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オープニングから序盤

この作品は、魔法のあいらんど(ケータイ小説)にも掲載しているものです。(こちらはペンネームじんたんで投稿)

ノベルゲーム用のテキストをそのままアップしています。

ゲームは、とらのあなの通販で販売中です。

気軽に読んでください。


;オープニング1



━━━━━━━振り返れば、そこは既に地獄だった。













溢れ出す霊気、瘴気、邪気、妖気、陰気。

あたりは、人ならざる者の気配に満ちていた。

足元から底冷えするような凍気に、僕は僅かに震える。

侵入者を殺すべく、この空間の占拠者は僕に圧力をかけてくる。

心臓が1つ、ドクン、と鳴る。

;SE 心臓の音 一発









僕は深く息を吸い、暗い廃墟の中、薄目で闇を透かす。

そこには、怨嗟、呪いの声が視える。

人間には理解できない人外の声。

しかし僕にはその「声」が視えたような気がした。

渦を巻き、呪い嘆く人外の声無き声。

その「声」は気配を増し、その姿を浮かび上がらせる。









僕は、目を凝らし気配の中心を視る。

特に、翠眼である左目に力を込める。

闇が目に染みる。

そして闇の中に、人ならざる者の姿をはっきりと捉える。

山奥のいわくつきの廃墟の中、その都市伝説の正体を今、僕は視た。

実体を持たない、不可視の存在。

歪んだ空気。

崩れかけた廊下の中心に、暗闇の中、尚暗い影が視える。

さながら、人の形をしたそれはまさに怪奇。

幽霊……いや、怨霊、悪霊というべきか。

怨念と悪意に満ちた、不快な思念体。

かつては人だったのかもしれないその存在に、僕は僅かな憐憫の情を感じる。

だがそれも一瞬のこと。

生在る人間に害なす悪意の人外に、情けをかけることはできない。

それは、つまりは、自分の命に危険をなす行為だからだ。

思念体である奴らに、心の隙を見せてしまえば、そこから取り込まれてしまう。

人間のそれとは比べようも無いくらい、奴らは心の弱さに食いついてくる。

人間の詐欺師、ペテンなどそれに比べればかわいいものだ。

悪意を持った霊魂の前には、人の悪意など児戯に等しい。




本物の悪霊の殺意、思念の強さの前には、人間の殺意、悪意など、子供のいたずら程度にすぎないのだ。

悪霊に遭遇し命を落とす人間は、つまりは心が負けることで、奴らに取り込まれるのだ。

一度、恐怖という水が心に浸入したら、もう後はその水圧を止めることはできない。

決壊した防波堤から水はどんどん押し寄せ、心が恐怖という水に浸かり、溺死する。

こうして、心を陥落させ、奴らは人を死に追いやるように追い詰める。

だから、悪意の霊魂を前にして、心の隙を見せることは、決してしてはならない。

その思念の強さだけは、人には敵わない。

思念の強さだけは。

“だけ”は。


それはつまり━━━━━━━━━━━━

それ以外のことに対しては、

何もできない、

ということだ。













実体を持たない悪霊は、直接人間に攻撃することはできない。

あくまでも、音、姿、現象を総動員して、人間に恐怖を浸透させていく、ただそれだけだ。

ラップ音を鳴らし、霊感のある人間にはその姿を見せ、力の強い悪霊なら、ポルターガイスト現象をおこし、恐怖心を刷り込む。

それを理解していれば、何も恐れることはない。

仕組みを理解していれば、隙を見せることも無い。

僕は真っ直ぐ悪霊と対峙する。

怨念の渦が僕を飲み込む。






しかし、僕は恐れない。

恐れることなど何も無い。

なぜなら、



















僕の方が、━━━━“狩る側” ━━━━だからだ。












懐に忍ばせていた、鉄扇を握り、構える。

葉真夜はまやの家に伝わる、退魔の武器の1つだ。

葉真夜の真の姿を隠しながら、魔を討つためには、日常品に模した武器が必要だった。

それゆえ、先祖は、携帯できる退魔の武器を創って、人外と戦っていた。

今はもう、廃れ、衰えた血筋にすぎないが。

それでも、この程度の存在には負けはしない。

悪霊は、その悪意をむき出しにして、襲い掛かってくる。影が迫る━━━━━━━━━━━━━━━━

僕は鉄扇を開き、影に向かって袈裟懸けに切る。





一条の光が闇に走る。

微かな手ごたえ。

影は二つに分かれ、断末魔の叫びを残しその存在を消滅させる。

さきほどまで、怨念や、呪いの声に満ちていた廃墟に、爽やかな風が吹き抜ける。

廃墟内の明度は変わらないのに、視界が明るくなったような気さえする。

「ふう、これでもう大丈夫だろう」

鉄扇を内ポケットにしまい、僕は1つ息を吐き、あたりの気配が邪気から解き放たれたことを確かめる。

いわくつきの廃墟。

訪れた者が不審な死をとげると噂される崩れかけた廃ホテルだ。

おそらくは、幾ばくかの人間がここに足を踏み入れたことで、命を落としたことだろう。

怖いもの見たさ、興味本位でこのような場所をおとずれた愚かな人間に肩入れする気はないのだが、それでもこのような場所を放置していくわけにはいかない。

一度、悪意、怨念が空間を支配してしまえば、そこから次の被害者を生む。

被害者が増えるたびに、念は強くなり、さらなる被害者を呼び込む。

そうなれば、噂も噂を呼び、さらに人を招く。

このような悪循環を招くことで、いわゆる

“いわくつき”

のスポットがつくられる。

これを放置しつづければ、怨念は際限なく強くなり、浄化することが困難になるだろう。



とはいえ、僕にそれをなす義務はない。

僕はあくまでも、自分の身近な人を守る為に活動しているにすぎない。

それに、この手の“いわくつきのスポット”に現れるモノは、総じてその場から離れることができない。

仮に、葉真夜の力でも浄化することができない事態になろうとも、最悪、その場を封鎖して、だれも人が近づけないようにしてしまえばなんとかなる。

だから、本来は無理してこのような廃墟に出向いて、悪霊と戦う必要はなかったのだが……







「おーい、夕綺!どこいっちまたんだー?まさか本当に幽霊に……おいおい勘弁してくれよー」

遠くから、友人のなさけない声が聞こえてくる。

「ねえ、倉形くん。葉真夜くん……どこまでいっちゃったのかしら……?わたし、なんだか怖くなってきたわ……ここ、本当に“出る”って噂だし……」

「俺にもわからねえ、でもこんな所ではぐれちまうとはな。早く探さないと。もしかしたら夕綺のやつ、建物の老朽化のせいで、どこかで床を踏み抜いたのかもしれん。新城、足元に気をつけろよ」

「う、うん。そうだね……。葉真夜くん、大丈夫かな……?」

どうやら、一緒に来た友人たちが後ろから追いついてきたようだ。

声が近い。もう、曲がり角の手前まで来ている。

僕はあわてて眼帯をとりだし、左目に装着する。

この左目の翠眼は、他人に見られるわけには行かない。

この翠の眼こそ、葉真夜の力。

人に在らざる者、人外を見通す葉真夜の眼。

葉真夜の真の姿を隠すため、僕は幼い頃から眼帯でこの左目を隠してる。

いや、本当の理由は、余計なモノを見てしまわないようにするためなのだが。









四六時中、見えなくても良いものが見えては、気の休まる暇がなくなる。

もし、空気中の雑菌、細菌が目視できたら、人はどう思うだろうか。たとえそれが無害な菌だったり、人体に影響のない微量の黴菌だとしても、それはもう目障り以外のなにものでもない。

