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第2話 見送る手、進む足

王都へ発つ前日、俺たちはイレーネを訪ねて来ていた。

治療院の白い壁は、前よりも柔らかい光を返していた。

扉を開けると、背凭れの枕に腰を起こしたイレーネが手を振る。頬の色は戻り、包帯もぐっと少なくなっている。


「来たね、二人とも。心配かけて悪かった」


「体はどうだ?」

思わず訊ねる。


「だいぶマシ。走り回るのはしばらくお預けだけど、歩くぶんには問題ないよ」

軽口と一緒に、指先でピース。らしい仕草に、胸のつかえが少し落ちた。


「出発前に挨拶を、と思って」

俺が言うと、イレーネは目を細める。


「どこへ?」


「王都に行くことになった」

詳しい事情は飲み込んだが、それだけは伝える。


「そうかい。王都は華やかで人も多い。……言葉が綺麗な相手ほど足元を見な」

イレーネはミリアへ手を伸ばし、そっと髪を梳いた。

「無茶はしないこと。帰ってきたら、土産話と甘い菓子のひとつも期待してる」


「はい、絶対持ってきます!」

ミリアは目を輝かせ、力強く頷く。


イレーネはふっと笑い、次に俺を真っ直ぐ見る。

「……あんた達がいたから、あたしは救われてる。ありがとね」


「……ああ」短く返す。それで充分だった。


「またおいで。私はこの街で待ってるからさ」

ひらひらと手を振る仕草に、以前より確かな力が戻っていた。



治療院を出て石畳を歩いていると、通りの軒先に見覚えのある黒外套が寄りかかっていた。

ラウガンだ。干し肉を噛み切り、顎だけで合図する。


「よう。歩きっぷりが旅支度だな」


「王都へ向かうことになった」

俺が答えると、ミリアは小さく会釈した。


「そう思った。俺は……しばらく別の街を流してみるさ。風の向くままに、ってやつだ」

ラウガンは肩をすくめ、視線だけで二人を測る。


「助言はあるか?」と俺。


「あるとも。耳を使え。人の多い道は“音”が先に教えてくれる。足音、呼吸、空気の割れ方――目で見える頃には遅いこともある」

それからミリアへと顎を向ける。

「嬢ちゃん。速さは武器だが、地を置き去りにするな。踏みしめて、力を刃に乗せろ。迷ったら真っ直ぐじゃなく横へ抜けろ。生き残る道は一本じゃない」


ミリアは真剣に頷く。

「はい、忘れません!」


「よし」

ラウガンは干し肉を飲み込み、片口で笑った。

「俺に用があれば掲示板に名を残しとけ。風向きが合えば、またどこかで会う」


「その時は頼りにする」

そう言うと、彼は「頼るのは最後の一手だけにしとけ」とだけ残し、人波へ溶けていった。


背中が見えなくなったあと、ミリアが息を吐く。

「……怖い、とは思いませんでした。むしろ、心強いです」


「同感だ」


夕風がガルドの通りを渡る。

俺たちは足並みを揃え、王都へ向けた準備に歩を進めた。



街門を抜けて街道を歩き始めてしばらく。荷馬車の列に追いついた。

木箱を積んだ商人たちの隊列だ。行き先は王都と見える。


「――あっ!」

先頭近くで荷台を見ていた若い魔法使いが、こちらを見て声を上げた。

「ユウタさんとミリアさんじゃないですか!」


「おお、レオンか」

思わず足を止めた。濃霧の森で肩を並べた、まだ少年の面影を残す魔法使いだ。

少しやつれたようにも見えるが、手を振る仕草は元気そのものだった。


「偶然ですね! 僕はこの商隊の護衛で王都に行くんです」


「そうか」短く答えた時――。

近くで荷を締めていた商人がぽつりと漏らすのが聞こえた。


「……あんたが、“爆殺”の……」


「……は?」

思わず振り返る。


商人は慌てて手を振った。

