「お前は母親に捨てられた」と継母が言うので、屋根裏で見つけた亡き母の手紙を十八通、一通ずつ開けました
「お前は母親に捨てられたのよ」
継母のドロテア様は、紅茶のカップを置きながら、そう言った。
十八歳の誕生日を、明日に控えた夜だった。
「……捨てられた、のですか」
「ええ。あの人は、生まれたばかりのお前を置いて、さっさと実家の領地へ帰ったの。それきり一度も戻らずに、向こうで死んだわ。手紙の一通も寄越さずにね」
ドロテア様は、薄く笑った。
「だから、母親の形見がほしいなんて、図々しいことを言うものではないの。お前には、何も遺されていないのだから」
私は、膝の上で指を組んだ。
母の指輪を、一度だけ見せてほしい。
私が頼んだのは、それだけだった。
明日、私はこの家を出る。顔も知らないまま嫁ぐ前に、母のものに一度だけ触れておきたかった。
嫁ぎ先は、ボードワン男爵家。
男爵は六十歳で、私は三人目の妻になる。
結納金は、ドロテア様の新しいドレスと、弟の学費に消えると聞いた。
食卓の向こうで、父は黙ってパンをちぎっていた。
父は、私の顔をほとんど見ない。
物心ついた頃から、ずっとそうだった。
「ねえ、お母様。姉上は、明日にはもういなくなるの?」
十二歳の弟のルイが、肉を頬張りながら訊いた。
ドロテア様は、弟の口元をナプキンで拭ってやりながら、優しい声で答えた。
「そうよ、ルイ。これで、あなたのお部屋をもう一つ増やせるわね」
弟は、無邪気に喜んだ。
私は、それを責める気になれなかった。
弟は、この家で、愛されることしか知らない子だ。それは弟のせいではない。
給仕をしていた年老いた料理番のナタリーが、私の皿にだけ、そっとパンを一切れ多く置いていった。
ナタリーは、この家で母を知っている、たった一人の使用人だった。
母のことを訊くと、いつも「お優しい方でございました」とだけ言って、目を伏せた。
「そうそう。お前、今夜のうちに屋根裏を片付けておきなさい。お前が使っていた古い寝台も、あそこに捨てていくのだから」
それが、私がこの家でもらう、最後の仕事だった。
◇
屋根裏は、冷たくて、埃の匂いがした。
燭台を床に置き、壊れた椅子や、古い絵の額縁を、一つずつ壁際に寄せていく。
十歳から十五歳まで、私はここで寝起きしていた。弟が生まれて、子ども部屋が足りなくなったからだ。
天窓の下には、古い布をかぶせた荷物の山がある。
ここで暮らしていた頃から、ずっとそこにあった山だ。
奥様の物だから触ってはいけない、と言われていたので、一度も覗いたことはなかった。
布をめくると、いちばん奥に、長持が一つあった。
ずいぶん古いものだ。
蓋には厚く埃が積もり、留め金は錆びついている。
片付けるなら中を見なければ、と、私は袖で埃を払った。
蓋の裏に、色褪せた文字があった。
――セシル・アルノー
母の名前だった。
指が、震えた。
留め金を外すのに、ずいぶん時間がかかった。
中には、淡い水色のドレスが一着と、銀の櫛と、小さな刺繍枠が入っていた。
刺繍枠には、途中までの刺繍が残っていた。
白い布に、名前の頭文字が、半分だけ。
L。
リゼットの、L。
その下に、青いリボンで束ねられた封筒の山があった。
数えると、十八通あった。
どれも封が切られていない。
一番上の封筒に、細い、丁寧な字で書いてあった。
『リゼットへ 一歳のお誕生日に』
二通目は、二歳。
三通目は、三歳。
最後の一通には、こうあった。
『リゼットへ 十八歳のお誕生日に』
私は、長いこと動けなかった。
手紙の一通も寄越さずに。
ドロテア様は、そう言った。
燭台の火が、小さく揺れた。
明日の朝まで、まだ時間はある。
私は床に座り、一通目の封を切った。
◇
『リゼットへ
はじめてのお誕生日、おめでとう。
あなたはまだ字が読めないから、これはお父様に読んでもらってね。
一年前の今日、あなたは朝日と一緒に生まれました。
とても小さくて、とても大きな声で泣いて、それから私の指を、ぎゅっと握りました。
あの力を、私は今でも覚えています』
読み終えて、私は封筒を胸に当てた。
父に読んでもらったことは、一度もない。
