続き
続きです。
鐘が鳴り、本日の授業は全て終了した。
国語教師は、教室の去り際にこちらを一瞥したように感じたが、そんなことを気にする必要は無い。
器の小さい教師の機嫌など、たいした問題ではない。
これからの立ち向かう問題に比べれば━━━━━━。
担任が教室の扉を開いた。
帰りのHRが始まる。
先生は、昨日とほぼ同じ注意事項を口にして、早々にHRを終了させた。
これからまた、職員会議があるらしい。
くれぐれも、早く下校するようにと念を押し、先生は教室を出て行った。
「……さて、やっと終わったか」
僕はため息混じりに小さく呟く。
カバンをつかみ、ゆっくりと立ち上がる。
立ったまま、なんとなしに教室内を見回す。
周りの生徒たちは三々五々に教室を去っていく。
見る見るうちに生徒はいなくなり、もう、残っている生徒は少ない。
「夕綺。帰ろうぜ」
海斗が声をかけてくる。
いつもなら、このまま一緒に帰る流れではあるが、今日はそうは行かない。
「今日は保健委員の仕事が少しあってね。待っててもらうには申し訳ない。先に帰ってもらってかまわないよ」
気取られないように、自然を心がけて言う。
張り詰めた空気を出すと、海斗には感づかれる。
今度こそ、余計なことに巻き込まないようにするためにも、ここは僕一人でなければならない。
「そうか。まったく真面目なもんだ。こんな時なら、そんなことしなくてもよさそうなもんだがな」
「そう、おおげさにすることでもないさ。作業があっても一時間程度さ。日の明るいうちに帰れるんだ。たいしたことじゃない」
嘘も方便。おそらく、明るいうちには帰れまい。
いや、そもそも帰ってこれるかどうか━━━━。
「まあ、そうか。じゃあ、先に帰らしてもらうわ。ただ待っててもしょうがないしな。それに、早く帰れってうるさいしな。……そしたら、夕綺、気をつけろよ……」
海斗はそう言い残して教室を後にした。
最後の、気をつけろ、はどこか含みのあるような感じがしたが、気のせいだろうか?
海斗の背中を見送ってから、僕も教室を出た。
いよいよだ。
いろいろあったが、ついにこの時がきた。
霧島先生がどこまで信用の置けるものかはわからない。だが、共闘する以上、最低限のコミュニケーションは必要だ。
そのためにも、ここははっきりさせておかなければならないことがある。
そう心を決めて、保健室へ向かう。
放課後の廊下は人通りも少なく、閑散としていた。
いつもならば、部活動で残っている生徒も多いが、今日に限っていえば、それは当てはまらない。
事件の影響で部活動も中止となり、下校を強要されているのだから、それも仕方ないことだ。
無人に等しい廊下を、ただ一人闊歩する。
無音の校内は、言いようの無い違和感を覚えさせた。
人のざわめきも、喧騒もない。
人がいる場所に、人がいないというのは、それだけで不安を煽るというものだ。
まあ、いい。
この場においては、その方が都合がいい。
これから霧島先生に会うのだ。余計な心配をなくするためにも、その方が望ましい。
それに、皆、下校してくれた方が、幾分かは安全度も増す。
鎌鼬━━━━、奴は人間を襲う気なのだ。
早く帰って、うかつに出歩かずにいてくれたほうがいいに決まっている。
そんなものは、気休めなのかもしれないが。
いや、そうさせないために僕は戦うのだ。
霧島先生の本意に関してはわからないが━━━━。
;第7章
「失礼します」
一応儀礼としてノックをしてから保健室の扉を開いた。
だが、返事など待たなかった。
一刻も早く、事情を知りたかった。
逸る気を抑えながら保健室の中に踏み入る。
「ふふ、せっかちね。そう、あわてて入ってくるものではないわよ。葉真夜クン。保健室では静かに」
室内に入ると、霧島先生が婉然とした佇まいで椅子に腰掛けていた。
その表情は窓から差し込む日の光で逆行になり、より妖しい雰囲気をかもしだしている。
その姿だけならば、ただの綺麗な養護教諭で通るだろう。
だが、この女は違う。
とんだ似非教師。
人殺しにも等しい存在。
今も、僕を見る目はギラギラとした圧力に満ちている。
だが、それに怯んでいるわけにもいかない。
「先生。まず一つ聞かせていただきたい」
僕は彼女の目を見据えて静かに口を開いた。
感情的になるのはうまくない。
「あらあら、あいさつもなしにいきなりね」
抑揚の無い声で霧島先生は答える。
そんなことには微塵もかまわず、僕は続けた。
「今朝、うちのクラスの新城さんが欠席するという旨の電話を先生が受けたというお話ですが、そのことについて確認させていただきたいのですが」
低い声で、ゆっくりと問いかける。
視線はそらさない。
「へえ、よく知っているわね。誰に聞いたのかしら? まあ、葉真夜クンの担任しかないわね。まったく、もう少し演技もして欲しいものね。蓮見クンのことに関しても、圧力を掛けるだけじゃなく、金も握らせてやったってのに、生徒に問い詰められて返答に窮するなんて……、ほんと使えない男ね。まかり間違って、秘密を漏らすようなことがあれば……しかないわね」
彼女は独り言を呟くように語る。
それと、最後の言葉は良く聞こえなかった。
「先生、答えてもらえませんか?」
わざとらしく、丁寧いに問うてみる。
「━━━━葉真夜クン。前にも言ったと思うけど、あまり調子に乗るのは良くないわよ」
霧島先生は声のトーンを落として僕を睥睨する。
「そんなことはありませんよ。きちんと、目上の人に対する礼節をわきまえていると思いますが。それとも、なにか御無礼をしましたでしょうか?」
臆することなく、相対する。
わずかな沈黙。
気温が下がるような感覚に包まれる。
さすがに、強気すぎたか……? そんなあせりが生まれる。
だが、それを表情に出すわけにはいかない。
━━耐える。
「ふうん。いい度胸ね……。まあ、いいわ。言葉遣いだけなら、建前上丁重なようだし、とりあえず不問にするわ」
高慢な態度は変わらず。
いや、より強くなった。
「さっきの質問についてだけれど、はっきりいいましょうか。━━━━新城さんは、わたしたちで預かっているわ」
「━━━━!!」
およそ見当がついていたとはいえ、いざ聞けば、やはり驚きを隠せない。
どこかで、違うと思いたかったのだろう。
そして、驚きの後は怒りがこみ上げる。
「そんな殺意のこもった目で睨まないでちょうだい。━━━━殺したくなっちゃうから」
霧島先生は、もはや隠すことなく感情を晒す。
いま、この場において僕たちはすでに生徒と先生ではない。
ただ、共に戦う協力者、パートナーに過ぎない。
関係は非対称性のものであるが。
従えるのもと、従うもの。
主導権は、あちらにある。
悔しいが、目を逸らす。
そうしてから、もう一度改めて問いかける。
「先生は先日、手荒な真似はしないとおっしゃいませんでしたか?」
すでにこの女を教師などとは思っていない。
ただ、便宜上、先生と呼称する。
「言葉通りよ。我々は手荒なことは一切していないわ。新城さんは、あくまでも“自分の意思”でわたしたちのところへ訪れたの。だから、今はわたしの勤める“会社”で丁重におもてなしをしているわ」
いけしゃあしゃあと言う。
「“会社”、ですか。結社の間違いではないですか」
少し皮肉を込めて言う。
「ふふ、世を忍ぶ仮の姿というものがあるわ。たとえ実態が秘密結社だとしても、表の顔はまた別よ。ここまできたら、隠すものでもないし、教えてあげるわ。キミはもう我々の関係者なのだから━━━━━━━━」
僕は黙って霧島先生の言うことを聞くことにした。
「エステサロンKRA、男の子のあなたでも聞いたことくらいあるでしょう? あなたのお友達の倉形クン、彼のお父さんの会社よ。それこそが、我々の所属する組織」
「━━━━━━━━なっ!?」
知らず声がでる。
衝撃が足先から脳天まで貫く。
エステサロンKRAといえば、テレビCMはもとより、どんな雑誌にも広告が掲載されている業界トップのエステサロンだ。
知らないわけが無い。
そして、それが海斗と関係があることに驚く。
海斗の父が、エステ会社の社長であることは知っていたが、それ以上は知らなかった。
「といっても、倉形クンは何も知らないわ。いえ、関係してないといった方が良いかしら。彼は、もしかしたら“家業”のことは薄々感じているかもしれないけど、そのことに後ろめたく思っているのかもしれないわね。ふふふ……」
霧島先生は不快な微笑をもらす。
「彼は我々の組織の裏の顔をまだ知らない。けれどおおよその想像はついているはず。だから自分の両親との折り合いが良くない。倉形クン自身は正義感の強い熱血漢だもの。多少すねてはいるけれど、曲がったことの嫌いな人間。そんな彼に、両親は“家業”を継がせられないと考えている。組織の真の姿を彼が知った場合、告発してくるかもしれないから。だから、わたしは葉真夜クンの調査の他に、倉形クンの行動を監視する役目もおっていたの。組織の秘密を万が一にも漏らすわけにはいかないから。妙な発言、行動があれば、最終手段も辞さない。その許可も得ているわ。彼のお父さんからね」
「ばかな、そんな!?」
海斗が両親と不仲なのはあるていど想像がついたが、それにしてもまさかこんな事情があるとは。
海斗は、知っていたのか?
自らの父の作り上げた会社/組織の実態を。
人外を打ち滅ぼす組織だと霧島先生はいった。
そして、そのための研究や、組織の秘匿のためには非人道的な行為も行ってきている。
おそらく、海斗なら、そのことを許せるはずが無い。
正しく立派に育った海斗を、この両親は疎ましく思っているのだろう。
この話が本当ならば、それは想像に難しくない。
「全部本当のことよ」
霧島先生は短く答えた。
確かに驚きの事実だ。
だが、海斗が組織にかかわらないようにしているのなら、それは問題のないことだ。
それよりも今は新城さんのことだ。
「少し、話が逸れたようですが、新城さんは今どうしているんですか?」
強い意志を持って、再び問う。
「新城さんに関してはさっき言ったとおりよ。我々で預かり、丁重におもてなしをしているわ。今頃は、本部の客室でゆっくりとくつろいでいるんじゃないかしら」
「本気で言っているんですか?」
「もちろんよ。言ったとおり手荒なまねはしていないし、身体を拘束するようなこともしていないわ。新城さんには、あくまで来てもらうようにお願いしただけ。任意での同行を求めただけよ。そして、いまはまだ、客人としてあつかっている。わたしが葉真夜クンに言ったことに嘘はないわ」
この、二枚舌が━━━━。
「……詭弁ですね。仮にその言葉が本当だとしても、実質的には軟禁ではないですか?」
「約束を守って、監禁しなかったことを感謝してもらいたいものね。やろうと思えば、拘束も、幽閉も、身体の自由を奪うことも、命を奪うことも、全てが可能なのよ」
霧島先生は、ただ淡々と告げた。
それが、紛う方のない事実であると言うように。
その言葉の全てには、一切の迷いも躊躇いも無かった。
「━━━━━━━━くっ……!」
怒りと悔しさに唇をかみ締める。
もう、反駁する余地は無い。
僕のこの口からは、くぐもった呻きしか出てこない。
「といっても、さすがに家族のいる人間の存在を消すのは骨が折れるわ。独り者の人間ならばどうとでもなるけど、家族のいる者や、知り合いの多い者の場合は苦労するのよ。蓮見クンの処理も難儀したわ。同様に、新城さんに手を出すのも大変なわけ。まあ、彼女の場合は一人暮らしだから、その気になれば事故に見せかけるも、行方不明として見せるも、やりようはあるんだけれど、未成年の場合は親がすぐに騒ぐから手間が増えるのよね。できるなら、私も面倒は避けたいの」
霧島先生は嘆息しながら、かったるそうに話す。
この人は、他人の命をなんとも思っていない。
目的の為には、手段は一切問わないのだ。
「だから、葉真夜クンがおかしなことをしなければ、新城さんの安全は保障するわ。それは本当」
「信用して、いいんですね?」
「くどいわ。私も面倒事は嫌いなの。キミが私の言うことをきいている間は手を出さないわ」
「━━━━━━━━━━わかりました」
苦々しい思いを噛み締めながら僕はうなずいた。
霧島先生の勝ち誇ったような貌が腹立たしい。
言葉を発することもできず、その場で立ち尽くす。
放課後の保健室にわずかな沈黙が訪れる。
校内にはすでに人気はない。
居残りは禁止。
部活動をする生徒もいない。
掃除当番の生徒たちも、もう帰ったころだろう。
会話が途切れると、いやおうなしに静寂に包まれる。
沈黙を破るように口を開いたのは霧島先生だった。
「さあ、葉真夜クンも納得してくれたようだし、そろそろ本題に入りましょうか。これからの予定と計画を説明するわ」
逆行に照らされ、口に手を当てながらそう話した彼女はひどく妖艶だった。
そういえば、話す時に口に手を当てるのが彼女の癖なのかもしれない。
その所作は蠱惑的で、普通の男ならその妖しい魅力にゴクリとするだろうが、僕にとってはゾクリとするだけだ。
なんというか、絡新婦(女郎蜘蛛)を連想させる。
霧島先生は立ち上がり、視線を僕の左側に向ける。
「かまいたちのお嬢さん。あなたも少しリラックスしたらどうかしら? そんなにピリピリと気を張ることもないでしょうに。葉真夜クンも、もうその眼帯を外しても大丈夫よ。打ち合わせをするのに、相方の姿が見えないのも不便でしょう? 誰も人など来ないわよ」
言われ、それもそうかと眼帯を外す。
━━━━翠眼を開く。
光が染み込み、一瞬目がくらむがすぐに慣れる。
隣を見れば、そこに風花はいた。
だが、風花の表情は厳しく、霧島先生を睨みつづけている。
「リラックス……なんてよく言えたものね。あなたが『調子に乗るな』と言った時、本気で夕綺に殺意を向けたわよね。もし私がいなかったら、あなたは引かなかったでしょう?」
「さあ、どうかしら?」
「私がいる間は、夕綺には手出しさせないわよ。それは覚えておくことね」
風花は目を細めて霧島先生を見据える。
「ふふ、かまいたちのお嬢さん。あなたにそれだけの力があるかしら?」
挑戦的な口調で霧島先生は言う。
「やってみればわかるでしょうね。人と化け物の力の差を教えてあげるわ」
風花も毅然と言い返す。
その言葉には揺らぎはない。
交差する視線。
二人の間に緊張が走る。
無音の空間に、僕の心臓の鼓動だけがうるさく鳴り響く。
「━━━━お嬢さん。準備運動がてら、少し試してみましょうか?」
「━━━━ええ。かまわないわ」
二人の息を吸う音がシンクロする。
まずい。
二人とも本気だ。
「風花、やめるんだ! 先生もです。この場で争っても無駄な体力を消耗するだけです。決戦の前に、味方同士で戦うなど、不利益なだけです。先生も昨日そういったでしょう」
手を伸ばし、隣にいた風花をまず諌める。
そして霧島先生に利害を問う。
「夕綺! なぜ止めるの? ここまでやられて黙ってはいられないわ。あなたはここまで舐められたままでいいの?」
風花は僕を見上げながらまくし立てる。
その目は、獰猛な獣のそれだ。
牙をむき威嚇する野生動物の様相。
「落ち着いてくれ、風花。僕なら大丈夫だから。それに、今争うのは双方にとってデメリットしかない。共に戦う以上、どちらかの戦力が落ちたら、それは僕たちの生存の可能性を下げることになる。それに、新城さんのこともある。あまり挑発すると、本当に危害が及ぶかもしれない。だから、ここは耐えてくれ━━━━風花」
しぼりだすように声を出し、風花に懇願する。
「━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━夕綺がそう言うのなら、そうするわ」
しばらくの沈黙の後、風花は眉根にしわを寄せ、しぶしぶといった表情で受け入れる。
「先生も、いいですか?」
向き直り、問う。
「私は別にかまわないわ。お嬢さんと戦おうが戦うまいが、どちらにせよ目的の達成には関係ないもの。本来なら、私一人で鎌鼬と戦うつもりでいたし。葉真夜クンが、思った以上に使えそうだから声を掛けてみただけのことよ。そして、仮にキミの戦闘力が及ばなくとも、十分私の役には立ってくれるでしょうし、ね」
「…………!」
風花は無言で霧島先生を睨み続ける。
その視線は殺意がこもっているのではないかというほどギラギラと光っている。
この物言いにはさすがに怒りを覚えるが、ここで僕まで感情的になっては話が進まない。
怒りを飲み込み、必死に耐え、抑える。
