第29話 天支神官第一席 ジャガーノート・ラビッドフラウ
蔵書会館からの逃走から三日後。
ビッグピースから南へ十一キロメートル――コンダー遊水地ほとり。
「つまり魔法とはっ! 何度も言うように、この宇宙のレコードに記録・蓄積された事象をっ! 自身の言霊と意志の力で引き出し、現実の事象として顕現させることなのであるっ!」
煉錬鉄火で精製した黒板に、文章と式がびっしり書き込まれている。
それを無表情ながら真剣に頷きつつ、シオンはノートへ写し取っていた。
熱く講釈するジェラルド。
「そして今日の授業はっ! 放出魔法と生成魔法、詠唱破棄についてだ! いいなっ!」
「…はい、ジェラルド先生」
素直に返事をするシオン。
そこにネモが大量の魚を釣篭に抱えて戻ってきた。
主人が遊んでくれないので暇そうにゴロゴロしているブラドに話しかける。
「あのさ、ブラド、魚いる?」
「ウォウッ!」
「焼く?」
「クォン」
首を横に振るブラド。
「じゃあこのままあげるね、ほかは焼いちゃうから」
「ウォウッ!」
丸々と太った魚に齧りつくブラドを横目に、ネモは魚を焼く準備をしながら授業に耳を傾ける。
「まず放出魔法とはっ! 君が使っている魔法のように、レコードから引き出した力をそのまま敵へ叩きつける魔法だ! 強いが燃費は悪い! 炭の棺のような外付け強化でも無ければ、すぐに魔力切れを起こす!」
「…はい」
「対して生成魔法とは! 魔法によって特殊な武器や防具を生み出し、それを基盤に戦う技術だ! 一度形にしてしまえば応用が利く! 戦略の幅も広い!」
シオンはふむふむと頷く。
その様子を見ながら、ネモは魚を串に刺した。
「そしてっ! それらに付随する魔法使い最大の弱点――詠唱の隙! 魔力切れ! それらをカバーするのが詠唱破棄である!」
「……」
シオンの目がわずかに鋭くなる。
ジェラルドはその反応に満足げに頷き、話を続けた。
「例えば君の腐呪渇閃! 沈痛な想いを研ぎ澄まして敵へ撃ち放つ、速く鋭く、使い勝手の良い見事な魔法だ!」
「…それほどでも……」
「しかしだ! いちいちあれほどの沈痛な想いを込め、一から力を立ち上げていては、いずれ必ずガス欠になる! 今までは炭の棺があったからよかったがな」
「…はい」
「そこで使うのが、君自身がレコードに刻みつけた【腐呪渇閃】の記録だ。悲しみや怒りで一から生成するのではなく、既に刻まれた【腐呪渇閃】そのものを引き出して撃つ」
「…………」
「無論、簡単なことではない! 特殊な修練が要る! そもそも元の魔法を何度も何度も使い込み、レコードにくっきり刻みつけていなければ成立せん!」
シオンが、おもむろに手を上げた。
「…ちょっと、やってみていい?」
「いや、だからこれから特殊な修練を――」
シオンは近くの大樹へ指を向ける。
「…―腐呪渇閃—」
サンッ、と小気味よい音が響く。
薄紫の斬撃が飛び、大樹の幹をざっくりと裂いた。
「…出たけど、だいぶ弱い……」
ジェラルドが固まる。
「…………あ、ああ……そうだな……基本的に詠唱破棄した魔法は、達人でも完全詠唱の五割……普通なら三割ほどの出力だ……あくまで補助的な――いや、そうじゃなくてお前すごいなシオン!? 普通はいきなり出来んぞこんなの!?」
「…それほどでも……」
シオンは本当にそう思っている顔で言う。
ネモは思わず小さく笑った。
三日前まで絶望の縁にいた少女が、今は強くなりたいと願っている。
きっとこの理不尽な世の中を生き抜くには力が必要だと、嫌というほど思い知ったのだろう。
「しかし、少し基礎を教えただけで詠唱破棄まで届くとはな……」
「先生の教え方も良いんじゃない?」
「それは前提として当然だっ!」
「うわっ、自信満々」
ネモは焼け始めた魚をひっくり返す。
香ばしい匂いが、水辺の夜気にゆるく溶けていった。
同日夜。
ビッグピース県庁舎――
「リリック殿っ! 一体いつになったらルプニク最高神官はいらっしゃるのだっ!」
でっぷりと肥えた太眉の政務官――ビッグピース県知事、ペル・ハンバッグは、若い女性三級神官を詰問していた。
「も、申し訳ございません……」
「あのガキども……いや失礼! ルプニク最高神官に治療を依頼したい職員達は、このビッグピースの貴重な財源を担う者達なのだぞっ!」
「あのっ!」
「ルプニク最高神官も詳細は知っているはずだ! なぜこうも来るのが遅いのだ!」
「す、すいませんっ! 一つ、その件でご連絡したいことが……!」
「なんだっ!」
「えっ……あの、その……先程、聖都から連絡がございまして……」
「なんだっ!」
リリックは緊張した面持ちで告げる。
「一昨日、ルプニク最高神官が【殉職】されたと……」
「なんだと!? いったい何があった!」
「詳細は不明です……ですが、悪い話ばかりではございません、代役を務めたいと名乗り出てくださった方がおられまして……」
「誰だっ!」
「偶然ソルトマウントからこちらに向かっていた、天支神官第一席――ジャガーノート・ラビッドフラウ様が」
「はっ……?」
ペルの顔が青ざめる。
非常にまずい。
迎賓館の事情を知り、利権を共に貪っていたルプニクではなく……天支神官?
