20 医務室
バルバドス宇宙海賊団、本船の医務室。そこのベッドの上でシェリルは電子端末をいじっていた。
見ているのは地球の通販サイト。服飾系はハイブランドからプチプラと呼ばれているらしい安価なものまで一通り見終わってしまったので、今は「ご当地グルメ」なる食品たちを特に興味もないが眺めている。
要するに、とても暇だった。
高層ビル転落からの脱出は、問題なく大怪我だけで済んだ。
正規の手段を使わずに星外まで緊急脱出しようというのだから、タイミングがずれれば着地点が外れて宇宙空間に投げ出されて死ぬし、そうでなくても重力負荷で体がバラバラになることも内蔵がやられることもある。
そんなものを使って外傷だけで済んだのだから、シェリルは大成功の部類に入るだろう。しかも、その怪我ももうほとんど治っている。
怪我がほとんど治っているというのに、シェリルが医務室に留まっている理由、それは船医の女にある。
バルバドス宇宙海賊団の医務室の主は年嵩の女だ。
船内バーの店主と同じく、かつては海賊団の主要メンバーとして船長の隣に立っていた人物だ。舐めてかかると痛い目に遭う。
勝手にベッドを抜け出そうものなら、医務室へ行く原因になった怪我以上の大怪我を覚悟しなければならない。それは現幹部たちも同様だ。
怪力自慢のドバスをねじ伏せ、素早さでは海賊団一のザバシュをひっ捕らえ、暗闇にまぎれるブジーを引きずり出し、音も気配も完全に消したシェリルの首根っこを捕まえてくる。
過去、脱走に成功した者は誰一人いないし、脱走を試みた者は全員頭に大きな瘤をつくる羽目になるのだった。船長も含めて。
幼少期からそんな敗戦を積み重ね、よほどのことがない限りは脱走しないと心に誓ったシェリルだったが、今回はそろそろ暇が限界を迎えそうだ。受け取る手段のない通販サイトの購入ボタンを押してしまいそうな程に。
いや、受け取る手段が無いわけではない。
あの喫茶店ならば位置情報から住所を特定できるし、無断で送付先にしたところで杢田がたぶん受け取ってくれるだろう。
問題は、そこに隼斗がいるということだ。
気まずい。なんて声をかけていいのかわからない。
シェリルとシェリー、二つの顔を使い分けて――シェリルとしてはそこまで区別していないが――会っていたといううしろめたさ。騙していたというわけではないけれど、結果そう言われても仕方がない。別人だと思っていたからこその会話もあっただろうから。
嫌われた、とまではいかないかもしれない。
でも、嫌がられたとは思う。
そう考えるほどに、脱走しようと画策するほど暇で暇で仕方がないくせに医務室から出たくなくなるのだ。
けれど、もしもこんな状態のまま地球を去ることになったら。
きっとそっちのほうが後悔する。そんな中途半端なままになるくらいだったら、きちんと嫌われたほうがすっきりする。
だから、早く会いに行かなければならないのだけれど。
(やっぱり、嫌われたかも)
あの深い夜空の瞳がシェリルを映すことはもうないのだろうか。
春の夜風のような涼やかな声が、もうシェリーと呼んでくれることは
「シェリー!」
「――――え?」
どん、と衝撃がきてシェリルは電子端末を取り落とした。
医務室の扉を開けて突進してきたのだろうそれはシェリルにぶつかって、そのままぎゅうぎゅうと抱きついて離れなくなってしまった。
かすかにコーヒーのほろ苦い香りがする。
「ハヤト……?」
シェリルの声に答えるように、抱きしめてくる腕の力が強くなった。さらりと流れる茶色の髪が頬に当たるけれど、いつまでたっても顔はみえない。
「ワァオ、お熱いねぇ〜」
「連れてきてやったぞ、感謝しろよ」
「やめておけ二人とも。馬に蹴られるぞ」
扉の方から聞こえてきた囃し立てるような声たちに、シェリルは思い切り電子端末を投げつけた。隼斗を本船に引き入れたのはこの三人だということは今ので理解したが、それはそれこれはこれ。
がしゃんと端末と扉のぶつかる音と、船医の怒鳴り声。
走って逃げていったらしい三人に悪態をつきながらも、彼女はベッドのカーテンを閉めてくれた。
「……ハヤト」
「…………」
「ねぇ、ちょっと痛いわ」
「ッ、すまない」
体が離れる。少しの間合わなかっただけだというのに、隼斗は少し痩せたようにみえた。