「……では、そろそろ計画を聞かせてください。あまり時間も無いでしょうし」
気持ちを切り替え、話題を変える。
本来の目的であった打ち合わせを霧島先生に促す。
風花も、険のある顔ののままだが、耳だけ向ける。
「ええ、そうね。だいぶ脱線してしまったわね。じゃあ、説明するわ」
霧島先生は何事もなかったかのように淡々と話し始めた。
いや、もとより、最初から冷淡とした口調は変わってはいない。
人を軽んじる、高慢な態度。
「まず、これからの予定だけれど、前に言ったとおり鎌鼬のところへ乗り込むわ。封印から解かれた鎌鼬が力を取り戻すには、まだあと数日は必要なはずよ。今攻め込めば、まだこちらが有利に戦えるわ。奴は、封印で縛り付けられてなまった体を回復させるために、身を隠してその時間を稼いでいた。でも、その場所はすでに突き止めたわ。あとは一刻も早く攻め込むだけよ」
「なるほど……。でも、それならもっと早く、朝からでもよかったのでは?」
僕は一つの疑問を投げかける。
「そうね、キミの言うとおりよ葉真夜クン。それが理想だったのだけれど、私の方にも準備があってね。午前いっぱいは動けそうになかったの。まあ、葉真夜クンも学校は休みたくなかったでしょう? ちょうど良かったじゃない」
準備か。理由としては妥当なところだ。
だが、戦いの準備だけでなく、僕にとって望ましくない準備もしている可能性は十分にある。
まあ、それを問うたところで答えるわけもないだろう。
とりあえず同意しておく。
「わかりました。まあ、不必要に学校を欠席するのは僕の望むところではありませんしね。それで、その鎌鼬の潜んでいる場所はどこなんですか?」
「今説明するわ。たぶん、地図で見たほうがわかりやすいでしょう。……ここよ」
霧島先生は用意していた地図を開いた。
マニキュアで真っ赤に塗られた爪が、特定された地点を指し示す。
「ここは……、そうか。たしかにここなら隠れるにはうってつけだ」
霧島先生の指差した地点は、幌札市の果て。
温泉街からさほど遠くない山中だった。
だが、それを見た僕はあるていど見当がついた。
「さすが、地元なだけあるわね。こんな場所を知っているなんて」
「幌札の歴史ですからね」
ここは、つい数年前に廃鉱となった裕羽鉱山。
産出される鉱物の中には、世界第一位のものもあったほどの鉱山だ。
だが、本来なら、幌札の歴史でわずかに習う程度の知識にすぎない。
今の幌札市民でも、この鉱山の存在を知っている人間はそう多くはないだろう。
かくいう僕も、閉山時に流れたニュースをたまたま覚えていたのため、多少知っていたというだけだ。
「知っているのなら話は早いわ。鎌鼬がその鉱山跡に潜んでいるということまでは突き止めた。中を探すのは多少骨が折れるかもしれないけれど、所詮は人の作った坑道。しらみつぶしに探せばすぐに見つかるわ」
「なるほど。でも、よくこんなところに潜んでいるなどとわかりましたね」
僕は気になっていた点を聞いてみた。
「ふふ。まあそれは企業秘密ね。でも葉真夜クンは同業者だから、大体わかるんじゃないかしら?」
うまくはぐらかされた。
僕でも、妖気を隠した妖怪の気配は探れない。
おそらく風花でもそうだろう。
ならば霧島先生は、それとは別の能力で探し出したということか。
人間としての組織力、科学力、そういったもので探し出したと考える方が自然だ。
霧島先生の組織が、鎌鼬をマークしていたのなら、それは可能なのかもしれない。
人を超える能力と、人としての力。
それらを併せ持つ彼女らは、ある意味最強だ。
「そうですね。でも、そんなことは今はどうでもいいことでしたね。それよりも、鉱山跡までの移動はどうしますか?」
僕は高校生であり、車の免許など持っていない。
原付も同様だ。
移動の手段はもっぱら自転車か徒歩に限られる。
「もちろん私は車で行くわ。葉真夜クンも、愛車の電動自転車ならなんとかなるんじゃない?」
「一人、自転車で行けと?」
そして、電動自転車を持っていることをなぜ知っているのか。まったくどうでもいいことまでよく調べている。
辟易だ。
「冗談よ。しょうがないから乗せていってあげるわ。それで、葉真夜クンの方は準備できてるの? 一度家に寄りたいというなら行ってもいいけど、問題ないようならこのまますぐにでも出発するわ」
「僕の方はすでに準備は済んでいます。そもそも、準備してこいと言ったのは先生ではないですか?」
「まあ、それもそうね。一応制服から着替えるくらい待ってあげてもいいかと思ったけど、その必要はないみたいね。いいわ、なら、行きましょうか」
霧島先生はそう言って立ち上がる。
「ええ、そうですね。あと、この制服は意外と動きやすいし、ポケットも多くて色々と便利なんですよ。心配には及びません」
僕も答えながら霧島先生に続く。
「車は職員駐車場に止めてあるわ。まあ立場上、生徒を乗せるのは問題があるけど、理由はなんとでもなるわ。葉真夜クンは堂々としてなさい」
「わかりました」
「かまいたちのお嬢さん。あなたも同乗を許可するわ。あなたの場合は、車になど乗らずとも平気でついてこれるでしょうけど、共に戦う“仲間”ですもの。気を使ってあげるわ」
「……私は夕綺を護るためにそばにいなければならないわ。あなたがどう言おうとそれは関係の無いこと。感謝なんてしないわよ」
いままで黙っていた風花が憮然と口を開く。
しかし、霧島先生は先ほどのような挑発めいた受け答えはしなかった。
「ええ。それで結構よ。同盟関係なんてそんなもの。利害関係でつながっているもの同士なんて、そのていどの間柄で十分。ただ、あなたを怒らせると、葉真夜クンがへそを曲げてしまうから、ある程度は譲歩してあげるわ」
当然のことを、遺憾であるかのように言う。
「……フンッ」
風花は短く息を吐き、もうなにも答えなかった。
話すのも不快なのだろう。
目も合わさず、嫌悪の感情を隠しもしない。
「霧島先生も、準備が良いならそろそろ行きませんか?」
このままでは身が持たない。
とりあえず移動を促し、雰囲気を変えたい。
「そうね。話も済んだことだし。細かいことは、道々話すわ」
霧島先生は僕の返事も待たず、机の上に置いてあったバッグを手に取り保健室を出て行く。
かわらないその態度。
道中にも不安は残るが、これ以上関係は悪化しようもないだろう。
一つ嘆息してから眼帯を装着し、僕はその背中について行った。
;アイキャッチ
放課後の職員駐車場。
本来なら、全生徒が下校しきるにはまだ幾分早い時間帯なのだが、今日はすでに人気は無い。
放課後の部活動も禁止となり、下校を強制させられているのだから、それも当然のことだろう。
今、駐車場にいるのは僕と霧島先生、二人だけだ。
もちろん、風花も僕のそばにいるのだが、普通の人間には見えていない。
客観的に見れば、ここにいるのは二人ということだ。
霧島先生と二人で車で出かけるところを、余計な人間に見られたくはない。
いくらでも言い訳が立つとはいえ、面倒ごとやリスクは極力避けたいものである。
ゆえに、周囲に人影が無いのは、僕にとっては望ましいことでもある。
「どうぞ、葉真夜クン。それに、かまいたちのお嬢さん」
そう言いながら霧島先生は車の後部座席のドアを開いて僕らを迎えた。
その車は、若い女性には似合わない、外国産の厳つい高級車だった。それも黒塗りの。
だが、車の横に立つスーツ姿の霧島先生はそれに負けない威厳があった。
そして、彼女は専属運転手でも気取ったのか、なんともワザとらしい動作で乗車を促す。
その大仰な所作にいささか苛立ちを覚えるも、乗せてもらう身としては文句を言うわけにもいくまい。
「ええ、では失礼します」
一応、礼儀として口にする。
「……じゃあ、遠慮なく乗せてもらうとするわ」
僕が座席の奥に詰めると、隣で風花の声が聞こえた。
眼帯をした僕には姿は見えないが、ただよう風のような気配が風花の存在を確かなものにしている。
霧島先生は、風花が乗車したのを確認した後、ドアを丁寧に閉めた。
先ほどからのま丁寧な態度も、もしかしたら、万一の人目を気にしていたのかもしれない。
なるほど、表の顔は汚せないということか。
「出発するわ。もう引き返すことはできないから、気を引き締めなさい。緩みは死を招くから、そのつもりで」
運転席に乗り込みハンドルを握った霧島先生は、いつも冷淡な口調で告げた。
ミラーにうつった彼女の目は、全てを刺し貫くほどに鋭かった。
自分で言うだけのことはある。
すでに微塵も緩みは無い。
この点に関しては、見習うべきかもしれない。
人気の無い駐車場に、低い排気音が響き渡る。
霧島先生は車を発進させ、学校の敷地から外へと向かう。
特に生徒に見られることもなく、車は公道へと躍り出た。
押し黙ったまま車に揺られること数分。おもむろに霧島先生が口を開いた。
「葉真夜クン、そろそろ眼帯外してもいいんじゃない? このあたりまでくれば、もう大丈夫でしょう。だれも、道行く車の中まで気にはしていないわ」
「そうですね」
言われ、眼帯を外す。
翠の眼を開き、改めて車内を見る。
隣には、腕を組みむすっとした顔の風花。
僕が眼帯を外したのを見ても何も言ってこない。
霧島先生と同じ空間にいるというこの状況だけで、もう不快指数は最大なのだろう。
これは、現地に着くまではこのままダンマリかもしれないな。
まあ、それも無理からぬこと。
これ以上、余計ないさかいを増やさないためにも、大人しくしてもらったほうが、かえって都合がいいかもしれない。
戦いになれば、共通の敵がある以上、お互い自身のために協力することになるだろうが、それ以外においてはいたしかたあるまい。
とりあえず、このままでもいいだろう。
居心地は別として。
「裕羽鉱山まではまだ時間がかかるわ。それまでこれに目を通しておきなさい」
信号待ちで停車した際に、霧島先生はバッグから用紙を取り出し僕に渡してきた。
紙を受け取り、さっと視線を手元の用紙に流す。
「これは……!」
まるでテーマパークの案内図を思わせる施設配置図。
それは裕羽鉱山の見取り図だった。
ここまでくればすぐにわかる。
まるでアリの巣のような断面図と、平面図が共に記載されている。
これを見て、ほかに何を連想しようか。
「見てのとおり、裕羽鉱山の見取り図よ。それは葉真夜クンにあげるから、現地に着くまでに記憶しておくようにね。まあ、キミならそのあたりは心配ないだろうけど」
「わかりました。ありがたくいただいておきます」
信号が変わり、車は走り出す。
再び車内に沈黙が訪れる。
裕羽鉱山まではおそらく一時間は優にかかるだろう。
時間つぶしも兼ねて、それまで見取り図をじっくりと見させてもらおう。
まあ、十分もあれば覚えられるであろうが、ほかにすることも無い。
念入りに見ておいても、損はないだろう。
車は国道をひた走る。
霧島先生は無言でハンドルを握り、特になにも話しかけてはこない。
もとより、会話が弾むとも思ってはいなかったが。
見取り図も、すでに充分に目を通した。
施設の配置、坑道のつくりは頭に叩き込んでいる。
途中、風花にも図を見せたが、わずか一分ほど注視しただけで「覚えたわ」と言い、僕に用紙を返した。
再び、沈黙を宿したまま車は目的地へと向かっていく。
誰も口を開かない。
もう少し打ち合わせのようなものがあるのではないかと思っていたが、思いのほかあっさりしたのものである。
なんというか、多少戦闘プランのようなものがあるのかと思ったが……。
それから過ぎることさらに十数分。
ふと見ると、あたりは木々に囲まれ、やっと山道に差し掛かったところだった。
「葉真夜クン、少し確認しておこうかしら」
ハンドルを握ったまま、霧島先生はおもむろに口を開いた。
「なんでしょう?」
顔を上げ答える。
「あなたの“眼”は暗闇でも視えるのかしら?」
「ええ、基本的には問題ないです。この翠眼は光を介してものを視ているのではありませんから。そもそも、“人に見えないモノ”を視る眼です。可視光線などという概念の外のものです」
━━━━時にはそれが疎ましくも思う。
だが、人外との戦いにおいては必要な能力でもあり、受け入れざるを得ない。
「そう、よかった。なら、余計な手間は省けるわ。閉山になった坑道には、照明なんてないから。念のため、明かりは用意してきたけど、どうやら必要なさそうね。光源を持って歩いていたら、こっちから目印を与えているようなものだのも。できればそれは避けたかったから、安心したわ。これなら、少しは役に立ってくれそうね」
霧島先生は当然のように淡々と語る。
多少癇に障るが、いちいち気にしていては持たない。
それに、久々に口を利いたついでだ。
少し聞いておこう。
「霧島先生、戦闘時において、なにか作戦はありますか? 多少の協力は必要なのでは?」
「━━━━そうね。葉真夜クンは私の邪魔をしないように気をつけてもらえれば十分よ。戦闘は基本、私がリードするから。キミは私の動きを妨げなければ自由にやってくれてかまわない。かまいたちのお嬢さんも、自由に動いてもらってかまわないわ」
なんとも自信に満ちたお言葉だ。
風花も憮然としたまま耳を向ける。
だが、いままでの出来事を振り返れば、それはあながち過剰ではないのだろうと実感する。
この人の尊大な態度は、あくまで実力あってのものなのだ。
ハッタリでもなんでもない。
「そうですか。ならば、僕たちの行動はある程度まかせてもらえるということですね」
「ええ、戦闘に関しては、ね」
釘を刺される。
ほかの事に関しては、その限りではないということだ。
「私は、ある程度葉真夜クンには期待しているわ。魔を討つという家系、その力を見せてもらいたいものね」
「……せいぜい期待にこたえるとしますよ」
挑戦的な彼女の言葉に、不機嫌さを露にして答える。
いまさら、殊勝な生徒を演じる必要もない。
逆らうことはできないが、この程度が僕にできるささやかな反抗だ。
霧
島先生は、そんな僕を見てククッと小さく笑った。
こんな、僕の気持ちも織り込み済みなのだろう。
まったくもって腹立たしい。
「それに、付け焼刃で連携なんてできないでしょう? それなら、各自バラバラに動くくらいの方がちょうど良いわ」
たしかに、彼女の言うことにも一理ある。
考えてみれば、綿密な戦闘プランをたてたとしても、これまで一度も組んだことの無い相手と完璧な連携などできようはずも無い。
ならば、各々自由に動く方が皆、力を発揮し、且つ相手にも動きが読まれにくいかもしれない。
無論、洗練された連携攻撃などができるのであれば、そちらの方が当然有利にはなるのだろうが。
霧島先生の言葉に無言で肯定し、僕は風花の様子をうかがった。
目が合うと、風花は小さくうなずき同意を示した。
戦闘に関しては、とりあえずこれで決まりだろう。
三位一体ではなく、あくまで三人の個々の個人技能での勝負。
これは、統率の取れたチームプレイとは真逆。
能力の高い一流選手同士でしか成立し得ない、オールスター戦のような戦い方だ。
各個人が、自分の活躍のみを目指す。
そしてその結果、チームを勝利に導く。
そんな戦法。
霧島先生や風花は、人間を凌駕する存在だ。
はたして、僕がどこまで二人についていけるだろうか。
身体能力ではあの二人には及ばない。
そして、相手の鎌鼬にも。
僕は、僕の戦い方で行くしかない。
ならば、それはいつもと変わらないではないか。
そう思えば、幾分気も落ち着く。
車は曲がりくねった道を延々と進む。
交通量の多い街道を過ぎ、人気の無い山道のワインディングに入ってからは急にスピードが上がった。
スキール音と排気音を轟かせ、山中を駆ける。
霧島先生の運転技能は高い。
それは認めるが、いささか出しすぎではなかろうか。
「飛ばしますね」
「ここはそういう道よ。信号が無くてほかの車もいないんだもの」
当然でしょう、とでも言いたげな口調。
まあ、運転しているのは彼女だ。
任せることにしよう。
気を取り直して、ウインドウから外を見回す。
まだ日が高い時間だというのに、あたりは薄暗い。道の両脇に鬱蒼と並ぶ木々が陽光を遮っているからだろう。
それに、ずいぶんと山奥まで来たようだ。
気圧が変わっているのだろう、耳に違和感がある。飛行機に乗った時のような、キーンとする感じだ。
唾液を飲み込み、耳抜きをする。
車はさらに峠道を駆け上がる。
ちらりと速度計を盗み見た。
およそ、制限速度の三倍ほどのスピードだろう。
