第2話 見送る手、進む足
王都へ発つ前日、俺たちはイレーネを訪ねて来ていた。
治療院の白い壁は、前よりも柔らかい光を返していた。
扉を開けると、背凭れの枕に腰を起こしたイレーネが手を振る。頬の色は戻り、包帯もぐっと少なくなっている。
「来たね、二人とも。心配かけて悪かった」
「体はどうだ?」
思わず訊ねる。
「だいぶマシ。走り回るのはしばらくお預けだけど、歩くぶんには問題ないよ」
軽口と一緒に、指先でピース。らしい仕草に、胸のつかえが少し落ちた。
「出発前に挨拶を、と思って」
俺が言うと、イレーネは目を細める。
「どこへ?」
「王都に行くことになった」
詳しい事情は飲み込んだが、それだけは伝える。
「そうかい。王都は華やかで人も多い。……言葉が綺麗な相手ほど足元を見な」
イレーネはミリアへ手を伸ばし、そっと髪を梳いた。
「無茶はしないこと。帰ってきたら、土産話と甘い菓子のひとつも期待してる」
「はい、絶対持ってきます!」
ミリアは目を輝かせ、力強く頷く。
イレーネはふっと笑い、次に俺を真っ直ぐ見る。
「……あんた達がいたから、あたしは救われてる。ありがとね」
「……ああ」短く返す。それで充分だった。
「またおいで。私はこの街で待ってるからさ」
ひらひらと手を振る仕草に、以前より確かな力が戻っていた。
◆
治療院を出て石畳を歩いていると、通りの軒先に見覚えのある黒外套が寄りかかっていた。
ラウガンだ。干し肉を噛み切り、顎だけで合図する。
「よう。歩きっぷりが旅支度だな」
「王都へ向かうことになった」
俺が答えると、ミリアは小さく会釈した。
「そう思った。俺は……しばらく別の街を流してみるさ。風の向くままに、ってやつだ」
ラウガンは肩をすくめ、視線だけで二人を測る。
「助言はあるか?」と俺。
「あるとも。耳を使え。人の多い道は“音”が先に教えてくれる。足音、呼吸、空気の割れ方――目で見える頃には遅いこともある」
それからミリアへと顎を向ける。
「嬢ちゃん。速さは武器だが、地を置き去りにするな。踏みしめて、力を刃に乗せろ。迷ったら真っ直ぐじゃなく横へ抜けろ。生き残る道は一本じゃない」
ミリアは真剣に頷く。
「はい、忘れません!」
「よし」
ラウガンは干し肉を飲み込み、片口で笑った。
「俺に用があれば掲示板に名を残しとけ。風向きが合えば、またどこかで会う」
「その時は頼りにする」
そう言うと、彼は「頼るのは最後の一手だけにしとけ」とだけ残し、人波へ溶けていった。
背中が見えなくなったあと、ミリアが息を吐く。
「……怖い、とは思いませんでした。むしろ、心強いです」
「同感だ」
夕風がガルドの通りを渡る。
俺たちは足並みを揃え、王都へ向けた準備に歩を進めた。
◆
街門を抜けて街道を歩き始めてしばらく。荷馬車の列に追いついた。
木箱を積んだ商人たちの隊列だ。行き先は王都と見える。
「――あっ!」
先頭近くで荷台を見ていた若い魔法使いが、こちらを見て声を上げた。
「ユウタさんとミリアさんじゃないですか!」
「おお、レオンか」
思わず足を止めた。濃霧の森で肩を並べた、まだ少年の面影を残す魔法使いだ。
少しやつれたようにも見えるが、手を振る仕草は元気そのものだった。
「偶然ですね! 僕はこの商隊の護衛で王都に行くんです」
「そうか」短く答えた時――。
近くで荷を締めていた商人がぽつりと漏らすのが聞こえた。
「……あんたが、“爆殺”の……」
「……は?」
思わず振り返る。
商人は慌てて手を振った。