父は、この翠眼の力をコントロールすることができたのだが、僕はできなかった。常にスイッチオンのまま。

常時、見えっぱなし。見えなくていいモノまで。

ゆえに、僕は普段は力を抑えるため、封印の眼帯をしている。

慣れれば、どうということもない。

変なモノが見えるよりずっといい。

眼帯を付け終えた僕は、後ろに振り返る。


「海斗、新城さん、よかった。合流できて」

僕は二人に声をかける。

「夕綺、無事でよかったぜ。心配したぞ。暗い中はぐれたもんだから、どこかで床でも踏み抜いて動けなくなったのかと思ったぜ」

そう言ってきたのは、倉形 海斗。子供の頃からの友人だ。

「心配させてすまない。暗くて途中ではぐれてしまったんだ」

僕は海斗に答えながら、朽ちた床より危険なモノと戦っていたことを回想する。

本当に心配だったのは、二人の方だったのだが……

まあ、無事でなにより。




「葉真夜くん、気が付いたらいなくなってたから、ビックリしちゃった。怖かったんだからね。ほんとに幽霊でたのかもとか思っちゃったよ」

と新城さん。

それなら、最初からこんなところに来なければよかったのだが、海斗が誘ったものだから、まあしかたない。

言い出したら聞かない奴だからな。海斗は。

「ごめんごめん、気をつけるよ。さあ、続きを探索しよう。今度は迷子にならないようにするからさ」

もう、この廃墟内に霊的な危険はない。あとはゆっくり、この探検ごっこに付き合うことにしよう。


;ここで場面転換 アイキャッチ的なもの欲しいな。




;オープニング2 回想シーン セピア希望


その日は、頬をくすぐる薫風が心地よい爽やかな日だった。

小学校に入学して2ヶ月ほど経った頃だ。

僕は、小学校から帰ると、いつもの遊び場へと歩を進めた。

街の外れにある山の中へと向かう。

僕は毎日のようにそこへ通い、近所に住んでるお姉ちゃんと遊んでいた。

特に約束などしていたわけではないのだが、そこにいけばいつも彼女はそこにいた。

おそらく僕より4~5歳年上のお姉ちゃん。

当時の僕からすれば、とても年上でおおきなお姉ちゃんだった。



挿絵(By みてみん)

名前は風花と言った。

いつもやさしく、そして厳しいお姉ちゃんだった。

そんな彼女が大好きで、僕はこの山の中に入り浸っていた。

「あ、風花!もうきてたんだ~」

山中を進み、風花の姿を見つけ、声をかける。

風花はその日も、トレードマークの緑のワンピースを着ていた。緑が好きなの、と風花はよく言っていた。

あたりを吹き抜ける風が木々の葉と彼女のスカートをはためかせた。

「そろそろ夕綺が来る頃だと思ってね、今日は何する?」

風花は、僕に目線を合わせるようにしゃがみこむ。

茶色いショートヘアをかき上げながら、涼しげな目が僕の瞳を覗き込んだ。

墨を溶かしたような黒い瞳に、僕の姿が映りこむ。

「う~ん、鬼ごっこじゃ風花にはかなわないしな~。今日はお話しよう?」

僕の提案に彼女はうなずく。

「ふふ、今日はお話したいことがあるのね?いいわよ。学校で何か楽しい事でもあった?」

彼女は、やさしく微笑む。

「学校のことじゃないんだけど、さいきんおとうさんから聞いた話のこと」

僕は神妙な顔をして話し出す。


「あのね、なんでも僕のうちは悪魔退治の一家なんだって。だから、わるい魔物とかをやっつけれるんだって」

そのとき彼女の表情が僅かに硬くなったような気がした。

「学校とかでともだちと話してたらね、ぼくには見えてるものが、ほかの人には見えてないみたいなんだ。クラスのだれにきいても、「見えない」って言うんだ。

ともだちも、先生も。みんな、「見えない」っていう。

おかしいんだよ、だって黒板のまえに立ってる人がいるのに、だれもそれが「見えない」って言うんだ。

帰り道でも、電信柱のかげに人がいるのに、みんなにはそれが見えないみたいなんだ。だから、おとうさんにも、きいてみた。そしたらね……」

「夕綺の家は、悪魔退治の一家だったと。そう言うのね」

彼女は淡々と答える。




「うん、おとうさんにも、同じものが見えるみたい。それでね、これをわたされたんだ。もし、“ほかのひとに見えないモノ”におそわれたらこれをつかえって」

僕はポケットから鉄でできた扇のようなものをとりだした。

冷たく、そして重い鉄の感触がその存在感を確かにする。






彼女はそれを見て、なぜか悲しそうな顔をした。

そして僕の前に立ち、顔を向き合わせ、諭すように言う。

「夕綺、このことは決してほかの人には言ってはいけないわ。たとえそれが一番の友達だとしても。おとうさんからは言われなかった?わたしは信じるけど、こういうことは、人に明かしてはいけない。あなたのその力は、人に気づかれてはならないわ。知られれば、

きっとあなたは辛い思いをする。危険な事にもなるかもしれない。いい、今から言うことをよく覚えておいて」

彼女は真剣な表情で僕の目を覗き込む。

予想外の本気な対応に驚き、僕は無言で頷いた。






「夕綺、あなたには、普通の人にはない特別な力がある。その翠の眼は、人には見えないモノ、人ではない者を視ることができる。できれば、普段はそれを見ないようにしたほうがいいわ。こちらから見えていることが相手にわかれば、相手は必ず寄ってくる。いえ、その眼が呼び寄せるといってもいいわ。そうなれば危険を招く……そして死を呼ぶわ。夕綺には、そうなってほしくない。きっとあなたのおとうさんもそう思っているはず。だから、できるかぎり、その力を抑えなさい。見えなくていいモノを視続けていたら、あなたの心と体に大きな負担をかけるわ。いつか本当に必要な時が来るまで、その翠の眼は封じていたほうがいい。できることなら、ずっとその力を使わないほうが、あなたのためなんだけど……」

ひとしきり話したあとに彼女は僕を抱きしめた。

「約束よ、自分の力のことは、絶対秘密にしておくの。誰にも言ってはいけないわ。たとえどんなに仲の良い友達にでもよ。人間は浅ましいもの、人を超えた能力が必ずしも良いとは限らない。人間は自分に無い力を持った人を妬んだり、敵意を持ったりする。それに、理解できない能力は恐怖の対象にもなるわ。つまり、人から変な目で見られたり、怖がられたりするかもしれないの。そうなったら夕綺は辛い思いをするかもしれない。そして、その力を利用しようとする悪い人も現れるかもしれない。一度周りに知られてしまえば、それはどんどん広まっていってしまう。だから決して他人には自分の力のことは言ってはいけないの……わかった……?」

彼女は耳元でささやくように言った。



「う、うん……、わかった。約束する。誰にも言わないよ……」

僕が答えると、彼女は強く抱きしめることで返事をした。

僕はその時には、風花の言ってる意味が完全には理解できてはいなかったけど、なんとなくは彼女の想いが伝わってきた。

数分間の抱擁から開放されたとき、彼女の目は少し赤かったような気がした。

「夕綺、わたし今日はもう行かないといけないの。ごめんね。約束、守ってね……」

彼女は唐突にそう言って、声をかけるひまもなく僕の前から走り去っていった。

一面の草がゆれている。

あたりには、季節の訪れをつげる初夏の風が吹いていた。

それいらい、彼女はここに現れることはなかった……

葉真夜 夕綺

小学一年生の夏の思い出だった。

;オープニングここまで。ここでアイキャッチ。












;プロローグ “Another”







━━━━━━この女は人間じゃない。









彼はそう理解した。

だが遅かった。

それはあまりにも遅すぎた。














彼がもう少し長生きしたかったのなら、もっともっと賢明に考えなければならなかった。

最初に気づかねばならなかった。

なぜ自分に声を掛けてきたのか。

(なぜ答えてしまったのか)

なぜこんなところに連れてこられたのか。

(なぜ自分はついていってしまったのか)