普段見ないような数字だ。
いや、プロ野球でならよくみる速度かもしれないが。
とにかく、尋常ではない速度だ。
どうせなら、車も赤い色にすればよかったのに。
そんな益体も無いことを思いつつ、ハイスピードドライブを“満喫”する。
慣れれば、この強烈な横Gも心地よいと言えなくも無い。
遊園地のアトラクションと思えば、それはそれで楽しいものだ。━━━━と思おう。
さて、もうしばらく、このジェットコースターは続きそうだ。
僕は一つ嘆息し、外を眺めることにした。
そうして程なく、車は減速しだし、停車した。
飛ばした甲斐もあり、思ったより早く到着したようだ。
目の前にはゲートがあり、ここから先が裕羽鉱山の敷地であることが告げられている。
当然、僕たちが目指すのはこの先だ。
だが、ゲートはしっかりと施錠されていて、何者をも進入させじとその道を閉ざしていた。
「ゲートが閉じていますね。どうしますか?」
目の前の現状を見た僕は素直に言葉を発した。
「ええ、これくらいもちろん想定内よ。さっきの見取り図もそうだけど、そのために色々と準備をしてきたんだから。まあ、ここからなら歩いて歩けない距離じゃないけど、できるなら楽をしたいでしょう? ちょと待ってなさい」
霧島先生はそう言って車から降りていった。
その様子を車内から見ていた僕は思わず感嘆の息を漏らす。
はたして、いかなる手段を用いて用意してきたのかはわからないが、霧島先生はポケットから鍵を取り出し、ゲートの鍵穴に差し込んだ。
カチリと小気味良い音が車内まで聞こえ、ゲートが開錠されたことを示す。
「さあ、いくわよ」
霧島先生は、何事も無かったかのように再び車に乗り込んだ。
ここからはすでに敷地内であり、目的の場所には程なく到着した。
霧島先生は車を停め、無言で降車を促す。
僕らはドアを開き裕羽鉱山へと降り立った。
目の前に広がるは廃墟の群れ。
かつて小学校であった建物が特に目に付いた。
ほかにも集合住宅であったと思われるものや、診療所だったと思われる建物などが比較的奇麗な状態でその姿を維持していた。
閉山になってから数年しかたっていないため、建物によっては、まだ現役といっても良いようなものもある。しかし、人の居なくなった建物はすぐに風化していく。おそらく、この裕羽鉱山区域も、あと五年も経てば朽ちた廃墟になるだろう。
そんなことを思いながら、視線を移した。
そうして視界の正面に入ってきたのは、柵。
多少錆が浮いてきてはいるが、まだ傷みは少なく、その姿は現役時代とそう変わりなさそうである。
そして、その奥には坑道の入り口であった穴がぽっかりと口を開けているのが目に付いた。
本来ならば、閉山した鉱山の坑道は事業所が封鎖する義務があるはずだ。
おそらく、入り口はコンクリートで封鎖されていたはず。だが、周囲の散乱したコンクリート片は、何者かがその封を破ったことを証明している。
「なるほど。ここで間違いなさそうだな」
コンクリート片を踏みしめながら僕はつぶやく。
砕けた欠片からは、ほんのわずかな妖気が残っていた。
━━━━━━奴らは
ここにいる━━━━━━。
「夕綺、気をつけて。ここから先は、いつ戦闘になってもおかしくないわ。わずかな緩みも、油断も、躊躇いも、全てが命取りよ。私は全力で夕綺を護るつもりだけれど、夕綺も決して気を抜かないで。そして戦いの際は、絶対に私のそばから離れないで」
風花は真剣な顔で、僕の目を見ながらそう言った。
厳しさとやさしさを内包したような目だった。
「わかってる。緩みなんて、とっくに締めなおしているさ。人の身で化け物と戦うんだ。人の世でいくら優れていようが、そんなものに意味は無い。相手は、人を超えるモノなんだから。だから、僕は常に謙虚でなければならなかった。それを間違えてはいけなかったんだ。魔を討つ者、なんて言うのは傲慢だ。僕にできることは、ただ、魔を視るだけ。そしてほんの少しの干渉。僕にできることは限られている。だから、人ならざるものと戦うというのなら、あらん限りの努力と覚悟が必要なんだ。以前は、その気持ちが足りなかった。鉄扇さえあれば何とかなると思っていた。だけど、今は違う。もう、緩みは無い。大丈夫だ」
「そう、なら、もう言うことはないわ。後は行くだけね」
風花はそう言い、正面の入り口に、向き直る。
「さあ、二人とも、準備はいいかしら? 問題ないようなら、さっさと行くわよ」
霧島先生は、僕らのやり取りに興味なさげにそう言った。
彼女の口ぶりは横柄ではあるが、その反面自信も垣間見える。
戦闘というものにおいては頼りになるだろう。
━━━━人としては最悪だが。
そうして、三人で坑道の中に足を踏み入れた。
さっと通路の奥まで見通してみる。
坑道内は思ったより広かった。これなら、学校の廊下とさほど変わらないほどだ。
入り口周辺は日の光が差し込んでいるが、その先は完全な闇となり、侵入者を寄せ付けまいと恐怖を滲ませている。
古くから、人にとって闇とは恐怖の対象だ。それは今でも変わらない。
光の無い場所には、人ならば恐れをなすものだ。
そして、内部の空気は湿っぽく、ジメジメとした生ぬるい風が頬をなで、不快感をもよおした。
「思ったよりも、気温が高いんだな」
誰にとも無く呟く。
「そうね。あまり気持ちのいいものではないわね」
風花も眉根を寄せて言葉を漏らす。
そういえば……、
僕の記憶が確かなら、このあたりの地熱は一般的な鉱山よりも高いはずだ。
そして、熱を排出する機構が撤去された今となっては、地熱の影響は軽んじられない。このあたりはまだ良いが、最深部などには行くことは困難なはずだ。少なく見積もっても、おそらく、四十度くらいには達するはずだ。
だが、とりあえずは対処できる範囲だ。
いまのところは。
隊列は先頭が霧島先生。次が僕。風花には後ろを守ってもらう。
これなら、一通りの事態には対応できるだろう。
特に打ち合わせをしたわけではないが、霧島先生が勝手に先頭を進んでいく以上、必然的にそうなる。
だが、おそらく、これが最善の隊列だろう。
彼女の戦闘能力は高い。
その彼女が先頭を進むというのなら、なにも反対する必要は無い。
後は僕と風花だが、敵陣を進む場合は後ろの守りも重視される。
客観的に見て、僕と風花の場合、風花の方が戦闘能力は高いだろう。
男としては些か悔しい部分もあるが、戦いを有利に進めるためには仕方ない。
僕は、僕にできることをするしかない。
三人で坑道の奥へと向かってゆく。
外の光はもう届かない。
暗闇の中、あたりは不気味な静けさに包まれ、自分たちの足音だけが響く。
緊張感が増してゆく。
闇を透かし、周囲を見回してみる。
入り口からしばらくは、しっかりと整備されたコンクリートの通路だ。
配電盤もすでに撤去されていて、すでに一切の電源は存在しない。
そして壁には、もう二度と点くことの無い、割れた蛍光灯が哀愁を漂わせていた。
突き当りの縦穴のあるところまでは、同じような無機質な景色が続いている。
きっとこの通路は、人専用の入り口なのだろう。
おそらく、鉱石を運ぶルートは別にあったのかもしれない。
掘った鉱石を運ぶ鉱車などが無くては、せっかくの鉱石を運び出せないだろう。
このフロアにはレールの跡もないし、昇降機もなさそうだ。
地階に入ってから、別の出入り口があるのかもしれない。
さて、今のところは足場もよく、落盤の心配も無い整備されたトンネルのようになっているが、採掘作業をしていた場所になれば、きっとむき出しの岩肌をみせるだろう。
道が良いのは、今だけだろう。
そんなことを思いながら先へと進む。
程なく、縦穴を前にして霧島先生の足が止まった。
地階へと続く鉄階段は、塗りつぶしたような闇に包まれ、不気味さを露わにしている。
並みの人間ならば、たとえ照明を持参していてもこれ以上先には進めないだろう。
━━━━闇は深い。
懐中電灯程度では、とてもその先を照らすことはできない。
先の見えない場所に、そうそう人は踏み込むことはできないだろう。
ここから先は、光も及ばない人間外の領域だ。
ごくりと喉を鳴らし、緊張を飲み下す。
「これから、“本当の地下”に入るわ。ここから先はもう人の世ではないわね。覚悟はいいかしら?」
霧島先生は前を向いたまま、いつものように淡々と告げる。
「愚問ですね。ここまで来て何をいまさら」
僕は即答する。
恐れはある。だが、怯えはしない。
「私にとっては、人の居ない空間の方が望ましいくらいよ。それに、妖にとっての闇は、人にとっての太陽と変わらない。むしろ、あなたこそ覚悟はいいのかしら?」
風花は言葉こそ荒げないが、反抗的な口調で返す。
「それだけ言えるのなら心配ないわね。ここに来て怖気づかれては困っちゃうから。足手まといにならないなら十分ね。なら、行きましょうか。調べた結果、この鉱山は有毒なガスは無いみたいだから、その点は心配いらないわ。階段などの設備そのものも、三年程度ならまだそんなに腐食は進んでいないでしょうし、気をつけて進めば問題ないわ」
霧島先生はそう言って縦穴の鉄階段を下りてゆく。
見える限りでは、確かに錆などの傷みは少なそうだ。確かに、考えてみれば三年程度で朽ちるほど鉄というものは脆くはあるまい。
腐食を進ませる要因が無い限りは。
設備そのものは、いまだ現役時とさほど変わらない。それに関しては、安心してもよさそうである。
僕らも彼女の後に続く。
一段一段、鉄階段を踏む音が地階に響き渡る。
無音の坑内においては、この足音一つ一つが驚くほど鳴り響き、僕らの存在を明らかにしている。
「これだけ音が響けば、僕らの行動はバレバレですかね」
「まあ、いいんじゃないかしら? それで向こうから来てくれるのなら手間が省けるし。それよりも、しっかりと陣取って迎えられる方が面倒ね。いろいろと」
霧島先生は抑揚なく答える。
「陣取って、ですか。先生は鎌鼬の潜んでいる場所に見当はついているんですか? 見取り図を見た限りでは、この坑道の規模はかなり大きいですし、地下にいけば地熱の影響もある。奴らの居場所に無事到達するには、それなりのあてが無いとむずかしいのでは?」
「そうね。葉真夜クンの言うとおりよ。本当に虱潰しに探したのでは埒が明かないわ。体力も消耗するしね。もちろん、いくつか読みはあるわ」
「聞かせてもらってもいいですか?」
「……しょうがないわね。黙ってついて来いといいたいところだけど、まあいいわ。葉真夜クン、見取り図を思い出しながら聞きなさい。お嬢さんも、聞きたければ聞きなさい」
霧島先生はそう言って一度言葉を切ってから再び話し始める。
「奴らの潜めるような場所は限られているわ。鎌鼬は力を回復させるために隠れている。少なくとも、鎌鼬にとって不快な場所に陣取っているとは考えにくいわね。地熱の影響を受ける最深部などに居るとは思えないわ。そうでしょう、お嬢さん?」
「……そうね。鎌鼬は暑い場所は好まない。耐えられないわけじゃないけど、長い時間居るのには向かないわね」
急に霧島先生に話しを振られた風花はぶっきらぼうに答える。
霧島先生は、特にそれに構う様子も無く続ける。
「そして、戦闘になった際に備えてある程度広さのある空間に居るのが自然ね。狭い空間では、自慢の鎌も使えないでしょうし」
……なるほど。
たしかにそのとおりかもしれない。
理にかなっている。
そして、最深部を避けるというのも納得だ。
いかな妖怪といえど、耐えられるもの、耐えられないものがある。
過去の妖怪にしても、人を大きく上回る能力を持っていながらも、人の世にはばかることができなかったのは、なにかしらの弱点、特徴を持っていたからだ。
あの吸血鬼でさえ、陽光には手も足も出ないのだ。
鎌鼬は北国の妖怪だ。暑い場所は得意ではないのだろう。
「そして、それらを総合して考えると、おのずと場所は限られてくるわ。採掘の現場だった部分は広くなっているから、そのひらけた場所におそらく潜んでいるでしょうね。それも上階に近い階層とくれば、探すのはそう難しくないわ」
「なるほど、それもそうですね。そうなると、居場所は以外に近いのかもしれませんね」
「そういうことになるわね。心構えはしておきなさい。あと、不意打ちにも警戒するように。無様に一撃で死なれては、私の負担が増えるから」
投げ捨てるように言い放つ。
心配しているのは僕の身ではなく、その結果減少する戦力のみ。
「警戒は怠りません。それに、相手が殺意を放てば僕にはわかります。どうぞ、ご心配なく」
気持ちを抑えながら、憮然と切り返す。
「頼もしいお言葉ね。さ、これで心配はなくなったでしょう? なら、先に進みましょうか」
まるで心のこもっていない物言いだ。
僕らの事など意に介さず、霧島先生は再び先へと進んでいく。
その足取りに迷いは無い。
僕らは鉄階段を下り、地階へとたどり着く。
降り立ったその空間には、剥き出しの素掘りの壁と天井が果てしなく続いていた。
寒々しさを感じさせる岩肌とはうらはらに、坑内はやや蒸し暑い空気に満ちていた。
この階層なら温度自体はまださほど高くは無い、だが坑内の湿度がそれ以上の高さにも感じさせる。
緊迫感と、長い階段を下りてきたこともあり、じんわりと汗が滲んできた。
ふと、霧島先生の様子をチラリと見る。
この状況でも、相変わらず氷付けのような涼しい表情のまま、汗一つかいてはいない。
考えられない━━━。
この気温の中で汗をかかないことにではなく、この敵地に乗り込んでいるという状況で、微塵も不安や緊張を滲ませないことに驚嘆する。
ただのポーカーフェイス……? いや、違う。
いままで見てきた彼女の態度、行動を見る限り、それは絶対の自信に裏づけされたものなのだ。
いまだに、底が見えない。
恐ろしい女だ。
気持ちを切り替え、現在地を確認しよう。
ここまで降りてきた距離は三十メートルほどだろうか。
まずは地下一階といったところだろう。
階段を下りた先には、左右にひたすらに通路が続いていた。
坑内にはレールが敷かれていて、闇の先までまっすぐに伸びている。
道幅は五~六メートル、高さは三メートル程はあるだろうか。
鉱車を走らせても、なお余裕のあるその通路は、この鉱山の規模の大きさを物語っている。
だが、感心してばかりもいられない。
とりあえず、見取り図を思い出してみる。
各階層で道は多くの分岐があり、まさにアリの巣のように細かい部屋に分かれている。
細かいといっても、図で見るとという話だ。
実際には、かなりの広さ、天井の高さがあるだろう。この通路でさえ、イメージよりもだいぶ広く感じるのだ。
「いくわよ。葉真夜クン。ボケッとしてると置いていくわよ」
霧島先生は、僕のことなど一顧だにせず歩みを進めていった。
本当にどこまでも傍若無人だ。
だが、適当に捜し歩いても埒が明かない。
アテがあると言うなら、信用するしかないだろう。
「夕綺、気にしないの。でも、はぐれるのは得策じゃないわ。仕方ないけど、行きましょう」
嘆息しながらも、僕と風花はそのあとに続く。
歩くたび、靴音が坑内の遥か先にまで反響する。
だが、いまはもうそれを気にすることもなく、僕らは無人の坑道を闊歩する。
霧島先生の言うとおり、いまさら気にしたところで変わらない。
秘密裏に潜入するのが目的ではない。
僕たちは、戦いに来たのだ。
どうせ、相手からは僕らが侵入したことをすでに察しているはずだ。
こちらから不意打ちができるわけでもない。
ならば、いまさら小細工で足音を消したところで意味は無かろう。
不ぞろいの三つの足音だけがあたりの静寂を破り、
不可侵の魔境を侵していることを実感する。
━━━━━━人がいなくなった空間、
━━━━━━光も届かぬ世界、
それはすでに魔境だ。
人の造ったモノでありながら、すでにそれは人の手を離れてしまった。
人の無い場所に魔は住む。
夜の学校然り。
人目の届かぬ廃墟もまた然り。
迷いの樹海も同様だ。
つまりは、人の立ち入らぬ場所こそが、魔の潜める世界なのだ。
僕らはその中を進んでいる。
まるで悪魔の胎の中を進むが如く━━━━。
道は長い。
僕らはレールをなぞるように粛々と歩みを続ける。
暗闇の中、延々と前進を続けるのは思いのほか精神を削る。
相手は気配をまるで感じさせることなく、この坑内のどこかに潜んでいるのだ。
いつ襲われるかもわからない緊張感。
もしかしたら、その先の岩陰にでも隠れて待ち構えているんじゃないか、そんな妄想さえ浮かぶ。
……おちつけ。
