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災難2

「おう、内藤。どうしたんだ?」

教室に戻ると川上先生に声をかけられた。ひっそりと授業に戻ろうとしてるのに話しかけないで下さいよ、と俺は心の中で文句を言う。不可抗力とはいえ授業サボったこっちが悪いのはわかるが、でも、ほら。先生が話しかけた途端、クラスのみんなが一斉にこっちを向いた。俺はそそくさと自分の席に戻る。こういう時、席が教室のど真ん中にあるなんてと恨めしく思う。俺には友達がいないから弁護してくれる者などいないが、察しのいい奴は同情的な視線を向けてくれる。それ以外は俺に興味がないか冷ややかな視線を投げつけてくるかのどちらかだ。

俺には構わず川上先生は教科書を片手に授業を続けた。出席簿を見ながらチョークで黒板をかつかつ叩いている。

「え〜、問いの7を…そうだな、天宮にやってもらおうか。」

「先生、天宮さんはいませぇん。」

誰かがなんの動揺も見せずに言う。

「あ、そうなの?じゃあ内藤やれ。」

ここでまさかの俺かよ。

しかも天宮は現在授業サボり中どころか別のクラスだよ。

「…最近ボケが激しくなってないか?」

「ん?どうしたんだ内藤、ぶつぶつと何言ってんだ。」

「え?あ、いえ…。なんでもないです。」

俺は少し動揺した。どうやら内容は聴こえていなかったらしいが焦る。

しかしほっとしたところでいらん横やりが入った。

「内藤君は先生のボケが進行しているのではないかと疑っているのです。」

「ちょ、おまっ…!」

何サラッと告げ口してくれてんだよこいつは…!

俺の方を見て勝ち誇ったように笑うこいつは鵜堂拓真(うどうたくま)。クラスメイトなのだが、なぜか最近よくつっかかってくる。天宮とは違うたちの悪さを持っていて、2人揃うと大変ややこしい。

「…内藤もそう思うか?」

川上先生に話しかけられどきりとする。

「あ、あの、えと…俺は、その…」

「最近たしかに物忘れが激しくなっていると俺も感じるんだ。頭も薄くなってきてるし…」

「そんなこと…」

「こないだ休んだのだってぎっくり腰のせいなんだ…!情けなくて言えなかったが…」

言わなくていいですよ先生。ていうかまた始まっちゃったよ…

視界の端で鵜堂がガッツポーズするのが見えた。

まさか、鵜堂はこれを狙って…

俺はため息をつきたくなった。川上先生は自分が年老いていくことに絶大な不安を抱えていて、スイッチが入ると、こうなる。チャイムが鳴るまで。つまり授業は丸つぶれ。

やっと授業に出れたと思ったらこれか。俺はなんだか周りの人たちみんな俺の留年を願ってるんじゃないかと思えてならなかった。


「俺これからどうなるんだろ…」

椅子をぎこぎこ揺らしながら生気のない声でそうつぶやいた。やっと出られた数学の授業は鵜堂の思惑通り川上先生の愚痴で終わった。仕方なく一人で勉強しようと休み時間に数学の教科書を開くと全然分からず…

洒落にならない。密かに絶望した。まさか一年の6月に本気で留年の心配をしなければならないなんて、半年前には思ってもいなかった。

勉強を中断してひと休みしようとシャーペンをおく。

片手にオー・ヘンリーの「最後のひと葉」をぶら下げて、椅子にだらしなくもたれかかり、ぼんやりと天井を見上げる。

なんで最後のひと葉なのかは聞かないで欲しい。なんとなく読みたかったのだ。肺炎で死にかけた少女が、老人画家の描いたツタの最後のひと葉で希望を持ち見事生還したように、俺もなんとか留年せずに、と無理矢理だがこぎつけたかった。それだけだ。

