8章から
続きです。
;第8章
地上に出た僕たちを待っていたのは朱い夕暮れ。
傾いた薄暗い陽光でも、瞳を強烈に刺激する。
あまりの眩しさにうめき声をあげそうになる。
同時に、人の世界に戻ってこれたことへの安堵も募る。
といっても、まだ気を抜いていいわけではない。
懸案はまだ残っている。
「さあ、帰りましょうか。二人とも、乗りなさい」
霧島先生に促され、車の後部座席に腰掛ける。
なんだか、やっと人心地がついたような気がする。
慌しく流れた時間も、今はようやく通常の早さに戻ったような感覚だ。
霧島先生も運転席に乗り込み、キーを回す。
「そういえば、先生が倒した鎌鼬はどうしたんですか? 捕縛したと言っていましたが、連れてきてはいないんですか?」
僕は眼帯を装着しながら霧島先生に声をかける。
「ああ、それは部下に任せてあるわ。今は私の屍兵に身柄を拘束させてあるから、あとは運ぶだけよ。運搬を行うべく人員も手配してある。もうすぐ、運搬用の特別車両と共に到着するんじゃないかしら。化け物は普通の車じゃとても運べないから、専用の車両を作ったのよ。機会があれば中を見せてあげるわ」
霧島先生はそう言いながらハンドルを握り、車はゆっくりと発進して行く。
往路とは違い、今度は安全運転のようだ━━━━━━━━━━と思ったのが間違いだった。
裕羽鉱山の敷地を出て、舗装路に入ったとたん車は急加速をした。
疲労した体にこのGは堪える。
「いってるそばから、見えたわ。あれがその車両よ」
霧島先生が対向車線を指差す。
視界の先から猛スピードで一台のトラックが接近するのが確認できた。
ちなみに猛スピードで迫っているのはこちらの車で対向車のトラックではない。相対速度の問題だ。
車は一瞬ですれ違う。
すれ違い間際、霧島先生は小さく手を上げた。
相手のドライバーも律儀に敬礼していた。
通り過ぎる際に、車両の全貌を視界に収めたが、見た目にはただの箱車のトラックにしか見えなかった。
「あれが、その特別車両なんですか?」
「ええ、なんでもない車を装って、なかなかの代物よ。あの車だけで軽く一億はかかっているわ」
おもわず閉口する。
まったく、とんでもない。
組織というのは伊達じゃない。しみじみ実感する。
そうして霧島先生の運転する車は、市街地に着くまで爆走を続けたのだった。
;場面転換
「さてと、それじゃあこれからのことを考えましょうか」
荒い運転に振り回された僕たちに、霧島先生は唐突に話しかけた。
気を取り直して、僕は姿勢を正す。
そうだ、懸案事項はまだ残っている。
これからどうするか方向性をはっきりさせておく必要はある。
「そうですねあの、諸刃という鎌鼬が健在である以上、まだ警戒は解けません」
「兄さんはきっと私たちを追い続けるわ。それは間違いないでしょうね。兄さんは一度狙いを定めたら、決してそれを逃さない。必ずね」
僕と風花は問題を提起する。
「そうね。あの鎌鼬はきっと我々のところにやってくるわ。でもそれこそねらい目。こちらから攻めるよりも、かえって好都合。今度はこちらが万全の体制を敷いて迎え撃てるわ」
霧島先生の発言にうなずく。
それは理にかなった考えだからだ。
敵に有利な場所で戦いを強いられるより、よほど効率的だ。
だが━━━━━━
「それで、━━僕の処遇はどうなりますか」
問う。ただ、淡々と。
「葉真夜クンには、この件が片付くまでの間、我々の元で生活を共にしてもらいたいわね。食事や寝床、部屋の設備なども最高の環境を約束するわ。もちろん、お嬢さんもね」
「それは、軟禁ということですか」
「あら、葉真夜クンったら人聞きの悪い。私はただ、最高の環境で過ごしてもらえるように気を配っているだけよ。それに、その方が新城さんともそばに居られるわよ。その方が安心じゃないかしら?」
霧島先生は抑揚の無い声で告げる。
無表情と無感情が逆に腹立たしい。
「未成年を外泊させるのは問題があるのでは? 保護者が心配するかもしれません」
無駄だと知りつつ、一応言っておく。
「教師である私が責任もって葉真夜クンの身を預かるわ。それでも問題があるようなら、あなたの保護者に私から連絡してあげてもいいのよ」
含みのある言い方だった。
間違っても、この人をかすみねえに関わらせたくは無い。
「……わかりました。鎌鼬の件が解決するまでの間はお世話になることにします。それで、着替えなどはどうすれば?」
つとめて淡々と答えるようにした。
わかっていたこととはいえ、完全に納得できるものでもない。
だが、新城さんのことがある。迂闊な態度も取れない。
しかし、悪いことばかりでもない。
この霧島先生と共に居るということは、僕の命の危険も減るだろう。
新城さんの様子も探りを入れられるだろうし、場合によってはなにか打開策を見つけられるかもしれない。
そんな打算的な考えもこめて僕は受け入れることにした。
「これから、葉真夜クンの家に寄るわ。必要なものは一通り持参するようにしてちょうだい。決着は数日のうちにつくわ。着替えは二~三日分もあればいいんじゃないかしら。あと、学校は休んでもらいたいから、勉強道具は持たなくてもいいわよ。ちゃんと、欠席扱いにならないように便宜を図っておくから、その点は安心してくれて良いわ」
霧島先生は変わらず高慢な態度だ。
だが、現状では不本意でもそれを受け入れるより他は無い。
風花も霧島先生を睨み付けていたが、僕は風花の手を握ってそれを制する。
風花は不満顔だったが、不承不承従った。
視線をそらし、憮然と車外を見つめる。
「わかりました。“この件が片付くまでは”共にありましょう」
僕はもう一度、強調してそう告げた。
約束が守られるかは未知数なのだが、それでも言わずにはいれない。
「ええ、約束は守るわ。もうしばらくはよろしくね。葉真夜クン」
なんとも白々しい口調だったが、いまは捨て置く。
この場では、どうしようもないからだ。
;場面転換
━━━━数十分後、車は僕の家に到着した。
日は既に暮れていた。
薄暮の薄闇の中、しばらくぶりの地面に降り立つ。
今朝方ぶりの我が家が、なぜだかひどく懐かしく感じる。
「少し待っていてください」
事務的にそう告げて、僕は必要なものを取りにいくため、家の中に入る。風花もそれに続く。
玄関をくぐり、戸を閉めたところでやっと大きく息をついた。
「さて、まいったな。これからどうしたものか」
「愚痴を言ってもしかたないわね。こうなったら前に進むだけ。兄さんを倒して、その後はあの女をどうにかするしかないでしょう?」
まったくそのとおりだと、僕は頷く。
「さて、あんまり待たせると霧島先生に怒られそうだ。手早く済ませるとするか」
自嘲気味にそう言い、僕は着替えと、教科書一式を大きめのバッグに詰め込んだ。
あとは武器の類だが、先の戦いであらかた使い切ってしまっている。
残っているのはこの鉄扇だけだ。
だが、かまわない。そうでなければとっくに死んでいた。だからこれでよかったのだ。
次の戦闘は、葉真夜の力を出し切って戦うまでだ。
心配にはあたらない。
人の世でならば、不利を抱えるのは妖だ。
相対的には、こちらの戦力が低下したとは思わない。
思わない━━━━ようにする。
「戻りました」
僕は車に戻り、短く告げる。
風花も乗り込む。
霧島先生は返事も無く車を発進させた。
おそらく、組織の施設にでも向かうのだろう。
薄暗闇を霧島先生の運転する車がひた走ってゆく。
帰宅を急ぐ人々であふれかえる雑多な街路を、縫うようにして進んでいく。
メインストリートを越え、市街の中心部といってもいいような場所で霧島先生はピタリと車を停めた。
ウインドウから外を見上げる。
そこには、一つの大きなビル。
エステサロン『KRA』と眩い看板の掲げられた、巨大な社屋がそこにはあった。
「ここが我々の本部よ。じゃあ、駐車場の方にいくわ」
そういってから、霧島先生は車を地下駐車場へと回した。ゆっくりとスロープを下る。
停める場所が決まっているのか、霧島先生は一番角の駐車スペースに車を置いた。
「それじゃあ、案内するわ」
車から降りた僕たちを連れて、霧島先生とビル内を進む。
霧島先生が関係者以外立ち入り禁止の鉄扉を開く。
それに続いて僕たちも扉をくぐる。
そこは一見するとただのリネン庫にしか見えなかった。両脇の棚には、綺麗に洗濯され清潔な匂いのするシーツと枕カバーが並んでいた。
霧島先生はさらに歩みを進めていく。
そうして、入り口からは死角になる一番奥の棚に手を掛けた。そこにはシーツの乗っていない段があり、霧島先生はその背板に触れた。
ゆっくりと手を右にずらす。背板は音も無くスライドした。
そこには小さなスイッチがあり、霧島先生は自然な動作でそのスイッチを入れる。
静かな駆動音と共に棚が丸ごと上方に持ち上がり、奥へと続く新たな廊下が眼前に現れた。
驚きで嘆息する。
隣の風花も、ほう、と感心したような目だ。
「あなたたち。ぼうっとしてないで早くいくわよ。この扉が開いている間はリネン庫の入り口もロックされるとはいえ、あまり時間を掛けるのは望ましくないわ」
霧島先生に促され、すばやく後に続く。
さらに廊下は続いていた。
長いリノリウムの廊下の先に、一つのエレベーターがあった。
だが、その形はどこかものものしい。
やけに頑丈そうに作られた円筒状の入り口。
普通なら上下を示す押しボタンのあるところに、カードリーダーのような物が添えつけられている。
カードリーダーと違うのは、その横にタッチパネルらしき物が付いていることだ。
「セキュリティか。さすがによくできている」
「まったくね。用心深いこと」
僕と風花、二人して厭きれつつ感心する。
霧島先生はポケットからカードを取り出し、カードリーダーに通す。その後タッチパネルに人差し指を触れさせた。真っ赤なマニキュアが妙に目立つ。
短い電子音が鳴り、認証される。
駆動音と共にエレベーターのドアが開いた。
「早く乗りなさい。閉まると、また認証しないといけなくなるから面倒なの」
促され、僕らは霧島先生に続いてエレベーターに乗り込んだ。なんだかさっきから急かされてばかりのような気もする。
ドアが閉まる。
中に入った僕は、日本人らしい習性から、階数表示のパネルを見上げてしまう。
そこで一瞬の違和感。
並んだ数字に、引っかかるものがある。
1~20
おかしい。確かにこの建物は大きいが、地上20階もあるようには見えない。せいぜい10階程度だろう。
いや、そもそもここは地下だ。
少なくともB1から表示が無ければ不自然だ。
そんな僕の考えをよそに、霧島先生が5のボタンを押した。
エレベーターが動き出す。
フリーフォールに似た、落下する感覚。
もちろん、速度は比ではないほど緩やかだ。
すぐに理解した。
これは、全て地下の表示なのだ。
地下1階から、地下20階まで存在するということだ。地上階とはつながらない、まったく別系統のエレベーター。
「凝ったつくりですね」
「あら、そう? これでもまだ単純な方よ。本当はもっと厳重なセキュリティを用意したいんだけどね。今度改築する時には、もっと改良したいわ」
エレベーターが停止し、ドアが開く。
何も言わず、霧島先生は外に出た。
僕らもそれに続く。
視界に広がるは、ホテルのように豪華で綺麗な廊下。
床には真紅の絨毯が敷かれ、壁に掛けられた絵画が高級感を醸しだしている。
もちろん、埃一つ染み一つ無い。
僕と風花は、知らず、感嘆のため息が漏れた。
「ここは……?」
なんとなしに訊いてみる。
「このフロアは、お客様用の宿泊施設。もちろん、公にならない方の、ね。まあ、そんなに使う機会はないのだけれど、キチンと手入れは行き届いているから、快適な生活は約束できるわ」
「ちなみに、どんな人がここを利用するんですか?」
「そうね、一番多いのは、我々の裏の家業に依頼をするお客様、かしら。遠路はるばるお越しくださる方もいるから。あと、裏社会の人間が来ることも多いから、こういった人はこちらで接待したりもするわ。ここでなら、どんな秘密の会話も外に漏れることもないし、外敵にさらされることもないしね」
霧島先生は淡々とそう答えた。
「裏社会……? 人外を狩る仕事に、闇の人間が関わっているんですか?」
思わず、訝るように尋ねる。
「……少し話しすぎたかしらね。そのあたりは葉真夜クンが知るにはまだ早いわ。まあ、利害の一致でお互い持ちつ持たれつ、といった関係、と言っておくわ。いまのところは、ね」
霧島先生の声の温度が下がる。
言外に、これ以上は訊くな、と言っている。
まあ、いい。
おおよその見当は付く。
今までの霧島先生……および組織の対応から鑑みるに、思い当たるのは一つ。
おそらく━━━━人間の死体の取引。
暴力の世界の人間が行った殺人。
その処理、後始末を請け負っている。そんなところではないだろうか。
具体的にどんな力があるのか僕にははわからないが、この組織は人間を蒸発させることが可能だ。
それに、霧島先生の操る“生きた死体”。
あれとも関係がありそうだ。
人間の死体、もしくは“死体にする人間”を受け取る。そうすることで、依頼主は自らの手を汚すこともない。
組織からすれば、行方不明の人間の体を手に入れ、金も入る。
全ては僕の憶測に過ぎないが、考えが過ぎるとも思わない。
「そうですか。━━━━━━ところで、新城さんもこのフロアにいるんですか?」
不穏な話題を変えて、新城さんのことを聞いてみる。
「あら、そう簡単に場所を教えると? 聡明な葉真夜クンなら、それくらい理解しているんじゃないかしら?」
「それでも訊きたくなるのが人情というものでしょう? 先生」
「ふふ、まあいいわ。じゃあ一つだけ。少なくともこのフロアには居ないわ。いくらなんでも、この場で彼女に接触させるわけにはいかないわ。これ以上は秘密。それに、仮に居場所がわかったとしても、葉真夜クンには到達できないわ。あなたは人ならざる者は倒せても、鉄の壁や、電子的なセキュリティには手がでないでしょう?」
霧島先生は嘲るように答えた。
そのあとに、━━ああ、シリンダー錠は開錠できるんだったわね━━といって小さく笑っていた。
「では、新城さんの安全だけは確認させてください。これだけは譲れない……!」
僕は意思をこめた強い視線で霧島先生を射抜く。
しつこさに、霧島先生が辟易したように目を細めた。空気が緊張で張り詰める。
風花も硬い表情で成り行きを見守っている。
沈黙の時は数十秒続いた。
その後に、仕方ないといった顔で霧島先生が口を開いた。
「……いいでしょう。取引には譲歩も必要ね」
こちらからすれば当然とも言える要求を、極めて遺憾とでも言いたげな様子だ。
「会わせてもらえるんですか?」
「それはできないわ。事が済むまでは、あなたと接触させるわけにはいかない。でも安心なさい。声くらいは聞かせてあげるわ」
霧島先生は冷たい口調でそういい、携帯電話を取り出した。
「彼女の携帯は自宅に置いてこさせたわ。外部と連絡を取らせないためにね。まあ、今後も、このことを口に出せるとは思わないけど」
「まさか、脅しをかけたんですか……!」
「そんな無粋なまねはしないわ。そうしないほうが有益であることを説いたまでよ。彼女は納得してくれたわ」
ものはいいようだな。くそったれ。
「なので、今は受信専用の電話を渡してあるわ。これで当面の連絡には不自由しない。今からその電話に掛けてあげるわ」
霧島先生は番号を入力し通話ボタンを押す。
待つこと数秒、相手が電話に出たのか、霧島先生は話し始める。
「こんばんわ、新城さん。ご機嫌いかがかしら━━━━?」
ふざけた挨拶だ。
「━━じゃあ、今から代わる相手に挨拶なさい。手短にね」
霧島先生はぶっきらぼうにそう言って、僕に携帯を投げてよこした。
あわててキャッチして、耳に当てる。
「……もしもし、新城さん?」
当たり障りの無いように声を掛ける。
「━━━━!?」
電話の向こうで息を呑む気配が伝わった。
「新城さん……?」
もう一度声を掛ける。
「━━え、あの、もしかして、葉真夜君なの?!」
驚いた声。まあそれも当然か。
「ああ。でも、新城さんが無事でよかった。何かされたりはしなかった?」
「私は大丈夫。でも、なんで葉真夜君が霧島先生と一緒にいるの!?」
「まあ、いろいろと事情があって━━━━」
と言いかけたところで携帯電話を奪われる。
「はい、ストップ。ここまでよ。無事が確認できたのならもういいでしょう」
霧島先生はそのまま電話を切った。
なかなかの不快感が胸中に沸き立つ。
「あら、怖い顔してどうしたの? せっかく言うことを聞いてあげたのにずいぶんね」
白々しいことを。
「━━いえ、新城さんの安否が確認できたので十分です」
目をそらし、抑揚なく答える。
余計な問答は疲れるだけだ。
とりあえずは、これでよしとするしかない。
不満は激しく残るが。
「そう。じゃあ、さっさと案内を済ませましょうか。行くわよ」
霧島先生は、僕の様子には委細かまわず歩き出す。
渋々といった風情で僕は後に続く。
廊下は思いのほか長い。
その敷地面積の広さに驚く。
中心部の一等地にこれだけの施設を造るだけの資金力には、ただ舌をまくばかりだ。
これだけでも、この組織の力が垣間見える。
廊下を突き当たり左へ、さらにその奥へと進む。
一番奥の扉で霧島先生は歩みを止めた。
「ここが葉真夜クンの部屋よ。ここにいる間、好きに使ってくれてかまわないわ」
霧島先生はそういいながらドアのカードリーダーに一枚のカードを通した。
短い電子音が鳴り、ロックの開く小気味良い音が響く。
ドアを開き、室内へ。
「はぁ……! これは、すごい、ですね……」
「たしかに、これは、見事と言うほか、無いわね……」
僕と風花は驚きと感嘆の言葉を漏らす。
その、室内のあまりの豪奢さに驚かずにはいられない。
━━━━部屋の中に部屋がある。
というか、家が丸々入ってる、といっても過言ではない。
それも、かなりの豪邸が。
室内はとてつもなく広い。天井も高く、ホテルの部屋のような圧迫感も無い。
見えるだけでも4~5部屋はありそうだ。
キッチンまでついている。それもドラマに出てきそうなカウンター付きの立派なやつだ。
室内の廊下を進む。近くにあったバスルームをのぞいてみる。
ガラス張りの眩い空間。
ジャグジー付きで、テレビもある。
横にはサウナルームもあるようだ。
はあ、とため息をつきながら廊下に戻り、リビングへ。
そこには、映画のスクリーンを思わせる大画面モニター。
その脇には大型のスピーカーが設置されている。
いや、よくみると左右後方にもある。
どうやら、ホームシアターセットのようだ。
僕はあまりくわしくないが、5.1チャンネルというやつだろうか。
周囲の家具も無駄に豪華だ。
思わず立ち尽くす。
風花も口を半開きにして目を丸くしている。
僕らは、軟禁同然にここへつれてこられたはずだが、この部屋の待遇だけならVIP扱いに相当する。
いままでの経緯での納得できない不満や怒りは消え去ることは無いが、それでもこの環境には瞠目する。
「どうやら、気に入ってもらえたようね。あと、食事はこちらから運ばせるわ。朝は七時、昼は十二時、夕食は十八時よ。今日はもう夕食の時間は過ぎてしまったけれど、いまからでも、適当になにか用意させるわ。冷蔵庫に入ってるものも自由にしてくれてかまわないわ。ああ、でも葉真夜クンは未成年だからお酒はほどほどになさい」
霧島先生は僕らの驚きをよそに、いつもと変わらぬようすで淡々と説明する。
「まったく、ずいぶんと繁盛しているんですね。客室だけでこれですか」
「これでも一番ランクの低い部屋よ。ほかの部屋だと、高校生にはちょっと刺激が強すぎる部屋もあるから。まあ、これでも生活には不自由しないでしょう? 欲しいものがあれば内線で伝えてくれれば、大体のものは用意してあげるわ。じゃあ、私はそろそろいくから」
霧島先生はそう言って、僕にさっきのカードキーを手渡す。
なんですと? これで一番低い!?
