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5章から

続きです。


;第5章

外は、すでに日が沈みかけていた。

どうやら思いのほか、長い時間が経過していたようだ。

薄暗くなり始めた空を見上げる。

空にはまだ微かに赤みがあるが、それは夕焼けというよりは、薄暮と表現した方が正しいだろう。

地平の向こうに隠れた太陽の残り火が、この世界をかろうじて照らしているにすぎない。

あと数分もすれば完全に日は暮れ、夜闇の世界へといざなわれるだろう。







昼と夜の境目。

かつて、人が夜を恐れていた時代。

そのころはこの時間を逢魔時、または大禍時などと呼んでいた。

とはいえ、今となっては、もはや古い言い方にしか過ぎない。

だからといって、現代でも魔と遭遇することは、そうありえない話ではないのだが。









というか、昼だろうが、夜だろうが、奴らは常に存在しているのだが……。

明るい時間では、ただ見えづらいというだけのこと。

人外は、常にここに在る。

ゆえに、闇に覆われれば、感度の良い人間なら、人ならざる者を目撃することがある。

皆、気づいていないだけだ。

いや、気づかない方が、きっと幸せなのだろう。

知れば、きっと後悔するに違いない。

だが、僕にとってはどうだろうか━━━━?







「夕綺、どうしたの? はやく帰りましょう」

考え事をしているうちに、立ち止まっていたらしい。

怪訝そうに風花に声をかけられる。

「ああ、ちょっと、考え事さ。今日の晩御飯をどうしようかと思ってね」

思わずそう答えた。

といって、まんざら嘘でもない。

風花と一緒に、夕食の買い物をするのも悪くないと思ったからだ。

まあ、はたから見たら僕が一人で居るようにしか見えないので、会話をする際には注意が必要なのではあるが……。

せっかくの機会なので、ここは風花と共に食材の買出しをするとしよう。



「風花、よかったらこれから夕食の買出しにいかないか?」

僕がそう言うと風花はすこし驚いたような顔をする。

「え? ええ。それはいいけど、ずいぶんと落ち着いてるのね。あんまり立ち直りが早いのも、考え物かしら。……ちょっとかわいげがないもの……」

最後のほうは、声が小さくてよく聞こえなかったが、とにかく、賛同は得られたようだ。









「こうなった以上、あとは開き直るしかないさ。それに、腹が減っては戦はできぬ、ってね。風花もこないだ、魚料理とか刺身が食べたいって言ってただろ。今日は少し、奮発するよ!」

開き直りに空元気も混ぜて、僕は勢いよく告げた。

場合によっては、これが最後の晩餐になるかもしれないのだ。僕は、けっしてその緊張感を忘れているわけではない。

ただ、仮に最後の晩になるとしても、いつもどおりの日常のように、当たり前に過ごしたい。

怯え、悩みながら最後の日を過ごすなど愚だ。

もはや、賽は投げられた。

あとは、前に進むのみ。

ならば、最後の瞬間まで、自分らしくありたい。

そう思う。

いや、そもそも最後にするつもりは━━━━

「ん、わかったわ。じゃあ、夕綺の好意に甘えるわ。好きな物、たのんでいいのかしら?」

小さく息をついてから、優しい笑顔で答える。

風花もおそらく、僕の考えを理解しているであろう。

それでも、あえてそれには触れずに、僕の話に乗ってくる。

「ああ、もちろんだ。それくらいどうとでもなるよ。遠慮なく来い!」

力強く親指を立てた。

;場面転換







;玄関ガラガラ音

群青に暗くなった夜道を帰り、二人、玄関をくぐる。

「ただいま」

「お邪魔するわ」













あれから、二人で近くのスーパーに買い物をしてきた。火曜日に安くなるあのスーパーだ。

眼帯をした僕には風花の姿が見えないので、一緒に買い物をするのは少々コツが必要だった。

だが、慣れれば以外になんとかなるものだ。

翠眼を封じていて姿は見えずとも、声を聞くことくらいは可能だ。

店に入った僕は、風花の声を聞きながら手を引っ張られ誘導される。

あとは、ひたすらに風花の望むものを買っていった。

いや、買う羽目になった、か?






正直、刺身用のマグロはかなり効いた。

風花に手を掴まれ、いきなり大トロのトレイを掴まされた時はさすがに動揺した。

とはいえ、ここでケチっても仕方がない。今日は贅沢すると決めたのだ。

そう思い直して、後はひたすらかごに食材を入れていく。

結果、食費がだいぶ予算を超えてしまったが、まあ、事が無事に済んだら、かすみねえに相談してみよう。

悪いことにお金を使ったわけではないので、うまく言えば何とかなるだろう。






「風花は、あがって待ってて。すぐ食事の用意をするから」

僕は、玄関にかすみねえの靴が無いことを確認してから眼帯を外す。

視界に風花の姿が視認できる。

「あら、私にもなにか手伝わせてよ。あまりわがままばかり言うのも申し訳ないわ。いろいろ、買ってもらっちゃったし」

風花は少し恐縮しながらそう言った。








「いや、いいんだ。風花には、僕らの食事を味わってもらいたいんだ。ここは、遠慮せずに、ゆっくりしてほしい。それに、食べたいものをリクエストしてくれるのは、料理をする人間にはありがたいことだしね。気にしないで待っててよ」

僕がそう言うと風花は、

「夕綺がそういうなら」

と納得してくれた。









風花を居間に促してから、僕は台所へと向かう。

僕が言った言葉は、まったく持って本心である。

食べたいものを訊いて、なんでもいい、と答えられるよりはるかに良い。

リクエストされるほうが、甲斐があるというもの。

世の中には、自分の食べたい物を決められない、考えられない人間が多すぎる。そのくせ、人の選択に不満を漏らす。

家庭で出される料理に対して、バリエーションが少ないと文句の言う人がいるが、そういう人には、一ヶ月分の献立を自分で考えさせることを要求したい。

おそらく一週間分の献立も考えられないであろうから。

それだけ、家庭の料理を考えるのは、大変なことなのだ。だから、料理を作ってくれる人には、常に感謝をすべきである。

だから、僕は、かすみねえには、頭が上がらない。

かすみねえには及ばないが、僕も自分で料理を作る身だ。

人に料理を食べてもらう喜びも理解できる。

そう思うと、こうして食事を用意することは、とても楽しいものだ。

お湯を沸かし、味噌汁の準備。

手際よく皿を並べ準備。

買ってきた食材をまな板に載せ切り分ける。

マグロにカツオ、サーモンにヒラメ。

イカ、たこ、などさまざまだ。

こうしてみると、いろいろ買ったものだ。

まあ、たまにはこういうのも良いだろう。




昨日から風花と食事をするようになり、二人分の用意をするのがなんだか不思議な気分だ。

かすみねえと一緒に食事をすることもあるが、そういつもいつもあるわけじゃない。

基本的には、常に一人だ。

こうして、誰かと一緒に過ごしながら食事を用意することなど、いままでなかったように思う。

なんというか、とても心地よい感覚だ。









かすみねえは、確かに僕にとって特別な存在である。だが、どちらかといえば保護者的な位置である。

友達感覚で接することができるかといえば、それは少し違う気がする。

姉……、というよりもやっぱり保護者だ。

ならば、風花は僕にとってなんなのだろうか?

子供のころ、初めてできた友達であり、そして姉のようでもあり、そして……理解者。

僕の能力、異端の存在であることを知りながら僕と付き合える特別な存在だ。

僕の本当の姿を知って、僕と友好的に触れ合える者は現在、風花の他には居ない。

そう、僕にとって風花はきっと━━━━




気がつくと、グツグツと湯の煮立つ音が聞こえてきた。

「おっと、お湯が沸いたか」

これを待っていた。すぐに鍋の前へ。

そこにカツオ節をいれ、ダシをとる。

豆腐を一センチ角に切り分け、わかめを水で戻しザクザクに切っておく。

だし汁を火にかけ、味噌を溶かしていく。

豆腐、わかめを加えて煮立て、沸騰直前で火を止める。

味噌汁は沸騰させてはいけない。沸騰させると味噌の風味が飛んでしまうからだ。

これで味噌汁は完成。

刺身もすでに切り、皿に盛り付けた。

朝、タイマーでセットしたご飯も炊き上がっている。

あとは、居間の食卓へ。

順次、皿を居間へ運んでいく。



料理を一目見るなり、風花の眼が輝いていた。

大きな瞳が、さらに大きくなっていた。

わあ、と感嘆の声を漏らす。

「リクエストに答えて魚料理、お刺身だよ。どうぞ、召しあがれ」

僕が告げると、風花は遠慮がちにいただきますといって、静かに箸を手に取った。

風花の小皿に醤油を注ぐ。

「あ、ありがとう」

風花が答える。

「わさびはいる?」

見た目は子供なので、わさびなど必要そうには見えないが、僕よりも遥かに年上なのだ。

細かい味の好みも知らないことに気づき、念のため確認することにした。

「あら、そうね。じゃあ、いただくわ。わさびの香りは好きよ。ふふ、久しぶりだわ」

風花は僕からわさびを受け取り、自分の小皿の端にわさびを出した。

醤油には溶かさず、直接刺身にわさびを乗せるタイプのようだ。

「僕は辛いものが苦手でね。いまだにわさびは食べられないんだ、寿司もさびぬきにするし。このわさびは、ほとんどかすみねえ専用みたいなものさ」

「へえ、そうなの。夕綺はお子様なのね。そろそろ、大人の味を覚えていってもいいころじゃないかしら」

そういって、風花はクスクスと笑う。

「僕は、素材の味をそのまま楽しむのが好きなんだ。だから、わさびはつけなくてもいいのさ」

一応、言い訳しておく。

風花は、はいはい、と、また笑っていた。

「じゃあ、いただくわね」

そんなやり取りをしながら、風花はマグロの刺身に醤油をつけ、を口にする。

「おいしい……!」

風花の表情が、花開くように、ぱあっと明るくなる。

「よかった。奮発した甲斐があったよ。人間の食事もいいものだろう?」

僕は風花の負担にならぬよう、自然に問いかける。

「……ええ。やっぱり人間の食事はおいしいわね。

“気”を直接吸うより、遥かに満足感があるわ。私にとっては、食事は必ずしも必要なものではない。こういった物理的食事はまったくもって、贅沢なこと。だけど、うれしいわ。夕綺がこうして私のために料理を作ってくれたこと」

風花は少し照れくさそうだ。

心なしか顔が赤い。

「どういたしまして。それは、作り手に対する最大限の賛辞だよ。つまらない遠慮せずに、どんどん食べてくれていい」

僕は笑顔で食を促す。

「ありがと。じゃあ、遠慮なくいただくわ。夕綺も早く食べないと、自分の分が無くなっちゃうかもしれないわよ? うふふ」

風花は悪戯っぽく笑う。

どうやら、だいぶ気が和らいだようだ。

せっかくの食事だ。楽しく食べてもらいたい。

「ああ、僕もちゃんと食べてるよ。風花もたくさん食べないと大きくなれないよ」

そう茶化しながら、僕もマグロを口にする。

うむ、おいしい。

せっかくの高級(僕にとってはだが)食材だ。

これはしっかり食べておこう。

「ちょっと、夕綺! まさかあなたにそんなことを言われるなんて思ってもみなかったわ。ちょっと前まで、私より小さかったくせに!」

風花がむくれて切り替えしてくる。

「ちょっと前って、それはもう、十年位前じゃないか」

「私からすれば、まだまだ夕綺は子供なの。というか、人間の男は、私からすればみんなお子様よ!」

むー、と風花が唸る。

その唸り声は、肉食動物のそれを思い起こさせる。

さすがは鼬だ。

「あはは、すまない。そうだな。僕はまだまだお子様のようだ。未成年だしね」

小さくニヤッと笑う。




「ちょっと~! それだと、今度は私がおばさんみたいじゃない!」

なんだか、背後に「ぷんぷん!」と書き文字か見えてきそうな勢いだ。

そういえば確か、鼬は獰猛な動物ではなかったか?