聞かないで欲しいとか言っておきながら自分からきれいに述べてしまうとは、思ったよりダメージが大きかったのだろうか。

俺は静かに目を閉じた。遠くからガヤガヤとざわめいた音の波が押し寄せる。その音量がちょうど心地いい。

先に言っておくが、俺は授業をサボってなどいない。今は昼休みだ。そして俺はいつもの日課で、3時間目のあとに早弁をしてこの静かな平穏の地に安らぎを求めてきている。そう、この我が聖地、図書室に。どこを見渡しても本、本、本。この上ない幸せだ。

いつもは高野と本を読みふけるのだが、今日はなぜか用事があるとかで来ていない。高野が本そっちのけなんてよっぽどの用事なのだろう。

俺は目を閉じたまま、すうーっと大きく息を吸い込んだ。本の趣のあるいい匂いがからだ中に広がる。こどもの頃からこの匂いを嗅ぐと安心した。母親の匂いよりも安心して受け入れられていた。

ああ、いつまでもこの世界に浸っていたい。しかし俺には見据えなければならない現実がある。ここでちゃんとこちらの世界に戻ってくれば、最悪の事態からきっと免れることができるはずだ。


目をゆっくり開く。ぼうっと視界に天宮の幻影がみえた。

「っ?!」

俺はがばと跳ね起きた。なぜこの安息の地で一番不吉なものを見なければならないのか。っておい、何ニヤニヤ笑ってんだこいつ。一体何を考えてのその表情なのか、全く気味が悪い。俺はいい加減やつをとっちめてやろうと声をかけた。

「なんだよ、天宮」

「こら、真司くん。いくら悔しいからってお友達のことを呼び捨てにしちゃダメでしょ!」

は? えっと…、どういうことですか?

「ほら見なさい、梨々子ちゃん泣いちゃったでしょう。謝りなさい。」

そう咎められて頭をめぐらすと、べそべそと泣く小さな天宮がいた。大きな流れ星のアップリケをつけた水色の園児服を纏っている。心なしか顔つきもなんだか幼い。

俺が訳がわからず惚けている間にも、「早く謝りなさい。」という声が上から降ってくる。

「なんで?どういうこと?」

反論する自分の声まで幼い。

「なんでも何もないでしょう、ほら、謝りなさい。」

聞き覚えのある声の主は謝りなさいの一点張りだ。理不尽な、少しはこちらの主張も聞いてくれればいいのに。

「ほら、早く」

他方から別の泣き声が聞こえてくると、いよいよ咎める声はいらだちの色を見せた。

こっちが怒りたい気分なのだが、まずは冷静にと周りを見渡した。明るい色調の部屋にクレヨンの色が飛び散った下手な絵、くしゃくしゃの折り紙、床中に散乱しているなつかしのおもちゃたち。まるで幼稚園。

