塔の上の歌声
歌声が聞こえる。
何処から?
目が良く見えない。
真っ暗だからだろうか。
明るすぎるからだろうか。
わからない。
手を伸ばす。何もつかめない。
歩いてみる。何もこたえがない。
私は歩いているのだろうか。ちゃんと進めているのかな。
綺麗な旋律を奏でる人の声は、確かに聞こえているのに。
ちぃとも、近くなった気がしない。
目の奥がツンと痛くなり、鼻水が出る。慌てて顔を拭うと、頬が濡れていた。
私は泣いていた。
悲しい感じはしない。
ただ、胸がドキドキして。
塔の上からお姫様が唄を謡っている。
「ケッショウ!!!!」
「ひゃ!ごめんなさい!」
今にもひっぱたかれそうな声に、私はバッと身を起こした。
ゴチ
起こした瞬間、目の前に火花が散った。
私は私を起こした人と、頭をぶつけたらしい。
痛みに耐えながら額を擦り、その人がいたであろう方を見ると、ウンクレリュシュカが額を押さえて蹲ってた。
うわぁ、痛そう・・・。
プルプルしてる彼の様子に、他人事のように思ってしまった。
クスクス、と楽しそうな微かな笑い声が、別の方向から聞こえた。
「だから、やめておきなさい、と言ったんだよ?ウイック」
観葉植物やら薬草やら、色々生えているトンネル(温室らしいけど、普通温室って家の中にないよね?)から、ハルヘンが顔を出した。
額を押さえてるウイックを見て、クスクス笑いながら、「おはよう、ケッショウ」と声を掛けてくる。
トンネルは透明なギヤマンで出来ていて、レンガ造りの壁と窓が透けて見えた。窓の向こうはやや青味を帯び始めていた。朝じゃない。
私は顔を赤くして、「おはよう」とだけ言った。半日近く、ソファーを独り占めしてたのだ。
「イテテ・・・どこが、だからに繋がるんだよ。アンタは"ケッショウは仕事帰りで疲れてるから、起こすのはかわいそうだ"って言っただけじゃないか」
「水底の底深くにいる魚を一気に吊り上げると、爆発するらしいよ」
「・・・・知ったような口聞くなー」
ハルヘンが何の例えを言ったのか、私には解らなかったが、ウイックには伝わったようだ。少し気まずそうな顔をして耳を掻いている。もう、額は痛くないようだ。
私は、まだ少し痛い。
思い出して摩っていると、ハルヘンがちょっと苦笑いして、私に薬を渡してきた。
「先にコレね」
「ありがとう」
私は薬のビンを受け取る。中にはドロリとした液体が入っている。瓶自体は黒いので、中の液が何色かはわからない。多分赤いのだろう。なんとなくそう思っている。
ハルヘンはマジョだ。
薬を作ったり、不思議な知恵や術を持ったりする人を『マジョ』と呼ぶらしい。今では薬ならメディチ、知恵や技術ならアルケミストがそれぞれ特化していて、マジョはお伽噺の職業になりつつあるらしい。月末になると、ハルヘンはそう言って明細表を見て嘆いている。
ハルヘンの作ってくれた薬を飲む。苦い。ものすごく苦くて不味い。でも、これは私に必要なものなのだ。仕事の後は、コレを飲む。コレを飲まなきゃ、仕事が続かない。
一気に飲み干して、私は顔が変になったような気がした。実際変な顔をしているのだろう。ウイックは爆笑して、ハルヘンもちょっと苦笑いする。毎度のことの筈だけど、よく飽きないよね。とくにウンクレリュシュカ。
変な顔のままウイックを睨んでいると、ハルヘンが小さい貝を取り出し、その中にあるクリーム状の透明な物体を、人差し指で掬い、私の額に塗った。すぅっとする。
「効果がなくなるまで、さわっちゃ駄目だよ。もし触ったりしたら、その手で絶対目を擦ったりしちゃ駄目だからね」
小さい子に聞かせるように、優しく私の額を撫でながらハルヘンは言った。触ってるハルヘンはどうするんだろ。
うん、と頷くと、ハルヘンは満足そうに笑い、すっと手を出してきた。私はその手に瓶を乗せる。いつものことなので、言われなくても解る。ハルヘンは瓶をポケットに仕舞った。あれ?貝はどこに行ったのだろう。
「ウイック。ケッショウに何か用事があったんじゃないの?」
私が疑問をたずねる前に、ハルヘンはくるっと踵を返して、ウンクレリュシュカに話を振った。
きちんと話は最後まで聞いてくれるハルヘンは、答えたくない答えられない話は、最初っから聞かない。そういう人だと、最近分かってきたら、私は追求しなかった。予知能力でもあるのだろうか。