あまり怒らせると危険かもしれない。

「ごめんごめん。そんなこと無いよ。まったく持って他意はない」

時折、おばさんくさい所業があることはこの際黙っておこう。だが、意外に年齢を気にしていたのか。

妖怪なのに。

このあたりは、やはり女性?(女の子)らしいということか。

まあ、たしかに、女性の年齢に触れるのはマナー違反というものであろう。

ここは素直に謝る。

「もう、しょうがないわねぇ。まあ、いいけど」

やれやれ、といった感じで風花が肩をすくめる。

なんとか機嫌を取り戻したようだ。

「さ、そんなことよりどんどん食べようよ」

流れを変えるように、料理を勧める。

「そうね。夕綺が作ってくれた料理だものね、ありがたくいただくわ。(……こんな贅沢、二度と無いかもしれないしね)」

風花は笑顔で答えながらも、最後にほんの少しだけ寂しげなものが混じったように感じられた。







やはり、これが最後の晩餐になるかもしれないことを認識しているのであろう。

だが、あくまでもお互いそれを口に出さない。

言葉にしてしまえば、それが現実の物になってしまいそうで。

だから言わない。

言葉は、現実の物になるから。

良い事も。悪いことも。

だから、良い事だけを口にしよう。








「風花、どこか行きたいところとかあるかい?」

「え?!」

急な質問に、風花は驚いて顔を上げる。

「たとえば、見てみたいところとか、遊びに行ってみたいところとかはある? 要望があれば、今度の休みにでも案内するよ」

僕は風花の目をまっすぐ見つめる。

彼女の黒い瞳が大きく開く。









「そう、ね。じゃあ、遊園地、なんてどうかしら。私、まだ、近くで見たことが無いから。夕綺と一緒なら、私も楽しめるかもしれないし。だから、……必ず一緒に連れて行ってよ」

そう言って、目を合わせる。

瞳と瞳で会話する。

言葉には出さずとも、互いの決意は伝わった。

必ず、生きて帰るのだと━━━━━━。

「ああ、もちろんだ!」

力強く、僕は答えた。







;アイキャッチ。場面転換

そんなやり取りをしながら、食事のときは終わる。

僕は空になった皿や茶わんを流しに運び、いつもと変わらぬ手つきで洗う。

夏の水道水は程よくぬるく、冷たすぎなくて丁度いい。

冬になると、氷水のように冷えた水で洗わなければならないからな。

そう思うと、北国の夏は過ごしやすくて良いなと思う。

そんなことを思いながら、黙々と皿を洗う。

風花からは、皿洗いの手伝いをさせてくれと言われたが、今回は丁重にお断りさせてもらった。

客人に、そんなことをさせるわけにも行くまい。

今日は風花にはくつろいでもらいたいのだ。


流しに沈んでいる食器が、カチャカチャと音を立てながら揺れる。

いつもどうり、なにも変わらない手順で洗ってゆく。

洗い終えた皿を横のかごに並べ、水を切る。


決戦を明日に控えているというのに、なんだか、おかしな気分だ。

我ながら、思いのほか落ち着いている。

緊張しないわけじゃない。

怒りを忘れたわけじゃない。

恐れていないわけじゃない。

だが、不思議と冷静でいられる。

戦えば、無事に帰ってこれる保障はどこにも無い。

勝てるかどうかの公算も、未知数だ。

決して楽観視しているわけじゃない。

人間、本当に開き直ると、達観するものなのかもしれない。

あるいは、もうとっくに自分の精神の限界を振り切っているのかも━━。


最後の皿を水切りかごに立て、ふと窓の外を見る。

当然、もう外は暗い闇に覆われている。

だが、その闇の中、遠くに光る二つの目が見えた気がした。

台所の窓は、裏庭に面していて、この窓からは見える範囲に、特に変わったものはないはずだ。

だとすれば━━━━━━


直後、バチバチと炭の焼けるような音が周囲に響く。

そして、ドサリ、と何かの落ちる音。

それから水の蒸発するような音へと続く。


「夕綺! 今の音は!?」

風花が音に反応してこちらにやってきた。

「ああ、大丈夫。あの程度なら問題ない」

僕は、さして驚くことも無く平然と答えた。

「問題ない……って、どういうこと?」

風花は、釈然としないようだ。まあ、当然だ。

「たぶん、低級妖怪の類だろう。この家の結界に触れて消滅した。電撃殺虫器に群がるハエのように、ね」

簡単に説明する。

「へぇ……、夕綺の結界は凄いわね。いかに、低級な妖怪といえども、人外には違いないわ。それをこんなに簡単に撃退できるなんて」


「いや、これは厳密に言うと僕の結界じゃないよ。あくまで先代たち、ご先祖様たちの張った結界だ。僕は、それを維持しているだけさ。過去の葉真夜たちが張った結界は今なおその力を保っているんだ。だから、悪意、敵意のあるモノには、激しい反応を見せる。低級妖怪、低級霊程度なら、こうなる」


「見事なものね。なら、今のはなんだったのかしら? 偶然近くにいた妖怪……? いえ、それとも……、諸刃兄さんや空矢姉さんが仕向けた使い魔かしら……」


難しそうな顔を浮かべ、風花は呟く。

「タイミング的に考えて、あの鎌鼬が差し向けたとみるべきだろうな。普段から、そんな頻繁に敵が来るわけじゃない。今みたいなことは、あっても年に一~二度だしね」

僕は勤めて淡々と答える。

「だとしたら……、私たちの動きを知られたかしら」


「いや、主に知らせる前に消えてしまったんだ。それに、使い魔が戻らなかったところで、葉真夜の結界の力を知るだけさ。彼らはこの家には、まず近づくことはできない。その点は、問題ないんじゃないか」


僕は自分を納得させるためにもそう言った。

それでも、一抹の不安は拭えない。


「そう、ね。それに、いまさらどうにかなるものでもないわね。とりあえず、この場が安全なのはわかったわ。あとは、明日のために備えましょう。道具や武器の準備の他にも、体を休めておくことも大事だわ。夕綺も、今日は早めに寝たほうが良いわ」

風花も、完全に納得できたわけではないだろうが、同意してくれたようだ。

気持ちを切り替え、明日の用意を促す。


「ああ、そうだな。やれることは、やっておかなくちゃな」


風花の言うとおり、僕は明日のための準備に取り掛かることにした。

あとは、なるようになるしかない。

ならば、今できることをやっておこう。


僕は、自室や、物置に使っている部屋をまわる。


葉真夜の書はすでに読破した。

それを踏まえて、必要になりそうな法具の手入れをする。

いつも持ち歩いている鉄扇はもちろんのこと、結界を張る際に必要な御札など、必要なものをそろえていく。

そうして、一つのことを思い出す。


「そういえば、風花。あの時、空矢という鎌鼬に襲われたとき、僕が助かったのは、古い暦のおかげだといっていたね。ということは、やはり、古い暦を用意したほうがいいのかな? あいにく、古いカレンダーは持ち合わせてはいないんだが」

僕がそう言うと、風花は少し考えてから答えた。


「あの時、夕綺の命を救ったのは、間違いなくあの古いカレンダーだったと思う。確かに、古い暦には私たち鎌鼬の力を減衰させる効果がある。でも、それは本来お守り程度のものなの。あそこまで、劇的な効果をあげるのは、なにか、他の力も作用していたとしか思えない」


「他の力?」


「そう、もしくは、なにかの条件がそろっていた、とか。あそこは、淀んだ妖気が溜まっていたわ。それがカレンダーになんらかの影響を与えたのかもしれない。それに、夕綺のような、霊力を持った退魔の人間が触れることで、その効果を倍増させたのかもしれない。いずれにせよ、カレンダー単体で、鎌鼬の攻撃を防ぐのは難しいわ。というか、夕綺の家には、それ以上に強力な法具があると思うのだけど。古い暦で鎌鼬の難から逃れようとしていたのは、あくまで魔を討つ力を持たない普通の人間たちよ。古い暦が鎌鼬に効果があることを突き止めたのは、なにも力を持たない彼らが、必死に考えた結果なの。夕綺のような退魔の人間には、必要のないものよ。例えるなら、ライフルを持っているのに、わざわざ火炎瓶を手作りで用意しようとするようなものよ」


「じゃあ、それよりも、僕の家にある法具で装備を固めたほうがいいということか」


「そういうこと。あの時は、何も防具になるようなものを持っていなかったから、あのカレンダーが法具の代用品になったにすぎないわ。夕綺の家なら、戦装束みたいなものとか、魔よけのお守りみたいなものとか、あるんじゃない?」


風花にそう言われ、僕は頷く。

「ああ。たしか、父さんが使っていた守りの札がこの中にあったはずだ」

言いながら、居間の机に乗せた御札の類を整理する。

そうして、一枚の御札を取り出した。

他の御札より、一回り大きく、石のようなものでできている。ちょうど、位牌のような形だ。


「これが、守りの札のはずだ。以前父さんは、これがあれば、大抵の妖力は防げると豪語していた。最後の日の朝も、父さんがこれを身につけて家を出たのを覚えている。ここにある札は、遺品として手元に戻ってきたんだ。僕も、これを使わせてもらおう。父さんは、鎌鼬に敗れたかもしれないが、僕には風花もいる。次は、負けない」