たとえそうでも、気を張っていれば、奴らの殺気は感じ取れる。
完全な不意打ちを受けることは無いはずだ。
一つ深呼吸をして再び前を向く。
地の利は相手にあるだろう。
その分、こちらは人数で上回る。
決して不利ではない。
……そう思うようにする。
階段を下りてから、すでに三百メートルは進んできただろうか。
ここにきてはじめての分岐が訪れた。
道は二股に分かれ、カーブしていてその先を見通すことはできない。
「分かれ道ですね。どうします?」
僕に選択権はないのかもしれないが、とりあえず聞いてみる。
「そうね。どちらに進んでもこの先は採掘現場。どちらも大きな空間に出るわ。この階は、大きく二つのエリアに分かれていて、つまりここの分岐で分かれることになるわね。まあ、どちらから行ってもいいのだから、葉真夜クンの好きな方でかまわないわ」
霧島先生は、つまらなそうに答えた。
だが、せっかく選択権をゆだねられたのだ。
ここは決めさせてもらおうか。
見取り図を思い出す。
霧島先生の言うとおり、地下一階は大まかに分けて二エリア。
どちらに進んでも、大きな採掘場にたどり着く。
この階で奴らが潜めそうなのはこの二ヶ所だ。
まずは、ここを当たるしかない。
よし、まずは━━━━
;左へ進む
;右へ進む
左に進んでみることにした。
「じゃあ、左へ行きましょう」
「そう」
霧島先生は短く答え、進路を左の通路へと向ける。
僕の決めた選択に何の意味も無いかのように、ただ、事務的に事を成すように。
隊列を崩さぬように、坑内を行く。
通路は緩やかなカーブを描きながら、さらに奥へと続いている。
坑道は、鉱脈に沿って造られているためか、通常の通路などとは違い、変則的なつくりをしていた。
カーブの半径も一定ではないし、S字のように折れ曲がる道もあった。見取り図を見ておかなければ、方向感覚すらも失うところだっただろう。
細かい分岐からは、小さな採掘場も所々にあり、メインの通路からその中をうかがうことができた。
坑内を進みながらも、念のため一つ一つ簡単に確認し、先を急ぐ。
ここまでは、まだ人外の気配は無い。
気を取り直し、さらに奥へと進んでいく。
それから、数分の後。
しばらく進んだところで僕はピタリと足を止めた。
━━━━━━唐突にカゼが吹いた。
他の二人はまだ異変に気づかない。
これは、僕にだけ感じ、僕の耳朶を直接刺激するカゼの音。
これは━━━━━━、
人外の殺意の気配━━━━━━。
「来たか……」
呟きながら鉄扇を抜く。
二人は僕の様子に気づいた後、人外の気配を察知した。
僕より数瞬遅れて戦闘体勢に入る。
霧島先生は懐からナイフを取り出す。
風花は大鎌を出現させ、振りかぶる。
それら全てが、刹那の出来事だ。
だが、カゼは前と後ろ、両方から吹いてきた。
挟み撃ちか。
「敵は前後から来てます。気をつけて」
言いながら、壁を背にして意識を両方に向ける。
「へえ、なるほど。少しは考えたわね。でも、その程度で私には通用しないわ」
霧島先生はその冷淡な態度を崩さず、前方に迎え撃つ。
「後ろの守りは私が受け持つといったわ。夕綺は自分の身を守ることを優先して」
風花は後方に向き直り、迎撃体勢をとる。
通路の前後に視線を飛ばし、僕は攻撃に備える。
闇の奥、無数の目が妖しく光るのが視えた。
「闇の眷属……、いわゆる使い魔ね。まあ、いきなり大将が出張ってこられても面白くないものね。準備運動がてら、蹴散らせてもらおうかしら」
霧島先生は素っ気なくぼやき、ナイフを順手に構える。そのやる気のない口調からは想像できないほどの、まったく隙の無い構えだ。
「なるほど、まずは私たちの戦力を少しでも削りながら様子見ってとこかしら。空矢姉さんの考えそうなことだわ」
風花も大鎌を上段に構え、敵を刈り取らんと備える。
「━━━━来る!」
僕は一つ大きく叫び、知らず鉄扇を握る手に力が入る。
通路の前後から押し寄せる使い魔たち。
暗闇の中、爛々と光る目が殺意を持ってこちらに迫る。
その距離が縮まるにつれ、次第にその輪郭がはっきりと知覚できるようになる。
獣の咆哮が耳に届くころには、その姿を認識するに至った。
「なるほど……、鼬とはね。ぴったりじゃない」
霧島先生は歪に唇をゆがませながら嗤う。
敵を前にしたその瞳には、狂気とも言えるほどの鋭さを携えた昏い光が宿っている。
普段の冷徹な佇まいとは一線を画す、まったくの別次元の様相を呈している。
これが、彼女の本当の姿なのかもしれない。
「……哀れね。使い魔は主人を選べない。使役された使い魔は、道具のごとく主に使い倒されるだけ。大儀の無い戦いに、消耗品として扱われる虚しさを自身で感じることもできないんでしょうね。なら、せめて、私が滅ぼしてあげるわ。悪しき主に使役される使い魔にとっては、それが慈悲というもの。今、楽にしてあげるわ」
風花も目を細め、刃のような鋭利な視線を飛ばす。
鼬たちは叫び声をあげながら、その牙を剥き出しにして迫り来る。
暴力じみた獣のまなざしが、群れを成して僕たちの元へと襲い掛かった。
ざっと見、そして感じる限りでは、通路の遥か奥まで使い魔たちはひしめきあっている。
おそらく、その総数は百を優に超えるだろう。
━━━━飛び掛る使い魔たち。
━━━━まるで知性など存在しない下卑た咆哮。
━━━━漆黒の空間に、無数の爪と牙が煌く。
間合いは狭まる、━━━━際限なく。
二人の目前に、
凶牙と凶爪が迫る━━━━━━━━━━。
詰め寄る無数の爪と牙、その先頭の使い魔はすでに二人の間合いへの進入を許した。
知性の無い使い魔たちも、自らの攻撃の成功を確信したはずだ━━━━━━━━だが、
;エフェクト軌跡
飛び掛った先頭の鼬は、一瞬にしてその肉体を肉片へと変化させた。
;フラッシュ赤
最初の犠牲は、霧島先生のナイフによるものだ。
一番の殺意を内包していた彼女に挑むことは、まさに自ら命を捨てるのと同義。愚の骨頂だ。
死するもやむなし。
;画面切り替え、効果 シャッター
それとほぼ同刻、刹那の差で風花の元へも使い魔が襲い来る。
しかし、その爪と牙も何の意味も持たなかった。
使い魔といえど人外の端くれ。
その攻撃には人間を一撃で殺せるだけの威力は十分にある。
だが、それも当たらなければ何の価値も無い。
;エフェクト軌跡(大)
風花が大鎌を一振りするだけで、四~五匹の鼬の死骸が石の床に落ちた。
これらがわずか一瞬の出来事。
さすがとしか言いようが無い。
だが、感心している暇はない。
感情を持っているのかどうかはわからないが、仲間をやられた怒りを表すかのように、使い魔はがむしゃらに攻撃を仕掛けてくる。
統率はまるでとれていないが、数にものを言わせて一斉に攻めてきた。
なるほど。
知性はなくとも、本能的に悟ったか。
力で及ばない相手には数で挑む。
戦闘においては原始的な戦法だ。
だが、それゆえに効果的。
膨大な、数による圧力。
その、堰を切ったような勢いに思わず圧倒される。。
さすがに、これは骨が折れそうだ。
無傷での突破は虫が良すぎるかもしれない。
奴らは群れを成し、同時に突撃を開始した。
視線を左右に飛ばす。
右に霧島先生。左には風花。
二人の様子を伺う。
だが、その表情には不安など微塵も浮かんではいない。
霧島先生にいたっては目の奥に異様な光を宿し、戦いそのものに悦びを感じてさえいるような、そんな貌だ。
敵が━━━━迫る━━━━━━━━!
最初に動いたのは風花だった。
押し寄せる使い魔の群れに向かって左足を一歩前に踏み出し、構えをとる。
前足を突き出し、爪を剥き出しにした使い魔。
奴らの前に風花は悠然と迎え撃つ。
飛び掛る鼬の数は十を超える。
しかし━━━━━━━━
「これしきで私に傷をおわせられるとでも!」
閃光のように大鎌の奇跡が閃く。
;エフェクト軌跡
右から左へ一閃。
折り返して左から右へ。
僕も眼でも、動きを追うのがやっとだ。
風花の小さな体からはまるで想像もつかないような豪力、豪腕。
自身の身長をも大きく上回る大鎌を力任せに振るい、敵をなぎ払う。
その疾さ、まさに風の如く。
風の妖怪、かまいたちに相応しいその勇姿。
これが、“鬼神の刃”と異名をとるかまいたちの力なのか。
その一薙ぎ━━━━いや、二薙ぎか━━━━で散った使い魔の数、およそ十。
風花はわずか一合で、襲い来る敵を絶命させ、ねじ伏せた。
それとほぼ同時、霧島先生の側にも動きがある。
地を蹴り、中空から攻撃を仕掛ける使い魔の鼬に対して、霧島先生は流れるように身を逸らす。
流水に浮く木の葉が岩を避けるように、使い魔の攻撃を華麗にかわしてゆく。
その動きは、洗練されたフィギュアスケートの演技のようにさえ感じられる。
「ふふ、この程度じゃ準備運動にもならないかもね。鼬って鈍重な動物なのね」
そして、かわし際には、きっちりとナイフでの裂傷をあたえていく。
いや、それは裂傷などという生易しいものではない。
それらはすでに致命傷だ。
一振りごとに、使い魔である鼬の急所を確実に刺し貫き、切り裂き、命を奪う。
使い魔も、元となるベースはあくまで生きた動物。
斬って刺して突いて殺せば、死ぬ。
彼女の行っている事は、ただの殺戮に過ぎない。
だが、そのあまりの流麗さに言葉を失う。
そして驚くべきことに、それだけの惨殺を行いながら、返り血は一切浴びていない。
完成された殺陣のような立ち回りをしながらも、返り血を浴びないようにまで気を使える余裕。
振りぬいたナイフのフォロースルーの動作までもが美しく、見ていて思わずこれが戦いだということを忘れるほどに見事だった。
感嘆の息を漏らす。
気づけば、霧島先生の足元には二十を超える使い魔死骸が散乱していた。
知性を持たぬ使い魔たちではあるが、その力の差に臆したかのように怯み、一瞬その動きを止める。
風花の側も同様だ。
いや、むしろ知性を持たない獣だからこそ、敏感に力の差を感じ取るのかもしれない。
本来、それは当然のこと。
野生の動物ならば、自らの及ばぬ相手には戦いを挑まないもの。
しかし、奴らは使い魔。与えられた命令を愚直に実行するしかない、いわばプログラムだ。
戦い続けるしかない。しかし、本能は恐れる。
そしてそれを無視して強制される命令。
本能の訴えは正しく、かなわない敵に向かい、打ち滅ぼされる。
考えれば哀れなものだ。
倒すべき敵とはいえ、捨て駒のように扱われる使い魔たちに、憐憫の情さえ浮かぶ。
しかし、それは自分の命と秤にかけてみれば、わずかにも揺らぐことの無いほどの些細なものだ。
この場において、奴らを殲滅させる以外に選択肢は存在しない。
わずかに動きを止めた使い魔たちは、再び雄たけびをあげ、意を決して襲い掛かる。
意を決したかどうかは、僕の主観にすぎないが。
今度は先ほどと違い、残る全ての数を動員して攻めて来る。
奴らも本気だ。
━━━━━━━━ここが勝負所。
壁を背にしたまま、左右の状況を伺う。
鉄扇を構え、どちらの援護にも行けるように備える。
視線を左へ━━━━━━━━。
「はああああああああ!」
風花は迫り来る使い魔たちを大鎌でなぎ払っていく。
地面すれすれに大鎌を薙ぎ、その一撃だけで五匹は死んだ。
だが、その隙に飛び掛ってくる鼬が三匹。
大鎌の懐に敵の侵入を許す。
目前に迫った使い魔は牙を剥き、風花に噛み付かんばかりに大口を開く。
まずい!
「風花!」
我知らず、声を張り上げる。
だが━━━━、
「甘いわ!」
風花は、右手で大鎌を握ったまま、左手のみで懐に入られた使い魔を対処する。
一撃だった。
風花の素手の一撃で三匹の鼬は吹き飛んだ。
無造作に、平手を打つような仕草一つで使い魔たちは通路の岩壁に叩きつけられたのだ。
厭な音があたりに響き渡る。
おそらくこの音では、生きてはいまい。
「大鎌の弱点は内……、そのくらい理解して対応しているわ。夕綺も、私の心配をするなんて十年早いわよ」
風花は前を向いたままそう言ってのけた。
だが、その言葉に険はない。
心なしか、嬉しさを含んだ声音だ。
心配は杞憂だ。
なら、それに越したことはない。
続いて視線を右に━━━━━━━━
霧島先生は涼しげな表情で事も無げに敵をあしらう。
先ほどと同じように、流れるような運びで使い魔たちを斬り捨てていく。
膨大な敵の数を相手に、些かの動揺も見られない。
襲い来る使い魔を順次屠り、死滅せしめる。
その所作にはわずかの乱れも無い。
機械の様に、的確、正確、無慈悲に敵を葬り去る。
だが、その表情には悦びが浮かんでいた。
冷静な判断、行動力を持ちながら、その行為には狂気じみた感情をうかがわせる。
ナイフを振り、肉を切り裂き、四肢を切り落とし、心臓を貫き、鮮血が舞う度に、霧島先生は確かに
愉悦の貌を浮かばせる。
確信する。
この人は、きっと
“戦うことが楽しい”のだ。
もしくは、
“殺すことが愉しい”のか
そのどちらかだろう。
だが、僕自身は、その感情を一方的に否定することはしない。
人を超えた力を持ちながら、その力を発揮する場所が無いというのは、あまりにも不憫であり、不遇。
行為の善悪はともかく、その気持ちはわからないでもない。
無論、肯定はしないが。
戦闘は依然として続く。
だが、時間にしてみればまだ数分しか経過してはいないだろう。
それでも、すでに風花と霧島先生の足元には、累々たる死骸の山。
敵の数はもはや最初の半分以下だ。
しかし、そんなことで使い魔の士気には些かの衰えも無い。
人間ならば、最初の迎撃を受けた時点で大幅に気勢を削がれているはずだ。
しかし、戦う以外の命令を受けていない使い魔たちには、そのようなことは意識の片隅にも浮かぶまい。
相手が己の敗北を悟り敗走するのであれば、それを追う必要も無く、こちらは勝利を手にすることができる。
戦いの上策は古より、“戦わずして勝つ”ことなのだ。
武力による制圧、━━━━ましてや殲滅など下の下。
逃げ道の無い敵は最後まで命の限り戦い続ける。
それこそ文字通り“必死”に。
窮鼠猫を噛む、の例えもある。
そのような敵と真正面から戦うのは、あらぬ被害をこうむるものだ。
武力行使はあくまでも“話し合いの通じない場合”において行われる最終手段。
死を恐れぬもの、
死を覚悟したもの、
死を知らぬもの、
それらのものと戦うならば、こちらも覚悟が必要だ。
なぜなら、通常の秤では測りきれないような結果を生み出すことがあるからだ。
命を対価にした攻撃なのだ。
小さな奇跡くらいは起こしても不思議ではない。
それは、つまり━━━━━━━━
「━━━━くっ!」
使い魔の鼬を豪快になぎ払ってきた風花が初めて顔を歪ませる。
届くことの無いはずの鼬の爪が、ついに風花の肌を捉えた。
大鎌で胴体を真っ二つに裂かれながらも、一匹の鼬は上半身だけで最後の執念を見せた。
残る力で風花の腕にしがみつき、爪を立ててから絶命した。
腕には、三本の引っかき傷と、一筋の血。
「風花、大丈夫か!?」
「問題ないわ。かすり……傷よ。それよりも自分の心配をしなさい。この数は、結構……」
真剣な口調でそう言い、鼬の群れに立ちはだかる。
その背中には、緊張が見えた気がした。
わずかに、息も上がっている。
霧島先生の方を見やる。
「これだけやったら、さすがに食傷ぎみね。ナイフも“これ以上血を吸えない”って言ってるわ。血糊がへばりついて切れが鈍い。こうなるとただのナマクラね」
余裕と歓喜の表情を浮かべていたはずの先生も、いまはその色を弱めている。
それでも、かわらぬ身のこなしで攻撃を避けつつナイフを突き立てていく。
しかし━━━━━━━━
;画面転換 シャッター
「はぁああああ!」
風花は委細かまわず戦い続ける。
突撃兵のように押し寄せる使い魔を切り伏せ、刈り払う。
だが、それでも全ての使い魔を倒しきれたわけではない。
突撃の際、前面にいた鼬を盾にして斬撃をのがれたわずかな生き残りは、ついに風花の横をすり抜けた。
「━━━━しまった! 夕綺、気をつけて! いったわ!」
;画面転換 シャッター
霧島先生は、依然乱れなく、演舞のような美しいナイフ捌きを見せていた。
だが、切れ味の衰えたナイフでは一撃で絶命させるにいたらず、致命を逃れた鼬が数匹生き残る。
鼬は突進の勢いを利用して、そのまま突破を成功させた。
「くっ、私としたことが、打ち漏らしたか。葉真夜クン、それくらいは片付けなさい」
;画面転換 シャッター
数匹の鼬が迫る━━━━━━━━。
━━━━━━━━右から
左から━━━━━━━━
迫る、迫る、迫る━━━━━━!