しかもよりによって、あの厳粛・厳正を是とする第一席が来る?
「い……いついらっしゃるのだ……?」
「今晩にでも、とのことです」
「っ……!」
ペルの頭がフル回転する。
まずい。非常にまずい。
「で……ジャガーノート様から言伝も預かっております」
「な、なんだ……」
「治療の前に、今回の件についてヒアリングしたいので、このメンバーを旧庁舎第一会議室へ集めてほしいと」
差し出されたメモを見た瞬間、ペルは凍り付いた。
そこに記された二十五名の名前は、迎賓館の真実を知り、利権を貪っていた者達の名簿と寸分違わなかったからである。
旧庁舎――
集まった二十五名、全員が顔を青くし狼狽している。
「どういうことですかっ、知事! こんな時間に、しかもこの面子で!」
ジェラルド達にシオン捕縛のクエストを依頼した政務官、クリストが激昂する。
ペルは逆ギレ気味に怒鳴り返した。
「天支神官ジャガーノート様の命令だっ! 逆らえるものかっ!」
今度は、ネモが迎賓館六階で見た、子供達を【管理】していた男女の政務官が悲鳴じみた声を上げる。
「こ、この面子をわざわざ集めるって……絶対にやってることバレてるじゃないのよっ!」 「ふざけんなよ知事っ! こっちは人生かかってんだぞっ!」 「静まれっ!」
ペルの一喝で室内がわずかに静まる。
「いいか! ジャガーノート様は“聞かれたくないことや言いたくないこともあるだろうから”と、わざわざ旧庁舎に我らを集めたと仰っていた様だ! つまり、まだ話をする余地はあるということ!」
ざわつく一同を見回し、ペルは大げさに胸を張った。
「諸君ら、私の話術と権謀術数を知らんわけではあるまい!? このビッグピース県知事まで上り詰めた私だぞ!」
「……確かに」
「知事の口の回り様は凄いからな……」
「そうだ! 所詮あやつらは武官よ! この私が本気を出せば、こんな状況――」
「―燼滅巨神爪―」
事も無げに、詠唱破棄され無造作に放たれた、白銀の鎧を纏う巨大な燼滅巨神爪。
それは旧庁舎を跡形もなく捻り潰した。
中にいた者が誰一人生きていないであろうことは、想像に難くない。
「…………」
「ジャガーノート様ぁ……本当にこんな事して大丈夫なんですか?」
隣に立つ男性神官――サンバッグが、呆れたように話しかける。
その傍らには、タイトな純白の神官服に身を包んだ、長身の美しい金髪の女がいた。
天支神官第一席、名はジャガーノート・ラビッドフラウ。
「【天支神官特別特権第一条、天支神官は異教徒の粛清にイベルダルク中央教皇庁の許可を必要としない】……常識ですよ、サンバッグ?」
「いや、知ってますけど……一応あいつらもイベルダルクの人間で……」
「イベルダルクの教義には、【未来ある少年少女の健全なる未来のために奉仕を尽くし、その輝かしい将来を絶つような行いをしてはならない】とあります」
ジャガーノートは、旧庁舎だった瓦礫の山を冷たく見下ろした。
「彼らはその教義を守っていましたか?」
「……いえ」
「では彼らは異教徒ですね」
さらりと言う。
「ルプニクも彼らも教えを遂行することを怠った。今回の件は、異教徒の粛清、何も問題ありません」
「無茶苦茶言ってるよ……」
「サンバッグ」
ジャガーノートは身を翻した。
「【そんなこと】より、もっと気になることがあります……子供達を治した後に、新庁舎で少し相談に乗ってくれませんか……? ソルトマウントのアルバトロスの事件と、先日私が表彰した黒龍討伐、そしてこのビッグピース迎賓館の騒ぎ……どうにも、妙な違和感を感じるのです……」
「はいはい……全く、相変わらずとんでもない人だ……」
二人は悠然とその場を去っていく。
粉微塵になった旧庁舎の瓦礫の隙間から、いくつもの赤が混ざり合った血が、どろりと垂れ落ちていた。