「いやいや! 悪い意味じゃねぇ! あんた、濃霧の森で暁の環の仇を吹き飛ばしたって噂になっててな。“爆殺の勇者ユウタ”って、ガルドじゃちょっとした有名人ですよ」
「爆殺……」
口の中で転がす。名誉なのか、不名誉なのか。
少なくとも“ハズレ”と嘲られていた頃に比べれば、ずっとマシではある。
ただ、胸の奥で思わずため息が漏れた。
――“聖剣のテルヤ”に比べると、どうにも物騒な二つ名だ。
横からミリアが目を丸くする。
「ユウタさんには二つ名がついたんですか!? えっ、じゃあ私は? “銀の乙女ミリア”とか、そういうのついてないんですか!?」
「いや、まだ聞かないな」
レオンが苦笑する。
「えぇ……!」
ミリアは頬を膨らませる。
俺はその横顔を見ながら心の中でつぶやいた。
――“迅雷のミリア”。
いつか本当に、そう呼ばれるようになったらいい。俺と一緒に強くなって、並んで歩ける存在として。
“爆殺の勇者”は……まぁ、当面のあだ名として受け止めておくか。
いつか、もっと別の呼び名を得られるように。
俺はそう、心の中で小さく決意した。
◆
街道沿いを歩きながら、レオンが口を開いた。
「そうだ、お二人に紹介しておきます。こちらはエクス。自分とよく組んでいる仲間です」
隣を歩いていた青年が、無表情のまま軽く頭を下げる。
「よろしくお願いします」
その声音は硬く、余計な言葉を一切省いたものだった。
俺も軽く会釈を返す。
「ユウタだ。よろしく」
その直後、前を歩くミリアとレオンが「この前の濃霧の森では――」と早口で話し始め、商人も相槌を打ちながら笑っている。
ミリアの弾む声、レオンの丁寧な説明、商人の相好を崩す声が交わり、賑やかに会話が広がっていった。
一方で俺とエクスのあいだには、沈黙が落ちる。
だが、不思議と気まずさはなかった。
無理に言葉を探す必要もない――ただ、同じ歩調で進んでいればいい。
そう思わせる静けさがあった。
◆
やがて、茂みを割って数匹の魔物が飛び出した。
「ガルボアだ!」レオンが短く叫ぶ。
牙を剥き出しにしたイノシシ型の魔物。筋肉の塊のような胴体に、低く唸る声が重なり合う。
四匹。
そのうち二匹はミリアが迅雷で翻弄し、レオンの火球が正確に焼き払った。
「まだ来ます!」
残り二匹が、盾を構えるエクスめがけて一直線に突進する。
重量ある体躯が地面を震わせ、ただ受ければ吹き飛ばされかねない衝撃。
だがエクスは一歩も退かない。
「【重鎧】」
低く呟いた瞬間、地面に足が沈むほどに彼の身体が重く沈み込む。
次の瞬間、ガルボアの突進を正面から受け止めた。
「ぐぅっ……!」
盾と獣の巨体がぶつかり合い、轟音が響く。
だが青年は揺るがなかった。重みを増した体が杭のように大地に根を張り、魔物を押し返す。
「今だ!」
崩れた体勢に、俺の剣が突き立つ。
【看破】で赤く染まった胸を貫き、【弱点特効】が炸裂する。
ガルボアが断末魔を上げ、肉体が内側から爆ぜた。
もう一匹も同じく盾で受け止められ、俺が仕留める。
霧散する血飛沫の中で剣を収めると、込み上げるものがあった。
――ラウガン。
あの時、最前線で俺たちを守ってくれた。
だが今もこうして、一番前で盾を構える者がいる。
一番前を安心して任せられる存在がいるのは、こんなにも心強いものなのか。
ふと視線をやると、エクスと目が合った。
彼は表情を変えずに、短く言った。
「悪くなかったです」
俺も口元をわずかに緩めて返す。
「ああ。お前も」
それは、初めて交わした言葉だった。




