2 喫茶店
宇宙マフィア、ドルネンファミリー。
バルバドス宇宙海賊団の船長ゼルハムが長年追っている相手。その組織のボスであるドン・ドルネンを捕まえるためだけにゼルハムは天の川銀河連合の傘下となり、私掠船として活動している。
その因縁の相手が、地球の日本という国に潜伏している。
そんな情報を掴んだため、シェリルたちはわざわざこんな遠くの星までやって来たのだった。
そして、入星したとたん治安部隊との戦闘。ザバシュは女性に声をかけて遊んでいたが、法に触れるような事は一切していないにも関わらず。
これは、――――――……
「お決まりですか?」
「ええ、決済を。それから、これを着て行きたいのだけれど」
「かしこまりました」
店員の声で、ぱちんと思考が弾ける。
シェリルは今、東京のアパレルショップにいる。不測の事態が起こったとしても目的が達成されるまで地球にはいるのだから、着替えは必要。それも、足に纏わりつくことのない服が。
いくつか見繕い、入国時とは別の名義――もちろんこれも偽名だが――を使って決済をする。タイトでシンプルなワンピースは、普段着ているビキニアーマーよりだいぶ布面積が多いが着心地は悪くない。こういうのもアリかもしれないと、次回のショッピングの算段を立てる。海賊業の合間のショッピングはシェリルの生きがいなのだ。
今しがた購入したばかりの服に着替えて、再び繁華街へと足を向ける。東京はかなりの人口密集地で、しかもヒューマン型が多い。同じヒューマン型のシェリルであれば、服装や髪型をかえればたいした変装をせずともそう簡単には見つからないだろう。幸い肌の色も瞳の色も髪の色も多種多様だ。さらりと風に靡くトレードマークの長い銀髪も、さっと結ぶたけで良いだろう。
それにしても。
(人が多いわね……)
いくら星を隠すなら銀河の中とはいえ、こんなにも人が多いと疲れてしまう。長い航海を終えたばかりであるし。
けれど、どこかで休憩をしようにも大通り沿いのカフェはどこも満席で入れない。仕方なくフラフラと街を見てまわっていると、一本の細い路地が目に入った。
なんとなく、ふらりと入る。
シェリルのこういう勘は当たる。それはゼルハム船長が太鼓判を押すほどに。
少し歩いたところ、ひっそりと出ている看板には喫茶の文字。古めかしい茶色の扉。これは、もしかして木製だろうか。扉の前に立って思わずじっと見つめて…………。
(開かない)
店休日だろうか。しかし看板は出ている。それとも会員制でパスワードが必要?
シェリルが扉の前で首を傾げていると、突然内側から扉が開いた。ベルだろうか、カラコロと小気味良い音を立てながら。思わず一歩後ずさる。
「いらっしゃいませ」
「――え、ええ……」
出てきたのはヒューマン型の男だった。
切れ長の涼しげな目元、すっと通った鼻筋。茶色の髪をうしろでひとつにくくっている。事前に調べた地球の基準だと、女性に人気がありそうな見た目だ。黒いエプロンが腰に巻かれているから、従業員だと思われる。ふわりと苦みのある香ばしい香りがした。
「どうぞ」
「失礼、入室パスを持っていないの」
店員はきょとんとシェリルをみつめて、ああ、と納得したように頷いた。
「この店は会員制ではないです」
「けれど」
「手動なんです」
このドア、と言われてシェリルはもう一度ドアを見た。なるほど確かに店員は話している間もずっと手でドアを押さえている。
手動……? と呟いたシェリルに、彼は微かに笑った。
「公共施設や大きな建物は近代化しています。しかし、個人店や一般家庭は旧式が多いです」
「そうなの」
招き入れられた店内に、他の客は一人だけだった。カウンターの隅で旧式の液晶端末を操作しているヒューマン型の老人は、入ってきたシェリルを一瞥して、また端末に視線を落とした。
案内された席に腰を下ろして、店内をくるりと見渡す。