殺意を宿した目が炯々と輝き、闇に浮かび上がった。
わずか数刹那で、いとも容易くその間合いをつめられる。
押し寄せるは手負いの獣。
奴らは僕の喉笛を引き千切るべく、その最後の力を惜しみなく使う。
後退も無く、自身の命━━ましてや傷など顧みない。
行われるのは、前進と攻撃のみ。
使い魔たちから流れ出る黒い血は、車から漏れ出すガソリンとほぼ同義だ。
零れ落ち、刻一刻と失われていくエネルギー。そのわずかな残りの燃料のみで、動けなくなるその瞬間までアクセルを全開にしつづける。
すでに使い魔は肉薄し、眼前に迫っている。
こちらも必死の覚悟で挑まねば、その勢いに飲まれるだろう。
もし、生身の体に無防備で人外の攻撃を受ければ、死は逃れられない。
一つ間違えれば━━━━死。
僕は常にその認識を誤ってはならない。
たとえ人外と戦う術はあろうとも、その身は脆弱な人のそれだ。
決して勘違いすることなかれ。
僕は、人の持つ能力、その全てをもってあらん限りの力を尽くさなければならない。
人外との戦いは、たとえどんな相手でも常に死と隣り合わせ。命懸けということを努々忘れてはならないのだ。
精神を━━━━━━張り詰めろ━━━━━━。
左右から挟撃を仕掛ける使い魔たち。
凡庸な対処では命を落とす。
僕のとるべき行動は━━━━
;選択
;間合いを計り、近い敵から迎撃する。(正解)
;内ポケットからバタフライナイフを取り出し投擲。
;(デッドエンド)
;間合いを計り、近い敵から迎撃する。を選択。
間合いを計り、近い敵から迎撃する。
敵をギリギリまで引き付け、間合いを計る。
どんな熟練されたコンビでも、そうそう完全な同時攻撃ができるわけではない。
まして、相手は知能も持たぬ使い魔だ。
それを思えばこんなものは連携攻撃などではなく、ただの波状攻撃に過ぎない。
━━━━引き付ける
━━━━━━━━━━引き付ける
━━━━━━━━━━━━━━━━引き付ける
その距離はすでに一メートルを切った。
僕の手が届くギリギリの間合いに差し掛かる。
━━━━━━こ こ だ !
最後の最後の瞬間に間合いを見切る。
自分の攻撃の間合いという絶対の物差しで、その距離の差を正確に把握する。
肉薄する血眼の鼬。
その距離、
━━━━右は91センチ。
━━━━左は82センチ。
捕捉完了。
「くらえ!」
踵を浮かせ鋭く左にターン。
気合一閃、鉄扇を振りぬく。
体を向ける勢いに任せて、右袈裟から渾身の一撃。
ゴキンと鼬の頭蓋の砕ける手ごたえ。
閉じた鉄扇による打撃で、左の鼬を瞬時撲殺。
そのまま体の向きは変えずに、後ろ蹴りの要領で右足を後方に蹴り出す。
━━━━確かな手ごたえ、いや足ごたえか。
同時に迫っていた右の鼬も、一撃で首の骨を折り絶命させる。
すばやく体勢を立て直し、再び構えを取る。
残る敵は左に二。右に一。
全ての敵は、すでに僕の間合いに侵入している。
左━━90センチ。
右━━62センチ。
左━━58センチ。
鉄扇を開く。
体が自然に動き、本能が生きる最善手を導き出す。
体を左に向け、再接近している鼬に左袈裟から斬撃を振り下ろす。
そして勢いそのまま右後方まで斬り上げる。
闇に残るは、半月の軌跡。
その軌跡に触れた二匹の鼬は体を引き裂かれ、グチャリと生肉のつぶれたような音を立てその場に落ちた。
残り一匹。
鉄扇を右後方まで振り抜いた僕は、左から迫り来る敵に対し、あまりにも大きな隙を作ってしまっている。
使い魔は、もはや吐息の聞こえる距離にあった。
鼬は宙を飛び、獣の息づかいが耳朶に触れている。
━━━━━━爪と牙が襲い来る。
この体勢から、振りぬいた右手を瞬時に左へと方向転換させるなど不可能だ。
右手では防げない。
ならば━━━━━━
残る左手で対処するほか無い。
「はあっ!」
やや右を向いていた姿勢から、振り向きざまに左手での裏拳。
手の甲で鼬の背中を打ち下ろす。
素手の一撃では、さすがに人外の端くれである使い魔は倒せない。
鼬にはさしたるダメージもなく、ただ、一度地面に着地したにすぎない。
だが━━━━━━、
それだけで十分。
十分に過ぎる。
その一瞬の時が、僕に攻撃体勢を整える猶予を与えてくれる。
「━━━━終わりだ!」
使い魔の鼬に正対し、上段からまっすぐに鉄扇を斬り下ろす。
地面を蹴り再攻撃に出た鼬を、カウンターで迎え撃つ形となった。
━━━━交わりは刹那。
縦一閃、一条の軌跡━━━━━━━━。
最後の鼬は、唐竹割りで脳天から尾の先まで真っ二つとなった。
僕に向かってきた使い魔はこれで全て打ち倒した。
だが、まだ気を抜いてはいけない。
風花と霧島先生の様子を伺う。
戦況はどうなったのか?
視線を左右に飛ばすと、二人はすでに敵を倒しきり、こちらに向き直っていた。
知らず、ふう、と安堵のため息が漏れた。
「夕綺、大丈夫!? 怪我は無い?」
風花が心配そうに僕の元に駆け寄ってくる。
「ああ、大丈夫。なにも問題ないよ。風花こそ大丈夫か?」
先ほど傷を負ったはずの腕に目をやる。
「平気よ。もう治したわ。私を誰だと思ってるの?」
見れば、言うとおり傷は塞がっている。
さすがは、傷を治す三番手のかまいたち。
僕が心配するなどおこがましかったか。
言われて思わず苦笑する。
「でもよかった。まあ、夕綺ならあの程度の使い魔に遅れをとることはないとは思っていたけど、それでも、万が一はあるわ。本当に無事でよかったわ」
「ありがとう。判断さえ間違わなければ、この程度の相手など敵じゃないさ」
言いながらも、判断ミスをした時のことを想像すると背筋に冷たいものが走る。
まあいい、無事切り抜けたのだ。
余計なことを考える必要などない。
「これくらいはやってくれないとね。まあまあと言った所かしら、葉真夜クン。でも、すこし危なっかしいわね。もう少し余裕があると思ったのだけれど?」
霧島先生が傍らに立っていた。
その眼差しはいつもの冷淡なそれだ。
先ほどの狂気ともいえる感情は、今はまるでその姿を失っている。
僕の身を心配するでもなく、僕の手際を蔑むでもなく、ただ、淡々と語る。
「手厳しいですね。先生は。ですが、余力はまだありますよ。切り札というのは先に見せないものです。僕の手札は、まだまだあります」
事実だが、同時に強がりでもある。
戦いがギリギリの勝負だったのは否めない。
霧島先生に言われるとおり、“余裕”はなかった。
あるのは、わずかな余力のみ。
これが人の身の現実だ。
「そう。それならいいのだけど。でも。せいぜい出し惜しみをして死なないようにね。葉真夜クン」
感情のこもらない口調で言われる。
やれやれ、ことごとくもっともだ。
「━━━━善処しますよ。では、先を急ぎましょうか」
短く答え、握っていた鉄扇をしまう。
「それもそうね。でも、使い魔がここにこれだけいるということは、主の居場所も近いかもしれない。案外、決戦はすぐかもしれないわね。ふふ、楽しみだわ」
霧島先生は、口元だけで笑った。
三日月のように口の端がついっとあがる。
ナイフに付いた血糊を布で拭いながら笑う姿は、あまりにも薄ら寒いものがあった。
そんな眉をひそめた僕の視線など意に介さず、霧島先生は通路の先へと進んで行く。
「……夕綺、行きましょう。あの女の言うとおり、戦いの時は近いわ。さっき、使い魔が放たれる際、わずかながら確かに妖気を感じたわ。姉さんたちの居場所は近いはずよ。この先か……、もしくはあと一階層下か……、どちらにせよたどり着くのは時間の問題よ。もう一度気を引き締めて」
風花は、先ほど見せた安堵の表情とはまるで違う厳しい顔をしていた。
目を細め、通路の奥、その闇の先まで睨みつける。
その眼光に、一切の曇りは存在しない。
風花の体からは立ち上る妖気。
その発散される妖気が、決意と覚悟をあらわにしている。
「わかってる。ここからさきは、最初から全力だ。持ちうる札は全て出し切る。温存なんて、そんな余裕はない。あとはただ、全力を尽くすまでだ。たとえ、その結果がどうなろうとも、すでに覚悟はできている。大丈夫だ」
もう一度、改めて覚悟を口にする。
━━━━恐れが無いわけじゃない。
僕も死ぬのは怖い。生き物であればそれは当然だ。
だが、僕も退魔の家系の末裔。
死は常に身近に、常に背中に貼り付けながら生きてきた。
その運命を疎ましく思ったことが無いといえば嘘になるだろう。
だが、僕はその運命を受け入れる選択をした。
幼き日、救えたかもしれない人を死なせてしまった。
もう少し力があれば、彼女を救えたかもしれない。
僕にもう少しの強さがあれば、沙希は死ななかった。
それだけは忘れるわけにはいかない。
目の前で、人が死ぬのはまっぴらだ。
少なくとも、
人外に、僕の眼の届く範囲で、僕の身近な人間に手を出させるわけにはいかない。
だから、戦うと決めた。
あの時から━━━━。
いまもその気持ちに変わりは無い。
世界を救うなんて関係ない。さらさら無い。
他人なんて関係ない。
僕は僕のために戦い、生きる。
僕が護りたいものは、僕の身近な人たち。
そのためならば、戦える。
だから━━━━━━
━━━━━━死は恐れようとも
怯えはしない━━━━━━
「夕綺の覚悟は理解しているわ。私も全力を尽くす。がんばりましょう。全ては、もうすぐ━━━━」
僕の言葉を聞いた風花は、少しだけ悲しげな顔でそう囁いた。
僕は気の利いた台詞も言えず、ああ、と頷くのが精一杯だった。
「何をしているの、二人とも。問題ないのなら早く行くわよ」
霧島先生が、冷然と催促する。
僕らは再び、先頭を行く霧島先生に続き坑道を歩む。
すでに会話はほとんど無い。
決戦は、近い。
僕らの周りには、真冬の空気のような緊張感が張り詰めている。
黙々と、闇の中を進む三人の足音だけが僕の鼓膜をゆらしている。
通路はまだまっすぐ奥まで続いていた。
先は見えない。
途中には、細かい横道もいくつか見て取れる。
それらを確認しながら、前へと歩みを進めていく。
なにも異常は無い。
特にこれといった変化も無く、探索は進行していった。
いま、この時、この瞬間までは━━━━━━!
その変化は唐突に訪れた。
最初は気のせいかと思った。
だが、それはある現象の前段階━━━━予兆だった。
風も無いのに、頭上からパラパラと砂が舞った。
そんなふうに感じた。
だが、瞬時に予感が走った。
まずい、と。
その刹那、地響きのような重い音が坑内に響き渡った。
「なんだ!?」
思わず叫ぶ。
「ここから離れなさい! 天井が崩れるわ」
霧島先生の張った声が響く。
いつも冷静な彼女が大きく張り上げた声は、事態が緊急を告げていることを示している。
思わず天井を見上げる。
剥き出しの岩盤に亀裂が入って、天井が崩れ落ちはじめるのが“ゆっくり”と見えた。
視界はスローモーション。
考えている暇は無い。
アドレナリンが分泌される非常事態。
動け!
前か━━後ろか━━、横でもいい。どこでもいい。
動いてくれ!
視界の遅さは認識できるが、意識とは裏腹に僕の体も驚くほど緩やかにしか動けない。
まるで夢の中のようだ。
なんてもどかしい。
これでは、間に合わない。
頭上には尖った岩石が迫っている。
このままでは良くて頭蓋粉砕。
悪くて生き埋め、即死亡。
どちらも大して変わらない。
━━━━━━くそ、こんなところで。
直後、胸の辺りにズンと重い衝撃があった。
最初は崩れ落ちてきた岩に潰されたのかと思ったが、そうではなかった。
視界が猛スピードでバックする。
体は宙を飛び、もんどりうって背中から倒れこんだ。
;画面ゆらす(縦)、+効果音ドフ!
「かっ……、は……」
息が━━━━止まる━━━━━━━━。
;画面ゆらす(ランダム)
程近くから、土砂の崩れるような轟音。
頬にはピシピシと小石の当たる感触。
その、腹に響く重い音は数秒間続いた。
━━━━━━━━━━以後、静寂。
僕はそのまま仰向けのまま、呼吸を整える。
何が起こったのかはよくわからないが、こうして息をしているということは、先ほどの窮地からはなんとか助かったのだろうか?
しびれるような背中の痛みと、横隔膜が震えるような呼吸の苦しさが、今生きていることを確かに証明している。
「ふう━━━━━━━━」
数度、深く呼吸を繰り返し、やっと上体を起こした。
気づけば、傍らには風花が立っていた。
「ごめんね、夕綺。少し荒っぽくなってしまったけど、これしか手が無かったから……。体は大丈夫? どこか痛むところはあるかしら?」
風花は申し訳なさそうに、そう声を掛ける。
「お礼を言うのは僕の方だ。危ないところだった。ありがとう、たすかったよ。体の方も問題ない。少し背中を打ったけど、もう平気だ」
言いながら立ち上がろうとしたら、風花に手を差し出された。
なんとなく気恥ずかしい気はしたが、その手をつかみ立ち上がる。
「それにしても、何が起こったんだ?」
一分前の自分のいた地点を見やり、ゾッとする。
先の場所は、すでに崩壊した岩盤━━その瓦礫で埋め尽くされていた。ついさっきまで存在していた通路は、今は完全に消失している。
「崩落したのか……? ありえないことじゃないが、まだ現役を退いて間もない、この裕羽鉱山の坑道が崩れるなんて」
僕は呆然としたように言葉を漏らす。
「人の手を離れた、“廃墟”というものは驚くほどの速さで風化していくものよ。現実にこうして崩れたのなら、受け入れるしかないわね。まあ、もしかしたら別の原因があるのかもしれないけれど、それをここで考えていても仕方ないわ」
「それもそうか。……そうだ、霧島先生はどうなったんだ? 姿が見えないが、まさか━━!?」
思わず、通路を完全にふさいだ岩石の山に目をやる。
「勝手に人を殺さないでもらいたいわね。最初に気づいた私が死ぬわけないでしょう。少しは考えなさい」
遠くからくぐもった声がかすかに聞こえてきた。
霧島先生の声だ。
どうやら無事だったか。まあ、殺しても死ななさそうな人ではあるが。
「先生、無事でしたか。それで、今どんな状況なんですか?」
声のした方向に向かって叫ぶ。
「そうね。坑道が崩落したことで私たちは分断されたようね。私は、さっきいた地点の少し先の辺りにいるわ」
崩れた岩壁の向こうからくぐもった声がなんとか届く。
向こうも、大きな声で話しているのだろうが、届く音量はか細く頼りない。
「この瓦礫は、人の手ではどうしようもありませんね。どうしましょう? ここからは別行動するしかないですかね?」
「この状況ではそれしかないわね。見取り図を見た限りでは直接は合流できそうにないわね。まあでも、鉱井があるなら何とかなるでしょう。そっちはそっちでなんとかしなさい」
鉱井とは、鉱石を下の階層に落とすための小縦坑だ。確かに、人が通れない事もない。
普通はもちろんやらないが、霧島先生ならなんの問題にもならないだろう。
「わかりました。僕らは別の道を探索していきます。この階では合流は難しいでしょうから、地下二階の一番大きい採掘場を目標地点にして、合流を目指しましょう。もしその前に戦闘が開始したら、その場所に向かいます」
「順当な判断ね。それでいいわ。私はこのまま奥に向かう。葉真夜クンはまず、さっきの分かれ道の反対側の通路を調べてちょうだい。でも、先に戦闘に入るのはどちらかしらね。まあ、葉真夜クンが苦戦するなら、助けに行かないでもないわ。とりあえず、キミの存在は貴重なものだから、簡単に死んでもらっては困るし」
感情の存在しない声で淡々と話す。
霧島先生の言っていることは全て事実であり、同時に不愉快なものでもある。
助けに来るのも本当だろう。
━━それは僕の為ではなく、自分自身の為だが。
客観的にみて、僕の存在が貴重というのも事実だ。
━━僕が死んだら、彼女らの組織が困るのだろう。
そして、僕が苦戦することが前提なのも、これまた厳然たる事実だ。
━━悔しいが、現段階では否定できない。
「……了解しました。僕らは反対の道を調べます。お互い、気をつけて行きましょう。では、後ほど合流地点で━━」
お互い、と付けるのがせめてもの強がり。
きっと霧島先生は余裕の態度を崩すまい。
「どうも、ご心配に預かり光栄だわ。ま、気をつけて行くとするわ。じゃあね、あとで会いましょう」
霧島先生はそう告げて、どうやら通路の先に向かって行ったようだ。
瓦礫の山の奥から、霧島先生の気配が遠ざかって行くのが微かに感じられた。
。
「━━さて、いつまでもここにいてもしょうがない。僕らも行こうか、風花」
「そうね。あんな女、放っておきたいところだけれど、そういうわけにもいかないものね」
風花はため息混じりに言い、肩をすくめる。
「どのみち、二人で戦う気だったんだ。それ自体はかまわないさ。ただ━━━━」
霧島先生に“協力しなければならない理由”ができてしまったから。
それだけだ。
新城さんの顔が脳裏に浮かぶ。
手荒なことはしていないと言っていたが、やはりどうなっているのか心配だ。
そのことを思うと、今すぐにでも霧島先生に掴みかかりたいくらいの怒りがこみ上げてくる。
だが、現状で“イニシアチブは向こうにある”。
その絶対的である事実は認め、受け入れなくてはない。
━━━━━━くそ。
「わかってるわ、夕綺。わかってるから、いいの」
風花はやさしく僕の言葉をさえぎった。
言わずともいいと。そう言ってくれている。
深く嘆息し、暗い天井を仰ぎ見る。
そうだ、今は目の前のことを考えればいい。
後のことは、後のことだ。
僕は一つうなずいて、この場を後にすることにした。
足早に来た道を戻る。
崩落により道を分断されたことで、僕らは元来た道を戻ることを余儀なくされた。
だが、一度通っている道だ。行きよりも速いペースで戻ることができる。
念のため、崩落を警戒しておく。
まあ、大規模な崩落が起これば、坑内の人間には手の打ちようもないのではあるが、気持ちの問題である。
途中、使い魔たちの屍骸を再び目にする。
累々たる屍の山は、戦いの激しさを改めて実感させた。
だが、それはすでに済んだこと。
今は、何も気にする必要のないものだ。
僕らは積み重なる屍骸を一顧だにせず、振り返ることなく歩を進めた。
程なくして、先ほどの分かれ道のところまで戻る。
「さて━━━━今度はこっちか━━━━」
僕はゆっくりと噛みしめるように、今来た道と反対の道へと踏み込む。
;SE足音一歩。
その瞬間、名状しがたい感情が沸き起こる。
;BG イメージ画像、波的な。
はたして、この先に待っているものは何なのか。
戦い? 恐怖? 敗北? 勝利? 苦悩?
