災難3
「なんだ?」
声を上げたと同時にボン!と何かの爆発音が聞こえた。
「おいおい、どうなってるんだよ。」
俺はとりあえず図書室から廊下へと出て行った。
「まさか…」
俺の後からついてきた高野が呟く。
俺は思わず高野を振り向いた。
まさかってどういうことだよ。高野がまさかなんて言うような状況を引き起こす人間っていったら、あいつなのか。あいつはいかにも何か事件を起こしそうな性格をしているが、そんなの面倒くさいしやめてほしいから、あいつだなんて思いたくない。でも、やっぱり、あいつなのか…?
「まさか、な。」
そう言って終わりにしようと、慌てている高野を尻目に図書室に戻る。
とにかく落ち着こうと、適当に本棚から本を取り、開いた。
「おーい、さっきの爆音、なんだったんだー?」
誰かが大声で笑い声混じりに呼び掛けているのが聞こえる。
「それがさー」
相手も大声で返す。明らかに楽しんでいやがるな、こいつ。
「3階の家庭科室からなんか煙あがってんだよ。」
「なんだよそれ。」ともう一人が答える前に高野はリリちゃーん!と半泣きになって階段を駆け上がっていった。
「でもなんで家庭科室から煙があがるんだよ。誰かいたのか。」
「さすがに中は覗いてなくてさ。」
高野が小さい声を張り上げて階段を駆け上がっていったのには少しも気づかず、野次馬どもが話している。
少し間をおいて、俺はパタンと読みかけの本を閉じた。
高野の反応のおかげであいつが関わっている、いや、100%あいつが中心になって起こしたのだということがわかってしまった。
高野がここに来ていた以上、知らんぷりはできない。
少し悩んでから、俺はしっかり本を本棚に直して、野次馬たちの間をすり抜けて家庭科室へ向かった。
「リリちゃぁーーん!早くこっちに来てーーっ!」
3階にあがると、高野のか細い、しかし必死な声が聞こえてきた。家庭科室から数メートルほと離れたところにいる。
「高野!いったいあいつ、今度は何をしたんだ?」
「ああっ…、内藤君…!」
声をかけると、高野の顔がぱっと明るくなった。が、またすぐに混乱の色へと変わる。
「あっ、あのねっ、リリちゃん、リリちゃんが…」
「うん、天宮が何したんだ?」
高野に話すよう促す。
「た、大変なのっ…」
高野は言葉に詰まりながら家庭科室を震える腕で指差した。その人差し指の先を目で辿る。灰色がかった煙の中から出てくる一つの人影が見えた。人影はこちらを見ると狭い廊下を走りよってきた。そして、俺に怒鳴りかかってきた。
「おい、そんなところでぼーっとつっ立ってる場合じゃないだろ!来てたんなら手伝え、内藤!」
思ってもいなかった人物がやってきたので、俺はすっかり驚いてしまった。
「鵜堂?お前なんでこんなところに…」
呆然として尋ねると、鵜堂は「え」と一つ声をあげて慌て出し、少し顔を赤らめた。
「なんでってそりゃ天宮さんに誘われたから…じゃなくて!天宮さんが大変なんだよ!」
「あいつが大変なことをしでかすのはいつものことじゃないか。」とため息まじりに言うと、鵜堂は「そういうことじゃない。」と、もどかしそうにぶんぶんと首を横に振った。
「家庭科室のオーブントースターが爆発したんだよ!そんで火が……っ、悠長に話してる時間は無いんだ。ほら、早く行くぞ!」
ちょっと待て。今爆発って単語が聞こえたような…
どういうことか問いただすより早く切羽詰まった様子の鵜堂に引きずられ、俺はやむなく家庭科室への残り数メートルを走った。
扉からもうもうとあがる煙に咳き込む。
「天宮…っ、おまえこんどは何したんだよ!」
怒鳴りながら開いた目に飛びこんできたのは火の中でうずくまる天宮の姿だった。
「天宮?!」
天宮が俺の声に頭をゆらりとめぐらし、いつもなら能天気な笑顔を向けてきそうなものだが、しまったとでも言いたげな顔をした。
「何やってんだ、危ないじゃないか!早くこっちに逃げるんだ、今ならまだ少し火傷するくらいですむ。」
そうだ、煙は大袈裟とも言えるほど大量に出ているが火はそこまで激しくない。
ようやく火災ベルの鳴る音が聞こえてきた。
天宮は俺をじっと見つめると、嫌だと駄々を捏ねる子どものようにふるふると頭を振った。
「なんでだよ。」
イライラした声が出る。
「だって、コンセントが…。」