「心配したんだ」
シェリルの手を握る指先が冷たい。
「君にもしものことがあったら、俺は」
隼斗の瞳に、安堵と少しの非難の色。どうやら本当に心配させてしまったらしい。
長く海賊として生きてきたシェリルには、他人に怪我や生死を気にかけられた経験がほとんどない。怪我は日常茶飯事だし、生死をかけるような戦いに身を投じたことだって何度もある。そうして、今ここに生きている。それができるだけの実力をつけて、それを勝ち取ってきた。
それなのに、隼斗はシェリルのことをただ一人の女のように扱ってくる。
そんなのは知らない。そんなふうに想われたことなんてない。
それが、ひどく、むず痒い。
「私、強いのよ」
「知ってる」
「滅多なことじゃ死なないわ」
「それでも、」
隼斗のてのひらが、シェリルの頬を撫でる。
大きな手だ。自分のものとはまるで違う、ごつごつした硬い皮膚。
「…………ごめんなさい。心配かけて」
「本当に、勘弁してくれ」
思えば、シェリーとしても連絡先すら交換していなかった。それがあれば、もう少し安心させられたかもしれないのに。
今更ながら連絡先を端末に登録し合って、何かあったらすぐに連絡すると約束して。それでやっと隼斗の体から力が抜けた。
言うなら今しかない、とまたぐだぐだ躊躇ってしまう前にシェリルは口をひらいた。
「あと、その……」
「なに?」
「……ごめんなさい、騙したみたいになって」
「ああ」
隼斗はぱちりと瞬きをひとつ。まるで、そんなこともあったな、なんていうような様子で。
「それは別に」
「怒ってない?」
「怒ってないよ。シェリーも途中まで俺がレンジャー部隊だって知らなかっただろ」
街中の戦闘でシェリルが助けられた時のことを言っているのだろう。確かにシェリルはあの時までまさか隼斗があの緑だなんて想像もしていなかった。
「驚きはしたけどな。 ――ああ、それともう分かってるだろうから言うけど」
「なに?」
「好きだ」
「……は!?」
「シェリーが聞いてきたんじゃないか。俺の気になる人は外星からきた長い銀髪の綺麗な人」
「それはそうだけど!」
あれはその場のノリの、しかも隼斗だとまだ分かっていなかった時の話であって。
「それから強くて、かっこよくて、海賊をしている割に常識的で良心的で。特に目が好きなんだ。天の川の星を映したみたいなキラキラした目で」
「そんなこと前は言ってなかったじゃない!」
「あと、意外と初心だな。かわいい」
「〜〜〜〜っ……!」
ぼすん、とシェリルはベッドに突っ伏した。ちらりと見上げた隼斗は悪びれもなくにこにこ笑っている。
何なんだいったい。それを聞き出した夜はあんなにうろたえていて、可愛いとさえ思ったのに。
「吹っ切れたんだ、いろいろ」
「ああそう……」
「それで?」
「え?」
顔をあげる。隼斗の綺麗な顔が眼の前にあった。
心臓が跳ねて、飛び退こうにもここはベッドの上だしいつの間にか腕がとられている。優しく、ただ触れるだけの拘束だというのに振りほどくことができない。
「シェリー」
低く囁いた声はかすれて甘く。
熱のこもった瞳から逃げ出せない。するりと近づいてくる唇が、もう少しで
「あの〜……お取り込み中のとこゴメンねぇ〜……」
もう少しで触れそうだったのに、カーテンの向こうからザバシュの声がしてシェリルは思わず盛大な舌打ちをかましてしまった。隼斗は苦笑いしている。
「だからゴメンって言ってるじゃ〜ん!」
「で、なに? 用があるならさっさと言いなさいよ」
「あ〜……あのね〜…………」
言いにくそうな気配を出していたザバシュだが、やがてため息とともに要件を吐き出した。
「緑をね〜、…………パパが呼んでるよ〜……」
「…………うわ、」
「パパって……船長か? 俺なんかが会っていいのか」
ザバシュとシェリルの絶望したような声に、隼斗は気づいていない。隼斗はレンジャー部隊を裏切った人間として呼ばれていると思っているのだろうが、それは違う。
ゼルハム船長は船長としてではなく、たぶんシェリルの連れてきた男に父親として会おうとしている。非常に面倒くさいことに。
「生きて帰れるといいね〜……」
ザバシュが半ば諦めたようにつぶやく。
シェリルは隼斗の命の危機にベッドを降りようとしたが、船医の拳骨により布団に沈められた。




