ。


「━━く━━━━、わかった夕綺。ここは、任せる……」


そう言って海斗は新城さんを連れて階段を進んでいく。


「葉真夜くん……、気をつけて━━」


新城さんの声もかすかに聞こえた。

二人が踊り場に達したころには、声の主は僕の眼前まで迫ってきていた。

僕と風花は、ソレの前に立ちはだかる。



そのモノたちを視ながら、あることを思い至った。


━━そうか、この施設にはかつて父さんが施した結界が随所に残っていた。

それで、この場で行われる非人道的な行為で命を奪われた人たちの霊を封じていたんだ。

そして、爆破で結界が崩れ、閉じ込められていた報われないモノたちが解き放たれたのか。


━━━━コレは、元は罪も無い人たちの成れの果て。

その様な存在を、説くのではなく、強制的に浄化するのは幾分躊躇われた。

しかし、今は一刻を争う事態だ。

多少、荒っぽいのは我慢してもらおう━━━━!


「夕綺━━大丈夫?」


「愚問だな、風花。誰に言ってるんだい? 人ならざる者の対処は、僕の仕事のようなものだ。ましてこの程度の“成り立て”、恐れるに値しない。━━行くぞ、報われないモノたちよ。今、僕の手で楽にしてやる。在るべき所へ帰れ━━!」


━━両の鉄扇を振るう。


軌跡が交差し、風が吹いたかのように怨霊が散っていく━━━━。


とりあえず、目の前のモノは何とかなった。

地の底には、まだまだ浮かばれないモノが控えているが、今は保留にするしかない。


僕は振り返り、海斗たちに追いつくべく階段を急いだ。



━━━━B2

海斗たちにはすぐに追いついた。

二人とも安堵の表情を見せる。



━━━━━━B1


階段はここで終わる。ついにここまで来た。

もう一度風花が扉を破壊し、僕たちは廊下へと飛び出す。

目の前にはリノリウムの床が続いていた。

照明は今にも消えそうな頼りない状態だ。

足元を揺るがす振動はとどまる事を知らず、どこか大地震を思わせる。

階下に響く轟音は、すでに地響きを伴う咆哮と化していた。

もう、いくらも猶予は無い。



しかし、地下一階から地上に出るにはあのエレベーターを通り、リネン庫の秘密の入り口を通るしかない。


「━━しまった━━━━。ここから上に行くには━━━━━━━━」


あのエレベーターも、セキュリティのロックも動くことは無いだろう。

なんてことだ、ここまできて手詰まりか!?