そもそもこの女は何者なのか。

(どうしてこの女を信用してしまったのか)

自分はこれからどうなるのか。

(きっと■■■れる。いやだ。いやだ。■にたくない)





自らの命の危険に気づかなければならなかった。

だが、彼が愚鈍なわけではない。

あまりに相手が賢しかった。

狡猾だった。

卑怯だった。

陰険だった。

そして━━━━━━━━━━━━美しかった。










だれが彼を責めることができよう。

彼女は彼に声をかけた。

誰もが振り返るような美女だった。

スラリとした、スーツの似合う大人の女性。

斜陽に照らされ、どこか幻想的な佇まい。

ブラウスの胸元がやや開いていた。

彼女は嫣然として、艶めかしい口調で話しかけた。

彼は日々の情熱を持て余す若い学生だ。

どうして心を保てようか。








「ごめんなさい、ちょっといいかしら?」

初めは他愛もない一言だった。

彼は少し訝しげに、そしてほんの少しの期待を持って答える。

「えっと……、は、はい。なんでしょう……?」

それも無理からぬこと。

彼は決して美男子ではなかった。

女性に声をかけられることなど滅多にない。

あるとすれば、街頭アンケートか、宗教の勧誘くらいのものだ。

それゆえに、道で女性に声をかけられると、まず警戒心、猜疑心が先に立つ。悲しいサガだった。

それでも、わずかな期待をせずにはいられない。

無いとはわかっていても、心は期待する。

決して自分は女性にモテるような容貌はしていない。

分をわきまえてるつもりだ。

彼は自分というものをよく理解していた。

そんな彼に彼女は続ける。

「ちょっと道に迷ってしまったみたいなの。ここなんだけど、どうやっていけばいいのか教えてもらえるかしら?」

彼女は一枚のメモをとりだした。

胸ポケットから紙を取り出すしぐさが妙に色っぽい。










メモには

東桐嘉町2631-4

桐嘉病院

とだけ記されている。

女性らしい綺麗な字だった。

彼は残念半分、安堵が半分だった。

やはりそんなものかと。

ただ道を尋ねられただけだった。

だが、なにか引っかかる。








それでも、美人に声をかけられるのは、悪い気はしない。

たとえ道を説明するだけでも、このような女性と会話できるのは、光栄だった。

それにこのあたりは地元だし、メモにある住所も大体わかる。

そして内心、できるなら近くまで道案内と称して一緒に歩きたい。

彼はそう思ってしまった。








「ええ、いいですよ。この辺は地元だからわかります。そんなに遠くないですよ。ここからならこの道を真っ直ぐいって……」

「もしよかったら、道案内してもらえるかしら?」

彼が説明するのをさえぎるように、彼女は言う。

彼は一瞬驚いた。

なんだか心を見透かされたような気がして。

それになにか胸に引っかかる。

何だろう。何かが信号をだしている。

だが、彼はそれよりも、この美女とわずかな時間を共有することを選んだ。






彼は、メモの住所の所まで彼女と歩くことになった。

道すがら、他愛の無い会話をする。

彼は決して饒舌ではない。

それでも彼は彼女のことが気になって、声をかける。

「桐嘉病院へは、なにかご用事ですか?お見舞いですか?」

そういいながら、なにか違和感がある。

自分で言った言葉に、ひどく矛盾を感じる。

なぜかはわからない。さっきから頭の中に靄がかかったような感じがする。

「ええ、そんなところ。長い間入院している兄に会いに行くの。ふふふ」

彼女は妖艶な笑みを浮かべながら答える。

彼は会話するたび、頭の中の靄が濃くなるのを感じていた。

町外れの山の中に入り、住所の示す場所へと向かう。

東桐嘉町2631-4

桐嘉病院

よく知っている場所だ。

このあたりの人間なら誰でも知っている。

なぜ知っているかって?決まってる。だって……

だって……、なんだっけ━━━━?

彼は言いようの無い、もどかしく、不安な気持ちになった。

なにか忘れている気がする。何かはわからない。

彼は靄に包まれた頭で思考する。

だがもう遅い。

二人は目的の場所に到達する。

日は既に沈みかけ、逢魔時となる。

薄暗い山中、風化した舗装路の先に薄汚れた建物が見える。

錆の浮いた看板には「桐嘉病院」と記されていた。

そう、ここが桐嘉病院だ。

この土地に住む者ならば皆知っている、知らぬ者などいない有名な場所だ。

なぜ有名かって、それは、それは……

なんだったかな…………………………?

彼を包む靄は、固体となり彼を閉じ込める。

もう思考は表に出ることはない。

白い意識に閉ざされたまま、彼は連れられていく。

“元”桐嘉病院の玄関前に。








「ありがとう、おかげで助かったわ。よかったら兄にも会っていって。きっと兄も喜ぶと思うの」

「………………はい………………」

彼の思考はもうほとんど虚ろだ。

彼女に促されるまま、“病院”内へと入っていく。

“病院”の中は、ほとんど真っ暗だ。

割れた窓から差し込むかすかな明かりが、かろうじてあたりの輪郭を浮かび上がらせる。

埃だらけの受付カウンター、泥だらけの床、穴の開いた待合のソファー、割れた蛍光灯。

かつて病院だった名残がそこかしこに見受けられる。

「さあ、行きましょう。兄の居る部屋へ。ふふふ」

彼女は酷薄に笑みを浮かべ、彼の手を引く。

「……」

彼はもう何も考えることができない。唯々諾々と彼女に従う。

二人は階段を降り、自分の姿も見えないような闇の中、長い廊下を進んでいく。

二人の足音だけが、あたりに響き渡る。

ほどなくして、突き当たりの部屋の前に二人は立つ。

扉からは、異様な気配が漂っていた。

埃のかぶったプレートは「霊安室」と読めた。

見たことも無い奇妙な紋様が扉に刻まれ、ほの明るい光を滲ませている。

その紋様は、どこか幾何学的で魔方陣か何かを思わせる。







彼がもし尋常な意識であったなら、このような場所には、一秒たりとも居ることはできないだろう。

どんなに無様な姿を晒してでも、なにをおいても逃げ出していただろう。

いや、そもそも敷地内に入ることもなかっただろう。

ここは、決して踏み入れてはならない魔境だ。

市街から程近い山の中、人を寄せ付けぬ本物の異界。










「さあ、その扉を開けなさい。うふふふふふ…………。大丈夫、鍵はかかっていないから。あなたはその扉を開けさえすればいい。さあ、開けるのよ。簡単でしょう?」

彼女は高らかに声を出す。

「……………………」

彼は朦朧とした意識の中で、わずかに逡巡した。

靄でかすむ頭を必死で働かさせる。

もう少しで手が届きそうな、もどかしい気持ちがよぎる。









━━━━━━だが

思考は霧散し

消えてゆく━━━━━












「さあ、開けるのよ!」

彼は傀儡となり、ついにその扉を開けた。

;SE扉 画面青フラッシュ

染み出す冷気が、足元から脊髄まで侵す。

背骨が氷でできている様な気さえするほどに、彼の体に悪寒が走る。

心臓を直接、冷えた手で握られたような怖気。

彼は今、背すじを貫いた寒気によってわずかに正気をとり戻す。

はたしてそれがよかったのかどうか?