静かに、そして力強く僕は宣言する。


「嫌なこと、思い出させちゃったみたいね。ごめんなさい」

風花が目を伏せる。


「風花が謝ることないよ。全然気にしてない。僕はこうして父さんの形見の品を持って戦えることを、むしろうれしく思う。父さんは、たしかに負けて、命を失ったのかもしれない。でも、こうして僕にたくさんのものを残してくれていた。だから、僕は、悲しむんじゃなく、感謝しなくちゃいけない。きっと、ただ、悲しんでいるだけじゃ、父さんは喜ばないと思う。たとえ僕が、こうして戦いの道を選んだのだとしても……」


「……夕綺は、いつも前向きなのね。決して、過去を後悔してその場に縛られない。そして前に進む強さがある。それは本当に立派なこと。畏敬の念さえ覚えるわ。これが、人の強さなのかしら。私たちのように、悠久に近い時を生きる存在は、どうしても時を薄めて考えてしまう。ただ、留まり続け、永遠に保留する生き方もある。けど、夕綺は違う。過ぎてしまったことも、良い方に解釈して、前に進む糧としている。その若さで、そんな領域にたどり着けるなんて、非常に稀なこと。積んだ経験、そして良き師に恵まれたのかしらね。あなたを育てた人たちは、やはり素晴らしいわ」



「それは、僕に対して買いかぶりすぎだよ。僕はそんなに立派な人間じゃないさ。ただのエゴイストに過ぎない。でも、僕を育ててくれた人たちが素晴らしい人であることは、僕も同意する」


「過度な謙遜は、時には嫌味なものなのだけれども。夕綺は、まだ自分のことをわかっていないのね。あなたは、優しくて、強い子よ。私は夕綺に出会えてよかったわ。永い時を生きる私ではあるけれど、きっと夕綺のような人間には、もう出会えないでしょうね。夕綺には実感はないでしょうけれど、あなたは私にとって特別な存在。夕綺は唯一、私の孤独を埋めてくれた。人の身でありながら、妖と心を通わせるなんて、本来ありえないことよ。私は、夕綺には死んで欲しくない。できるなら、私より先に死なないでほしい。けど、人間である夕綺にそこまでは望めない。だから、せめて、あなたが戦いで命を落とすことだけは防いでみせる。必ず夕綺を守ってみせるわ」


風花はいつにもまして、真摯な口調でそう言った。

あまりに真剣なその表情に、僕は風花の思いを感じ取った。


「そうか、そうまで言ってもらえるなんて、とてもうれしいよ。僕は、果報者だな。大丈夫。僕は死なない。風花がそう望むなら、ね」


風花の目を見て、微笑をもって答える。

子供のころには理解できなかった風花の気持ちが、今ならば、わかる。

僕の力を知り、僕の身を案じ、僕の前から姿を消した風花。

だが、風花の立場、視点からすればそれはどういったことだろうか?

もう、同族である仲間たちは居ない。

あとは、仲違いした兄と姉だけ。

当然、人間たちと触れ合えるものでもない。

だれも、風花に気づくものはいない。

だれにも語りかけることもできない。

ずっと、気の遠くなるほどの時間を一人、いや独りで生きてきたのだろう。

人間ならば、そんな状況でいたら、数年を待たずして廃人のようになるであろう。

そんな時を、いままで風花は過ごしてきたのだろう。

ずっと、ずっと━━━━。


僕は、それを、いま、やっと理解した。


僕が子供のころ。

風花は僕に、力を使うことの危険を説いた。

僕に、その力を封じる事を望んだ。

そして風花は、僕を気遣って僕の前から姿を消した。きっと、それは、風花にとって身を切られるような思いでそうしたに違いない。

それが、やっとわかった。

何年、何十年、いや、もしかすると百に届こうかという年数を独りで過ごした風花。

そんな時を経て、人外を見通す眼を持つ僕と出会った。

何も知らなかった僕は、なにも疑うことなく、ただ普通に、ごく普通に話しかけた。

そのときの風花の気持ちを考えれば、僕に力を封じることを勧めた風花の覚悟と決意はどれほどのものだろう?

ふたたび、孤独と共に過ごす決意をしたその崇高な、そして尊い気持ちが今ならわかる。

だが、その思いとは裏腹に、こうして再開したこの偶然を超えた奇蹟。

それを、よろこび、それを失いたくないという思いを、誰が責めることができようか。


「夕綺、私は独りでいることに疲れてしまったのかもしれない。いままで、こんな事を思ったことは無かったのに……。私は、弱くなったのかもしれない。独りでも大丈夫だと、ずっと思っていたのに。夕綺と再会した今は、独りになることが怖いと感じてる」

風花は自分を抱きしめ、怯えたように小さく震える。


「大丈夫だよ、風花。それは弱いんじゃない。当たり前のことなんだ。人間だろうが、物の怪だろうが、みんな独りではいられない。それを知ったことでむしろ強くなったと言ってもいいくらいだ。恥じることも無いんだ」

僕は精一杯優しく声をかける。

少しでも風花の癒し、慰めになるように。


「夕綺はこんなことを言われて、私のことを負担に感じたりはしない? 今私が言っていることは、あくまで私のわがままにすぎないわ。それでも夕綺は私を受け入れてくれるの?」

風花は不安げにこちらを見上げる。

心なしか、目に涙が浮かび、潤んで見える。


「だから、気にすることは無いんだ。独りでいたくないのは僕だって同じさ。風花が僕の前からいなくなったあの日。僕だって、ずっと寂しくて仕方なかった。もう、会えないのだと理解したときは、涙が出た。年を経て、それは思い出に変化したけど、僕は一日たりとも忘れたことは無かったよ。僕は、風花とは違って、周りには触れ合える人間がいるかもしれない。けれど、僕の力を知った上で、僕と普通に接することのできる者は風花しかいない。前に風花が言ったとおり、僕の力を知った人間は皆、力を利用することや、ビジネスとしてしか僕を見てこなかった。僕の能力、そして存在を受け入れてくれたのは、いままで、風花しかいないんだ。だから、風花は気にしなくていいんだ」


「夕綺……」


「風花が望むなら、僕は風花と一緒に時を過ごしてもいい。いや、過ごしたい!」


僕は風花の手を握り、はっきりとそう告げた。


「夕綺、ありがとう……。うれしいわ。百年以上生きてきて、こんなにうれしいことは初めてよ。うれしいのに、どうやってそれを表現していいのかわからない……」

風花の瞳から、雫がこぼれる。


「うれしいなら、笑えばいいのさ。人間はみんなそうするよ。泣くよりも、笑うほうがいい」


「ん、そう……ね。……そうよね」

涙をこぼしながら、それでいてうれしそうに風花は笑う。

その姿は、朝露に濡れた紫陽花のようだ。

朝日に照らされ、きらきらと輝く紫陽花。

その笑顔はとても綺麗だった。

いつもの幼い笑顔ではなく、生きてきた年齢相応の、大人らしさを帯びた嫣然とした笑みだった。


思わず、ドキリとさせられる。


「風花……、僕は死なないよ。少なくとも、この戦いでは、ね。だって、風花が護ってくれるんだろう? それなら、僕が死ぬことは、決してない。僕は風花を信じてる。それに、葉真夜の歴史に、二度の敗北は無いよ」


知らず、僕は風花を抱きしめていた。

彼女を慈しむように、その心を包み込むように。


「でも、戦う相手は風花の兄姉なのだろう。風花には、迷いはないのか? 僕にとっては、ただ、戦う敵に過ぎないが、風花にとってはそうじゃない。いまや、数少ない、最後の同族なんじゃないのか? それでも風花は━━━━」


僕は問いかけようとした言葉を、すぐさま風花は制した。


「愚問よ、夕綺。私は、もう何年、何十年も前から、その覚悟は決まっている。私は、私たちのケジメをつけないといけないの。これだけは、決着をつけないといけないの。互いに進ん道が、どちらが正しかったのかを、示さないといけない。そして、私の目的は、夕綺と一致している。そして、私は夕綺を護りたい。だから、私は戦うわ。迷いなんて微塵も無い。たとえその先に、永遠の孤独が待っていようとも━━━━」


短い沈黙が訪れる━━━━

僕は風花の思いと覚悟を受け止める。

ならば、もう何も言うまい。

僕は、僕の信じる道を邁進するだけだ。

それは、誰にも、何人たりとも妨げることはできないのだ。


「孤独なんて、無い。戦いに勝てば、僕がいる。たとえ僕らが敗れ、死んだとしても、魂は不滅だ。そのときは、僕らは溶け合える。孤独も何も無い。ならば、どちらに転んでも、心配にはあたらない。むろん、僕たちは負けないけどね」


僕は、風花を安心させるため、そう告げた。

勝てば良し。

仮に死んでも、魂となるか、または、生まれる以前の状態に戻るだけだ。

そう思えば、すでに恐れなど無い。


;


「そう、そうよね。私は、もう一人じゃなかったんだものね。たとえ、戦いの先に、どんな結末が訪れようとも、私はそれを受け入れるわ。願わくば、それが、大団円であればいいけど。現実はそんなに甘くない。でも、それでもかまわない。私はまだ、生きる意味をみつけることができたのだから。夕綺、ありがとう。私はまだ、がんばれるわ」


「ああ、僕もだ、風花。風花のおかげで、僕もまだがんばれる。これだけの苦境に立たされているのに、絶望しないでいられるのは風花のおかげだ。ありがとう。あとは、人事を尽くして天命を待つ、という心境だ。なるようになれ、とも言えるかもしれないが」

そう言って、少し苦笑する。


「ふふ、夕綺は本当に大きくなったわね。なんだか、もう、私よりずっと成長してしまったのね。やっぱり、男の子なのね。夕綺は。これじゃあ、もう、私の方が、支えられているみたい。でも、不思議といやな感じはしないわね。これはこれで心地良いかもしれないわ」


風花は、そう言って目を閉じる。

僕はそれに応じるように唇を重ね合わせた。

風花の唇はほどよく柔らかく、芽吹く寸前の蕾を思わせた。

だが、その初々しい感触とは違い、風花は成熟した女性を思わせるテクニックで僕の唇を吸い寄せ、嬲り、弄ぶ。

舌を入れられ、絡められ、歯の裏をまさぐられる。

その、あまりの激しさに僕は目を回しそうになる。

視界がくらくらと揺れる。

僕は、キス自体はは初めてではないが、こんな情熱的なのは初めてだ。

いったいどこでこんなことを覚えたのであろう?