それに、高校生には刺激が強いとは何を意味する?
━━呆然とする。
「このカードキーはこの部屋の鍵だから、失くさないようにね。あと、このカードキーではエレベーターには乗れないから、無駄なことはしないほうがいいと思うわ。それさえわかってくれれば、あとは、ゆっくり過ごしてくれてかまわないから。問題の敵が攻めてきたら、内線かアナウンスですぐに連絡するわ。その時まで、体を休めておきなさい。ああ、そうそう。ちなみに、このフロアの電波中継ブースターはオフにしたから、ここでは携帯電話は使えないわ。そのあたりは了承してちょうだいね。じゃ……」
それだけ言うと、霧島先生は部屋から出て行った。
色々なことに驚きながらも、言葉につられ、自分の携帯電話を確認してみる。
みれば、電波は圏外。言われたとおり通話は不可能だ。
振ってみようが、壁に寄せてみようが変わらない。
考えてみればここは地下5階で、電波が届く方が不自然だ。むしろ、さっき霧島先生の電話が通じたことの方が驚きなのだ。この施設はどうやら、先ほど霧島先生が言ったとおり、独自で電波の中継ブースターを設置しているようだ。
まったく、これは電波法に抵触しないのだろうか?
……まあいい。
そしてそれをオフにしたのであれば僕にはもう何も手の出しようが無い。
携帯電話も、電波が無ければただの時計と変わりない。
僕はあきらめて携帯電話を折りたたんだ。
「━━━━はあ、それにしても、これはどうしたもんかな。豪華すぎて落ち着かない。つれてこられて納得できない気持ちも当然あるんだが、なんだか毒気を抜かれてしまった感じだな。やれやれ」
ため息混じりに風花にぼやく。
なんだか、さっきからため息ばかりのような気がする。いろんな意味で。
「まあ、私もほぼ同意見。とりあえず、座って落ち着きましょうか」
促され、リビングのソファーに腰掛ける。
(これがまた、ふかふかだ)
風花も横に並ぶ。
「さてと、これからどうしたものかな? 明日は学校を休まないとならないし。でも明日は土曜だし、たいした問題にはならないか。まあ、しばらくはここで待機して、ただただ待つしかないということか」
「そうね。ここまできたら、なるようになれ、ね。選択肢がないのなら、あとはできることをするだけよ。近いうちに兄さんは必ずやってくるわ。今はしっかり休みましょう」
「そうだな。今日は少し疲れたしね。今はゆっくりさせてもらうとするか」
「そうだ、夕綺。傷を見せて。まだ、完全ではないでしょう? さっきは戦闘中で治しきれなかったから……」
風花はいいながら僕の腕や裾を捲くる。
改めて見ると、まだ痛々しい生々しい傷が見えた。
血は止まっているが、どの傷もジュクジュクと生乾きの状態だ。
「まってて。今、治してあげる」
僕の腕を握った風花の手が熱を持つ。
一瞬、傷の部位に熱とかすかな痛みが走る。
その後は、ゆるやかに痛みが抜けていく安らかな感覚。
時間にして一分ほどだっただろうか。
もう、全身を苛んだ鈍痛は跡形もなく消えている。
「ありがとう、風花。もう全然平気だ」
手足を動かし、大丈夫だというゼスチャーを交えながら風花に礼を言う。
「ふふ、どういたしまして」
風花がどこかうれしそうに笑う。
それを見ると、僕もなんだか気持ちが温かくなる。
「さて、少しばかり部屋を探索させてもらうか。時間はいっぱいある」
「そうね。私もつきあうわ」
…………探索中。
……………………探索中。
………………………………探索中。
全部屋を見て回る。
部屋数5。
風呂、トイレは別。
リビングにはさっきも確認したホームシアター。
DVD、BDで各種映画が揃っている。
テレビゲームも各種ハードが取り揃え。
ソフトも棚にビッシリ並んでいる。
パソコンも一台あり、ネットもできるようだ。
寝室の様子も見てみた。
なぜかダブルベッドだ。枕元の棚には四角くて薄い物体がある。丸い輪っかが透けて見える。
これは……コン○ームか。
まあ、いろいろな場合に備えての標準装備なのだろう。深くは考えまい。しかし、風花に見られると、気恥ずかしい思いをしそうなのでこれは隠しておくことにしよう。
次だ。
キッチンには一通りの設備が揃っている。
どれも使いやすく、それでいて綺麗に保たれている。まあそもそも、そんなに使用されてはいないのかもしれないが。
それよりも冷蔵庫だ。
最初、ホテルの小さい冷蔵庫を想像したがそんなはずもなかった。
むしろ家庭用の大型冷蔵庫である。
扉を開いてみる。
ソフトドリンクから缶チューハイ、ビール(全て本物)までビッシリ入っている。ツマミも一通りあるようだ。
よく見ると棚にはウイスキーや焼酎も並んでいるようだ。日本酒もある。
それにコップやグラスも立派なものばかり。
割ったら弁償させられないだろうか、などと要らぬ心配までしてしまう。
はあ……。
やはりため息しか出ない。
そうして、部屋を探索していると、不意にインターホンが鳴った。
風花を制して僕がドアへと向かう。
「葉真夜様。お食事をお持ちいたしました」
ドアの向こうから声が聞こえた。
念のため、インターホンのカメラを確認。
ホテルマンのような硬い制服姿の女性がワゴンを横に置き、姿勢を正していた。
そうか。食事を用意してくれるといっていたな。
「どうぞ」
鍵を開け迎え入れる。
「失礼します」
食欲をそそる温かい香りとともに、制服姿の女性がワゴンを押して入ってくる。
「こちらが、今夜のお食事になります。食べ終わりましたら、そのままにしていただいてかまいません。明朝、片付けに参ります。では、なにかありましたら内線の1番でお呼びください。それでは失礼いたします」
女性は礼をして、洗練された足取りで颯爽と退室していった。
まったく、見事なものだ。
「せっかくだから、冷めないうちに食べよう、風花」
「そうね」
そうして僕は大皿のクロッシュ(ふた)を持ち上げた。━━━━驚愕、そして驚嘆。
そこからあらわれたのは高級ホテルも驚くような豪勢な料理。
ほかのクロッシュも開けてみる。
そこに並ぶは、豪華絢爛としかいいようのない、まさにディナー。
どうやら、メインは肉料理のようだが、僕にはその料理の名前もわからないような、別次元の食事だった。
なんともいえない高待遇に戸惑いながらも、命がけで戦っているなら当然だと開き直り、食事はおいしくいただくことにした。
本当においしかった。
;場面転換 アイキャッチ
「さて、食事も済んだし、どうしようか。することがないのなら早めに寝て体力を回復させたほうがいいのかな」
ソファーに座りながらなんとなしに問う。
「まあ、そうね。それが合理的な考えね」
隣に座る風花が真面目な顔で答える。
「けれど、僕は一つ提案がある。聞いてくれるか」
「え、なにかしら?」
「倫理的に問題があるかもしれないが、一つだけ許して欲しいことがある。そしてこれから行うことを風花には容認して欲しい」
僕は風花の目を見てはっきりと告げた。
「え!? う、うん。夕綺が、そういうなら━━」
風花がなぜか顔を赤らめる。
「僕はビールが飲みたい」
「━━は?」
「だから、ビールが飲みたい。せっかくだから風花と酒でも酌み交わしてみたいかな、と」
「(夕綺……、あんたって子は……)まあ、いいわ。それより夕綺、あなた、お酒飲めるの……?」
風花は目をつぶり、あきれたような口調でつぶやく。
「まあ、それなりにね。たまに一人で飲んだりするからね。かすみねえに見つからないようにいつも苦労しているんだ」
「いや、そうじゃなくて……。そもそもそれは倫理的どころか、法律的なんじゃ……。たしかこの国の決まりでは二十歳にならないとお酒は飲んじゃいけないんじゃなかったの?」
「風花はつまらないことまで良く知っているな。高校生にもなれば酒も覚えるさ。別に毎日飲むわけでもない。月に一回程度、自分へのご褒美だよ」
「まったく。優等生はどこにいったのかしら、もう」
呆れつつも、どこか楽しそうな声音で風花はこぼす。
「いいじゃないか。風花も酒は飲める?」
「ええ。何度か飲んでみたことはあるわ。酔うというのは、悪くない気分になるものね。嫌いじゃないわ」
「わかった。じゃあ、何を飲む?」
「……日本酒」
風花が小さくつぶやく。
「日本酒? なかなか渋いのを飲むんだな」
「悪かったわね。どうせ、お茶とか和菓子とか、色々渋いわよ!」
気にしていたのか。
「いや、悪いわけじゃない。むしろかっこいいよ。妖怪には日本酒が良く合う」
良くわからないフォローをしてみる。
「むうー。適当なこと言って。いいの。私はどうも和のものじゃないと体に合わないのよ」
いや、さっきおもいっきり洋食をおいしそうに食べていらしたような……。
「なにか言ったかしら!」
にらまれた。
「いや、なにも!」
即答 0.5秒。
「まあまあ、機嫌直してくれ。せっかくだから、楽しく飲もう」
「もう、しょうがないわね」
僕はキッチンに向かい、ビールと日本酒を用意した。ツマミも忘れない。
「お待たせ」
リビングに戻り、テーブルに一式並べる。
僕は風花のお猪口に酒を注ぐ。
風花がお返しに、コップにビールを注いでくれた。
ちょっと泡が多くなったが気にしない。
「乾杯しようか」
「そうね、なにに乾杯?」
「そうだな……、今日を生き残ったこと……。いや、違うな。これからに、か」
「そっか、……そうね」
「じゃあ、僕らのこれからに━━」
「「乾杯」」
杯をあわせる。
ビールを喉に流し込む。
程よく冷えた苦味が心地よい。
風花もクイとお猪口の酒を飲み干す。
なかなかの飲みっぷりだった。
地味で慎ましやかな酒宴。
二人だけの誓いの杯。
そのささやかな酒宴は、日付が変わる時刻まで続いた。
;場面転換 アイキャッチ
;Another3
━━━━時は深夜、午前二時過ぎ。
草も木も、全ての者が眠りに着くとされる時間帯。
人口200万近い大都会といえるこの街でも、不夜城たる歓楽街以外は、それは概ね変わりない。
市の中心部を外れれば、住宅街などは人気も無く、車どおりもたいしたことは無い。
時折、静寂を破る排気音が遠くの国道から微かに届く程度だ。
いかな大都市でも、影が差したような隙間がある。
人の寄り付かぬ、人の立ち入らぬ場所。
そうしたところは多分にある。
みな、意識しないだけだ。
日が差せば、日のあたらない場所もある。
そういうものだ。
そして、ここは“そういう場所”なのだ。
今夜は新月。
街灯が無ければ視界は皆無に近いであろう。
そんな中、わずかに点在する街頭の明かりを頼りに、暗い夜道を一人歩く女性の姿があった。
歳のころは二十半ばといったところか。
派手な衣服と、濃いめの化粧。
見目麗しい━━━━とまではいかないが、美人といってもいい顔立ち。
彼女は夜の女だった。
その日の仕事を終え、疲れた体を引きずり家路を急いでいた。
イライラする。早く帰って、酒でも飲んで寝むりたい。
いつも来る客━━汚いオヤジ━━に愛人にならないかとしつこく迫られた彼女は(当然断ったが)、そんなことを思いながら、無人の道路を歩む。
接客業であるゆえ避けられないストレスではあるが、彼女はそんな時は酒を飲んでウサを晴らすことにしていた。
いつもより気分を害された彼女は、ただ、早く家に帰ることを考えて、最短距離の道を選択した。
夜の世界に生きる女とはいえ、年若い女性である。
幾分肝も据わっていようが、暗い夜道は人並みに苦手だ。
普段は、遠回りでも街灯の多い国道を通るのだが、今日はそれよりも早く帰ることが優先された。
ここは人通りの無い深夜の高架下。
昼間でも、さしてその交通量は変わらないような薄暗い道なのだが、今は弱った蛍光灯があたりの闇を切り裂き、深夜の時間帯の方がかえってその存在を知らせていた。
闇の中、ぽっかりと穴が開いたように口を開いた高架下の路地に彼女は踏み込んだ。
昼間通ると薄暗く、不気味に思っていた路地も、この時間に通れば明るく、不思議と安心感さえ覚える
。
おかしなものだな、と彼女は一人苦笑する。
彼女は高架下の路地を歩く。
ちょうど、道の中間に差し掛かったころだろうか。
彼女は不意に気配を感じて振り返った。
━━━━誰もいない。
当然だ。ここまで自分の周りには人はいなかった。
誰もいるはずがないのだ。
だが、彼女は感じてしまった。
その存在を。
気のせいだと思い込み、再び歩みを開始する。
だが、再び背後からえもいわれぬ寒気のようなものを感じた。
彼女は勘の鋭い人間だった。本来なら、その繊細な感覚は賞賛すべきものだが、この時に関してはかえって不幸だったかもしれない。
気づかぬ方が、よほど幸せであっただろう。
“対処できない災厄”を寸前に知ったところで何の意味があるものか。
突然の破砕音。
音はコンクリートの壁に反射し、周囲に響き渡る。
頭上に並ぶ蛍光灯がいっせいに割れ、あたりは暗闇に包まれた。舞い落ちるガラスの欠片がシャラシャラと地面に降り注ぐ。
息を呑む。どうすれば良いのか、何が起こったのか、恐怖で判断がつかない。
彼女は恐る恐る後ろを振り返る。
もはや、その行為だけでも賛嘆に値する。
「━━━━━━━━!」
彼女は悲鳴を上げる暇も無かった。
あたりは一瞬にして血濡れの惨状と化した。
目を見開いた生首が一つ、彼女の足元に落ちた。
それは彼女自身の頭━━━━。
頭部へと送られるはずだった血液が、頚動脈から噴水のごとく迸る。それはどこか、壊れた水道管めいていた。
最後の瞬間、死の直前に彼女は、自分の体と、自分を斬り飛ばした相手を視界におさめた。
凍るような冷たさを感じさせる銀髪の人影。
顔はよく見えなかった。
ただ、全身黒ずくめの姿と、肩に担いだ大きな鎌が死神のようだな、となんとなく思った。
そこで彼女の意識は尽きた。
━━━━後はただ闇。
漆黒の闇の中、化け物の所業だけがそこには存在した。
静謐たる深夜の空間に、歪な咀嚼音が混ざる。
今夜、それを聞きとがめたものは一人いなかった。
;場面転換、アイキャッチ
;第9章
僕は夢を見ていた。
夢の中で夢だと自覚できる明晰夢だ。
だが、それは決して良い夢ではなかった。
夢の中で僕はカゼに晒されていた。
そしてカゼに混ざるどこかで嗅いだことのある臭い。それも、つい最近━━━━。
血の海の中、僕は一人吹さらしだ。
━━━━吐き気がする。
人外の殺意が起こす、人には感じないカゼ。
僕だけに感じる、僕にだけ吹き付ける不快なカゼ。
それは眠りの最中に訪れれば、こうして悪夢という形で現れる。
何度も体験していれば、いいかげん、わかってくる。夢の中にありながら、僕はひどく冷静に自分を理解してしまっている。
僕は眠っていようが、起きていようが、このカゼからは逃れられない。
感知できる範囲の出来事には、否応なしに反応させられる。
長年、この体質とともに生きてきたが、慣れることは決してない。いつもいつも、辟易する。
気持ちが悪い。全身が圧迫され、不安感がつのる。
早く目覚めたい。
この夢は嫌いだ。
夢だとわかっているのに、自分で眠りから覚醒することはできない。
いつもながら、ままならない。
━━━━そう思ったが、今回はいつもより早く夢から脱却できたようだ。
「ゆ━━き━━。夕綺━━━━!」
遠くから僕を呼ぶ声がする。
意識がゆっくりと覚醒してゆく。
まぶたを開くと、そこには心配そうな風花の顔があった。
「夕綺、大丈夫……!? すごいうなされていたから気になって……」
「━━ああ、そうか……。起こしてくれたんだね、ありがとう、風花」
深く息を吐きながら、僕はつぶやく。
「大丈夫……? 悪い夢でもみたの」
風花が僕の頭を撫でながらやさしく声を掛ける。
少々恥ずかしい気もしたが、払いのける気はしない。
「ああ、そうだ。いつもの夢さ……。いつものカゼが、吹いていた……」
風花には意味のわからないであろう事を口にする。
「カゼが、吹くんだ……。起きてても、眠っていても。人外が人を殺そうとする時、僕の周りにカゼが吹く。人外の殺意が、カゼという形で僕に吹きすさぶ。それは、僕の意思にかかわらず、押し寄せる」
「……」
風花は黙って僕の言葉を聞いている。
「多分、僕が寝ている間、この街のどこかで人外が人を殺した。それは、間違いない……」
「それは……どういうこと……?」
「強いカゼだった。あれはきっと、諸刃の気配なんだとおもう。きっと、諸刃は人を殺して、そして、喰った━━━━」
苦々しい思いを言葉にして吐き出す。
「それは……、そうだとしても夕綺のせいじゃないわ。夕綺が気に病むことじゃない」
「……、ああ。わかっている。僕はもう、何年もこのカゼを感じてきた。だから、“それは重々承知している”。けれど、人の心はなかなか割り切れるものじゃない。やはり、後味は悪い。だから、僕は、せめて自分の身近な人だけでも護ろうと決めた。━━━━━━ずっと前にね」
幼いころ、目の前で死なせてしまった沙希という少女が脳裏によぎる。
今でもあの光景は忘れない。━━忘れられない。
吹き出す血。飛び散る脳漿。
その流れ出た血が形作った血溜まりの形すら鮮明に覚えている。
