第1話 王都への道標
宿屋の裏手には、冒険者たちが即席の訓練場として使っている一角がある。
打ち捨てられた樽や石塊が転がり、ちょうどいい重し代わりになっていた。
濃霧の森での戦いのあと、ラウガンから「鍛えろ」と言われたことをきっかけに、俺とミリアは定期的に体を動かすようになっていた。
剣の稽古や走り込みに加え、こうした筋トレも日課になりつつある。
「ふ、ぬぬぬぬ……!」
両手に石塊を抱え、ミリアがスクワットを繰り返す。
額には玉の汗が浮かび、金の瞳は必死に前を見据えていた。
「よし、あと一回だ! 踏ん張れ!」
俺はつい声を張る。
「はぁ、はぁ……っ!」
彼女の脚が震え、腰が落ちる。
普段なら「ここまで」と切り上げさせるところだが――気付けば、口が勝手に走っていた。
「……あともう一回だ! 限界を超えろ!」
我ながら調子に乗っていると苦笑しそうになる。
だがミリアは食いしばった歯の奥から声を絞り出し、最後の一回をやり遂げた。
「……っ、終わった……!」
石塊を下ろした瞬間、へなへなと地面に座り込む。
肩で息をしながら、ちらりと俺を見上げた。
「ユウタさん……立てません……」
弱々しい声。だが、その金の瞳はどこか期待にきらめいていた。
嘘だ。まだ脚は震えてるけど、完全には潰れてない。この顔は恐らくおんぶして欲しいって顔だ。
「ほら、立てるだろ」
俺は手を差し伸べ、引き起こした。
「むぅ……」
彼女は頬をふくらませて不満そうに唸り、ほんの少しだけ唇を尖らせる。
「甘えるな。でも、よくやったな」
そう言うと、ようやく彼女の顔に満足そうな笑みが浮かんだ。
「ユウタさん、ミリアさん」
ギルドの使いが裏手に姿を見せ、丁寧に一礼する。
「ギルドマスターがお呼びです。今、お時間よろしいでしょうか?」
「……ああ、分かった」
俺は石塊を横に置き、ミリアと視線を交わす。
◆
ギルドの扉を抜けると、受付からまっすぐ奥――ギルドマスター室へ通された。
分厚い机の向こうで腕を組むドルガンの隣に、見慣れない文官風の男が座している。浅い茶の外套、胸元には王国の紋章を刻んだ小さな徽章。書類の束を丁寧に揃え、こちらへ一礼した。
「来たか。座れ」
ドルガンの低い声に促され、俺とミリアは向かい合って腰を下ろす。
文官が名乗った。
「王国直轄・特任調査局のシニストラです。……単刀直入に申し上げます。黒殻に関する調査へ、あなた方の協力を賜りたい」
黒殻――濃霧の森で、カイルの亡骸から立ち上った、あの黒い塊。
ミリアの指先が小さく震え、俺の袖をつまんだ。
「経緯は把握しています」
シニストラは落ち着いた口調で続ける。
「濃霧の森での一件、黒装束の集団との交戦。そして、黒殻の出現。……王国は当該物件の流通経路と回収体制を強化中です。あなた方の現場勘と連携力は実地でも証明された。ぜひ力を貸してほしい」
ドルガンが補足する。
「無茶はさせん。だが、危ない橋を渡るのは確かだ。断る権利はある」
シニストラは一枚の書簡を机上へ差し出した。王都の印章で封された臨時協力契約の写しだ。
「報酬、路銀、装備補給、情報共有は保証します。王都での認証手続き後、初動は周辺地区の聞き込みと、黒殻の“気配”が報告された地点の確認。随行の義務はありません。危険と判断したら退いて構わない。……ただ、黒殻は人も街も蝕む。早く手を打たねばなりません」
静かな部屋に、紙の擦れる音だけが落ちた。
俺は一度、ミリアを見る。
「……少し時間をくれ」
「決めたら部屋に戻ってこい」
ドルガンが立ち上がり、扉を開ける。
「風にでも当たりながら考えてくるといい」
◆