これではまるで、妖女のそれだ。

しかし、僕の人生の何倍もの年月を生きているのだ。

知っていても不思議ではない。

それに、女性の過去を詮索するのは粋ではない。

考えるのはやめよう。

ほどなくして、風花の唇が名残惜しそうにはなれてゆく。

時間にすると、ほんの数秒だったのだろうと思うのだが、僕にとってはとても長い時に感じられた。


「……」

あまりの衝撃に、しばらく放心していた。

我に返ると、それまで自分が瞬きもしていないことに気がついた。

はたから見たら、きっと、目が点になっていたのだろう。


そんな様子の僕を見て、風花が不安げに声をかけてきた。


「あ、えと、夕綺……? どうしたの? 固まっちゃって。私、その、なにか変だった、かしら? 私、こういうこと初めてだったから、うまくできなくて夕綺に嫌な思いをさせちゃったのかしら?」

風花は、オロオロとしながらこちらを見上げている。


「あ、ああ。いや、そんなこと無い。むしろ、凄すぎて、驚いた」

うまく答えられず、簡潔な感想を漏らす。

だが、事実。

そして、気になる一言があったような。

『初めてだから』

ちょっとまて。

ほんとに初めてでこれなら、この先いったいどうなるのか!? いや、疑うわけではないのだが。

とんだ幼女である。


「ほんと? よかった。私も人間のことはちゃんと勉強してたのよ。人間社会のことや、知識、歴史、ほかにも “いろんなことを”。時間だけはたくさんあったから。でも、その甲斐があって、本当に良かった。これからは、どんどん夕綺にためしていくわ」

先ほどの艶のある笑みとは違い、今度は大輪のような満面の笑顔で喜びを表す。

もしかしたら、風花はけっこう貪欲なのかもしれない。

うれしいが、苦笑する。

僕は喜ぶべきなのだろうが、ほんの少しだけ気が遠くなるような、そんなめまいがした。

まあ、決して嫌ではないが。


満ち足りた気持ちが胸を包む。

それでいて、なんだかくすぐったいような。

とても居心地のよい空気だ。


━━━━夜は更けていく。

その、心地よさを噛みしめるようにして━━━━




;風花と一緒に寝る

;別々に寝る


明日の準備を終えた僕は、風花におやすみの挨拶をして、自室に戻っていた。

ベッドに仰向けになり、一人物思いにふける。

見慣れた天井が、今夜はやけに遠くに感じる。

世界が回るような感覚。

心臓の鼓動がやけにうるさい。

やはり、気持ちに不安があるのだろうか。

軽く頭を振る。


さあ、全ては明日の結果次第だ。

その先はわからない。

今日の出来事も、全ては、うたかたの夢のように消えてしまうのかも知れない。

そうでないかもしれない。

すでに運命のサイは振られた。

あとは、どんな目が出るか。

今の僕たちは、転がるサイコロ。

まだ、どんな目が出るかはわからない。

だが、がんばり次第で、いくらでも出目は変化する。

目が出なければ、何度でも振ればいい。

必ず、可能性はある。

未来は、きっと、ある。


霧島先生の事に関しては懸案が残るが、今は考えてもしょうがない。

現状では目的が一致している以上、とりあえずおかしなことはしないだろう。

その後については、なんの保障も約束もないのだが。

それでも、風花と二人なら、何とかなるだろう。

そんな、都合のいいことを考える。

少なくとも、一人よりはずっと良い。


さあ、今日はもう寝よう。

あれこれ考えるのはここまでだ。


明かりを消そうと、スイッチに手を伸ばした。


;SE コンコン

そのとき、扉をノックする音が室内に静かに響いた。

「夕綺、もう、寝ちゃったかしら……?」

遠慮がちな小さな声が、廊下から扉越しに伝えられる。


「……いや、まだ起きてるよ。どうかしたのかい?」

ベッドから起き上がりながらそう答えると、風花はドアを小さく開け、僕の部屋を覗き込む。

そこには、枕を抱え少々恥ずかしそうに顔を赤らめた風花がいた。


「うん、と、その……。よかったら、一緒に寝ないかな、と思って……」

そうつぶやいた風花の顔はさらに朱を増し、まさに火がつきそうなほどだ。

なんだか、見ているこちらまで恥ずかしくなってくるくらいだ。


「え……と。まあ、かまわないけど。ただ、ちょっと驚いた。風花って、けっこう積極的なんだな、と」

しどろもどろに僕は答える。

いろいろな意味で動揺する。

むしろ、平然としていたらそのほうがどうかしているだろう。


「ちょっと、勘違いしないでよね! ただ、夕綺が心配だから様子を見に来てあげただけなんだからね! 不安で眠れないとか、そういうことがあったら大変だと思ったから、それで気にしてるだけなんだから」

風花は僕に枕を投げつけ、プイ、とそっぽを向く。


たしかに、不安があったのは否定はできない。

あと、一瞬、よからぬ事が脳裏をかすめたことは、ここだけの秘密だ。できれば、このまま封印してしまいたい。

一応、ロリコンではない……はずだ。

僕は、風花を特別な存在と認識しているが、あくまでも大切な者であって、そういった欲望の対象ではないと、思ってはいる。━━━━現状では。

とはいえ、ここで断るもの、女性に対して失礼ではなかろうか?

傍目には、年の離れた妹が兄の部屋に訪れているような光景なのかもしれないが、立場はまったく違う。

相手は、僕より遥かに年上の女性なのだ。

━━━━見た目は別として。


「あ、ああ。ごめん。別にそういうわけじゃないよ。ほんとに、驚いたんだ。ちょっと、昔を思い出してね」

なんとなくごまかしながら、話をすりかえる。


「昔?」


「ああ。子供のころは、あの森の中でよく一緒に日向ぼっこして、そのまま昼寝とかしていたな、と」

なんとかこじつける。


「ふふ、そうね。あの時の夕綺はかわいかったわ」

機嫌が直ったのか、今度はクスッと笑う。

本当にコロコロと表情が変わる。

なんだか、妖怪とは思えない。


「昔のこととはいえ、男にかわいいはないだろう。もう少し、違う言い方はないのか?」

機嫌が直ったことにホッとしつつ、譲れない点に関しては切り返す。


「あら、今でもかわいいところは残ってるわよ。私からすれば、夕綺はまだまだ子供なんだからね。今だって、私がついてないと、夕綺は一人で眠れないでしょう?」

今度は強気で来た。

どうやら、引く気は無いようだ。

まあ、わざわざ断る理由も持ち合わせてはいない。

ため息混じりに僕は同意する。


「ああ、そうだな。僕も一人じゃ不安だ。一緒に寝ようか。風花」


「素直でよろしい」

まるで勝者の顔だ。

いつの間にか、僕のほうが立場が弱い。


「じゃあ、隣から布団を持ってくるよ。風花はベッドと布団、どっちで寝る?」


「夕綺……、本気で逝ってるの?」

字が違う!!

なんだか殺意を感じる。

本気だ。

本気の殺意だ。

僕にはわかる!



「いや、冗談だ。その鎌をしまってくれ。まだナマスにはなりたくない」

やはり、同衾するという意味だったか。

別に嫌なわけじゃない。

だが、一応恥じらいも必要だろう。婿入り前の男の子としては。

いや、まあ、いらんか?


「そう、それでいいのよ。空気読みなさい」

冷淡に告げられる。


「はい」

僕はうなずくしかない。

それで、やっと満足したのか風花は鎌をおさめた。

やれやれ……


「さ、早く布団に入りなさい。明日も早いんでしょう? 私は寝なくても大丈夫だけれども、人間は睡眠をとらないと満足に思考することもままならないでしょう。心配しないで休みなさい。私がついててあげるから」

明かりを消して、風花はやや強引に僕を布団の中に押し込む。

窓から入り込む月明かりだけが室内の輪郭を浮かび上がらせる。

群青に照らされた風花は、どこか幻想的な妖しさをまとっていた。

僕はベッドの奥に追い込まれ、風花も布団の中に入ってくる。

北国とはいえ、夏の夜はそれなりに暑い。

そんな中、二人で同じ布団で寝るのは、いささか暑苦しいものではある。

とはいえ、不快なほどではない。

僕は風花に背を向け、壁を向いて横になっているが、背中に視線が突き刺さる。

さて、どうしたものか。

そんなことを思っていると、風花が僕の背中に張り付いてきた。

あたたかさと、やわらかさが背中に触れる。


「夕綺は、恥ずかしがり屋ね。昔は、もっと私に甘えてきたのにね。まあ、年頃の男の子ならこんなものなのかしら。でも、夕綺の匂い、変わらないわ。あの時と同じ。やさしい匂い……」

風花は、囁くように言葉を漏らす。


「風花の匂いも、あのころと変わらない。あの、太陽の匂いだ。まるで、あの森の中に戻ったみたいだ」

布団の中で、互いの匂いまでが混ざり合う。

僕は心地よさに体中を包まれるような、そんな安息が訪れていた。

「夕綺、安心して。あなたは、必ず私が護るから……。そして、この戦いが終わったら…………」

衣擦れの音に混ざり、風花の囁きは最後まで聞こえなかった。

だが、聞き返すまでも無い。


「ああ」

と、だけ短く答えた。

互いの気持ちはすでに確認済みだ。

僕は、必ずこの戦いに勝ち、生き残る。

そう決意し、心に刻む。

死を達観した覚悟ではなく、生きて勝つ決意を。



それから二人は何も言葉を発しない。

二つの吐息だけが、無音の室内に響く。


今までに無い、心地よい眠りへの誘いだった。

程なくして睡魔が訪れ、僕の意識を深淵へと追いやった。




;第6章

夢を見たような気がする。

目覚めと同時にそれは忘却の彼方に消失し、おぼろげな輪郭だけが残っていた。

手を伸ばせば、いままでいた夢の空間に手が届きそうな、そんな感覚。

だが、それがとても幸せな夢だったことだけは実感できる。

とても気持ちの良い目覚めだった。

こんな感覚は久しくなかったように思う。


徐々に意識が覚醒し、脳が起動する。

五感がクリアになっていく。

外からは小鳥のさえずり。

窓からは、朝の日差しが室内を照りつけている。

体の向きを変え、枕元の目覚まし時計をのぞく。

6:40

目覚ましよりも、早く起きられたようだ。

なんだか、勝った気になる。

そう思いながら起き上がる。


「やっと起きたのね。おはよう。かわいい寝顔だったわよ。夕綺」

ベッドの横には、すでに起床していた風花が僕を見下ろしていた。

そうだ、昨日は風花と一緒に寝たのだった。

わずかな驚きを抑えつつ、安眠の理由を理解する

風花のその勝ち誇ったような笑顔は、とても眩しく魅力的でさえある。

どうやら、僕の負けだったようだ。

寝顔までしっかりと見られてしまったとは。

なんとも恥ずかしい気分だ。


「ああ、おはよう風花。早いな」

照れ隠しも込めつつ、風花の挨拶に流暢に答える。


「妖に睡眠なんて、あまり意味の無いものよ。寝ようと思えばいつまでも寝ていられるし、寝なくても良いならいつまでも起きていられるわ」


「そうか、人間は寝だめできないからな。こうして、毎日眠らないとどうしようもない。でも、今日は気持ちのいい目覚めだよ」


「そう、それは良かったわ。なら、万全の体調で戦いに望めそうね。少しでも、勝つ確率を上げることに越したことはないわ」


「そうだな。体調は問題ない。それに、目覚めが良かったからか、とても落ち着いた気分だ。高校受験の時もそうだったが、決戦の日っていうのは、以外とこんなものなのかもしれないな」