「いやいや! 悪い意味じゃねぇ! あんた、濃霧の森で暁の環の仇を吹き飛ばしたって噂になっててな。“爆殺の勇者ユウタ”って、ガルドじゃちょっとした有名人ですよ」


「爆殺……」

口の中で転がす。名誉なのか、不名誉なのか。

少なくとも“ハズレ”と嘲られていた頃に比べれば、ずっとマシではある。


ただ、胸の奥で思わずため息が漏れた。

――“聖剣のテルヤ”に比べると、どうにも物騒な二つ名だ。


横からミリアが目を丸くする。

「ユウタさんには二つ名がついたんですか!? えっ、じゃあ私は? “銀の乙女ミリア”とか、そういうのついてないんですか!?」


「いや、まだ聞かないな」

レオンが苦笑する。


「えぇ……!」

ミリアは頬を膨らませる。


俺はその横顔を見ながら心の中でつぶやいた。

――“迅雷のミリア”。

いつか本当に、そう呼ばれるようになったらいい。俺と一緒に強くなって、並んで歩ける存在として。


“爆殺の勇者”は……まぁ、当面のあだ名として受け止めておくか。

いつか、もっと別の呼び名を得られるように。


俺はそう、心の中で小さく決意した。



街道沿いを歩きながら、レオンが口を開いた。

「そうだ、お二人に紹介しておきます。こちらはエクス。自分とよく組んでいる仲間です」


隣を歩いていた青年が、無表情のまま軽く頭を下げる。

「よろしくお願いします」


その声音は硬く、余計な言葉を一切省いたものだった。

俺も軽く会釈を返す。

「ユウタだ。よろしく」


その直後、前を歩くミリアとレオンが「この前の濃霧の森では――」と早口で話し始め、商人も相槌を打ちながら笑っている。

ミリアの弾む声、レオンの丁寧な説明、商人の相好を崩す声が交わり、賑やかに会話が広がっていった。


一方で俺とエクスのあいだには、沈黙が落ちる。

だが、不思議と気まずさはなかった。

無理に言葉を探す必要もない――ただ、同じ歩調で進んでいればいい。

そう思わせる静けさがあった。

 


やがて、茂みを割って数匹の魔物が飛び出した。

「ガルボアだ!」レオンが短く叫ぶ。

牙を剥き出しにしたイノシシ型の魔物。筋肉の塊のような胴体に、低く唸る声が重なり合う。


四匹。

そのうち二匹はミリアが迅雷で翻弄し、レオンの火球が正確に焼き払った。


「まだ来ます!」

残り二匹が、盾を構えるエクスめがけて一直線に突進する。

重量ある体躯が地面を震わせ、ただ受ければ吹き飛ばされかねない衝撃。


だがエクスは一歩も退かない。

「【重鎧じゅうがい】」

低く呟いた瞬間、地面に足が沈むほどに彼の身体が重く沈み込む。

次の瞬間、ガルボアの突進を正面から受け止めた。


「ぐぅっ……!」

盾と獣の巨体がぶつかり合い、轟音が響く。

だが青年は揺るがなかった。重みを増した体が杭のように大地に根を張り、魔物を押し返す。


「今だ!」

崩れた体勢に、俺の剣が突き立つ。

【看破】で赤く染まった胸を貫き、【弱点特効】が炸裂する。

ガルボアが断末魔を上げ、肉体が内側から爆ぜた。


もう一匹も同じく盾で受け止められ、俺が仕留める。

霧散する血飛沫の中で剣を収めると、込み上げるものがあった。


――ラウガン。

あの時、最前線で俺たちを守ってくれた。

だが今もこうして、一番前で盾を構える者がいる。

一番前を安心して任せられる存在がいるのは、こんなにも心強いものなのか。


ふと視線をやると、エクスと目が合った。

彼は表情を変えずに、短く言った。

「悪くなかったです」


俺も口元をわずかに緩めて返す。

「ああ。お前も」


それは、初めて交わした言葉だった。

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