「………………そう。夕綺の気持ちはよくわかったわ。夕綺はそうしてずっと一人で戦ってきたんだものね。誰からも賞賛されるわけでもなく、誰からも認められるでもなく、誰に知られることも無く、ずっと一人で。でもね、今は違う。私がいるわ。私が夕綺を認める。私が夕綺の戦いを見届ける。誰も賞賛しないというなら、私が褒めてあげる。だから、自分一人だけで背負わないで。私も共に戦うんだから」
「……ありがとう。そう言ってもらえて、だいぶ気が楽になったよ。不可抗力のものだけは、どうしようもない。今はただ、できることをするだけ、だな」
「そうね。今は体を休めて力を養うこと。それだけね。あとは、いつ戦いになっても良いように気持ちの準備だけはわすれないようにね」
「わかってる。それだけは、問題ない」
そう。心の準備だけは常にできている。あとは、その時が来るのを待つだけだ。
「夕綺……、朝にはまだ時間があるわ。寝られる気分じゃないかもしれないけれど、もう少し休んでおいた方が良いわ」
風花はそう言って、僕の頭をやさしく枕に乗せる。
そのあと、自分も布団の中に入ってくる。
「そうだな。どのみち、僕はこのフロアからは出られないんだ。仮に物理的に脱出ができたとしても、立場上そうすることもできない。なら、今はおとなしくしているしかないな。それに、霧島先生にもなにか考えはあるんだろうし」
「……私はあの女は好きじゃない。気をつけなさいよ、あの女だけは何を考えているのか本当にわからない。それに、底も見えない。あの女の前では決して気を抜いてはだめよ」
「うん。それは、もう嫌というほどわかってる。かといって、いまさらどうしようもないんだが。後はなるようになれ、だ。さて、風花の言うとおり、もう少し寝ておこうか。いざという時、寝不足でした、じゃ格好がつかないからな」
そう言って僕は小さく笑った。
「そうね。それだけ言えるのなら、もう大丈夫みたいね。よかったわ。さ、もう少しだけゆっくりしておきまよう。夕綺、おやすみなさい……」
風花が微笑みながら布団を掛けなおした。
「おやすみ」とあいさつを返し、二人向かい合って眠りにつく。
心地よい風花の体温が、まどろみに僕を誘う。
まだ疲れが残っていたこともあり、まぶたを閉じたとたん、落ちていくように意識が闇に沈んでいった。
ああ、本当に長い一日だったなと、そんなことを思いながら……。
;アイキャッチ 場面転換
;倉形
窓から差し込む光は朝の陽光。
人の世に凄惨な出来事が起ころうとも、太陽は等しくその全てを照らす。
陰鬱な事件の影響を受けたこの学校も、燦々と降り注ぐ日の光によって、幾分その気持ちをやわらげている。
ここは私立蒼ヶ原高校。2年A組。
時刻は朝の八時半。
今日は土曜日ということもあり、休日を前に、心なしか生徒たちの気配は弛緩している。
街はいまだ事件の影響で、不安と恐怖に張り詰めているが、今、この空間においてはそれは少しばかり影を潜めているように思われた。
ぞろぞろと教室に入ってくる生徒たち。
その中に倉形海斗の姿があった。
彼は自分の席に着き、カバンを掛ける。
適当に筆記用具だけを机の上に投げ出し、手持ち無沙汰に周りを見る。
━━━━一つの違和感。
HRの時間が近いというのに、ある二つの席が空席のままだ。
それは、新城麻衣と葉真夜夕綺の座席。
この二つの席だけがいまだ主が訪れず、その来訪を待ち受けていた。
(新城だけじゃなく、夕綺もか。どうしたってんだ、いったい)
海斗は心の中で一人言つ。
(そういえばここ数日、夕綺の様子に気になることがある。それに、霧島との接する機会が多いのも偶然なのか? いくら委員会の用事があるとはいえ、この非常時に放課後に生徒を居残りさせるのはすこし不自然だ)
一人、思案に暮れていると、気づけばHRが始まっていた。
いつものように担任が出席を取る。
順繰りに名前を呼ばれ、返事をしていく生徒たち。
ここまで返事をしなかったのは、新城。
そして、葉真夜の名が呼ばれる順番になる。
「━━葉真夜……は親戚に不幸があったということで今日は休みだ」
担任はやや控えめにそう告げた。
その後も滞りなく出席確認は続いた。
最後に担任は、昨日から定型句となった注意事項を述べてHRを締めた。
担任が教室を立ち去った後、海斗はさらなる違和感に襲われる。いや、それはむしろ疑惑といってもいい。
(……おかしい。俺の知る限りでは夕綺は天涯孤独のはずだ。知っているものは少ないが━━せいぜい俺と新城くらいだろう━━、あいつの両親は七年前の事故で亡くなっているし、祖父母もすでに存命ではないはずだ。それに、どういう事情かは知らないが、ほかの親戚付き合いは全く無いと一度だけ聞いたこともある。不思議に思いもしたが、その時の夕綺の申し訳なさそうな顔を見て、それ以上聞くこともできなかった。それを思うと、どうにもおかしい。仮に、親戚の不幸が本当だとすれば、付き合いが無くても通夜に出向くくらいは当然かも知れない。だが、あまりにもおかしい)
一時間目の授業はとっくに始まっていたが、海斗はそれに気づかぬほど考えにふけこんでいた。
(どう考えても、夕綺に親戚がいるというのは考えにくい。なぜかって、夕綺の両親が無くなった際に、夕綺を引き取るような話を聞いたことが無い。そして、現在あいつを法的に保護、監督しているのは、たしか如月さんという人のはずだ。親戚がいるのなら、当然そちらに預けられるであろう。それをおもうに、不自然さは拭えない。それに、決定的なまでにタイミングがおかしすぎる。蓮見の出来事といい、新城の欠席、それに続いての夕綺の欠席。おかしな事だらけだ)
それらが一つ一つバラバラに起こっていたのなら、海斗もここまで気にはならなかったであろう。
だが、海斗は夕綺と近しい関係であったゆえに、気づく。その違和感に。
(思えば、こないだ蓮見の家に行った時から━━いや二人で保健室に入ったあの時から様子がおかしかったような気がする。夕綺は時々、何かを隠しているような、そんな気配を滲ませることがある。訊いても答えないし、追求するつもりもないから、さして気にしてはいなかったが、今日に限ってはやけに気になる。それに、俺もあの時、保健室である物を見つけてしまった。それが今の俺を強烈に不安にさせる)
海斗は制服のポケットから一枚のカードを取り出した。
一見すると、なにかのクレジットカードのようにも見えた。
だが、海斗にとってそれは至極見慣れたものであった。
それは海斗の父の会社、エステサロン『KRA』のカードキーだ。
おそらく、他の者が見ても、それとはわからないだろう。カード自体にはロゴも無く、昔のファミコンソフトを思わせる無機質なライン模様があるだけだ。
だが、海斗は知っている。
多忙で家に両親が帰ってこないこともあり、両親に用事のある際には会社に赴くことも少なくなかった。そのために、海斗は会社のカードキーを預かっていて、社長室までの入室の許可を受けている。
警備員や、受付嬢も顔パスだ。
海斗はいつも、そのカードで社内のロックされた扉を開いている。
だから、とてもよく知っていた。
(これは、親父の会社のカードキーだ。それがなぜ霧島の棚にあったのか。それも、これ見よがしに。
これを見つけてから、俺はずっと考えていた。あの時、仮に夕綺がこれを見たとしても、これがなにかはわからないだろう。俺にだけわかるものだ。そんなものをあそこに置いたあった意味はなんだ? いや、意味なんか無く、ただの偶然か? いや、なんにせよ、このカードを持っていること自体がすでに不可解だ。これを持っているのは、エステサロン『KRA』の関係者のみ。そこに例外はない)
海斗の思案をよそに、授業は黙々と続いていた。
物理の教科担任は、さして指導熱心な先生ではなく、授業を聞いていない海斗に対して注意するでもなく、授業を進行させていた。
騒いで授業の邪魔さえしなければ問題ないといったところなのだろう。
(となると、考えにくいが、考えられることはただ一つ……。あの女はなんらかの形で『KRA』にかかわっているってことだ。一介の養護教諭である霧島が、親父のクソッタレな会社に関係している。だが、突然には想像しにくい。━━しにくいが、そうとしか思えない。けっ、謎の多い女だとは思っていたが、どうにも気持ち悪りいな……)
海斗はそう舌打ちしながらも、一つの決意を固めていた。
父の会社に忍び込み、霧島について探ってみようと━━━━━━━━。
;場面転換 アイキャッチ
招待された客間は設備が整い、居心地そのものは悪くは無いが、外出の自由が無いという点に関してはその限りではない。
地下ゆえ、ここには窓も無く、テレビをつけていなければ時間の感覚もわかりづらい。
今はゴールデンタイムのお笑い番組が大画面で流れ、この場の空気に沈黙が訪れないように貢献してくれている。
さすがに一日中、同じ部屋にいるのは飽きが来るというものだ。
まあ、これが自宅ならば、一日中ゲームをしていてもなんら不都合は無かったりするのではあるが。
そんなことはさておき、今はこの軟禁生活をいかに過ごすかということだ。
やれやれと、僕は嘆息する。
「待っているだけというのは、思いのほか退屈なものだな」
「そうね。夕綺の時間の感覚からするとそうなるわね。私は人間の何倍も生きる存在だから、少しくらいの停滞も時間の経過も、さして問題にはならないんだけれど、短い時を有効に生きなければならない人間にとっては、無為に時間を過ごすことは耐え難いでしょうね」
僕のつぶやきに、風花はなんだか難しく答える。
そんな大げさなことを言ったつもりはないのだが。
「そういうものなのかな? まあ、でも、こうしていつ来るとも知れない相手を待つのは落ち着かないな」
「でも、それはそう遠くない未来よ。もう、いつ訪れてもおかしくはないんだから。気は抜かないでね」
「わかっているさ。今はただ、待つしかないって。まあ、愚痴くらい言わせてくれ」
「それもそうね。戦いになれば、こんなのんきな会話はできなくなるしね」
そうして益体もない会話を続ける。
食事も済んだこともあり、今はゆるゆるとした雰囲気。いや、食後に一杯だけ酒を飲んだことも関係しているのかもしれないが。
ちなみに冷蔵庫の酒類は、朝食を持ってきてくれた時に、欠けた分を補充してくれた。
たしかに、待遇に関しては徹底しているようだ。
こういうところだけは無駄にサービスが良い。
それゆえに、求められる代償が大きいのだから、決して割には合わないのではあるが。
さてと、今夜も敵襲に備えておかなければならない。
そろそろ待機モードに入るとするか。
僕は目を閉じ、ソファーに腰掛けながらも、全身のアンテナ感度を伸ばす。
いかなる異常にもすぐに反応できるように。
それを見た風花も同様に警戒態勢に入る。
余計な体力を使わないように体を楽にしつつ、妖気を探るアンテナだけをオンにする。
そうして夜は更けていく。
外の景色は見えないが、室内の時計だけがその経過を告げていた。
;場面転換 アイキャッチ
;海斗
海斗が家を出た時には、日はとっくに沈んでいた。
夜の帳が下り、あたりは群青の闇が支配している。
それを見て海斗は満足げにうなずく。
彼はこれから父の経営する会社、その社屋に向かうべく支度をしていたのだ。
明るいうちではなにかと不都合も多い。
それゆえ、こうして夜が深まるのを待っていた。
海斗は学校が終わってからすぐに夕綺に電話をかけてみた。だが、その電話が通じることは無かった。無機質なアナウンスが流れ、電源が入っていないか、電波が届かない旨を伝えられる。
その現象は、海斗に疑惑を確信に変えるに値する事実であった。
夕綺は携帯電話の電源を切らない主義だ。
着信音が鳴ってはいけないような場所ではサイレントにするようにしていた。いまだかつて、そこに例外は無かった。
だとすると、考えられるのは本当に電波の届かない場所にいる、ということだ。
海斗はさらに決意を固め、こうして行動を開始したに至る。
昨日は新月だった。
今は糸のように細い月がかすかに見える。
月の光はうるさくもなく、星の瞬きを邪魔することない。
空は満天の星空だった。
この大都市の空も、深夜ともなればなかなかに見事な夜空を演出してくれる。
とはいえ、海斗はそうした詩的な感想を持つこともなく、一人無人の道を進んでいた。
強いて言うなら、今彼が感じているのは、昼間と違いひんやりとしたアスファルトの感触程度だろうか。
日中なら照り返しと湿度でうんざりしそうなこの街中も、この時間ならば空気も涼しく気持ちが良い。
「さて、着いたか」
ほどなく、海斗はエステサロン『KRA』の前に到着する。
営業時間中は眩く輝いていた看板も、今は消灯され静かな眠りについていた。
「ま、でも行くのは当然裏からだよな」
いいながら海斗は裏の従業員通用口へと向かった。
そこにあるのは正面玄関とは全く趣の違う質素な入り口だ。
時刻はすでに午前一時をまわっている。
通用口も当然、施錠されていた。
「ほんじゃま、入らせてもらうか」
海斗は自分のカードキーを使用し、扉のロックを解除した。
ピピっと電子音が鳴りカードキーが認証される。
自動で扉が開く。
海斗はすばやく中に入り、社屋内を勝手知ったる我が家のように廊下を堂々と歩く。
建物内の照明は消えているが、海斗は持参したブランド物のペンライトで十分に視界を確保できていた。直線的な明かりではあるが、長い廊下を照らすにはかえって好都合だ。
廊下を進み、エレベーターへと向かう。
7階までは接客に利用されるフロア。
8階以上の階層がスタッフエリアだ。
そこには事務所や、備品をしまう倉庫などがある。
最上階には社長室、そして社長と副社長の宿泊施設が併設されている。
おそらく、今もそこで海斗の両親は休んでいることだろう。
海斗は客が使用するエレベーターとは違う、従業員用のエレベーターを使用する。客が行き来できるメインのフロアではなく、スタッフオンリーの裏手へと進んだ。エレベーターもそこにある。
だが、スタッフ専用エレベーターはセキュリティも厳重だ。指紋認証システムまで導入されている。
しかし、海斗にはそれも問題の無いことだった。
社長室までの入室を許されているのだ。
当然、彼の指紋は許可されるようにデータ入力されている。
カードを通し、パネルに人差し指を当てる。
電子音が鳴る、認証完了。
海斗は、いつものことながらこの認証作業に辟易する。なぜ、たかが一エステサロンが指紋認証するほどのセキュリティを要するのか。
まあ、業界最大手とくれば、そんなこともありえなくはないのかもしれないが、海斗には常々不信感があった。
そんなことを思いながら海斗はエレベーターに乗り込み、8階へと向かった。
エレベーターを降りた海斗は、目的の場所に迷うことなくたどり着く。
暗闇の中、事務所にあるパソコンをどれでもいいので適当に一つ電源を入れた。
OSが立ち上がり、パスワードの入力画面が表示される。
真っ暗な事務室に、モニターの青白い光が眩しく浮かび上がった。
「さてと、確かBを五回、Aを四回だったかな。つまり、BBBBBAAAAだ」
海斗はパスワードを入力。
デスクトップ画面が開く。
パスワードは正解だ。
「まったく、こんな舐めたパスワードでいいのかね」
海斗は苦笑しながらもほくそ笑む。
彼は何度もこの場に来ているため、社員の会話を必然耳にする。
その際、パソコンを起動する機会にこの合言葉を聞いたのだ。
B5A4と。
毎日、毎回、立ち上げるパスワードが複雑怪奇では不便である。
そのため、同じキーを連打してできる言葉で且つ意味を持たせようとした結果がこのような形になったということらしい。
サイバーテロのような外部からの攻撃は対策しているが、内部には意外に甘いつくりだなと、海斗は思った。
まあ、しかし、内部の人間には厳しく情報制限されている。仮に退社しても、社の情報を漏らすこともできない。
それを思えば、こんなものかと納得できなくもない。
「さて、どれから調べようかな」
そんなことは今はどうでもいいとばかりに、早速それらしいファイルを開いてみる。
『従業員一覧 組織図』
わかりやすいタイトルだった。
その頂点には、倉形陸 代表取締役 とあった。
したには副社長、倉形京子と続く。
それぞれ、海斗の両親である。
その先には幹部クラスの社員の名が続き、専属のエステティシャンの名が並ぶ。
下の方にはパートタイム扱いの受付嬢の名前もある。
「ほう、あの受付嬢、理恵っていうのか。歳は29、意外にいってんな……、っとそんなことはどうでもいいんだ。今はそれよりもあの女だ」
海斗は引き続き画面を睨む。
瞬きもせずに一段一段名前を調べていく。
人数は思いのほか多い。まるでちょっとした大企業並みだ。
「あった……、これか……?」
ついに、探していた名前を見つける。
非常勤エステティシャンの欄の中に、紛れるようにその名前は潜んでいた。
霧島亜紀━━。
「はっ! 何をばかな!」
高等学校の養護教諭が民間企業のエステティシャンを副業にしている?