「ふうん。夕綺は、本番に強いタイプなのかしらね。普通は、なかなかそうはいかないものだと思うけど。これも、夕綺の強さの一端を担っているのかもしれないわね。この心の強さこそが、夕綺の今までを支えてきたのね。安心したわ。これなら、この戦い、きっとなんとかなるわ」


「まあ、どうなるかは、やってみなくちゃわからないが、それでも無様にやられることだけは無いだろう。……いや、違うな。必ず━━勝つ」

今の僕には、風花がいる。

負けることなどあるものか。

必勝の気迫なくして、どうして戦える。

僕は、気持ちを締めなおす。

知らず、握った手に力が入る。


「ええ、そうね。でも、決して気負い過ぎないようにね。戦いで冷静な判断力を失っては、死の可能性を高めるだけ。蛮勇は愚。勝者になるには、ほんの少し臆病なくらいでいい。慎重でいい。勇猛なだけじゃ、戦いには勝てない。それだけは、心に留めておいて」

風花が諌めるように、やや心配そうに言う。


「ああ。わかっている。十分、承知しているよ」



━━━━そう、わかっている。


      必勝の気迫


  必死の気迫


その差というものを━━━━。


『死んでもかまわない』という捨て身の覚悟。

『勝って生き残る』という決意。


たとえその先にある結果が同じものになろうとも、これらは似て非なるもの。


死んでかまわないという覚悟は、一見勇ましく、そして立派だ。

それは、相打ちをも辞さない覚悟。

だがそれは、裏を返せば、勝てなくても仕方ないということだ。

その覚悟は、ある種の逃げでもある。


だが、今の僕は違う。

戦って、勝って、何が何でも生き残る。


そのためには、


懸命に戦うのではなく、


賢明に戦うのだ。


そのための準備は、すでに済んでいる。


さあ、あとは行くだけだ。


そう心を決めて、僕は登校の準備を始めた。








洗顔を終えて居間に行くと、風花は正座をして待っていた。

目を薄く閉じ、背筋はまっすぐと伸び、その姿勢は美しく凛としていた。

見た目の幼さとは正反対の、落ち着いた雰囲気をかもしだしている。

このあたりはさすがだなと素直に感心する。

僕もつられて居住まいを正していた。

風花の前に正座する。


「風花はおちついているな。今の風花には、まるで隙が無い。程よく張り詰めた良い緊張感だ」

感嘆してそう言葉を漏らすと、声に反応して風花がゆっくりと目を開く。


「そう見える? なら、いいんだけれど。でも、どちらかというと、気をおちつけるために、姿勢を正して呼吸を整えていたと言ったほうが正しいのかもしれないわ」

苦笑気味に風花は言う。


「なら、同じことさ。どちらにせよ、気持ちの準備はできているということだろう」


「そうね。そういうことかしらね」

風花はうなずく。


「僕のほうも、準備は大体できてる。あとは、本番に挑むだけさ。さ、とりあえず食事にしよう」


風花に、待っててと言い、僕は立ち上がった。

腹が減っては戦はできぬ。

昔の人はいいました。

先人に習い、やはり、まずは食事である。

とはいえ、朝から重い食事をするのもはばかられる。

かすみねえの差し入れも無いので、今日は軽めのメニューにしよう。

定番のトーストと牛乳だ。

僕は、このシンプルな朝食も好きだ。

パンを焼き、コップに牛乳を注ぐ。

バターを塗り出来上がり。

早いものだ。


トーストを皿に乗せ、居間へと戻る。

テーブルにトーストを置くと、ほのかな香ばしい匂いが当たりに広がった。

良いにおい、と風花も目を細める。


「風花もこれでいいかい? 今日はシンプルな朝食にしてみたよ」

牛乳の入ったコップを並べながら風花に訊いてみる。


「ええ。もちろんよ。とってもおいしそう。そもそも、食事を出してもらって文句があるはずも無いわよ。ありがたくいただくわ」

笑顔で風花は答える。


「そうか、良かった。では、どうぞ召し上がれ」

風花に食事を促し、僕も自分でいただきますを言う。


「いただきます。……はむ……はむ、ん、おいしい!」

風花が幸せそうな表情でトーストを頬張る。


「人間はいつもこんなおいしいものを食べているのね。すこし羨ましくなってきたわ。昨日の食事も良かったけど、こういうシンプルな食べ物もいいものね」


「まあ、いつもいつもおいしいものが食べられるわけではないけれど、人間は食べ物を食べないと生きていけないからね。毎日食事をするんだから、その毎日の食事をできるだけおいしく食べたいだろう? だから、いろいろ工夫して食事をするのさ」


「へえ、なるほど。人間は、必要だからこそ『食』にこだわるのね。そのあたりは、私たち妖とは違うところね。人外の多くは、基本的に食事を必要としないから。私も本来は食事を必要としないけど、夕綺と共にする食事は楽しいから好きよ」


「そうか。なら、これからは一緒に食事すれば良いだけのことさ。僕も、一人で食べるより、風花と食べるほうが楽しいよ」


「そう、そうね。じゃあ、これからも私の食事、用意して……いえ、違うわね。今度は、私が作るわ。私も料理を覚える。負けてられないわ」

風花はフンっと手を握り締める。

だれに負けないつもりなのだろう。


「うん。楽しみにしているよ。さ、それより、冷めないうちに食べよう。トーストは、冷めると味が半減しちゃうからね」

話に力が入ってきて食事の手が止まっている風花に、再び食を促す。


バターが冷めてしまうと、どうにもべたべたしてしまうからな。

パリッと焼けたトーストに、さらっとバターが塗られているのが一番だ。

さくさくのパンに、バターの香り、これがトーストの魅力だろう。

僕も、冷めないうちにすばやく食べる。

うむ。我ながらおいしい。いい感じだ。

これぞ朝食! 朝の活力が生み出される。




「ごちそうさま。香ばしくて、とてもおいしかったわ」


「おそまつさまでした」

二人ともほぼ同時に食べ終わり、食後の挨拶。


「食器は僕が片付けておくよ。風花はテレビでも見ながら待ってて」

そう言ってリモコンのスイッチを入れ、立ち上がる。

静寂の空間に、雑多な音声が流れ出す。

その音を背に、台所へと向かう。

居間のテレビの音は台所まで聞こえるので、一人で洗い物をする時には重宝する。

今も、聞くともなく、朝のニュースや芸能情報を片耳に聞いている。

どうやら、今朝は変わったニュースもなさそうだ。

いつもと変わらない朝の情報番組。

芸能ネタで盛り上がれるほどには、世の中は平和だということだ。


今のところは、まだ━━━━。


手早く食器洗いを済ませ、居間へと戻る。


風花は変わらず、正座したままだ。

後ろから見ると、これまたやけにいい姿勢に見える。しつけの行き届いたお嬢様のような気品だ。

静かにテレビを見ていたが、僕に気づき振り返る。


「おかえり。ごめんなさいね、洗い物までさせてしまって」


「かまわないよ。僕が好きでやってることさ。それに、料理は片付けまでが料理だ」

かすみねえの教えである。


「ん、わかったわ。ありがとう」


「いや、どういたしまして」


互いに笑顔で答えあう。

なんとなく、くすぐったい感覚に駆られる。

だが、和んでいられるのもここまでか。


「夕綺、学校……に行く準備はもういいの?」

風花が表情をやや引き締め、訊いてくる。

すでにその目には、刃のような鋭さが内包している。

まるで、研ぎ澄まされた刃が鞘に納まっているような。そんな真剣の心構え。

もはや、緩みはない。


「ああ。もちろんだ。あとは、このカバンを持って学校に行くだけさ。武器や道具は服に仕込んである。この学生服、一見普通の制服だけど、内ポケットは鉄扇が仕舞いやすいように改造しているし、他にも色々細工がしてあるんだ。見た目には一切違反はないようになってるけどね」

ニヤリと笑い、制服の裏地を見せる。

それを見て風花は感心してあきれたような苦笑い。


「ほんと、とんだ優等生だこと。いまどき、不良でもこんな仕込みしてないわよ。御札は良いとしても、バタフライナイフにナックルダスター!? 鉄扇だけでも物騒なのに。凶器携帯で軽犯罪法に抵触、それに銃刀法違反は確実ね。まったく」

いいながら、面白そうに風花は笑う。



「はは、まあ、そう言わず、どうかお目こぼしを。あと、念のために言っておくが、これはナックルダスターではなく“指輪”だから。あくまでも、ね。一個だけ見れば、ちゃんとただの(ゴツイ)指輪だろう? どれも、万全を期すためには必要なものなのさ」

悪びれることもなく答える。

まあ、所持しているだけで法に触れるものではあるが、大事の前の小事、超法規的措置ということで。

普通にしていれば職務質問をされることもないし、学校の持ち物検査に引っかかったことも一度も無い。

仮に、そのようなことがあってもなんとでもなる。

きちんと対応し、堂々としていれば、服の内側まで調べられることはそうそう無い。

まあ、血まみれでナイフを持っているところを見られでもしたら言い訳のしようもないだろうが、その時は人除けの結界でも張っておけばいい。


「でも、見れば見るほど凄いわ。なんというか、忍者とやんちゃ少年の中間みたいね。殺伐とした戦闘道具を揃えているのに、ほんの少し遊び心みたいなものもあって。このパチンコ玉とかカンシャク玉は何に使うの?」