いっそ、正気をとり戻さない方が彼にとっていくらかしあわせだったかもしれない。

彼は自分の状況を徐々に理解する。

だがもう遅い

遅すぎた

         あまりに遅かった

彼は全て理解した。

最初、この女に声をかけられた時点ですでに決まっていたのだ。

こうなることが。




そして……

そして……

おそらく…………













━━━━━━━━━━この女は人間じゃない。










彼は振り返る。

扉の向こうなど、どうでもいい。

少しでも出口に近い方へと意識を向ける。

たとえ小便をもらし、どんなに惨めな姿になろうとも、恥も外聞もなく、這ってでも逃げ出そうと。

だがそこには“女の姿をした何か”がいる。

数分前までは、人であると思っていたその存在は、もう人間ではなかった。

姿かたちこそ変わらないが、もはや隠そうともしない邪気と悪意は彼にまぎれも無い恐怖をあたえた。

女は、彼の前に立ちはだかり、薄く鋭利な尖った眼差しを向ける。

刺殺できそうなほどの視線に、彼は凍りつく。

恐怖にひるんだ彼の腕を、女がつかむ。

━━━━━━ギチリ

指が腕にくい込み、爪が肉を抉る。

;画面赤フラッシュ

朱い血が流れる。

;背景色 赤っぽく

━━━痛い

━━━━━━━いたい

━━━━━━━━━━━━イタイ











女は、抉った腕の肉片に血のケチャップをつけてそれを口にする。

血のルージュをひいた口元が三日月のようについっとあがる。

彼の足はガタガタと震え、走ることはおろか、歩くこともままならない。

━━━━怖い

━━━━━━━こわい

━━━━━━━━━━━━コワイ







いやだ、いやだ、いやだ

いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいや

血塗れの女を前に、彼はもう動けない。

泣きながらだらしなく失禁する。

女は楽しそうに、捻れた笑みを浮かべている。














━━━━━その時、後ろから吐息が聞こえてきた。

首筋に生暖かい湿ったカゼがそよぐ。

息が止まる。

心臓が大きく鳴り、そして縮む。瞳孔が開く。

彼は振り向けない。

女はそれを見て、ただ笑っている。

“イる”、後ろにもたしかに“イる”。

先ほど開けた扉の中から、何かが━━━━━

いやだ、死にたくない、帰りたい、なぜ、なぜ、なぜ、どうして、どうして、こんなことに、なんでおれが、

こわい、こわい、こわい、いたい、さむい、つめたい、

あつい、あつい、あつい、つめたい、あつい、あつい

あつ━━━━グチャリ。

朱い世界が傾く。

彼は、自身の最後の音を聞く。

首を握りつぶされる音が漆黒の闇に響き渡った。














;第1章 

窓から差し込む朝日が一日の始まりを告げる。

外ではスズメたちが朝の挨拶を交わしている。

柔らかな日の光を感じながら、僕はゆっくりと目を開けた。

白い光が目に染みる。

ああ、今日もいい天気だ。

僕はベットから起き上がり、窓の外を眺める。

雲ひとつ無い青空。

真っ青なキャンバスに太陽が1つ。

世界が永遠に平和になったかのような良い天気だ。

今日はなんだか良いことがありそうな気がする。





僕は洗面所へ向かい、顔を洗う。

お気に入りの洗顔フォームを顔に泡立て、水で流す。

冷たい水が気持ちよい。

夏の朝はやはり冷たい水で顔を洗うのが一番だ。

泡を流し終えた僕は顔を上げ、鏡を覗き込む。

いつもと変わらない自分の顔。

黒い髪。

薄いくちびる

二重まぶた。

目元のほくろ。

━━━━━━━━翠の目。


翠色をした左目を、反転した世界から見る。

宝石のような神秘的な色をした瞳が、自分の顔をのぞきこんでいる。

ああ、今日もいつもと変わらない翠の目だ。

僕は眼帯を手に取り、左目に装着する。

目が悪いわけじゃない。

病気なわけでもない。

むしろ目が良過ぎた。人の身にはあまりに分不相応なくらいに。病的なくらいに。

この目は“人には見えないモノ”を視てしまう。

望むと望まないとにかかわらず。

目を開けていれば自然に目に入ってくる。

あまりにも自然に。不自然なくらいに。








━━━━━━━━葉真夜の血は翠眼を持つ。

人に在らざる者を見透かす妖視の力。

代々受け継がれてきた葉真夜の能力。

だが、その血は代を進むにつれて薄くなり、次第に劣化する。

今の僕の能力は半端なものだ。

だがそれでも常人を凌駕する力なのも確かだ。










祖先は、元は退魔の一族だった。

葉真夜は分家した血筋だ。

本家の人間は、血を絶やさぬよう、常に近親者と結婚し血を守っている。

だが、葉真夜は分家した血筋。今ではもう、廃れ衰えた血筋。

本家の人間には遠く及ばないが、遺伝子の一欠けらでも受け継いでいる以上、いまだ特別な力を持っている。








とはいえ、身体能力に関してはそう大げさなものではない。

スポーツ万能、頭脳明晰、勘も鋭くいわゆる霊感がある。と言う程度のものだ。

確かに、人の世では充分すぎるくらいだが、本家の能力には遠く及ばない。

僕にできるのはせいぜい、人に在らざる者を“視る”ことくらいだ。

決して、世界を救うような大げさな力は無い。

僕にできることといえば、ただ、自分の身近な人間を護る事くらいのもの。

この目に留まる人たちくらいならば、僕の力でも守る事ができよう。




顔を洗い終えた僕は、テレビをつけ、朝食のしたくをする。

冷蔵庫を開け、今朝はどんな食事にしようかと考えていたら、不意にチャイムが鳴った。

朝の静謐な空気に、電子音が鳴り響く。

この時間に来る人など決まっている。

「どうぞ~!」

僕は大きな声で答える。

朝の訪問者は、玄関の鍵をあけ、勝手を知ってる足取りで廊下を進んでくる。

おちついた足音が室内に響く。

「おはよう、夕くん。お邪魔するわね」


訪問者は居間のふすまを開け、やわらかい笑顔で僕に声をかける。


挿絵(By みてみん)