父はきっと、この手紙があることさえ知らない。
二通目を開けた。
『二歳のリゼットへ
もう走れるかしら。
転んだら、泣いていいのよ。泣いたら、誰かに抱き上げてもらうのよ』
二歳の私が転んだとき、誰かが抱き上げてくれたのかどうか、私は覚えていない。
でも、泣いてはいけないと思うようになったのが、いつからなのかは覚えている。
ドロテア様が来た、五歳の春からだ。
三通目と四通目は、短かった。
好きな食べ物はできたかしら。
お気に入りの歌はあるかしら。
そういうことが、一つずつ、問いかけるように書いてあった。
答えられないものばかりだった。
五通目の封筒は、ほかより少し厚かった。
『五歳のリゼットへ
今年は、少し大事なことを書きます。
あなたが大きくなって、誰かから、お母様はあなたを置いて行ったのだと聞かされるかもしれないから』
心臓が、大きく鳴った。
『それは、本当です。
私は、生まれたばかりのあなたを置いて、この家を出ました。
胸の病気でした。
大人にはうつりにくいけれど、小さな子どもには、ひどくうつる病気です。
お医者様は、あなたの傍にいてはいけないと言いました。
だから私は、実家の領地の療養所へ行きます。
この手紙は、そこで書いています。
リゼット。私は、あなたを置いて行ったのではありません。
あなたを守るために、離れたのです。
本当は、毎日抱きしめたかった。
この腕は、今でもあなたの重さを覚えています。
夜になると、空っぽの腕で、あなたを抱く真似をしています』
文字が、にじんで読めなくなった。
私は手紙を膝に置いて、両手で顔を覆った。
捨てられた、と思っていた。
十三年間、ずっとそう思っていた。
母は私を要らなかったのだと。だから、誰にも要られなくて当然なのだと。
違ったのだ。
母は、私のために、私から離れたのだ。
屋根裏の床に、ぽたぽたと涙が落ちた。
声を出さないように、私は唇を噛んだ。
泣くときに声を出さない癖は、この屋根裏で覚えたものだった。
◇
六通目からは、母の字が少しずつ変わっていった。
最初の数通は、力強く、整った字だった。
それが、だんだん細く、震えるようになっていく。
母は、全部の手紙を、一度に書いたのだ。
病気が重くなっていく中で、十八年分を、急いで。
『七歳のリゼットへ
そろそろ字が読めるようになったかしら。
今年からは、むずかしい言葉も使います。わからなかったら、辞書を引いてね。
今日は、お母様の好きなものを教えます。
雨上がりの庭の匂い。焼きたてのパン。それから、あなたの寝顔』
七歳の私は、字が読めた。
家庭教師は弟にしかつかなかったから、厨房のナタリーに頼んで、こっそり教えてもらった。
最初に読めた単語は、自分の名前だった。
『八歳のリゼットへ
お友だちはできた?
一人でいるのが好きな子もいるから、無理はしなくていいの。
でも、困ったときに「助けて」と言える人が、一人いるといいわね』
八歳の私には、ナタリーがいた。
「助けて」と言ったことはなかったけれど、ナタリーはいつも、言う前に気づいてくれた。
九通目には、押し花が一枚入っていた。
小さな、白い花だった。
『療養所の庭に咲いていた花です。あなたの名前と同じ響きの花はないかと探したけれど、見つからなかったから、いちばんあなたに似ている花を選びました』
押し花は、十七年分の時間を吸って、薄茶色に変わっていた。
それでも、花びらの形は、ちゃんと残っていた。
『十歳のリゼットへ
もう、お母様の背の半分を越えたかしら。
十歳は、少し難しい年です。
大人の言うことが、全部正しいわけではないと、気づき始める頃だから』
十歳の誕生日、私は子ども部屋を出されて、この屋根裏に移った。
弟の部屋が足りないのだと、ドロテア様は言った。
その夜、私はこの天窓から星を見ていた。
すぐ足元に、母の手紙があったのに。
十一歳と十二歳の手紙には、母の子どもの頃の話が書いてあった。
木に登って降りられなくなったこと。
厨房のパンをつまみ食いして、料理番に追いかけられたこと。
私の知らない母が、手紙の中で、笑ったり走ったりしていた。
『十三歳のリゼットへ
好きな人はいる?