「まあ、あれば役に立つものなのさ。でも、使わずにすむ方が良いんだけど。ともあれ、今回は久しぶりに完全武装だ。葉真夜には、特別、戦装束というようなものはないから、こうして自分にあった戦闘服を作るしかないのさ。最初は苦労したんだよ。鉄扇の重さで服が破けるから、その部分の裏地を強化したり、ポケットが穴開いたりしないように安全靴よろしく鉄の板をいれたり……」

ため息混じりに説明する。

試行錯誤した日々を思い出し、知らず天を仰ぐ。



「ま、まあ、わかったわ。夕綺。苦労話はそのへんで。とにかく、今はその甲斐あって完成された戦闘服になったんでしょう?」

諭すように言われ、我に返る。

そして、再び気を引き締める。


「ああ。そうさ。とにかく、できることは一通りやったんだ。あとは、いつもどおりにしていよう」

視線をテレビに戻す。

家を出る時間には、まだ少し余裕があった。

このあと、ニュースと占いを見たら登校時間だ。

何の気なしに画面を眺める。

全国放送のパートからローカルニュースへ。

地元局のアナウンサーが淡々と事件や事故を伝える。

その最後には、昨日の事件の続報も伝えられた。


○被害者、松浦慎。蒼ヶ原高校二年生。男。

○遺体は右腕と頭部しか見つかっていない。

○遺体の切断面はぐちゃぐちゃで、まるで引き千切 られた様な跡。切断の際に刃物などは使用されて いないと思われる。

○害獣被害と殺人事件の両面から捜査中だったが、 動物の毛、体液、排泄物などは一切検出されず、 その後、殺人事件と断定。

○犯人に関する物的証拠も一切見つかっていない。






松浦君のバラバラ惨殺事件は、全国的にはまだそれほどでもないが、道内では大きく取り上げられている。

犯人も捕まってない以上、地元民にとっては重大かつ不気味なことだ。

幌札市民は、大きな懸案をかかえてしまっている。


だが、僕は知ってしまっている。

この事件の全貌を━━━━


そして、奴を止めなければ、このような事件は続いていくということだ。

これ以上、後味悪い思いはしたくない。

死人がでるのをわかっていながら、何もしないでいることには耐えられない。

たしかに自分の命は大事だ。

仮に、他者の命を見捨てても、罪には問われまい。

そう割り切れたらどれほど楽なことだろうか。

だが、僕にはそんな図太い精神は持ち合わせていなかったようだ。

知ってしまったら、見てみぬ振りはできない。

我ながら、損な性分だと思う。

かといって、全てを救うこともできない。

だからせめて、自分の身近な人間だけでも護りたい。

それは変わらない。

僕はそのために戦うのだ。

決して英雄なんかじゃない。

ただの利己主義者だ。


「……道内のニュースでした」

気づけば、ニュースが終わっていた。

頭を下げたアナウンサーの姿が画面に映る。

このあと、いつもの占いのコーナーだ。

僕はリモコンのスイッチを押す。

プツンと、小さな音を立て画面は黒一色に。


「どうしたの夕綺? 時間はあと少しあるんじゃなかった?」


「……今日は、占いを見ないことにした。まあ、たいした問題ではないんだけど、気の迷いを生まないようにね。ゲン担ぎとでもいうか、勝負所の時には、そういうのは見ないようにしているんだ」


「そう。なるほど。それも一つの方法かもね。集中力や精神力を高める方法は人それぞれだし、夕綺がそれでいいなら、それに越したことはないわ」


「さて、少し早いがそろそろ行くとするか」

用意しておいたカバンを手に取り立ち上がる。

こころなしか、いつもより重いように感じた。


「ええ。気をつけていきましょう。次にここに戻る時は、私たちが勝った時よ」

風花は言外に、負ければ帰ってこれない、と言っている。

もちろん承知の上だ。



ああ、と、僕は静かにうなずく。

「そしたら、そろそろ眼帯をしておかないとな。あとは、必要になったら外すようにする。もし、それまでに何かあったら声をかけてくれ。眼帯をしていても、風花の声は聞こえるから」


「わかったわ。基本的には夕綺のそばにいるようにするから。夕綺も、もし危険を感じたら学校内でもすぐに眼帯を外しなさい。下手な出し惜しみは命取りよ。それにあの女も侮れないわ。決して隙を見せないで」

あの女とは、霧島先生のことだろう。

正体を明らかにした彼女は、すでに一教師などではない。秘密結社のエージェントのようなものだ。

利害が一致している間は良いだろうが、その後はどうなるかわからない。

それは、先日の僕に対する態度、姿勢からも明らかだ。

なかば、人質を取ることをほのめかす発言といい、僕の身辺を調査していたということといい、どの道、まっとうな扱いはされないであろう。


父と同じように━━━━


だが、その時は、その時だ。

今から考えていてもしょうがない。

なるように、なるしかない。


 いざとなれば、

   

誇りを貫き通し、

      

戦い続けるのみ━━━━


暗い覚悟を内に秘め、眼帯を手に取る。


「よし、行こう」

左目を覆う。

髪を分け、いつものようにやや左目を隠す。

すでに風花の姿は見ることはできない。

翠眼を封じると、人ならざる者の姿は一切見えない。

だが、近くにいるのは間違いない。

姿は見えずとも、かすかな息づかいのような気配を感じる。

それは、ふわりとそよぐ涼風のよう。

僕はその風を感じながら、家を出た。



「あら、夕くん。今日は少し早いのね」

玄関を出たところで、ばったりスーツ姿のかすみねえと会う。

やわらかい、朝日のような笑顔で声をかけてくる。


家が近いので、こうして外で顔を合わせることは決して珍しいことではない。

いつもはかすみねえの方が少しだけ家を出る時間が早いので、僕が早く家を出る日か、かすみねえが少し遅く出る日には、こうして家の前でばったりと会うことになる。


「うん。今日は学校で少し用事があってね」

笑顔で、流暢に曖昧に答える。


「そう。がんばってね。あ、ちゃんと朝ごはんは食べた? 一人の時でも、ちゃんと食べなさいよ」

かすみねえは、めっ、とするように人差し指を立てて注意を促す。


「もう、子供じゃないんだから。大丈夫だよ。ちゃんと食べてるよ」


「そうかしら? ちょっと前までめんどくさがって一人の時は朝食を食べなかったくせに。それで一生懸命朝食の大切さを教えこんだんだから」


「ちょっと前って……、中学生のころの話じゃないか。まあ、でもかすみねえには感謝してるよ。おかげで高校に入ってから貧血も起こさないし、体も丈夫になった気がするし」


「私からすれば、ちょっと前よ。それに、未成年のうちはまだまだ子供なんだから。あと、今日も寝癖ついてるわよ。夕くん」

そう言ってかすみねえは僕の後ろ髪を指す。


つられて反射的に手を伸ばすと、そこには天に向かって力強く跳ねた髪の毛が自己主張していた。

しまった。またやったか。

大事の前に髪のセットなどと、つい疎かにしてしまったようだ。


「しょうがないわね。年頃の男の子なんだから身だしなみは整えなくちゃだめよ」

言いながら、かすみねえはバッグから小さなクシを取り出しす。

かすみねえはぐっと近づいて、僕の頭を抱えて髪を梳かしてゆく。

温かい手の感触と、かすみねえの髪の匂いにおもわずドキドキしてしまう。

それ以外にも、ほんのりと漂う香水の香りが大人の雰囲気を醸しだしていて魅力的だ。

いや、香水などなくてもかすみねえは十分魅力的なのだが。

数年前までは、こんな風に思ったことはなかったが、最近は少し、かすみねえを女性として意識してしまっているかもしれない。

まあ、それでも、育ての姉であるかすみねえに対して恋愛感情を抱くわけではないが。

━━━━ないが、綺麗だとは思う。



「はい。これで良し、直ったわよ!」

かすみねえにポンと頭をたたかれる。


もしかしたら、かすみねえと会うのもこれが最後かもしれない。そうなるつもりは無いが、後悔は残したくない。

なにか、少しだけでも言うべきことはないだろうか?


;いや、やっぱり余計な心配をさせたくない。いつも;どおりでいよう。→本編へ


;ほんの少しだが、気持ちが揺らいだ。一言だけでも;お礼を言っておきたい。


「あ、ありがとう。かすみねえ」


「なんだかんだで引き止めちゃったわね。夕くん用事あるんでしょ? 学校がんばるのよ。じゃあ、いってらっしゃいね」


そう言って手を振り、かすみねえはバス停の方に向かっていった。

こちらこそ、引きとめてしまったかもしれない。


「うん。かすみねえも仕事がんばって」

かすみねえは、一度振り向いて手を上げた。

僕は、かすみねえの姿が人ごみに溶け込んで見えなくなるまで立ち尽くしていた。



僕の制服には、まだかすみねえの移り香が残っている。

なんとなく、名残惜しむように静かに息を吸う。


突然、頬につねられたような痛みが走った。

『夕綺。はやく学校にいくわよ』

耳元で、冷めた声が響く。


「あ、ああ。もちろんだ。だが、一つ言っておくが、かすみねえは風花も知ってのとおり、僕の育ての姉だ。風花が気にするような事は何もない」

回りを気にしながら、囁くように風花に答える。


『そんなことはわかっているわ。でも、それならなんで顔を赤くして心臓を高鳴らせていたのかしら』

口調は変わらず冷たい。


「いや、それは、いい年して子ども扱いされるのが恥ずかしかっただけだよ。他意はない」

他意はあったのだが。


『そう、それならいいんだけど。あの人が夕綺を育てたすばらしい人間であることは認めてるわ。そして夕綺は、姉に欲情するような男じゃないわよね』

一転、やさしい口調で僕を咎める。

風花の氷の笑顔が目に浮かぶ。

絶対に今は風花の顔を見てはいけない。

視線で刺殺される。

眼帯に感謝。


僕は黙って大きく頷いた。

ここはおとなしくしていよう。

触らぬ神にたたりなし。

君子危うきに近寄らず。


僕は気を取り直して学校に行くことにした。





朝の蒼ヶ原高校の校門は、昨日と同じようにどこかざわついた雰囲気だった。

無理もない。

惨殺事件の犯人はいまだ捕まっておらず、街は依然として警戒態勢なのだ。

ここまで来る途中にも、何台ものパトカーを見た。

日本の警察は優秀だ。しかし、彼らには人外は捕らえられない。

彼らの及ぶ範囲は人の世まで。

人ならざる領域には手が届かない。

事件の後を追うことはできても、その全貌を明かすことはできない。

ともすれば、彼らにも危険が及ぶだろう。

できれば、そうなる前に決着をつけたいものだ。


事件の噂をしあう生徒たちの中に混ざり、校門をくぐる。

皆、かってな憶測や推理を立ち上げている。

中には、あながち間違っていないものもあったが、それに同意するわけにも行かず黙って聞き流す。


2年A組の扉を開く。

教室内も、例に漏れず事件の噂話だ。

やはり皆、思い思いの憶測や推測を並べ立てている。

当然、事件を恐れているものもいる。

しかし、どちらかというと、この惨殺事件という非日常に好奇心を抱くものが多いのも事実。

不謹慎だが、わからないでもない。

毎日同じな日常生活に飽いている学生にとって、非日常的な事件は格好のご馳走であろう。


だが、事件を嬉々として語る連中。

彼らは一つだけ勘違いをしている。


彼らは皆、

     