関係ない━━━━。
たとえどんな結果になろうとも、僕は全力を尽くせばよいのだ。
敵がいれば戦う。恐怖は乗り越える。負ければそれまで。勝てば良し。その先に苦悩が待っていようとも、それは必ず打ち払う。
そう強く心に想うことにする。
そうすることで、僕は立っていられる。
前に進むことができる。
いや、そう思わなければ、立ってもいられないのだ。
僕は心を保ち、前へと進んでいく。
後ろには風花がつづく。
暗闇の中、二人の足音だけが静寂を厳かに破る。
乱れの無い水面に、水滴の波紋が広がるように。
静けさに包まれた坑道を粛々と歩む。
道は続く。
途中の横道には一瞥もくれない。もはやそれは意味の無いことだ。
なぜなら━━━━、
“先ほどの分岐を越えた瞬間から”、人ならざる者の気配が溢れ出てきているからだ。
この通路の先、その奥の奥。
闇の向こうから止め処なく押し寄せる攻撃的な妖気。
━━━━奴は間違いなくこの先にいる。
当然、風花もそのことには気づいている。
だが、言葉になど口にしない。
そして目を合わせることがなくてもわかる。
あまりにもよくわかる。
妖気を感じた瞬間から、風花も隠すことのない強烈な妖気を放ったからだ。
すでにこれは宣戦布告と同義。
今歩む道は、戦いに赴く花道のようなもの。
一人の観衆も居ないコロシアムへと厳粛な足取りで向かう。
すでに僕らの間に言葉など必要ない。
あとはただ、行くのみだ。
二人、曲がりくねった通路を進む。
そのまま五分ほど歩き続けただろうか。
湾曲した通路を抜けたとき、そこには開けた空間が広がっていた。
地下でありながら、体育館が余裕で収まるほどの広大な空間。
採掘を繰り返したであろう剥き出しの岩盤、その結果出来上がったあまりに大きながらんどう。
その幻想的ともいえる光景に思わず魅せられる。
これがただの廃墟探検や観光ならば、それでも良いだろう。だが、今はそんな情景など意に介する必要はないのだ。
━━━━気持ちを切り替え、視線を奥へと向ける。
そこには━━━━━━━━
「━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━来たか、風花。そして退魔の人間よ」
広大な空間の中央に端座していた男が、静かに瞼を開き立ち上がった。
そこに在るは銀髪の鎌鼬。
全身黒ずくめの服に身を包み、どこか死者の使いめいた不気味さを感じさせる。
体躯は決して大きくはないが、洗練されたボクサーのような、戦闘能力だけを目指した機能美ともいえる体つきをしている。
冷たさを感じさせるその銀色の髪とは裏腹に、目は燃えるような紅い瞳。
こいつが、風花の兄、諸刃なのか。
前髪の隙間から垣間見える眼差しは爛々と殺意に輝き、その声は淡々としていた。
妹に再会した感慨など微塵もないように思えた。
「久し……ぶりね。諸刃兄さん……。六十年ぶりくらいになるのかしら……」
風花は搾り出すようにゆっくりと言葉を紡いだ。
その声色にはわずかな郷愁、そして期待と、希望と、━━━━圧倒的な諦念が混ざっていた。
「━━━━風花。もはや、お前は俺たちの妹ではないと、以前言ったはずだ。“俺たちの妹だった”風花は六十年前に置いてきた。今、もう一度はっきりと言っておこう。袂を分かったお前は、俺たちの妹ではない。俺たちの邪魔をするのなら、たとえかつて妹と呼んだお前であろうとも、容赦はしない」
それに応じる諸刃という鎌鼬は、まるで風花の事を
気に留めるようすも無い。
あるのは、ただ、障害を排除するという意思だけだ。
その目はガラスのように鋭く、彼から発せられる妖気は敵意に満ちている。
その妖気は醜悪なまでに強大で、この空間を覆いつくし、支配しているとさえいえる。
だが、“そのおかげ”で僕の眼には良く視える。
場に満ち満ちた妖気が、この空間の全景をはっきりと映しだしていた。
光が世界を照らすように、妖気がこの場を照らしている。
「諸刃兄さん、お願い、もう一度だけ聞いて! もう、人間を襲うのはやめて。私と共に、人間と共存する道を探しましょう!」
風花は必死に懇願する。
その目には涙がうっすらと浮かんでいる。
「六十年前に言ったはずだ。俺たちは人間と共存することはできないと。今もその気持ちに変わりは無い。いや、むしろ、より人間を嫌悪しているだろう。封印から放たれた今、俺はまた人を襲い、喰らい、一人でも多くの人間を滅ぼす。それだけだ」
」
諸刃は風花の目を見据えながら、無感情な声で告げた。
「どうして、なにが兄さんたちをそこまで駆り立てるの? なにが兄さんたちをそうさせてしまったの?」
ひたすらに、がむしゃらに訴え続ける風花。
だが━━━━
「前にも言わなかったか? 俺は、我ら妖を追いやった人間が憎い。この百年あまりで、人の世界はあまりにも大きく変わった。江戸時代と言われたころまではまだ良かった。人は妖怪を恐れ、敬い、互いを侵略することなどなかった。だが、今はどうだ!」
風花の願いは届かない。
諸刃は、低く憤怒をこらえたような声で無慈悲にそれを打ち砕く。
諸刃の言葉は続く。
「人の世界は急速に発展し、その勢力を伸ばし続けた。今まで人が住まわなかった森を切り開き、川を埋め、山を抉り、大地を穢す。そして我々妖を隅へと押しやった。風花、お前もそれは覚えていよう?」
「わかっているわ。でもそれは人が成長していく上で必要なものよ。私たちがどうこう言うものじゃない」
気丈にも風花は反駁する。
「ほう、ならばお前はそれを甘んじて受けるというのか? 六十年前まで、俺たちはそうして里を追われ、より深い山中に身を隠し、人の世の干渉を避けて生きてきた。そうして人から逃げるように暮らすことを、お前は本当に受け入れられるのか?」
「違う! 私たちは元々人間とは相容れない。けれど、互いに干渉せずに生きていく道がある。形は違えど、それは共存よ」
「ふっ……、詭弁だな。ならばさらに問おう! そうして失われていった同胞たちのことはどう考える? 人間の世界が広がるにつれ、我らの命ともいえる魔境は日に日に、刻一刻と削られていく。人が立ち入ることのできぬ魔境が失われていくということは、すなわち我ら妖の力が失われるということだ。我々妖は、固体としては人を遥かに凌駕する一方、こうした状況の変化には致命的に弱かった。特に、妖力の弱かった者には顕著に影響した。人の立ち入れぬ場所、人の力の及ばぬところ、人の恐れるところ、そうした魔境と呼べる場所こそが、妖の住むことのできる唯一の場所なのだ。それを失い、人から逃げるように住処を探す、それに対応できなかった者はことごとく死んでいった。お前はそれを見てきたはずだ。それでもお前は人間と共存するなどと言えるのか?」
「彼らは私たちの存在など理解できていないし、知らない。彼らは悪意を持って侵略したわけでもないし、罪はないわ。仮に私たち妖が滅んでも、それは弱肉強食の摂理。仕方のないことよ」
「ほう、知らなければ罪ではないというか。悪意がなければ許されると? 随分と人間たちの肩を持つようになったな、風花」
「別に人類の味方をするつもりはないわ。私が味方する人間は一人だけよ」
風花はそう言い、チラリと僕に視線を向けた。
「━━━━ふ! 最初ここに来たのを見た時点でおおよそそうだとは思っていたが。改めて聞くとなかなかに笑える。妖が、人外狩りと共にあるとはな。こんなおかしな話はないな。どういうつもりか知らんが、それは俺たちにとっての背信行為だ。妖としての尊厳を穢す行為だ。人間と手を組むなど、お前は妖としての誇りはないのか?」
「さっきから言っているはずよ。私は人間と共存すると。その理解者がここにいる夕綺よ。私もできるなら、諸刃兄さんとは戦いたくない。どうか、考えを改めて!」
「無駄だ。俺は人間が許せん。存在そのものが許せない。食物連鎖の頂点に立ち、自分たちがこの大地を支配していると思い込んでいるその傲慢が許せん。俺は命尽きる最後の時まで人間を殺し続ける。その考えは変わらん!」
「それでも、罪のない人を殺すことは許されないわ。だから、里の長老たちも反対し、兄さんたちをとめようとしたわ。そして、兄さんたちは長老をはじめ、反対したものほぼ全てを斬った。今や鎌鼬の生き残りは私たちだけ。それでも兄さんは人間と争うの?」
「数の多少は問題ではない。俺たちは━━お前も含めてだが、我ら兄妹は一族の中でも秀でた妖力を持っている。たとえいくらか妖力が弱まったとしても、人間相手になんら不足はない。人の及ばぬ魔境がほぼ失われつつあるとしても、夜の闇がある限り、我らは滅びぬ。負けぬ!」
「どうやら、話し合いは平行線のまま終わりそうね……。もう、私の声は兄さんには届かないのね……」
風花の顔には悲しみと諦め、そして一つの決意が見て取れた。
「風花よ。六十年前は、妹と思い一度見逃した。だが、今度はそうはいかん。退魔の人間など連れてきおって、ただで済むとは思ってはいまいな?」
「━━━━━━━━残念だけど、戦うしか道はないようね。諸刃兄さん━━━━━━━━━━━━」
風花の体から更なる妖気が立ち上る。
すでに風花は、実の兄と戦う覚悟を決めている。
いや、おそらくは、遥か以前からすでに決めていたのかもしれない。
この六十余年、この瞬間の覚悟をずっと心に秘めていたのかもしれない。
迷いは、もう感じられない。
「退魔の人間を連れてきた程度で、この俺に勝てるとでも思ったか?」
怒気を孕んだ諸刃の低い声が響く。
「━━━━七年前、兄さんたちは、その退魔の人間に敗れたのでしょう?」
風花は静かに過去の事実を告げた。
淡々と、且つ挑戦的に。
ギリ、と歯を噛む音が聞こえた。
「なるほど、少しは逞しくなったようだな。言うようになった。━━━━だが、そいつは少し違うぜ。あの人間は俺を封じたが、結局奴は空矢によって殺された。今生きているのは俺たちだ。すなわち、最後に勝ったのは俺たちだ。そして、そこの小僧に負けるほど俺は落ちぶれてはおらん。たとえ、まだ体が万全でなかろうとな。忌々しい翠の眼は確かに奴にそっくりだが、その力はまだまだ奴の足元にも及んでいない」
諸刃の言うことは事実。
どんな理屈を述べたとしても、生き残ったものが勝者である。それは絶対だ。
たとえ勝負に勝っても、生き死にの戦いに負ければ、それは敗北だ。
そしてなにより、僕が父に及んでいないことが、決定的な事実だ。
「━━そうだな、僕の力はまだ父さんの域には程遠い。“現時点では”、足元にも及ばないと言われても否定はできない。━━━━だが、それでも“お前を倒す術はある”!」
僕は意を決してそう叫ぶ。
そう、その気になればこの妖を滅することは可能だ。
この命、いや、
━━━━━━━━この魂を費やせば。
「俺を舐めるなよ、たかが人間が妖(化け物)に敵うものか! もはや、二度と不覚はとらん! 覚悟しろ、風花! ━━━━そして人間!」
諸刃の咆哮ともいえる叫びが轟く。
その声は大気を振動させ、この地下空間をも震わせたかと思うほどだ。
諸刃を中心に、嵐のような妖気が迸る。
その妖気は僕の体を打ち付け、肺を震わせ、頬を裂き、心を圧迫する。
だが、これしきのことで臆しはしない。
準備はしてきた。
道具も、心(精神)も、━━━━━━。
「はああぁあぁあぁぁぁぁぁああぁぁぁ!」
諸刃は怒号を発しながらその手に鎌を出現させた。
一瞬のことだった。
はじめ、黒い棒状の影が現れたと思った刹那、その影はみたことも無い形状の武器となった。
それを鎌と断言できたのは、ただ一つの単純な理由だ。
特異な形をしながらも、長い柄と刃が、直角に組み合わさっていたというその一点だけが鎌と呼べる拠りどころだった。
その形状を口で言うならば、槍とも剣ともつかぬ独特のもの、とでも言うしかあるまい。
長柄の槍に抜き身の刀を添えつけたような……、そう、西洋のハルバードに近いものがある。
違うのは、ハルバードの斧の部分が刀だということ、そしてその刀が両刃であるということか。
その、攻撃のために特化して作られた武器は、ある意味芸術とさえ思えた。
諸刃がその武器を構える。
柄は水平に、穂先を斜め前に向け、刀は真一文字に横を向いている。
ここから見るには、隙は見当たらない。
だが、
「━━━━風花!」
「━━━━夕綺!」
二人、目を合わせ、頷く。
「いくぞ!」
「いくわよ!」
僕らは諸刃に向かって疾駆する。
後手に回っても有利はない。
出し惜しみする余裕もない。
ならば、全力の一撃を先に見舞うのみだ。
鎌鼬の長兄、切り役を務める最強の鎌鼬。
その鎌の斬撃を一度でも受ければ命は危ういだろう。
だから、何が何でも、最初の一撃だけはこちらがあたえなくてはならない。
まっとうな真っ向勝負では話にならない。
少しでも相手の妖力を弱らせ、こちらのペースに引きこまなければ勝ち目はない。
さあ、━━━━行くぞ。
僕は右手の鉄線を開き、左手を内ポケットに突っ込んだ。左手にナックルダスターを装着する。
指輪のような形状のナックルダスターは指の自由を失わせることなくその効力を発揮できる。
有事の際にはこれがなかなかに役に立つ。
同時に、パチンコ玉を一粒握りこむ━━━━
風花も疾走しながら鎌を出現させる。
小さな体には不釣合いなほどに大きく無骨な大鎌を。
その特大の鎌を片手でこともなげに上段に構える。まるで質量が存在していないかのようだ。
だが、そんなことはありえない。
いかに具現化した鎌とはいえ、確実に重量は存在する。
空矢の鎌を受けた僕にはよくわかる。
この身を切りつけた硬く、冷たい鎌は、重く確かな存在感を持っていた。
全力疾走しながらあの大鎌を何事も無く振るう風花は、やはり人を遥かに凌駕するものであることを実感する。
風をまいて風花は突貫する。
間合いを詰めるのに要した時間、わずか二秒。
その二秒で風花は自身の大鎌の射程に諸刃を捕らえた。
先制の攻撃は風花からだ。
右手に握った大鎌を諸刃のいる空間ごとなぎ払う。
その太刀筋には一切の躊躇は無かった。
風花の大鎌が美しい弧月を描く。
その軌跡は、確かに諸刃の首を捕らえていた。
死神の鎌を思わせる、命を狩るような渾身の一撃。初手にして、最大の攻撃を用いる。
騎士のランスによる攻撃にも等しい、突進からの斬撃。いかな妖といえども、この一撃を食らえば耐えられる道理は無い。
「フッ! ━━━━甘いな!」
諸刃はその場で上体をわずかに反らす動作一つで斬撃をかわした。
完全に見切っていた。
見事なまでに皮一枚のところで刃を避ける。
諸刃の銀髪だけが数本、宙に舞っていた。
大鎌でその首を刈ることはあたわず、その刃は髪の毛をかすめるだけにとどまった。
━━━━━━だが、まだ終わりじゃない。
同時に走り出していた僕は、攻撃を風花より一呼吸遅らせて諸刃への追い打ちを狙う。
大鎌をなぎ払い、隙のできる風花の右半身をフォローするように僕は風花の右側を追走していた。
そう、風花の攻撃がかわされた場合に備えて━━。
はたして、その時は来た。
「はああぁぁぁ!」
“この一撃で決めるしかない”。
その必殺の気迫を込めて、身体ごとぶつかるようにして突っ込む。
上体を反らしきった諸刃の顔面めがけて、思いきり力を込めて鉄扇を振りぬく。
しかし━━━━━━
僕の鉄扇は空を切った。
巻き起こされた風圧で諸刃の銀髪が激しく逆立つ。
上体だけでかわせないと判断した諸刃は足を使い距離をとっていた。予備動作も無く、つま先の力だけでの鋭いバックステップ。
五十センチ程度の動きだが、僕の攻撃をかわすにはこれで十分だという合理的判断なのだろう。
小さくかわし、隙を極力少なくする。
そうすることで次の動きに対応する。
敵ながら見事というしかない。
並みの妖なら、風花の最初の一撃で死んでいた。
中級妖怪でも、僕の追撃で瀕死だろう。
わかってはいた事だが、諸刃は間違いなくその領域を超えている。
僕らの二段構えの攻撃でも、諸刃にはかすり傷一つ負わせることはできなかった。
「━━━━はっ、その程度か」
諸刃の口元がニヤリと小さくつりあがる。
その目には、嘲りの色さえ浮かんでいた。
━━そうだ、それでいい━━
━━そのまま、自分を過信してくれればいい
━━攻撃を防ぎきったと思い込んでくれればいい
━━━━あと一秒だけ━━━━━━
ギリ、と左手を握り直す。
「それはどうかな?」
僕は冷厳と言い放つ。
(なに━━━━?)そう言いたげな諸刃の顔が瞬間見えた。
「くらえ!!」
言いながら、左手に握り締めていたパチンコ玉を至近距離から指弾で撃ち込む。
;エフェクト
直径1センチの金属球は唸りをあげ、一瞬で諸刃の身体にめり込んだ。
たかが指弾で撃ち出されたパチンコ玉。
その程度の攻撃が何になるというのか?