そんなバカなことがあるか?
そしてさらにおかしな点がある。
「年齢は━━━━━━━━ばかな? そんなはずがあるか!? どう見たってあれは━━━━━━」
生年月日を見た海斗は驚愕する。
なにかの入力ミスでないかと当然思う。
しかし、次の項目を目にし、その年齢を信じざるを得ない。
「入社日……そんな、この日が入社日だと……!? 信じられん。まさか本当にそんなことが!?」
驚きはある。
だがそれよりも、霧島がこの会社組織に関係していたことが重要だ。
何かあるとは思ったいたが、こうしてその事実を目にすると、やはり驚きは隠せない。
「くそ、怪しい女だとは思っていたが、まさかこれほどとは……」
海斗は吐き捨てるようにつぶやく。
勤続年数から察するに、霧島の本業はこちらである。学校の養護教諭というほうが仮の姿であると、理が告げている。
海斗はそれをすぐに理解した。
「だとすると、あの女が夕綺に近づいたのは何のためだ? わからねえ。わからねえが、どうにも嫌な感じだ。くそっ」
海斗は歯噛みしながらも、更なる考えをめぐらす。
思考を展開。
勉学そのものは得意ではないが、頭は悪くはない。
むしろ、閃きなどといった感性には光るものがある。
「そうだ……ここまできたんだ。この際、この会社の暗い部分。公にならない裏の実態を調べてみるか……。ここには、絶対なにかある」
今なら、この社屋内をうろついても問題はあるまい。海斗はそう判断し、以前より気になっていた、父の会社の裏の顔を調べてみようと思った。
すでに不法侵入まがいの行為をしているのだ。
いまさら何をしようがさして変わらない。
昔から、両親の不穏な会話を耳にしたことがあった。深夜、海斗が寝静まったころには、両親が仕事の話をすることがあった。
たまたま夜中に目を覚ました幼き日の海斗少年は、その会話を何度か聞いてしまった。
その内容はとても常識では考えられないようなものだった。
実験がどうとか、地下施設がどうとか、金が何だ、いくら渡した、利害が一致、行方不明がどうとか、失敗した、成功した、始末した、処理した、死んだ、死ななかった、倒した、殺した、負けない。
さまざまな不穏当な単語がいくつも飛び交っていた。恐ろしくなった海斗少年は、その言葉について両親に問いただすことはできなかったが、なにか不気味な事実が存在していることだけは確信していた。
そういえば、昔から自身の周りで不審な行方不明事件や転校騒ぎがいくつかあったことを海斗は思い出す。
小学生の頃、仲のよい友達を家に連れて行ったことがあった。
家の中でかくれんぼをし、海斗の友達はとある一室に隠れたのだった。その後部屋から出てきた友達の顔色がやけに青白かったのを覚えている。それについて友達はなにも言わなかった。
数日後、その友人は転校した。
他には、海斗に敵対的意思を向ける同級生が、突然行方不明になったこともある。
常々、海斗は何か言い知れない疑問と不安と不快を抱えていた。
その後、成長した海斗は、ある時父の書斎を調べようとした。そこにある秘密の隠し部屋にさえ足を伸ばしたが、それでもそこには当たり障りの無い書類しか見つけることはできなかった。
海斗が成長するにつれ、両親も家では迂闊な発言は控えるようになった。そして、家にもあまり帰らなくなっていった。
そうして、海斗はさらに疑惑と不信感を増大させていったのだ。
今夜、海斗がここに来たのはある意味必然ともいえる。
保健室で見つけたカードキーは引き金にしか過ぎない。仮にこの一連の事件がなくとも、彼はいずれはこの行動に至っただろう。
だが、彼が今この時、ここに来たのは、さまざまな出来事の複合と、ある者の一つの思惑だ。
そして海斗は気づいていた。
己が誘い出された獲物であったことに。
それでもかまうものかと、どこか達観めいた境地でさえある。
「さて、どこから調べたもんかな……」
海斗は一人ごちて、再びモニターを睨みつける。
そこに並ぶフォルダの群れ。
なにか手がかりはないかと、手当たりしだい中を覗いていく。
だが、めぼしいものは見つからない。
そこにあるのは、ごくありふれた業務データばかりだ。
「いや、まて━━」
海斗は思い直したように、もう一度組織図を見た。
そして、その末端部分に注目した。
そこには、アルバイト従業員やパートタイム従業員、非常勤の従業員の名が並ぶ。
一見しておかしなところはない。仮に公の機関に調べられたとしても、そこにはなんの問題も無いはずだ。
しかし、海斗は一つ気になることがあった。
アルバイトや、非常勤の従業員の数が多すぎるのではないか?
海斗は学生であり、会社を経営したこともないが、それでもこの人数は多いように思われた。
だが、週に一度の勤務のパートタイムの者がいればわからなくもない。
しかし、なにか引っかかった。
結局この場ではこれ以上の情報は得られそうに無い。
海斗はパソコンのデータからの情報収集はあきらめ、足での捜査に移行することにした。
なぜなら、海斗は思い出したことがあった。
「そうだ、地下だ━━━━━━」
海斗は両親が、会社の地下がどうとか、何度かいっていたような気がする。そして、そのあとに続く言葉が必ず不穏なものだった。
海斗はパソコンをシャットダウンし元の常態に戻した。
念のため、この建物に入った時から指紋が残らないように皮手袋をはいている。
これでとりあえずは証拠は残らないはずだ。
そもそも、カードキーでの開錠記録が電子的に残る可能性もあるのだが、そういうものは実際になにか犯罪被害が出た場合に調べられるものだ。
今、物的に何かを持ち出すのでなければ、とりあえず発覚しようもないだろうと、海斗は読んでいた。
今はただ、“知ること”を優先する。
海斗はそうして、地下へ向かうべく、探索を続行した。
一階へと降り、それと思しき場所を片っ端から調べていく。
だが、地下階層を探すといっても、せいぜい地下駐車場くらいしか地下フロアは存在しなかった。
「俺の見込み違いだったのか……」
駐車場の出入り口の所まで来た海斗は一人つぶやく。だが、その時海斗の目に、関係者以外立ち入り禁止の扉が目に付いた。
「これは……?」
最初はただのリネン庫かなにかと思った。
奥まったところにある地味な鉄扉だった。
別段変わった様子もなく、通常ならば見落としてしまいそうな扉だ。何の変哲も無い無機質な扉。
だが、海斗は念のためその扉を開いてみることにした。鍵がかかっているかもしれないと思ったが、ドアノブをひねると扉は簡単に開いて海斗を室内に迎え入れた。
「なんだ、やっぱりリネン庫か。当てが外れたか……」
海斗は残念そうに息を吐き、立ちつくす。
すぐにリネン庫から出ようとも思ったが、あきらめきれずぶらぶらと室内を歩く。
他の場所は全て探してしまい、およそ人が立ち入れそうな部分はこれで一通り確認したからだ。
何の気なしに棚のシーツを手にとってみる。
「そうだよな、客用のシーツだ。きれいなもんだな。こうしてみると、やっぱ普通のエステサロンなのかねぇ……」
益体も無いことをぼやきつつ、シーツを戻す。
その時、海斗は一つの違和感に気がついた。
━━なぜ、こんなところにリネン庫があるのか?
こんなところにリネン庫があっては、不都合ではないのか? なぜなら、エステを行う接客フロアは2階からだ。ここにあっては運ぶのは不便だろう。
たしかに、他の理由も考えられないでもない。
地下の駐車場からすぐ近いこの場所は、搬入には適している。リネン業者の納品には最高の立地条件といえよう。
しかし、リネン業者に仕事をやりやすくして、自分たちの仕事を不便にするのも不自然に思われる。
やはり、この部屋は何かある。
海斗はそう思った。
そして、その考えに至るとさらに気になる点が出てくる。
海斗は一度リネン庫を出て、入り口付近を注視する。
「やっぱりな━━━━」
つぶやく。確信を持って。
;画面は上方図付きで解説。
;
;
; | | |
; |↑| |
; |―| |
; |庫| |
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;━━━━━ ↑↓━━━
; 駐車場出入り口
;
よく見ると、このリネン庫の空間は不自然だ。
地下駐車場の入り口のすぐ脇にこのリネン庫はあるのだが、その扉の前には不可解なデットスペースがある。
扉を開くために必要なスペースではあるが、そもそも、扉の位置がおかしい。
否、部屋の向きそのものがおかしいのだ。
このリネン庫の扉は、通路と平行していない。
デットスペースを介して、通路と直角になる位置に扉、そして部屋がある。
本来なら、このデットスペースの部分に部屋を造ればなにも問題は無いはずだ。
しかし、このリネン庫は、
“あえて不自然なつくりで向きを変えている”。
ならば、そこには必ず意味はある。
海斗は再び室内へと向かった。
迷わずまっすぐリネン庫の奥へと進む。
「俺の考えが正しければ、この先には何かがある」
今度は、海斗は確信を持ってあたりを調べ始める。
あるとするなら、もはやここしかない。
そう信じて、くまなく探す。
そうして、程なくその時は来た。
「……ここは……?」
海斗は、入り口から隠れて見えない部分の棚に目を留めた。
この段にはシーツ類が置かれていない。空の段だ。
海斗はその棚、その周囲に目を凝らす。
「そういや親父の奴、小賢しい仕掛けが得意だったな」
海斗の父、倉形陸は、忍者屋敷やカラクリ箱を好む人間だった。
自宅の書斎にも、本棚がスライドする仕掛けを作っていて、その奥に隠し部屋を作るなどして、その性質を海斗は理解していた。
空の棚、その背板を押してみる。━━無反応。
ならばと、左右にスライドさせるべく試みる。
左━━動かない。次は右へ━━━━。
祈るような気持ちで海斗は手を滑らす。
━━━━━━!