板張りの床。つややかな木製のテーブルに布の張られたソファ。吊り下げ式のランプ。手動の扉もそうだが、そのどれもが驚くほどの旧式だ。シェリルは今まで色々な星を訪れているが、見たことのないものばかり。けれど、どれも綺麗に磨き上げられていて古ぼけた感じはしない。
「どうぞ」
コトリと置かれた水とウェットタオル。まだ何も注文していないはずだが。
「サービスです。これは手拭き用」
ひとつひとつ指差しながら説明する店員から手渡されたメニュー表はなんと紙製。しかも手書きだ。星が星ならば博物館に飾られているだろう。シェリルは一瞬、素手で触っていいものか迷ってしまった。
日本の固有言語の下に小さく天の川銀河の公用語でルビがふってある。
「コーヒーか、紅茶か、果実のジュース」
「おすすめは?」
「コーヒーです。コーヒーは分かりますか?」
「分かるわ。それから、私は自動翻訳装置を展開しているからニホン語で喋ってくれて構わない」
「……ありがとう、それは助かる。公用語は苦手なんだ」
店員はぱちりと瞬きをして、肩の力をぬいて苦笑した。
「それは何?」
シェリルはカウンターの向こうにある、謎のガラス製の装置を指差した。丸いガラスと円筒形のガラスが乗っていて、その下には火が焚かれている。何をするものなのか分からない物が多いが、これが一番使用方法の見当がつかない。
「サイフォン。コーヒーを淹れる装置だよ」
「これでコーヒーを?」
「近くで見るか?」
店員に促され、シェリルはいそいそと近づいてカウンターに座り直した。下側のガラスの中に水が入っていて、どうやらそれを火で温めているらしい。水がぼこぼこと沸騰している。
店員は装置を火から離すと、上側のガラスにコーヒー粉を入れてガラス管を接続する。そしてまた火に戻して、すると。
「……どういう原理で?」
「蒸気圧で押し上げているんだ」
沸騰したお湯がガラス管を通って上へと昇っていく。あっという間にすべて移動して、コーヒー粉を押し上げる。それをくるくると撹拌してまた火から離す。撹拌する。コポコポと小さな音を立てて下のガラスへと戻ったお湯は、鮮やかな濃褐色をしている。
それをシェリルはずっと目を丸くして眺めていた。
「どうぞ」
「……ありがとう」
カチャリと音を立てたカップからは強烈な、けれど心地よい香り。一口含む。まろやかな苦味と少しの酸味が突き抜けて、けれどどこか果実のような香りがふわりと抜ける。
「おいしい」
「そうか。それは何より」
見たこともない淹れ方だけれど、シェリルが今まで飲んだどの星のコーヒーよりも美味しいと思った。最新式の機械で淹れたコーヒーよりも、流行の最先端のコーヒードリンクよりも。
けれど、シェリルの言葉はこの店員にきちんと伝わっているのだろうか。こういう時、あまり表情の動かない自分の顔を恨めしく思う。感情が分かりにくい、そう仲間からもよく言われるこの顔が。
「嘘でもお世辞でもないのよ」
「ああ、わかるよ。大丈夫」
どうせ伝わっていないのだろう、そう思って付け加えた言葉は存外に軽く受け流された。本当に軽く、ふふふと笑いながら。
「そんな風にキラキラした目をしていたら、わかる」
――――ピピッ
メッセージ受信の通知音がして、はっと端末を確認する。けれどそこには何もない。シェリルの端末ではなかった。
「ちょっと出てくる。先生、あとお願いします」
シェリルと同じように端末を確認した店員が、乱雑にエプロンを剥ぎ取った。バタバタと忙しなくカウンターから飛び出してドアに手を掛ける。
「――――また、」
最後に一度、シェリルを振り返って。そうして店員は走り去って行った。店のなかに残されたのは、シェリルとカウンターの隅に座った初老の男。
店員の呼び掛けに「うむ」と短く答えたこの男は、店の関係者だったらしい。
どうしてなのか分からないけれど、いつもより煩く跳ねている心臓を落ち着けようとコーヒーを一口飲む。
ふう、と意識して息を吐いた。
「暇ならば私と話でもどうかね」
男がシェリルに声をかけてきた。
目を向ける。グレイの瞳がシェリルをとらえて。
「いかがだろうか、――――海賊のお嬢さん」