正と負の排除の力学:神の視座と聖人化の過程
はじめに、「あらゆる物事が勾配と分布のある無境界に存在している」という視座を「神の視座」と呼称します。
「神の視座」は、俯瞰的であらゆる境界を超えた視座です。
神の視座において、人間は条件に応じて右往左往し動的に分布を構築する一要素に過ぎません。
さて、この「神の視座」の詳細については別のエッセイに譲るとして、このエッセイでは「排除」についての考察を述べようと思います。
前回、「マスコミにおける独裁者の排除」を取りあげたので、今回は宗教的な聖人の発生を着地点とします。
では本題。
あらゆる物事、さらには「考え方」にさえも、分布と勾配が存在しています。
分布と勾配は物体や現象がもつだけでなく、「倫理観」や「道徳観」、「死生観」をはじめとして、考え方そのものも持っています。
例えば、「ごちそうさまを言うのはタダメシを奢ってもらったときだけだよねー」という価値観や、「新鮮なご遺体の前でピースをする」という一部の倫理観もまた、特定の分布と勾配を持つものです。
わかりやすくいうと、「そのような考え方を持つ人達の周囲には、その価値観・倫理観などを共有する人達がいる」ということですね。
ツイフェミの過激な意見もそう。最近では「男が産むのはうんこだけ」なんていう価値観もありました。宗教もそうですね。移民もそうです。固有の道徳観や価値観を持っています。
これら「考え方」の分布の接点では摩擦や軋轢が生じ、その結果エントロピー勾配が高まります。
たとえば、SNS上で過激で極端な投稿が注目を集め、摩擦や軋轢が生じ、反発や炎上を引き起こすことが何度も観察されてきました。
やがて炎上は、投稿主の鍵垢化、退場などによって終息していきます。
例えば、新鮮なご遺体の前でピース写真を撮るという最近の美容外科医の炎上は、院長のアカウントの鍵垢化、日本美容外科学会による、今後、学会内外で啓発活動と管理体制の強化を図るという指針が示されることによって決着されています。
・具体例1:炎上と平衡への移行
SNSでの炎上を例に、「秩序の回復」がどう「平衡に向かう」のか見てみましょう。
・過激な投稿で混乱が始まる
誰かが過激な意見を投稿し、賛否両論が飛び交います。この時点で社会的な「エントロピー」(乱雑さ)が増え、システムが不安定になります。
・対立が広がる
意見の衝突が激しくなり、議論が過熱します。まるで熱いものと冷たいものがぶつかってエネルギーが生まれるような状態です。
・炎上がピークに達する
非難や攻撃が広がり、一時的に大きな騒ぎになります。これは不安定な状態が続く段階です。
・終息して安定が戻る
投稿者がアカウントを非公開にしたり、話題が忘れられたりすると、混乱が収まります。感情や関心が放出され、社会が再び平穏な状態(平衡)に戻ります。
このプロセスは、物理学で「熱が放出されて温度が均一になる」ことに似ています。炎上が収まることで「秩序が回復」し、「平衡に向かう」というわけです。
このように、急激にエントロピーが高まることで結果としてエネルギーの解放が行われ、新たな秩序が形成されます。
この「急速なエントロピーの増加と解放」は、しばしば、原因の「負の排除」という形で現れます。
ネット上でいうならば、鍵垢、アカウントの凍結、引退などがその典型例です。
現実でいうなら、「いじめ」もまた負の排除の典型と言えます。いじめは散逸構造なので完成したあとに外から介入することは非常に難しいのです。排除の「結果」がニュースで報じられると心が痛みます。
エントロピーの急激な解放が法制度の形成を促すときは、そこには新たな制約や不自由が伴います。
これはインターネット上の現象に限らず、移民問題や宗教の摩擦といった社会的課題にも当てはまります。
摩擦がある場所では人足が遠ざかり、荒れ果てた景観を生み犯罪の温床となります。結果、治安が悪化し、エントロピーがさらに高まります。
その大きなエントロピーの解放の果てには、厳しい法整備や事件の勃発、時には流血沙汰といった結末が待ち受けていることもあるでしょう。
秩序の構築においては、持続的で穏やかなアプローチが望ましいのです。
広範な分布を持つ倫理観・道徳観は、自然と緩やかなエントロピー勾配を形成するため、周辺の倫理観や道徳観をあらかじめ高めることで、急激なエントロピー解放を緩和することができます。
こうした緩衝作りの一環として、宗教機関の出先(新しい布教拠点)などが行う奉仕活動やボランティアが挙げられます。食事の炊き出しやお菓子の配布といった活動も、エントロピー勾配を緩和する効果があると考えられます。
連載エッセイのほうで、いじめの発生に対し、「あらかじめ周囲にノートを見せてあげたり、ゴミ捨てを変わってあげたりする」などしていじめの発生を防ぐ(エントロピー勾配差ができるのを打ち消す)方法を書いたことがあります。
その話とも絡んできます。
ここで、奉仕やボランティアに真剣に取り組みすぎた結果、エントロピー勾配が逆転して勾配差が生じ、「正の排除」として作用する場合があることに言及しておきます。
例えば、偉人と呼ばれるような人物が、あまりに崇高すぎて周囲から距離を置かれるような状況がその一例です。
このような場合、周辺の人達は「近寄りにくさによる不安感」などから「正の排除」の理由付けを後付で行って(しばしば後付けの因果として解釈されます)、その人物にまつわる奇跡が語られることがあります。
例えば、「あの人に悪いことをすると祟られる」、「同時に複数の場所で施しを行っていた」、「その人の手当によって生まれつき動かなかった足が動くようになった」、「手をかざしただけで重症者が元気になった」、など「近寄りにくさ」を説明するナラティブが後付で伝えられます。
こうやって、聖人は社会の中で神格化されていきます。
・具体例2:聖人化と平衡への移行
「正の排除」(聖人化)の場合も見てみましょう。
・崇高な行動が注目される
誰かが非常に道徳的な行動を取ると、周囲との「差」が生まれ、社会に緊張が生じます。
・隔絶感や不安が増す
その人が「近寄りがたい」と感じられ、摩擦や不安が広がります。
・神格化が進む
奇跡や伝説が語られ、その人が特別な存在として扱われます。
・新たな基準が確立する
神格化が落ち着き、社会が新しい道徳的基準を受け入れることで、緊張が解消され、安定した状態(平衡)に戻ります。
ここでも、混乱や緊張が収まり、「秩序が回復」して「平衡に向かう」流れが見られるのです。
今回はそんなお話。