背板は音も無く静かに、そして滑らかに右へとスライドした。
そこに現れる一つのスイッチ。
海斗は躊躇い無くスイッチをオンにした。
ゆっくりと上昇するリネン棚。
その光景におもわず身震いする。
「へっ。なかなかイカシたことやるじゃねえか。ますます怪しいぜ。どうりで家にはなにも置いてないはずだ。本命はこっちってか」
海斗は、そこに現れた通路に迷わず身を投げ出した。
「ふっ、面白くなってきやがった! この先に何があるのか、親父たちが今までひた隠しにしてきたものを、この目で確かめてやる!」
海斗はそう息をまいて通路を駆けていく。
リノリウムの床を海斗が駆け抜けた後には、硬い革の靴音だけが響いていた。
;場面転換 アイキャッチ
━━━━ここは『KRA』司令室。
それはこの建物の地下10階にあり、施設の実質的中心部だ。
こここそが、この組織の要、本丸である。
そして、部屋のその中心に座る初老の男が一人。
髪には白髪が混じり、きざまれた皺は生きてきた歳月を表していた。しかし、それは決して疲れた男のものではない。目はギラギラと熱を持ち、その表情は精悍で生気に満ちている。
彼こそがこの組織のリーダー、倉形陸 その人だ。
時刻は深夜でありながらも、この場には倉形をはじめ十数人の人間が詰めており、張り詰めた緊張感が室内を満たしていた。
大小さまざまなモニターが並び、そこには施設中のあらゆる場所の映像が流れていた。
ある一つのモニターは、地上階の様子を三秒ごとに切り替えながら各階の現在の状況を映し出している。
また、別なモニターは地下施設への入り口となるリネン庫の様子をはっきりと映し出していた。
そして、そのなかでも一際大きいメインのモニターは、最下層にある実験室の様子をライブで映し出していた。
巨大な水槽を思わせる分厚いガラスの檻。
銃弾も通さぬ防弾のガラス。人の手で破壊することはかなわないであろう。
霧島はその傍らに立ち、中の様子をいつもの氷の眼差しで窺う。
その中には一人の女性の姿があった。
無機質なベッドに金具で固定され、その自由を完全に奪われている。
女は裸だった。その胸には、縦一文字の傷跡があった。
捕虜を辱める方法は古今、変わりない。
いや、この場合は、実験の都合が良いという理由も含まれるのだが。
女はしきりに口を激しく動かし、何かを罵る言葉を吐いているように見受けられたが、音声をオフにしてある司令室にはその罵りも届く事は無い。
女は、つい先日に捕らえられた鎌鼬、空矢だった。
本来ならば男を惑わす妖艶な貌は、今は憤怒にゆがみ、その面影は無い。
服を剥ぎ取られ、手足の自由を奪われた今の空矢は、人を恐れさせる妖の姿とは程遠い。
しかし、人外である鎌鼬をたかが鉄の戒めごときで封じれるはずも無い。
その答えはベッドの四つ角、脚にあった。
人外の力を封じる四枚の札。ソレがベッドの脚に厳重に貼り付けられている。
この札は、先代の葉真夜━━、つまり夕綺の父が作り上げたものだ。以前、協力体制にあった際に、夕綺の父が組織に渡したものである。
その札の力はいまだ衰える事も無く、今尚、妖である空矢の身を封じている。
空矢は動くこともままならず、できることはただ、罵りの言葉を発することのみだ。
しかし、ガラスの内側にいる白衣を着た研究員と思しき男は、何も動ずることも無く空矢に近づき注射器を突き刺した。
ガラスの管に赤い液体が満ちていく。
採血だ。
妖の赤い血を見て、研究員は満足げに頷いた。
そうして、別の研究員が近づく。その手にはメスが握られていた。
手術室と同様の眩しい照明が、男の握ったメスを妖しく輝かせている。
空矢は何かを叫んでいる。
男はそれを意に介することも無く淡々と作業に入った。指にメスをあてがう。そのままスライド。
流れる鮮血。
人差し指を失った空矢が一瞬苦痛に顔をゆがませる。しかし、すぐに顔を作り変え、毅然とした表情へと変化した。
研究員は切り取った指を別室に運んでいった。
残る研究員は、空矢の傷口を観察する。
驚くべきことに、みるみる血は止まり、欠損した人差し指が再生する。
その場に居る研究員たちは、すでに何度も同様の光景を目の当たりにし、今となっては当然といった顔をしながら冷静にその様子を記録に収めている。
その後も、同じような行為が繰り返されている。
血を抜き、身体を刻み、臓腑まで抉り取る。
それら全てを記録に取り、身体が再生されればさらなる部位を切り取っていく。
彼女を捕らえてからすでに30時間。その間中、休むことなくこの行為は続いていた。
それでも尚、罵り、悪罵を投げつけることのできる空矢の胆力には感嘆せざるを得ない。
現場の指揮をとる研究員の男は、その様子を見続け、感心と同時に辟易していた。
だが、彼らは一刻でも早く研究を進める必要があった。ゆえに、こうして夜を徹して作業を続けているのだ。
そのモニターの様子を注視していた倉形陸はおもむろに口を開いた。
「さて、実験の結果はどうなっている? 思ったよりもはかどっているそうではないか。良い報告が聞けそうかな」
薄暗い司令室に、倉形の低い声が響く。
その声色にはかすかな喜悦が感じられた。
彼は今、この組織にもたらされる新たな研究データに大いなる期待を寄せていた。
この研究が完成されれば、己の野望を実行し完遂させることができる、その確信があった。
昨日は、腹心の霧島が見事な功績をあげた。
かねてより待望の研究対象だったモノ━━━━━━━━━━━━━━━━━━生きた妖怪、化け物。
それも、下等な妖などではなく、長年この地に存在していた高等妖怪、鎌鼬を捕縛することに成功したのだ。
この計画は十年以上前に開始され、昨日、ついにその成果をだしたのだ。
だが、七年前、この計画は一度失敗した。
霧島を筆頭に数人の人員を用い、対妖怪の切り札というべき存在『葉真夜』を籠絡し手駒にしたまでは良かった。
だが、わずかなミスと予想外の事態にはばまれ、計画は一時中断していた。
それから組織は善後策を練り、再び計画を開始した。そうして今に至る。
紆余曲折をへて、倉形陸はようやく自身の野望の足がかりを得たのだ。
それを思えば、彼は喜びを前面に出すことをよく自制したといえる。本来なら小躍りして飛び上がりたいほどであろう。しかし、多くの部下の前であまり感情をさらすわけにも行かず、大物然と不敵に笑うのが精一杯だった。
「はい、結果は良好。予想以上のハイペースで解析が進んでおります。さすがに、生きた実験体というのは便利なものです。今まで試すことができなかった様々なことが可能になりました。このまま行けば、数日のうちに実戦投入も行えるかもしれません」
部下とおぼしき男が倉形に答えた。
彼の報告は、大いに倉形を満足させた。
倉形はニヤリと口をゆがませ、クククと笑みをこぼした。
「よし。作業はこのまま休むことなく続行だ。今まで足りなかった、ほんのあとわずかの材料がやっとそろったのだ。このまま行けば、ついに我らの計画、目的を実行できる。だが、実験体については油断はできん。霧島の力で捕らえたといっても、何か起これば今の我らではまだ及ばないかもしれん。くれぐれも実験体には隙を見せるな。わずかな緩みも許されん。気をつけろ」
「はっ」
部下一同がいっせいにうなずく。
「それに実験体の片割れ、もう一体の鎌鼬が実験体を取り返しに来る可能性が高い。警戒レベルを最大にして備えておけ。霧島にも、いつでも動けるように言っておけ。まあ、霧島に限って油断はないとは思うがな」
「わかりました」
「よし、研究員は交代で24時間体制で作業を続けろ。シフトは各リーダーに任せる。戦闘要員は霧島の指示の元、動け。各自、武器の用意を怠るな」
「はい」
その場の全員が倉形の言葉に従う。
異を唱えるものはいない。
彼はこの組織のリーダーであり、ボス。最高権力者だ。
大いなる野望を持ち、ソレを実行達成しうるであろうと人をひきつけるモノがある。
彼は一段ずつ階段を上り、それを証明してきた。
そして、まるで夢物語のようだった計画が、今はもう夢ではない。
それを信じているから、部下たちは何の迷いも無く倉形に従うのだ。
実力、求心力、ともにこの組織の最高を持つ。
だからこそ、リーダーなのだ。
「倉形様。侵入者のようです!」
モニターを監視していた一人が口早にそう告げた。
粛然としていた室内に緊張が走る。
「何者だ? 鎌鼬か?」
倉形が問い返す。
「いえ、人間です。どうやら我が社のカードキーを持っている者のようです。セキュリティのデータを調べてみます」
オペレーターの男が検索を始めようとしたが、モニターを一瞥した倉形陸はそれを制した。
「━━いや、調べる必要はない。あれは、私の息子だ。ふっ、海斗め。いつかはこんな日が来るかと思っていたが、こんな時にきおったか」
「では、どうされます?」
「しばらく泳がせておけ。だが、地下フロアまで来た場合は排除してかまわん」
厳然と倉形は言い放つ。
「よろしいのですか?」
それに答える声も冷静だ。決して、倉形陸の身内だからと心配するような口調ではない。
ただの確認だ。
「かまわん。いつかこの日が来ると思っていた。海斗は私を弾劾する気なのだ。幼いころから、後継者にできないものかと教育してきたが、私の思いとは裏腹に真っ直ぐに育ってしまった。あいつは、くだらない正義心を持ち、私の行動を探るようになった。そしてこのままでは、達成を目前に計画を台無しにされる恐れがあった。それゆえ、あいつが高校に進学した際、理由をつけてここのカードキーを渡したのだ」
そして果たせるかな、海斗は現れた。
「では、相対した場合には、生死は問わないと?」
「そうだ。その場で殺してしまってもかまわん。海斗が幼きうちは、息子への愛情というものも人並みに持ち合わせてはいたが、今のあいつはただの障害に過ぎん。後処理はなんとでもなる。遠慮はいらん、我らの邪魔をするものは全て始末するのだ」
「しかし、先日蓮見一家を処理したばかりです。いくらなんでも、短期間に同じ場所で複数人の人間を処理するのは危険が大きいかと」
「かまわん。この研究が完成した暁には、この国の法など、我らには及ばなくなるだろう。それまで持てばよい。心配にはあたらん。さあ、そんなことより、データの解析をさらに進めさせろ!」
「はっ!」
倉形陸が一括し、司令室に集っていた面々は持ち場へと戻っていった。
司令室に残ったのは倉形を良く知る幹部数人だ。
今度こそ倉形は呵呵大笑し、自らの思い通りに事が動き出したことを喜んだ。
;場面転換 アイキャッチ
僕は唐突に目を覚ました。
いや、ある意味起こされたといった方がいい。
カゼの音が激しく吹き荒れ、僕の意識をすぐに覚醒させた。
「奴か━━━━」
さっとベッドサイドの時計に目を飛ばす。
時刻は深夜午前二時。
起き上がり、あたりを見回す。
風花はすでに起きていたのか、ベッドの傍らに静かに立っていた。
「さすがね、夕綺。気がついたのね」
風花が厳かに口を開く。
「嫌でも気づくさ。僕には、人外の殺意は何よりも強烈に届く。今もうるさいほどに僕の意識を刺激している」
そう答えたとたん、けたたましい警報音がフロア中に鳴り響いた。
ランプの赤色が激しく点滅し、ことの重大さを知らせている。
「やはり、来たか。思ったより早かったな」
言いながら身支度をすばやく整える。
といっても、脱いでいるのは上着程度だ。制服の上着を羽織れば準備はすぐに完了する。
風花はすでに準備が整っている。気迫にも満ち、今すぐにでも、戦闘が可能なたたずまいだ。
靴を履き、鉄扇を確認する。問題ない。
そうしていると、部屋の電話が鳴った。
おそらく霧島先生だろう。
受話器を取る。
「葉真夜クン、起きていたみたいね。ならいいわ。よく聞きなさい。例の鎌鼬が来たわ。奴は仲間のいる最下層に向かうはずよ。セキュリティのロックは解除したから、すぐに地下20階に向かいなさい。エレベーターは電気系統を破壊される可能性があるから階段を使うように。以上よ、わかったら急ぎなさい!」
霧島先生は一方的にそう告げて内線を切った。
さすがに、いつもより語気が荒い。
僕は風花に向き直り内容をすばやく説明した。
「セキュリティを解除したから地下20階に行けとさ。そこにあの鎌鼬、空矢がいるらしい。そこで諸刃を迎え撃て、ということなんだろう。先を越されると厄介だ。急ごう、風花」
いい終わり眼帯を外す。左目の視界が開ける。
これで僕の方も臨戦態勢だ。
「わかったわ。いきましょう」
二人、駆け足で部屋を後にした。
廊下をひた走る。階段室の扉はすぐに見つかった。
この扉も他と同様、カードリーダーが備え付けられており、セキュリティを必要としていた。
しかし、今はセキュリティロックを解除したと言っていた。
ドアノブを握る。
ドアは何の抵抗も無く開いた。
「よし」
「ええ」
一度顔を合わせ頷く。
僕らは地下20階を目指して階段を駆け下りていった。
;場面転換 アイチャッチ
息せき切って階段を駆け下りる。
その間中も、やかましい警報音は鳴り続けていた。
いいかげんうんざりしてきたが、同時に気にもならなくなっていた。
そんなことよりも、今は諸刃のことだ。
奴が現れた以上、他のことに考えを巡らせているような余裕は無い。
奴より先に最下層に待ち受けなければ。
空矢を奪還されれば、こちらの優位は消える。
僕らはさらに加速するように、階段を飛び降りるようにして駆けていった。
風花も風をまいてついてくる。
━━B15
━━━━B16
━━━━━━B17
━━━━━━━━B18
━━━━━━━━━━B19━━━━━━
そして、
━━━━━━━━━━━━━━━━━━B20
;SE ガーンみたいな
勢い良く鉄の扉を押し開いた。
廊下中に金属の音が響く。
階段室を出て左右を見る。
ここは、先ほどの階とは打って変わって無機質な造りだった。
廊下はうちっぱなしのコンクリート、壁も同様だ。
天井には青白い蛍光灯が備えられ、周囲を照らす。
その光景はなんとも言えない冷たい印象を感じさせた。
右はエレベーターホールがあるだけだ。
進は左。
通路はまっすぐ伸びていて、その先には見るからに厳重なセキュリティを施した扉があった。
まず、ガラス張りの最初の扉。
こちらにはカードキーと指紋認証システム。
その奥には、手術室を思わせる鉄のスライドドア。
こちらにも同様のセキュリティシステム。
おそらく、一人ずつしか室内に入れないようにするためだろう。さすがに凝った造りだ。妖、鎌鼬を監禁すると言っていた場所なだけはある。
さて、ここまで来たが、どうするか。ロックは開いているのだろうか?
そんなことを思ったとたん、二重の扉が内側から開かれた。
その先には霧島先生が険しい表情で立っていた。
「二人とも、早く入りなさい!」
監視カメラで見ていたのだろうか、タイミング良く僕らを招き入れた。
扉を駆け抜けて室内へ。
「━━ふう。間に合ったようですね。現状はどうなっているんですか?」
一息ついて、霧島先生に問いかける。
「葉真夜クンもわかっているでしょうけど、あの鎌鼬の片割れがこちらに向かっているわ。今は地下2階で扉を破ろうと格闘中よ。さすがの鎌鼬といえども、この施設は簡単には突破できないようね。まあ、そうでなければ沽券にかかわるのだけれど」
言いながら、霧島先生はクックと小さく笑った。
「なるほど。わかりました。なら、僕らはここで奴を待ち受ければいいんですね?」
言ってあたりを見回してみる。
この部屋はやけにだだっ広く、無機質で何も無い。
床も壁も白一色だが、ところどころどす黒いシミのようなものがうかがえた。
奥のほうには計器や機器、コンピューターのようなものも見える。隣の部屋に行くドアも視認できた。
僕と風花は霧島先生を見据える。
「そうね。あの鎌鼬は必ずここにやってくるでしょうからね。それに、途中にはいくつもの防衛システムがあるし、私の屍兵も配置した。ここにくるまで無傷ということはないわ。だから、かならずここで仕留めるのよ」
霧島先生の目が永久氷壁のような冷たさと鋭さを持つ。殺意のような決意を前面に出し、全身から凍気を放っているようにさえ感じる。
「ちなみに、ここはどんな場所なんですか? 確かに、広さは十分にあり戦いに支障はなさそうですが、壁側にある機器の類は壊さないとは保障できませんよ」
「そんなもの、気にする必要なんてないわよ。夕綺。壊れたら壊れたでかまわないでしょう。私たちの目的には関係ないわ」
間髪いれずに風花が言い放つ。
「まあ、多少の被害はやむをえないわね。それはかまわないわ。データさえ取れれば、コンピューターの代えはいくらでも効くわ。金で済むことなら、なんとでもなる」
あっさりと言ってのける。
「それで、この部屋は一体?」
「ええ、この部屋のことだったわね。葉真夜クンには、そろそろ教えておいた方がいいわね。このフロアはあらゆる実験を可能にした究極の空間。まあ、巨大な理科室を思ってくれればいいかしら」
「巨大な……理科室? それに、実験……?」
なんとなく、嫌な感触が背中を走る。
「━━まさか、ここで━━━━━━」
風花も何かを感付いたようだ。
「二人とも、聡明ね。察しのとおり、ここはその名のとおり実験室よ。何を実験しているのかも、およそ想像につくでしょう?」
霧島先生は不敵に笑い、僕らを不快にする。
「考えたくも無いですが、あの、“生きた死体”のことですか?」
「まあ、それも研究の一環よ。でも、あれはまだ研究の一部。主眼はそれではないわ。今はもっと大切な事がここでは行われているわ。部屋はここだけではなく、この奥にも三つの部屋があって、それぞれ別の研究、処置をしているわ。部屋の一つ一つがいわば実験台で、そこでそれぞれ実験をしていると思ってもらえればいいわ」
この巨大な部屋が実験台……。この部屋だけでもちょっとした運動場くらい、そう、室内テニスコート位は十分にある。
この空間が実験台だというのなら、何のためにこれだけの広さが必要になるというのか?
「ふふ、葉真夜クン。不思議そうね。まあ、それもそうね、何も無いところだし。この部屋は実験体の身体能力テストや、戦闘テストなどを行う場所なの。だからここは完全に耐圧や防音がなされ、あらゆる衝撃に耐えられるように設計された、核シェルターにも匹敵する空間なのよ。奥に見える機器類だけれど、その手前には分厚い特殊ガラスで覆われていて、銃火器でもそう簡単には破られない。あと、奥の部屋から脱走した実験体をこの部屋で食い止める役割もあるわ。暴走した実験体を無力化させる仕掛けも用意してあってね━━」
「結構です。十分に理解しました」
霧島先生の言葉を遮るように答えた。
風花も硬い表情だ。
それは不快感というより、もっと重い、嫌悪感のようなそれだ。
「━━一つ訊くわ。あなたたち、空矢姉さんをどうしているの━━━━━━?」
風花が問う。
「あら、ずいぶんと気にかけるじゃない? 今はもう敵対しているんじゃなかったかしら?」
「ごまかさないで。答えなさい!」
風花は語気を荒げもう一度問う。
「ふふ、まあいいわ。どうせ気づいているんでしょう? はっきり言って欲しいのなら答えてあげる。もちろん、実験の対象にさせてもらっているわ」
霧島先生は口元に手を当てながらケタケタと笑っていた。
その言葉と態度に、僕も気分が悪くなる。
敵とはいえ、人でないとはいえ、非道な実験材料にするのは受け入れがたい。
僕にとってはあの鎌鼬は父の仇である。
だがそれを滅することと、意図しない手段や別の理由で苦痛をあたえるのはまったく意味が違う。
「━━━━あなたの目的はなんなの? 妖怪を研究して、そこから何を得ようと? 本当に、ただ、人外を退治するための機関なの?」
風花は苦虫を噛み潰し磨り潰したような顔で訊く。
「質問が多いわね。でも、それに答えることはできないわ。でも、そう遠くないうちに答えてあげるわ。さ、もういいでしょう。今はあの鎌鼬が来るのに備えなさい」
霧島先生は話を切り上げ、冷淡に告げる。
納得できない気持ちもあるが、今の僕らには逆らう手段は存在しない。
「風花、今はそれは考えないでおこう。どの道、僕らの成すべきことは変わらない」
風花はぐっと目を瞑り、感情を飲み込んだ。
「いつまでもゆっくりはしていられないわ。あと10分もしないうちに奴はここに来るでしょうね。体勢を整えておきなさい。私は奥の部屋で捕らえた鎌鼬を見張らなければならないわ。守りを置いておかなければ、使い魔でも送りこまれたらせっかくの捕虜を奪還されかねないし」
霧島先生は、いけしゃあしゃあと、さも立派な作戦のように告げる。
「ならば、この部屋は僕たちで守れと」
「そういうことね。期待しているわ」
まるで他人事のように。
「ずいぶんと調子のいい話ですね、先生」
「あら、後詰めも戦略的には重要よ。私が後ろに控えているからこそ、存分に戦えるでしょう?」
言っていることはもっともだが、まるで僕たちを捨て駒にしているようにしか聞こえない。
「僕たちは、そう簡単にはやられはしませんよ」
「せいぜい、期待なさい。私たちの力を思い知ることね!」
僕と風花、二人、啖呵をきる。
「素晴らしい回答だわ。もちろん期待しているわ。ええ、それはもう」
霧島先生はわざとらしく微笑んでから、奥の部屋へと出て行った。
後には、僕と風花の二人が残される。
怒りや不信感を抱え、すでに発する言葉も無い。
この場には、一時的な静寂が訪れた。
気づけば、すでにうるさいほどに鳴り響いていたサイレンは消えていた。
霧島先生が、警報を切ったのだろうか?