ハルヘンの言葉に、食虫華たちと最近の景気について話していたウイックは(どうして家の中にある植物が世界情勢を知ってると思うのかな)、そうだそうだ、と言って私に近寄ってきた。入れ違うように、ハルヘンが部屋の隅に設置してある簡素なキッチンに行く。手を洗いに行ったのだ。
「今夜、俺と一緒に、朧祭りに行こう」
魔に属する男が、私を夜祭に誘った。
「は?」
「だから、朧祭り。しらねぇの?」
「知らないよぅ。知らないし、私はそんな村祭りになんかいけないよ・・・」
私は血売屋。吸血鬼とか、そういう人が私の商売客だ。何故かお金を持っている。
あんまりいい仕事じゃないって解ってる。身を切り売りしてる分、売春婦と大差ないし。それに、血を好む生き物が、近くに集まってくる。
だから、血を吸われて、それが元でどうにかなってしまう(例えば魔物に)フツーの人間にとって、私も怖いモンスターと同じ存在なのだ。
私が俯いてそう言うと、ウイックは不快そうな声を出した。
「誰が村祭りなんて言った。人間の祭りになんで俺がいかなくちゃけないんだよ」
「え、だって」
「朧祭りはね、妖精の間のお祭りなんだよ。ケッショウ」
説明不足のウイックと、理解力に乏しい私の架け橋となるべく、ハルヘンはコチラに来た。微妙にぬれてる手を、ズボンで擦った。彼の癖だ。折角タオルを毎日洗ってるのに。
「ウンクレリュシュカ、君は人間をもう少し学んだ方がいい。ここから一番近い村にだって、月を讃える祭りはあるんだ」
ハルヘンは、ウイックを正式名称で呼ぶことは滅多にない。するとすれば、こういうお説教めいたことを言うときだけだ。
「ケッショウ。ウンクレリュシュカは、人の機微がわからないほど短慮な生き物ではない。少し信用してあげて。そして、大事なことを君は忘れているだろう」
ハルヘンの言葉にそっぽを向いてるウイック。私は知らないうちに、ウイックを信じていなかったらしい。別にそんなつもりじゃなかったのだけれど。何がいけなかったのか。なんだろう。
とにかく、そのお祭りは人間の祭りではないらしいだから、私が行っても大丈夫だとウイックは思ったんだろう。そして、わざわざ私を誘いに来てくれた。
そうか。
「ありがとう。ウンクレリュシュカ」
私がそう言って笑うと、ウイックは釣られたように笑った。
「そうだ。ハルヘンは行かないの?」
「ちょ・・っ!おい!なんで、コイツも連れて行くんだよ!」
「えー?なんでー?だめなの?」
「ケッショウ。ごめんね。ボクは祭りには行くけど、店を出しに行くだけなんだ」
ハルヘンは自分のことを僕と言う。
「お店?いいの?私遊びに行っても」
「もちろんいいよ。ボクだって、お店出すのが楽しみで行くんだからね」
そう言って、外にかかり始めた月を認めて、ハルヘンは優しく微笑んだ。
「塔のお姫様は、美しい声で鳴いているようだね」
塔のお姫様?
「それに合わせて祭りを開くんだから、当然だろ」
「そうだね」
常識だと言うウイックの言葉に、へらりと力の抜けた笑みを返すハルヘン。
私だけが一人わからない。どうしよう、うすうす思ってたけど、私って相当世間とずれてるんじゃないだろうか。
そんな私の表情を見て、春片が口を開いた。
「月にね、お姫様が居てね、彼女がより綺麗な声で歌うと、月がより輝くんだ」
「・・・・それ、ホント?」
「さあ?ボクはお姫様に会った事がないからね。妖精方は、彼女に会うためにこの祭りを開くんだ。ボクらと彼らの感覚は違うから、いつこの祭りが来るかは分からない。今日はたまたまだよ。よかったね」
にっこり笑うハルヘンの横で、面白く無さそうにウンクレリュシュカがハルヘンを見ていた。
滅多にいけないお祭りだからと、めかしこんだ私をウイックは気に入ったらしく、肩が開いてて風邪引くよと私にショールを掛けるハルヘンにちょっと抗議したが、まぁいいか、とショールが落ちないようにと(どこから出したのかわからない)銀のブローチで留めてくれた。
ハルヘンは綺麗だねと笑った。いつものクリーム色のローブを身にまとって、ザックを背負う。
ウイックと外に出て、ハルヘンが鍵を閉める音を後ろに聞いて、私はわーっと駆け出した。
後ろで、転ぶぞー、とウイックが慌てたような声を出し、ハルヘンがクスクスと笑っている。
丘の上で大きな月が、涼やかな声で歌っている。
初投稿です。
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