終幕、名もなき男。
冴島幸助、34歳。1974年11月8日生まれ。血液型はA型。身長体重共に中肉中背と評される見た目をしており、現在は両親と同居している。兄弟は2歳年下の弟がおり、彼は現在、東京の大手企業に勤務。先月の11月11日に2年間交際していた女性と結婚。弟とは不仲であったこともあり、当初は出席を拒んでいたものの両親からの説得に渋々承諾。この時ほど彼は『一体自分は何をしているんだろう』と今まで経験したことのない劣等感を感じ、己の無力さ、無能さを恥じるのであった。
そんな時である。彼が異能の力に目覚めたのは——。
見た目を自由に変えることができ、自身の体液を注入した相手を支配できる。彼はいつでも元に戻れるということもあり、迷わず己の顔と体を変え、眉目秀麗、いわゆるイケメンと呼ばれる部類の男に変身した。卒業相手を物色し、東雲綾乃と出会う。自分の住んでいる場所から離れた高級住宅街に住み、清楚という言葉から生まれたような彼女は冴島の好みにもピッタリであった。
絶対にバレることはない。自身に宿った能力がそう訴えてくる。罪を犯すことに迷いはなかった。絶対に後悔することはない。そう確信していた。彼女が死んでしまうまでは。
事を終え、余韻に浸っていると彼女は突然苦しみだし、破裂。腹に穴が開き、全身の血一気にが流れ出る。一瞬、時が止まった。あれからずっと抜け出すタイミングを見失っている。頭では元の生活に戻った方がいいと理解していても心が拒否をしていた。もう少し大丈夫。もう少し、もう少し……。気付けば鬼がやって来ていた。過去の罪を清算しろと地獄の底からやって来たのだ。
するとそこで、ようやく覚悟が決まる。俺はこのまま生き延びてやるぞ……と。
地獄に行くのはお前だ。ホッグ・ノーズ……!!
冴島は残った東雲親子を自分の背に隠し、大きく息を吸う。
「はぁ…………。ウゥウッ――!!」
全身の骨が折れ、筋肉が肥大化していく。体の軋む音が徐々に大きくなっていくのにつれて、冴島の体がみるみる内に巨大化していた。
「…………」
自分からは手出しをすることができない以上、見守ることしかできない義人は約2,3秒間、黙って変身が終わる時を待った。
そんなこともできんのかよ。
最終的に全長は約3メートル。体重は470キロほど。上半身の服は破け、鋭い岩山のような異常に発達した筋肉と骨を露出させている。拳の大きさなど頭を掴まれただけで、あっという間に地面に落ちたトマトになってしまう程の大きさだ。
バケモンだな……。
どうやって止めればいいのか想像もつかない。そんな時、自分に逃げ方と避け方を教えてくれた人物の言葉を思い出す。
『戦いにおいて最も重要なことは間合いだ。間合いを制する奴が勝つ。この逃げる、避ける訓練はこの間合いを掴む為の稽古なんだよ』
『結局、関節技が最強だな!!』
関節技か……。
確かに落ち着いてよく見れば人の形を保っている。となれば、関節さえ押さえてしまえば動けなくなるのではないか?
さあ、どう来る?
あの巨体だ。攻撃をまともに受け止めるのは愚の骨頂と判断し、まずは避けることに集中する。
「うああああああああああああーッ!!」
「うっ……」
うるせっ!!
拡声器でも使っているかのような叫びに思わず肩を竦める義人。動きを止めたその瞬間、背中から左右3本ずつ、計6本の白い触腕が義人を襲う。
その図体で初手触腕かよっ!!
しかし、1本1本が樹木の幹ほどはある。だが、義人はそれほど脅威に感じていなかった。
なんか軟らかそうだな……。
そう考えた義人は難なく触腕を避けつつ、腕に巻き付けていた触腕の一部を一度解き、先端を刃物のように尖らせると、すれ違いざまに斬り付ける。すると刃がズブリと入り、これを意図も簡単に斬り落としてみせた。
おおっ!! 上手い具合に斬れたな。
やった本人が驚くほど、上手く刃が入ったのか、それほど向こうが軟らかかったのか。
だったら……ッ!!