おそらく風花はそう思っただろう。
当の諸刃もそう思ったかもしれない。
たかが直径1センチの金属球にすぎない物体をその身に受けるまでは━━━━━━!
;エフェクト血
「ぐはっ……。こ、これは……!?」
諸刃の腕から鮮血が滴り落ちた。
僕の撃ったパチンコ玉は、諸刃がとっさに防御に使用した左腕にめり込み、その肉を抉っていた。
その隙に、諸刃の間合いからすばやく離脱する。
諸刃の顔がゆがむ━━。
それは怒りや傷の痛みというよりも、驚きによってのものに思えた。
諸刃は目を見開き、傷口を見やっている。
そうしてから、無造作に傷口に指を突っ込み、中の金属球を取り出した。
それを見た諸刃の顔色がさらなる驚愕と、そして感嘆に染まる。
「ほう……、なかなかやるな。まさか、こんな高等法術まで受け継がれていたとは、驚きだ。若いとはいえ、さすがは退魔の人間ということか」
まったく、お褒めに預かり光栄だ。
だが、高等法術は“褒めすぎ”だ。
これはあくまで小細工だ。
本来、これは攻撃に使用するものではない。
攻撃に特化した術から比べたら、なんとも稚拙な方法だ。
これは結界術の応用。
ただのパチンコ玉に破邪結界の術式を組み込み、それを直接、人ならざるものにぶつける。
こんな出鱈目なやり方は、葉真夜の結界術とは違う。
これはあくまで、攻撃法術を持たない僕が、以前考えに考え抜いた苦肉の策、異端の術。
僕がしばしば使用する簡易結界、あれを応用して利用している。
なんでもないパチンコ玉でも、霊力を込め(一粒仕上げるのに三ヶ月はかかるのだが)、言霊を刻めば一回限りの結界は作り出せる。
だが、結界を直接相手にぶつけるなど、まったくの想定外の使用法だ。
こんなことが葉真夜の本家に知られたら説教ものだろう。
例えるなら、しゃもじをラケットにして卓球をしているような、そんな不謹慎な行為。
それでも、無手よりはよほどいい。
まあ、こけおどし程度にはなるだろう。
「思っていたよりはやる━━━━。これはすこし、甘く見ていたかもしれんな━━━━」
言って、諸刃の目の色が変わる。
目を細め、真剣な表情へと変化する。
先ほどのような感情に任せた怒りも、驕りたかぶった油断ももはや無い。
攻撃の効果があったのはいいが、これでこの手は二度と使えない。
一度警戒されてしまえば、諸刃は隙を見せないだろう。
モノの正体を知れれてしまえば、至近距離からの指弾だろうと、それを防ぐのは鎌鼬にとっては造作も無いことだ。
たかが、時速80キロ程度で打ち出される金属球など、この妖には通用しない。
━━━━さて、このあとはどうしたものか。
「俺は人間など恐れはしない。だがそれでも、我らに通用する攻撃手段を持っている存在を甘く見るほど愚かではない。お前が息絶え、心臓が停止し、その四肢をバラバラにするまでは、決して気を緩めるようなことはしない。━━━━さあ、今度はこちらの番だ!」
諸刃は槍のような鎌を両手で握り、僕に向かって飛翔した。
地面を蹴った諸刃の体は、およそ人とはかけ離れた瞬発力を見せた。ありえない速度で中空を舞う。
これを飛翔と言わずしてなんというのか。
たった一度の踏み切りで、わずか一呼吸で、まさに瞬く間に諸刃は一直線に間合いをつめた。
その狙いは一つ━━━━━━━━。
刃で風を切り裂きながら諸刃は穂先を真っ直ぐ僕の体━━心臓━━にめがけて刺突する。
まずい! まずい!! まずい!!!
動け! 今すぐに!
動きは直線だ。横へ飛べば避けられる。
理性がそう告げ、同時に身体が反応する。
余計な思考はシャットダウン。
判断が正しいかどうかを考察するようなタイムロスは完全にカットする。
膝に力を入れ、全力で瞬時に横っ飛び。
刹那、僕のいた空間に刃が突き抜ける。
服の袖が裂ける。
痛みは……無い。
危ないところだったが、ギリギリのところでかわせたか━━━━━━だが、気を抜くのはまだ早い!
全力で横へとび、宙へ浮いている無防備な状態のところに的確な追撃が続く。
諸刃は柄を捻り、刀の部分で僕を斬りつけんと鎌を振るう。
「死ね」
冷たい声が耳に届いた。
━━━━なんてことだ。
最初の一撃は囮か━━━━いや、そんなことはどうでもいい。
今はただ、対処しなければ━━━━!
とっさに鉄扇を振り上げ、喉元を隠すようにガード。
それとほぼ同時に、甲高い金属音と激しい衝撃が体に響く。
腕がジンと痺れたが黙殺。
だが、真正面からは攻撃を受け止めきれない。そのまま鎌を払い、威力を受け流す。
それた刃先は僕の額をかすめ、パックリと傷が口を開く。
━━血飛沫がまう。
鋭い痛みと、頭蓋に直接響いた骨を削る鈍い音。
はっ、骨まで届いたか━━━━。
上等だ。
首が飛ばなかっただけでも上等。
ガードしていなければ、確実に僕の首は飛んでいた。
正確に急所を狙ってくるという“読み”で、なんとか致命傷は避けられたようだ。
だが、このままではまずい。なんとか体勢を立て直さなくては。
空中で追撃を受けた僕はそれだけを意識して地面への激突に備える。
「くっ!」
;画面縦ゆれ
数瞬後地面に接触、衝撃、無視。
;画面 回転90度づつ、縦ゆれとあわせる
回転、激痛、回転、激痛、無理やり立ち上がる。
;画面下からスライド
全身をくまなく打ちつけ、口の中も切ったようだ。鉄の味が広がる。
口内の血を乱暴に吐き捨て、すぐに構えをとる。
「おら、さっきの勢いはどうした! その程度か!」
諸刃の攻撃は止まらない。
穂先を僕に向けて突きの連打を繰り出す。
かろうじてそれを鉄扇で防ぎ、弾き、逸らす。
その度に硬い金属音が周囲に響き、鉄扇を握る手が軋む。
逸れた刃が背後の岩壁にめり込む。だが、岩壁はまるで豆腐のように簡単に切り裂かれた。
━━━━━━━━化け物め……!
突きそのものを見ていてはかわせない。
人の反射速度ではそれは不可能だ。
突きを見るのではなく、攻撃動作を見る。
攻撃の動きに入る際の腕や肩の動きから、攻撃の軌道を読み、そこに鉄扇を向かわせる。
長柄の武器ゆえ、生身の拳撃などよりかは、幾分読みやすい。
だが、一合交えるごとに腕や足、体中に傷を負っていく。
僕の側は防戦一方、ジリ貧だ。
一つ一つの傷は決して深くはないが、徐々にダメージは蓄積する。このままいけば、疲弊した僕はいつか直撃を食らうだろう。
そうなればお終いだ。
「くそっ! やられるわけには━━━━っ!?」
突如、地面の接地感が失われた。
ジリジリと後退していた僕は、剥き出しの岩肌の地面に足を取られ、バランスを失う。
必死で堪えるものの、たたらを踏んで後方へ崩れる。
駄目だ! 立て直せない!
瞬時に悟る。
すでに重心は正中線から大きく逸脱している。
完全に死に体だ。ここからでは体勢を戻すことは不可能だ。
このまま後方に倒れこめば止めを刺されて終わる。
諸刃の鎌が唸りを上げて迫ってくるのが視えた。
視界がスローモーションのように緩やかになる。
くそっ……、こんなところで……。
━━━━いや、まだだ!
最後の瞬間まで僕は足掻くぞ!
背中から倒れながらも、鉄扇は体の前に構え、少しでも攻撃を防ごうと試みる。
我ながら、ささやかな抵抗だ。
もはや紙の盾同然の防御。
それでも、僕は最後まで抵抗する。
たとえ殺されるとしても、足掻いて足掻いて足掻き抜いてから死ぬ。
それが最後の意地だ!
気付けば、鎌の刃先は僕の眼前だ。
おそらく、諸刃の一撃は防御ごと僕の頭を吹き飛ばすだろう。
覚悟はとっくに決めている。
目は瞑らない。
恐怖がないわけじゃない。
ただ、最後の瞬間まで戦いを放棄しなかったという意地のために。
諸刃の兇刃が僕の体に触れた。
そのまま刃がスライドすれば、防御に使った腕ごと首は飛び、僕は死ぬ。
ここで、死ぬ。
そう思った。
━━━━━━だが、
僕の首はまだ胴体から離れてはいない。
見れば、刃は僕の腕に触れたところで時が止まったかのように静止していた。
いや、違う。それは震えるようにかすかに微動していた。
「夕綺! 早く立ちなさい! 速く!!」
風花の叫びが頭上から轟いた。
叱咤と懇願がないまぜになったような声。
思わず視線を声の方へと向けた。
━━━━風花が刃を止めていた。
自身の大鎌で、諸刃の鎌の刀身を押さえ込んでいた。
だが、その表情には苦悶の色が浮かんでいる。
「早く! このまま抑え続けることはできないわ!」
言われ、やっと僕は転がりながら飛び起きる。
同時に全身に激痛が襲う。
動きが鈍い。だが、まだ戦える。はずだ。
「ありがとう、助かった」
「お礼は、勝ってからにしなさい。今は戦いに集中して!」
風花は諸刃と鍔迫り合いのように刃と刃を合わせていた。
交差した鎌がブルブルと震えている。
「風花、さすがにお前も鎌鼬だな。なかなかやる。だが、力勝負では俺には勝てんぞ、そら!」
そう言って気合一閃、諸刃が鎌を振り上げた。
ガギン、と耳につく鉄の音。
「くうっ!」
均衡が破れ、風花の小さな体が遥か後方に弾き飛ばされる。
「風花!」
思わず声を上げるも、風花は空中で一回転して体勢を立て直し、なんとか着地する。
僕はすぐに風花の元へと駆ける。
「私は大丈夫よ、夕綺。心配要らないわ。……でも、この鎌はそうはいかないみたいね」
視線を風花の鎌へと向けると、そこには大きく刃こぼれした無残な大鎌の姿があった。
反射的に諸刃の鎌を見やる。
対する諸刃の鎌は刃こぼれどころか、傷一つ付いてはいない。
「これは……!?」
知らずつぶやく。驚きを隠せない。
「やはり、兄さんの鎌は鎌鼬最強ね。傷を治す役の私の鎌では、切り役の兄さんの鎌には敵わないのは道理ね」
風花は冷静な口調で言う。
「直らないのか?」
「すぐには無理ね。鎌鼬にとってこの鎌は、獣の爪と同じものよ。だから、鎌を治すのは、欠けた爪が伸びることと同義。それ相応の時間が必要になるわ」
つまり、鎌を破壊されれば、すぐには新しく鎌を作ることはできないということだ。
人知を超えた妖怪といえども万能ではない。
そうなると戦いを長引かせるわけにはいかない。
万一、鎌を失うことになれば風花は無手になる。
その点、僕の鉄扇は人外に対しては絶対的な威力をもつ。諸刃の鎌を受けても僕の鉄扇は無傷だ。
ここは、僕がなんとかするしかない。
だが、どこまで体が言うことをきいてくれるものか。
僕は傷だらけの体に鞭を入れ、再び鉄扇を構えた。
「夕綺、私の手を握って」
風花がそういいながら僕の手をつかむ。
答える暇も無く、指が絡められる。
その瞬間、体全身に熱が走った。
皮膚の全てが火照ったように熱い。
それも一瞬のこと。
わずか一秒程度の感覚。
気づけば痛みは縮小され、グンと体が軽くなった。
「助かる、これで動けるよ」
「気をつけて。まだ傷が完全に治ったわけじゃないから。それに、そうなんども使えないわ。理解しておいて」
見れば、風花の額から大粒の汗が滲んでいた。
「わかった」
短く答え、諸刃に向き直る。
全身に負った裂傷は血も止まり、鈍痛が残るものの運動に支障は無い。
だが、このあと風花の回復術をあてにするわけにはいかない。
おそらく、使用するにはかなりの妖力を必要とするのだろう。
僕の傷を治した風花は、やや疲労の色を浮かべている。
勝負を急がざるをえない。
敵は強い。
守勢に回れば押し切られる。
攻めるしかない。
「夕綺、ここは前に出るしかないわ。ちなみに、まだ策はあるかしら?」
風花が前を見たまま声を掛ける。
声は真剣そのもの。風花も勝負所を嗅ぎ取っている。
「━━━━━━ある」
僕ははっきりとそう答えた。
「夕綺を信頼してるわ。私はどうすればいい?」
「僕が奴に向かって走ったら、そのまま後ろについてきて欲しい。僕は必ず奴の鎌を止めてみせる。その瞬間に一撃決めて欲しい。後は何とかする」
「無茶ね。でも夕綺ができるというのなら、私は信じるだけよ」
「ありがとう。━━━━━━じゃあ、いくぞ!」
地面を蹴りつけ、僕は諸刃に向かって疾駆する。
僕の真後ろにはピタリと風花が追走する。
「ふ! 何を打ち合わせしたか知らんが、多少小細工したところで俺には勝てんぞ!」
諸刃が吼えて僕らを迎え撃つ。
柄を両手で握り、槍の穂先の部分を前に向けている。
━━━━そうだ。それでいい。
そのまま全速力で間合いをつめる。
駆けながら左手を内ポケットに手を伸ばす。残りのパチンコ玉、その全てを握りこむ。
出し惜しみはなしだ。
ギャンブルになけなしの貯金をつぎ込むように、最後のチャンスに全てをかける。
ここは張りをマックスにするべきところだ。
いまさら小さく張ったところで活路は無い。
すでに諸刃は目の前だ。あと三歩で諸刃の武器の間合いに入る。
━━━━三
内ポケットから手を抜く。
━━━━二
左手を振りかぶる。
━━━━一
「うおおおおぉぉぉぉ! くらえええ!!」
投擲。左手に握った金属球全てを諸刃に向かって投げつける。
放った玉は六発。散弾銃のように金属球は諸刃を襲う。
「はっ! さっきは驚かされたが、わかっていればどうとでもなる。あの程度なら避けるまでもない。二人とも串刺しにしてやる!」
諸刃は一直線に突っ込んだ僕たちに対して、真っ向から突きで迎撃する構えだ。
僕の攻撃をかわす気は全くない。
攻撃をその身に受けた後、反撃する覚悟だ。
みごとな胆力、そして判断力。
豪快にして、冷静だ。
結界術を駆使した破魔の金属球が諸刃の体を撃つ。
その肉は抉られ、血が噴きだす。
相当なダメージはあたえた。
だが、“それだけ”だ。
決して致命傷にはなりえない。
血を流しながらも、諸刃は勝利を確信したようなニヤリとした笑みを浮かべた。
「耐えたぞ。さあ、串刺しになれ!」
諸刃の突きが繰り出された。
━━━━━━風を切り裂いて刃が迫る。
━━━━━━狙い通り━━━━━━!