天宮が困ったように腕の中に抱えているものを見る。何を大事そうに抱えているのかと覗きこんで見てみると、オーブントースターがあった。
どうやらオーブントースターを燃やしたくないのに、オーブントースターにつながるコンセントががっちりそれを離さないようにしているようで、天宮はどうにもそれを放り出せないでいるようだった。
「オーブントースターなんてどうでもいいだろ!早くこっちに来るんだ。」
天宮に向かって声を張り上げる。
「だめだよ!」
頑固に天宮がオーブントースターを抱きしめて、てこでも動かないぞとでも言いたげに地面にさらに深くうずくまった。
なるほど、鵜堂が苦戦するわけだ。
知り合いが今にも火に飲み込まれそうだと言うのに、冷静に頭の中で俺は思った。
先生は、消防はまだか。
じっとり汗ばんできているのを感じる。額の汗を拭いながら、もう一度天宮に呼びかけた。
「そのオーブントースターがなんでそんなに大事なのかは知らないけどな、死んだら元も子もないんだぞ、ほら、出てこい!」
そうだ、そんなに近くまで火の手がせまってきているんだ。いくら天宮でも、死なれるのはなんだか困る。
「いや!これは絶対にだめなの!」
天宮が泣きそうな声で叫びつつ、力強くオーブントースターを抱きしめる。
本当にいったい何をしたのか、火の手は天宮の周りを小さく囲んでいただけだったものがますます大きくなり、家庭科室の4分の1ほどをすっかり埋め尽くしてしまった。
「リリちゃん、お願いだから出てきてぇ…。」
高野が泣きじゃくりながら訴える。
家庭科室一つを葬り去ろうとしているくせに、なぜオーブントースター一つにこんなにこだわるのか俺はまったく分からなかった。
「いいかげんにしろ!」
だんだん首を小さくふる小さな天宮の姿が火でゆらめいてきた。
「おい、内藤、天宮さん助けに行けよ。」
鵜堂が力のない声で言う。
「冗談じゃない。なんで俺があいつを助けなきゃなんないんだよ。」
「この薄情者!」
「じゃあおまえが助けに行けよ!」
「俺だって一度天宮さんを引きずりだそうとしたんだよ!でもだめだった。全く動こうとしないんだ。」
鵜堂の目にうっすら涙が見える。
俺は鵜堂に何も言えず、もう一度火の中の天宮を振り返った。
「おい、天宮。だだをこねないで出てきてくれ。本当に死ぬぞ。」
「いーやーだーっ!」
やはり頑として受け入れない。
だめだ、本当にこのままではやばい。さっきは膝下あたりまでだった火がもう胸のあたりまでのぼっている。
「なんでだよ…。」
汗がしたたりおちる。いつのまにこんなに汗をかいていたんだろう。火のせいだ。よく見ると天宮も鵜堂も高野もみんな汗だくだ。高野なんか暑さで今にも倒れそうなくらいふらふらだ。
「お前らなにしてんだー!ここは危険だ、早く逃げなさい!」
先生たちがバタバタと駆けより怒鳴った。
「先生!中に天宮さんが残ってるんです!」
鵜堂が必死の形相で怒鳴りかる。
「なんだって…?」
途端に先生の顔が一斉に青ざめた。
「閉じ込められているのか?」
鵜堂がぶんぶんと首を振る。
「違うんです…、出てこようとしないんです…。」
それをきいて震える先生たち。
「またあいつは…!」
そういう先生の声は今にも泣きそうだった。
ですよね。またあいつか、って思いますよね。
火はさらに激しく燃え上がる。
「どうすればいいんだ…消防車がくるにはまだ時間がかかるぞ…。天宮の姿が見えないじゃないか。」
「もう今さら消火器で消せる火じゃないですよ…。」
先生たちの声をきいてまた高野が泣きじゃくる。
「あ、私が…私がリリちゃんを止めてたらっ…リリちゃんはっ…」
「大丈夫だ、高野のせいじゃないよ。」
てかまだ死んでないし。
そうだ。誰のせいでもない。あいつが悪いんだ。あいつが諸悪の根源じゃないか。ちょっとは痛い目にあえばいいんだ。高野も、鵜堂も、俺も、誰も悪くない。悪いのはあいつだ。もうこれ以上足引っ張られてたまるかよ。勝手にすればいい。あいつなんかー
「あっつ…あつい…!」
中から天宮の金切り声が聴こえた。
「天宮さん!」
「リリちゃん!」
苦しそうな声にみな慌てた。
「どうしよう。どうするべきなんだぁっ…」
かわいそうに禿げ上がった頭の先生が頭の毛を掻き毟りながら声をしぼり出した。