それとも、システムにトラブルか?
まあ、構うまい。
すでに異常事態であることは全館に十二分に伝わった。
警報機はすでに役割を果たしたのだ。
いつまでも鳴られてもかえって気が散る。
都合が良いとしておこう。
そんなものが無くても、僕には、奴が近づいてきているのを嫌でもはっきりと感じられる。
風花も、同属の気配を完全に捉えている。
あとは、ただ、待つのみか。
数分後には、奴はこの場に到着するだろう。
そのわずかな間だけの静謐。
嵐の前の静けさとは、まさにこのことだろうか。
「━━風花、覚悟は変わらないか?」
沈黙を破り、最後の確認。
「愚問ね。夕綺らしくもない。いまさら、変わりようもないわよ」
即答だった。いや、聞くまでもなかったか。
だが、これで本当に準備はできた。
ならば、時が来るのを━━諸刃がくるのを待つだけだ。
僕は鉄扇を握り、静かに部屋の中央へと歩みを進めた。
集中力を最大限に高め、自身の力を頂点に持っていく。
ゆっくり息を吐く。気持ちに乱れはない。
すでに策も無く、隠し球も無い。
残るは真っ向勝負だけだというのに、僕の心は不思議なほど落ち着いていた。
達観しているのだろうか?
自分でも良くわからない。だが、悪くはない。
風花も隣に並ぶ。
大鎌を肩に担ぎ、静かにその時を待っている。
ゆっくりと、流れるように━━━━━━━━。
━━━━そうして、その時は来る━━━━
諸刃の気配がすぐそこまで近づいているのを感じる。距離にして、50メートルほどか。
すでにこの階に到達しているのか、それとも一つ上の階か。いずれにせよ、あと数秒だ。
僕らは部屋の入り口に正対し、その瞬間を待った。
━━━━━━━━しかし、
奴は僕の予想とはまったく違う方向から現れることとなった。
突然背後から、くぐもった轟音が耳に届いた。
反射的に振り返る。
やられた━━━━━━!
瞬時にそう思った。
「やられたわね。まさか、直接上から来るなんて」
風花が落ち着いた様子でつぶやく。
「そうだった。相手は人間じゃない。正直に入り口からやってくるなんて、考えが甘かったか。━━━━━━━━けど」
「━━かまわないわ。あの女の手並み、拝見させてもらおうじゃない」
風花がフっと鼻でわらって言い放つ。
それもそうだと、僕はうなずく。
助けに来いとは言われてはいない。
ここは多少様子を見てもばちはあたるまい。
唯一の懸念は、霧島先生が諸刃に遅れを取って空矢を奪還され、そのまま逃げられることだ。
しかし、おそらくそれはありえまい。
彼女は、ただ一人で空矢を打ち倒し、生きたまま捕縛したほどだ。そんな無様はさらすまい。
それに、諸刃がこの場で僕たちを放っておくとも思えない。
まったく、案外、先ほどの言葉もあながち嘘ではなかったのかもしれないな。
霧島先生が空矢を直に守るというなら、むしろ好都合だ。
なにか動きがあるまでは、静観させてもらおう。
傍観するわけではない。問題はあるまい。
僕は奥へと続く扉を睨む。
扉の向こうから、激しい衝撃音が聞こえる。
その次にはガラスの砕けるような音も聞こえたように思う。
壁を隔て、くぐもった音でありながら、その強烈さが耳を通し伝わってくる。
━━━━翠眼で妖気を透かし視る。
壁を隔てた向こうで、二つの大きな気がぶつかり合うのがわかる。
そのすぐそばには弱りきった一つの妖気も感じる。こちらが空矢だろう。
戦況は……互角か?
いや、わずかに霧島先生が押されているようにも感じる。
━━まずいか?
霧島先生の身に何かあっても、新城さんの安全は保障されない。
このまま、霧島先生が押されるようであれば、助けに入らねばならないだろう。
僕は慎重に様子をうかがうことにした。
「思ったより苦戦してそうね。……でも、それだけとも思えないのが気になるわね」
風花のつぶやき。
たしかに、あの霧島先生が一方的に押されるとは思えない。
なにか企んでいるのかもしれない。
その時━━━━、
耳をつんざく激しい音が響く。
目前の扉が砕け散って何かが飛んできた。
鉄(もしくはそれ以上の硬い金属)の扉がいとも簡単に砕けて、その破片と共に一体の人型が飛んできた。
そして、飛んできたモノは━━━━床を一回転してからゆらりと立ち上がった。
「━━くそ、あの女。こんな力がありやがるとは。さすがに驚いたぜ……」
忌々しげに言葉を吐き、こちらに向き直る。
そこにいたのは、鎌鼬、諸刃。
風花の兄、諸刃だ。
銀髪の鎌鼬は、何事も無かったかのように静かに鎌を握りなおす。別段、傷を負ったようには見えない。
死の使いめいた黒ずくめの風采も何も変わらない。
「葉真夜クン、怠慢は許さないわよ。あなたも仕事しなさい」
後方には霧島先生が居た。
いつもの冷淡な口調に、わずかな怒りがこもっていた。
「まったく、天井を破壊して来るなんて、私のほうこそ驚いたわ。あやうく、実験体を奪われるところだったじゃない。でも、それもここまでかしらね」
霧島先生はなおも続ける。
淡々と言いながらも、不敵に笑った。
「はっ! 三人居れば勝てるとでも思っているのか? さっきは油断したが、今度はそうはいかねえよ。俺はあれから何人も人を殺しては━━喰った。今は十分に妖力も戻った。たかが人間に、そう何度も遅れはとらん!」
諸刃は殺意を隠すこともなく前面に押し出した。
吹き荒れる妖気が僕の耳にカゼとなって届く。
その激しさは、まるで荒れ狂う台風の中にいるようにさえ感じる。
その迫力、気配、雰囲気、妖気、どれをとっても廃鉱山であった時とは別物だ。
封印からよみがえってわずか数日で、恐ろしいまでの増大ぶりだ。
それに引き換え、僕の方は前回となにも変わらない。いや、隠し武器さえも使い切った僕はあの時よりも劣るのかもしれない。
だが、それでも━━━━
━━━━やるしかない━━━━━━━━!
鉄扇を構え、諸刃の前に立ちはだかる。
「僕は、そう簡単にはやられない。鎌鼬、諸刃よ。お前はこの鉄扇の錆となるがいい。いままで倒した多くの人外と同じように。葉真夜の力には、まだ、先がある。僕の目の前で、これ以上人間は殺させない」
諸刃を見据えて毅然と告げる。
戦力差、能力差など関係ない。
残る手段は、僕の全てをぶつけるだけなのだから━━━━━━。
「諸刃兄さん、私はあなたを滅ぼすわ。人間に仇をなすというのなら。永いすれ違いの時だったけれど、兄さんの凶行をやめさせるのは私の役目……。死んでいった同属の仲間達のためにも、私は戦うわ」
風花も諸刃をまっすぐに視線で射抜く。
迷いは微塵も無い。
躊躇いも無い。
戸惑いも無い。
心はすでに決まっている。
風花の全身から妖気が立ち上る。
「風花、そして退魔の人間。お前たちは懲りもせず再び俺の前に立ちはだかるか。あのまま逃げ出していれば、命だけは助かったものを」
諸刃は鎌を正中に構え、僕たちに正対する。
この場の空気が張り詰めていく━━━━━━。
;SE
だが、その剣呑な静けさを破るように奥の部屋から争うような物音が響いてきた。
「ぐ、ぎゃああぁぁぁっぁぁあぁあぁあ」
続いて聞こえる男の悲鳴。
なんだ!? 何が起こった。━━━━まさか?
「しまった━━━━あの実験体め、意識を取り戻したのか!? そうか━━仲間の妖気に反応して目覚めたか。なんてこと━━━━━━━━」
霧島先生は珍しく驚きと悔しさをあらわにした。
それは今まで見せたことのない表情だった。
いつも冷静で凍るように冷たい目が、今は大きく見開らかれている。
そうだ、妖は同属の気配に敏感だ。
諸刃の妖気に反応したのもうなずける。
そして、諸刃の強烈な殺意に紛れて、空矢の殺意は読めなかった。僕にも察知できなかった人外の気配、霧島先生が感じ取れなかったのは無理もない。
「ちぃっ━━。葉真夜クン。ここは一度任せるわ。あの実験体が回復したら面倒なことになる。これ以上人間を喰らわせるとこちらが不利になるわ。それに、研究員の代えは効かないしね━━━━」
霧島先生は怒りに顔をゆがませながら、脱兎のごとく奥の部屋へと戻っていった。
悲鳴は途切れ、今はもう聞こえない。
おそらく、最初の犠牲者は生きてはいないだろう。
運がなかったとしか言いようがあるまい。
いや、このような地下組織に身をおいた時点で運など尽きていたのだろう。━━僕のように━━━━。
「━━ふん、人間ごときが分不相応なことをするからだ。己の程度をわきまえず望みを掲げても、身を滅ぼすだけだというのにな。愚かなことを」
諸刃が冷たく、そしてどこか寂しげな声で言い捨てる。
「愚か……ね。兄さんの口からそんな言葉が出てくるなんてね。驚きだわ」
「風花、お前はわかっていないのだ。人間という種族の存在の愚かさを。その浅はかさをな!」
諸刃が語気を強める。
「でも、人間全てがそうではないでしょう? 兄さん」
「だが、全ての人間が高潔で素晴らしい人格者でもあるまい。有象無象は所詮、愚鈍で愚かな集団だ」
「そんなことはないわ! 人は、分かり合えるし成長する」
「どうかな。人は何度同じ過ちを繰り返した? 人の歴史を見てみろ。人のやってきたことなど太古の昔から何も変わらん。文明が発展し、国が豊かになれば争いも増える。その果てに戦争を繰り広げ滅んでゆく。大なり小なり、それは変わらん。そんな莫迦で愚かな人間のとばっちりを受けるのは耐え難い苦痛だということだ。わかるか!」
「それが兄さんたちが人間を憎む理由だというの? だからといって、人間を殺してまわっても何も変わらないわ。それこそ愚かなことよ!」
僕は風花と諸刃の問答を黙して聞いていた。
今は口を挟むべきではない。
二人の決着は必要なものなのだ。
僕は、僕の理由のために戦うが、二人の戦う理由もまた存在する。
それは尊重しようと思う。
「たとえそうだとしても、俺の心は変わらん。奴らに住処を奪われ、仲間たちを失っていった屈辱と敗北感はいまも忘れん!」
「でも、兄さんたちを止めた長老たちを、兄さんは殺したわ。それは許させるとでも?」
「人の世に関わることなく隠れて生きるなどと、そんなことを言う奴らは、もっと許せん。だからそうしたまでだ。結局は、俺たちのように力の秀でた一部のものしか生き残れなかったのだからな……!」
「━━━━く……! だからといって、そんな傲慢は絶対に許されないわ! それに結局、人を殺す意味なんてなにも存在しない。人を殺しぬいた先になにがあるというの?」
「ふ、知れたこと! 人間たちにもう一度、妖の恐ろしさというものをしらしめて、我らの領有圏を拡大させることだ。妖の聖域とでも言うべき、人の及ばぬ魔境を展開させることだ! そのために俺は、俺たちは戦い抜くのだ!」
諸刃は躊躇いなく決然と言い放った。
もはや、この男には言葉では通じないだろう。
敵とはいえ、その決意は確固たるものだ。
風花も、とっくにそれを理解している。
ここまで問答は、お互いの信じるものを明らかにするためのもの。
交渉や譲歩など、そんなものは一切ないのだ。
「わかったわ。お互いこれ以上は譲れないようね。ならば、行き着くところは━━━━━━」
「━━━━━━ああ。実力行使ということだ」
二人の心は決まっていた。
それはおそらく、ずっとずっと前から。
僕が生まれるよりも遥かに昔から━━━━。
そんな二人の因縁に、いまこそ決着がつくのだ。
「風花、僕は僕のために諸刃と戦う。身近な人たちが傷つけられないようにするために。風花は、風花の信じるもののために戦う。それでもかまわないか?」
僕は風花に最後の確認を取る。
「ええ、もちろんよ。私は夕綺を、そして人間を信じてる。どちらにせよ、私が夕綺の味方であることには何の変わりもないわ」
風花は躊躇いなく凛として言い切った。
その澄んだ声は、僕の耳と心に響く。
もう、僕らの間に何も言葉はいらない。
「なら、決着の時だ。いくぞ、諸刃!」
「どちらが勝つにせよ、これが最後よ。兄さん!」
鉄扇を握る手に力をこめる。
風花が大鎌を上段に構える。
僕と風花は同時に床を蹴り左右に散開した。
「こい、風花! そして葉真夜という名の人間よ! 今こそ、化け物の恐ろしさを教えてやる。この、鎌鼬諸刃の力をな!」
諸刃は鎌を正中に構えたままだ。
その特殊な武器の穂先を正面に向けて構えるのが諸刃の必勝の構えなのだろう。
槍と刀を組み合わせたような、ハルバードを思わせる諸刃の鎌。
それこそが、諸刃の必殺の武器。
あらゆるものを切り裂く、鎌鼬の刃━━鬼神の刃。
触れられれば、生身の人間の体などひとたまりもないだろう。
あの鎌で刈り取られれば、後に残るのは細切れの肉片だけだ。
それでも、かまうものかと向かっていく。
活路は、接近戦にしかない。
━━━━━━僕はひたすらに駆ける。
後は、二対一の有利がどこまで活かせるかにかかっている。
一つでも流れが失われれば、僕の命など一瞬で消えうせる。
そのギリギリの世界での勝負だ。
勝負は、おそらく短い間につくだろう。
この鉄扇が奴に届くか、風花の大鎌が先に届くのか、それとも奴の鎌に僕が刈り取られるか。
いずれにせよ、決着の時はすぐそこだ。
諸刃の間合いに迫る━━━━━━━━━━。
「うおおおおおぉぉぉぉぉぉおおぉぉ!」
「はああああぁぁぁあああぁぁあああ!」
僕と風花は、同時に諸刃に攻撃を仕掛けた。
ここにきて、もはや打ち合わせなどしてはいない。
僕らは二人とも理解している。
現状においては、
この単純な行動こそが、“一番効果的”であると。
━━━━策は無い。
━━━━隠し武器も使い切った。
それでも━━━━━━
それでも、敵を撃破するというのなら━━━━━━
━━━━━━肉を切らせて骨を絶つ━━━━━━!
これはもう作戦などと呼べるような代物ではない。
特攻よりは幾分ましというだけのものだ。
しかし、だからこそ意味がある。
己の身体、生命をも省みない攻撃だからこそ敵を討つ。
そして、諸刃もそれを理解するだろう。
諸刃からすれば、この捨て身の一撃こそが一番恐ろしいはずなのだ。
僕らが自分を庇いながら“上手に”戦おうとしたら、おそらく勝ち目は無い。
諸刃が淡々と距離をとりながら僕らの攻撃を順番に捌いていくだけで勝負はつく。
それでは、僕らは諸刃に傷一つつけることなく敗れるだろう。
━━だから、
僕たちは上手くなくていい。
不恰好でいい。
見苦しくても一向に構わない。
二人、どちらかの攻撃が当たればそれでいい。
たとえ、どちらか一方が無防備で攻撃を受けることになろうとも━━━━━━━━!
「いけええぇぇぇぇえええ!」
「やああぁぁぁぁぁぁぁあ!」
諸刃はもう眼前だ。
僕は左から、風花は右から襲い掛かる。
鉄扇と大鎌が照明を反射させ眩しく煌く。
果たして、この一瞬の煌きが奴に届くのか━━━━
「は━━━━この程度で俺を殺れるとでも思っているのか! 貴様ら二人とも、一瞬で細切れにしてくれる!!」
諸刃は僕たち二人をギリギリまで引き付け、そして、━━━━━━僕の方に体を正対させた。
狙いは、━━━━━━━━僕だ!