「おはよう、かすみねえ」

僕はいつものように挨拶をかわす。

━━━━━━かすみねえ。

事故で両親を失った僕をささえてくれた、言うなれば姉代わりの人だ。

フルネームで 如月 かすみ

偶然にも二月生まれだったこともあり、二月の花を意識してつけられた名前らしい。

随分と単純な由来だと思ったが、きっと本当は深い意味が隠されているのだろう。と思うことにしている。

如月家とは昔から家族ぐるみの付き合いがあり、7年前の事故で両親を失った際、彼女の父親が後見人として僕を育ててくれた。

如月家の人たちは皆やさしく、時にはきびしくもあり、本当の家族のように僕に接してくれた。

その中でも、特にかすみねえは僕にやさしくしてくれた。

それこそ本当のお姉さんみたいだ。

そんなかすみねえでも、1つだけきびしいところがある。














━━━━━━━あまりおこづかいをくれない。

僕が成人するまでは、支払いなどのお金は、後見人である彼女らに管理されている。

両親は生前それなりに蓄えがあり、今の僕の生活費は基本的にはそこからでている。

生命保険の給付もあったため、別段、日常生活に苦労はしていない。

だが、だがしかし、もう少しおこづかいを出してくれても良いのではないかと僕は日々思うのだ。

かすみねえ曰く、

「若いうちから無駄遣いをおぼえたら、ろくなことにならないわ」

とのことで、7年前からこっち、おこづかいはきびしく管理されているのであった。

僕も、もう結構いい年になるんだがなぁ。


「ふふ、夕くん。寝癖ついてるわよ」

「え、本当?どこ?気づかなかった」

「後ろのほう、少し跳ねてるわよ」

僕は髪を手で触る。

たしかに後ろ髪が少し跳ねていた。

どうりで鏡を見ても気づかなかったわけだ。

あとで、直さなくては。


「夕くん、朝ごはんはもう食べちゃたかしら?」

「いや、まだだよ。これからどうするか考えてたところ」

僕が答えるとかすみねえは、ほっとしたような表情で包みを差し出す。

「夕くん、ちゃんとご飯食べてるか心配だから、持ってきたの。良かったら食べて」

そう言いながら、かすみねえは青色の包みを開く。

密閉容器に詰められた食材の数々が、輝きを放つ。

「すごいおいしそう!ありがたく頂くよ!」

容器越しでも食欲をそそる品が綺麗に整列していて、まるで僕に食べられるのを待っているかのようだ。

「どういたしまして。じゃあ一緒に食べよう?。二人分持ってきたの。悪いんだけど夕くん、お皿とご飯は準備してもらえるかしら?」

「うん、わかったよ、ちょっと待ってて」

僕は台所へ向かい、食器棚のガラス戸を開く。

結構ボリュームあったから、大きめの皿が良いかな。

棚にある中で一番大きい皿を二枚、手に取る。

結構種類もあったから、小さめの皿も少々。

さて、ご飯も持ってかないと。

とりあえずお盆に皿を乗せ、そのへんに置いておく。

炊飯器を開け、炊き立ての白いご飯を茶わんによそう。

沸き立つ湯気が鼻をくすぐる。


ちゃんと毎晩タイマーをセットして、ご飯は準備しているのだ。ちなみに米はこだわりのおぼろ○き。


お盆に、皿とご飯を乗せて居間へとむかう。

もう、恒例になったやりとり。

一人になった僕を気づかい、かすみねえはこうしてちょくちょく、食事を持ってきたり、作りにきてくれたりする。







かすみねえの厚意には、いつも甘えてばかりだ。

僕も、料理ができないわけではないのだけど、やはりかすみねえの作ってくれる料理にはかなわない。

いや、かなうとか、かなわないとか言う事すら、おこがましい。かすみねえ以上の料理を作る人は、まだ見たことが無い。

なので、こうして作ってくれる料理は、ありがたくいただく事にしている。

「おまたせ、これだけあれば足りるかな」

僕は持ってきた皿とご飯をテーブルに並べる。

「うん、ありがと」

かすみねえは、容器から料理を取りだし、皿に盛り付けていく。無機質だった空の皿に、命が吹き込まれる。



今日の食事は、鮭のホイル焼きにトマトのカプレーゼ。

それに豆腐の肉味噌。

汁物は、ナスと水菜の冷やしすましだ。

料理を密閉容器から皿に盛り付けると、一段と食卓に映え、食欲を増進させる。

もう我慢できそうにない。

「夕くん、どうぞ」

もしかして、待ちきれないのが顔に出ていたのか、かすみねえが食べるのを促す。







「いただきます」

僕は待っていたかのように(待っていたのだが)それに答え、下品にならないように、気をつけながら、ゆっくり箸をのばす。

あまりガツガツしてはみっともないので、つとめて端然と食事をする。

落ち着いてるふりをしながら、まずは鮭のホイル焼きを口にする。

「おいしい!」

思ったとおりのことを口にする。

ホイルには、キャベツやもやし、人参やピーマン、シメジなどが入っていて、バターの味も利いている。

鮭をつかった料理はかすみねえの得意分野だ。

このホイル焼きも例に漏れない。

トマトのカプレーゼも、クリームチーズとよく合い、

僕の舌を楽しませる。

かすみねえの作ってくれた料理は、どんどん口に進む。

「かすみねえの料理は本当においしいよ、調理師にでもなればいいのに」

「そう言ってくれるのはうれしいけど、わたしの料理はあくまでも趣味だから。とても仕事にするほどのものじゃないわよ」

かすみねえはそう言うが、彼女の料理が趣味レベルだとするなら、巷の料理店の料理はみな趣味レベルになってしまうぞ。

謙遜しすぎです。

僕は、最後に冷やしすましを飲み干し、満足感に浸る。

「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」

かすみねえは笑顔で答える。

「かすみねえの料理はいつもおいしいよ、ありがとう」

「あら、どういたしまして。でも、ほめてもお小遣いはあげないわよ」

「もう、そんなんじゃないってば。なんだかいつも申し訳なくてさ……」

「もう、なに変な気をつかってるの。いまさらそんな水臭いこと言っちゃだめよ。あなたは、家族も同然なんだから。たとえば、おかあさんが料理作ってくれて、申し訳なく思う?ただ、感謝すればそれでいい。子供が遠慮するもんじゃないわよ」

「うん、ありがと」

「わかればよろしい」




かすみねえは、いつもやさしい。

かすみねえのおかげで、いままでどれだけ助けられてきたか。

独りになった僕をずっとささえてくれた。

一緒に泣いてくれた。

やさしくはげましてくれた。

ときにはきびしくお説教されたこともある。

二人で遊んだりもした。

年を重ねるにつれ、かすみねえや如月の人たちには、感謝の念に絶えない。

ただ、子供扱いするのはそろそろ何とかし欲しい今日この頃ではある。





「じゃあ、わたしそろそろ戻るね。夕くん、学校がんばってね!」

「ええ、かすみねえも仕事がんばって!」

「うん、じゃあね!」

かすみねえは挨拶をして去ってゆく。

さて、僕も学校へ行く準備をしなくちゃな。

使った食器を流しに持っていき、水に浸けておく。

これは後で洗うことにして、今は登校に備えよう。

ニュースを伝えるアナウンサーの声をなんとなく耳にしながら、洗面所へとむかう。

そうそう、寝癖を直しておかないと。

僕も、年頃の男の子なので一応身だしなみは気にしておかなくては。

鏡の前で、髪をとかす。

分け目を付け、気持ち左目の眼帯を隠すように髪をセットする。

僕自身は、眼帯を付けているのを別段気にしてはいないのだが、周りに気を使わせないよう、極力目立たないように心がける。

一応、目を悪くして眼帯をしていることになっているので。


さて、寝癖も直したことだし、時間まで少しテレビでも見ていよう。









居間に戻った僕は、なんとなくいつもの朝の情報番組を見る。この時間はローカルニュースが流れ、アナウンサーが事故や事件を伝えている。

どうやら、市内にて行方不明者が出ているらしい。

中校生の男子のようで、遊びに行くと言ったまま朝になっても戻らず、家族から捜索願が出ているという。行方不明時の服装なども同時に伝えられていて、白のパーカーに、黒のジーンズ、所持金は二千円程度とのこと。

事件や事故に巻き込まれた可能性があるとして、警察で捜査を開始するとニュースは伝えていた。

全く他人事ではあるが、無事であって欲しいものだ。





ニュースが終わり、朝の占いのコーナーが始まる。

これを見てから学校に行くのが僕の日課だ。

今日の蟹座の運勢は…………………………11位。

いまいちパッとしない。

外の天気とはうらはらに、ちょっとだけ気分が曇った。

まあいい、ビリじゃないだけ良しとしよう。

気を取り直して、僕は家を出る。


ああ━━━━━━━━━━━━━今日はいい天気だ。







私立蒼ヶ原高校の校門をくぐり、昇降口で靴を履きかえる。

教室に着いた僕は、カバンを机にかけた。

「━━ふう」

イスに座り、一息つく。

今日も長い一日が始まるな、などと思いながら時計を眺める。

まだHRまでには少し時間があった。

「おはよう、葉真夜くん」

後ろから声をかけられる。

「おはよう、新城さん」

僕は振り返って答える。

クラスメートの新城 麻衣が後ろに立っていた。


挿絵(By みてみん)



「葉真夜くん、昨日は廃墟の探検、ドキドキしたね。建物の中も不気味だったし、ほんとに幽霊が出るんじゃないかって思ったよ。家に帰っても私一人だし、思い出したらなんか怖くって、おかげでなかなか寝付けなかったよ~」


「ああ、なかなかスリルがあったな。緊張したよ」

僕の場合は、“本物のスリル”だったが。

「ほんと、途中で葉真夜くんがいなくなった時は、倉形くんと二人で途方にくれそうになったんだから」

「心配かけてすまない、あの時は真っ暗で二人を見失ったんだ。無事に合流できてよかったよ」

「もう、あの時はどうしようかと思ったよ。倉形くんも、

『俺が誘った以上、なにかあったら俺の責任だ!夕綺に万が一のことがあったら、奴の両親に顔向け出きん!』

なんていってさ」

「あいかわらず、暑苦しい奴だな」

だが、気持ちの良い男だ。

挿絵(By みてみん)