いなくてもいいのよ。いても、お父様には内緒にしてあげます。
あなたは、きっと私に似て頑固でしょうね。
頑固なのは悪いことではないの。自分の大事なものを、手放さない力だから』
少しだけ、笑ってしまった。
私が頑固かどうか、自分ではわからない。
でも、母の指輪を一度だけ見せてほしいと、今夜、ドロテア様に頼んだ。
十三年間、一度も何かを頼まなかった私が。
あれは、もしかしたら、母に似た頑固さだったのかもしれない。
『十四歳のリゼットへ
鏡を見るのが嫌になる年かもしれません。
でもね、あなたの目は、私の母にそっくりなの。
とても強くて、とても優しい目です。いつか、会えたらわかるわ』
母の母。
私には、祖母がいるのだ。
そんなことさえ、私は考えたことがなかった。
十五通目を開けたとき、私は手を止めた。
『十五歳のリゼットへ
十五歳は、お母様がお父様と出会った年です。
お父様は、とても不器用な人です。
好きなものを、好きだと言えない人です。
私が病気になったとき、お父様は一晩中、私の手を握って、一言も喋りませんでした。
もし、お父様があなたに冷たく見えることがあったら、許してあげて。
あの人はきっと、あなたの中に私を見つけて、どうしていいかわからなくなるの。
あなたは、私にとてもよく似ているから』
私は、手紙から顔を上げた。
父は、私の顔を見ない。
物心ついた頃から、ずっとそうだった。
私は、嫌われているのだと思っていた。
――あなたは、私にとてもよく似ているから。
燭台の火が、また揺れた。
私は、水色のドレスの横に置かれた、銀の櫛に映った自分の顔を見た。
知らない女の人が、泣いていた。
◇
十六通目と、十七通目は、とても短かった。
字は、もうほとんど崩れていた。
一文字ずつ、休みながら書いたのが分かった。
『十六歳のリゼットへ
もしあなたが、いつか、自分は誰にも望まれなかった子だと思う日が来たら。
この手紙を、思い出してください。
あなたは、望まれて生まれました。
私が、誰よりも望みました』
『十七歳のリゼットへ
来年の手紙で、大事なことを伝えます。
それまで、どうか元気で』
遠くで、教会の鐘が鳴り始めた。
一つ。二つ。
私は数えながら、最後の封筒を手に取った。
十二。
日付が変わった。
私は、十八歳になった。
『リゼットへ 十八歳のお誕生日に』
封を切る指が、ひどく震えた。
『十八歳、おめでとう。
もう大人ね。
これが、最後の手紙です。
本当は、もっと書きたかった。十九歳のあなたにも、三十歳のあなたにも、おばあちゃんになったあなたにも。
でも、もう、ペンが重くて持てません。
だから、大事なことだけ書きます。
ひとつ。
あなたの十八歳の誕生日の朝、私の母が、あなたを迎えに行きます。
そう約束してあります。
行きたくなければ、断っていいの。行き先は、あなたが決めて。
ふたつ。
私の持参金の半分は、あなたのものです。
十八歳になったら、あなたが自分で使えるように、証書を母に預けてあります。
ドレスでも、本でも、旅でも、好きなものに使ってね。
みっつ。
これが、いちばん大事なこと。
リゼット。
あなたは、生まれた日から今日まで、一日も欠かさず愛されていました。
たとえ私が、そこにいなくても。
たとえ誰も、そう言ってくれなくても。
十八年分の「おめでとう」を、全部ここに置いていきます。
あなたの母、セシルより』
最後の行の文字は、ほとんど線のようだった。
それでも、ちゃんと読めた。
私は、十八通の手紙を胸に抱えて、屋根裏の床に丸くなった。
声を出して泣いた。
生まれて初めて、声を出して泣いた。
天窓の向こうで、空が少しずつ白んでいった。
◇
朝、門の前に、一台の馬車が止まった。