横一直線に並んだところで右腕を振り上げ、伸ばした触腕でまとめてそれらを斬り落とす。
「————!!」
最大6本、細かい動き無しなら同時操作可能って感じか?
自分のできることを参考に予想を立てる。
「…………」
冴島は動かない。動くことができなかった。
飲まれたな……。
初の対人戦、初の超人戦。今まで見て来たものが全てだと思っていた相手が出したもう一つの切り札。これ以上、何を隠し持っているのか。考えただけで地面に根が張ってしまう。勝ち筋がまったく見えなかった。
このままこっちのペースに持っていく!!
再び右腕の肘から先を触腕で覆い、刃の部分はそのままに右手を巨大な刃へと変身させる。そして義人はその切っ先を相手の喉元へと向けた。
斬られたらいてぇぞ……。さあ、どうする?
「うっ…………あっ…………」
冴島は恐怖する。生きてきた中で向けられたことのない痛みや死の象徴。震えが止まらない。死神の冷たい鎌が首に突き付けられる感触を覚えた。
「う……うあああああああああぁーッ!」
また叫ぶのかよ……。来ないなら……、こっちから行くぞッ!!
義人は室内に向かって走り出す。
「うああっ!!」
驚き、焦った冴島は急ぎ、2本の触腕を放った。
遅いっ!!
その迷いが攻撃のスピードに表れる。これを避けられない義人ではなかった。
「フッ!!」
掃き出し窓を飛び越え、室内に侵入。そして素早く両腕から刃の触腕を放ち、冴島の両肩を穿つ。
「————ッ!!」
上がる悲鳴。さらに刺さった刃を捻じり、傷口を抉り広げる。悲鳴が奇声へと変わった。
「…………」
義人はさらに触腕を展開し、一切の迷いなく両目と喉を横一文字に斬り裂いてしまう。
皮膚も軟らかくて助かったな……。
遂に冴島は声も出せなくなった。痛みのあまり喉を押さえ、その場にうずくまる。
「————」
もう何も考えられない。壁が倒れ、2人の親子が姿を現す。
「……お怪我はありませんか。さ、こちらへ……」
それだけ言うと2人を触腕で抱え込み、ゆっくりと外に向かう。
待てぇッ!!
目を見えぬ、声も上げられない巨人はさらに形を変え、人であることを捨て去り、円形状に並ぶ牙。巨大な体躯。ただ飲み込むだけの口の化け物へと変貌する。
「エエエエエエエエエエェ―ツ!!」
うるせぇよ……。馬鹿野郎……。
「耳を押さえてください!!」
そう言われ、親子は戸惑いながらも両手を耳へと当てた。
右腕に巻かれた触腕が刃物から銃へと変わる。それは滑らかな流線形で鈍い鋼色。まるで娯楽作品に出てくる装着型の光線銃だ。その銃に左手を添え、体内の電気を銃身へと籠める。集められた電気は生成した弾丸へと伝わり、これを高速回転。
サイコガンは、心で撃つ――。
義人は迷うことなく心の引き金を引き、弾丸を撃ち出した。 稲妻が走り、雷鳴を轟かせる。そして、冴島の体を一直線に貫いた。
風穴を開けられ、倒れる冴島。直後、肉の焼ける臭気が室内に充満する。
「すみません。大丈夫でしたか?」
急ぎ距離も離したとはいえ、2人の身を案じ尋ねた。
「はい。大丈夫です……」
きょとんとする綾乃。母親も大丈夫そうであった。
「良かった……。じゃあ、行きましょうか」
義人は2人を抱え、門戸へと向かう。
こうして、人類初の超人事件は幕を閉じた。