「おい、二人してなに言ってんだ。新城、余計なことを言うんじゃねぇ。俺は別に心配なんぞしてねえ。死なれて俺に責任が発生したら困る、って話だ」

噂をすれば、本人登場。

倉形 海斗だ。


「いいか、俺は心配なんぞ何もしてねえ。こいつは殺しても死ぬような玉じゃない。だからといって、放って置けるもんでもない。やはり仲間を見捨てることはできないからな。それだけだ」

海斗は吐き捨てるように言う。

「はいはい、倉形くんは素直じゃないのよね。そういうことにしておきましょう」

新城さんがなだめる。

「おい、まだわかってねえな。そうじゃねぇ。俺はだな…………」




;キーンコーンカーンコーン

その時、海斗の言葉をさえぎるようにチャイムが鳴る。

「わかっているよ、僕は自分の生き死には自分で責任を取るから安心してくれ。さあ、席に着こう」

僕は海斗に答えてから、着席を促す。


いつものように、担任の先生が教室に入ってきてHRが始まる。

名前を読み上げられ、朝の出席を確認される。

欠席者は一人。

男子の蓮見。

朝の段階では、まだ学校に連絡はきていないようだ。

蓮見はゲームが趣味で、同じくゲーム好きの僕は、しばしば一緒にゲームを対戦したりする。

特に目立つ存在ではないが、いたって真面目な男だ。

無断欠席をするとは考えにくい。

熱でも出して、動けないくらい辛いのかもしれない。

朝のHRは何事も無く終わり、今日も学校が始まろうとしている。

保健委員である僕はHRが終わり次第、出欠状況を、職員室前にある出欠黒板に記入しにいく。欠席一名。

そう黒板に書き込む。

保健委員は、毎日こうした細かい仕事があるので、多少わずらわしい。とはいえ、先生からのご指名で委員に任命されたので、こればかりはしょうがない。

保健室の先生にえらく気に入られたのか、オファーがあったようである。まあ、去年も保健委員を務めていたので、自然な流れでもあるが。

そんな、益体もない物思いにふけながら教室に戻る。



「ああ、一時間目は社会か……。あの先生の授業は眠くなるんだよな……朝一には堪える。やれやれ」

こうして、いつもと変わらない朝が過ぎてゆく。














午前の授業の終わりを告げる鐘が鳴る。

やっと退屈な授業も終わり、さあ、待ちに待った昼休みだ。

皆、思い思いの昼食をとる。

弁当をカバンから取り出す者、売店へ向かって走る者、目を血走らせて学食へと向かう者。

僕はと言うと、目下、売店目指してスプリンターよろしく廊下を快走中だ。

この学校の売店はすぐ売り切れる。

あきらかに生徒の人数に対して仕入れが少ない。

早く……いや“速く”買いに行かないと、売れ残りをつかまされてしまう。





予選突破の目標タイムは一分弱。

チャイムと同時に教室を出られなければ、まずクリアは不可能。

この予選をクリアして売店に並ぶことで、狙いの品を買うことができる。

今日は授業がきちんと時間通りに終わったため、スタートはバッチリだ。

周囲に気をつけながら、するどく床を蹴りだす。

僕は廊下をひた走り売店を目指す。

階段を降り、角を曲がると売店が見える。







━━━━━━━━もう人が並んでいる。

いつも思うが、全くどうやってこんなに早くゴールできるのか。

フライングは反則だと思う。

そして、距離の違いはフェアじゃないと思うのだ。

学校の端にある僕の教室からだと、ハンデ戦もいいところである。

だが、これは公式戦ではなく、無法地帯の戦いだ。

フェアな戦いを期待してはならない。

生き馬の目を抜く世知辛い世界なのだ。

僕は、でき始めた列に並び、予選は5位。

なんとか今日も予選を突破。

買い物の権利を得る。




今日は何にしようか、前の人が買い物している間に考える。

ふむ、今日はサンドイッチにしようかな。

昼にたくさん食べると、午後の授業が眠くなるので昼はあまり食べないことにしている。

なので学食へ行くよりも売店でパンを買い、そのあと教室でゆっくりと過ごすのが僕の昼休みライフだ。


「はい!つぎ~!!」

売店のおばちゃんの威勢の良い声が廊下に響く。

やっと僕の番が来たようだ。

列の先頭になった僕は、品物を一通り眺め、目当ての物を探す。




「よかった、まだあった。そのサンドイッチください、卵サンドのやつ、あと牛乳も」

「はいよ~卵サンドね!牛乳はストローもいるかい?」

「はい、お願いします」

僕はこたえながら、おばちゃんに代金をわたす。

「まいどありー!はい、つぎどうぞ~!」

僕はサンドイッチと牛乳(ストロー付き)を受け取り売店を後にした。

こうして毎日苦労して売店で買い物をするのである。

なぜ、弁当にしたり、コンビニで買ってこないかだって?