“自分だけは死なない”

      

と思っている。


関係ない、とまでは思っていないのかもしれないが、それは明らかな緩み。

━━━━甘い考え。


人は、死ぬ時はあっけなく死ぬ。

死神に選ばれた人間は、どうしようもなくその命を終える。

僕はそれを知っている。

何度も見て、そして聞いてきた。

死にたくなければ、少しでも、危険を避けるべきだ。

だから、人はもっと謙虚にならなければならない。


自分だけは大丈夫などという心構えは、必ず自分を殺す。


そんなことを思ったが、わざわざ説教をすることもない。

だれも、同い年の学生の説教などありがたがらないだろう。


机にカバンを掛け、椅子に腰を下ろす。

こうすると、いつもと変わらない光景だ。

……いや、一つだけ違うものがあった。

時刻はすでに8時40分。

そろそろ朝のHRが始まろうかという時間にもかかわらず、新城さんの姿が見えない。

あたりを見回してみる。

だが、やはり新城さんはこの教室内には存在しない。

昨日は元気そうだったが、欠席なのだろうか?


「よう、夕綺。どうした? きょろきょろして。教室で落ち着きないのは珍しいな」

海斗に声を掛けられる。


「ああ、新城さんがいないのが気になってね」


「そうだな。新城にかぎって遅刻はありえないし、てことは急病で欠席かもな。珍しいな。まあ、そんなときもあるだろうさ」

たしかにそうかもしれない。

だが、少し引っかかることがある。

まさかとは思うが、タイミングが悪すぎる。

軽く頭を振って嫌な予感を振り払う。


「それより夕綺。昨日の蓮見の家のことなんだが、どう思う?」

海斗が真面目な顔で訊いてくる。


「……そうだな。まだ、なんとも言えないな。やはり後で先生に訊いてみるしかないだろう」

わずかな思案の後、そう答えておいた。

僕は蓮見の末路をおおよそ知ってしまった。

だが、それを言うわけにはいかない。

真実を言ったところで、信じられまいが。


「そうか。確かにな。俺たちが二人で話していてもしょうがないことか。休み時間にでも訊いてこよう」


「ああ」





そうこうしているうちに担任の先生が入ってきた。

朝のHRが始まる━━━━。





「今朝のニュースなどで、もう知っている生徒もいると思うが……」

そう切り出した担任の先生の表情は暗い。

今朝のHRは、思いのほか淡々としたものだった。

担任の先生は、昨日の出来事と結果、その事実のみを感情の起伏なく落ち着いて述べた。

生徒たちは皆それを黙って聞き、うわさの惨殺事件が現実の出来事であることをやっと理解し始めた。

浮ついていた不謹慎な空気が霧散していく。

いままでどこか他人事、対岸の火事のように思っていたのであろう。

昨日までは、あくまでもまだ確定していない、可能性の話だった。

だが、たった今、先生の口からそれを語られたことにより、それは現実に起こった事実として確定した。

いや、すでに皆、ニュースや、ワイドショーのような番組で事実をすでに知っていた。にもかかわらず、どこか遠い場所での出来事のように感じていたのだ。

画面越しに語られる事実は、常に他人事で、遠い場所での出来事同然だからだ。

こうして直に言われなければ、人は自らに関係ある出来事だと認識できない。

だから、やっと認識する。

この陰惨な事件を━━━━。


話の締めくくりは先日と変わらず、放課後の部活動の禁止や、単独での下校を避けることなどといった注意だ。

そして、このあと全校朝会が行われることを告げられる。

生徒が一人死んだのだ。当然の流れだろう。


そして、蓮見の話は……何もなかった。

事件の話にばかりに意識がいき、ただ失念しているだけなのか。

はたまた、意図的に言わなかったのか。

蓮見の件は、いかに書類上に不備が無いとはいえ、先生も当然不自然さを感じるはずだ。

まあ、退学者などが出た時など、わざわざ先生がクラスの前でそれを告げることもあまり無い。

訊かれれば答える、というスタンスなのかもしれない。


HRが終わり、僕はいつもどおり出欠を職員室前の出欠黒板に記入しにいく。

こればかりは、保険委員の仕事なので仕方ない。

そして、欠席者の欄に数字を書き込もうとして、ふと手が止まる。

今日の欠席者は、蓮見と新城さん。二人だ。

だが、今朝の出席確認の時、先生は蓮見の名を呼ばなかった。

事件の話に皆、気をとられ、気づくものは少なかったかもしれない。

しかし、僕は確かにそれに気づいた。

そして程なく、クラスの生徒たちには知れ渡るだろう。

蓮見の“転校”を。


出欠黒板に欠席一名と記入し、僕は教室に戻ることにした。

戻りの廊下の途中で、新城さんのことを思う。

教室を出た時に、担任に欠席理由を聞いてみた所、

体調不良だといった。

不審に思った僕は、その電話が本人からのものであったかを聞いてみた。

その答えは、意外というか、思ったとおりとでも言えば良いのか━━━━



『霧島先生が電話を受けたので直接は聞いていないが、本人からの電話だった━━━━』



なんてことだ……!


本当なら、今すぐにでも保健室に行って霧島先生を問い詰めたい。

関係なんてありえない。



とはいえ、校内で目立つ動きは避けたい。

そして、それは霧島先生も同じはずだ。

少なくとも、この学校を去るときまでは、おかしなことはできないはずだ。

もし、高校生の身柄を拘束したりすれば、すぐに両親に気づかれる。


いや、━━━━まて。

僕の記憶が確かなら、新城さんは確か一人暮らしだったはず。

地方出身だが、幌札の学校に行きたくて親を説得したという経緯を聞いたことがある。

新城さんが真面目な性格なこともあり、両親も許したのだろう。

その際、条件として成績にノルマが課せられたとかなんとか。それを下回ればすぐにでも地元の学校に転校させる、なんて言われたらしいが、新城さんはテストのたびに学年トップクラスの成績を常に修め、両親を納得させたと語っていた。


そして学校関係者ならば、新城さんが一人暮らしであることを知っている。いや、知ることができる。



もし、秘密裏に身柄を確保するのなら、これほど適した相手はいまい。


━━━━迂闊だった。


いや、仮に一人暮らしでなくとも、あの女なら強引な手段にでていたのかもしれないが。


くそっ……!


だが、人質は無事だから意味がある。

いきなり危害を加えることだけは無いとは思うが、何事も、なければいいのだが……。


無駄と思いつつ、携帯電話を取り出し、新城さんの番号をコールする━━━━繋がらない。

電源が入っていない。




僕は不安を抱えたまま、一人廊下を戻った。

放課後、霧島先生に事の次第を問い詰める決意をして。





一時間目の授業は無くなり、本日は全校朝会。

全校生徒が体育館に並び、校長先生の話を聞く。

体育館はシンと静まり返っていて、普段の定例の朝会とは違う、緊張した気配に満ちていた。



「このたびは、非常に残念な出来事が起こってしまいました……」

校長先生の話はいつもと同じか、それ以上に長い。

沈痛な面持ちで縷々語る。

生徒たちも、いつもと違う雰囲気に息を飲み、しっかりと聞き入っている。

だが、僕は全てを知っている。

それゆえに、話の内容よりも、あたりの様子が気になった。


体育館に入った時から注意して見ていたが、今のところテレビ局などの取材は行われていないようだった。

これだけの事件だ。いくつかの局が取材に訪れてもおかしくはない。

これは学校側の配慮で取材を拒否しているのか、それとも霧島先生の“組織”の影響があるのか。

はたまた、その両方か。


先生方の顔を見渡してみる。

皆、一様に硬い表情。見ていて重苦しい。

特にC組の担任の先生は辛そうだ。

きっと、本当に生徒思いの先生なのだろう。

フェイクで沈痛な面持ちをしているわけではなさそうだ。

そんな中、霧島先生はただ一人、いつもと変わらない表情。

内心はどう思っているかはわかり得ない。

だが、おそらくどうとも思っていないのだろう。

とても他人の命を大切に感じるような人間には思えない。

ただ、もともとクールな相貌であるため、この張り詰めた雰囲気の中でもさほど違和感は無い。


さあ、そろそろ校長先生の話も終わりが近い。

前を向いておこう。

優等生たるもの、朝会で余所見していると思われてはまずい。

面倒なものだ。

横を向いていようが、何をしていようが、耳から入ってくる音など、いくらでも記憶できるというのに。

しかし、体裁のためにはしかたない。

姿勢を正す。

とはいえ、校長先生の話や、死んだ松浦君をないがしろにしているわけではない。

あたりの様子を探りながらでも、しっかりと話は聞いている。

そして、死者に対する礼儀も忘れてはいない。

一人、黙祷する。

…………………………。

………………。

……。





校長先生の話は、まもなく終わる。

一通り、お決まりの言葉とせりふを言い終えた校長は、一礼して壇上から降りていった。


さて、全校朝会も終わりだ。

あとは、放課後になるまでは、形だけは授業を受けることにしよう。

まあ、こんな日の授業は、あまり身にならないかもしれないが。





午前の授業はつつがなく終了した。

昼休みを知らせる鐘が校内に響き渡る。


「夕綺。今日は昼飯どうするんだ?」

海斗がすぐさま声を掛けてくる。


「今日は何も持ってきていない。学食か、購買で何か買うつもりだ」


「購買で買うつもりなら、もうとっくに走り出しているころだろう? てことは、今日は学食でいいってことだな」


「まあ、そういうことになるな。海斗と食堂で食事をするのも悪くない」

僕はそう言い立ち上がる。


「ふ、回りくどい言い方だぜ。よっしゃ、なら決まりだ。それならさっさと行くぜ!」

海斗が、親指を教室の入り口に向けて指し、教室の外に出ることを促す。

おそらく、なにか言いたいことがあるのだろう。



僕はうなずき、海斗に続いて廊下へ。

昼休みの廊下には多くの生徒があふれ、喧騒にまみれている。

誰も、僕らの会話など気にも留めないだろう。

海斗がやや小さく声を出す。


「夕綺。俺はさっきの休み時間に担任のところへ行ってきた」


僕は目で相槌をうち、続きを促した。


「俺は蓮見のことを聞いてみた。そこで言われたのが、“蓮見は転校した”ってことだ」

海斗は真剣な表情で告げた。


「なんだって……」

僕は驚いてみせる。

初めて知ったように振舞う。


「ああ、俺も驚いたさ。こんなに急に、あいさつもなしに転校するなんて考えられない。先生にもそう言ってやった。そしたら、なんていったと思う?」


「……」

海斗の言葉の続きを待つ。


「『確かに急な話だが、手続きは問題なく完了している。それ以上、言うことは無い』だとよ。なんともあっさりした物言いじゃねえか。そのあとは何を聞いてもだんまりだ。こいつはずいぶんとおかしな話じゃねえか」