鉄扇を開き、諸刃の突きを正面から受け止める。
開いた鉄扇の裏に左手を沿え、両手で攻撃を受け止めるべく力をこめる。
耳を聾する激しい衝突音と衝撃。
「ぐおおぉぉぉぉ!」
衝撃は肩まで突き抜けた。
腕が折れそうだ。
鉄扇を握っている側の手首も軋む。
両足で踏ん張って渾身の力で威力を押さえ込む。
膝が震える。
「くううぅぅぅぅ━━━━━━」
それでも耐える、耐える、耐える!
全ての力を搾り出して懸命に堪える。
足先から脳天まで痺れが走る。
「━━━━ぅぅぅううおおおぉぉぉおお!!」
怒号と共に僕は諸刃の鎌を押し返す。
もう、手の感覚が無い。
堪えろ、堪えろ。
諸刃の刃が━━━━勢いを失う━━━━。
━━━━堪え、きれるか━━━━?!
だが、
抑えきれるかと思った最後の瞬間に、鉄扇を弾き飛ばされた。
高い金属音をだけを残して遥か彼方に吹き飛んでいく。
「━━━━くっ!!」
それでも、諸刃の攻撃は防いだ。
決して悪くない。
「ちぃ……! しとめ損ねたか!」
忌々しげな表情を浮かべ諸刃が悔しさをあらわにする。
「風花! いまだ!」
「わかってるわ! 兄さん、覚悟!」
僕の背後から風花が飛び出す。
諸刃はまだ構えを崩したままだ。
━━━━ここだ。
頼む、風花。
ここで一撃、決めてくれ。
そうすれば━━━━━━
「はあああぁぁあぁぁあああぁぁぁ!!」
風花の大鎌が風よりも速く煌く。
音よりも速く刃が駆け抜ける。
「そうはいくか。このていどの浅知恵。 俺を な め る な!!」
怒りで大地を震わさんばかりの咆哮。
諸刃の目が見開かれ、僕ら二人を睨みつける。
だが、僕らは怯まない。
そう、決めたのだから。
風花の大鎌が軌跡を描いて諸刃の首に迫る。
━━━━━━やったか!?
否! まだだ━━━━━━━━!
諸刃はありえない体勢からありえない動きで風花の大鎌をブロックした。
自らの鎌の柄で、風花の大鎌の刃をガッチリと受け止めていた。
バカな!?
あん長柄の武器をフルスイングした状態から慣性を無視して防御に転ずるなど考えられない。
人間なら、どんなに筋肉を鍛えたとしても、あんな動きをすれば腱も筋も神経も骨もイカれるに決まってる。まったく馬鹿げてる。
これが、化け物か。
だが、それでも━━━━━━━━
「小賢しい小細工もこれまでだ。あと一手足りなかったようだな、人間!! あの武器を手放したお前に勝ち目は無い!」
勝利を確信したような諸刃の表明。
━━━━━━それでも、まだ手はあるんだ!
「それはどうかな。驕りは大敵だぞ、大妖怪」
僕は至近距離から諸刃の鼓膜を静かに震わせる。
ギリ、と左手を硬く硬く握り締めた。
僕はとっくのとうに諸刃の懐に侵入しているのだ。
諸刃は、風花の大鎌を受け止めた時点で勝ちを意識した。鉄扇を手放した時にすでに僕への警戒を怠った。
その驕りがお前の敗因だ。
「お前は、最後の一手を読み違えた。これが本当の奥の手だ!」
そう言って、思い切り、殺すつもりで、微塵も躊躇い無く、正確に急所を打ち抜いた。
「うおおおおおぉぉぉぁああぁぁ!」
メリ、と厭な手ごたえ。
諸刃の心臓めがけて胸の肉と骨が陥没してゆく。
「ぐ、ぐおおおぉぉぉぉおおお!!」
諸刃の絶叫が地下空間にこだまする。
僕の拳が諸刃の胸の中心に埋めこまれた。
━━━━決まった。
諸刃の裏をかき、起死回生の一撃を見舞ったぞ。
ここまで温存した手札を、ここで余すことなく使い切った。これが届かぬはずがない。
一回きりの大博打。
ここで、ついに、ついに実った。
左手に装着したナックルダスター。
これもあのパチンコ玉同様、ネタを仕込んだものだ。術の効力自体は先のパチンコ玉とさして変わらない。
だが、僕自身のパンチ力を加算することで、その威力は元の累乗に値する。
いかな上級妖怪といえども、それで急所を貫かれれば生きてはいられないはずだ。
このまま心臓まで拳が届けば終わる━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━いや━━━━わずかに浅かったか!?
そう思った瞬間、腹部を蹴り飛ばされ僕の体は後方に弾けとんだ。
「ぐあっ!」
背中から倒れこみ、一瞬息が止まる。
それを見て風花がすぐに僕の元に駆け寄る。
僕は大丈夫だとジェスチャーで風花を制し、立ち上がる。
二人、諸刃を見やる。
諸刃は胸を押さえながら、肩で息をしていた。
胸からは鮮血が噴き出ている。
その傷口を押さえた手から、水がこぼれるように
ビチャビチャと朱い血が垂れ流されている。
指の隙間からは、脈動する筋肉と、細く白いものが
垣間見えた。
「が、は……。なんて、ことだ……!」
息も絶え絶えといった様子で諸刃が愕然とした呟きを漏らす。
怒りと驚きと悔しさをないまぜにしたような声音は、諸刃の心情を完全にさらけ出していた。
「くそっ……! くそっ……!! まさか、この俺がこんな不覚をとるとは━━━━。いかに、妖力が不完全であったとはいえ、このような無様な姿を晒すとはな……。まったく、……なんたるざまだ」
諸刃は自嘲気味に言葉を吐き捨てた。
その間も血は止め処なく流れ続けている。
だが、戦いはまだ終わってはいない。
ここは攻めどころだ。
つめを誤らず、きっちりとどめを刺すべき時なのだ。
だが、━━━━動けない。
諸刃は致命的ともいえる大打撃を受けた。
しかし、命を絶つには至らなかった。
いまの諸刃は文字通り手負いの獣だ。
迂闊に手を出せば、こちらもただでは済まないだろう。
それに、こちらには“もう決め手がない”。
鉄扇も手元には無い。
風花の大鎌も酷い損傷だ。先の一撃でそれはさらに悪化している。とても諸刃の鎌と打ち合えるとは思えない。
それでも、諸刃の傷もまた深い。
それもまた事実。
動けないのは互いに同じ。
どちらかが動けばこの危うい均衡も終わる。
崩れ落ちそうな吊り橋の上にいるような緊張感。
動けば橋は崩れ落ちる。
共に落ちるのは果たして━━━━━━。
「夕綺、まだなにか手はある? いくらなんでも無手で兄さんとやりあうのは危険よ」
風花が心配そうに尋ねる。
しかし、その心配を払拭する答えはできそうにない。
「いや、残念ながらもう打ち止めだ。あの一撃が全てだった。鉄扇も遠くに飛ばされ、どこに行ったかもよくわからない。ナックルダスターも一回しか使えないシロモノだし、今となってはただの鉄の塊。妖の前にはおもちゃ同然さ。残っているのは、ナイフが一本……か。これも、おもちゃに毛が生えたようなもんだ。でもまあ、無いよりはましか」
懐をまさぐり、武器の有無を確認。
苦笑しながらバタフライナイフを取り出した。
こんなもので化け物と戦えるわけがない。
カッターナイフで熊に挑むようなものだ。
そう思いながらも、素手でいる不安さを紛らわせるためにそれを握り締める。
そして、明確に敵を倒す意思を込めるために、あえて逆手で柄を握った。
そうすることで、ほんの少しだが、心に力が湧き上がるような気がした。
「厳しいわね……。でも厳しいのは向こうも同じ。あの傷ではまともに鎌を振るえるとは思えないわ。勝負を仕掛ければ、先に当てたもの勝ちの展開になるでしょうね」
「それでも、やや分の悪い勝負になるな……。それは、二人がかりでかかってやっとのものだろう?
勝負に挑めば、僕らのうちどちらかが確実に死ぬ。
その上で、ギリギリ奴に届くかどうかだ。リスクの方が大きい。今の僕らなら、二人ともやられる可能性だってある」
しかし、諸刃にとってもそれは避けたい状況のはず。それゆえ、諸刃は勝負を急がない。
「それでも、現状でほかに方法は存在しないわ。このまま睨み合ってもいられない。あまり時間をかければ、兄さんの傷も回復してしまうわ。そうなれば、全てが水泡に帰す。やるなら、今しかないわ! 夕綺!」
一度、諸刃を見やる。
出血の勢いは僅かにおさまりつつある。
風花の言うとおり、このまま推移すれば、程なくして傷が回復してしまうだろう。
━━━━━━やるしかない。
「わかった、風花。背に腹は変えられない。たとえどちらかが死ぬことになろうとも、それは受け入れよう」
達観した面持ちで僕は告げた。
とっくに覚悟はできている。
「ええ、その覚悟はできているわ。なら、いくわよ!」
ああ! と答えて僕と風花は飛び出した。
血を流す諸刃に向かって、とどめを刺すべく立ち向かう。
諸刃が苦悶の表情を浮かべながらも鎌を持ち上げる。あれを食らえば命はない。
諸刃の言葉は強がりではない。
僕と風花を殺せるだけの力は間違いなくある。
「きたか、風花、人間! だが、俺は負けん!」
諸刃は叫び、鎌を振りかぶる。
僕らの攻撃が先に届くか━━━━それとも━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━。
互いの距離が縮まる。
もう、あと少しで双方の攻撃が及ぶ領域に入る。
決着は一瞬でつくだろう。
人の生き死にとは、瞬間の中にあるのだと実感する。命は儚いものだ、そう思った。
そのとき━━━━━━━━━━━━
;エフェクト
「ちぃっ!!」
諸刃が突然後方に飛び去った。
直後、諸刃のいた地点に何かが突き刺さった。
ガチンと硬い音を響かせ、そこには見覚えのある刃物が地面に生えていた。
このナイフは確か━━━━。
「葉真夜クン、ずいぶんと苦労しているみたいね。私の方は終わったから、手伝いに来てあげたわ。感謝なさい」
そこにはいつもの口調で淡々としゃべる霧島先生があった。
その顔には怒りもなく、嘲りもなく、労わりもなく、ただ、無表情だった。いつもどおりに。
「霧島先生!?」
「大きなことを言っていたわりにはたいした事ないのね。もう少し頑張ってくれるかとも思っていたけど。まあ、でも及第点といったところかしらね」
霧島先生の言葉は続く。
僕たちの体たらくを責めるかのような物言いだったが、嘆息しながらも納得したようだ。
まあ、こちらも認めてもらおうなどとも思ってはいないが。
「くそっ……、増援か。まさか、この女……、空矢を倒してここに来たというのか……!?」
諸刃が肩で息をしながら、忌々しげに霧島先生を睨め付ける。
「空矢……? ああ、あの女鎌鼬のことかしら。ええ、もちろん。そうでなくては私がここにいるはずがないでしょう。私たちを分断したのはあなたたちなんだから。でも、作戦は失敗に終わったようね。我々の勝ちよ」
あっけらかんと、さも当然とばかりに答える。
その答えに僕も驚く。
みれば風花も目を丸くしていた。
おそらく、僕もそうなっているのだろう。
あの空矢を一人で倒しただと!?
考えられない。
だが、現実にこの場に霧島先生が現れたということは、すなわち、そうなのだろう。
「くっ……。三対一では、さすがに厳しいか。悔しいが、この場は引くしかあるまい……。だが、覚えておけ。次はそうはいかん。必ずお前たちを殺す。必ずだ!」
諸刃はそう言って風を巻き起こし、瞬き一つの間にこの空間から消えた。
逃げられた、か。
いや、助かった、というべきなのか。
後には静謐たる暗闇だけが延々と広がっていた。
今はもう、この空間には何も無い。
大きく安堵の嘆息をした後、霧島先生に向き直る。
「……、とりあえず礼をいうべきですかね、霧島先生。この場は……助かりました」
助けられたのは事実。
ひとまずは礼をいうことにした。
しかし、倒し損ねた些かの悔しさと、助かったという安息感が同時に去来し、なんともいえない気持ちがある。
「かまわないわ。葉真夜クン。どちらかが先に敵を倒した方が、加勢に向かうという決め事だったもの。礼には及ばないわ」
「私は別に礼なんか言わないわよ。あんたが来なくても、この場は何とかなったわ」
風花は憮然としてつぶやく。
「そうね。たしかに“なんとか”は、なったでしょうね。二人とも無事かどうかは別として」
霧島先生が意地の悪い笑顔を浮かべる。
なるほど、こういう顔はできるのか。
「……くっ……」
風花は口を結び、押し黙る。
「ですが、今後はどうしましょう? 奴に逃げられたのでは、再び戦いの準備をするのも大変なのでは?」
僕の問いに、霧島先生はあっさりと答えた。
「問題ないわ。鎌鼬の片割れは捕縛した。あの鎌鼬はきっと取り返しにくるはずよ。化け物のわりには珍しく仲間意識の強いやつだったから。だって、そうでしょう? 仲間を封印から解くために腐心する妖なんて、なかなかいるものじゃないわ。敵ながら、そのあたりは見上げたものよ」
確かに。その行動倫理は納得できる。
諸刃の封印を解いたのは空矢の行動によるものだ。
僕はそれを知っているが、霧島先生もそのことを知っていたのか。
まあ、これだけの実力の人物だ。知っていてもおかしくはないのだが。
「ところで、空矢姉さんをどうするつもりなの?」
風花の問いかけ。
その言葉には、実の姉の処遇に対する懸念を含ませていた。
敵対したとはいえ、やはり思うところはあるのだろう。
「そうね、まずは監禁して、鎌鼬を呼び寄せる餌になってもらおうかしら。だから、殺しはしないわ。でも、お嬢さん、あなたはこの鎌鼬とは袂を分かっているんでしょう? いまさら何が気になるのかしら?」
霧島先生は厭らしく問う。
「私の目的は兄さんたちを滅ぼすことであり、苦しませる事ではないわ。そして、とどめを刺すのも私の役目よ。それは覚えておくことね」
「へえ。なるほど、わかったわ。とりあえず心に留めておくわ」
感情のまるで無い無機質な声音で霧島先生は言った。その心の内は読めない。
心に留めると言った以上、この場で問答する理由は無くなってしまう。
風花は渋々といった苦い顔で沈黙する。
「さ、もうここにいてもしょうがないわ。戻りましょうか。今後の事は、道中打ち合わせしましょう」
霧島先生は踵を返す。
「そう、ですね」
僕はあたりを見回し、弾き飛ばされた鉄扇を見つけ、拾う。その表面を手で確かめてみる。
あれだけの攻撃を受けたというのに、この鉄扇には相変わらず傷一つ付いてはいない。
我ながら、この鉄扇の力に驚かされる。
「どうしたのかしら? なにか忘れ物でも?」
霧島先生が一度振り返る。
「いえ、大丈夫です。今行きます」
鉄扇をしまい、僕らはこの地下空間を後にした。
続きます。