弁当を作るのは大変だし、学校の近くや登校途中には、コンビニが無いからである。

なのでこうして毎日昼は戦場に赴かなければならないのだ。

ちなみに戦いに負けると、敗者復活戦で売れ残り品を買う権利が得られる……のだが

売れ残るメニューはもちろん不人気品ばかり。

なぜ人気メニューを増やし、不人気メニューを淘汰していかないのか。

明らかに商売的に間違ってるだろう。

だがそれでも売れてしまうから、商業努力を怠ってしまうのだろうな。

ライバル店も無く、需要が供給を上回る以上それも仕方ない。

独占企業はいけないと思います。







こうして、なんとか昼食を購入した僕は教室へと戻る。

行きとはまるで違う、落ち着いた足取りで粛粛と廊下を進む。

一応優等生で通っている僕としては、廊下を走るのは本意ではない。

だがしかし、食料の確保という人間の本能の命題の前には、そのようなことは瑣末な問題だ。

このくらいはどうか見逃していただきたい。

優等生も人間なのである。

━━━━似非優等生だけど。






優等生を演じている僕ではあるが、僕自身にとって

『優等生』であることにさして意味は無い。

『優等生』などという、学生の間にしか評価されないステータスに何の意味があろうか。

あくまでも、先生方から睨まれないようにするための防壁、予防策だ。

言ってみれば世を忍ぶ仮の姿。











『学校』という組織においては、成績優秀で品行方正でさえあれば『優等生』という肩書きが付く。

この『優等生』という肩書きは便利なもので、これさえあれば少々の行動には目をつぶってもらえる。

たとえば、授業中保健室に行くといって教室を抜け出したりしてもサボりと疑われることはないし、仮に僕のカバンから煙草が出てきたとしてもなにかの間違いで済むだろう。

まあ、僕は煙草は吸わないが。

つまりは『優等生』であれば多少の行動、奇行は好意的に解釈してもらえるということだ。

これを利用しない手はない。

葉真夜として魔を討つ僕には、このような隠れ蓑は必須だ。



夜中に出歩くこともあれば、立ち入り禁止の区域に足を伸ばすこともある。

護身用の武器だって携帯している。

もちろん、これらのことは見つからないように気をつけているし、また見つからないのが一番いい。

それでも、少しでも見つかる、感づかれるリスクは減らさなければならない。

退魔の一族は、その力、真の姿を他人に知られてはならない。

そのためには、こうしたカモフラージュも必要だということだ。






教室の扉を開き、自分の机に戻る。

「さて、いただくとするか」

苦労して買ったサンドイッチをほおばる。

卵のまろやかな甘みが口いっぱいに広がる。

細切れの白身の食感が心地よい。

うん、サンドイッチはやはり卵サンドに限る。

人心地ついた僕は、牛乳にストローを挿す。

やはりパンには牛乳が一番だと僕は思う。

牛乳を一口、口に含む。牛乳の甘みが疲れを癒し、喉を潤す。

「ふう」

この瞬間がささやかな幸せだ。

午前の授業から開放された束の間の休息。

僕は食事をしながら、窓の外を眺める。

真っ青な空に、わずかに白い雲が流れている。

こんな日は屋上で食事をするのも悪くなかったな。

北国なので、外で食事ができるのは夏の間くらいだ。

なので今時期の天気の良い日は、大切にしなくては。

今度天気の良い日には、海斗たちと屋上で食事をするのもいいかもしれない。

そんなことを思いながら、僕はサンドイッチの残りを口にする。

名残惜しいが、最後の一口を飲み込み食事を終える。

腹八分目、昼はこのくらいで丁度いい。








さて、午後の授業まではまだ時間がある。

食事を終えた後の時間こそが、真の昼休みだ。

今日はどのような昼休みを過ごそうか。

そんなことを考えていると、

「おう夕綺、今日の昼は売店で済ませたのか?売店に買いに行く日はすぐいなくなっちまうからな」

海斗に声をかけられた。

「ああ、そうしないとすぐに売り切れるからな」

僕は海斗に向き直り答える。

「まったく、お前が売店に行く日は声をかける暇もないぜ。優等生様が廊下を走っていいのか?」

海斗がふざけながら言う。

「まあ、これくらいは多めに見てもらいたい。毎日学食に行けるほどお小遣いが無くてね」

僕は自嘲気味に首を振る。


「ああ、お姉さんがきびしいんだっけか?まあ、それなら仕方ないわな。それにうちの学校はバイト禁止だし」

「そうそう、だから限られたお金を最大限に活用する為にはしかたないのさ。ま、僕が学食に行くときにはちゃんと声をかけるよ」

「そんなこと言って、夕綺が学食行く日なんて数えるほどしかねえじゃねえか。もう少し昼飯くらいつきあえよ」

まったく……無茶を言う。海斗は基本的に昼食は学食だ。金銭的に僕は毎日学食につきあうことはきびしい。

「昼飯をつきあうのはかまわないが、僕が毎日学食へ行くのは無理がある。なので、たまには海斗が弁当を持ってくるか、もしくは売店で買えば一緒に食事ができるが」


「う~ん、うちの親は忙しいからあまり弁当つくりたがらねえんだよな。会社が大きいのは結構だが、他には全然手が回らんようで。いつも金だけ渡されるんだわ。それに、あの売店にはあまり俺の欲しいものが置いてない。ま、たまには自分で弁当でも作るかな。俺も少しは料理ができるってとこ、見せとかないとな。まあ、さすがに夕綺にはかなわんが」

「僕の料理なんて、たいしたことないよ。お小遣いがなくなったら、仕方なしに作っているだけさ。生活のために覚えたようなものだ。買うより、自炊する方が安くすむからね」

「あれが仕方なしに作ってる料理かよ、料理が得意じゃない人間がきいたら怒るぜぇ?」

海斗はそう言いながら、目線を僕の後ろに飛ばす。



「あら、倉形くん。それはどういうことかしら」

僕の後ろに来ていた新城さんが、嫣然としながら怒気をはらむ。

挿絵(By みてみん)


「いやぁ、別にぃ。言葉ど~りの意味なだけだ。特に誰かさんのことを指してるわけじゃないぜぇ」

海斗がへらへらしながら答える。

「ふ~ん、そう……そうなんだぁ。じゃあ、なんでわたしの方を見て言うのかしら?」

新城さんはこめかみをピクピクさせながら微笑む。

笑っているが目が笑っていない。

「いやいや、新城は料理がとてもお上手でいらっしゃるから、あなた様には全く関係のないお話だということですよ。くっくっく……」

海斗はにやにやしながら、最後には堪えきれなくなったのか笑い声がこぼれてきた。


「ちょっとー、なによなによー。それじゃまるでわたしが料理できないみたいじゃない!」

新城さんが柳眉を逆立て、海斗に詰め寄る。

「おいおい、俺は、なにも、そんなことは、ひとっっことも言ってないぜぇ。俺はただ、夕綺の謙遜に対して、新城にも同意を求めていただけだ」

両手をひらひらさせながら海斗はしれっと言う。

「もう! 倉形くんのバカ! 葉真夜くんも黙ってないで、何とか言ってやってよー!」

むくれた表情で新城さんが僕に話を振ってきた。

「我関せず」を決め込もうとしていたのだが、そうは問屋が卸さなかったようだ。

まったく、いつもの事ながら飽きない二人だ。

ふう、と一つため息をつき、二人に声をかける。



「海斗、そのくらいにしておけよ。新城さんの料理は個性的かつ独創的なだけであって、決して料理の優劣の問題ではない。あくまで好みの問題だよ」

僕は最大限に言葉を選び発言する。

以前、海斗と一緒に新城さんの家に遊びに行った時、新城さんが料理を作ってくれたのだが、これがまた、うん、なんというか。

筆舌に尽くしがたい……もとい言語に絶する……もとい辟易する……まあ、そんな感じなわけだったのである。

いまだに、あの暖かいりんごのロールキャベツの味が忘れられない。ロールキャベツと思い口にしたあの衝撃……

口いっぱいにひろがる瑞々しい……改め水水しいべっちゃべちゃのキャベツ、そして生暖かいりんごとののコラボ……もといコンボ。━━━━忘れません!

「葉真夜くんまで!? ひっどーーい! 二人してバカにして~! あれからだいぶ練習したんだから! 今度お弁当つくってきて二人に食べさせるからね。今の言葉、撤回してもらうんだから!」

それは死刑宣告か!?

ああ、なぜ本人にはあの味がわからないのだろうか?

まぁ、フグも自分の毒で死なないか…………

「まて、新城! はやまるな! おちつけ! すまん、俺が悪かった! 全面的にあやまる! 思い直してくれ! おい夕綺、お前もなんとか言え!」

海斗が狼狽する。本気で。

「ちょっと、なによそれー! どういうこと~! 失礼しちゃうわね!」

新城さんの抗議の声が響く。



「し、新城さん、ちなみにどんな料理を練習したの……?」

僕は恐る恐る訊いてみる。

「え、うんとね、まずイチゴのカツと、それからパインのロールキャベツ、あとはモモの甘辛炒め、まだほかにもいろいろあるんだけど━━━━━」

なぜにフルーツ!?

モモはせめて鶏モモ肉であってほしい。

頼む!

「わたし、果物大好きだからいろんなフルーツ料理を作ってるんだ!」

新城さんの、後光が射すようなすばらしい笑顔がそこにあった。

願いは儚く消えた。

新城さん、それは“作ってる”ではなく“創ってる”んですよ。そんなフルーツ料理はありません!