諸刃は狙いを定めた後は一切の躊躇はなかった。
迷いなく前に踏み込み、穂先をまっすぐ突き出した。
僕を一撃で刺し貫き、返す刀で風花を切り伏せるつもりだろう。
「死ね! 葉真夜!! 親子ともども、忌々しい奴等めぇ━━━━━━!!!」
諸刃の凶刃が迫り来る。
心臓めがけて真っ直ぐに━━━━。
絶望的に圧倒的なその速度。
諸刃の言うとおり、前回の時とは桁違いだ。
その疾さは既に人の領域では及ばない。
音よりも速くその攻撃は迫る。
眼前に迫りくる武器の穂先が眼で見えても、その刃が空気を切り裂く音はまだ聞こえない。
諸刃が床を蹴りだした時の音が、今やっと耳に届いたところだ。
つまりは、こんな攻撃、
━━━━━━かわしようがないということだ。
「夕綺━━━━━━━━━━━━━━!!!」
風花の叫び声がどこか遠に聞こえた。
まるで薄い膜に包まれたかのように、僕と世界はかけ離れている。
━━━━僕の鉄扇は届かない。
無論、鉄扇で身を護ることもかなわない。
僕は、持てる全ての力を攻撃に費やさなければならなかったからだ。
防御を前提とした攻めでは、諸刃にはプレッシャーをかけられない。
だから、これでよかったのだ。
僕は諸刃の攻撃をその身に受ける。
それによって僕たちは一瞬、一度だけのチャンスを得るのだ。
━━━━━━諸刃の刃が僕の胸に触れる。
左胸、やや中心より。
━━━━肋骨の三本目と四本目の間━━━━
それは正確に人間の心臓を捉えていた。
そのまま、刃の先端がほんの数センチでも体にめり込めば僕の命は終わる。
それは当事者の僕もそう思っているし、風花もそうだろう。
そしてなによりも、
それを成そうとしている諸刃自身が間違いなくそう思っていたはずだ。
━━だが━━━━━━━━━━━━
「見誤ったな━━━━━━諸刃!!」
僕は咆哮に近い叫びをあげた。諸刃を正面から睨み付ける。
僕は、賭けに━━━━勝った━━━━。
諸刃の武器の穂先は、わずか僕の制服を数ミリ切り裂いたところでピタリと止まっていた。
;SE ガキンみたいなの
その切っ先は、数センチどころか、一ミリも僕の体を貫くことはなかった。
「なっ━━! 莫迦な━━━━━━━━!?」
諸刃の驚愕に満ちた表情。
一驚を喫し、目を見開て愕然と僕の胸を見る。
「━━━━夕綺!」
対称的に喜色を浮かべる風花。
「いまだ、風花!」
「ええ! わかっているわ!!」
風花は既に攻撃態勢に入っていた。
僕が諸刃の攻撃を受けるのが確定した瞬間から、この一撃に備えていたのだ。
僕が諸刃の攻撃を受け止めたからといって、その行動に変わりはない。
ただ、渾身の力をこめて大鎌を振り下ろす。
煌きは、届いた。
「ぐ、おおおおぉぉぉぉぉおおおおぉぉぉおお」
風花の一撃は、右袈裟に諸刃を切り裂いた。
鮮血の飛沫が飛び散る。
たまらず、諸刃はたたらを踏んで後退した。
肩口の傷を手で押さえ、鎌の柄を杖にして立ち尽くす。
傷は、浅くはないはずだ。
風花の渾身の斬撃を受けたのだ。
いかな化け物といえど、鎌鼬の斬撃をまともに受けて五体満足ではいられまい。
「夕綺、やったわ」
風花が安堵の表情を見せる。
「━━━━いや、まだだ。気を抜くな」
僕はすぐに気を引き締める。
あれだけの攻撃を受けたというのに、諸刃の戦意はいささかも衰えてはいなかったからだ。
「くっ……、やるじゃねえか━━。今度は一体、どんな手品を使ったってんだ━━━━」
諸刃が問う。
「……これさ、これが僕の命を救った。父の形見の御札だ」
僕は制服の内ポケットに忍ばせておいた守りの札を見せた。位牌めいた、石の札だ。
今はもう、その力を使い果たし、効力を失った残骸に過ぎないが。
「へ、なるほどな……。それでお前が囮になろうとしたわけか。ふん、人間の底力もたいしたもんだ」
諸刃は悔しさを滲ませながらも、感心したようにつぶやいた。
……だが、実際はそこまで計算された戦術ではなかった。
僕と風花、諸刃がどちらを先に攻撃をするかはわからないし、心臓を狙うのも未知数だった。
あったのは、たった一つの読み。
諸刃からすれば、二人を同時に攻撃をすることはできない。
ならば、どちらか一方を一瞬でしとめ、刹那の後にもう一方を迎撃するしかない。
なら、どちらを先に攻撃するか?
簡単だ。耐久力の弱い方に決まっている。
一撃で一方を倒さなければならないなら、肉体の耐久度の低い僕を狙うだろう。
ここまでは予測できた。
だが僕を攻撃対象に選んだとして、その際どのような手段で僕を殺しにかかるかは、賭けだった。
人間を絶命させるなら、首を飛ばすのが確実だ。
それならば一瞬でけりはつく。
だが、一つだけ。
たった一つだけ僕には読みがあった。
諸刃は、斬撃よりも突きを多用していた。
首を刎ねるより、心臓を突き刺しにくるのではないかと━━━━━━。
かくして、読みは当たった。
おかげで僕は命拾いし、見事諸刃に一撃を見舞ったのだ。
諸刃は大きな傷を負いつつも、なんとか踏みとどまったといったところだ。
ザックリと開かれた斜めの傷。
肉と血の赤の向こうに、白いものが顔を覗かせていた。骨まで届いたのだろう。
「諸刃、━━━━引く気はないか? 人間を殺すことを諦める気はないか」
一度だけ、訊く。
「は! この程度で勝ったつもりか! 俺は絶対に退かん。この場でお前たちを殺すまではな!」
諸刃の殺意が再び猛り迸る。
肩から血を流しながらも、呪詛のごとき声を吐き出す。
「愚かしいとは思わないのか、この戦いが」
「さっきも言った! 俺には人間を殺す大儀がある。絶対にこの考えは曲げん! たとえ何があろうともな。それよりも、お前だ! 葉真夜という名の人間よ」
諸刃は僕を見据え、驚くほど真剣な眼差しで問いかけてきた。
「むしろお前こそ、なぜそうまでして戦うのだ。退魔の家系に生まれたとはいえ、どうして見知らぬ人間のために命を張れる? そんなことをして何の見返りがある? 金か? それともお前は、人の身でありながら、正義の英雄にでもなりたいのか?」
思いもかけぬ諸刃の問いかけ。
一瞬の静寂が訪れる。
僕はゆっくりとその問いに対して答えを告げた。
「━━━━別に、僕は人間全てのために戦っているわけじゃない。あくまで、自分自身のためにすぎない」
諸刃が、ほう、と目を見開く。
「僕は金で仕事を受けるプロでもないし、正義感から、身を犠牲にしているわけでもない。僕が戦う理由はたった一つ。僕は、僕の身近な人間を護りたい、ただそれだけだ。この世には悪意のある人外が数多く在る。僕はそれを感じ取ることができる。だが全ての人間は救えない。当然だ。一人でできることには限りがある。けれど、後味の悪さはどうにもならない。だからせめて、自分の周りの親しい人間だけは、僕の目の届く範囲の人たちは護りたい。それだけなんだ」
極論を言ってしまえば、他の有象無象は構わない、ということでもある。
そこまで冷酷に言うつもりはないのだが、心霊スポットに軽い気持ちで遊びに行く愚か者、そのような怖いもの見たさで危険に踏み込む輩まで護るつもりは一切無い。
他にも、人間的に問題のあるような者も、助けるつもりは無い。
悪逆の限りをつくしてきたような人間まで助けようなどという気はさらさら無い。
「なるほど……。思ったより、“人間らしい”答えだな。くだらん正義感を振りかざすよりはよほどいい。退魔の人間なんてのは、いい子ぶったいけすかねえ連中だと思っていたが、お前のような奴もいるんだな」
「━━━━まあ、うちは特別なのかもしれないな。葉真夜の家は、退魔の家系としてはすでに廃れたものだ。とても大それたことはできない。だから、こうして出来る範囲の事をするだけさ」
その範囲も、ごく限られたものなのだが。
「ふん……、だが、お前は俺を倒すことはできん! 先の一撃で俺をしとめる事ができなかった以上、お前の勝ちの目は限りなく低くなった」
諸刃は傷口から止め処なく血を流し続けている。
足元から真っ白な床を朱に染めてゆく。
比類なき力を持つ妖、諸刃といえども、その身に受けたダメージは大きかったようだ。
致命にはならなかったが、回復が追いつかぬほどに深手を負っていた。
だが、それでも、人間一人を殺すには十分すぎるほどの力を残している。
諸刃の体から放たれる妖気には些かの衰えも見られない。
いや、むしろ最初よりも高まったとさえいえる。
諸刃の言うとおり、一撃で決めることができなかったこちらの方が致命的だ。
“計算の立つ手段”はもう無い。
「そうかもしれない。だが、それでも二対一の有利は変わらない。今ならまだ、互角に戦えるはずだ」
鉄扇を握る手に力が入る。
ジワリと汗が滲む。
「私も妖、鎌鼬よ。そう簡単にはやられはしないわ。夕綺を殺すというのなら、私を倒してからにすることね……兄さん━━!」
風花の大鎌がゆらりと持ち上がる。
小柄な風花が大上段に鎌を掲げることで、見た目以上に威圧感を放っていた。
「ならば来い! 確かに手傷は負ったがお前たち二人を倒す程度、なんの問題も無い。覚悟しろ!」
諸刃は、鎌を今までとは変わって水平に構えた。
突き主体の攻撃から斬撃に切り替えるつもりだ。
怒声と共に気合で血の流れも幾分おさまったように思える。
なんと凄まじい胆力か。
あれだけの深手を負ってなお、戦いの意思を失わない。人間があれだけの傷を受ければ、とっくに死んでいる。たとえ息があっても、戦うどころの話ではない。
これこそまさに手負いの獣。
手を出せば、やられるのはこちらかもしれない。
だが、戦うしかない。
全ての交渉は決裂に終わった。
あとは、互いの信ずる道に殉ずるのみ。
「いくぞ、諸刃。僕は最後まで戦うぞ! 互いに、行き着くところまで行くまでだ!」
言いながらすでに僕は走り出していた。
心臓が早鐘を打つ。
━━━━恐怖は、ある。
それは、すでに身を護る術を失ったからというわけではない。
このさきに訪れる未来に対して━━━━━━
「━━━━その全てを覚悟したような眼、七年前のあいつにそっくりだぜ。同じ翠の眼をしたあいつとな。葉真夜よ、親子ともども、あくまで俺の邪魔をするか。だが、今度は負けん。七年前の雪辱を今こそ晴らしてくれる!」
諸刃が鎌を繰り出す。
間合いに進入した僕の体を真っ二つにするべく、鎌とも槍ともつかぬその武器でなぎ払う。
その疾さはすでに神速の域だ。
スイングそのものは目にとまらない。
だから、見るのはそこじゃない。
体の、腰の、足の、腕の、全てのモーションからその軌道を読め。
長柄の武器の軌道は単純だ。
攻撃そのものが目で捉えられないとしても、捌くことは可能だ。
;エフェクト
「はああぁぁ!」
攻撃が振るわれる軌道上に鉄扇を思い切り振りぬいた。決して力負けしないように全ての力を込めて。
;SE ガチンみたいな
タイミングは完璧だ。
なんとか鎌の軌道をそらし、体を柄の内側に潜りこませる。
諸刃の間合いから、僕の間合いへと移り変わる。
長柄の武器、最大の弱点━━いや、デスサイズの最大の弱点である武器の内側、懐に入り込んだ。
ここで、決める━━━━━━
そのまま返す刀で諸刃に一撃食らわすことができれば━━━━━━
「危ない夕綺! 下よ!」
風花の悲鳴のような叫びが耳朶を打つ
その鬼気迫る声音に反応し、考えるより先に反射で下方に注意を向けた。
目の前には、諸刃の膝が視界の大半を占めていた。
「しまっ━━」
とっさに左腕で顔面を覆う。特に急所である顎は肘でがっちりと守る。
;SE バキ 画面揺らす
刹那、衝撃が頭蓋を突き抜けた。
視界が一瞬真っ暗になり、意識が持っていかれそうになる。━━━━堪えろ。
倒れそうになるのを何とか踏みとどまり、戦う目標から目を逸らさないように必死で顔を上げようとする。
だが、それもままならない。
;エフェクト血ぽたぽた数滴
口から血がだらだらと流れ落ちる。
歯も数本折れた。血と共に吐き出す。
真っ白な床に、新たな染みが増える。
「夕綺! 下がって!!」
再び風花の声。まるで泣きそうな必死の懇願は僕に考える余地を与えない。
風花を信じて不恰好に後ろへ飛ぶ。
━━視界が眩む。
━━━━━━歪む。
━━━━━━━━傾く。
それでも体に鞭を打って無理やり動かした。
後方へ倒れこむ。
甘かった。奴は当然、自分の得物の長短を把握している。こうなるのは当然の帰結かだったのか。
風花がとっさに声を出したのも、同じ理由からだ。
大鎌の弱点を知り尽くした上で、その対応を確立させているのだ。
━━ああ、回る、世界が回る━━━━━━━━━━
まるで酩酊しているかのように視界がグルリグルリと回転する。吐き気がする。
その歪んだ視野の先に、風花が諸刃に斬りかかったのがかろうじて確認できた。
「ちぃっ! あと一歩であいつを殺れたというのに!」
「夕綺は殺させはしないわ! 絶対に私が守ってみせる」
風花と諸刃は互いの鎌を打ち合い、火花を散らす。
あたりには金属のぶつかり合う轟音だけが響き渡る。
いつまでも風花一人にに戦わせるわけには━━、
背中に守られっぱなしというわけにはいかない。
右手で上体を起こし、すばやく自身の状態を確認する。
意識は、
━━大丈夫だ、むしろ痛みではっきりしている。
視界は、
━━良くはない。脳を揺らされ、眩暈がとまらない。
体のダメージ、
━━腕は完全に折れている。だらりと左腕はぶら下っている状態だ。
足にもキている。歩けるかどうかすら怪しいものだ。
「くそっ━━━━、ぐ……」
激痛にさいなまれながらも、歯を食いしばり体を起こしていく。
しかし、立ち上がったところで僕に何ができるというのか?
これでは、とても戦える状態ではない。
足手まといになるのがオチだ。
諸刃のカウンターで左腕は完全に折られ、それでもなお衝撃が僕の頭を貫いた。
防御しなければ、━━風花の声が無ければ僕の頭は出来の悪い粘土細工のようになっていたであろう。
この程度ですんで良かったというべきかもしれない。
けれど、立っているので精一杯だ。
いや、そんなことを言ってる場合じゃない。
それでも、戦うしか道はない。
事ここに及んで泣き言など言ってはいられない。
ならば、どうする━━━━?
「く、ああぁぁぁぁあぁ!」
風花の苦悶の叫びが僕の鼓膜を震わす。
ついに、諸刃の攻撃を受けた風花が血を流す。
仕返しとばかりに、肩口からバサリと袈裟に斬られたのだ。
むき出しの、少女の細い肩から血が流れる様はあまりに痛々しい。
「ふ、━━風花! 大丈夫か!?」
「く、……大丈夫よ、夕綺。心配しないで。こんなのかすり傷よ」
風花は傷を押さえながら堪える。
見る見るうちに傷がふさがり、血が止まる。
これが風花の鎌鼬としての力だ。
切られた傷を治療する、三番手の鎌鼬。
傷はふさがった。けれど風花の顔色は良くない。
むしろ、さらに疲弊したようにさえ感じられる。
「待っていて、夕綺。今、あなたも治してあげる……」
風花は肩で息をしている。
「風花、本当に大丈夫なのか?」
僕も人の心配をしている状態ではないのだか、ここはあえて棚上げする。
だが、それに答えたのは諸刃だった。
「ふ、大丈夫なものか。風花は、俺との打ち合いですでに全力を費やしている。回復にまで手を回すのはそうとうな負担だ。たとえ傷そのものを治癒させたところで、体力、妖力は回復せん」
諸刃の答えに風花は否定をしなかった。
沈黙をもって肯定する。
「それでも、まだいくらかは余力があるわ。甘く見ないことね……」
風花は強がりとも取れる台詞を吐き、諸刃を睨む。
諸刃は全く意に介さない。
「やれるものならやってみるがいい。だが、今の戦いで見切ったわ。風花、お前に俺を倒しきるだけの決め手は無い。退魔の人間である葉真夜が倒れた以上、この勝負、俺の勝ちだ!」
諸刃の宣言。
だが、そうはいくか━━━━。
僕の指一本でも動くうちはあきらめないぞ。
まだ、手はある。
最後の手段が━━━━━━━━━━━━。
「夕綺、今行くわ!」
風花が僕に向かって駆ける。
だが、諸刃がその行く手をさえぎる。
「そうはさせねえ。さすがにそれは面倒なことになるからな。このままお前さえ倒しきれば、あとはその壊れかけの人間などどうにでもなる。これで勝負は決した!」
再び風花と諸刃が交わる。
鍔迫り合いから斬撃を繰り出し、火花が散る。
金属のぶつかり合う轟音は耳を聾するほどに激しい。その一打一打が、車の衝突めいている。
それはまさに化け物同士の戦いだ。
その速さは目で追うのもやっと。
その破壊力も、音から十分に想像がつく。
尋常ではないそれらを何合も打ち合い続ける。
━━━━戦いはそのまま推移する。
だが、初めは互角に見えた風花も、次第に押され始めた。
見れば、風花の大鎌は刃がほとんど欠け落ちている。
あと数合もすれば鎌ごと打ち破られそうな勢いだ。
だめだ、━━━━このままでは。
このままいけば風花は斬り伏せられ、その後に僕は殺させる。
━━━━ジリ貧だ。
なら、今のうちに、出来ることを出し切ってしまうしかない━━━━━━。
「くうっ!」
風花が被弾し、顔をゆがめる。
まだ傷は浅い。
だが、その地力の差が如実に現れだす。
こうなれば、勢いは堰を切ったように一方に流れ出る。
一度流れを奪われれば、後はその濁流に飲まれるのみ。
戦いの主導権は完全に諸刃のものだ。いまや風花は防戦一方。
押し切られるのは時間の問題だ。
やるなら、━━━━━━今しかない。
震える足を押さえながら、生まれたての小鹿のように立ち上がる。
風花の小さな悲鳴が耳に届く。
風花の緑の服が紅く染まってゆくのが視える。
急げ、でなければ風花が死ぬ。
そして僕も死ぬ。
それでは犬死だ。
一つ、大きく息を吸う。
━━━━覚悟など、とうに決めている━━━━
ここが、命を張る時なのだ。
怖くないわけじゃない。
けれど、怯えはしない。
一発分でいい。
一撃放つ分だけ力をひり出せればそれでいい。
そのぐらいならば、僕の体も持つかもしれない。
いや、後のことなど考えるな。
━━━━さあ、
━━━━━━━━いけ━━━━━━━━━━!