ギルドの裏庭は風が通っていた。訓練場から木剣の音が遠く響く。
俺は吐いた息を整え、言葉を選ぶ。
「……俺は、やってみたい」
ミリアが顔を上げる。金色の瞳がまっすぐだった。
「ミラナ村や濃霧の森で、俺は“ハズレ”でも……誰かの役に立てた。暁の環に誘われて、訓練して、守られて、守って――あの時からだ。ハズレでも、誰かの勇者になりたいと思った。最初に召喚に応じた時だって、本当は……そう願ってたんだと思う」
言いながら、胸の奥が熱くなるのを感じた。
誰かを助けることで、自分が形になる。
あの日以来、ずっと抱えたままだった欲求だ。
「危険なのはわかってる。黒殻のことも、濃霧の森で嫌というほど見た。でも……放っておけない」
ミリアは短く息を呑み、そしてふわりと笑った。
「私は、ユウタさんと一緒ならどこへでも行きます。行きたい、じゃなくて――行きます」
言い切る声は小さいのに、強かった。彼女の指が、そっと俺の手を握る。
その温もりに背中を押されるように、俺は頷いた。
◆
部屋へ戻ると、二人は視線で答えを促した。
「協力する」
俺は書簡に目を落とし、顔を上げる。
「王都での手続きが必要なんだな?」
「感謝します」シニストラが安堵を滲ませる。「出立は三日後を目処に。まず王都で簡単な説明と認証を。以後の動きは現地の確度次第で柔軟に。同行者は任意、二人で構いません」
「ただし」
ドルガンが言葉を継ぐ。
「途中で変な匂いがしたら、躊躇なく戻れ。命より重い任務はない」
「心得てる」
返すと、シニストラが封蝋の割られた小袋を置いた。王都の通行証と、古い地図が入っている。
「黒殻は、触れ方を誤れば人を壊します。あなた方の判断と節度を信じています。……どうか、よろしく」
形式的な言葉の奥に、なにか固い芯のようなものを感じた。
俺は書簡と通行証を受け取り、立ち上がる。
部屋を出ると、ミリアが小さく息を吐いた。
「王都、久しぶりです……」
「不安か?」
「ちょっとだけ。でも、ユウタさんがいるから大丈夫です!」
彼女の笑顔は、いつもの明るさに少しだけ緊張が混じっている。
俺は握られた手に力を込めた。
黒殻。黒装束。濃霧の森で見た、救えなかったもの。
頭の片隅に沈殿する不安は消えない。けれど――
「行こう」
言葉にすると、足取りが自然と軽くなった。
誰かの勇者でありたい。その答えを、また一つ確かめに行くために。
◆
翌日、市場で荷を揃えることにした。
王国の印章が押された小袋――シニストラから渡された路銀を受け取っているから、必要最低限は迷わず買える。
「まずは保存食だな。干し肉、乾パン、干し果物。水袋。包帯と薬草も多めに」
「はいっ……あ、あとお菓子も買っておきましょう!」
ミリアが輝く目で蜂蜜菓子の屋台を指さす。
「おい。旅だぞ、ピクニックじゃない」
思わず突っ込むと、彼女はがくりと肩を落とした。
「……ですよね……」
「……まあ、少しだけならいいか……」
「やった!」
一瞬で花が咲くみたいに笑う。店主が包んだ小袋を胸に抱えて、足取りがちょっと軽くなった。
その後は手際よく必要品を詰めた。
研ぎ石、油布、火打石と火口、細い縄と太いロープ、簡易の鍋と木皿、塩の小袋、薄手の毛布二枚、予備の短剣。
俺は地図の縁を補強し、通行証を革ケースに収める。ミリアは薬草を種類ごとに包み直し、包帯を小分けにして腰袋へ。
「よし。これで荒天でも二日は野営できる」
「お菓子は三日もちます!」
「そこは数えなくていい」
夕暮れ、背負い袋は重くなったが、心の重さは不思議と軽くなっていた。
路銀の小袋を締め直し、俺たちは明後日の出立に向けて最後の確認を交わした。




