第27話 涙探しの迷い魔女⑦
クリストが提示した依頼期限、最終日の夜。
ネモとジェラルドはセイリオス蔵書会館の前に佇んでいた。
「何とか間に合ったね」
「ああ。あちこち駆け回ってくれて悪かったな」
「全然。ただ、聞いたこともない材料ばっかで目が滑ったけどね」
「ハハハッ……さあ、行こうか」
「うん」
二人は蔵書会館四階へ向かう。
軋む扉を開ける。
また、ぱたんと本を閉じる音。
別の悲劇小説を手に、こちらを睨めつける少女――シオン。
影に溶け込む召喚獣ブラドは、既にその足元に寄り添っている。
「……また来たんだ。帰ってよ」
シオンは本をテーブルに置くと、即座に詠唱を開始する。
――臓腑に溜めて、吟醸重ねた私の愛しき混鬱を、
涙十滴解き放つ、腐呪渇閃――
少女の十指が紫色に光り出す。
斬撃魔法の装填が完了する。
「待ってくれっ! 話を聞いてほしいっ!」
「出てって」
シオンは指を振り抜き、ネモとジェラルドに斬撃を放つ。
「ちっ、やっぱり聞いてくれねえかっ!」
五回も強襲していれば当然の反応だ。それも想定内。
ジェラルドとネモは横っ飛びでそれを回避する。
「突っこむぞっ!」
「わかってる!」
二手に分かれてシオンへ突撃するネモとジェラルド。
「ブラドッ!」
「ウォウッ!」
このままでは捌ききれないと判断したシオンは、召喚獣に跨って後退する。
撹乱するようにフロアを三次元的に跳ね回りながら、その最中にも精確に魔法の斬撃を撃ち込んでくる。
「あぶねっ!」
「むうっ!」
ネモは身を翻して避け、ジェラルドは前腕で受け止めながら前進する。
二人は徐々に位置をずらし、少しずつシオンを包囲していった。
――嗤軽薄鉄面皮――
ズドン、と何かがネモとジェラルドの前に落下する。
二枚の仮面の盾を呼ぶ魔法、嗤軽薄鉄面皮だ。
シオンは逃げながらも、既に詠唱を終えていた。
仮面は二人の進路を塞ぐように飛び回る。
「それっ!」
しかし既に種は割れている。
ネモは仮面を鮮やかに飛び越え、シオンに迫る。
「頂きっ!」
ネモがシオンを捕らえんとしたその時、召喚獣と共にシオンは足元の影に溶ける。
一瞬の沈黙。辺りを見回すネモ。
―腐呪渇閃―
ネモの真後ろから斬撃が走る。
その背中に紫の刃が迫る。
「ふんっ!」
間に入ったジェラルドがインターセプトし、事なきを得る。
「サンキュー」
「おう!」
ネモが前へ出て圧をかけ、ジェラルドが後方から補う。
理にかなった作戦ではある。
だがシオンは、二人の動きに違和感を覚えていた。
(…何が狙い……?)