僕は思わず地下一階の廊下で前で立ち止まった。


海斗も、僕の考えを悟ったのか、僕の顔を覗き込んできた。


「━━そうか、ここから出るには、あのエレベーターと秘密の出口しかない。ここまできて、最後の難関か━━━━くそ」


僕と海斗が地団太を踏む。


その時━━、


「バカね、二人とも━━。出口が無いなら作ればいいじゃない━━━━。地上は、あとたった一枚先なんでしょう?」


風花が僕たちのやり取りを見てため息をつく。


「それなら━━━━」


そして大鎌を天井に向けて構える。


「こうすればいいでしょう━━━━!」


一瞬で天井が裁断された。

見上げれば、そこにはぽっかりと口を開けた天井があった。


「━━なるほど、さすがだな」


僕は、感嘆の声を漏らした。

しかし、そうゆっくりはしていられない。


「海斗、僕の背中に乗れ。そうすれば届くか?」


僕は腰を丸め、馬飛びのようにして自ら踏み台になる。そうして海斗を先に上らせる。

それから新城さんを引っ張りあげてもらおう。

僕はその後でいい。


「わかった、すまん。これなら、大丈夫だ!」


海斗はすばやく僕の背中に立ち、穴のふちに手を掛けた。そこから懸垂の要領で上る。


「良し、次は新城だ」


「新城さんも今の要領で上ってくれ。今度は海斗が上にいるから引っ張ってくれる。安心してくれ」


新城さんにそう声を掛け、背に上らせる。


「ごめんね、葉真夜くん。えい」


新城さんが申し訳なく背に乗る。すぐに海斗が引っ張りあげる。


良し。後は僕と風花だ。


「夕綺、お前はどうするんだ?! 俺の服をロープ代わりにして引っ張るか?」


海斗がそう提案してくれたが、それには及ばない。


「僕なら大丈夫だ。すこしそこから離れていてくれ」


僕は頭上の二人にそう声をかけ、二人が離れたのを確認してから風花の方を見た。


風花はふわりと飛び立ち、その穴の先にたどりつく。

そうして、風花は大鎌の柄を差し出した。


「ありがとう、風花」


僕は大鎌の柄に掴まり一気に上る。淵に手を掛ける。


そうしてようやく一階の廊下にたどり着いた。


「よし、すぐにここを出よう! 出口はすぐそこだ」


「おう!」

「ええ!」

「そうね」



三人が僕に答える。揺れる床をこらえながらひた走る。

出口は目の前だ。


この出口を越えれば駐車場に出る。

そうすれば、外は目前だ。


駐車場へとつながるガラス張りの扉はオートロックのため施錠されていた。


この程度、風花にやらせるまでも無い。


;SEガラス

僕は鉄扇でガラスをぶち割り、扉をこじ開けた。


来る時に見た、あの駐車場が再び眼前に現れる。


ああ、やっと戻ってきた━━━━。


しかし、パラパラと崩れ落ちる天井の欠片は僕たちをまってはくれない。

見上げれば、コンクリートの天井には大きなひびが入っていた。

そしてソレが見る見る広がっていく━━━━。


「まだだ━━! 急いで! あと少しだ! 無理してでも走るんだ!」


僕は二人を叱咤する。

二人もそれに答える。

返事もせずに外に向かって走り出す。

風花はしんがりを務め、彼らを補助できる体勢だ。

これなら━━、

これで何とか間に合うか━━━━!



後ろで天井が崩れる破壊音が轟く。

出口まであと数十メートルだ。急げ━━!


最後のスロープを上り、飛び出すように僕らは地下駐車場から外へと抜け出す。

その瞬間、ひんやりとした夜気が体に触れた。

そして、崩壊にまきこまれないようにさらに距離をとる。


振り返ると、地響きを立てながら崩れ行くエステサロン『KRA』のビルが見えた。


━━沈んでゆく。


あらゆる野望を詰め込んだ夢の跡。


ここの主はもういない。


あとはただ消え去るのみ。


僕らはそのまま立ちすくんだ。

いつまでも立ち尽くした━━━━。


気づけば崩壊は終了し、そこは崩れ落ちた残骸の瓦礫の山となっていた。

ビルの最上部に備えられていた看板が、今は目線の高さとさほど変わらない位置に落ちていた。

いつもはネオンで輝いていた『KRA』の看板も、こうしてみるとまるで墓標のようだ。


「ああ、助かったのか━━━━」


やっと僕は安堵のため息をつく。


「とうぜんでしょう。私が夕綺を守るって言ったんだから」


隣から風花の声が聞こえる。風花は得意げな顔で僕を見ていた。



「━━どうやら、助かったみてえだな。長い一日だったぜ」


海斗も嘆息し、表情をゆるませる。


「良かった━━━━。本当に助かったのね━━━━━━」


新城さんは大きく深呼吸をしていた。


「━━━━そうだな……、まだやることは残っているけど、危ないことはこれで終わりだ」


僕は大きく息を吐いてそう告げた。

本当は、まだまだ面倒ごとは続く。

けれども、今だけはゆっくりと何も考えずに寝転がりたい。そう思った。


「━━かといって、いつまでもこのままこうしているわけにも行かないな。考えると気が滅入るが、この後どうするかだな」


海斗が疲れた顔でそう言った。

まったくもって同感なのだが、さすがに疲れた。


「まあ、基本的にはありのまま警察に言うしかないのかな━━、まったく……厄介だな━━」


僕はそう言いながら、もう一度深く嘆息した。

さて、僕の能力のことは隠しつつ、うまい言い訳を考えなければならないな━━やれやれだ。


そうして僕は天を仰いだ━━━━星が綺麗だった。

満天の星空に浮かぶ、糸のように細い月が妙に印象的だった。




続きます。

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