僕は厳かに、そして毅然と詠唱を口にする。
━━━━人は魔を、魔は人を━━━━
「━━━━! 人間め、まだ小細工しようってのか。させるかよ!」
諸刃が僕に意識を向ける。
殺意を向け、襲いくる。
だが━━、
「させないわ。私は夕綺を守ってみせるといった。絶対にいかせない!」
風花が諸刃の前に立ちはだかる。
僕を背中に庇って。
「ならば、すぐに決着をつけるまでよ! 死ね、風花!!」
「私は、夕綺を守りきってみせる。死ぬまで守り抜くわ━━━━━━!」
二人がぶつかり合う。
もう、風花は限界だ。
急げ、急げ━━━━!
━━━━互いの真理を、理を織るべし━━━━
一言告げるうちにも、風花の苦悶に満ちた声が聞こえる。
━━━━人の世にありて━━━━
━━━━人にあらざるものよ━━━━
もう少しだけまってくれ。
そうすれば━━━━
━━━━魔において、魔であらざる者よ━━━━
━━━━人にあらざる全ての者よ━━━━
━━━━我が声を聞け━━━━
これ以上、風花に苦痛は味あわせない。
━━━━この血、この身は魔を討つ白羽の矢━━━━
━━━━我が言にて、その魂を解き放て━━━━
━━━━鏃 箆 一文字 杉成 麦粒 射付節 箆中節 袖摺節 羽中節 矢羽 甲矢 乙矢 走羽 頬摺羽 外掛羽 二枚羽 三枚羽 矢筈━━━━
━━━━箭つがえ━━━━━━━━
「く、きゃあああぁぁぁぁ!」
ついに風花が屈する時が来た。
諸刃の豪力の前に、小柄な体躯が無残に吹き飛ばされる。
鮮血が飛散し、そのままもんどりうって僕の足元まで転がり続けた。
すまない、ありがとう、風花。
━━━━━━━━━━どうにか、間に合った。
「ゆ、夕綺……」
風花が心配そうに僕を見上げる。
大丈夫、僕は大丈夫だ。
━━━━葉真夜が命ずる━━━━
━━━━━封玉 開放━━━━━━━
鉄扇の宝玉が音も無く外れる。
これが、葉真夜の最後の手段だ!
魂を際限なく使用する、究極の人外狩りの秘儀。
これが、━━━━魔を討つ破魔矢だ。
宝玉をしまい、諸刃に向き直る。
━━━━━━くっ……!
そうしているうちにも、
━━━━体中の何かが
右手に握った鉄扇に
根こそぎ 持って いかれ るような
━━━━消失感━━━━━━
なんという大飯喰らいだ。
これでは、一撃持つかどうか━━━━。
だが、それで十分。どのみち、僕の体も長く戦えるような状態ではない。
決着の時というのは、一瞬でつくものだ。
「いくぞ、これが魔を討つ葉真夜の力だ」
自らを奮い立たせ、諸刃に向かっていく。
視界は相変わらず揺らいだままだ。
足取りもおぼつかない。
それでもこの眼には目標がはっきりと視えている。
この翠眼に人外を捉えているのなら、周りの視界がいくら歪もうとも問題は無い。
ただ、そこに向かえば良いだけの話だ。
よろける足取り、だが、思ったよりは動ける。
ふらつきながらも、諸刃へと距離をつめることができる。
だが、そんな僕に、諸刃は初めて恐れを見せた。
放たれる殺意が揺らぎ、初めて戦う意思に戸惑いが垣間見えたのだ。
「━━━━まさか、ここまでやるとはな。この押し寄せる圧迫感……! 同じだ、七年前のあの時と。くそっ……、だが、俺は負けん。今度こそ負けん。いかに、退魔の人間であろうとも、たかだか20年も生きていない小僧にやられるものかよ!」
諸刃が僕を見据え、迎え撃つ。
諸刃の攻撃は━━━━突きだ━━━━━━!
自身の最も得意とする攻撃に全てをかけたのだろう。音速の突きは、今度こそ僕の心臓めがけて真っ直ぐに飛んでくる。
だが━━━━━━━━
━━━━視える。
このボロボロの体でも、鉄扇の力を開放した僕にははっきりと視える。
あと二つだけ、体がいうことを利いてくれればいい。
;エフェクト
迫る、諸刃の槍鎌、その穂先。
その先端が僕の胸に触れるか否か、その刹那━━
「うおおおぉぉぉぉ!」
腰をひねり半回転、体を半身にしてギリギリのところで刺突をかわす。
「く、くそ━━━━。貴様━━━━━━!」
諸刃の口惜しげな貌。
あと一つ、動いてくれ━━━━
届け、鉄扇よ━━━━━━
諸刃の心臓めがけて腕を伸ばす。
「貫け━━━━━━━━!」
;エフェクト
「う、うおおおぉぉぉぉぉおおおおおお」
諸刃の絶叫。
鉄扇は、届いた。
僕の鉄扇は確かに諸刃の心臓まで届いたのだ。
だが、
だがしかし━━━━
それでも、なお━━━━━━
「━━━━━━━━━━くくく……、どうやら年季の差がでたようだな。あと一歩、あとほんの半歩が届かなかったな、小僧!」
諸刃に蹴り飛ばされ、遥か後方に転がる。
僕の一撃は諸刃の心臓を貫くには至らなかった。
あとほんの数センチ手前で、あと少しのところで僕の手は止まってしまった。
━━━━もう、動けない。
僕は完全に崩れ落ち、床に伏した。
そして襲い来る喪失感。
体の中のあらゆるものが欠け落ちて失われていく。
ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じる。
意識も、記憶も、精神そのものが失われていく。
━━恐ろしい━━━━━━
本当の恐怖とはこのことだろうか。
精神が失われ、自我を保つこともできなくなりそうだ。
力を開放した鉄扇は際限なく術者の魂を喰らい尽くす。
これが、その結果か。
だめだ、このままでは体よりも先に、心が死ぬ。
僕は、精神の死に恐れを抱いた。
震える手で、鉄扇の宝玉を元に戻す。
その瞬間、崩壊は止まった。
だが、欠けたものは戻らない。
過去の記憶はところどころが欠損した。
意識や信条といった、自分の根幹たるものさえ、どこかおぼろげだ。
だが、なんとか自分の戦う理由だけは覚えている。
それだけは失わずにいられたようだ。
しかし、それだけだ。
もう、戦う力は無い。
今ので全て出し切った。
━━ああ、全てをつぎ込んでも、届かなかった。
僕は、負けたのか━━━━━━。
掠れた意識で漠然とそう思った。
最後の瞬間、きっと僕は躊躇ったのだ。
肉体の死ではなく、魂の死を。
その覚悟の緩みが、全ての力を出し切ることを拒んだのだ。
諸刃と相打ちになったのでは、残された新城さんたちを護れない。
この組織に囚われ、安全など保障はされない。
それではだめだ。
だから、とりあえずはこうするしかない。
けれど、その先は無い。
もう、本当に手は無い。
せめて、あと一つでも武器があれば━━━━━━
いや、無いものねだりはやめよう。
そんなことは、なんの有益にもならない。
現状で、なにか一つでもできることはないか?
指一本でも動くうちは戦いをやめないといったのは僕だ。
僕は最後まで足掻いてみせよう。
━━体は━━━━まだ動く━━━━━━!
蹴り飛ばされたといっても、先ほどの威力はない。
肋骨は折れたかもしれないが、死にはしない。
息は苦しいが、我慢すればいい。
握力もある。
鉄扇は握れる。
なんだ、━━━━まだやれそうじゃないか。
僕は幽鬼のごとくゆらりと立ち上がる。
そのまなざしも足取りも、すでに死人のそれとさして変わらない。
潔い死に様なんてくそくらえだ。
僕は土壇場でも見苦しく暴れてやる。
端座して首を斬られるなんてまっぴらだ。
「夕綺、もういいの。これ以上無理をしなくてもいい! あとは、私が、やるわ━━━━」
風花もヨロヨロと立ち上がる。
しかし、もうそんな力が残っていないのは明白だ。
それなら、二人で前のめりに倒れるのも悪くない。
「なら、二人で最後まで戦おう……。それなら、いいだろう?」
「━━━━━━━━そうね、それもいいかもね」
二人ともおぼつかない足運びで諸刃ににじり寄る。
「━━━━あきらめの悪いやつめ。そんなことをしても、結果はなにも変わらん。今度こそ最後だ。いま止めをさしてやる!」
諸刃が胸から血を流しながら叫ぶ。
奴も決して楽じゃない。
あとほんの一押しで倒れるのはなにもこちらに限った話ではない。
苦しい時は、相手も苦しいはずなんだ。
あと、ほんの少しの力があれば━━━━━━
「死ね、二代に渡って俺を追い詰めた葉真夜よ。お前に子孫はいまい。これで終わりだ!」
けれど、僕は、もう、立っているのが、精一杯だ。
最後の抵抗は、心が屈しなかったというケチ臭い誇りだけ。
諸刃は標的に僕を定めた。
振りかぶる鎌は、まさに死神のようだった。
黒衣の鎌鼬はまるで、死者の使いめいている。
これまでか━━━━━━━━━━━━
;SE 扉っぽいの
その時、入り口の扉が開き何者かが現れた。
諸刃も思わずそちらに視線を向ける。
「夕 綺ーーーーーーーー!!!」
そこにいたのは、思いもよらぬ人物だった。
━━━━まさか!? そう思う。
なぜここに!?
だが、そんなことはどうでもいい。
それよりも、今はここに駆けつけてくれた友人の名を呼ぼう。
「━━━━海斗!!」
いったい何があったのか、海斗は血だらけだ。
頭から血を流し顔は血みどろ、手足にも怪我を負っているのか服が真っ赤に染まっている。
「海斗、大丈夫なのか!? どうしてここに━━」
「詳しい話は後だ。それよりも新城を連れ出してきた。急いでここを出るぞ。生きてここを出られれば、組織の奴らを弾劾できる。証拠は腐るほど手に入れた」
そして、海斗の隣を見やる。
「新城さん━━━━、無事だったのか。良かった」
僕自身の身も危ないというのに、安堵が先に出る。
「私は大丈夫よ。倉形くんが助けてくれたわ。それより葉真夜くんこそ、ひどい怪我……」
新城さんが泣きそうな顔で僕を見る。
正視できないのか、やや視線をそらして。
そうか、はたから見るとよほどひどいのかもしれない。
「ち、変な邪魔が入ったな。だが関係ねえ。あんなガキどもが現れたところでなにができる? のこのこ出てきたことで、この場で死ぬだけよ。この組織がどうとか俺にはどうでもいい。どのみち、おまえらがここで死ぬのは変わらん!」
諸刃は海斗たちを一瞥し、鼻で笑った。
「諸刃、海斗や新城さんには手を出すな……! 今は、僕たちだけの勝負のはずだ━━━━。二人に手を出したら、絶対に許さない━━━━!」
息を切らしながらも、僕は諸刃に決然と告げた。
「今のお前にそんな力はあるまい。もし許さないなら、どのようにして俺に罰をあたえられるというのだ? そんな言葉に意味は無いな。俺は、全ての人間を殺す。そこに一片の迷いも無い。お前を殺した後は、目にとまる人間全てを殺すまでよ!」
「そうは、……いくか━━━━」
歯を食いしばり諸刃と対峙する。
「葉真夜くん、いったい誰と話しているの……?」
新城さんが不思議そうな顔をしている。当然だろう。人外は普通の人間には視えない。あくまで僕が特別製の眼を持っているだけなのだから。
「新城、俺たちには視えないが、ここには化け物がいる。それは間違いない。バカみたいな話だが、本当なんだ。俺は全てを知ってしまった。だから俺は真っ先に夕綺の所へ向かった。そして、ギリギリだが、どうやら間に合ったみたいだ」
海斗が僕を見てニヤリと笑う。
悪巧みを思いついたような、いつもの海斗の顔だ。
「夕綺、こいつを、こいつを使え━━━━!」
海斗が何かを投げてよこす。
とっさのことに驚きつつ、しっかりとそれを受け止めた。
僕の手の内にあるもの、それはもう一つの鉄扇、一対の鉄扇の片割れ━━━━。
「こ、これは━━━━━━!?」
「そいつは、お前のものだろう夕綺。いや、厳密にはお前の親父さんのものか。俺は、それを昔に見たことがある。こいつは、特別な物なんだろう? 研究フロアの一角に、厳重に保管されていたからな」
━━━━━━ああ、そうだ。ありがとう、海斗。
まさか、失われたと思っていた父の形見の鉄扇が再び僕の元に戻ってくるなんて━━━━
━━━━━━僥倖。
━━━━━━なんと言う僥倖。
とても言葉になんてできないほどの奇跡。
いままで神などあてにしてはいなかったが、今、生まれて初めて神に感謝したくなった。
これが、
これさえあれば━━━━━━
━━━━━━諸刃に
━━━━━━━━━━勝てる━━━━━━!
━━━━鉄扇を両手に握る。
この鉄扇は二つで一つ。
比翼連理がごとく、二つが共に在るべきもの。
片割れの一つで戦っていた今までは、おそらく本来の力の三分の一も出ていなかっただろう。
トンファーも、片方だけでは効果は半減以下だ。
もう二度と戻らないと思っていた。
それが、七年の月日の後に、再び葉真夜の元に戻ったのだ。
左右それぞれに握った鉄扇から、どこか温かさが伝わってくるようだ。
朽ちる寸前だった僕の体に、ほんの少しだけ力がよみがえってくる。
それは身体だけでなく、心にも━━━━。
「ばかな━━━━!? 死にかけだった葉真夜からさらなる力を感じる━━! こんな、こんなことが!?」
諸刃は驚愕の表情を浮かべる。
まるで、この世のものではないモノを視てしまった人間のように。
ああ、そうか。
妖である諸刃からすれば、僕のような存在こそ、“この世のものではない”のかもしれない。
「夕綺……、すごいわ。今のあなたは、さっきまでと比べ物にならないほどの威圧感……。人に在らざる者なら、その力に必ず恐怖を覚えるわ。ああ、これならば━━━━━━」
風花の感嘆とも驚きともつかぬ声。
「━━諸刃、やはりお前はこの鉄扇の錆となれ。この戦いも今終わる。最後の時だ、在るべきところへ帰れ!」
最後の力を振り絞り、二挺の鉄扇を掲げる。
唸り声とも咆哮とも言える声を上げながら突貫する。
「く、くそおおおぉぉぉおぉぉぉぉぉおおおお!」
諸刃の叫び。
それでも諸刃は最後の抵抗をする。
自身の鎌を身体の前に掲げる。
もはや、それは防御の構えにすぎない。
そして、それならば恐れるものは無し!
諸刃の攻撃は恐るべきものだった。鎌鼬最強を誇るその鎌の一撃は脅威だ。
だが、
諸刃の防御には、なにも恐れるものなど無い。
最後の最後に諸刃は怯んだ。
せめて攻撃に徹すれば可能性もあったというのに。
━━━━鉄扇を開く。
頭上に掲げた腕を交差させ、二挺の鉄扇を構える。
「これで━━━━終わりだあぁぁぁ!」
怒号と共に鉄扇を振り下ろし、二つの軌跡が交差する。
;エフェクト
気合と共に一閃した。
そこには確かな手ごたえ。
━━━━わずかな静寂。
;エフェクト 血
そして、
「━━━━━━━━━━へっ、ざまあ、ねえや」
諸刃は胸に十字の傷を刻み、血を噴出してついに倒れた。
━━━━ギリギリだった。
ここまでの戦いは本当に真に限界だった。何か一つでも欠けていたら僕はとうにここにはいなかったろう。
やるべきことはまだたくさん残っているが、それでも、やっと一つの戦いに区切りがついたのだ。
倒れた諸刃の身体から流れる血は止まらない。
そのおびただしいまでの血の量は、いままで諸刃が喰らってきた人間たちの血なのではないだろうかと、ふとそう思った。
諸刃は、そのまま動かない。
「風花……、これで、良かったのだろうか━━?」
僕は風花を見つめ、そう言った。
風花は諸刃の前で立ち尽くしていた。
その瞳に浮かぶ色は憐憫と、悲哀。
すれ違いのすえ、結局交わることの無かった兄妹の思い。
「ええ、これでいいのよ。━━━━これで。そう、これは、私の、私たちのケジメだから━━━━━━」
風花は悲しみに満ちた目をして、そのまま、立ち尽くしていた。
続きます。