前のように、トドメの一撃を無防備に撃たせてくれる隙はない。
しかし、夜の蔵書会館四階は影だらけだ。ブラドの影渡りに困ることはない。
斬撃、仮面、影、三つを回し続ければ、先に消耗するのはあちらのはず。
(……そうか。消耗戦を狙ってるんだ)
そして、それは無駄だとシオンは断じる。
私とブラドには、この不思議な黒い真珠のエネルギーがある。
このまま付き合えば勝つのは自分だ。
「………その気なら付き合ってあげる」
ブラドの速度がさらに上がる。
シオンの灯す指先の紫光も、その濃さを増す。
もはや濃紫の閃光、そこから無数の斬撃が、雨霰とネモとジェラルドに襲いかかった。
「凄いね、底が見えない!」
「おいおいっ! まだトップギアじゃなかったのかよ!?」
「……ジェラルド、僕もギア上げるからね! 後よろしく!」
「わかってる!」
脅威的な出力。
それでも二人は戦い方を変えない。
ネモは愚直にブラドへ食らいつき、ジェラルドは遅れながらも支援を続ける。
「…しつこいな……」
シオンは苛立ちつつも、自分が捕まる気はしないと感じていた。
二人のスピードは、序盤より確実に落ちている。
未だ人外の速力ではあるが、疲労で明らかに鈍っている。
特に獅子男の方は、もはやまともに追いつけていない。目の端に入れておけば十分な程度だ。
「…これなら、もういけそうだね……ブラド、ごめんだけどもうひとふんばりしてね」
「ウォウッ!」
シオンはブラドに激を入れると詠唱を開始する。
――夢中説夢の蒼き薔薇、外道が語りて日が昇る、
心底奥底煮凝る慟哭、明けても暮れても心の臓から引き摺り潰す、もう希望は要らぬ、大義等知らぬ、
辛く愛しき鬱屈よ、不条理とともに愉しく踊り――
不気味な不協和音を立てながら、紫のエネルギー球が四階の上空に浮かび上がる。
これを落とされたら今度こそ終わりだ。
「させるかっ!」
ネモが発動を防がんと素早く飛びかかる。
無論、シオンはブラドと共に闇へ溶け、別の影へと飛ぶ。
ネモの真後ろ、十分な距離を取った位置へ。
着弾範囲にはジェラルドとネモの影を確実に捉えている。
それを確認したシオンは、詠唱の締めを行う。
――あの憎き、不平不服を磨り潰せ、動悸をしずめっ! ……!?」
背後に気配。
威圧感。
「ようやく捕まえたぜ」
「なっ……!?」
ジェラルドがシオンをブラドごと掴み上げる。
仰天するシオン。
獅子男は、少なくとも小柄な方と一緒にトドメの魔法に巻き込める位置にいたはず。
なのに、何故。
シオンは反射的に、さっきまでジェラルドがいた位置を見る。
「……!?」
そこにいたのは、ジェラルドの鎧をまとった氷の人形だった。
二人は最初から、シオンがあえてあまり動かないジェラルドを意識から外す事を読んでいた。
事前の作戦通り、ジェラルドは途中でネモの作った氷のデコイを残し、本棚の陰へ身を滑らせ、隠密の魔法で戦場から外れていたのだ。
その間に観察していたのは、シオンとブラドの影潜りの癖。
潜る寸前に視界へ入っている影にしか飛べないこと。
追い詰めてくる相手の真後ろを取るように、そして必要以上に距離を空けること。
その癖を見切り、あらかじめ次に飛ぶ先へ回り込んでいたのである。
「は……放してよっ!?」
圧倒的な膂力による拘束。
支配。暴力。
彼女のトラウマが一斉にざわめき出す。
だが――
「え……」
ふわり、と。
甘い香りがした。
温かくて、少し焦げていて、懐かしくて、泣きたくなる香り。
ジェラルドの手が、そっとその香りの元を彼女の口元へそれを差し出す。
それは温かな、まだ焼いて間もないワッフルだった。
「これっ……」
思わず、シオンはそれに齧りつく。
甘く香ばしく、優しい味。
懐かしい温度。
忘れられるはずのない記憶。
「うっ……うわあぁぁぁああんっ!」
枯れたはずの涙が溢れ出す。
「パパの……ひぐぅ……これ、パパのっ!」
全身から力が抜ける。
それを確かめて、ジェラルドはゆっくりとシオンとブラドを床に降ろし、自身も腰を下ろして、優しい声で語りかけた。
「君のパパのワッフルは……これで合ってたみたいだな」
「うんっ……! うんっ! あってる、あってるよぉぉぉ!」
泣きじゃくるシオン。
「なあ、シオン。悲しい涙は枯れちまったかもしれねぇが……まだ嬉し涙なら流せるじゃねえか……」
シオンはしゃくり上げながらも、必死に頷く。
「だから、まだお前は大丈夫だ。こんな事はもうやめようぜ? 自分から悲しさに首を突っ込むことはねぇ」
「ひぐっ……えぐぅ……」
コクコクと頷くシオン。
「クゥン……」
その様子を見かねたブラドが、そっと彼女に身を寄せた。