「そ、そう……なんだ。でも、残念だなぁ。僕は、果物、苦手、だから。できれば、ご飯ものが食べ、たいなぁ……」

僕は引きつりながら最後の抵抗を試みる。

「え、そう。じゃあ、みかんのチャーハンなんてどう?」

新城さん、僕はフルーツを使わない料理を希望したのですが。

「まてまてまて! 新城! たのむ、それだけは勘弁してくれ! ちょっと調子に乗りすぎた! マジで!この通り!」

海斗が手を合わせ、懇願する。

「なによもう!ほんとに失礼しちゃう!!」

そのとき、チャイムが鳴った。

昼休みが終わる。

ああ、助かった。

「新城さん、ほら、すぐ先生来ちゃうから、席に戻ろう? 海斗も、ほら!」

僕は努めて明るく二人に声をかける。

「お、おう。学生の本分は勉強だよな~。早く席につかなくちゃーっと」

海斗がそそくさと逃げる。

「あー、倉形くん! それに葉真夜くん! 覚えてなさいよー!」

新城さんが捨て台詞を残して席に着く。

できれば、忘れていたいです。




  



校内にチャイムが鳴り響く。

午後の授業も終わり、これで今日の授業は終了だ。

後はHRを残すのみ。

やれやれ、なんだか疲れた一日だった。

授業を終えた先生と入れ替わりに、担任の先生が入ってくる。

今日もやっと学校が終わる。そういった皆の弛緩した気配が教室中に漂う。

今日は特別な連絡事項もなく、いつもどおりのHRだ。

先生の挨拶とともに、皆が席を立ちはじめる。

「さよならー」「バイバイ!」「じゃあなー」

「また明日」

それぞれに挨拶を交わし、三々五々に下校していく。

海斗と新城さんも、何事もなかったかのように下校していった。

まったく、いつものことながら仲のいいことだ。

僕はというと今日は掃除当番の為、二人に挨拶をした後こうして居残り、教室の掃除をしている。

数人のクラスメイトと共に教室のモップがけをして、教室のゴミを除いていく。

机をきれいに並べなおし、最後に集めたゴミを焼却炉に投げにいって完了。

ゴミ投げを終えて戻った僕は、教室で待つ皆に「お疲れ」と声をかけ、掃除の完了と解散の合図とする。

「お疲れ~」「それじゃ」「さいならー」「したっけね」

そうして残ったメンバーは、きれいになった教室を後にする。いつもどおりの放課後。

誰もいなくなった教室に、午後のゆるい日差しが差し込んでいた。

影が少し長くなり始め、夕方の訪れを告げている。

さあ、僕もそろそろ帰ろう。


静寂の校内、遠くから微かにブラスバンドの練習の音が聞こえる。その長い廊下を歩きながら、一つ用事を思い出した。

そうだ、毎月掲示板に張り出している保健委員の保健だより、来月の担当は僕だ。その下書きを提出しなければいけないんだった。

まだ、期限までは数日あるが、昨日書き上げたので、思い出した以上、早めに提出する事にする。

僕は、昇降口に行こうとした進路を変更し、保健室へと向かう。

保健室は一階の奥にあり、昇降口からそう遠くない。それが、今日提出しようという気持ちに作用した。

それに、優等生の肩書きを維持する為にも、こうしたところでポイントを稼いでおかなければいけない。

まったく、やれやれだ。委員長までやらされて、優等生も楽じゃない。

━━はあ、と嘆息し、気を取り直して保健室の扉を開ける。

;SE ガチャ

「失礼します」

保健室の扉を開き、室内を覗く。

西日が差し込む夕方の保健室に、優雅に佇む女性が一人。この部屋の主、養護教諭の霧島亜紀先生、その人だ。通称、改め自称、“保健室のお姉さん”。

年齢は不詳、言及した者は筆舌に尽くしがたいお仕置きをされるとか何とか……全く持って怖ろしい。

見た目には二十代前半にも思えるし、三十代のように感じる事もある。会話からは一切年齢を推理する材料を漏らさず、徹底していることもあり、その真実は誰も知ることが出来ない。他の先生方なら知っているだろうと思うのだが、誰もその質問には答えてはくれないのだ。それが、前述した噂の真実味を増している。

「あら、葉真夜クンじゃない。どうぞ、入りなさい」

挿絵(By みてみん)


霧島先生は冷淡な声で入室するように促し、僕はそれに従う。

「霧島先生、来月の保健だよりの下書きを持ってきました。見てもらっていいですか?」

そう告げて、僕はカバンから書類を取り出す。

「あら、もう出来たの? 早いわね。こういう物はみんな期限ギリギリまで持ってこないのに。さすがは葉真夜クンね。それじゃあ、さっそく見せてもらおうかしら」

霧島先生は、淡々とした口調で僕の手から用紙を受け取った。右手には包帯が巻かれていた。僕が目線を向けると、ちょっと捻っちゃってね、とつまらなさそうに呟いた。



霧島先生は、青いアイシャドーでメイクされた色気のある目で僕の記事を読む。薄く細めた目元がとても涼しげで、思わずドキリとする。口元に当てられた手が、さらにその妖しさを増徴させる。だが、それと同時に冷たくキツイ印象もを与える。

そして脚を組んで座る霧島先生の短いスカートから伸びる生足が妙に扇情的だ。










挿絵(By みてみん)


「 『朝食の大事さと、その栄養について』……実に成長期に大切なことを書いているわ。なかなか面白い内容ね。よく調べたものだわ。一見よくあるテーマだけれども、具体的な朝食のメニューやカロリー、栄養の吸収されやすさを考慮した献立は見事ね。これだけのものを書くには専門的な知識が必要だったでしょうに。今すぐに栄養士になれるわよ葉真夜クン」

一分ほど熟読した後、霧島先生は顔を上げそう言った。

半分くらいはかすみねえの受け売りだったりするので、なんだか少しズルをした感も否めない。夏休みの自由研究を親に手伝ってもらったような、そんなバツの悪さに近い。

「いえ、こういうのに詳しい人が身近にいたもので。僕一人の知識で書いたものではありません」



「謙遜しなくてもいいわ。直接その人に書いてもらったのでなければ、それは立派な調べ物。ネットや本で調べるのと同じこと。恥じることはないわ。もっと自信を持ちなさい」

霧島先生は僕の目を真っ直ぐ見てそういった。

「わかりました。ありがとうございます」

僕は思わず頭を下げる。

「内容は全く問題ないわ。後は月末までに仕上げをしてくればいいわ」

そう言って、僕に下書きの用紙をたたんで返してくれる。






「他には、なにかあるかしら?」

抑揚の無い声で、これで会話の終了とばかりに切り出してくる。

これまたなんと言うか、ぶっきらぼうな感じだ。

この、およそ“保健室のお姉さん”らしくない態度が、生徒たちに人気があるようだ。

『亜紀先生に踏んでもらいたい』、とか、『俺もお仕置きしてもらいたい』、なんていってる男子生徒は多い。

女生徒にも憧れの眼差しで見られていて、

『霧島先生みたいな大人の女になりたい』

といっている女の子も大勢いる。






僕としては、美人なのは確かに認めるが、どうにも苦手な感じだ。なんというか、あの上から目線でこられると、身がすくむ。雰囲気が怖いんだよな。海斗あたりにそういうと、

「ばかやろう、それがいいんだよ!」

と力説されてしまうのだが。まあ、いい。

僕には理解できない話だ…………たぶん。


「いえ、以上です。ではこれで……」

挨拶をして退室しようとしたが、一つ思い出した事があり、立ち止まる。






「そういえば、うちのクラスの蓮見が今日欠席だったんですよね。学校にも連絡がなかったようなので少し気になりました。無断欠席するような奴じゃないし。昨日までは元気だったように思うのですが、もしかしたら急な体調不良かもしれません。少し心配です」

そう言ったとき、霧島先生はわずかに顔をしかめたように見えた。一瞬だが、確かに表情を変えた。それが何故なのかは僕にはわからなかった。なにか、不快にさせるものがあったのだろうか?そんな思いがよぎったが、

「そうね、それは心配だわ。本当に葉真夜クンは保健委員の鏡ね。クラスメイトの健康の心配をするなんて。他の委員にも見習わせたいくらい」

すぐに、いつもの冷静な雰囲気でそう答えた。

「いえ、そんな。僕はただ、思ったことを言っただけです」

「でも、それはいい心がけよ。葉真夜クンは、常に周りの人の事を考えている。素晴らしいことよ。もし、欠席が続くようなら、様子を見に行ってあげたらどうかしら?」

「そうですね。明日も欠席だったら、帰りにでも蓮見の家に寄ってみようと思います。それでは今日はこれで失礼します」

僕は今度こそ、保健室を後にした。

そうして校門をでる頃には、もう遠くの夕焼けが赤く綺麗だった。



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