「白百合の少女」
ミリアとの会話が胸に引っかかったまま、
迅は魔法庁の静かな回廊を歩いていた。
そのとき――
棚から重い本が崩れ落ちる音が響いた。
「きゃっ!」
小さな悲鳴。
迅は反射的に駆け寄る。
「大丈夫っすか!?」
散乱した魔導書の山の中心に、
一人の少女が膝をついていた。
長い銀金色の髪が背中に流れ、
透きとおる尖った耳が覗く。
淡い蒼の瞳は湖面のように澄み、
白百合のような繊細さを漂わせていた。
(エルフ……?)
少女は慌てて本を拾い集めながら、
申し訳なさそうに言った。
「ご、ごめんなさい……。
不器用なのに、人族の施設を使うのはまだ慣れなくて……」
その声音はか細いが、
顔を上げると――彼女の表情はぱっと明るくなる。
「あなたは……新撰組の迅さんですね?」
「え、まあ……」
少女は胸に手を当て、丁寧にお辞儀した。
「わたしは リセリア・エル=エデル。
魔法庁の見習い官で……エルフ族の十八番目の分家です。
よろしくお願いします」
その所作は優雅で、どこか森の精を思わせる。
ただし、その次の言葉には
迅が思わず眉をひそめた。
「伊東先生がいつも褒めていました。
“驚異的な反射速度と、本能で戦う稀有な剣士”だと」
(……伊東の“先生”呼びだな)
⸻
◆ エルフとしての純粋さ、そして危うい心酔
散らばった書類を拾いながら、
リセリアは熱を帯びた声で語り始めた。
「伊東先生は、“世界を正しく導ける知の人”です。
わたしたちエルフは、人間の政治に希望を見いだせません。
でも……先生なら、この混乱も正せる」
迅は困惑する。
「……いや、アイツはちょっとやべえとこあるぞ?」
リセリアはぴたりと手を止めた。
エルフの瞳は揺れず、真っ直ぐ迅を見つめる。
「それは……違います」
空気が一瞬、冷たくなる。
「迅さんがどう感じているのかは分かります。
でも、先生の思想は完璧です。
偽りや暴力に頼らず、“理性”で世界を変えようとしているのです」
その目は透き通るようなのに、
中身は揺るがない信仰そのものだった。
(純粋だから……疑うことを知らないんだな)
エルフは長命種ゆえに、
一度信じたものを何百年でも信じ続ける。
それが、彼女の危ういところだった。
⸻
◆ ミリアとの対照を暗に示す一言
迅はつい言ってしまった。
「……でもよ、ミリアさんは伊東を怖がってたぜ」
リセリアの耳がぴくりと震えた。
「…………それは、嘘です」
先ほどまで柔らかかった声が、氷のように落ちる。
迅はたじろぐ。
「いや、ほんとにそう言って――」
「ミリアさんは人間です。
人間は、私たちエルフより“噂”に流されやすい。
だから……先生を誤解したのでしょう」
そこには悪意はない。
ただ“純粋ゆえの思い込み”があるだけ。
だが、その純粋さが
伊東の影響下にある危険を物語っていた。
リセリアは、ふっと小さく微笑んだ。
「……迅さんが、先生の邪魔をするつもりなら……
そのときは、わたしも黙っていられません」
柔らかく言っているのに、
瞳の奥は決して笑っていない。
(こいつ……マジで信じ切ってる)
しかし次の瞬間、
リセリアは耳を赤くして慌てて頭を下げた。
「す、すみません!
わたし、つい感情的に……!」
その必死な姿に、迅は苦笑した。
「いや、いいよ。そんな怒らなくて」
純粋で、不器用で、善良。
ただ“信じるもの”が危険なだけ。
⸻
◆ エルフ少女の、恋の初期衝動
片付けを終えたあと、
リセリアは顔を赤らめ、ぎゅっと資料を抱きしめた。
「……実は……」
「?」
「わたし、あなたの戦い方が……とても好きです。
小柄なのに、だれよりも速くて……
森を駆ける銀狼みたいで……」
迅は不意を突かれ、言葉を詰まらせる。
「そ、そうか……?」
「はいっ!」
エルフ特有の真っ直ぐな瞳で見上げ、
「もし……その……
わたしにも、“あなたの戦い方”を教えてくれませんか?」
迅は戸惑いながらも、
その純粋さに押されて頷いていた。
「……まぁ、時間あればな」
リセリアの表情は花が開くように輝いた。
「ありがとうございます! 迅さん!」
エルフの少女は、
嬉しさを隠しきれないように耳をぴこぴこ揺らしながら
何度も頭を下げた。
迅はまだ知らない。
後にリセリアは
伊東の思想と、迅への淡い恋心の狭間で揺れ、
悲劇か希望か――重大な選択を迫られる存在になることを。