「そうだな。こんなに不自然なことはないな。それで、連絡先なんかは聞けたのか?」

わかっていながらそんなことを聞く。

それは悲しく、空しいものだ。


「それも駄目だった。最初は、『個人情報は教えられない』なんて、もっともらしいセリフを吐いたが、どうしても連絡を取りたいって言ったら、『転校先や住所などは、本人の都合により教えられない』だってよ。そんなことがあるか? あいつはそんな逃げるように学校を出て行かなきゃならんような事情は一切無かったはずだ。いじめも無い。仲のいい友達だっていた。それが、なんで住所も転校先も言えない? そんなバカな話があるか!」

海斗の口調がアツくなる。


「あまり熱くなるな。なにか事情があったのかもしれない。もし、家庭の事情などが絡んでいたのなら、そういうこともあるかもしれない。たとえば、借金問題とか、そういうことなら可能性はある」

血のように真っ赤な嘘八百だ。



「まあ、そうだな。それなら辻褄は合う。考えられなくはないな」

黙考の後、まだ納得のいかない様子ではあったが、海斗はそう言った。


「あくまでも可能性の一つだ。そのうち向こうから連絡が来るかもしれない。今は、もう、“どうしようもない”。蓮見の件は、残念だがこれまでだな」

あきらめたように呟く。

“どうしようもない”、この部分だけが事実。



「そうか……。夕綺がそう言うんならしょうがない。だが、なにか変なことになってなきゃいいんだがな」

心配するように海斗が言う。

━━━━耳が痛い。


海斗は、僕が言った“嫌な予感”を心底信じている。

だから、これほど必死に蓮見のことを気に掛けているのだ。

僕の“嫌な予感”が当たることは、幼いころからあまりにも実証されている。

海斗はそれを知っている。

だから、ここまで真剣になれるのだ。


「そうだな。今の僕らにできることは、蓮見の安寧な生活を祈るだけだ」

ここにきて、やっと本当の思いを口にする。

この言葉だけは、真実。



「そうか……。そうだな。なら、シケた話はここまでだ。んじゃ、飯にしようぜ!」

海斗が笑顔を作り、無理やり話しを終わらせる。

海斗は、うすうす感づいている。

蓮見の身に何かがあったことに。

僕が、“もう、どうしようもない”と言った時点で海斗は悟ったのだろう。

それで話を打ち切ったのだ。

付き合いは長い。

僕の微妙な言い回しを海斗は理解する。

誰にも気づかれてはならないことなのだが、海斗は僕がなにか能力を持っていることを察知していると思う。

海斗はそれについて特に問い詰めたりもしないし、僕も自分の能力を語ることもない。

これまで隠しに隠してきたが、詰めの甘い幼いころに、知らず見せてしまった“力”の片鱗を彼は忘れていないのだろう。


だから、海斗は僕の言葉を受け入れた。


もう、どうしようもない。


というその言葉を━━━━━━。








食事はすぐに済ませた。

海斗との食事は楽しかった。

これからの戦いに備えた最後の食事は、カツ丼だった。

まあ、ただの語呂あわせなのだが。

あと、飲み物はカツゲンでゲン担ぎ。

我ながら、駄洒落だ。

勝負の日は占いも見ない、なんていいながら、ゲンを担ぐ自分がなんだかおかしくなる。

食堂を後にした僕たちは教室へと戻るべく歩を進めていた。


「さて、後は教室でゆっくりするかね」

海斗が腹をさすりながら歩く。


「そうだな」


二人、他愛の無い話をしながら教室へと戻る。

だが、席に着き、改めて思う。


いつもと違う雰囲気。


そう。今日は新城さんがいない。

いつもなら、海斗と馬鹿馬鹿しいやり取りをして、周囲を騒がしくしているはずなのだ。

だが、やけに今日は、ひどく静かに感じる。

教室内は休み時間の喧騒に包まれうるさいくらいだというのに、僕の周りだけ静寂に包まれているような感覚。

クラスメイトの声が遠く感じる。


クラスの女の子が一人欠席した、それ自体はなにもおかしなことは無い。

極々ありふれたことだ。


━━━━僕が気にしているのは、


このタイミングでの“欠席”。

そして、欠席の電話を受けたのが霧島先生だという証言。




昼休みは残りあと少し。


じっとしていると、なんともいえない不安感が胸に去来する。

ふう、と嘆息し、教室内を見やる。

海斗と目があった。


「どうした? 夕綺。今日はなんだか朝から落ち着きないな」


「そうかい。僕はいつもと同じだよ。海斗こそ、新城さんがいないと調子が出ないんじゃないか?」

平静を装いつつ切り返す。


「へっ、べつに。うるさい奴がいなくてせいせいするさ。ま、多少退屈ではあるがな」

海斗が頭をかきながらそう口にした。


「僕も、二人のやり取りがないと、どうにも静か過ぎておちつかない」


「おい、俺は夕綺のために新城と騒いでるんじゃないぞ。あいつが絡んでくるだけだ」


「わかっているよ。そんな新城さんがいないと、寂しいものだとおもっただけさ」


「……ふん。まあな」







そうしているうちにチャイムが鳴る。

昼休みも、もう終わりだ。

午後の授業が始まる。


一応、建前上教科書とノートだけは机に並べておく。

だが、もはや、授業の内容などは一切耳に入らない。

そんなものより大事なものがある。

あとはただ、無意味な授業の終わりを待つだけだ。

今日は五時間授業。

この国語の授業が今日の最後の枠だ。


━━━━五十分という時がひどく長く感じる。


時計を見る。

だが、授業開始からまだ五分ほどしかたっていない。

━━気が逸る。


━━━━新城さんの欠席。


可能性としては、本当に急病などの体調不良で休んだことも考えられる。

しかし、昨日までの様子からはそれは考えにくい。


解せない。


いや、違う。

答えは決まりきっている。


欠席などと、あの女の虚言に決まっている。

あと、一時間もすればはっきりするだろう。


まあ、彼女がまっとうに答えるかどうかはわからないが。


一人、思惟し、没頭する。


だが、結局のところ同じ考えが堂々巡り。

不安と怒りが交互に行き交い、モヤモヤとした不快感に苛まれる。


「くっ……」


苛立ちを堪えながら拳を握りしめる。

すでに、周囲の様子など意識の端にも入っていなかった。

ただ、目の前の机を睨みつけながら唇を噛む。


「……真夜。おい、葉真夜! 聞いてるか」

二度名前を呼ばれて、ようやく国語の教師に声を掛けられているのことに気がついた。


……失念していた。


考え事の際にも、周りへの意識を怠らないでいられるのが僕の自慢だったのだが。

思ったより、自分が冷静さを欠いていたことを実感する。



「……」

一つ嘆息して顔を上げる。

先生の顔が視界に入る。

睨め付けるように、してやったり、とでもいうようなイヤラシイ目つき。

そうだ、この国語教師はどうにも生徒をいたぶるような傾向がある。

厄介ごとを避けるため、極力この先生の授業では気を抜かないようにしていたのだが。

テストでも満点を取ったが、それもまた面白くなかったようだ。

満点を取らせないための問題を必ず一問つくり、生徒に満点を取らせないのが方針らしい。

真面目に授業を受けて、テストで満点をとっても、僕はこの先生の気には召さなかったようだ。

まあ、教師の立場からすれば、僕のような生徒はかわいくないのだろうな。愛想も良くないし。

きっと鼻持ちならない奴、とでも思われているのだろう。

珍しく油断した僕に、ここぞとばかりに当ててきたな。やれやれ。


そうはいっても、この場は僕に非があるだろう。

どうしたものか。


「葉真夜、聞いていたのか? 聞いていたのなら、いままで読んでいた教科書の続きを読んでみろ」

先生が挑戦的な口調で言う。


ここまでか。

まったく、大事の前に、どうでもいいことで煩わせる。


だが、しかたない。

観念して謝罪の言葉を口にしようと考える。



(すみません。聞いていませんでした。)



そう言おうと息を吸い込んだその時━━━━



『85ページ。6行目。彼は私に言った、からよ。そのまま視線を教科書に向けなさい』


耳元に風花の声が聞こえた。

他の誰にもこの声は聞こえない。

言われたとおり視線をおろすと、そこには84ページと85ページに開かれた教科書があった。

いつの間に。

だが、ここは好意に甘えよう。

優等生たるもの、先生の問いに答えられなければまずかろう。

などと心の中で言い訳しつつ感謝。


「はい。彼は私に言った。私はキミを疑ったと━━━━━━━━━━━━」

よどみなく教科書を読み進める。

そのとたん、クラスメイトたちのほっとした気配が伝わってきた。

教室内の空気がわずかに弛緩する。

皆、この先生が嫌いなのだろう。

なんともいえない一体感が妙に心地よく、続いて安堵する。

それとは反対に苦虫を噛み潰したような国語教師。

つまらなそうに僕の朗読を聞いた後、切りのいいところで、もういい、と言われる。




ふう、と静かに息を吐き出す。

助かった。

風花にお礼を言いたいところではあるが、この場で口に出すわけにはいかない。

ノートの端に

『ありがとう 助かった』

と短く綴る。


『どういたしまして。“優等生さん”』

再び耳元で風花の声が響く。

やや、皮肉めいた言い方だったが、その口調はやさしかった。

そして言葉通り、ずっとそばにいてくれたことを実感し、感謝する。

それも、こんなくだらないことにまで気を使ってもらってなんだか申し訳ない。

だが、おかげで少し落ち着いた。

不毛な考え事はあまり前向きではない。

考えを変えよう。

事実を確認してから、それから考えてもいいはずだ。

今は、この授業が終わるまでおとなしくしていよう。

あとは、気持ちの準備ができていればいい。

全ては、もうすぐ━━━━━━━━。




続きます。

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