「あつい、あついよ…!」
知るか、お前のせいだろ!自業自得だ。
俺はもう絶対助けないからな。
「真司ぃ…っ」
「えっ」
思いもよらぬ指名に思わず声が出た。
「真司っ、助けてよ真司ーっ!」
何いってんだよこいつ、また俺に尻拭いさせる気か。俺はさっきお前を絶対助けないって誓ったんだよ。
「真司ーっ、たすけてーっ!」
だめだ、だめだぞ俺。今まで何度こいつに酷い目にあわされたか覚えてないのか。今助けたらまたあいつはつけあがって俺の生活もっと散々になるぞ。
「真司…きゃあーっ!」
ガシャーンという音と共に天宮が悲鳴をあげた。
「ああっ…!」
もうみんな血の気が完全に引いている。
「あーもう!くっそおぉぉぉ!!!」
勢いにまかせて俺は家庭科室に飛び込んだ。
制止する先生の声は全く耳に入らなかった。
熱い。
火の海を掻き分けながら歩を進め、「天宮ーー!出てこーい!!」思い切り怒鳴った。
「真司ぃ…。」
今にも泣きそうなか細い声が足元から聴こえた。
全身煤だらけの天宮が涙をぽろぽろ流して座り込んでいた。
よくもまあこの火の中燃えずにすんでいるものだと、心のどこかで奴の悪運の強さを思った。
そんなこと思ってる場合じゃない、と天宮に手を差し出す。
「ほら、ここから出るぞ。これ以上みんなに迷惑かけんじゃねえ。」
天宮はしゃくりあげながらうんうんと何度も頷き、俺の手をとった。
赤い炎と黒い煙の中をなんとか突き進み、二人で家庭科室を出る。
「はあ、助かった…」
我慢の限界とこみあげた咳を吐き出していたら拍手の海に呑み込まれた。
「よく、よくやってくれたよ内藤くん!!」
涙目の先生に肩をつかまれる。
さすがに生徒に死なれるのは困ることだったらしく、先生たちは全力で俺を褒め称えた。
「リリちゃん…っ、大丈夫?」
「うんっ…大丈夫…」
ぼろぼろ泣きながら言われても説得力がない。
「天宮さん、けがなくてよかったよ。」
本当に悪運が強い。
というか君たち二人とも俺の心配はしないのな。
「ああ、こうしてる場合じゃない。お前ら早く逃げるぞ!」
その一言で全員一斉に走り出した。
その後どうなったかというと、消防車がきて幸い被害は家庭科室だけですんだ。
それでも被害総額は…聞きたくない。
「でも、二人とも無事でよかったね。」
高野がにこやかに言った。
「ああ、一時はどうなることかと思ったよ。」
鵜堂も頷く。
な、二人とも分かっただろ、こいつと一緒にいるリスクが。
「でも、残念だったねえ。リリちゃん。」
高野が今度は少し悲しげに言った。
「え、なにが?」
きょとんとしてるのは俺一人で、鵜堂に「お前心当たりないのかよ!」と、さらには怒鳴られる始末。
「え、えっ、ほんとになにが?」
鵜堂がはあっとため息をついて、「誕生日だよ」と拗ねたように言う。
「誕生日?誰の…」
「お前以外に誰がいんだよ!」
え。俺?
「内藤君、忘れてたんだね。リリちゃんがね、内藤君はチョコレートケーキが好きだそうだから作ってプレゼントしてあげたいって…それで私たちも誘われて、家庭科室で作ってたの。」
「そう、だったのか。」
ちらと天宮の方を見る。
「いつも…迷惑かけてるし。」
ぼそりと天宮が言った。
自覚があったならもっと気をつかってくれればそれで十分なのだが。
「なるほど…それで俺に好きなものとかきいてきたんだ。」
「うん。でも真司は答えてくれなかったから、おばさんにきいたの。」
なるほどね。
「なんだよ、もっと喜べよ。せっかく天宮さんが誕生日祝ってくれるんだからよ。」
「わかった、わかったよ、ありがとう。」
何度もいうと、普段もう少し普通に行動してくれたらそれが最高の誕生日プレゼントなのだが。
まあこの悪魔にこんなかわいい一面があったのは知らなかった。
「じゃあ、気を取り直して内藤君の誕生日パーティー、やりますか!」
楽しげに高野が音頭を取る。
「しゃあねえ、俺も祝ってやるか。」
ぶっきらぼうに鵜堂が言った。
「うん!誕生日おめでとう!真司!」
天宮も調子を取り戻して笑顔を向けてくる。
「ああ、ありがとうみんな。」
まさか友人に誕生日を祝ってもらえる日がくるなんて思っていなかった。
だから素直に嬉しい。
「けどな、一つ言わせてくれ…。」
…俺の誕生日、二月後だ。