ちらりと見えた天宮は泣いてなどいなかった。じろりと睨むと、やつはにやりと笑って舌を出した。幼い顔をしていても、やつの笑顔には腹が立つものである。

「何ニヤニヤしてんだよ天宮!」

うまく呂律が回らない甲高い声でやつに怒鳴る。すると天宮は神経を逆なでする笑みをやめて「ニヤニヤなんてしてないもん!真司の嘘つきぃー」と怒鳴り返してきた。

そうだった。やつにこんな可愛らしい怒鳴り声など効かない。

俺はやつのこんな反応は久しぶりで、一瞬対応に悩んだ。やつはバカだのアホだのタコだのお決まりの子供らしい悪口をわあわあ言っている。

とにかくここは冷静にいこうと俺は目を閉じた。しかし、

「なんだとー!」

自分の意思とは反対に、俺はやつに怒鳴った。するとやつはにやりと笑った。かと思うと、声を張り上げて泣き出した。

「こら真司くん!また梨々子ちゃんを泣かして!いいかげんに謝りなさいっ!早く!」

いつの間に移動していたのか、他の子どもをなだめていた例のおばさんがすっとんできて怒鳴った。

「お願いだから問題を増やさないでちょうだい、真司くん。お願いだから梨々子ちゃんに謝って!」

なぜそんなに俺に謝罪を求めるのか。いや、それ以前になぜさっきやつがさんざわめいていた数々の罵りは完全無視なのか。

また後ろで天宮がニヤついている。

だめだ、このままじゃエンドレスだ。

それでもやつに謝るのは釈然とせず、目をぎゅうと瞑って、ありったけの力を振り絞って叫んだ。


「いいかげんに人の話を聞けーーーーーっ!!!」


目を開けると薄橙の暖かな光が入ってきた。ゆっくりと上体を起こして、周囲をぐるりと見回す。いつも通りの本棚の羅列が目に映る。

束の間ぼうっとして、ただ時計がチクタクと音を立てて時を刻んでゆく様子を見ていた。

次の授業まで残り十数分。

図書室には誰もいない。

「なんだ、夢か。」

安堵のため息をついた。

そうか、俺は幼稚園児の頃からあいつに振り回されていたのか。

さっきの夢では振り回されていたというより嵌められていたといった感じだが。

俯いて、ぼんやりと霞がかった机の縦縞模様を無心のまま見つめて、夢の内容をカケラごとにひとつひとつ思い返す。

…なんだかな。

声しか覚えていない当時の幼稚園の先生を今さら不憫に思う。

そのころの俺は、泣きそうになりながら先生に対してひどいひどいとばかり思っていたが、少し大人になって考えてみると、先生方もかなり大変だったろう。

おそらく天宮に注意してもわけのわからない屁理屈で無理矢理押し返され、それこそエンドレスになるので、どうしたって俺にわかってもらうしかなかったのだろう。

しかしそれがわかった今でも納得がいかないし、納得する気もない。

俺がやつの為に犠牲になる筋合いはないはずだ。そうだ。やつの為に留年してたまるか。

そう頭の中で言葉を連ねながら、ひとりうんうんと頷いた。

「よっし、そうと決まれば勉強だっっ。特に数学!」

「あの、内藤君?」

「うわっ」

決心の雄叫びに重ねて発せられた声に驚き、

格好悪いながら俺は椅子から落ちてしまった。

「だ、大丈夫?」

高野が走り寄ってきて俺に声をかける。

「あ、ああ。大丈夫だけど…高野はどうしてここに?用事は済んだのか?」

そう言いつつ見上げると、エプロン姿の、かつ粉まみれな高野が目に映った。

高野がどれくらい粉まみれだったかというと、失礼とわかっていながら無遠慮に凝視した挙句「高野…どうしたんだ、その格好」とつぶやいてしまう程だった。

俺のツイートに対して高野があたふたしながら「あ、えとね、これは…」と何事かもらした。

そして用件を思い出したのか、「あのね、内藤君。リリちゃんが内藤君に今すぐ調理室に来てほしいんだって。それで内藤君今日もここかなって思って、それで…」としりすぼみにはなったが早口でまくしたてた。

まだ言うことがあるのか高野は言葉を継ごうとした。しかし

「却下。」

と即答。

「えっ?」

高野はぽかんとして俺を見上げた。なんで?と顔に書いてある。

一生懸命なのに悪いが、天宮というワードが出た時点でアウトだ。これ以上聞くだけ俺の身体に毒。

「で、でも…」

「嫌」

諦めない高野につっけんどんに返す。

「大事なことなんだって…」

「どうせろくでもないことだろ。」

まだ頑張る高野に無愛想に切り返す。

「で、でも、あたし、リ…リリちゃんに明日は何の日か覚えてる?って聞いて、それで、連れてこいって言われて…」

調理室から図書室まで走ってきたうえにいつもより多く喋っているせいか、高野の声は消える一歩手前にまで小さくなっていた。

いいかげん高野が可哀想になってきていたが、ここで態度を和らげるわけにはいかない。でないと天宮がまたつけあがる。

しかし…

いろいろ仕方がないので、俺は辛そうな高野を椅子に座らせ「じゃあ聞くけど、天宮は調理室でいったい何をしているんだ。」と聞いた。

「えと、何ってそれは…」

真っ赤になった汗ばんだ顔で高野は何か言おうとした。

しかし、残念ながら何を言ったのかは全く聞き取れなかった。

ジリリリと鳴り響く警報装置の音と昼休みの生徒たちのどよめきが、彼女の声をかき消してしまったからである。



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