紋章は、ヴァランタン伯爵家。
母の実家だった。
「何の用です。お引き取りくださいと、毎年申し上げているでしょう」
玄関先で、ドロテア様の尖った声がした。
私は、手紙の束を抱えたまま、階段を駆け下りた。
馬車から降りてきたのは、白髪の、背筋の伸びた老婦人だった。
灰色の外套に、黒い杖。
その目を見た瞬間、私は息を呑んだ。
銀の櫛に映っていた目と、同じだった。
とても強くて、とても優しい目。
老婦人も、階段の途中で立ち止まった私を見た。
杖を握る手に、ぎゅっと力がこもるのが分かった。
「……リゼット?」
名前を呼ばれただけで、喉が詰まった。
私は、こくりと頷いた。
老婦人は、ドロテア様の横をすり抜けるようにして、玄関の中へ入ってきた。
私の前で立ち止まり、震える手を、少しだけ持ち上げる。
「抱きしめても、いいかしら」
私は、手紙の束を胸に抱えたまま、もう一度頷いた。
細い腕が、私を包んだ。
外套から、知らない土地の、乾いた草の匂いがした。
「あの子の分まで。十八年分よ」
耳元で、祖母が言った。
私は、祖母の肩に顔を埋めて、また少しだけ泣いた。
やがて祖母は、私の背中をそっと叩いて身を離し、振り返った。
その目は、もう優しくはなかった。
「今年は、引き取りません」
老婦人は、ドロテア様を見もせずに言った。
「孫娘が十八になったのです。もう、あなたの許しは要りません」
「孫娘、ですって? あの子は、あなた方のことなど知りたくないと――」
「ええ。毎年、そう言われて追い返されてきました」
老婦人は、侍従に目配せをした。
侍従が、小さな木箱を抱えて進み出る。
蓋が開くと、中には封筒がぎっしりと詰まっていた。
どの封筒にも、同じ印が押されていた。
――受取拒否。
「十七年分の、私からの誕生日の手紙です。全部、この家から送り返されてきました」
玄関の空気が、凍りついた。
いつの間にか、父が廊下に立っていた。
父は、木箱の中の封筒を見て、それからドロテア様を見た。
「……ドロテア。これは、何だ」
「わ、私は、あの子のためを思って。会ったこともない祖母の手紙なんて、読んでも辛いだけでしょう」
私は、一歩前に出た。
「お母様の手紙も、ありました」
自分でも驚くほど、はっきりした声が出た。
「屋根裏の長持の中に、十八通。一歳から、十八歳まで。全部、封が切られていませんでした」
父の顔から、色が消えた。
「長持……セシルの長持は、ドロテアが、燃やしたと」
「燃やしておりません、旦那様」
厨房のほうから、低い声がした。
ナタリーだった。
私に字を教えてくれた、年老いた料理番。
「奥様に燃やせと言われましたが、どうしてもできませんでした。せめて、お嬢様の近くにと思って、屋根裏に運んだんでございます。中を見るのは、恐れ多くて」
ドロテア様の唇が、震えた。
老婦人が、静かに続けた。
「ついでに申し上げておきましょう、アルノー子爵。セシルの持参金の半分は、リゼットが十八歳になった日に、リゼットのものになる約束でした。証書は私が預かっています」
老婦人は、もう一枚の書類を差し出した。
「ところが、子爵家の帳簿では、その半分がすでに引き出されているようですね。この五年の間に、少しずつ」
父は、書類を受け取った。
読み進めるうちに、その手が震え始めた。
「ドロテア」
父の声は、低かった。
私が初めて聞く声だった。
「ボードワン男爵との縁談は、取りやめる。それから、この五年の帳簿を、全部出しなさい」
「旦那様、それは」
「出しなさい」
ドロテア様は、何も言えなくなった。
◇
父は、最後に私の前に立った。
父の顔を、こんなに近くで見るのは、初めてだった。
目の下に深い皺があって、思っていたよりずっと年を取っていた。
「……読ませてもらっても、いいか」
父の視線は、私の腕の中の手紙に落ちていた。
私は少し迷ってから、十五通目を差し出した。
父は、それを長いこと読んでいた。
一度読み終えて、もう一度、最初から読んでいた。
それから、手紙を両手で持ったまま、うつむいた。
「お前の顔を、見られなかった」
絞り出すような声だった。
「お前は、セシルに似すぎていた。見るたびに、あの人がいないことを思い知らされた。だから、見ないようにした。それが、お前をどれだけ……」
父は、それ以上、言葉を続けられなかった。
私は、父の手から手紙を受け取った。
十五歳の私なら、きっと許せなかった。
でも、母が、許してあげて、と書いていた。
「お父様」
父が、顔を上げた。
「今年は、私の顔を見てください。来年も。……その次の年も」
父は、私の顔を見た。
目を逸らさずに、まっすぐ見た。
そして、子どものように顔を歪めて、何度も頷いた。
それから父は、上着の内ポケットに手を入れた。
取り出したのは、小さな銀の指輪だった。
青い石が一つだけついた、飾り気のない指輪。
「セシルの指輪だ。……ドロテアには、失くしたと言ってあった」
父は、私の手のひらに、それを置いた。
「十八年、ずっと持ち歩いていた。お前に渡す日が来たら、何と言えばいいのか、分からなかった」
昨夜、一度だけ見せてほしいと頼んだ指輪。
それは、ずっと、父の胸のすぐ近くにあったのだ。
指輪は、父の体温で、ほんのり温かかった。
私は、それを左手の小指にはめた。
母の指は、私よりずっと細かったらしい。
◇
私は、祖母の馬車に乗った。
行き先は、私が決めた。
母が最後の数か月を過ごした、ヴァランタン家の領地。
母が手紙を書いた、療養所のある町だ。
馬車が門を出るとき、私は一度だけ屋敷を振り返った。
玄関には父が立っていて、馬車が見えなくなるまで、ずっとこちらを見ていた。
「あの子はね」
向かいの席で、祖母が言った。
「最後の一通を書き終えた夜、とても満足そうな顔をしていたわ。『これで、あの子の十八歳まで、毎年おめでとうが言える』って」
私は、膝の上の手紙の束を撫でた。
ひと月後、父から手紙が届くことを、このときの私はまだ知らない。
ドロテア様が子爵家を出て実家へ帰されたこと。
使い込まれた持参金を、父が領地の一部を売って埋め合わせたこと。
縁談を破談にされたボードワン男爵が、ドロテア様の実家に結納金の返済を迫っていること。
そして、手紙の最後に、ぎこちない字でこう書かれていることも。
――誕生日に、おめでとうと言えなかった。十八年分、すまなかった。
父の手紙は、母の手紙と同じ、青いリボンの束に入れることになる。
十七年分、遅れて届いた「おめでとう」。
でも、ちゃんと届いた。
一通も欠けずに、全部。
「おばあ様。療養所の町に、紙とインクは売っていますか」
「ええ、もちろん。何を書くの」
私は、少し考えてから答えた。
「返事です」
十八通分の、返事。
一歳の私から、十八歳の私まで。
母が問いかけたことに、一つずつ、答えを書いていく。
好きな食べ物は、焼きたてのパン。
お気に入りの歌は、ナタリーが歌ってくれた子守歌。
好きな人は、まだいない。
頑固なのは、たぶん、お母様に似たのだと思う。
長持の中の刺繍も、続きを縫おうと思う。
母が半分だけ縫ったLの字の、残りの半分を。
字が読めなかった頃の分は、ナタリーに習った最初の単語で始めよう。
リゼット、と。
母がくれた名前で。
それから、最後の一通には、こう書くつもりだ。
――お母様。私は、ちゃんと愛されていました。今日、それを知りました。
馬車の窓から、朝日が差し込んだ。
十八年前、私が生まれた朝と、同じ光だった。
(了)




